ルーマニアでの後始末が終わったスタッフがチューリッヒに戻り、霊脈調査のスタッフがイルクーツクに到着したとの連絡が入ったのはほぼ同時だった。
出発準備は整ったけれど、私とモードレッド、それにお姉様達は、再会したランサーとランスロットにケイローンを伴ってチューリッヒの街に繰り出していた。彼らをねぎらうためだ。
そして今私達は、中央駅からバーンホフ通りを南下している。途中で靴を買ったり、帽子や服を買ったり、気ままにショッピングを楽しんでいた。
「良いねぇ、この街は。陰気なところがまったく無ぇ」
青いポロシャツに白いチノパン。飄々とした丸目のサングラスを掛け、パナマ帽をかぶったランサーだ。一見遊び人だけど、その実はよろず請負人で、一度請け負った仕事はきっちりこなす仕事人といった雰囲気がある。
一撃必殺のあの槍からの印象でなく、醸す空気がそうなっている。わかる人にはわかるというか。
「山の街だからでしょうか。空気は澄んで空が青い。故郷を思い出しますね」
こちらは麻のサマースーツでパシッと決めたケイローンだ。どこかの真面目な教師といった面持ちだけれど、その清潔感と爽やかさの裏で行う本業は、一流のスナイパーだと言われても信じられる。
ランサーが『仕事人』なら、ケイローンは『プロフェッショナル』。わかるかな?
「ええ。一度来ましたが、その時も美しい街だと思いました。モードレッドも楽しいでしょう?」
対するランスロット卿は黒いシャツに生成りのパンツだ。隠しきれないブルーワーカー感が辛いところだけど、こちらも仕事はきっちりするだろうという信頼感がある。
要は真面目さが拭えないのだ。仕事には真摯なのに、儲けに繋がらないというか。日本語では『器用貧乏』と言うらしいが、『職人』と『玄人』いう言葉もお姉様に教えて頂いた。
「ああ、この街は良い。けど、この国はどこに行っても絵になるな」
それがスイスだ。そしてこんな目立つ容姿の3人を誰も気に留めない。それがチューリッヒだった。
この街の成り立ちや伝統行事などを、3人の英霊に説明するエルヴァお姉様はデニムのホットパンツにざっくりとしたサマーニット。頭の上にはちょこんとボーター(カンカン帽)を乗っけている。
ニコニコとそんな会話に相槌を打つエルお姉様は、ネイビーのパフスリーブ・ブラウスに白いデニムのスカートだった。私と同じ色の髪は赤いバンダナで纏め、頭の上にサングラスを乗せていた。
似たような格好が多いモードレッドもこの日のトップはチューブでなく、私とお揃いの白いサマーブラウスだ。下は相変わらずホットパンツだけど。その分、私がスカートなのでバランスは良いのかな?
とはいえさすがはお姉様だろう。以前、私がモードレッドにした観光案内より詳しいのだから。そしてそんなお姉様方とすれ違う街の男性が、決まってお二人とモードレッドを振り返る。
それでもって、鼻の下を伸ばした男性は3人の美男子英霊に気付いてしょぼんと通り過ぎていく。この通りを歩き始めてから何度目だろう?
こういうのをミラノ辺りでやってみたいなぁ。そんな事を考えていたら目の前にニョキッとソルベット(チューリッヒのアイスクリーム屋さん)のカップが現れた。
「どこ見てんだ、マスター?」
「お姉様方。美人だなって」
「何言ってんだ? お前の未来じゃんか」
「おお! 『約束された勝利の美貌(エクスフェイサー)』?」
「ブッ……、そうだな。けど、背が伸びて欲しいよな?」
「ああ……そこですよ……」
お姉様方には申し訳ないけれど、私とイリヤとクロエの願いは背が高くなる事だった。お祖父様にしたって、親しみを込めて仰って下さるのはわかるけれど、いつまでも『チビ』は無いと思うのだ。
「どうする? このままチューリッヒ湖まで歩くか?」
後、数百メートルも歩けばチューリッヒ湖の最北端だ。このキュウリのような湖は州をまたがっていて、下側のラッパースヴィール=ヨーナからザンクト・ガレン州に変わり、湖の名もオーバー湖に変わる。
ザンクト・ガレン州にはお祖父様の別荘があり、お姉様方の育った故郷であり、私の通う学校がある。お隣だけどとても身近な州だ。
と同時に、とっても変わった州でもある。何と州に中に準州が二つ取り囲まれているのだ。一つはアッペンツェル・アウサーローデン準州。もう一つはアッペンツェル・インナーローデン準州だ。
スイスには二十の州と六つの準州があるけれど、その内の二つがザンクト・ガレン州の中にあるのだ。元々はザンクト・ガレン州の中にアッペンツェル州があったのだけど、宗教上の理由で二つの準州にわかれちゃったのだ。
有名なチーズがあって、この地方独特の犬種が居たり(アッペンツェラー・キャトル・ドッグ)、とても景色が綺麗なハイキングコースがあったりして良いところなんだけどね。
このエーベンアルプ山のハイキングコースには『崖っぷちレストラン(ガストハウス・エッシャー)』というのがあって、本当に崖というか断崖絶壁にレストランが建っている。ゼーアルプ湖も綺麗だ。
そんなお隣の州にある学校へは家から1号線に出て、そこから入る方が近い。スイスの私立校は殆どがジュネーヴ近郊に集まっている(フランス語圏)。だけどツークのインスティテュート・モンタナ・ツーゲルベルクと、私の学校だけはスイスの北東部(ドイツ語圏)にある。後は南東部(イタリア語圏)に1校あったかな?
日常会話はスイス・ドイツ語なので、訛っていない正しいドイツ語を人前ではできる限り使うようにしている。それと授業ではフランス語とイタリア語、それと英語も習っている。
実は来季の6年生からはプライマリー(小学生)でなくミドル(中学生)になる。紺色のブレザーとスカートの制服が失くなって、正装用に自前のスーツやドレスを揃えなければならない。
そして6~8年の次の9~10年生が高校の基礎で、11~12年が高校の応用になる。こんな風にして希望のカレッジに進むのだ。
だから日本では、中学校からやっと外国語、それも英語だけを学ぶというお姉ちゃん達のお話に驚いた。もっと驚いたのはそれが普通だと思える、文化や考え方が全然違うところだったのだけれど。
別にそれが良いとか悪いとか言いたいわけではない。日本に行って街のあちこちを案内してもらった。それで見えたと言うか、わかったと言うか。
あまりにもすべてが便利なのだ。密集した住宅街は閉塞感があるけれど、スーパーも学校も海も(海だよ!)全部歩くか自転車で行ける範囲にある。それも幾つも。
そしてそんな商店に並ぶ商品は、バラエティー豊かで興味深いものばかりだった。バスや電車で出掛けるにしても、あそこまで時間ピッタリにやって来る国なんて日本くらいのものだろう。
そんな生活が当たり前になっているからか、どうもイリヤの話す事が的はずれだったり、理解できなかったりする事が何度かあったのだ。
もしイリヤがクロエみたいな性格だったらケンカしていたかも。でもあのお姉ちゃんはおっとりしているようで、芯は強く、そしてとても優しい。だからそんなケンカにはならない。
またクロエはクロエでドイツの記憶が少しあるから、私が違和感を感じてしまうそういうギャップを理解してくれている。本当にバランスの取れた3人だと思う。
「お買い物は?」
「もう十分だろう。エルヴァは寄りたいところでもあるのか?」
「ううん。お姉様方は?」
「あちらも説明で疲れたみたいだ」
あ~あ、皆んな飽きて疲れたみたい。日本よりは遥かに涼しいけれど、夏だものね。チラッとお姉様方を見ればコクンと頷いたので、携帯電話で迎えのクルマを喚んだ。
屋敷に着いたら皆んなゾロゾロ着いて来る。
「どうしたの? 自由にしてくれれば良いのに」
「どこでだよ? 広過ぎるんだ、お前んちは」
「そうだろうなぁ。キャメロットが犬小屋に思えるからな」
「それは言い過ぎです、モードレッド。ここの犬小屋は私の小屋より大きいとはいえ、キャメロットよりは小さかった……小さかったのですから……」
「2回言うなよな……。けど、気持ちはわかるぜ。お犬様とエルヴァにからかわれたオレですら、怒るどころかあれを見て絶望したからな……。だって昔住んでいた家よりでかいんだぜ……?」
ケイローンが首を振っている。この人は馬小屋……じゃないよね? それはともかく、この家が普通とは私も思っていないけれど、まさか英雄が過ごしたお城より大きかったとは。
そんな中でお姉様方はスタスタと前を歩き、迷うことなく食堂に入られた。そして椅子に腰掛け大きな溜息。
「はぁ~、ここが一番落ち着く~」
「やっぱり、食堂ですよね~」
3歳からヴェルデンベルグに移ったお姉様方は、この家だとあまり寛げないらしい。そこも日本のお姉ちゃん達の家とそう変わらない大きさだったそうだから。
「モードレッドも落ち着かないですか?」
「いや、全然。けど、人には人の『範囲』があるからなぁ。オレが珍しいんであって、以前父上達も落ち着かないって言ってたぜ」
「『起きて半畳寝て一畳、天下取っても二合半』ですね?」
「あ? どういう意味だ、それ?」
私もわからなかった。だってエルヴァお姉様はそれを、おそらく日本語で仰ったからだ。
「わかりやすく言えば、日本の畳のサイズですよ。90×90センチの半畳なら立つにも十分、座るにも十分な面積です。倍の一畳、つまり90×180だと日本人なら、これまた十分なベッドサイズです。そして一国を治める将軍になっても、一食に二合半以上のご飯を食べられるものではない。要は『足るを知れ』という戒めの言葉ですよ」
お姉様の解説にモードレッドだけでなく英霊の皆んなが頷いた。
「それだ。その『足るを知る』ってのが骨身に滲みてんのさ、オレ達は」
「やっぱ、オレって珍しいんだな? どこでも馴染めるからなぁ」
そこがモードレッドの良いところだ。そんな彼女にブリテンという土地は狭かったと思う。そしてそれは、本当のところお姉様方も同じだと私は睨んでいる。どうだろうか?
空港ロビーの国際線に向かって、カツカツと靴音を残して歩く私と士郎。
「なぁ、アーチャーさん?」
「わかっているが、言ってくれるな。私もどう対処して良いのかわからんのだ」
先方との連絡の末、私と士郎は今からスイスのチューリッヒに飛ぶ。そんな私達の後ろを銀髪の令嬢と、彼女の年の離れた妹としか思えぬ双子が旅の装いで着いて来る。
「まさか同じ便だとは……」
三つ子の妹との不完全燃焼な別れ、そして一歩間違えば愛娘がとんでもない目に遭ったかも知れぬ苦境を救ってくれ、導いてくれる姉となった『次女』の『魔術的分身』。
はぁ……それはそうだろう。イリヤやクロエがどうこうの前に、アイリスフィールが動かぬはずがなかったのだ。
「どうしよう?」
「どうしようもあるまい。あちらがビジネスクラス以上である事を祈るばかりだ。が、目的地は同じだぞ?」
「そうだった……」
「それと士郎? アインルベルンの『長女』はおそらく霊体化している」
「イリヤさんも来てるって事か!?」
「声が大きい。ま、彼女は便乗だろう。例の二人と接触するまではおとなしいはずだ。ともかくこのまま行くぞ。どのみち搭乗口で声が掛かるだろうさ」
あに図らんや、予測通りに荷物を預けているところで声が掛かった。
「あら? アーチャー君に士郎君」
アーチャー君と来たか。いつもは『アーチャー』だが、どういう意図だ?
「奇遇ね、とは言えないわね。たぶん行き先は同じだと思うから。この子達に聞いて驚いたわ。ルーマニアにエルヴァちゃんの分身が行ってたなんて」
「切嗣氏は?」
「あの人はルーマニアの件が片付いたら、そのまま仕事に行ったのよ。エルヴァちゃんに試合があって残った事に、どうも気付いていないらしくて」
はぁ? そんな事があるのか?
しかしイリヤやクロエにエルヴァといった、幼い娘の方に意識が偏っていた可能性はあるな。何よりエルとエルヴァには実績がある。
例の二人をその二人と一度でも勘違いしたまま認識してしまえば、信頼感と安心感が疑念に蓋をするのかも知れない。今回のこれは偶発的な側面が大きいが、意外とジイサンにとっての穴なのかも。
「では旅は道連れだな。座席はどこだね?」
見せてもらったチケットは、遠くもないが近くもなかった。私と士郎は進行方向に向かって左のかなり後方だった。対する親子は中央の一番前、つまりモニターの真ん前だった。
子供達も士郎のチケットを見て、離れている事に気付いたのか残念がっている。まぁ、顔馴染みが居たからとて、機内はぺちゃくちゃ話して良いところではない。そこは我慢して貰う他はないだろう。
「それで、あなたはあの二人をどうしたいのかね?」
「わからないわ。だから会ってお話をしたかったの。それとエルヴァちゃんの意向もあるだろうし」
この場合の『エルヴァ』は三つ子の方だろう。同じ名前ばかりだとややこしいな。ともあれアイリスフィールも、どう接するべきなのか迷っている様子だ。その結果として取り敢えず、行って会って確かめるしかないと考えるに至ったようだ。
結局私は搭乗案内のアナウンスが入るまでアイリスフィールと話し込んでいた。私が聞き役になる事で、彼女の思いと迷いがより良い方向に向かう事を祈るばかりだ。
子供達と他愛のない話をしていた士郎が、その子供達を引き連れやって来た。さぁ、いよいよ出発だ。
「はぁ~、本当に行っちゃったわね」
「あれ? 怒らないの?」
「ん? おチビちゃん達を焚き付けたこと? 怒らないわよ。ここのお母様が動くなら、あの二人も動くだろうし。そこは読めてたからね」
私は二人のイリヤとお留守番だ。セラとリズも居るけれど、あの二人はエーデルフェルトのメイドに混じって掃除を手伝ったり、コックと一緒に料理を作ったりしている。
「何か言ってあげた?」
「むぅ~、そこだよね。本物はこっちに居てさ。でもあっちが偽物とも言えないんでしょう? なら、もう一度会ってお話して、自分の気持ちに正直になるしかないわ。そんな風に言ってあげた」
「偉い、正解よ。結局、それしかないもの」
「だよね」
このちぃイリヤもどんどんお姉ちゃんになっている。そこに引っ張られるように、もう一人のイリヤも出会った当初より変わってきた。
イリヤから『良い妹が現れた』と聞いて、このちぃイリヤに良い影響を与えると思って連れて来た。そしてそれは正解だった。
当のエルヴァは忙しいので居ないけれど、あの子がこれまでに残してきた周りへの影響がとても大きい。それが凛にルヴィアやマルガリータ、それとエルマにもしっかりと現れていて、ちぃイリヤも感化されつつある。
驚いたのはトロンメルの激変ぶりと、この数日の、もう一人のイリヤの変化だ。だけど……。
「どうしたの?」
「う~んとね。英霊のイリヤ。戻るのかなって」
そのもう一人のイリヤだけど、私と同じ事を考えていたか。
「ああ、あなたが帰るまでには戻るわよ。今回はロシアの仕事の確認でしょう? 勿論、彼女もあの二人の事は心配してるだろうけど、気持ち的にはもう妹として受け入れているみたいだから」
「受け入れる……か」
「うん。先にエルヴァやエルマを姉妹として受け入れたんだもの。そうなると、あっちの二人は可愛い妹の分身だよ? シロウとアーチャーみたいなものじゃない」
「ああ、そっか」
アーチャーの正体を教えてあげたら、飛び上がらんばかりに驚いていた。それ以来、ここのアーチャーともよく話すようになったと思う。また、ミユちゃんの兄の士郎とも仲良くなっていた。そんな二人がスイスに旅立った。
「一緒に行きたかった?」
「ううん、お邪魔になるだけだよ。それにセラやリズを残して行けないわ」
「そうよね。どう? 戻ったら士郎達と暮らしていけそう?」
「もう少しシュギョウが必要かな。でも、キリツグを通じて弟になるんだよね?」
「フフ……そうよ。あなたの士郎はあなただけの弟よ。お姉ちゃんとして、あなたが導いてあげないと」
「じゃ、ますますシュギョウが必要だよ」
「大丈夫よ。私達は皆んな『器』だからね。一度受け入れてしまえば良いの。きっとうまくいくから」
チューリッヒの空港で士郎はショックを受けていた。正規のルートでアポイントメントを取った者と、横の繋がりで訪問する者。そこは差が出て当然だ。
「凄っげぇ……。あれもベンツェなのか……」
まぁ、あんなストレッチ・リムジンなぞまず見ないからな。当然、迎えの者が運転する、その黒光りするリムジンに乗り込んだのはアイリスフィール達3人だ。
そのリムジンと入れ違いに、珍しくも日本のセダンが入って来た。グレーに塗られたそれはボンネットに思いっ切り『H』のマークが黒でペイントされている。
「悪ぃ、待たせた」
「いや、そうでもない。わざわざスマン」
サングラスを掛けたモードレッドなのだが、何だこのクルマは?
「こいつか? 7代目だったか、アコードの2.2i-CTDi(CN1)だ。ディーゼルなんでかったるいけど、走り出したら結構イケるんだ。ターボ付きだと」
後々わかったが、ドイツにあるオーバル・テスト・コースで、この5月に数々の記録を打ち立てた最新のディーゼル・ターボだそうだ。
それでこのペイントも、そのチャレンジ・カーと同じデザインのペイントだったのだ。おまけに日本では売られていない、ヨーロッパ限定モデルだった。
「君のか?」
「いや、乳母のマアエモから借りた。あいつ、6代目のタイプR(CL1)も持ってるから凄ぇよな」
そのタイプRも欧州限定で、日本で出たユーロRとはまた違うらしい。この他2.3LのタイプV(CL3)や、セダンやワゴンだけでなくクーペもあって、そちらにはV6 3.0LのVTEC(CG2)まであったという。
ただ現行の7代目にはタイプRがなく、逆に日本だけにユーロRがある。そこもあっての2.2Lディーゼル・ターボらしい。不思議だろうが欧州ではディーゼルが主流と言っても良いくらい、どのモデルにもディーゼル仕様があり、街をよく走っている。
これ以外にシビックタイプR(EP3)やS2000(日本向けと圧縮比が異なり241ps)なども所有しているそうだから、マアエモも只者ではない。
乗り込めばディーゼルなのに6速なので驚いた。そして走り出せば……これは実用でなく、ディーゼル・スポーツだった。足回りからして違う。
何馬力出ているのだ? FF車でスライドしながら坂を駆け上がって行った。ほどなく目の前には黒いリムジンだ。さすがのモードレッドもこの段で速度を落とし、前の車を追い越す事はなかった。
「アーチャーさん……?」
「ああ……」
横に座る士郎が臆するのも無理はない。坂の突き当りに門があったのだが(私道だったのか!?)、そこを潜っても延々と道が続き、やがて見えた建物はまさに城だったのだから。
城の前のエントランスには、反対側に屋根付きの駐車スペースがあり、これでもかと言わんばかりに高級スポーツカーが並んでいた。
「凄っげ……。何だ、あのポ◯シェやフェ◯ーリ……」
もはや返事もできん。その余りの威容さにこちらまで臆してきた。そのエントランスを通り過ぎ、モードレッドは城の横手にある駐車場にクルマを止めた。うむ、ホ◯ダ車ばかりだ。マアエモのスペースか?
「こんなんで腰を抜かしてたら、地下にある爺さんの駐車場で魂が昇天するぞ?」
バーゼルなどにもコレクション用の駐車ビルがあり、そのクルマの数は千台を軽く超えるという。
「せ、千…………」
荷物を持って玄関に入ると、そこは吹き抜けのホールだった。高さはビルの7~8階分はありそうだ。士郎の感嘆する声が反響する。
「そういや先に入ったアイリスフィールさん達は?」
「わからん」
間違いなくこの城のどこかには居るのだろうが、このスケールがどこまでもこちらの感覚を狂わせる。
「こっちだ。周りの物に触れるなよ?」
「わかっている。どれもこれも幾らするのか、想像もつかん」
階段下にある何千万もしそうなデカイ壺には、これまた高級そうなゴルフクラブがギッシリだ。その横には骨格標本があるのだが、士郎に握手を求めていた。
「こ、これ。動くのか……?」
「ああ、そいつはそんな成りだが生きてるぜ?」
魔術師の家だった。
「なんか色んなものに圧倒されて、感覚が変だ」
「景色を楽しむ余裕もなかったか?」
「綺麗だとは思うよ? でも、なんて言えば良いのか……許容範囲を超えるっていうか」
「オーバーフローだな。わかる気がする。しかしアイガー・メンヒ・ユングフラウやマッターホルンにジュネーヴやレマン湖といった有名な場所は全部国土の西側で、フランス語圏にある。スイス中部のベルンやルツェルンなどとも違い、このチューリッヒから東側は余り知られていないらしい。国際空港があるのにな」
「こんなに綺麗なところなのに?」
「国土全部が観光地であり、リゾート地だからな。結局、見どころが多過ぎるのさ」
「スイスって凄いな」
まさに楽園とも思えるその情景は、永世中立国として成り立たせるために先人が行った成果だ。スイスは傭兵の国でもあり、金融や精密機械も有名だ。更には世界規模の食品会社があったりする。
歴史の中に食い込まんとするその不断の努力が、このような世にも稀な国家を形成したのだ。日本も奇跡の国家だが、その人口から考えればスイスは別格だろう。
案内された部屋に荷物を置けば、モードレッドの先導で再び私達は廊下を歩いた。角を幾つか曲がり、もはや自分の部屋がどこだったか思い出せなくなる頃に少々開けた部屋に入った。
「ここがオレ達の休憩所だ。ほら」
笑顔で私達を迎えてくれる英霊達の中にちゃっかりイリヤが居た。空港からはアイリスフィール達に憑いていたらしい。
「あの二人には会ったのか?」
「まずはお母様が先でしょう? 今、エルヴァちゃんと一緒に別室よ」
「それはそうだな」
ランスロットやランサーの紹介でケイローンとも会った。士郎の事は快く引き受けてくれた。2番目のアイツにランスロット、そしてヘラクレスやアキレウスの師匠だったケイローンか。実に贅沢なヤツだ。
だが、その運を持ち込んでくれたのはエルヴァでありエルであり、妹の美遊に他なるまい。並行世界の『衛宮士郎』……もはや過去の自分をどうこうとは考えていないが、それでも『正義の味方(ありもしない幻想)』を目指す愚か者には嫌悪感がある。
しかし、新たな世界で生きるコイツは違う。青春を謳歌する、イリヤやクロエの兄ともまた違う。いつの間にやら、弟子であり弟分という感情が私の中にあった。だからケイローンにも素直に頭を下げられた。
冬木市新都の某喫茶店。先程まで別の喫茶店でアルバイトをしていたセイバーは、仕事が上がるや急ぎ約束した店に入った。目的の人物は既に待っていた。
「お待たせしました」
「いいえ」
「何とお礼を言えば良いのか。本当に助かりました」
テーブルを挟んだ真向かいの人物に頭を下げた。理由はルーマニアに渡っていた間のシフトを、目の前の人物が代わってくれていたからだ。
日本に戻ったセイバーは焦った。アルバイトの事をすっかり失念していたのだ。試合などで忙しいマスターの手を煩わせるわけにも行かず、取り敢えず無断欠勤を謝ろうと職場に向かえば、代行して働いていてくれていた人物が存在した。それがエルが連れ帰った筈の年若い方のセイバーだった。
当然セイバーは彼女の仕事が明けるのを待って事情を尋ねようとした。ところが何か用事があるらしく、その日は軽くお礼を言えるチャンスしか無かったのだ。
そこで空いていると聞いた本日、こうして働いている喫茶店とは別の場所での邂逅を果たした訳だ。しかしセイバーの疑問は募るばかりだった。
何故なら目の前のポニーテールにした、うら若きセイバーは、己がマスターであるエルヴァと同じ穂群原学園の夏服姿だったからだ。
「聞かせて下さい。何か役目があってあなたはここに居る。それはどういったものですか? またその姿は?」
「確かに私はマスターとなったエルから使命を受けています。その説明には順を追いましょう。まず連れ帰られた私は、エルと繋いだパスから今まで起きたおおよその事を知らされました。当然問いました。何故私にと。すると彼女はこう話しました。『あなたは王として立った記録は持っていても、王として苦しみ悩んだ経験がない。そこを買った』のだと」
そうか、彼女にとってはカムランの丘もブリテンの落日も実感のない記録に過ぎず、自らが思い悩んだ経験ではない……。
「私という存在は、あちらで出逢ったアルトリアや、エルのセイバー、またあなたの過去なのかどうか不明らしいです。幾ら座に英霊本体のすべて……過去から死に至るまでのずべてが眠っていようと、本来は到底喚び出せる存在ではないそうです。おそらくはモードレッドが居るにも関わらず、クラスが空いているからとキャスターが強引に召喚した……その世界修正の結果ではないかとの事でした。そして私は記録としてでなく、体験者からの言葉として、アルトリアやセイバーからお話を伺いました。それで私にできる事はありませんかと」
「それでこちらに?」
「はい。あなたのマスターは、やがて家族のために倫敦に向かうだろうと。その間、彼女の家族や仲間達を護って欲しいと願われました。また、私の剣は『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』でなく『勝利すべき黄金の剣(カリバーン)』です。これもここのイリヤスフィールの助けになるだろうからとも」
そうだ。エル(エルヴァ)が学園卒業後に、倫敦の時計塔へ行く事はほぼ決定している。当然私もそちらに赴く。またあの小さなエルヴァが進めるであろう霊脈開発でランサーやランスロット卿も居なくなる。
リンやルヴィアにはアーチャーが居るが、残された家族の事を思えばエルマのアサシンだけで心許ない。何故なら彼らも霊脈開発の方へ動くからだ。
だが、彼女が居ればどうだ? マスターのエルも英霊のイリヤも安心して動ける。またこうなると小さなエルヴァの下に居る、マスターの複製体に大きな意味が出る。
手が空いたときで良いのでロシアから交代で戻れば、彼女達が日本に残るエルマやトロンメルの支えとなり得るし、このセイバーが確実な武器となるのだ。
となると残るファクターは新たな拠点だ。この先留守になりがちなエーデルフェルト邸ではないだろう。
「あなたは、今どこに住んでいますか? そして、あなたに送られる魔力は一体誰から……?」
いつものピンク色の衣装に転身したイリヤは、所在なさげにルビーを胸元で抱いていた。クロエは腕組みをしてブツブツと何かを呟いている。
金色のパイピングが入ったエメラルドグリーンの衣装はエルヴァだが、これまた自らの杖を姉と同じようなポーズで握りしめていた。
「3人とも~、もっと笑顔で~」
アイリスフィールの提案で急遽始まった撮影会。イリヤは以前空港であっちのイリヤから聞かされた話を思い出していた。親バレは今更だけど、こうやって改まって転身すると思った以上に恥ずかしい。
意外なのは妹のエルヴァだ。この子は母でなく、母の横に立つ乳母に見られている事を恥ずかしがっていた。そしてこういう時にいつも開き直るクロエが、照れているのが珍しい。
「ほらほら、恥ずかしがっていないでニッコリと」
「お姉ちゃんは恥ずかしくないの?」
「何を今更。これもある種のユニフォームですよ」
そう言って妹達を励ますエルヴァも転身姿だった。おそらく日本に居るエルヴァが、父である切嗣は仕方ないとしても、未だアイリスフィールに見せていない姿だ。
自らを守る防護服と同じだと割り切れても、やはり『戦闘服』というものを女親には見せたくないという心理は多少なりとも働く。
そんな自己分析をやり終えた末に、敢えて転身したエルヴァだ。それは日本に居るエルヴァと自分は違うという意思表示に他ならなかった。
ただ、投げやりにも捨て鉢にもなっていなかった。自分がもう一人いるなら違う事をすれば良いといった、どちらかと言えばアグレッシヴさから来た発想だった。だからこうして母や妹達と接する事に戸惑いはないし、日本のエルヴァに悪いという気も起きなかった。
何故なら私は『スイスのお姉ちゃん』で良いじゃないかと、とっくに割り切っていたからだ。そしてそんな風に考えればと諭してくれたのが白い方の彼女だった。今ではお互いに『エル』『エルヴァ』と呼び合う仲だった。
そんなだから母と妹達の来訪はお互いに喜び合い、ひたすらに嬉しかった。そしてきちんと『スイスのお姉ちゃん』として生きていくと話せた。
最初は戸惑っていたおチビちゃんとクロエちゃんも、終いには『お姉ちゃん達を頼む』と、エルヴァちゃんに話していた。それでお母様はこう仰った。
『きちんと学校は出てね?』
高校はもう残り少ないので今更だ。と言うよりこちらではシーズンが終わって、本来なら卒業している年齢だ。それなら受験資格を得て、大学を受けるべきだ。
この秋は厳しいが、ロシアの件に目処がつくであろう来年の秋を目指そうとエルと話し合った。これに関してはマアエモ・ママやお祖父様も賛成してくれ、家庭教師を付けて下さる事となった。
『チビが魔術、お前さんらがビジネス。儂にとっては棚ボタじゃ』
これも『エル』の計算だったのだろう。少なからずエルはそう確信していると話していたし、撮影が終わった夕方になって姿を現した姉さんもそう思うと話していた。
「ですけど、どうして今の今まで姿を隠して?」
「決まっているじゃない。転身姿の撮影中にモードレッドを呼んだでしょう? そうなると次はカードを使うなってわかるわよ。案の定、モードレッドに『セイバー』のカードを使った、おチビちゃんとエルヴァちゃんになってさ。その次が、あなた、クロエちゃん、『アーチャー』のカードを使ったおチビちゃんって誰でも読めるわよ。だからアーチャーもシロウも逃げていたのよ?」
「『君子危うきに近寄らず』ですか?」
「そうそう。それであの子はどう?」
「エルヴァちゃん?」
「そう。あの子をサポートするためにあなた達が造られた。でしょう?」
「さすがです。私もそう考えています」
「で、どう?」
「良いですよ。お祖父様も褒めていましたが、ラズヴァンへの対応が良かったです。恨みの連鎖をきちんと断ち切れたと思います」
「うん。私もそう思ったし、報告したエルヴァも同じ感想だったわ。それであなたもエルヴァなら第四次の頃の記憶が曖昧なんでしょう?」
「……はい」
「エルは滅ぼしたんじゃないの? それを今も後悔していて……」
「かも知れませんね……」
そんなしおらしいタマかなと思いつつ、ありそうとも思えるのが『エル』だ。今の私は一緒いるエルがそういう、封印された私の記憶を持っているのを知っている。
だけどそれは私が得て良い知識ではない。エルヴァちゃんが知れば良い。だから姉さんの手を握り────。
「ですが、私は大丈夫ですから。こうして時々お会いできるだけで。それに、姉さんはロシアの事業に参加されるのでしょう? それは私もですから。私達のアルさんを喚びましょう?」
「そっか! あなたにはセイバーもランスロットも居ないんだものね?」
「はい。私一人でも支えられますよ?」
「何でそんなに魔力が多いのかなぁ。アハトのアインツベルンって何なのよ……」
そこからエルを交えて夕食時まで話した。勿論、食後も。翌日からの三日間、私達はシュタウプバッハの滝などがあるラウターブルンネンやグリンデルヴァルトを巡った。当然、ユングフラウヨッホにも登った。
標高3454mの終点ユングフラウヨッホ駅へ50分も掛けて登るユングフラウ鉄道は、急坂で滑らないよう真ん中に歯車の車輪があり、ガタタッタタン、ガタタッタタンと独特の音を響かせて登っていく。
ちなみに50分掛けるのは、体調を慣らすためだ。その昔、途中のアイガーヴァント駅にある窓(アイガー北壁にある)から外を覗いた姉のイリヤが貧血を起こした。そのくらい高いし酸素が薄い。
しかも真夏でも、辺りは氷河や雪で寒いし、高いお金を払っても真っ白に霧が掛かっていたり吹雪いていたりする運任せの観光地だ。
だけど私は今まで晴れたユングフラウヨッホにしか行った事がない、典型的な晴れ女だった。姉さんやお母様に妹達、それと士郎クンに英霊の皆さんも最高の景色に感動していた。
「さ、寒ぃ……」
「バカだろ、お前? エルヴァ達が言ってたろ? 英霊でも堪える寒さだって」
「ああ……ナメてた……」
私達がダウンなどの上着を持参している中で、しょせん観光だからとアロハで来るランサーに呆れた私達だった。アイルランドも高い山が無いからなぁ。もっと日程に余裕があるならツェルマットにも行きたかった。
けれど、お母様達の都合もある。それに私達の都合も。すべての機材がイルクーツクに揃ったのは、それから二日後だった。