宗教的な瞑想状態に限らず、人が幸福を感じるために必要な脳波は『α波』『θ波』だと言われている。そしてこの脳波パターンは女性がオーガズムを感じる上でも必要なものだ。つまり究極のリラックスと心許せる人が居るという安心感があって得られるものなのだ。そしてそこから陰部神経、骨盤神経、下腹神経、迷走神経などから得られた刺激により、脳はセロトニン、ドーパミン、オキシトシン、フェニルエチルアミン、βエンドルフィンを分泌する。これらのホルモンが相互に作用し脳が『イク』。
違う言い方をすれば、心許せる安心感が脳波を9~11Hz(α2)程度にクロックを落とすのだ。この状態で陰部神経(クリやUスポットやカリナ)、骨盤神経(膣全体と内部の各スポット、一部子宮頚部=ポルチオ)、下腹神経(子宮頸部=ポルチオと子宮そのもの)、迷走神経(子宮頚部=ポルチオ)などの末端神経に刺激を受けると脳波のクロックを更に落とす。そして分泌されるホルモン(脳内麻薬)の助けを借りて、脳波をいよいよ4~6Hz(θ波)まで落とす。これは瞑想中の修行僧に近い脳波で、そこに個々に合った脳内麻薬がドパドパ注がれている状態だ。やがて刺激と麻薬が渾然一体となって『イク』。人によっては生命維持のためにシャットダウンされる(失神)。つまり女性の脳が『イク』とは、『悟りなき覚醒』にも近いのだ。なので、ものを知らないのに本質を突いているなぁと思わせる女性がまま見受けられる事となる。
アインツベルンは諸子百家とも言えるくらい多岐に渡っている。だから一門の個々は目指すものが同じでも、アプローチがバラバラだった。そんな中に、セックスからオーガズムを得て根源に向かおうという家もあったのだ。そんな家の研究成果が頭首である家に集まる。それで『エル(私)』は無駄にこういうのが詳しいのだった。
47番の分身がモニター状態にされていたのは、おそらく彼女で実験をしているからだ。根源を求めているのか、或いは人類が得られるであろう最高の幸福を調べているのか……そこはわからない。たぶん後者だと私は睨んでいる。何故ならこの世の誰も『最高の幸福』なんてものを知らないからだ。そもそも定義できない。性感帯も神経経路も人それぞれなら、脳のニューロンや感じ方も人それぞれなのだから。このように性に限っても十人十色なので、当然幸福の感じ方も十人十色となる。
これは美味しいと感じる味覚でも言える事だ。だからシロウさん(魔導師の夫)に付いて学んだ。だから私のような別物を造っては中華料理やフランス料理を学ばせた。
『どんなに優れた料理人でも、100人全員に『最高に美味しかった』とは言わせられないんだ。100%の満足は与えられないんだ。でも努力すれば80%には近づけられる。その人の国や郷里、育った街や村、そこの歴史とか様々なデータが揃い、その日の体調や腹の空き具合まで見越せばな。まるでどこかのクルマみたいだって? それはそうだよ。だって食べてくれる人は多種多様なんだから。だからだろ? ちゃんとした料理ほど皿が多くなるのは。以前見本で造った本膳料理の三汁七菜なんてその最たるものだ』
本膳料理とは室町時代から発展し(始まりは平安時代まで遡る)、江戸時代に完成をみた、和食の『作法』と『配膳』などの形式を、当時の武家や殿上人や寺社仏閣に関わる人の思想を取り入れ定めたものだ。なのでその特徴は料理そのものでなく、食事を摂る行為、即ち先の『作法』に『配膳』、『順番』などに重きを置いている点だ。時代的にその元は儀式性が高いものだった。それが徐々に『食べないもの』や『食べてはいけないもの』が排除され(神饌など)、現段に残るような形式へと変化したとされる。よって盛り付けられる料理も現代だと、懐石料理や会席料理と被るそうだ。
というか、和食の改まった形式が本膳料理で、茶席で供されるものが懐石料理、そして時代が下り庶民がちょっと贅沢を楽しむ宴会料理が会席料理だ。またこの『改まった』部分が『格調高い』、『格式が高い』と捉えられるので、その作法の一部が庶民も行う儀礼などに広まっている場合が儘あった(婚礼の三三九度の盃など)。よって本気で勉強した人でないと本膳料理とは何を言うのかわからなくなる。
家庭料理に言葉として入っているものに一汁三菜があるが、これは椀物が一つにおかずが三品という意味だ。ご飯とお漬物は数えないので、現代だとおかず三品はかなり贅沢だと言える。そして『御饗し(おもてなし)』の言葉にあるように、本来は饗宴のためのものであるから、膳(一人用のお膳)が多いほど豪華と見做されがちだ。文献には最高七膳あったとか、三汁十一菜あったとかされるが、『そんなに食えるか』と、本当にあったかどうかかなり疑問視されている。
ただ宴会は『酒礼(乾杯など最初の酒・食前酒)』から始まり、饗膳(膳部ともいう。食事からデザートまでを指し、間に入るお茶の濃さや順番もあった)に入り、酒宴に至る三部形式が今も残る。
この現在の本膳料理に最も多いのは二汁五菜の膳組だ。本膳(一の膳)には『なます』『汁』『坪(ひら)』『飯』『香の物』が乗り、そこに二の膳の『猪口』『平』『汁』、そして脇膳として焼き物膳が付く。『なます』は酢の物や和え物の事で、魚が使われる場合は『鱠』と著し、野菜のみの場合は『膾』と記す。『坪(ひら)』とは煮物やしんじょ、蒸し物の事だ。二の膳の『平』も同じような物だが、本膳料理ではこう表す習わしだ。容器は必ず蓋付きのものを使用する。本膳に付く『坪(ひら)』は字のごとくツボとも読めるので壺型の容器を使う。『汁』は椀物であり、本膳では味噌汁が多く、二の膳(最後の膳)では必ず吸い物となる。その昔、庶民がどぶろく(にごり酒)の時代には、透明な清酒は高級品だった。なので大名とは言え、お酒は食後に嗜むものだった。その酒を味わうために、口当たりの良い吸い物で食事を締めていたのだ。そこから吸い物は食事の締め、或いはお酒の始まりの合図とされていた。『飯』はご飯で、『香の物』はお漬物だ。
次の二の膳での『猪口』はお酒のお猪口ではない。お酒は最後だ。これは『ちょく』と呼び、猪の鼻面に似た容器を使う小鉢料理を指す。確かにお酒のお猪口と似た形ではあるが大きさが違う。それと似て二の膳の『平』も本膳の『坪』とは違う中くらいの平皿に盛り付ける場合が多い。これは本膳に五つも容器が乗るので、三つしかない二の膳を豪華に見せる意味もある。
『ある意味、『猪口』でセンスを見せ、『平』で腕を見せるんだ』
『なます』を刺し身にしても、焼き物膳の『焼き物』に凝ってみても、ある一定レベル以上の腕があると、その差は鮮度と熟成具合という、即ち素材の善し悪しに大きく左右されてしまう結果になる。だからシロウさんは『猪口』や『平』に『坪』が大切なんだという。
最後の焼き物膳は脇膳なので一品しか乗せないし、『汁』が付かないので『三の膳』とは絶対に言わない。もし、『汁』がないのに二の膳や三の膳と称する本や解説書があったら窓から棄てるか焚書しろと教わった。またこれは宗教的、御呪い的な意味もある。命あるものを焼く。つまり火葬なのだ。生きるためには食べなければならない。だけど『穢れ』を同じお膳に乗せたくない。懐石料理の『向付け』も同じ意味だ。当時の宗教観と人々の心理がわからないと、どうして別の膳にしたり奥に置くのかがわからなくなる。この『穢れ』の心理が、プレート料理や丼ものを下品と見做す真相だ。そしてそれをして『古い』とか『迷信』だとか、私達魔術師は一概に言えない事を知っている。むしろ日本のこういう文化から気付かされた点も大きい。
『時代が下ってさ。西欧ではコース料理になり、日本では懐石を取り入れた会席料理になっていった訳だけど、中華料理もそういう場では何皿もガーッと並べるだろう? 満漢全席とか宮廷料理が多種多様に並べられるのも、100パーセントの満足なんて全員に与えられないって料理人が知っているからなんだ。逆に一汁一菜や丼ものだと、自分の好みを注文するか作るかするだろう? 味が60点でも好きなものなら食えるし、価格とのバランスでどうにか営業できる』
並行世界には様々な同一人物が居る。だけどここまで料理を極めた『衛宮士郎』はこの人しかいない。そんな人が、家庭料理だと何故かお茶碗を左、その奥に椀を置く。関西の定食屋さんか。だけどこれは合理性から来ている。ワンプレートにはしたくないけれど、ササッと食べられるようにとの配慮だ。と同時に定食屋を開いた場合、この方が回転効率が上がる。1600年掛けて魔導師の先生に叩き込まれたのだ(ソロバンを握っているのは先生だから)。
『だけどさ。どんなに腕を磨いても、その客にとっての100点満点はあり得ないんだ。こういうところからもわかるだろう? つまり全員が幸せになる方法なんてこの世にはないのさ。そこを60点から80点までの間で全員が我慢できれば、少しはマシになる。オレはそう思うな』
シロウさんは料理を極める事で、アーチャーに至る目のある『衛宮士郎』の矛盾や、『衛宮切嗣』の矛盾に気付いていたのだ。だから『エル(私)』にこんな話をしてくれたのだと思う。
こんな事を思い出したのは『エル』が47番にさせている事が、何となく『万人の得られる最高の幸福』の調査に思えたからだ。そしてそれは13億の人を抱えるあの国にも活かせる気がした。まだまだ先は見えないが、何かを考えているのだろう。もしかしたら『現象』となった『私』ともコンタクトを取って相談しているのかも知れない。
シェロやミユを迎えた晩餐会を終え、そろそろ部屋に戻ろうかという頃でした。セバスチャンがお客様がお見えだと言うのです。シェロとのお付き合いを戻った父も認め、正式に両親から再度お認め頂け私は有頂天でした。だって帰るまでに婚約を済ませなさいとまで言われたのですから。またそれはミユのためでもありましたの。エミヤ・ミユでなく、今のミユはミユ・エーデルフェルトです。その名を正式に使えるようにするという事ですの。そして母はミユに言いました。
『正式に当家の一員となるならば、あなたにどのような魔術が向いているのか、あなたが当家に何ができるのかを見定めねばなりません。そのための調査はここに滞在する間に行いますが、その後の教育は日本で行えるよう専門家を遣わせます。その方々を家庭教師として、学校の勉強とは別に学ばねばなりません。遊ぶ間が失くなるかも知れませんが、耐えられますか?』
ミユは私の手を握りしっかりと『kyllä』と答えたのです。スオミの『yes』は少し変わっていまして、一人称単数形で動詞を返したり、三人称単数形で動詞を返すのです。ですので文法に詳しくない、海外の方は『joo』と返すのが普通ですの。あのエルヴァさんもそうですのよ。なのにこの時のミユは『kyllä』と。これは『その通りである』『間違いない』という強い肯定の意味です。母が思わず屈んでミユをハグした事も、リューリィが口を丸く開け固まったのも、私が感動のあまり紅潮したまま涙を流した事もお見逃し下さい。言語が正しく使え、相手に気持ちまで伝わる事の素晴らしさ。サファイアは本当に素晴らしい。そんな感動に皆が包まれた中での来客でした。それは……なんと驚きの『エルさん』でしたの。
セバスチャンにゴージャスな毛皮のコート(おそらくロシアン・セーブルで最高級のミンク『ソボル』ですわ)を預け、こちらに歩まれました。帽子はアライグマ。手袋はテンでしょうか。膝まであるブーツも鞣した革です。そしてシックな黒い冬用ワンピース(ですが袖はありません)に、魔力のこもったダイヤモンドのペンダント。ですが着こなされていますので成金的な嫌らしさがありません。お見事ですわね。それらの防寒着もセバスチャンに預け、これもおそらくはエルメスに特注したであろう真っ白なバーキンから、幾つかの薬品ケースやガラスケースに機器を取り出され、こう仰ったのです。
「お待たせしました。漸く、フィオレさんを治す準備が整いました」
その後は大わらわ(大童)でしたのよ。治療に向いた部屋を用意し、清潔なシーツにガーゼや煮沸消毒する道具を出してベッドの傍に並べて……と。これは一部外科手術を要するからですわ。フィオレさんの持つフォルベッジ家の魔術刻印は代々足に刻まれるものなのです。それは私どもエーデルフェルトやリンのトオサカと同じく身体の末端の方が、万一の場合刻印喪失を免れやすいという考えに基づくからですの。実際どうだかわかりませんわ。メリット・デメリット、それこそ様々でしょう。今の私はエルヴァさんや『エルさん』のような方を知っている訳ですから、背中やお腹の方が良いのではないかと思います。ですが身体の末端に刻む家が多いのは、その昔はそれが一番安全だと考えられたからなのでしょう。
それでですね、麻酔で眠ったフィオレさんに代わって、妹のリューリィが話すところでは、フィオレさんの魔術回路はそのほとんどが両足に固まっていますのよ。刻印の話でなく回路の話ですわ。これは以前『エルさん』に伺った通りでした。そんなに多くはないそうですが、稀にこういう方が居るとその時もお聞きしました。生憎私はこの手の事に疎いですので、少々驚いたものですが、更に驚くのはこの刻印と回路がバッティングを起こしている事でした。こちらは剥離城アドラで知った事でしたが、やはり滅多に無い事らしいです。ですがそれがフィオレさんには起こってしまった。
元々彼女は健常者で、刻印を受けるまではその足でちゃんと大地を歩かれていたのです。なんと残酷な事なのでしょう。弟さんがいらっしゃるそうですが、その方の才能ではフォルベッジ家のこれ以上の進歩は望めず、さりとてそれで二度と歩けないというのもどうなのか。プラハでお荷物扱いされ頑なになるばかりのフィオレさんは、リューリィと出逢うまでずっと孤立していたそうです。友情なんて魔術師には関係ないなんて申せます? 今の私もリンが居なくなれば……。エルヴァさんやマルガリータさんが居なくなれば……。それが弱さだと笑うなら笑って下さって結構ですわ。ですが、そこから得られる強さこそが本物の強さだと思うのです。ミユとイリヤやクロエと同じです。人はそういうものではありませんこと?
ですのでリューリィの手を握りながら強い瞳で、『エルさん』の施術を受けると言い切ったフィオレさんは立派でした。少なからず、私はそう思います。
「時間が経った理由を先に話します。治すだけなら簡単でした。ホムンクルスの鋳造技術を使って魔術回路入りの足を造り、あなたの足をぶった切って付け替える。そこに少々手を入れた刻印を貼っ付ければ終わりです。ですがその魔術回路はアインツベルンのものです。それは嫌でしょう? ですのであなたの魔術回路とバッテイングしないフォルベッジ家の刻印を新たに創りました。それに元のものより洗練された形で、先祖代々の遺産を刻んであります。改良もしやすい設計です。これをあなたに移植しますので、剥離した元の刻印は弟さんに譲って下さい。そうすればバックアップとしてそちらも活かせます。その上で申します。対価ですが……リューリィさんを通じてエーデルフェルトの眷属に入って下さい。そしてプラハであなたが、時計塔で弟さんが研究を続けて下さい」
「ですが、それですとあなたに何も……」
「いいえ。友情があったとはいえ、アインツベルンのためにルーマニアまで駆け付けて下さったでしょう? あれで十分です」
実はそれよりもっと前からフィオレさんを治すお積もりだったのですが。この方は敵を作るのでなく、皆んなをその懐に入れておしまいになるのですわ。アイスコル家もそうでしたものね?
そうして朝方部屋から出て来た『エルさん』は、『次はサクラ』だと申されてから休息用に用意した部屋に向かわれましたのよ。
「彼女が並行世界の11代目アインツベルン……」
「お父様……」
「この後はメイド達に任せて、リューリィもルヴィアも少し眠りなさい。しかし……1人でこれだけの事をこなすとは……。日本のエルヴァさんの大元……か。お前達、あの方との縁を疎かにしないように」
「「はい」」
そう言い残して父は仕事に向かいました。もうそんな時間ですのね。ファ~~……失礼しました。ミユを連れて出なければなりません。一眠り致しますわ。
朝起きた俺達は親切なメイドさん(一時冬木に居たそうだ。なので俺達の事を知っていた)の案内で、朝食を摂りに食堂に行った。ルヴィアさんの親父さんは仕事でもう出ていったと、残っていたお袋さんに聞かされた。
「ルヴィアさんは?」
「リューリィとフィオレさんが心配なのでしょう。寝ずに待っていたとか。ですが施術は無事終わりました。『エルさん』のお話ですと、リハビリは必要ですが徐々に歩けるようになるだろうと。ですので皆んな今はグースカ寝ている事でしょう」
やった、成功したんだ。あの人なら間違いないって信じていたけど、ホッとした。俺とミユは手を取りあって喜んだ。それを見てお袋さんが微笑みながらこう言ったんだ。
「ミユ。ルヴィアが本日出れなくとも許してあげて下さいね」
まぁ、そこは仕方ないよな。
朝、メイドに叩き起こされた私は、とある老人2人の前で一糸纏わぬ姿になり、肌を晒していた。この検分にはお祖父様の他にあと一人必要なのだが、まさか別の五大老をこんな朝から喚び出していたなんて……いや、全部自分が頼んだことなのだけど。どういう事かって? 要はアインツベルンとして出荷して問題ないという、形だけの検品作業なのだ。まぁ、現代には意味がないのだけど、これも昔あった儀式なのでこうしてお付き合いをお願いした訳だ。一応お触り禁止だ。昔は膣の中やお尻の穴にも指や器具を突っ込まれたそうだけど(鋳造作の場合は今もしている)、その家の娘にまではしないものだ。だけどこれをする事で私はノイントの家と、もう一家から保証された女となる。この信用度が結構大事なのだ。
フンボルトにも話してあるが、お祖父様や一族の方の前で、自分でラヴィアを開くのはなんだかなぁ。しかもこのところずっと我慢しているので、それだけで妙な興奮を喚びトロリと垂れてくる。
「ほぅ。ええ、具合じゃの。ノイント、儂に売ってくれんか?」
「馬鹿言うな。明後日には嫁いでいく娘だぞ?」
「そうか。では諦めよう。ええ子が産まれると良いな」
ヒヒ爺の前でストリップをしているのではない。これらは多少のアレンジはあるけれど全部決められたセリフなのだ。つまり私はそれだけの価値がある女という事だ。この後、首の後に刻印を受ける。お祖父様手作りの私向けにアレンジされたノイント家の魔術刻印だ。そんな風にいうとカッコ良く聞こえるかもだけど、要は出荷マークである。流石に焼印はないが、他家にホムンクルスを売買しているアインツベルンでは、これを当主から受けて家を出て行く。そしてこの刻印は、お祖父様の家では幸福と健康を願ったものでもあったのだ。だから受けたいと申し出た。だからこそ、古式に則って全部再現して頂いたのだ。
髪を持ち上げたうなじがチクチクする。お祖父様が刻印を埋めてくれているのだ。
「これ。手を出すな」
立ち会って下さった五大老の方が私の胸を触ろうとしたのだ。言っておくが、この方は悪い人ではない。ただし並行世界では、『エル』に特注でポコチンを数本頼んで楽しむような人ではあるけれど。
「ノイント。儂は勘違いしておったのか?」
「そうだ。この子はチビと同じでな、ヒトとホムンクルスのハーフだ」
「エルヴァの前にそんなモンがおったのかい?」
「正確にはその前もおったろうが」
「敢えて言わんかったのに。時計塔の魔法使いが絡むのか?」
良い線、突くなぁ。そういう事だ。途中で私が純粋なホムンクルスでないと気付かれたのだろう。だけど、お祖父様は英霊の件に関してはお話にならなかった。
「よし終わった。もう、服を着て良いぞ」
「ありがとうございました。ワガママを言ってしまって」
「いや、懐かしかったぞ」
「ほんに。何十年ぶりの『出荷の儀礼』じゃ。生きとる間にもう一回立ち会うとは思わなんだ。ありがとうな」
お祖父様も大老も目を細めていた。ちなみにこの方の名はジークムンドという。ジークムンド・フォン・アインツベルン。或いはジークムンド・ラファエル・ハーウェイ。4代目アインツベルンと6代目アインツベルンを出した、当家と並ぶ名門の現当主様だった。
「あの、ジークムンド様」
お祖父様の眉がピクリと上がった。
「何じゃね?」
「貴方様にお願いがあります。耳飾り用の穴を開けて頂いても宜しいでしょうか?」
お祖父様が微笑んだ。勿論、大老も。その昔、ここに値札と諸元をぶら下げたのだ。
「人形ではないんじゃろ? ノイントの隠し子じゃろ?」
これは私を笑わせるためだろう。だけど、やはりというかアインツベルンの名は捨てさせて貰えなかった。エルヴァ・ヘーゲルにはなれなかったのだ。だから、気持ちだけは……フンボルトの家に出荷されたというのもヘンだけど、そういう思いで、この儀式をお願いした。それともう一つの理由で。
「お気付きだと思いますが、私は並行世界から流れて来たエルヴァにございます。こうしてお祖父様に後見人となって頂いております」
「そういう事じゃったのか。道理でなぁ」
実は異世界や並行世界に流れたり落ちたりする事故は昔からあったのだ。大抵は魔法使いが通った後に道が塞がっていない場合だが、それ以外のケースもあった。ある意味、だからこそ『第二魔法』の存在が広く知られていたのだ。これは決して大師父(宝石翁)だけの事ではなかったのだ。なのでジークムンド様はすんなり受け入れていた。
「ええ子じゃなぁ。もっと早う知っておれば。ウチの者と娶らせたのに」
「甘いわ。相手はヘーゲルじゃぞ?」
「おお! そう来たか!」
フンボルトの引くアインツベルンの血は、このジークムンド様の家の血なのだった。だから私は婚礼前にこの『出荷の儀式』をしておきたかったのだ。それもジークムンド様立ち会いの下で。だから事情を知ったジークムンド様は丁寧に私の両耳たぶに穴を開けて下さった。それでお祖父様が用意なさった環を嵌めて下さった。
「何かあったら遠慮せず連絡してくれ。こちらも応援しとるからの」
そう仰ってジークムンド様はお供の人と帰っていった。
「エルヴァや?」
「はい」
「正直、嬉しかった。あいつも同じだったろう」
「良かった」
「じゃけど、晒すだけで濡れる程、溜めんでもええだろう? 何日じゃ?」
「もう、かれこれ3週間です」
「初夜でアテるつもりか?」
避妊の術は止めるつもりだったけれど、そんなに簡単に妊娠するかな?
「別にそれはないですが……ただ、気持ちを新たにしたいなと思いまして」
「フンボルトもか?」
「はい。お互いに話し合って決めました」
「あいつもそんな古風な男じゃったのか。気付かなんだわ。じゃけどそこまであいつも溜めとるのか?」
「どうでしょう。自慰は容認しています」
「当たり前じゃ。ジークムンドの色ボケもそのせいだと言われておるんじゃぞ? で、お前さんは? まさか?」
「そのまさかです。私はしていません」
「また、古風な願掛けじゃな?」
初夜を迎えるまで禁欲(その昔は純血を保っていた)すれば、夫婦円満になるという古い御呪い(おまじない)だ。
「ですけど、エルヴァちゃん以降は、こういうのをしないと思いますので」
「そうじゃな。忘れられていく風習だ……。エルヴァ。良い子を産んで幸せになるんじゃぞ」
「はい、お祖父様」
そうしてお祖父様としばしハグしあった。勿論服はとっくに着ていますよ?
何たる恥。昨夜は胸がキュ~ッとなって自分でも抑えられず泣きながら眠ってしまった。なので嫁がれていくアメリカのお姉様から頼まれて手に入れていた『PlayStation Portable』を、子供達に配りそこねてしまったのだ。代金はとっくにお預かりしていたのに……。なので慌てて今朝配ったところだ。とは言え、肝心のゲームタイトルがまだ出揃っていないので子供達は、パミちゃんやエルヴァちゃんから借りたDSかアドヴァンスでばかり遊んでいる。意外だった。イリヤちゃんとクロエちゃんはゲームを持っていないのだ。そう言えば家庭用ゲーム機で遊んでいるのはリーゼリットさんだけだった。ビデオも全部あの人のだと聞いていたし……。ともあれゲームを配り終えた私は、トロンメルに声を掛け朝食に誘った。二重窓の外は銀世界。チューリッヒで12月にここまで積もるのは珍しいらしい。それだけこのお屋敷が高いところにあるからだろうとは通りすがりのメイドさんのお話だ。そしてお姉様はこんな中でも走りに出ていらした。
食堂の入り口で、お戻りになられたらしきお姉様が固まっていた。
「どうされました?」
「あ、あの子……」
指差す方向にはもう1人のお姉様が、フンボルトさんと談笑していた。そしてお姉様が固まっていた理由がわかった。耳たぶに金環が嵌っているのだ。ピアスの穴を開けられたらしい。だけど学園の校則に縛られる事もないんだし、別に良いのでは?
「そう、あなたの記録にはありませんか……古い風習だからなぁ」
お聞きすれば、婚礼前に耳たぶに穴を開けるというのは、そのホムンクルスを他家に売った(出荷した)という意味になるらしい。奴隷かよ。
「そんなのあるんですか?」
思わずトロンメルと一緒にお姉様を見た。コクリと小さく頷かれる。あるんだ……。
「もしかしたら首の後に出荷刻印もあるかも」
お肉のパックのバーコードではないが、肉質等級や歩留まりのように、お姉様のスペックが刻まれているのだとか。アインツベルンはある意味、近代アメリカの歴史の先を歩んでいた。だから、その昔ブルーノ様が海を渡られたのも、そんな古い因習をとっくに打破していたアインツベルンだからこそ、思うところがあったのではないかとはお姉様の解釈だ。大昔は左肩の後ろに本当に焼印を押していたらしい。だけどそれが商品価値を落とすとなって是正された。それで開発されたのがあの刻印らしい。
「まぁ、今となっては健康と幸福を願う願掛け的な側面の方が大きいですけど」
それでお姉様が声を掛け、気を引いている間に黙礼しながら、もうお1人のお姉様の後ろを通った。あった。梳けた後ろ髪の隙間から刻印が見えた。
「彼女を古風だと言わないであげて下さいね。私も結婚する時はしようかなって考えていたので」
「またどうしてですか?」
「あなた達もそうですが、そういうのをエルヴァちゃん達の世代は知らないからですよ。これも年齢差から来るものなのかな? 少なからず彼女は、そういう文献にしか残っていないような事を再現した。この家のためと、嫁ぐ気持ちの現われでしょうね。第三者には理解されないでしょうが、家を護る魔術師として立派だと思いますよ」
確かに。家を護るというのは、物理的な守りだけでなく、こういう風習や因習も引っ包めて護るという意味もある。
「何より、そこにあるのは歴代のアインツベルンの女(ホムンクルス)に課された哀しみを忘れまいという気持ちです。私も彼女なのでそれがわかります。わかるだけに余計立派に感じました」
お姉様がここまで仰る……。私はトロンメルと顔を見合わせ、モソモソと朝食を頂いた。朝食後、クロエちゃんの提案で庭に『かまくら』を作る事になり、子供達4人と私達3人に本日と明日はオフらしいエルさんとモードレッド、そして式を控えるお2人に小父様(お父さん)が外に出た。
「おこたを引いてみかんを食べたいところですが、スイスにはマンダリンしかありません」
マンダリンと言う名のオレンジは、別名クレメンタイン(※)と言って、原産地はインドのアッサム地方なのだとか。東インド会社が持ち帰る前から、アッサムにはアインツベルンの茶畑があり、マンダリンもその頃から食べられていたそうだ。これが中国やアフリカにも伝わり、日本に入ったものが温州みかん、モロッコまで行った赤みの強いタイプがタンジェリンなのだとか。東インド会社では黄色っぽいものをマンダリンと言い、赤みの強いのをタンジェリンと呼んだそうだ。因みにマンダリンとはポルトガル語が語源で『お大尽』のような意味らしい。当時の清朝官吏の衣服がオレンジ色だったので、そう名付けられたそうだ。対するタンジェリンとはタンジールが語源で、モロッコ人という意味だ。絶対、現地のインド人はそんな呼び方じゃなかったと思う。
勿論途中でどんどん改良されたので、タンジェリンと温州みかんではかなり違って見えるそうだが、マンダリンは皮が薄く手で剥けるし、味もみかんというよりオレンジのように濃厚だ。というか新大陸に渡ったマンダリンもオレンジの一種だ。オレンジ(みかん)類は他にスイートオレンジ系(ネーブルオレンジ、バレンシアオレンジなど)やサワーオレンジ系(ビターオレンジやダイダイ、スダチなど)がある。だけどレモンまで行くと違うんじゃないかって思ってしまう。
そもそもリンゴにオレンジ、モモなどの果物はどんな使命を帯びてこの世に現れたのだろうか。鳥が啄んで落とし、獣が貪り、種は肥料を得て新たに根を下ろす。そんなサイクルだと思うのだけど、レモンってこのサイクルに入れるの? 酸っぱすぎない? それでもみかんやオレンジと同じシトラス属だ。では、柑橘類でシトラスに属さないものとなると、有名なのはキンカンだろうか。う~ん……。
「何万年も何億年も前、まだ大陸がくっついていた頃に柑橘類が自然発生し、分化したり自然交配を繰り返して今のようになったそうです。私は生命の意思としての保険がレモンのような気がしますけどね」
「食べられたくなかった?」
「ええ。そこでだけ栄えると言うかひっそりと。第二ファウンデーションのような」
みかんから銀河帝国に行ったよ!? シトラスの中にハリ・セルダンが居たの?!
「ハリ・セルダンかどうかは知りませんが、温存してあった気はします。それに今の酸っぱいレモンは、人が交配したものがほとんどでしょうし」
※)アメリカの曲『Oh My Darling Clementine』は、カリフォルニアのゴールドラッシュ時代を背景にした内容で、砂金を掬っていた男の娘、クレメンタインが川で溺れて死んだという歌詞だ。ところがこの曲のメロディーにある日本人がまったく別の歌詞を付けた。それが『雪山讃歌』だ。しかも作詞者は第一次南極観測隊副隊長兼越冬隊長だった。あのタロやジロと南極に行った人である。
以上が雪を運びながらしていた私の独り言に対するお姉様の回答だけど、保険という部分が妙に納得できるなぁ。ちなみに私達年長組が、子供達の集めた雪を手押し車のようなもので運んでいる。建築現場などで見るあれだけど、スイスにもあるんだよ。それをスコップを持った小父様(お父さん)やフンボルトさんの前に積み上げる。それをモードレッドさんが水を掛けながら固めて、3人でカマクラにしていくという訳だ。サイズは子供達4人が入れるくらい。こんなの知らないだろうと思っていたら、意外にもエルヴァちゃんもパミちゃんも知っていた。知らなかったのは『カマクラ』という言葉だけで(イグルーと言っていた)、水を掛けて雪を固めるのだとまで話していた。
「日本と一部の国が湿った雪で、その他の降雪がある国は雪質がサラサラなんですよ。なので雪洞を水で固めるのは、この国で暮らす人には常識です。圧雪で作るイヌイットのイグルーなどが知られるに連れ、そんな雪洞も随分バリエーションが増えましたね。日本のカマクラも知っている人は知っていますよ」
竈(カマド)のように見えるから竈蔵って初耳だ。そんなの知ってるのお姉様だけだろう?
「私も知っていますよ」
と、ウインクするもう1人のお姉様。やがてフンボルトさんの家族を伴って、小母様(アイリスフィール)達も出て来た。そこから1時間ほどでカマクラができた。交代交代に入り最後は子供達が中で……ポータブルゲームをしていた。何だ、あんたら。私達は苦笑しながら暖かい部屋に戻り、紅茶を頂いたのだった。
夢を見(観)た。いや現在進行系で見(視)ている。
「お姉ちゃん!」
「大丈夫、しっかり走って!」
それは森の中だった。襲って来る敵は死徒(ではないと思うが、頭がオカシイ)となったメイド達。
「メイドとしての使命を忘れ、使途不明に陥るとは情けない」
「お姉ちゃん!」
「でやっ!」
私はメイドの腕をバッサリ斬った。ボタリと落ちた腕は5~6本も竹輪を握っていた。どうして竹輪なんだ?
対する私がその手に握るのは幕末の弘化に四谷正宗とまで称された源清麿が作刀した僅か数振りの内の一つだった。これとの姉妹刀ともども新々刀期の最上作である。ただ、アハトの手の者が長らく森で秘蔵していたので世間では知られていない刀だった。
そして死徒のように吸血をしたいのでなく、人を見付けるとその口に竹輪を押し込もうとする。きっとあれは竹輪型の未知の生命体なのだろう。どのメイドもそれらを咥えて私達を襲って来るのだ。咥える事に拠って意識を奪われ、竹輪の使命に目覚める。ちくわ大明神の祟りだろうか?
私は妹の美遊の手を引いて森の中を駈けていた。その他の人は皆んな……父も母もママも、美遊以外の姉妹も竹輪を咥えて追ってくる。意味がわからない。だけど着物姿で竹輪を咥えるイリヤは、何故か新しい感覚を喚び起こしてもいた。
そしてお約束のごとく崖に追い詰められる私達。
「森にこんな場所ねぇよ。しかも急に雨で雷が鳴ってるし」
夢に突っ込んでも仕方ないのだが、私は美遊を抱え崖からダイブした。
「here we go!」
頭の中で『幻惑のブロードウェイ』が鳴り響いた。これまたお約束の河を泳ぎ切り、美遊の濡れた着物を魔術で乾かし、焚き木も熾した。暖を取ると小腹が空いてきた。懐には奴らから奪った竹輪。
「焼けば、無害になるとか?」
物は試しと串に挿して焼いてみた。それで恐る恐る一口……んまい! なんだコレ? 美味しいんですけど?
「お姉ちゃん、もっと食べようよ」
振り向くと美遊が竹輪を咥えていた。
「痛い、痛い、痛い!」
「エルさん! エルさん! 起きろ! それはルヴィアさんの指だ!」
ハッと起きたら私はルヴィアの指を齧っていた。士郎クン(美遊ちゃんのお兄ちゃん)がめっちゃ怒ってた。スマン、寝惚けてたのだ。血が出るほどでなくて良かった……しかし、なんという夢を。
「すみませんでした」
「い、いえ。もうお昼ですわ。まだお休みになられるにしても、一度食事をなさいませ」
それはそうだなと食堂に3人で向かった。すると美遊ちゃんの横で食事を摂っていたリューリィが立ち上がり、ハグをしてキスしてきた。口の中にまだ残っているのに。このルヴィアの妹は人間的に素晴らしいのだけど、こういう事をやらかす人だった。
「あ、無理しないで」
フィオレが立ち上がってお礼をしようとしたのだ。麻酔が切れて目が覚めていたか。今朝の事なのだから、無理は厳禁だ。この先もまだまだ数ヶ月は杖を使ってリハビリしないと。
「お礼を……ありがとうございます」
そこで日に日に良くなるだろうけど、屋内を歩けるようになるまでに数ヶ月掛かるだろう事と、1年で庭を散歩したりできる事、数年でハイキングにも行ける事を話してあげた。そしてエルヴァの式に参列したいので、本日中にヘルシンキを出る旨を話した。
随分と残念がられたが、次の事を話したら納得してくれた。
「エルヴァはある意味私ではないですか。それなのに参列したいというのは映像を撮らなければならないからです。その理由は先々月より先月、先月より今月と徐々に第二魔法の通りが悪くなって」
「それは『現象』のせいですの?」
「100%そうだとは断定できないですが、種々の要因が重なっているようです。現にあなた方の師匠の凜は数回移動できました。が、今回は無理でした。また、魔導師の先生ですと、もっと以前から完全にシャットアウトです。術者の能力にも反応しているのかも知れません。それと、凜の構築したゲートなら私も通れるのですが、今回はかなり圧が高かった。少し危険を感じたので、来たがっていた姉のイリヤを置いてきました。この世界は既にそういう状態です」
「そんな……。それはいつまで?」
「数ヶ月か数年か……変革が済めば元に戻ると思います。ともかくそういう理由で映像を記録して持ち帰りませんと。姉や家族が煩くて……」
「ああ……」
おそらくこれは外部から来るかも知れない抑止の排除だ。というのは出る分には何ら問題ないからだ。想像するに英霊を押さえているのだから、それ以上レベルの抑止を入らせないためなのだろう。先生や凜は、そこに引っ掛かっているのだと思う。英霊以上となれば、覚醒者や魔法使いも含まれるだろうから。ともあれ私はフィオレに飲み薬のレシピを渡し、昼過ぎにはヘルシンキを発ったのだった。
機内で今朝見た夢の事を考えた。たぶんあの夢は『現象』の彼女の体験が一部混ざっている。私はチューリッヒでパミに会うべきだと思った。
『カマクラ』なるものを作り終え、少々汗をかいた僕は一度着替えに部屋へ戻った。服を脱いで下着をと思ったところで、シャワーを浴びる事にした。そして考えた。僕は現在28歳。後2年で30歳だ。一方、愛するエルヴァは18歳。そして彼女の父であるケリィ(うまく発音できなので、こう呼んでくれと言われた)は40歳だ。そして彼はお嬢さん筆頭に3人の小学生相手に互角で遊べる体力がある。今日なんてパミがいたから4人相手だ。父親はああでないとダメなんだ。それを思い知らされた。
『フンボルト。早く身を固めなさい。子供を早く作らんと後で辛くなる』
お爺ちゃん。義理の妹達と仲良くなれたのは良かったけれど、まったくその通りだと思ったよ。僕がしっかりしないと若いエルヴァに負担ばかり掛けてしまう。今朝も一緒に走ったし、カリフォルニアでもそうだ。でも……彼女の体力に付いていけない自分が情けない。運動量をもっと増やそう。それともっと効果的、効率的になるよう工夫しよう。戻ったらジムに通い、メソッド本を手に入れよう。さすがにケリィのような軍隊式はどうかなって思うけれど、エクササイズくらいは聞いておくべきだな。
サッパリした。タオルで身体を拭きつつ鏡を覗いた。少し髭が伸びたかな。それで髭も剃っておいた。剃っている時、鏡に近づくから下半身も写っていた。ふむ……。
もう一度シャワーで洗い流し、身体を拭いてバスルームから出た。ヒヤ~っとした。元々薄く手を入れてなかった脛毛を完全に剃った。そして刈り込んであったVゾーンも剃り落としたんだ。これでエルヴァとお揃いだ。今になってどうしてかと言うと、これもエルヴァの影響だろう。この結婚にあたってエルヴァが受けたいといった古い儀式……。僕は最初理解できなかった。だけど詳しく説明を聞いて彼女の家と魔術、そしてメイドのホムンクルス達への思いが理解できた。お婆ちゃんがエルヴァを気に入るはずだ。そしてエルヴァが僕には過ぎた子だって益々わかった。なら僕も何かで示さなきゃならない。勿論、こんな事だけじゃなく、今後の態度や行動でも。
着替え終えたタイミングでガチャリとドアが開いた。
「フンボルト?」
「ああ、ここだよ」
「シャワーを浴びてたの?」
「うん。少し汗をかいたからね。下着を換えるついでに」
「急に姿が見えなくなったから」
「ごめん、ごめん。楽しそうだったから、お茶の邪魔をしたくなかったんだ。皆んなは?」
「お昼まで自由解散です」
そう言ってソファーに座るエルヴァ。だから僕も横に座った。少し間隔を開けて。
「ピアスの事、怒ってる?」
「どうして? 事前に相談されて『良い』って言ったんだから。問題ないよ。それに首の後の刻印も魔術師でない僕には見えない訳だし、そっちも問題ないよ」
「良かった……」
「いよいよ明日だね?」
「はい」
「明日は僕が言わないとね」
「何を?」
「『フツツツカモンダガネガエマ~ス』だっけ?」
エルヴァ、大笑いする事はないと思うんだ。
お昼はエル特製のハンバーグだった。本日と明日はお休みだというのに、子供達のためにわざわざ昨日から仕込んであったらしい。牛2:豚1に少々のクズ肉(スネなど)とハーブを混ぜ、塩分は1%。塩を入れてよく練ると結着効果が高まるのだ。そして弱火で13~15分焼いてアルミホイルで寝かせる。『エル』のこだわりレシピだ。これはカリフォルニアで私も作ったのでパミちゃんは食べている。たぶんエルヴァちゃんも何度かエルに作って貰ったろう。だけど付け合せの野菜がジャーマンポテトのチーズ掛けで(ハンバーグにはチーズを使わない!)、ハンバーグのソースがまた独特だ。ハンバーグの上にトマトのスライスを載せた、その上からトマトベースのものを掛けてある。そして大量のマッシュポテト。良いんだけどね……ご飯とお味噌汁が欲しい。だけど子供達にも大人にもウケていた。腕は確かで、やっぱり美味しい。
「あなた以外にこれを作る人っているの?」
「今は数人いるよ。でも捏ねるのはモードレッドが1番かな」
腕力か。私もその点で『エル』を超えたと自負している。となると日本の『エルヴァ』も? そう思ってチラリと見やれば……。
「これって、お姉ちゃんのと同じだよね?」
「でもなんか違う」
「日本とスイスの、お肉の違いですね」
やっぱりそうなるか。日本のとは風味が違うものね。鶏だけだとつくねみたいだから、鶏豚ハンバーグを作ってあげた思い出がある。ソースは照り焼きだった。クロエちゃんもおチビ(イリヤ)ちゃんも喜んでくれたっけ。もう、作ってあげられないね。そっちの『お姉ちゃん』に頼んでね……。
……あんなのパミちゃん、食べるかな? 牛のあばら肉だけのハンバーグは喜んで食べてくれたけど。と言うかアメリカでは、カレーもラーメンも作った覚えがないなぁ。もう少し大きくなったら、フライパンで炒め煮るカレーを作ってあげよう。
『エル』は北海道にある有名店の味噌ラーメンが好きだった。私もあれは好きだったけど、関東に多いあの赤いテントのお店も気に入っていた。フランチャイズなのに店主の裁量が結構自由なのか、お店ごとに味やトッピングは微妙に異なっていた。またあの魔法の粉『クマノテ』も、味変向きで良かった記憶がある。横浜ラーメン(家系)のルーツらしく味は豚骨醤油。でも横浜ほど麺が太くないので、私はこっちの方が好みだった。
この世には思うように行かない事がある。例えば……自分好みの赤いテントのネギラーメンに、これまたフランチャイズで店主のこだわりを感じる◯阪王将の天津飯と、京都本店の餃子を一緒に食べてみたい。天一とぎょうざの◯将ははしごした事はあるけれど、同時に食べたいんだよね。フンボルトもハマるだろうな。それと彼とパミちゃんには、明治や大正から残る名店の日本の洋食も一度食べてみて欲しい。
不思議だ。エルヴァが僕に何かをご馳走したいという気持ちが伝わってくる。
『私だって本当はイヤですよ。ずっとフンボルトに抱かれていたいから。でも、これって昔からある絆や連帯感を高める方法なんですね。その血が目醒れば、私がフンボルトに懐く気持ちが、フンボルトにもわかるかも』
どうやらエルヴァの言う通りだったようだ。今の僕にはエルヴァが何を思っているか何となくわかる。そしてわかると、僕の事ばかり考えてくれる君の真摯な心もわかるんだ。と同時に……これは連動かな? 日本の『君』が妹さん達の事を本気で大切に考えている事もわかってしまう。言葉が正しいのかどうかはわからないけど、僕のアンテナは今が1番感度が良い。愛おしい。早く君と一つになりたい。上辺の性欲でなく、心から……君が欲しくて欲しくて堪らない。好きだ。愛してる。これらの言葉を並べても足りない。今の僕はまさに『見失っっていた半身』を見付けた気分だ。
ああ、これか……。もし僕と君が兄妹としてこの世に生を受けていたなら、これ以上の悲劇はないだろう。どこかのローマ皇帝もエジプトのファラオも、それで苦しみ悩んだんだろうね。そう思った時に、あの日本の『君』の側にいる小学生くらいの妹達の持っていた悩みや、高校生の妹の悩みも見えた。僕は今、魂でエルヴァと繋がっていた。そうか、君はもっと前からこの感覚を知っていたのか。
見える。僕に跨り腰を振る君。それは快楽を貪るのでなく、性器から僕の魂を感じる行為だったんだ。セックスに慣れただけだと思っていた。僕の舌や唇にヴァギナを擦り付ける腰の動きも、僕のを含みながらも止まらない手の動きも……全部僕の魂の嗜好を知った上での行動だったんだ。そして日本の『君』が僕から少し距離を置くその真意もわかってしまった。彼女には年相応の彼氏がいるからだ。そんな見知らぬ彼に無意味な嫉妬心を懐きつつ、『君』と出逢えた彼を祝福する僕。それは矛盾であり意味のない事だ。だけどその彼には言いたい。『絶対に手放すなよ』と。
不意にフンボルトの考えが流れ込んで、顔が熱くなった。『穴兄弟』って……何を想像しているの。でも、そうなるんだろうなぁ。『エル』に連なる者は、エルマやトロンメルのような改良を受けない限り、そういう事になってしまう。吉川クンに若い頃のウェイバー先生か……。皆んな『兄弟』だよ、どうするの? それで、それぞれが思っているんだろうな。自分のパートナーが1番だって。でもそれって誰にでも合わせられるって意味だ。そんな自分が嫌だと思いつつ、だというのにフンボルトが最高と信じている私……。
それに自慢もある。『エル』なら潮吹きも体験済みだろう。だけどそれは尿道からの潮で、スキーン腺やバルトリン腺からの射出や膣内からの射精は体験していないと思う。私はそれを全部体験した。失神と同時に失禁までしている。だからそれは望まないだろうと思うけれど、フンボルトに脱糞しているところを見られても受け入れてしまうだろう。自分の汚いところも綺麗なところも全部見て欲しい。日本の『エルヴァ』もエルも、そこまで思えるだろうか。思えるくらい大切な人を愛して欲しい。
先日エルはホメーロスの『オデュッセイア』を読んでいた。どうしたのと聞くと、エルは元の世界に戻るにあたって、何かお薦めの冒険譚はないかと訊ねたらしい。それでその『オデュッセイア』を大王に薦められたのだという。大王の愛読書はアキレウスの物語である『イーリアス』でホメーロスのファンだった。これって凄い推薦図書だと思う。内容はかなり面白いらしく、ここに風の谷でなく、オデュッセウスに恋する島の王女のナウシカが出てくるそうだ。彼女は『エル』と相談の上で未来のロードと暮らしたいとお祖父様やエルヴァちゃんにきっぱり言った。それを当初はとまどっていたエルヴァちゃんも、今は認めている。
3年先か4年先か、私はエルと別れなければならない。でも、もう以前のような寂しさはない。彼女とは違う世界で幸せを求め続けるだけだ。