木曜日当日。その日の私は無駄なあがきだと理解しつつ、朝からシロウさんと組手をしていた。4人の優秀なメイド達はスタッフィング(詰め物)中だ。これは味付けの意味もあるが、アメリカでの流通が基本冷凍だからという意味もある。つまり七面鳥から出る余分な水分を吸わせるのだ。勿論、解凍後の下準備で何度も拭き取るのだが、こういう部分は個人差が大きいので、どうしても仕上げに差が出る訳だ。
そこを手を抜かずしっかり水気を切り、ナッツやパンプキンでスタッフィングするのが、このアメリカのメイド達だった。これが日本の栗と南京だったら凄いだろうなとエルマに送って貰っていた。南京はテンプラパーティの時のように、揚げたり煮物にしたりした。テンプラは好評だった。煮物もまぁまぁウケた。これは前回もそうだった。イマイチだったのは、栗の炊き込みご飯だった。喜んでウマウマと食べていたのは私とリンさんとシロウさんで、リサさんとリンさん、モニカさんとミアータさんは微妙な顔だった。フンボルトは普通に食べているけれど、パミちゃんには珍しいだけで特別美味しいものではなかったようだ。栗(和栗)とマロン(西欧栗)は品種が違う。また中国の栗も日本の栗と違う(天津産のものは日本の栗より元から甘いが、その分虫食いが多い)。
そしてアメリカ産の栗というのはない。昔はあったが、流行病で1994年に壊滅したのだ(他国の話だけどバナナの壊滅を思い浮かべる)。よってアメリカでは西欧栗の缶詰でしか流通していない。そこもあったのだろう。何の話かと言うと、スイスのアインツベルンにあるレシピと、アメリカのレシピが違うのだ。『エル』の中で米国に来ていた記憶はいつも夏だった。だから本場の『Thanksgiving Day』は初体験だ。『おもてなしされる側なのだから座っていて下さい』と言われているのもあったけれど、『これはヘタに手を出せないな』というのもあった訳だ。
となると持て余した暇をどうすべきかになるのが、私でありシロウさんだった。これは私が半英霊として、お兄ちゃん成分が入っているからではない。根っからの貧乏性なのだ。そしてもうお兄ちゃんみたいにはならないだろうと思えるシロウさんはどこか私に似ているらしい。フンボルトはシロウさんを弟のように感じ、リンさんは私を妹のように感じるという。パミちゃんがシロウさんに比較的早く懐いたのもそこにある。3人曰く、『最初から親近感があった』のは細々した行動が似ていたからだったのだ。
旅での料理番にフンボルトが加わったのも、私とシロウさんが息ピッタリで無駄がないからだった。調理と片付けや掃除を同時に行い、無言で器具や道具を交換している。相手の次の行動、何が必要か、そういうのが瞬時にわかるのだ。それでフンボルトとリンさんの要望で、料理番はそれぞれのステディとペアになると決まった。だけど鍛錬となると別だった。私は自分自身の日課の運動とは別に、ルーマニアの先生(ケイローン)から申し渡されている鍛錬法があった。それをこれまたリンさんの希望で、これまたシロウさんに教えていたのだ。モスクワから始めて、今までずっと。数日おきに。
なのに『無駄なあがき』とは。これはシロウさんの話ではない。私の話だ。
『お嬢様はアメリカの『Thanksgiving Day』がまだおわかりでないご様子。本日より3日間、どこにも逃げられないとお思い下さい』
『へ?』
『もう結構と仰っても、口に漏斗を挿しお腹がパンパンになっても押し込みます。ええ、体重計が10ポンド(約4.5キロ)は増えると覚悟して下さい』
こんな恐怖宣言をされたのだ。実はこれには意味があって、モニカさんもミアータさんもパミちゃんを見て、私を心配していたのだ。パミちゃんは今、多分身長が147cmくらいだ。クロエちゃんにおチビちゃん(イリヤちゃん)、それにエルヴァちゃんより背が高い。また同い年になるはずのクロちゃんやおチビちゃんよりも高かった。この『エル』の世界での妹達とは、もう長いこと会っていないので今の身長は知らない。けれどパミちゃんより低いと思う。ところがケリィの妹のケティも、その友人のマリーさんのところのリリィも、既に私と同じか私の身長を越えているのだ。
そんなアメリカでできた友人達との触れ合いと、成長期が相まって、このところのパミちゃんも、タケノコみたいにすくすく育っていた。先日もモニカさんが魔術(錬金術)を使って鎮痛剤を用意していた。眠っている間の成長痛が辛いらしい。ここに来た当初は心細いのもあったと思うのだけど、最近は関節の痛みで夜中に目が覚めたりして辛かったようだ。そしてそんな成長に向けて身体が欲しているのだろう。本当に良く食べるようになった。
『しっかり運動して、しっかり食べて、しっかり眠る』
そういう生活を送れていると思うし、そうなるように私達周囲が気を配ってもいる。なので最近は『あの空間』への入り口が開きっぱなしだ。勿論、日中は姿見などで隠している。あのアンプの後ろの『秘密の工房入り口』がヒントだったのは言うまでもない。
また、これも明かしておこう。私とフンボルトの部屋が別な理由だ。もう結婚は来月だ。なのに未だに部屋が別なのは、風紀的な意味もあるけれど、パミちゃんの事とフンボルト自身の事もあったからだ。パミちゃんの事とは、私が傍にいる事でのメンタルケアが主な理由だ。ではフンボルトはというと、これは彼が腹筋運動とかしているところをあまり私に見せたくない人だったからだ。パミちゃんが居ると無理だけど、彼は別に私と一緒に眠るのが嫌なのではない。でも筋トレできる部屋は別に欲しいと考える人だった。
書斎を持ちたい、色々触れるガレージが欲しい。そういう隠れ家的な場所を男性は持ちたがる。そこは私も理解できるし、魔術師なら尚更理解できる範囲だ。だからお祖父様もあのアンプの裏の『秘密の工房』を、『見つかったのなら仕方ない。置いてあるギターや材木以外は好きに使え』と仰って下さったのだ。
『じゃが、あの黒いのは使って良いぞ。フンボルト、外に出してエルヴァに弾かせろ。たまには空気に触れさせんとな』
そんな訳で、下地のサンバーストがところどころ見えている、メイプル指板の汚れも激しい『Blacky』は現在私が使っている。56~57年頃の、本物のヴィンテージ・ストラトだ。フンブルトに弾かせると『Wonderful Tonight』しか弾かない。それに歌詞を『brushes her long flaxen hair』と替えて来る。確かに亜麻色にも幅があり、セイバーのようなハッキリと金だとわかる色合いもあるし、私のように銀に近い色味の薄い亜麻色もある。だけど私のような、色味はないのに輝いて見える髪は、本来なら『platinum blond』や『whitish-blond』というのが正しい。まぁ、その方が歌いやすいのだと思うけれど。
話が横道に逸れたけれど、つまりは『お母様』や『姉のイリヤ』と違い、元から『エル(私)』は金味が薄かった。人形に植えた人工毛髪のようだったのだ。それが半英霊化してお兄ちゃん成分が混ざって輝きが増したというか、少しマシになった(クロエちゃんもクロちゃんも、お兄ちゃん成分が混ざると、おチビちゃんより少しピンク掛かった髪になるようだ。『姉のイリヤ』の異世界同位体なのにどうしてだろうと考えて、年齢的なものだとピンと来た。お兄ちゃんも子供時代は、日本人には珍しい赤毛だった)。要はそこが同じ一族の中に時々いる、『身体が弱い病弱な個体』のように見えたのだ。それで心配してくれていたのだ。また、普段から少食なのも心配のタネだったらしい。そこへ成長期真っ盛りのパミちゃんだ。元から少食なのも、半英霊なのも話してあるのだけど……。主人筋への慈愛精神が強く反応しているようで……愛でもって私の肝臓をフォアグラ化させるつもりのようだ。それでこうしてシロウさんと汗を流しているって訳。『あがき』とはそういう意味だ。
「「ありがとうございました」」
お互いに握っていた干将莫耶を消した。裏庭そのものにも、幻視や防音の結界が張られてあるが、私達の周囲にはもっと強固な結界を張っていた。これは2人の組手と衣装を見られたくないからだった。それは私がこういう組手の時は転身姿になっているからだった。シロウさんはジャージの上にプロテクターだけど、イルクーツクで出遭った頃より、ほんの数cmだけど背が伸びた気がする。以前より剣が重くなり、リーチが微妙に変わった。何より『アーチャーを模した剣』でなく『シロウさん独自の剣』になっていた。そして指摘せずとも、現段階でのどこがダメなのか、どこに伸び代があるかを把握していた。もしかしたら剣技だけなら4番目や5番目のアーチャーさんと変わらくなった気がする。
だけど投影はまだ美遊ちゃんのお兄ちゃんには遠い。魔力量は問題ないのになぁ。
「個体差だろうなぁ」
「そんな『モノ』みたいに……」
「でも、あるんだろ? 並行世界の同一人物でも少しずつ差が。あのインド風の衣装を着た君と、目の前にいる君は少し違うと俺でもわかる。能力の話でなく『どこに向いていて、どこで活きる』とかさ。君にパミが託されたのも、そういう事だと思うぞ?」
言いたい事はわかる。数値で表せない微妙な違い。結局はそういう事なのだ。そしてそこから『選択』が変化し、『今の自分』になって行く。もう、今のシロウさんには赤い聖骸布は不要だった。
香港に戻るとランスロットが待っていた。旅先のホテルで打った孔明さん向けの報告書を渡して、ここに来た理由を聞いた。
「それはもう決まっています。あの者をどうなされます?」
「シエルですか」
「はい。どれだけ監禁しても折れません。あなたに会わせろの一点張りです」
「仕方ないですね」
思わず魯粛さんの顔を見ると、『行ってきなさい』という顔だった。なので許可を得て北京に飛ぶ事にした。魯粛さんには北京の後スイスに飛ぶと、今後の計画ともども話しておいた。要人入れ替えと聞いてギョッとしていたが、事ここに至って、それが可能な技術があるなら、それが最良の方法であると瞬時に理解された。中国国内なら三国の英霊が入れ替わろうと、勝手に偽名を名乗ろうと、どうとでもなってしまう。それだけ人々は共産党の看板と役職に畏れを懐いていたからだ。だけどそれが世界各国となるとそうは行かない。元の人物と完全に入れ替え、元の人には消えて貰う。『エル』としての私には許しがたい事だったが、それしかなかった。と言っても殺しはしない。宝具に取り込み、時間凍結して永久に出さないか魂を改竄してしまうだけだ。冷凍庫の奥の忘れ去られた食品のようなものだ。代わりが居るなら誰も探さない。世の中はそういうものだ。
ホーチミンから2日も経っていないのに私達は北京に降り立った。北京は早くも冬だった。香港から到着したばかりだというのに私達はランスロットの案内で、北京市内にある監獄のようなところに案内された。収容所の跡地だろう。その最奥最深部に、壁と足首が鎖で繋がれた彼女が居た。身なりはボサボサで汚いのだが、西欧人特有のすえた汗の臭いはしなかった。カレーの匂いしかしないのだ。
「シエル、起きなさい」
私の声で彼女はガバリと起きてこちらを向いた。
「私の何を知りたかったのですか?」
「あなたは何者ですか!?」
「何者とは?」
「トボケないで下さい。今世界で起きている様々な現象についてです。あれはあなたが……」
そういう事か。幽紋や霊波もそうだが、魔術行使後の残滓などからそう判断した……。
「魔力波の一致でも確認できましたか。それでも言いましょう。私はあの『現象』を起こしていません。別人ですよ」
「そう言い切れる根拠は?」
「並行世界存在」
「バカな……」
「とは言えないでしょう? それらも含めての『世界』ですよ? それらすべてを掌(たなごころ)にされる存在を、並行世界ひとつに付きお一人と決めつけているのはあなた方の方ではありませんか? 相変わらずですね。それは現代に於いても、『◯』の中に点ナシの『下』を描いて、真ん中をエルサレムと宣(のたま)うようなものですよ?」
私とて『神=第一魔法体現者』とは信じていない。だけど『生命や世界を創る能力のある、生命を超越した存在』を定義もせず、『奇蹟(秘跡)』の一言で思考停止するのは如何かと思う。それ即ち『盲信』であり、『鰯の頭』と『自らの信仰』を同列視しているに等しい。
「それともあなたの信仰は、神でなくカレーの方が上ですか?」
「違うッ! 主はカレーを民に与え給うたのだ」
「エルサレムよりインドの方が尊いのは同意しますが……。それですと祝福を受けたのはインド人だという事に。ちなみに彼らのほとんどはヒンドゥー教徒でありイスラム教徒ですよ?」
「だ、黙れ!」
「黙りません。スパイスの織りなすハーモニーが、昆布とカツオから得られた黄金に輝くダシと出遭った時、『カレーうどん』が東洋の最果てで産声をあげた。なのに並行世界のお前は、ケチャップにまみれたイタリア人激怒のナポリタンを選んだ。理由はカレーうどんの跳ねた汁で制服を汚したくなかったから。遠野さんとデートでしたものね?」
みるみるうちにシエルの顔が変わる。
「し、志貴君とデートする私が……?」
理解したようだ。
「そういう世界もあるという事です。もっと遡れば、パン屋の娘で生涯を終えるあなたの居た世界もあったのでしょう」
「あ」
「並行世界は無限です。私達人の想像範囲を遥かに超越しています。それを創り出した多いなる存在こそが信仰の対象だったで、良いではありませんか。レベルアップしただけの事ですよ?」
「矮小化していた……と?」
「ええ。それと私もこの世界の者ではありません。この『現象』を調査し、こちらがより良き世界になるようお手伝いしているだけです。モットーは『麻薬撲滅』『悪事の廃絶』『誰しもに生き甲斐と幸福を』です。つまり『現象』の正体は私の並行世界存在の成れの果て。何かがあってああなった。そして自分の世界は滅んでしまった。なので他の世界ではモットーが通された場所にと、そう願ってこうなっている訳です。しかもここだけではありません。近隣の並行世界全部でです。それを無知から邪魔立てするのはどうかと思いますよ?」
「クッ……」
「『無知の知』に気付き、『愚鈍なる蒙昧さを糺す事』を是とするなら鍵を開けて開放しますよ」
無言で頷いたので鍵を開けさせ鎖を外させた。
「セブン……は?」
私はカレー用のスプーンを差し出した。その柄には『第七聖典』と刻まれている。
「あなた!?」
「神の子が、隣人を殺害して家に火を付け、罪人に豪速球で石を投げ、十字架から飛び降りてあなたに頭突きをかます……それほどの罪をこれで水に流そうと言うのです」
「何を言ってるんですか!? セブンは? セブンはどうしました」
発音悪いな、このフランス女は。まるでコンビニかウルトラの星に帰った人みたいに聞こえる。
「シエル。あの子はM78星雲に帰りました。基の少女は空に還り、ユニコーンは解散し、最後のかけらがそのスプーンです。別れ際にあなたへのメッセージを託かっていました」
「な、なんですか?」
「『マスター、その銀の匙は私です。それで美味しいカレーを極めて下さい』と、まぁ以上です」
「そ、それだけ?」
「あなたがカレー好きだからと、あの子までがカレー好きとは限らないでしょう? 食べ物に関しては、かなり恨みがあったようですが、何も言わなかったその気持ちを汲んであげて下さい」
「ああ……」
そうして彼女はフラフラと外に出、どこかへ消えた。北京でカレー味のものってあったっけ?
「ゲットだぜ~♪ 第~七聖典~♪」
「それ、ユニコーンじゃないですから」
「妙なところに詳しいですね、蘇我の馬子。生姜醤油で美味しく頂くゾ?(は~と)」
そうからかいつつ、馬の蹄から人の手になった少女や馬謖達を引き連れ、私は街に繰り出した。
「草むらに~♪」
突如口ずさんだセヴン。あのカチコチなバゲット女が……?
「ベルばらのファンだった?!」
「はい。日本に行ったのも、最初は原作者に会いたい一心だったと聞いていますよ?」
どうでもいい事だが、私のシエルへの評価がブールやフィセルからパン・ド・カンパーニュに変化した。なおフランス・パンは固いが美味しいという印象の人が多いと思うが、毎朝焼き立てを買いに行けば、柔らかくて香ばしく、とても美味しいと感想が変化する。そしてパリジャンは決まってバゲットを買い求める。
と、ここまでは誰もが疑いもなく当たり前に文章を読み、『ああ、バゲットって、あの棒状の袋から飛び出るくらい長いパンだったな』と思う事だろう。だけど、もしあなたが日本人の男性で身近にパン好きな女性が居るなら訊ねて欲しい。もしかしたらあなたがバゲットだと思っているパンはパリジャンの可能性がある。パリジャンは直径10cm以上でクープ(皮の切れ目模様)が5本、長さが60cm前後だ。対してバゲットは直径7cm前後、クープが7本、長さは70cm前後となり、思ったよりも細い。この太さの違いとクープの数でクラスト(外皮)のパリパリ感や、クラム(内部)のモチモチ感が異なってくる。
そんなワケだから、どっちが先に固くなるか自ずと知れている。パリを舞台にしてハードボイルドな小説を書くなら、主人公がナイフで切って食べるシーンを入れる場合、どっちのパンが似合うだろう? 答えはバゲットでなくパリジャンだ。バゲットはクープの多い分、最初からクラストが固めだ。それに細いので立て籠もって見張ったりする場合、腹持ちから避けられるだろう。これがパリジャンだと最悪クラストを捨てて、クラムだけでも食べられる。そして欧州は空気が乾燥しているので日本のようにすぐにカビたりしない。だから日本ではパリジャンやバゲットよりも短いバタール(中間とか折衷という意味)の方が売れ行きが良い。このバタールはクープが3~4本くらいで長さは30~40cmくらい、直径はバラつくが概ね10cmくらいだ。つまりその分、カビが来る前に早く消費できる。
なおパリジャンとバゲットの中間と言う場合、主に太さを指している。長さを指すならかなり短くフィセルと同じくらいだ。よってバゲットの短いタイプがフィセル(クープは3~4本で直径が7cmくらい、長さが30~40cmくらい)。パリジャンの短いタイプがバタールだと覚えてほぼ間違いない。これとは別に、パリジャンの1.5倍は太いドゥ・リーヴルというタイプと、パリジャンとバゲットの中間くらいの細さのフルートというのがある。どちらも長さは60cm以下。あまり見掛けないし、どういう時に選ぶのか謎のパンだ。
ここにおやつ代わりのプティパンやクロワッサン、ブール(球状)、パン・ド・カンパーニュ(田舎パン/ラグビーボールのような形)、エピ(稲穂)、シャンピニョン(マッシュルームをひっくり返したような形。その硬い部分を切り取って、中にシチューなどを入れて食べたりする)などが加わる。丸いパンはクープを十字に入れる場合が多いが、パン・ド・カンパーニュだけは十字よりも、昔のメロンパンのような端から端まで放射状にクープを入れる場合が多い。これがまたウリボーみたいで可愛いのだ。
フランスはパンが本当に美味しい。土壌の違いと気候の違いで、ドイツとフランスでは育つ麦の種類が異なるのだ。
ちなみにドイツではパンの長さや形でなく、小麦とライ麦の比率でパンの名が変わる。白から黒、その中間が何対何であったかだ。ドイツっぽいと言えばドイツっぽいが、まず他国の人は覚えられない。白い方から小麦が90%以上なら、ヴァイツェンブロート(ヴァイスブロート)。50~89%ならヴァイツェンミッシュブロート。小麦50のライ麦50ならミッシュブロート。ライ麦が50~89%ならロッゲンミッシュブロート。ライ麦90%以上ならロッゲンブロード。以上の5種類を覚えるだけでいい。
厳密にはそれぞれの地方名や、地域ならではの製法や混ぜものがあって名前が色々ある。ナッツ類が入っていたり、カボチャの種が掛けてあるとか、全粒粉かどうかとかだ。そして形状。トースト状かフランスパン状か。でもあまりそこを気にする人は居ない。ドイツ人にとって重要なのは形でなく比率だ。ソーセージの国だからその気持ちもわかる。何より加工肉がここまで発達したのは、フランスやスペインと違って気候と土壌が終わっているからだ。ジャガイモがなかったらベンツェもポ◯シェもなかった。中世のドイツは植えた野菜を、『こんなもの食えるか』と飼っている豚が吐き出すほどだったという。
ところで私はドイツのプレッツェル(ブレーツェル)があまり好きではない。ともかくラウゲン何とかと付く光沢のある茶色いパンは好きじゃない。あの艶は焼く前にパン種を水酸化ナトリウム水溶液(苛性ソーダ)に潜らせて出している。怖いよ!? 重曹で代用しろよ! 熱が通って無害になるのは知っているが、進んで食べたくない。わかるでしょう? おまけに会社本部のあるマンハイムはフランスに結構近く、近所のベーカリーではラウゲンクロワッサンなる『ウオッ』と叫びそうになるようなパンが普通に売られている。
そしてそんなので作られたサンドイッチを、ウマウマと食べていたのがフンボルト君だった。彼はドイツの南部、バイエルンの出身で、毎朝ピカピカした焦げ茶のプレッツェルと、茹でたてのヴァイスヴルストを食べているとか。あの皮はフォークとナイフで剥いて棄てる。パリッ、ジュワ~でなく、剥いてモソモソと食べる。美味しいけれど何かが違う。この感覚をわかってくれる日本人は意外と多い。それはシャウエッセンの功績だろう。だけどスイス人の私が選ぶ日本製ソーセージは成城石井の自家製シリーズだ。牧場の自家製でもっと良いのもあるけれど、冬木でコンスタントに手に入る範囲でならこれだろうね。
そうして故郷のスイスを思い浮かべると。山岳部のスイスでは鏡餅かクッキーみたいなライ麦パンばかりだったなぁ。今でこそ何でも手に入るようになったけれど、子供の頃は本当に何もなかった。だから日本に来て色んなものにハマった。プレッツェルは好きじゃないけど、お菓子のプリッツは飽きるほど食べた。サラダ味より香ばしいローストが好きだった。その流れでポッキーも好きだった。なので、たけのこの里よりきのこの山派だった。それは軸の食感が好みだったから。だからカントリー・マァムのしっとり感があまり好きではなかった。そんな流れから、煎餅よりもおかき(かき餅)だったし、ぬれ煎餅もポタポタも雪何たらも好きじゃない。味も醤油より塩だった。
だけどカレー煎餅は好きだった。駄菓子屋の1枚売りから始まって、キングのをケース買いして、雷屋や亀田(ジョイパックじゃなく大きい18枚入りの方。辛さとコクが違う)を渡り歩き、自分で煎餅を焼いて調合したスパイスを塗って食べるまでになった。そしてまたキングに戻った。
「シエル。あなたのカレー愛は上辺だけです。本場を知ってどう思いました? スパイスだけではなかったでしょう? どんな材料であろうと、例えそれが初見であろうと自分達が美味しいと思えるものにしてしまう……あの精神こそが真の『カレー道』ですよ。それが見付けられたなら……その時は、許してあげなさいな、セヴン」
「はい。その時は戻ります」
そうして私は皆んなに、いつも持ち歩いているカレー煎餅を配った。
ハッと我に返ったのは、ローマに降り立った後でした。一言一句、何を言われたのか憶えているのに。どうして彼女の考えに納得してしまったのか。どうしてセブンを置いて帰ってしまったのか……。あの強力な暗示は一体……。
アパートでシャワーを浴び、何枚かある修道服に着替え事務所に行った。部屋に入るとメレムが居た。
「本物? 生きてたの?」
「失礼な。開放されたんですよ。となると北京で捕まった情報は?」
「うん、掴んでいた。過去形だけど。潜入員も使い魔も全部返って来ない。しかも政府とバチカンから『余計な真似はするな』って」
「やはり、政治家を動かして来ましたか……」
「いや、誰とか、一部の政治家とかのレベルじゃない。まずは現与党と大統領だよ。それと企業のトップも。フィ◯ットからも」
どういう……?
「想像通りでしょ。政治を動かし、ユーロに圧力を掛けて来たんだ。しかも相手は国連の常任理事国だ。聞いてないかい? 今の新政府が台湾を国家承認してさ。香港や澳門の独立に、チベット・ウイグル・内モンゴル自治省の、独立を視野に入れた自治権拡大を提唱しているのを。これが国連で、大きな話題になっていてね。アメリカにロシア、イギリスにフランスが大いに賛同して、EUも今後一層の深い関係を中国の現体制と結ぶと発表したんだよ」
え?
「だから。常任理事国と国連がEUを問い詰めて来たんだ。埋葬機関の名は出なかったけれど、イタリアの宗教関係者が中国の特命大使を襲ったってニュースになっているんだ。それでイタリアはどうするつもりだと、大変な事になっているのさ。これでEUに何をしたんだか、ユーロが暴落してね。これ以上、通貨の方を締めあげられたら南部は終わるんだ。それで相手はイタリア政府との二国間の問題にして来たんだよ。しかも企業まで締め上げてきた。そういう事ができる相手だった。バチカンもお手上げ。聖堂教会のお偉いさんが今もバチカンに通い詰めているよ。ナルバレックはヘラヘラしているけどさ……埋葬機関も突かれたらヤバい事が多い。だから、ここは我慢さ。今は絶対に動くなよ?」
「……わかりました」
そしてメレム・ソロモンが呟やきました。
「罠だったんだ……相手は聖堂教会の弱体化が目的だった。倫敦もプラハも寝耳に水だったらしい。ハメられたんだ、僕達は……」
そうして私の仕事は終わったのです。セヴンを失った事もナルバレックから不問にされました。それだけ相手が大きい……いや、大き過ぎた。私達はこういう表からの締め上げに弱い。謹慎が明けた時は年が変わっていました。そして埋葬機関は解散が決定したのです。私は第八秘蹟会へ転属となったのでした。
チベットや新疆での人権問題を、過去聖堂教会が下部組織に行わせていた事と天秤に掛けさせる。それが『エル君』の考えだった。数の問題を矮小化せるほど、今の西欧社会での基督教は存在が大きい。ましてこちらは前政権の悪事を暴き、糺そうとしている側だ。一方の聖堂教会の件は、バチカンを足元から崩すほどの一大スキャンダルだ。しかもこれら秘匿しておきたい事柄を、エーデルフェルトやアインツベルンが率先して動き、腰の重い魔術協会の偉い人達を動かして隠蔽に尽力した。つまり裏でも恩を売っていた。おまけに二重三重に罠を張っていた。それはコンクラーベの不正、枢機卿のペドフィリア疑惑などなども含まれていたんだ。どうやって調べたんだ? 僕は大笑いするノイント老の前で震え上がった。
「国連まで動かしてEUを通してイタリアに……」
「そうする方がバチカンに猶予を与えられるじゃろう? 何よりメンツも立つしの。パパ(教皇)は知らんかった。埋葬機関の勝手な行動だった……で、済ませられる。逃げ道も与えておるところがミソじゃな」
「ですが、命を狙われ……」
「誰のじゃ? お前さんの娘……日本におるエルヴァも、アメリカにおるエルヴァも関係ない別人じゃぞ?」
「あ」
そこでノイント老は少し意地の悪い顔をした。
「キリツグ?」
何だと耳を傾けた。
「ソ連軍がアフガニスタンに侵攻した。1979年の事じゃ。当時は冷戦時代でな。ベトナム戦争が終わったばかりの頃じゃよ。国内におった反政府なイスラム教徒を一掃したいので手伝って欲しいと、前年に成立したばかりのアフガニスタン民主共和国政府からの要請を受けたんじゃ。当時のソ連は少しでも仲間が欲しかった。そこで出向いたんじゃが、イスラム諸国とアメリカやイギリスがその反政府イスラム教徒側に付いた」
宗教とイデオロギーの対立だ。今までは基督教対イスラム、或いは資本主義と共産主義の対立だった。それがここに来て新たな対立構造を作り出してしまった。
「ジュネーヴ協定でソ連が撤退したのが1989年。国は荒れ大人達は死んでいなくなった。そこへ支援の手を差し伸べたのが隣国のパキスタンじゃ」
そうだ。そして子供達に思想教育を施した。大国が撤退した国土では、まともな事など学ぶべくもない。そして80年代のソ連侵攻時代に子供だった者達が、戦争で亡くなった大人達の跡を継いだ。集散繰り返す組織はやがて反政府として戦ったムジャーヒディーンから、パキスタンの思想教育を受けたタリバーンに世代交代した。それが89年から2001年までのアフガニスタン紛争(内乱)だ。この旧ムジャーヒディーン(アルカーイダ)やタリバーンを纏め上げた男がウサマ・ビン・ラディンだった。
宗教を否定する愚かな者達(ソ連)は滅んだ。しかし石油欲しさにイスラムの地を土足で踏み躙る、最低限の礼も知らぬ白い豚(アメリカのグローバリスト)どもはのうのうとしている(アフガニスタン戦争と同時に、米軍はイラン・イラク戦争にも介入していた。この時米軍は聖地メッカに駐留していた。この事はウサマだけでなくイスラム諸国の人達も皆んな腸が煮え繰り返っていたのだ)。だから『9.11』は起きた。こっちは石油を買う側だぞと、中国のようにアメリカも傲慢だったのだ。
「じゃからロシアと組んで中東の石油買い取り契約を締結したんじゃ。そして英国もアメリカもバチカンには逆らえんし、ロシアや中国を無下にもできん」
自分で言うのも何だが『衛宮切嗣』の名は知れ渡っていた。だからそれを最大限に活用した。そして自分の身を守るためにアーチャーとの出会いをドバイで演出した。それだけじゃない。ノイント老に目が集中しないように、動きやすいようにと『エル君』も動いていた。ついでに摘み食いしながら。今後アメリカも英国もアインツベルンを通さないと石油が買えない。それも適正な価格でだ。逆らいたくともここにエーデルフェルトが持つ北欧の油田、アインツベルンが持つアフリカ中部の油田、南米の油田にリビアやナイジェリアの油田分も加わる。イスラムの人達も最大限に恩恵を受け儲かるように。ノイント老はそれをやってのけたのだ。しかも東南アジアのシーレーンは、『エル君』の手引きとノイント老の采配で孔明達がその権利を得た。世界経済が大きく変わろうとしていた。
「な? 痛快じゃろ? 工房で根を詰めていた疲れが吹き飛ぶわい」
そんな彼女がこのチューリッヒにもうすぐやって来る。そしてノイント老が用意したものを受け取って、再び世界を巡る。僕は『エル君』をわかっていなかった。エルヴァ達と同じ18歳の……少し他の子より優れている子程度だと思い込んでいた。勿論、魔術師として超一流なのは理解していたつもりだ。だけど、ここまでの政治力があったなんて……。
僕はこのまま休暇に入り、家族がこちらに来るのを待つ。アメリカのエルヴァの結婚式があるからだった。
『早く孫を抱きたいな』
僕は引退を本気で考えた。
目の前の『COBRAN F-G5』は、日本の中信楽器が作った海外輸出も視野に入れたスーパー・ストラトだ。
このFシリーズは種類が豊富で、最初の『F-G0』はピックアップが『SSH』で、6点ドメ・クロームのシンクロナイズド・トレモロが付く。ボディがポプラかリンデン。24フレットのネックはトラスロッドがエンドにあってネックを外さないと回せない最廉価版だ。少しだけデラックスなバージョンもあって、そちらの『F-A1』はトレモロが2点ドメとなりパーツが金色になる。ただボディ・トップに突板かシートのトラ杢が貼られ、ちょっと豪華に見えるらしい。また、短所であるトラスロッドをヘッド側から回せるように改良されている。次の『F-G1』から上位はすべて『HSH』となっている。ライトアッシュだと木目の透けたシースルーでポプラだと塗り潰しだ。その上の『F-G2』からはリバースヘッドが特徴だ。ライセンスもののお粗末なフロイドローズが付く。これまたアッシュとポプラで塗りは『F-G1』と同じ。次の『F-G3』はフロイドローズが少しマシになる。ボディは全部ポプラでラメ入りの暗い色だ。『F-G3DX』はストレートヘッドに戻り、フロイドローズが金色になっている。『F-G4』はネックにバインディングが入り、センターのシングルがシングルサイズ・ハムとなってリアのハムともどもバーポールピースとなっている。フロイドローズは金色。ごく短期間、『F-G3DX』と『F-G4』には『HH』の2ハムモデルがあったらしい。ボディは木目の綺麗なアッシュが多いという。そして最後の『F-G5』はカスタムショップに近く、セイモア・ダンカンのピックアップや、ファインチューナーがもっとしっかりしたフロイドローズでオーダーしたり、ボディにフレイム・メイプルトップ、マホガニーバックが選べたとか。
確かにこの目の前の『F-G5』は、色こそシースルーのパープルだがトラ杢が素晴らしい。残ったフロント・ピックアップにはダンカンのロゴが入っているが、失くなったセンターやリアともども、どうも交換されたもののような気もする。テスターで測れば回路の電通はある。ピックアップを新しいものに付け替えたり追加すれば直る可能性が高い。だけどこれらを調べてくれたアメリカの姉さんからのメールでは、配線材とポッドから交換して、フロイドローズやペグも分解して全部クリーニングしろとあった。綺麗にして後輩に残すも良し、先生と交渉して買い取るも良し、かなり使えるギターだとある。何より『カスタムショップに近い』というのが気を惹く。裏のカバーにはこうある。『COBRAN with heart & by hand Cobran Guitars Made in Nippn』と。『Made in Japan』でない。『日本が心と技術を込めて作った』とあるのだ。
う~ん……。米ドルで『F-G5』は1600ドルだったそうだ。『F-G4』が600ドル、『F-G3DX』が540ドル、『F-G3』や『F-G2』が440ドル、『F-G1』は398ドル、それ以下の『F-G0』や『F-A1』は360ドルが当時の定価だったとか。何年前の先輩なのか知らないけれど、高校生で16万円以上もするギターを買って、学園に置いていくとは。考えられない。あかん……惚れた……。先生に話して買い取ろう。
次の『F&C Anboy』はフジゲンのオリジナルで、こちらはメール以外に楽器屋さんにも聞いた。型は『AF-55』。『Les Paul』っぽい2Hで2点ドメのシンクロ付き。色はシースルーの青で下はプリントと思ったが、どうやらごく薄いメイプルらしい。ド派手なトラ杢だ。で、バックはアルダーでネックはメイプル・ワンピース。指板はローズ。ペグヘッドが白いパーロイドなのや、3対3でも少しとんがり気味なヘッドもいい味がある。97~98年頃のモデルらしいけれど、こういうボルトオンでキュッとしたヘッドには豪華なインレイよりドットの方が似合う。バインディングが無いのも、愛機の『Les Paul Studio Lite』っぽくて可愛い。後ろのコンター加工も良いし、1ボリューム1トーンもシンプルで気に入っている。これはもう直してアンプも通した。卒業までサブとして使う気満々だった。
その次の『Fernandes』は多分90年頭頃の『Revolver』シリーズ。『SSH』だから『FR-50』だ。トレモロは『65』以上でないとチューニングが一発で狂いそう。何より先輩が使っている『FR-55』より古いので、ネック裏の塗装が厚く滑りが悪い。それで塗装を剥がして途中で断念したのだろう。元の黒がマダラになっている。こういうメタルとは言わないけど、『イマドキ』なギターはハゲるとホントにかっこ悪い。歴史の重みの差というのをそんなところから感じる。
今はネックもピックアップも外してボディだけになっている。エルマのルビーの手が空くのを待っている状態だ。まさかルビーに『サンダーに変化する能力』があるなんて。しかもこれを教えてくれたのはおチビちゃんだ。ルーター機能やトリマー機能もあるそうだからどんなだと思うけど、そういう便利な秘密機能がまだまだあるらしい。笑い話として姉さんに話せば驚かれ、是非ともとアメリカの姉さんにもメールで知らせた。英語とドイツ語とローマ字が混じった変なメールが返ってきた。まぁ、あちらのパソコンに日本語のIMEなんて入れていないだろうし、通じるから良いのだけど。だけどルビー達に入っている人工精霊は、元が中国の『飛頭蛮』や『飛頭獠』、『飛頭降』といった大昔に存在したと言われる、南方の特殊な一族から得た魂を元にしているらしい事が書かれていた。それはマレーシアでは『ペナンガラン』、日本では『ろくろ首』と言った名で妖怪とされている。だけど眠っている間に首が抜けて空を飛び、虫や魚介を捕食するという変わった生態を持つ、ごく普通? の人間だったとか(?!)。ただし噂レベルだと但し書きがあった。でも、噂半分だとしても、そういうのを人工精霊のモデルにするってありそうだから困る。
その次の『aria proⅡ』は80年代末期の『PE-R80』だ。色はシースルーレッド。高級品じゃないのに品質は最高。削り出しのトップも、ザグってあるスイッチやノブの周りもナイス。本当に真面目に作ってある。ただ、悲しくもネックが折れているのだ。それで年明けにアメリカへ送る予定。婚約者の方に何とか直して頂けるらしい。申し訳ないっす。
最後は『YAMAHA』。型番は『RGX-421D』。これもアメリカの姉さんが調べていた(こういうのに詳しい人がアメリカには多いらしい)。ズバリ94年から98年のモデルで『HSH』、フロイドローズ付きの『使える』ギターなのだとか。色は赤でマッチングヘッドで24フレットだ。これより上の『RGX-621D』や『RGX-821D』だとハイポジションがスキャロップになるらしい。これもポッドにガリが出ているだけでほとんど問題ない。
その『使える』と書いたアメリカの姉さんに拠ると、89年から『Pacifica』が出ていたらしい。90年代半ばの最廉価な『Pacifica 112』と『YGS-112T』はどちらも台湾製で弾きやすかった記憶があるという。多分『エル様』として行動していた頃の記憶だ。『エル様』はあちらで軽音部と陸上部に所属されていて、メインの部活は軽音部だった。それで手が足りない時、『中の』何人かが『エル様』おフリをしてお手伝いをしていた。その内の1人が47番だった姉さんだ。きっと誰かが『Pacifica 112』や『YGS-112T』を持っていて弾かせて頂いたのだろう。
『YGS-112T』は知らないが、『Pacifica 112』は今も店頭で売られている現役のカタログモデルだ。ストラトを崩したようなデザインが好みのわかれるところだけど、あの指板の緩いアールはクラシックギター慣れした人に合うと思う。このメールを姉さんに見せて確認を取ると『確かに弾きやすかった』と話していた。そしてこうも話してくれた。
『ヤマハは楽器も道具も扱っている会社です。しかもどちらも幅広い。万人向けするように尖っていませんが、逆にその懐の深さが、違うベクトルで尖っていたように感じました。ミニアンプでもそこそこ鳴りますが、マーシャル系のハイゲインでなく『Hughes & Kettner』のようなアンプだとなかなかだと思いますよ』
『Hughes & Kettner』は『エル様』がお持ちだ。試していたのだろう。今の『Pacifica 112』はインドネシア産らしいけれど試してみたくなった。そこで2人のギターイジりが大好きな先輩の事を考えてみた。3年の横田先輩と2年の近藤先輩の事だ。お2人は何を家に持って返ったのか?
もしあればという前提条件が付くけれど、おそらく70年代後期から80年代に掛けての精緻なコピーモデル、もしくは『Orville by Gibson』か『Fender Japan』、それか『Ibanez RT』辺りのジャンクだと思う。これらが真っ先に思い浮かんだ。アメリカ製の本家や『RG』なんかは、予算的に高校生には厳しい。まして絶対に置いていかないだろう。だけどビミョ~に、でもちょっとだけ良いのを使いたい。これが人の心理だと思うし、実際、そういうのを買えるのところが、穂群原は私学だなと思う。それは倉庫にあったギターやベースに限らず、普段皆さんが使っているモノにも言えからだ。それともう一つ共通しているのが、いつの時代も『その時の音を出すのに合った』楽器だという事だ。『価格なり』な部分は厳然とあるけれど、それでも時代を反映していると思う。
そりゃあ、もっと反映したタイプもあるだろうけれど、行き過ぎた(尖った)モノは学生が最初の1本として選ぶには厳しい。例えばアメリカの姉さんが姉さんに贈って、今は私のものとなった『aria proⅡ 615 Nashville』なんかだ。スリムな『Telecaster』と言うより『Les Paul Jr』っぽいシェイプに、まんま『Telecaster』のようなアッセンブリー。セレクタースイッチがコントロールパネルでなく、ピックガード上にあるところが不思議だ。しかもテレのフロント&リアにプラスされたセンターのシングル。これの2ピックアップ版が日本国内でも売られていたそうだけど、まず買う高校生は居ないだろう。私も最初はヘンなギターだなと思っていた。姉さんなんてかなり微妙な顔だった。でも、アメリカの姉さんの足元にも及ばないけど、何本も触れているうちにわかってきた。どういう曲で持ち替えて使うのかが見えたと言うか。
そこで部屋にある修理中のギターを眺め、同じ修理隊の先輩方の事を考えた。卒業までの限られた時間だ。知らないものや、いかにも今風なのは避けられていたのだろう。でないと『COBRAN F-G5』が見逃される筈がない。つまり知らないとはそういう事だ。私だってアメリカの姉さんに指摘されるまで知らなかった。そんなものなのだと思う。そう思ったからこそ、『Pacifica 112』が余計頭に残った。店頭で3万ちょい。でも『Stratcaster』が欲しいよね。
ゴシゴシと使い古した歯ブラシでパーツを磨く私。フレットの打ち替えやネック折れなんかの難易度の高い事も、図解入りの資料と必要な道具をリストアップして送って下さる。本当に微に入り細に入りなのだ。この頃はまだ漠然とだったけど、こんなところからいつかアメリカに行きたいと願うようになったのだと思う。
作業の手を止め、赤い1988年製の『Gibson Les Paul Custom Lite』を手に取った。今の私には身の丈に合わない高級過ぎるギターだけれど、これに見合う腕になるよう頑張らないと。そう考えながらその日は終わった。
料理は最高に美味しかった。だけどもう、いらない。お腹が苦しいとかパンパンとかそんなレベルじゃない。誰も何も喋らないのは、口を開けると戻しそうになるからだろう。あ~ダメ。戻すとか、そういう想像すらしてはイケない。何も考えるな……おとなしく、少しでも先に胃に入ったモノが消化されるのを待とう。
パミちゃんは目を白黒させているし、ベルトを緩めているシロウさんは、『ウップ』とか言ってモゴモゴ……反芻しているの!? 違う、私と同じだ。消化されるのを待っているんだ。リンさんはだらしなくも、椅子の背もたれを使って大の字になっている。お腹を前に出さないと苦しいのだ。フンボルトはベルトどころかズボンのボタンを外している。息が妙に荒い。
「大丈夫?」
脂汗をかいて首を振った。声にも出せないようだ。アメリカ滞在中にこの『Thanksgiving Day』があったなら、お祖父様は無礼講だと仰るそうだ。ハナから私は、メイドだからと分け隔てしていない。いつも皆んなと食事を共にし、お手伝いできる事があればいつも手伝っている。だけど今夜の後片付けは手伝えないぞ、これ。そしてモニカさんもミアータさんもリサさんもリンさんも、4人全員がグロッキー状態だ。ズボンの人はボタンを、スカートの人はサイドのフックを外している。それでも良いのだ。かくいう私もリンさんも、スカートのフックをとっくに外していたからだ。
そして動けるようになったのが1時間半後。片付けを始めたのがそれから30分後。シャワーを浴びるガッツを取り戻すのに更に30分。部屋に戻ったのは夜中の2時だった。
「フンボルト?」
「む、無理だからね?」
「じゃなくて、大丈夫なの?」
「ああ、ゴメン。明日のお昼には元に戻ると思う……これ、明日も?」
「もう今日だけど……みたいです。私、アメリカをナメていました……」
「絶対に、この家だけだ。ここまで食べなきゃならないのは」
そうして『オヤスミ』とそれぞれの部屋にわかれた。挨拶のキスもなし。幾ら大好きな人でも今は無理だった。2つ並んだベッドの片方にはパミちゃんが先に入っていた。
「大丈夫ですか?」
「うん。苦しいけれどモニカに貰ったお薬で少しマシになったよ」
「じゃ、明日は大丈夫ですね」
「うん」
そうして私は胃薬を飲んでから、電灯を消して夢の中に旅立った。
「もし。そこを行くお嬢さん」
「はい?」
森の小路を歩いていた。声のする方向に振り向くと、そこには池があり『天の衣』姿のお母様が立っていた。水の上とはセイバーですか? というか、下が短すぎ。恥ずかしくないの?
「あのですね?」
「あなたが落としたのはこの金のギター? それとも銀のギター? というか、重いわ、これ」
私のじゃないし、そんな水没したギターなんていらない。ってか、金の『Les Paul』はまだしも、銀の『Stratcaster』って趣味悪いな。
「あの、お母様。私はギターを落としていません」
「まぁ。湖の乙女に向かって『お母様』だなんて。私はまだ未婚です。あなたみたいな大きな娘はいませんよ?」
「そ、そうでしたか。失礼しました」
女神は顎に人差し指を当てて私の顔を覗いた。その仕草もまんまお母様だ。
「あ~、わかった。あなたのお母様が私に似ているのね? だからだわ。あなた、私にそっくりだもの」
まぁ、夢だしなぁ。どういう夢なんだろう。ベタな展開が読めるのだけど。ところがいきなりギターを2本とも手渡された。
「重いから、あなたにあげるわ。大切に使ってね」
「へ?」
重いからって、どういう理由だよ? 何か言おうと思っても『ホホホホホ……』と可愛い笑い声を残して女神様は水に沈んで行くばかり。まるで聖杯の泥に飲み込まれていくようだ。
「ん? 聖杯の泥? ナイナイ」
そして幸いにもストラップが付いていたので『Les Paul』を背中側に回して掛け、前に『Stratcaster』を掛けた。森をずんずんと歩いていく。どこか頭の隅で『これは夢だ』『どこに行くの』と考えている。だけど面白いと感じている自分も居た。
すると突然森を抜け、原っぱのようなところに出た。
「ほぅ、二刀遣いか。来いや。貴様のハートにオレのサウンドを突き刺してやるぜ!」
ランサーは何故か赤いベースを持っていた!? しかもスラップが巧い! 本当にハートに来る! ってか、アンプはどこだよ?!
く……見事だ。本気で巧い。その重低音が何故か胃に響く。防戦一方だと負ける。私は気合を入れて彼のベースラインに合わせて『Stratcaster』を掻き鳴らした。いつの間にかピックは手の中だ。織りなすメロディーに彼は獰猛なまでの笑みを浮かべた。
「へ、やるじゃねぇか」
それは私のセリフだ。こちらの28連タッピングにゆうゆうと着いてくる。ビートが足りない。
ダンダンダンダンダン! ドコドコドコドコドコ! 来た! ドラムだ! 叩いているのはアルさんだ!? ってか、フォーバスって何だ! 真ん中のツーバスは何インチだ! デカすぎる! このサウンドに『Stratcaster』は弱い。私はギターを地面に下ろし、背中の『Les Paul』で応戦した。
熱い、アツい、熱い、アツい! 血が滾る、最高だ。ランサーが笑っている。アルさんも笑っている。きっと私も笑っている。この3人なら『Cream』にも『Experience』にも負けない。きっと世界を獲れる。だけどギターがリズム隊に押され気味だ。どうする? どうする?
すると背中に誰かが張り付いた。その人もギターだ!? 誰?
「あなたと私なら100万チバソングも軽いですよ!」
それは転身姿で私の贈った『Les Paul』を弾き倒す日本の『エルヴァ』だった。そこに金髪の背の高い人が現れ、キーボードの要塞を操作していた。ああ……最高!
何だ今の!? と目覚めて、枕元の時計を見れば朝の5時前。ジリリリッ……。パジャマを脱いでジャージに着替え廊下に出ればエルマとトロンメルが待っていた。
「おはようございます」
「おはようございます! 最高のセッションでした!」
「姉さんも巧いけれど、アメリカの姉さんも巧かった~」
同じ夢を見ていた……?
「最後の曲はツインリードの『Superstition』でしたね?」
迷信……あ。
「BB&A?」
「はい。お2人とも『Les Paul』で」
歌った覚えもカバー曲をした覚えもない。ただただ、気持ちの赴くままに弾きまくっただけのアツい余韻があるだけ。それはどういう奇蹟、いや幻想だろうか。わからない。ともかく私は、妹達との日課のジョギングに没頭した。3人とも予定通りの時間に帰って、早く着替えて朝食を済ませないと学園があるからね。
そして学園に着いてから考えた。2人ともレスポールだったって? 確かに彼女はレスポールだった。それもゴールドトップの54年型のピックアップをハムに改造したもの。まるでジェフ・ベックのオックスブラッドの色だけゴールドのままというタイプだった。対する私が弾いていたのは地面に置いてあったシルバーのストラトだった。ヘッドがスモールのメイプル・ワンピース。だけどフレットは太く、速弾き専用に21フレットまでフルにスキャロップ加工してあった。この見え方? 記憶の違い? それは何だろう? ランサーがベースを弾けて、アルさんがドラムを叩けるなんて聞いた事もない。
そしてキーボードで途中参加した彼女は、間違いなく『エル』の残したボディ(人形)だ。学園で見掛けた彼女の操作は『エル』だったとわかるが、この夢は違うだろう。導き出した答えは『現象』が、私達全員に見せてくれた、何かのメッセージを含んだ『夢』であり『幻想』だ。そのメッセージの意味がわからない。これはアメリカの彼女も見ているのだろうか?
今回、この身体に合うドレスを用意しなかったので、父やお祖父様との晩餐は北京で取り込んだままだったチャイナ・ドレスで参列した。呪腕に百貌(今は1人に戻っている)、それと孔明さんからそのままこちらを手伝えと命を承けた馬謖も同席している。バグダッドやムンバイでは日中30度はあったのに、ここチューリッヒでは既に雪が積もっていた。給仕に就いているメイドも、良く顔を知っているベテランだった。だけど混乱の元なので、マアエモ・ママは外して貰っている。
この晩餐会が始まるまで、私とお祖父様は地下の工房だった。今回宝具に取り込んだのは、ざっと約100人分の素体(人形)だった。これらを持って世界を巡り、生命維持装置に繋がれた要人の魂を抜き出し、改竄して素体に押し込みアインツベルンのロボットにする。昏睡状態に陥っている者は世界で400万人とされているが、入れ替え予定は7千人から1万人だ。つまり400万人のうち399万人がこの世から消えても、そこまで人類に影響はないという事だ。
不思議に思うかも知れないが、独裁政治でもない限り、大統領や首相が別人でも大抵の国は問題ない。官僚や事務方がしっかりしている国ほどそうだ。また小国の要人もこの世に残す影響なんて知れている。だけど宗教やイデオロギーに於いての主導者や指導者、次いで大物投資家や起業家は影響が大きい。そんな1万人の中でも特に重要な、今現在昏睡している者が約100人いる────碌でもない奴って事だ────そいつらが、今回の入れ替え対象だ。それを年内に済ませ、新年からは残りの6千900人だか9千900人から更に選別して、最終的に千人入れ替える。その期間が来年から3年掛かると見ている。
それこそアサシンを持ち、宝具も持っているエルマに事情を打ち明け手伝って貰えばもっと早く済むだろう。トロンメルやここのエルにも声を掛ければ、早さはその2倍から3倍だ。だけどエル以外のあの子達は学生だ。何よりこれ以上は父がついて来れない。となるとここを出た後で、宝具に仕舞ってあった予備の素体を起動するしかない。幸い人格フィリターも『シュラム』と『ボーデン』がある。
食後、与えられた部屋に戻ろうとすると、扉の前でエルが待っていた。
「『エル様』……」
「正確に言うなら今の私は、私を構成する────主要な数人の中の1人、『王一诺』ですよ。このデータはありませんか?」
「あります。香港で暮らしていた?」
「そうです」
ん? 何か思いつめて……。ああ……そういう。
「お手伝いします」
「幸いでした。今使っているこの素体にも『シュラム』と『ボーデン』の人格フィルターがありました。なので予備の素体にそれをカマせて3体に増やして動きます。エル、あなたはあなたとして生きなさい。そしてエルヴァちゃんの許可を頂いてから、彼の下に行ってあげなさい」
「『エル様』……」
「冷えますから、部屋に戻りなさい」
可能性のひとつ。選択肢の幅を広げる事。エルは見事にやり遂げていた。彼女は着床している。その子は間違いなくウェイバーとの子だろう。