※この作品はR-18です。

プリズマ☆エルヴァ 第三部 霊脈篇   作:炭団

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158、倫敦再び

 もうそろそろ眠ろうかという頃に、ノイント老が酒を呑もうと誘ってきた。

 

「良いのがあるんじゃ。ちょっと付きあえ」

 

『良いのがあるんじゃ』じゃないよ。良いのしかないじゃないか。それでいつもの執務室と続きになった、酒棚のある小部屋に入った。透明な丸い氷をグラスに落とし、手ずからウイスキーを注いでくれた。ただしボトルは移し替えてある。参ったな……利き酒か。

 スコッチ・ウイスキーやアイリッシュ・ウイスキーなど英国北部が有名なのは、イングランドからの税金を逃れて蒸溜所が数多く作られたからだという。長く続いた事も大きいだろう。水質そのものは断然日本だけれど、樽の木などはこちらだという。ウイスキーの場合、寝かせが物を言うから樽に軍配が上がるのかな? どちらの味も知っている僕から言わせて貰えるなら、どちらも美味しいとしか言えないけれど。

 北からアイランド、スペイサイド、北ハイランド、西ハイランド、東ハイランド、南ハイランド、アイラ、キャンベルタウン、ローランド、そしてアイリッシュ。アイリッシュを除き、ハイランドを纏めてシングルモルトの6大産地と言うそうだけど、ツウは絶対にハイランドを4つに分けるし、アイランドも西部のスカイ島、ジュラ島、アラン島、ルイス島と、北部のオークニー諸島やメイン島とわけて考える。やっぱり風味が違う。それは僕でもわかる事だ。

 そんな島の中で独立した産地として数えられるアイラ島は別格だろう。僕的なアタリはスモーキーなタイプで、ハズレはヨード臭いタイプ。わかって貰えるかな?

 

「さぁ、行け」

 

 カツンとグラスを合わせ口をつけた。む? 爽やかで軽い?

 

「スキャパ?」

 

 英国の最北端、オークニー諸島の更に北。メイン島のスキャパは、あのバランタインのキー・モルトだ。

 

「あ、もしかしてこれがハイランド・パークですか?」

 

 ノイント老はニヤリと笑った。

 

「正解じゃ」

 

 そしてグラスを眺めながらノイント老は訥々と話し始めた。それはフィンランド共和国の成り立ちについてと、第一次・第二次世界大戦に於ける苦難の道の物語だった。ロマノフ朝からソビエト、そして今のロシアに至るまで、ずっとこの隣の大国と台頭してくるドイツに翻弄され続けた歴史。だけど、独立だけは意地でも護った。

 

「エーデルフェルトは逃げも隠れもせず、いつでも人々とともにあったんじゃ。500年の歴史は軽くない」

 

 だから表の事業で成功し信用が高い。ハイエナなんて誰かのやっかみだ。そもそもハイエナの生息地が中東からインド北部で、北欧なんて関係ない。魔術師は大きく2つに分類される。食っていける程度に儲け工房に籠もるタイプと、大きく儲け家門として研究の発展を目指すタイプだ。エーデルフェルトもアインツベルンも後者だ。長く続くとはそういう事だ。アハトのところがアインツベルンのすべてだと思い込んでいた、若い頃の僕には気付けなかった事だ。

 

「ヨハネ・パウロ1世の死……」

「え?」

「じゃからバチカン銀行のマネーロンダリングや、アンブロシアーノ銀行に於けるマフィアのマネーロンダリング疑惑があったじゃろう? 映画の『ゴッドファーザーPartⅢ』の元となった。これとパナマの銀行が持つ顧客名簿をちらつかせてアメリカを押さえつけたんじゃ、エルヴァは」

 

 そっちか!? コンクラーベの不正や、変態行為をアサシンに探らせたものだとばかり……。ヨハネ・パウロ1世はバチカンの不正を糺そうとしていた人物で、当時のバチカンに辟易していた司教達の票を集め教皇に選ばれたとされる。ただ、その在位は僅か33日間。教皇となってひと月経って、『さぁ、これから』という時にいきなり遺体で発見された。心臓発作と言われるが、検死もいい加減で司法解剖する前にエンバーミングされてしまって、死因に関する真相は闇だ。また第一発見者や発見時刻が曖昧で二転三転した。実にキナ臭い事件だったんだ。もしや彼女は……いや……待て。並行世界でも似たような事を既にしていたんだ。そうだ。そこを軽く見ていた。あのランサーと出逢った異なる世界で、言峰を追い込めたのもそうだったじゃないか。

 

「見せしめじゃったのか、アンブロシアーノ頭取のロベルト・カルヴィが倫敦のブラックフライアーズ橋の下で首吊死体で見つかった。フォークランド紛争終結の3日後じゃ」

 

 このカルヴィという人物は、バチカン銀行(宗教事業協会)の資金管理を委託されているアンブロシアーノ銀行で、頭取にまで昇り詰めた男だ。自身はフリーメイソンの『ロッジP2』の所属し、主にパナマやバミューダでのオフショア取引を担当して頭角を現した。その後マフィアのマネーロンダリングを行っていた、ミケーレ・シンドーナと懇意になり、黒い噂の絶えない『ヨハネ・パウロ1世が持つブラックリスト筆頭』のマルチンクス大司教の庇護を受けとうとう頭取になった。

 それまでの間、ミケーレ・シンドーナとともにかなりのマネーロンダリングを行い、マフィアとバチカンのパイプにもなっていたようだ。意外だろうが神の門は広く、『貧しい人に』という『善意の寄付』は正しく管理しなければならないとても重要な事でもあった。だからだろうか。それとも他の宗派だからなのか。シティ警察はロベルト・カルヴィ事件を自殺として扱った。とにかくキナ臭い事件だった。

 そのカルヴィと組んだミケーレ・シンドーナはラッキー・ルチアーノ、ジョー・アドニス、ヴィト・ジェノヴェーゼといった在アメリカのイタリア系マフィアに、サルヴァトーレ・リイナといったシシリア系マフィアのマネーロンダリングを行いつつ、ジョン・F・ケネディやデヴィッド・M・ケネディなどアメリカの政財界とも太いパイプを握っていたとされる。

 この実態、いや全貌と証拠を『エル君』が持っていたとしたら? そしてその後も続く不正や資金の流れなども。カトリック教徒は全世界で10億人だという。中国は13億か……。そこにインドや中東だ。『エル君』の動きは当然だと言えた。

 

「では、埋葬機関は?」

「潰されるじゃろうな。とかげの尻尾切りじゃよ。しかも、エルヴァの方からそうせいと仕向けとる。つまり教会の上には情けを掛けた形にし、魔術協会には恩を売った形にしておるんじゃな」

「もしやエーデルフェルトはそれで……?」

「並行世界では、時計塔とプラハの理事なんじゃろ? そうとなればエーデルフェルトもそう動く。まして娘に『道』を示したのはエルヴァ(日本のエルヴァ)でなく『チビ(エル)』じゃったと聞いとるぞ?」

 

 そうだった……。ん……? 待てよ。確かにノイント老が話した通り『エル君』は7歳から理事だったと聞いた覚えがある。そしてあちらでは遠坂や間桐と仲が良いとも。また聖杯戦争が終わっても英霊は残ったと言っていた。となると遠坂のアサシンを譲り受けたかして運用していたんだ。それで理事として教会を調べていた……。また起業家として資金の流れも探っていたんだ。だからあれだけ詳しいのか……。

 

「儂のチビがあんな風になるには、後、何年掛かるのかのぅ」

「親としてはなって欲しくないですよ。綺麗事ですが」

 

 と言いつつ、モードレッドにヘラクレスを召喚している娘。ノイント老の期待が大きいのもわかる。

 

「まぁ、そうじゃ。じゃがな、儂らが居らんようになっても……の?」

「ええ……それはそうです」

 

 ノイント老は首を振った。

 

「キリツグ。その手を汚してきたお前さんなら想像できるじゃろう? 中国共産党の行っていた事はオーストラリアのアボリジニ、オスマン帝国のアルメニア人、ソ連のウクライナに於けるホロドモール、ナチスのホロコースト、ポル・ポト、ユーゴの民族浄化、ルワンダの虐殺などと同じジェノサイドじゃ。当事者ではないにせよ、どう言い繕う? どう言い訳する? これも言ってみれば、どっちもどっち論なんじゃろう。つまりは詭弁じゃ。が、一政治家では判断できんような話にすり替えておる。見事じゃよ。しかもさっきの話じゃ」

 

 食事の時の会話だ。石油利権しか考えないアメリカとは違う、人道的な立場からスーダンに介入すると話していたんだ。それが1番の罪滅ぼしになるだろうからと。『現象』にも限度がある。『エル君』はそのフォローに徹していたんだ。

 

「キリツグは正史の方の『三国志』は知っとるか?」

「普でしたか。そこの陳寿という者が記したとしか」

 

 ノイント老は片眉を上げた。

 

「十分じゃよ。中国共産党と取り引きしておった企業や政治家の何人が歴史書なぞ読んでおるか。儂は司馬遷の『史記』から張廷玉らが記した『明史』まで全部読んどる。でだ、あの土地に住まうあの者達は、『三皇五帝』の時代より『明』の時代まで、ただの1度も専制君主制から脱却できなんだし選挙もなかった。そんな今の『中国』に西側は幻想を抱いた。その内、民主主義になりマーケットが広く開放されると。イデオロギーも専制を誤魔化すための仮面でしかなかったのにな」

 

 確かに。前政権までは完全な専制政治だった。それを孔明達は変えようと。

 

「できると思うか? 三国の英雄達に? それぞれの王まで召喚されとるのに」

「そこは『現象』から制約が入って」

「いや、入っとらんだろう。ただこれまでの歴史を全部見せられとるとは思うがな。で、気付いたんじゃろ。4千年経とうが何も変わっておらんと。むしろ他民族まで国家に帰属させるのなら、共産主義も完全に悪とは言えん。その国を構成する人々の気質やあり方でな。そしてやがて変化する時が訪れる。それが早いか遅いか、流れる血が少ないか多いか程度の差はあるじゃろうが。『現象』となった『チビ』は速やかに少ない血で変えたかった。それを『並行世界のチビ』が察してアヤツを置いていったんじゃ。ではなぜ『駒』に三国の英雄が選ばれた?」

 

 そこだ。

 

「おそらくじゃが。10や20の小国にわかれておった時代じゃと豪族上がりの小粒な者しかおらんし、統一した大国じゃと今の領土を纏めきれんし、他国との交渉も下手だと見たんじゃろう。またあの時代は後漢からの智慧者がやたら多い」

 

 そうだ。現代にも伝わる兵法も、諸子百家の思索や思想も漢で体系づけられていたんだっけっか。確か荀攸がそう教えてくれた。賈詡とはあまり話さなかったが、郭嘉・程昱・荀彧とはよく話した。そんな彼らが一目置いていた人物が荀攸で、曹操が下にも置かない接し方だった。幸い『エル君』が日本語版の『三国志』を用意してくれていたので借りて読んでいたんだ。それでわかった。優秀な人材が魏に偏っている。これは真っ先に落ちるのは蜀で、その次が呉だって僕でもわかった。

 

「わかってきたか? 国取りなら序列は出る。しかし地方も全部生かすとなると?」

 

 それだ。彼らはそれに気付いている。だから孔明の横に龐統でなく荀攸が毎回座っていたのか……。

 

 

 

 第二音楽室の倉庫には、誰が持ち込んだのか楽器のカタログなんかも置いてあった。試験開始1週間前は部活動禁止だけど、いざ試験が始まると特別棟の文化部は活動を始めていた。軽音楽部は恒例として、今年のように試験期間が休日を跨ぐ場合、暗黙の了解で土曜日は自主練に集まっていた。先生のどなたかの話らしいけれど、『アイツラはヘタに禁止するより、時間を区切って適当にやらせる方が成績が良い。どうやら良いストレス発散になっているようだ』だ、そうだ。勿論、自主練だし先生も来ないので戸締まりは大切だ。なので近藤先輩や大槻先輩も来ていた。ついでに関係者も来ていて、姉さんと吉川先輩は隣の第一音楽室でイチャイチャと勉強中だった。

 この『イチャイチャ』は大槻先輩の目を通した、バイアスの掛かった個人的感想だと思う。他の、特に女の子の先輩方の感想だと、『エルヴァ先輩怖い』『吉川先輩がお気の毒』となっている。ちらりと見れば私も同じ感想だ。本日のエルマと桜は即下校だった。なのでここに来ようかどうか迷っていた。だけど、『どうぞ、行って下さい。今日は真っ直ぐ帰りますから』とアルトリアに先に言われてしまった。それで『ゴメン』と謝ってここに来ている。

 私は練習の合間の休憩中に、2001年の『YAMAHA』のカタログを見ていた。表紙を飾るのは赤い『SGV-800』だ。レトロなビザールっぽい、でも作りはとても良さそうなギター。どこで使うのだと迷いそうだけど、ハマると凄いだろうなぁ。

 そしてページを捲ると、来た。お目当ての『Pacifica』シリーズだ。見開きでミュージシャン・モデルが並ぶ。いい値段するなぁ。その次はUSAモデルを筆頭に『904』や『604』だ。これらは2008年のモデルチェンジ以降と同じくリアのハムにピックガードはない。トレモロはどちらも2点ドメだが、エッジが利いているのは『604』の方だろう。試してみないとわからないけど、1番実用機っぽい。

 

「トロンメル、『Pacifica』?」

 

 ホタルコ先輩だった。

 

「はい。どんなかなと気になって」

「ふ~ん。少し待ってて」

 

 そう言って先輩はギター立てから1本のギターを持って来た。なお先輩の愛機はオレンジ色の『Fender Toronado』だ。なのに手に持つそれはマッチングヘッドの赤い『Pacifica』だった。

 

「だ、誰のです?」

「部費で買った物だよ。つまり部の備品。この『112CII』が2000年頃の購入で、もう1本1996年頃の『721JH』ってのがあってね。そっちは若地先生の個人所有品だ。だから普段はここにないけど、準備室にあるから頼めば貸してくれるよ」

 

 古いのか『721JH』ってのは載っていなかったけれど、ページを捲ると『112』ばかりで、そこにその『112CII』があった。現行品だったんだ? いや、今は2004年だ、まだ売られているかどうか怪しい。

 

「あると思うよ。この赤いのや白いのは先日もお店で見たし、この下の茶色い……『112X』か、これもよく見るね。確か、近藤君が予備で持っていたと思うけど」

「近藤先輩が? この茶色いのを?」

 

『YAMAHA』は律儀な事に、色というか……仕上げの僅かな違いで型番の末尾が変化するようだ。スペックを見たら全く同じなのに呆れた。だけど『112』はどれも定価が3万3千円なんだ? こんなにネックが滑らかでフレットの処理も良いのに? でもピックガードは安っぽいかな? ちょっと波打っている。

 先輩に断ってシールド(ケーブル)を、小型アンプに挿した。フェンダー慣れした人に、このフラットな指板は違和感があるかもだけど、普段ギブソンの私はそこまでじゃない。それよりデフォでこれ? ヌケの良いピックアップに驚かされる。

 

「トロンメル、目をくるくるしていないでさ。ちょうど近藤君達が出てきたから聞いてみなよ」

 

 私達のバンドと交代で準備室に入っていた近藤先輩達のバンドが出て来た。すると私が声を掛けずとも近藤先輩の方からやって来た。

 

「気付いた? 『Pacifica』の面白いところ」

「先輩これって?」

「ロスあたりのスタジオ・ミュージシャンが使ってくれそうな、オールマイティなモデルを目指して開発されたんだってさ。だからスーパーストラトと言うより、初期のシェクターっぽいんだ」

「なるほど」

 

 それでハーフトーンが使えて、リアはソロも行けるハムバッカーだと。

 

「これでリアとミドルのハーフがコイルタップなら言う事なしなんだけど……」

「そうするとミックスのこのキラキラ感が失くなる」

「そう。この価格だからな。ヤマハも悩んだと思う。そのピックアップ、全部アルニコⅤらしいよ」

 

 この価格で!? どれだけ真面目なの? 多分台湾製だろうけど日本の管理能力スゲ~。フロントとミドルのシングルらしいジャッキリ感。だけどそこにはスプリングが鳴っている、勘違いした余計な鈴鳴はない。そのフロントとミドルのハーフ音は本当に優しく爽やかな音だ。リアには適度なドライブ感がある。ヴィンテージ系ではないし、パワー系でもない。抑制が効いているのでエフェクターとアンプの設定次第でどっちも行けるって感じ。

 ああ、これだ。姉さんがアンプを選ぶと言った理由は。いや、練習用の小型でもわかるんだけど、もっと上を狙えるというか。そういう懐の深さがある。そこに近藤先輩のいうセンターとリアとのミックス。わかる。ハーフトーンも欲しいけれど、これはこれで捨て難い。というかこここそが『Pacifica』を選ぶ理由だ。ああ、これ家に持って帰って姉さんの『Fender Hot Rod Deluxe(40W)』で鳴らしたいなぁ。あれならもっとハッキリわかると思う。また、あの姉さんは元から『エル様』と違う個性をお持ちで、『Fender '65 Twin Reverb(85W)』や『Deluxe Reverb(22W)』などのリイシュー・モデルや、比較的新しいモデルだった『Prosonic(50W)』を何の戸惑いもなく使う人だった。また、今もそれらのどれかを『エル様』がこちらに送ってくれないかと強く思っているそうだ。

 だというのに『エル様』から振られた先輩方のメタルバンドを手伝った時は、当時出たばっかりの『Hughes&Kettner TRIAMP Mk2』を新品で買わせ、『エル様』がお持ちの『Marshall JCM900』の『2500 SL-X』(プリ管が3本から4本になりパワー管がEL34から5881に変更された歪専用50Wアンプ)を出させて、ループスイッチャーで使い分けていたという。どれだけこだわるのだ。だけど『エル様』に代わって、見事代役を果たされたそうだ。そんな姉さんだから、もっとリアルな感想があると思う。

 それで今私が挿しているのが備品の『Fender SL-22SC(22W)』だ。一応ステレオ・コーラス付きだけどトランジスタの安物だ。だからどうにもこうにも音が軽いのは否めない。せめて私の部屋にあるアンプ、『Marshall JTM310(30W)』で試したい。あれなら少なからず、もう少しコシのある音が出るはず……。その『JTM310』は『エル様』からギターと一緒に渡って来た真空管の小型アンプだったにだけど、この子の音がどうもマーシャルっぽくないからと、トントさんにあげちゃったそうだ。それでトントさんが回路の抵抗や一部の配線を換えて、フェンダーっぽい音からマーシャルっぽい音が出るようにした。いわゆる改造品だった。それを私が2万円で買った(一応親しき仲にも礼儀ありだよ)。

 少し横道にそれたけれど、それくらい感じ入っていた。またボリュームノブの位置が良いし、スイッチの位置も良い。

 

「ボリュームの位置が良いですね?」

「だろ? ストラトより2cm離れているんだ。だからカッティングで邪魔にならず、かと言って操作し難いほど離れてもいない。ここは大きいよ」

「ですよね」

「うん。それにストラトっぽくもSGっぽくも弾けるんだ。だからそんな理由で、1本だけ持って他のバンドに助っ人に入る時なんかにすごく便利なんだよ。若地先生は作曲とキーボードの人だけど、そこをちゃんと理解しているんだな」

「先輩が『112X』を選んだのはどうしてですか?」

「色が渋いからだよ。デフォがブラックとナチュラルだろ? 『X』を買った時は、他に『112XC』のブルーメタリックと『112C』のレッドメタリックしかなくてさ。今なら『112XCⅡ』のブルーサンバーストも良いかなって思うけれど」

 

 あれ? 『112C』のレッドメタリックって、備品の『112CⅡ』と何が違うんだろう? 同じ色だよね?

 

「マッチングヘッドかどうかだったと思う。元々パシフィカってアメリカでデザインされて、あっちが先行だったんだ。なので日本にないバリエーションがあってさ。テレキャス・タイプも豊富だし、『112M』なんてメイプル指板のものもあるらしいよ」

 

 メイプル指板! それは良いなぁ。ここで先輩に『721JH』というのがどういうものかを訊いてみた。

 

「ああ、あっちは言ってみれば『HSH』の、ロッキングトレモロ付き。ただし、コンセプトはやっぱりスーパーストラトでなくスタジオ・ミュージシャン向けだな。だけど俺には正直中途半端に感じるなぁ。この『112』が良すぎるってのもあるけれど」

 

 実は近藤先輩、高橋先輩が『'51』と言い出さなかったら『112』を薦めるつもりだったという。と言うか、ストラトやらテレやらレスポールやらに迷うなら、これ1本で十分だし、ステップアップして『Fender』なり『Gibson』を買ったとしても無駄にならず、これまた予備として重宝するからだ。

 

 

「そう考えると、トロンメルのスタジオ・ライト・M-Ⅲってとんでもないな?」

 

 そうなのだ。アーム(トレモロ)がないだけで、あれもスタジオ・ミュージシャン向けと言えるのだった。でもなぁ……。

 するとホタルコ先輩が笑顔で歌った。

 

「スティ~ライツ、ピ~ポゥル、リビィジャストゥファィデモ~ション~、ハイディン~サァンムウェァ~インラァナイ~~♪」

 

 発音はイマイチだけど滑らか。『Journey』の名曲、『Don't Stop Believin'』だ。それまでになかった『パワーバラード』なんて『パワーワード』な用語を創り出した伝説のバンドだった。だけど英語のわかる人が聞くと、歌詞に全然意味のないのがわかる。抒情的で『ああ』とクルものはあるけれど、そのすべてが叙事的要素を排除して、ただただ、スティーヴ・ペリーが歌いやすく、より声が伸びて響くように計算されていた。歌も声も楽器。そのポップ性から『Zeppelin』並の事をしていたと気付けた人は少ない。

 

「ドンスタップ~ビリ~ビン~♪」

 

 だから、声が響くならこんな日本語英語もアリなのだ。そっか。ニール・ショーンってレスポールにアームを付けている人だった。この人も確か、スタジオ・ミュージシャン・タイプな人だと記憶している。割り切れるならそれもアリなのか。そんなところに姉さんの声が届いた。

 

「トロンメル、私達もう帰りますけど?」

 

 姉さんの後ろでオッスと吉川先輩が手を挙げるが、私の位置が悪いのか、目から上が入口の扉より上に隠れてしまっていた。姉さんはそんな吉川先輩に二言三言声を掛け、皆さんに挨拶されると私のところへやって来た。

 

「パシフィカ……誰かの?」

「いいえ。部の備品だそうです。今ままでこれがあるとは知りませんでした」

「ですよね」

 

 それでどうにもこうにも弾きたそうな顔をするのでギターを渡した。すると姉さんはオーバードライブを入れ、いきなりリアとミドルのミックスでハーモニクスを響かせながらチョーキングした。

 

「ここ。このパキューンとした感じ。フロントやミドルのゲロゲロ感はフェンダーに負けますが、このパキューンなギャロっとした感じが、ミドルと繋がりが良くて」

 

 ホントだ。ゴリッとしたフェンダーっぽい音と合う。

 

「その分、リアが浮くと言うか」

 

 そこで姉さんは私の『Studio Lite』と持ち替えた。このピックアップはアメリカの姉さんが送ってくれたもので、ロータリースイッチでタップやパラレルやシリーズを切り替えられる。ああ、言いたい事がわかった。こっちの方が繋がりが良いし、溶け込む。

 

「この幅の広さが長所であり、弱点ではありませんが……」

「『アレ?』ってなりますね?」

 

 つまり『Fender』や『Gibson』に慣れている人ほど違和感があるのだ。だけど高校生や、ギターから長い間離れていた人が手に入れる分には何ら問題ない。むしろコスパも操作性も最高の部類だ。2本目3本目にも最適だろうと姉さんは話していた。

 

「エルヴァ先輩、私のも試してみて下さい。それで率直な感想を」

 

 ホタルコ先輩だ。それで姉さんは『Tornado』を受け取ると『Blow By Blow』から『Scatterbrain』という曲を弾き出した。軽音楽部でも数人しか知らなかった。

 

「これってある意味テレギブですよ。もっと言えばスティーブ・ハウが使っていた改造テレかな?」

 

 そう言って今度は『Tormato』から『Dont Kill the Whale』を弾き始めたが、私と姉さん以外誰も知らなかった。『yes』を知らないなんて悲しいぞ。それではと姉さんは『ユニコーン』の『ヒゲとボイン』を弾き語りした。これは皆んな知っていたので一緒に歌った。

 

「この曲は知っていますか?」

 

 今度は『イージュー★ライダー』だった。これまた有名曲だけど、この頃は知っている人は知っているが知らない人は全然知らない、ある意味不思議な曲だった。発表されたのは1996年。関西や関東の一部大都市圏のFM放送では『PUFFY』とともに繰り返し流されていたが、コンサートに行くほどでもない、この2004年を送る地方の高校生は、まさにデッドスポットで知らない人が多かったのだ。この曲が再び脚光を浴びるのは2005年以降だった。

 この高校時代を取り巻く音楽は、あの倉庫の中で置き去りにされたギターと同じだった。バンドブームも何もかもが終わった頃だった。もう社会現象になるようなヒット曲が出なくなって久しい頃だったのだ。

『時代の先端を行っている』『全く新しい何かだ』、そういうのは無かった。どこかで聞いた何かの焼き直しか、何かと何かをくっつけたようなミックス。大御所は健在だったけれど、ピークは過ぎている。自分達の時代を鮮明にしてくれ、『音楽って楽しい』、そう思える曲がなかった。

 だからだろう。知っている人が口ずさむこの曲の歌詞に涙が出て来た。何人かが同じ気持ちだったのか目尻が光っていた。後で姉さんにお礼を言えば、『私は『Steppenwolf』の方ですね』と返された。意味がわからなかった。そして『Pacifica』に興味を持った人の質問に答えていた。吉川先輩までが質問していたので面白い。

 

「じゃ、エルヴァ先輩。本当の狙い目は『604W』ですか?」

「はい。予算もあるでしょうし、最初の1本には厳しいですが、井上さん(ホタルコ先輩の事)のような人が2本目に選ぶとするなら『604W』や『904』は十分な選択肢です。中古の掘り出し物があれば私が欲しいですよ」

 

『112』よりパーツの精度が上がっているだけでなく、この頃にしかなかった『604W』と『904』は、スタジオ・ミュージシャンの武器になって欲しいというコンセプトが結実したモデルだそうで、30年~40年と使える楽器だと言い切っていた。ミソはリアのピックアップで、それがハムバッカーでなくシングルが2つだったのだ。つまりタップしても細くなり過ぎず、ストラトと同じ『SSS』として使え、ここぞという時はハイパワーなハムバッカーとして使えるという面白い構造になっているのだった。ただし今年で終了。店頭在庫限りだという。

 想像しうるに弱点はハムにした時の音量差だろうか。たぶん『112』はそこを考慮してリアのターン数が最初から少ないと思う。後年の『112V(※)』以降は特にだ(『112』の方が少しゲンキな音がするように思う)。理想はアメリカの姉さんみたいに、タップ時に使われないもう片方のターン数を減らし、磁力を弱める事だ。これでハム時の音の大きさが抑えられる。とは言え大手メーカーが10万円以下で販売しているのだ。フロントやミドルと同じくポールピースがマグネットになっている時点で素晴らしい。姉さんがホタルコ先輩に薦めるには十分なギターだった。

 

※)『112』は1995年。『112V』は2008年から。アメリカで暮らして10年くらい経った後に出た『012』や『112J』はセラミック・マグネットだった。ピックアップの下にバータイプの磁石がドーンと付いている。なので見た目こそ懐かしの『旧112』だけれど、出て来る音はショボいし反応も悪かった。ミニアンプでなくもっと大きなアンプで鳴らせばすぐにわかる。本当の意味での廉価版だ。それでも同時期の『Squier』より、木材は良く作りも丁寧だった。何より規格がちゃんとしている。高校生の頃は気付かなかったが、『Epiphone』の廉価版と『Gibson』とではピックアップのサイズが微妙に違う。金型が違うのだと思うが、『Epiphone』に『Gibson』は乗らない時がある。アメリカの姉さんはこんなのも黙って調整していたのだ。

 

 なお姉さんの『112』に対する総評は、『全体の作りは105。それをSoraクラスの完成車価格で出して来た』『特にネックは105を越えてULTEGRAに近い』だった。私にはよくわからないが、数人の男子が『オ~』とか言っていたので納得できる評価だったのだろう。

 姉さん達が帰った後、私達も音楽室を閉めて下校した。試験は今日が折り返しだった。そして家に帰ったタイミングで宝具にガコンと何かが届いた。何だろうと思いつつ自転車を片し、食堂にいたアーチャーさんに挨拶をしてからその場で出した。メーカー不明の『ES-175』っぽいギターだった。誰から?

 

 

 

『Thanksgiving Day』に於ける料理は、正に日本の御節料理だった。とにかく大量に作った料理を木曜の夜から金・土と食べ続ける。ホッとできたのは土曜日のご近所パーティだけだった。家ごとに違うと思うけれど、木曜は家族と、金曜は親戚も集まって、土曜日は友人達とという人が多いらしい。モニカさん達もそうみたいで木・金は私達だけだった。でも土曜日はマリーさん達やケリィの家の人達と集まって庭で4時間くらいぶっ通しでパーティーをやった。

 毎日毎日お腹はパンパンだし、翌日の朝のトイレは争奪戦だ。パミちゃんがどうしても無理というので、昨日の朝はちょうど階下のトイレに籠っていたフンボルトに、私とパミちゃんの腸の中身を押し付けた。流れないほど出たと大騒ぎだった。ごめんなさい。でも長いんだって。長いと言えばリンさんだ。2階のトイレを独占だった。だからフンボルトは階下に行った。かなりモニカさん達に迷惑を掛けたようだけど。幸い1階はトイレが2ヶ所あるので良かった。

 だけど問題はシロウさんだった。とにかくリンさんが長い。だから新聞紙とペーパーとナイロン袋を持たせて、庭の木陰で頑張ってと薦めた。人生には絶対に敗走できない場合があると思うのだ。それで昨日、シロウさんはリンさんとロクに口を利かなかった。勿論原因はリンさんにある。私もパミちゃんも困った。だからシロウさんが怒っている理由はちゃんと考えてと話した。

 

「ほんとゴメン……。あんた達にも迷惑掛けたわね。これが長い一人暮らしの弊害よ。普段から便秘気味な上に長くてね。倫敦でも数回これでケンカしていたのよ。でも、まさかそこまで切羽詰まっていたなんて。それであなたはどうしたの?」

 

 それでフンボルトに私とパミちゃんの分を、魔術で押し付けた事を明かした。

 

「なんて便利な魔術……」

 

 呆れつつも羨ましげだった。だろうと思う。奥の手と言えば奥の手だけど、便利なのは事実だ。少々気の毒なのは、いつまで経っても終わらないフンボルトだけど、彼も長過ぎなのは問題がある。それだけ皆んな食べていたからだけど。ともあれそんな大食いチャレンジも終わり、本日の日曜日は皆んなまったりしていた。教会に行く人も多いと思う。きっと今日だけはゲップをしても許されるだろう。

 

 

 

 お祖父様の工房で取り込んだ100体が『シュラム』や『ボーデン』側からも取り出せるのをチェックした後、私達は倫敦に飛んだ。

 人格フィルターで口調や性格は『シュラム』や『ボーデン』っぽいが、中身は私の分割思考だ。独立性はかなり高い。今私が使っているこの素体も、『シュラム』に『ボーデン』も、エルマやトロンメルにヴンダーの技術が使われているのでスペックが高い。なので危険な仕事の多い、本物の『シュラム』と『ボーデン』にもその新型の素体を渡してある。

 

『ボーデン』の普段の仕事は、イヴ有限会社に出向している会計監査だ。その監査事務所がお祖父様の息の掛かった事務所なのでいい加減なものなのだが、表向きの数字は綺麗でないといけない。魔術師は色々と大変なのだ。それでそんな『ボーデン』は裏の仕事として、我社に入ってくる産業スパイを探る役でもある。逆に他の企業に侵入する場合もあるので何度も危険な目に遭っている。

 アサシンを1チーム、普段から彼女に貸し与えているのだが、それでも何度か撃たれていた。1度、サブマシンガンの弾を7~8発ほど受けて死にかかった事もある。素体を交換すれば大丈夫なのだけど、それを隠してある彼女のアジトまで何としても戻らないといけない。そのアジトがどこにあるのか私ですら知らない。何よりお祖父様に日本の家族が彼女や『シュラム』の存在を知らない。

 何故なら素体も今の私のように様々なタイプがあって、常時5~6人は別人になれるからだ。恋人と言って良いのか、パートナーと言うべきか、お相手は我が義姉のフリューゲルで、常日頃からエッペルハイムの家に入り浸っている。というか別棟のガレージの上に彼女専用の部屋がある。エッペルハイムの家には、居候でミトとパミのボディガード兼ドライバーとしてバゼットも暮らしているからかなり賑やかだ。今回はそんな彼女が、会計監査に使っている表の顔、やり手のキャリア・ウーマンの素体モデルを使っている。銀髪ロングでサイドのレイヤーがバッチリだ。

 

『シュラム』はフワフワなクセ毛で長さも短く肩までない。子供の頃に初めて造った素体に、試しで入れた分割思考が元で、そこから素体がグレードアップする度に入れ替え、人格もバージョンアップしていった。その人格の骨格となっているのが、寝物語で聞いていた『アーサー王』の子供だった。それは子供の私が考える範囲の想像上の存在だった。だけど現実にモードレッドを知って、そんなに外してなかったなと我ながら感心したものだ。つまりボーイッシュな『ボクっ娘』だ。モードレッドみたいに悲惨な思いをしていないので、聞き分けは良いし素直だ。

 そしてそんな『シュラム』の初期人格を元にして47番の人格を造った。幼馴染みはいるし友人もいる。だけど魔術師の私には親友が居なかった。だから『シュラム』とはいつもお喋りしていた。そしてそんな2人を優しく見ているお姉さんが『ボーデン』だ。2人もママがいるのに、私は『母』という存在や『姉妹』という存在に憧れていた。当時はそんなのいるはずないと思っていた。だから『シュラム』であり『ボーデン』だった。なのに実の母や父、姉が本当に居た事に嬉しく感じる前に戸惑った。それに父がしていた事を知って腹がたった。政治も経済も知らない、生涯貧乏人確定の『合わない』タイプだった。それが逢った瞬間にわかったから、できる限り口を利かないでいた。だけどミトやパミが次々と折れて……。

 

 8歳の頃は50番辺りまでで手一杯だった。思考そのものは百分割でも2百分割でも可能だけど、自分の中で育てた人格が100番まで揃ったのは13歳の頃だった。今の私は18歳。以前より精緻で高度な魔術が使える。それでも分割思考に人格を被せて出そうと思えば、数が限られていた。私が2.5番なら『シュラム』が0.5番、『ボーデン』が1.5番だろうか。これ以外に29番(ミト)や31番に47番が古株だ。59番(トリンキン)に83番(パミ)、89番に97番は聖杯戦争の頃に造った急拵えの人格だった。だから間の番号は後で埋めた。素数から先に使うのは私の趣味だ。

 そんな急拵えだったトリンキンが、今はネーベルさん(義姉のフリューゲルの乳母というか養母)の癒やしとなり、パミはミトとともにイヴ有限会社を引っ張ってくれている。これ以上の人格を外に出す事はない。101番と番号は振ったが、エルマやトロンメルにヴンダーは、完全に私とは私とは別人格で魂もコピーではなくストックしてあった分を使っている。身体も私のとは別個の、素体と言うよりホムンクルスのそれを私に似せただけだ。

 ちなみにエルマの前世は私の前世の妹だ。それが何故か今世では『愛』になっていた。たぶんホムンクルスとしての本能、造物主(鋳造者)への敬愛が変化したものなのだろう。だけど少し重いので、少々イジってエルヴァに押し付けた。するといい感じになっていた。だから心に疵を負ったトントの治療に役立てばと、トントをモデルにした人格をトロンメルに与えた。仲間は作れるのだが、気難しく問題行動が少々あった。なので環境を変えてみようと凜に預けた。でも効果はいまひとつだった。そこでエルマをあそこまでにしたエルヴァの顔が浮かんだ。送って正解だった。

 

 先日、世界を震わせる大きな『響』が発生した。『現象』起きてからずっとなのだけど、あそこまで大きなのは初めて観測した。そして夢の中でエルヴァ達のセッションを見た。トロンメルはトントの事もあるから元々だろうけど、まさかエルヴァ達も音楽のブームが来ていたとは。『自然の触覚』というのもあるし、元が私というのもあると思う。だけど47番そのものの日本のエルヴァならいざ知らず、アメリカのあの子までが。しかもあのフンボルト君がギター工房を開くって? きっとお祖父様がノウハウのノートや資料などをお持ちなのだと思うけど短期間であそこまでとは。まるで『宝具の中に入って睡眠教育』をしているかのようだ。いや……あの子か。あのパミとエルヴァがそうしたのか。なるほど。

 

 

 ヒースローからシティへは地下鉄を利用した。馬謖は目をくるくる回していた。ホテルに荷物を置いて外に出た。今回はハイド・パークの北側にある、一泊35ポンド(5千円弱)の安いホテルだ。安過ぎるのも考えものだが、相手が魔術師の場合高い方が危険度が増す。術のランクが上がるからだ。それにこの身体は『エルヴァ』ではない。『シュラム』も『ボーデン』もいればアサシンも2人いる。なのでもう1軒ホテルを取った。そちらが少しランクが上だ。

 そのランクが上の方に私と『ボーデン』、馬謖と百貌が入った形にする。実際は会議室でありアジトだ。安い方には、『シュラム』と呪腕が入った形にする。実際はそちらに実行部隊が入る。今回は私と『シュラム』に呪腕と百貌だ。そのホテルは夜の侵入が容易く、公園が近いので追跡者をまきやすいのだ。

 やる事はひとつ。病院に侵入して寝ている要人を入れ替えるだけだ。厳重な警備も監視モニターも関係ない。空間をトバして入れ替えるだけ。つまり病院外にいる私や『シュラム』の目となって病院内に侵入するのが分裂した百貌で、私と『シュラム』を警護するのが残った百貌と呪腕だ。こういう形で今後も北半球の大都市を廻る。

 今回リストアップされた人物は主に英国人だ。それもこの倫敦に集中していた。現段階では時計塔に明かせないので、妙な出逢いがない事を祈っている。だけど私の魔力波や幽紋に霊波、霊基構造は前回で掴まれていると思う。なので細心の注意を払って行動した。特に初日の今夜がキモだ。まだ誰も気付いていない今夜こそ。

 

 

 それで空が白むまでに半数の50人を入れ替える事に成功した。更にその翌日もコンスタントに仕事は進み最後の1人を入れ替えたところで魔術(使い魔)に拠る呼び出しを貰った。指定された場所は近い。この日は『ボーデン』と行動をともにしていた。

 

「エルヴァ殿?」

「知り合いです。行ってみましょう」

 

 それでチェルシー橋の横を走る貨物列車用の鉄橋の下に向かった。もうじき明けるのだろう。東の空が少し青い。明星の輝くテムズ川の対岸にはバターシー発電所が見える。すると黒いスーツに黒いコートを羽織った長身の人物がタバコを捨ててこちらに歩いてきた。横にはいつものようにフードを深くした少女がいる。

 

「ポイ捨てするな。大英帝国だけは何をしても許さますってか?」

「む。失礼した」

 

 少女が慌てて煙草の吸殻を拾った。そこへ『ボーデン』が近づき、ティッシュを広げそれを受け取り自分のポケットにしまった。

 

「これでロードのDNAマトリクスは頂きです」

「ちょっ!?」

 

 この時間帯はどこもお店が開いていない。倫敦には缶コーヒーの自動販売機もない。何とも味気ない国だ。

 

「私が誰だかおわかりで?」

「ああ。ミス・アインツベルンだろう? その節は世話になった。ご無沙汰だったな」

「こちらこそ。あなたを差し向けたのは、大師父?」

「その通りだ。邪魔をせず、仕事上がりに声を掛けろとな。君が何をしているのか、理由だけが知りたい」

「すっきりしたいと? 愚痴を大師父に零されましたか?」

「ああ、それで君の座標を知らせて貰いつつ追跡していた」

 

 おそらくロードは『現象』に違和感を感じ独自に調べていたのだろう。だけど今に至るまで答えは見つからず、昨日あたりに愚痴を漏らした。それで大師父は関係者がちょうど倫敦に来ているそとでも話したのだろう。となると大師父を交えて話した方が早いか……。

 

「話すのは構いませんよ。大師父も交えて話しましょうか?」

「構わないのか? 純粋に私の好奇心だけだが?」

「だけどあなたは『世界が変革』されて行く事に気付いてしまった。そしてこれが吉なのか凶なのかを知りたかった。でしょう?」

「そうだ。だが、それ以上に気になる事がある。これは『魔法を超えた何か』なのか?」

 

 鋭い。

 

「坊主も言うようになったのぅ……」

「ヤメロ。誰の真似だ」

「冗談ですよ。そうですね。今日が良いですか? それとも明日? スラーに伺いますよ?」

「助かる。では明日の、そうだな……11時で良いか?」

「承知しました。では、明日の午前11時に伺います」

 

 そうして私達はわかれた。大師父の心遣いに感謝だ。他のロードは気付いていないか、気付いていても手を打ったという事だ。そうだよね。聖堂教会のバタバタが耳に届くには後数日必要だろう。エジプトのあの人は大まかな動きを掴んでいても、急に未来が読めなくなった事に動顛していそうだけれど。

 ホテルに戻った私達は一眠りしてから朝食を頂いた。毎度のイングリッシュ・ブレックファーストだ。どうって事のないトーストに、脂ギッシュなソーセージが2本と黄身の色が薄い目玉焼き、カリカリのベーコンにブラック・プディング、そして焼きトマトと焼きマッシュルームにカップの煮豆。見てくれは最悪の部類だが、このホテルのは素材が良い。テーブルの塩とビネガーで十分美味しく頂けた。

 

「このホテルは当たりね?」

 

 これは『ボーデン』。『シュラム』と馬謖は別のホテルだ。

 

「そうですね。お昼はどうしますか?」

「昨日は馬謖と中華だったの。あなたと『シュラム』は? モダン・ブリティッシュとか?」

「ハサン達をインド料理店に放り込んでガストロ・パブですね」

 

 何でも美味しいとは行かないが、2000年以降東欧やアジア、中近東からの移民が増えつつあった倫敦は、以前より美味しく頂けるものが増えた。まだまだ先の事だけれどフィッシュ&チップスが急に美味しくなったのは2010年以降だ。その理由がサブプライム住宅ローン危機の影響で移民だけでなく出稼ぎの人がぐっと増え、以前より多国籍になったからだった。もっと詳しく説明すると、都会の三次産業だけでなく一次産業に従事する人が増えたからだ。

 昔の英国料理が美味しくなかった理由は、国民の保守性と英国の風土、それと産業革命にあると言われる。まず英国人は変化を好まない。食事に限らず、その家にある昔ながらの生活スタイルを頑なに守る。これはフランスやドイツにも言える欧州人気質と言えるだろう。次の風土。これは気候といってもいい。とにかく野菜が育たない。なので輸入に頼る事がほとんどなのだけど、その昔は南仏やスペインで採れた野菜が、英国に届くまでに傷んでしまう場合が多かった。なので茹でる。とにかく消毒も兼ねてクタクタになるまで茹でる。或いは焼いて焼いて焼きまくっていた。味付けなんて後で良いから、とにかく先に火を通す。それが絶対だった。そんな風習が残っていたという事だ。そして最後の産業革命。これで工場のある都会と田舎の人口比が逆転してしまった。それで多くの郷土料理のレシピが失われたのだ。

 だから新しい英国料理を作ろうという動きが90年代よりあった。それがモダン・ブリティッシュだ。この2004年はまだまだだけど、オリンピックの前後に一気にレストランが増えた。そして一次産業の話だ。漁師がまともなシメ方を知らないのだ。血抜きもいい加減だし、神経シメを見て残酷という始末だった。英国は海流の関係で魚介の種類が限られるというのは半分ウソだ。シメられないので釣った魚がすぐに不味くなるからだ。ところが移民とモダン・ブリティッシュの動きが、とうとうフィッシュ&チップスまで美味しく変化させたのだ。と言うか魚の切り身に塩を振って、ペーパーで拭いて臭み抜きをして、下味をつけてから揚げる。この当たり前の事ができないのが保守的な英国人だったのだ。

 だから英霊のシロウさんが、倫敦留学中にしっかり下拵えしたフィッシュ&チップスを友人に振る舞って大絶賛を受けたとの逸話がある。その時先生やルヴィアさんも居たそうだが、かなり呆れていたらしいと聞いた。あの有名なハギスにしたって、内蔵をしっかり洗って、下茹でを何度かしてから、ハーブと混ぜる下拵えをしっかりすればかなり美味しい。私は最後にブイヨンやソースで煮込んでいる。スコットランド料理でなく、もはやそれはイタリア料理だと言われるが。

 そういう事で、徐々に美味しいものは増えているけれど、一次産業がダメダメなので鮮魚や野菜には期待できないのがこの頃だった。お肉は美味しいと言うけど、どうかなぁ? 和牛とアンガス牛にオージービーフを知っている身となるとなぁ。ローストビーフなんて、料理というより焼き方の問題だろうって思うし。それにあれを頂く時に、妙なソースはいらないから、大根おろしとポン酢が欲しいと思うのは私だけじゃない筈だ。

 

 

 それから私達は部屋で少し休憩してから、『シュラム』と馬謖と合流するべく倫敦の街を歩いたのだった。それで無事合流後にロード・エルメロイⅡ世先生と、拙子(グレイ)に出逢った事を話した。

 

「へぇ~、この世界の拙子は少しは話すの?」

「会話に加わっていなかったわね」

「やっぱり。ボク、あの子の声を聞いたことがないんだけど。セイバーに似ているの?」

「どうだろね? シロウ、シロウ、シロウ。ジント、ジント、ジント。あんまり変わらない?」

「そうなの? HONDAの教習車に乗っていそうな……」

 

 何だ? この2人、バグってる?

 

「ねぇ。デンマーク・ストリートまで行ってみない?」

 

 楽器店の集まっている一画だ。

 

「良いね、そうしよう!」

 

 おいおい、もう『影響』を受けてるのか。仕事が終わってホッとした隙きを突かれたって感じだね。参ったなぁ……。とはいえする事もないのでデンマーク・ストリートまで歩いた。ハイド・パークの端から1kmちょいだ。構図としては前を女の子3人が歩き、その後ろを男性3人が着いてくるって感じ。キャピキャピ話しているうちに、お目当てのデンマーク・ストリートに入った。

 アコースティック・ギター専門店の横にバイオリン専門店が並び、その横のエレクトリック専門店のウィンドウには『Fender』や『Gibson』でなく『Burns』が並んでいたり、『Gretsch』やたぶん英国のメーカーらしきホロウボディばかり並んでいるお店があったり……見ているだけで楽しい。北京のあそこや東京の御茶ノ水とは違い、ああ音楽の街だなって素直に思う。何よりお店同士が近く、こじんまりとしているのでナッシュビルより落ち着く。アメリカのあそこはヒドい。お店の一つ一つが見本市の会場かと思うくらい広い上に、ブースの前と左右に天井までシンバルだけなんてところがあって、何か怖かった。圧倒されてブルッと来るのだ。

 ところがこのデンマーク・ストリートにはそれがない。

 

「エル~、900ポンドだって。払っといて」

 

 何、勝手に買ってんだよ!? ケースに『Gibson』って思いっきり入っているし。ん? 900ポンド? 安くないか?

 

「『シュラム』、何を買ったの?」

「ん~。1PUの『Jr』だよ。ボク、これが前々から欲しくてさ」

 

 そうだね、本物の『シュラム』は数本持っていたよね。再生産モノだと思うけど、ウマいこと見付けるなぁ。とは言え、中身は分割した私でしょう? フィルターだけでここまでになる? 『現象』恐るべしだ。

 

「うわ、見て見て」

 

『ボーデン』の声で彼女の指差すショップのウィンドウの奥を見た。ヴィンテージ専門店だ。

 

 蓋の開いたケースを先客が物色していた。手書きの札に1959とあり、その下の値札は8万ポンドだった。日本円で1千万超。見ている人は名前が出て来ないけれど、どこかのバンドのギタリストだ。それもアメリカの。その横もその更に横も、全部59年や60年の『Les Paul』だ。そのどれもが蓋が開いていて、この人が悩んでいる最中だった。どれも9万ポンド前後。それもブックマッチの片側だけに杢目があるパターン。

 ん~。ステージでは使わないけれど、レコーディングには使いたい。音出しはチェック済み。最後に傷や杢目で悩んでいるって感じ。

 

「だめだ、決められない。なぁ、君達ならこの3本でどれを選ぶ?」

 

 3人揃って指差したのは、銀色のハットノブが特徴の、やや色合いが濃い目のものだった。タバコとまで行かないようだけど端は茶色い。珍しい色だ。杢目がはっきりしないから少し安くなっているのだと思う。

 

「どうしてこれなの?」

「杢目はイマイチですが、トップのハードメイプルとネックのマホガニーがいい感じで枯れているような気がしました」

「このピックアップ、バーストの3より巻かれている気がするなぁ。絶対に良い音が出るよ」

「それに回路がオリジナルだと思います。大事に使ってあげれば、まだまだ現役で活躍しますね」

 

 立ち上がったお兄さんは満面の笑顔だった。

 

「決めた、これにするよ」

 

 そして私達をハグして握手してくれた。背が高く大きな手。でもとても繊細で柔らかな指だ。やっぱりプロのギタリストだ。お兄さんがカードの手続きをしている間に私達は御暇した。

 

「誰だっけ?」

「ね? どこかで見ているのよ」

「思い出せないなぁ」

 

 その後私達は、お昼の時間になるまでお店を回った。

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