途中何度かスタックしたけれど、沼や池に落ちたり地図にも載らない川に阻まれる事もなく予定のポイントに到着した。時刻は深夜の2時だった。そこからテントを建てて速攻で眠った。疲労からではない。朝からバイクで偵察に出たかったのだ。
『進めば進むほどマナが濃くなりますね』
『ランサーの件はマナ酔いの錯覚だと?』
『それもある程度は疑っていますが、彼ほどの人です。何某かの事はあるでしょう。夜が明けてからバイクで偵察に出て頂けませんか?』
そんな事情だったので、テントを建てる時にエルヴァちゃん達のクルマからバイクを下ろしておいた。バイクは欧州のメーカーでもロシアのメーカーでもなかった。
そもそもロシアにはオフロードバイクを作るメーカーがない。第二次大戦前後に走っていた、主にドイツ製バイクから丸々コピーしたバイクばかりだ。
だからこのバイクは、エルヴァちゃんが日本に遊びに行っている間に、現地に入っていたサポート・スタッフがお祖父様からの密命を受けて購入したのだと推測している。
そのバイクはス◯キのジェベル200だったのだ。目の付けどころが違う。まずこのエンジンは1985年のSX200Rから始まって、2004年の現在もジェベル200やバンバン200に使われている、息の長いエンジンだった。
おまけに2バルブの単気筒なので整備も簡単で、バイクを積んでいる荷台には予備のパーツや整備書(サービス・マニュアル)だけでなく、エンジンの予備まであった。
そしてナンバーもきちんと付いている。最初から至れり尽せりだったのだ。
この凄さがわかるだろうか? 例えばお祖父様の愛車であるポ◯シェの964ターボは、外装がカーボンなのでどこの国であろうと保安基準で引っ掛かる。
あの1台のために、お祖父様はとんでもない税金と保険料を毎年支払っているのだ。それでもスイス国外には出れないし走れない。それがあのクルマなのだ。
今のそれはかなり極端な話だったけれど、ともかく保安基準も保険も何もかもが国ごとに異なっている。ある国では合法でも、ある国では違法な場合もあるのだ。
だからトラックやバンはロシア製で揃えている。エルもその事をよく知っているから、エルヴァちゃんにそう薦めたのだろう。
なのにバイクはこれだ。これはお祖父様がクルマやバイクをお好きなのも大きいが、サポート・スタッフやお祖父様と契約しているエージェントが優秀なのも大きい。普通は極東のこんな地味なバイクなんて知らないだろうからね。
だけど私は凄いと思いつつ、ほとほと感心していた。だって、ス◯キのこの200こそ日本人や女の子に向いた『旅バイク』だからだ。
まずマニアのノウハウが凄い。劣化或いは破損しやすい箇所、乗り方に応じた前後スプロケの組み合わせ等々、色んな情報が揃っている。
欧州ではストリートも走れるオフ車は少ない。ほとんどがエンデューロかトライアル用のレース車両だ。そしてライトなどの保安部品が付いたオフ車は、まず日本製以外は皆無と言っていい(厳密にはあるけれどすぐにカタログから落ちる)。
南北アメリカもオーストラリアやニュージーランドも、アフリカでも走っているのは日本製だ。それはファーマーズ・バイクとして需要があるからだ。
だけど舗装路ばかりで、たまにあっても石畳かそれに類する程度のものという欧州ではオフ車そのものより、カウルの付いたアドヴェンチャーの方が需要が高い。
そしてクルマより常用回転数が高いので油脂類の消耗が激しく、転倒などで破損する可能性の高いのがバイクだ。EU内ならともかく、他地域ではパーツの揃わない欧州製は敬遠され、ますますマーケットを失っている。それが現実だった。
勿論、維持する上で必要な諸々の情報が多い点ではTWやセローも負けていないのだが、その二車が好きな『エル』もこの200のエンジンは高く評価していた。そしてそれは私も同じだった。
また姉の『イリヤ』も、愛車は250のグラストラッカー(このエンジンも他車への流用が凄まじい)だったけれど、やはりバンバンが気になっていたようだ。
そしてこのジュベルには『イリヤ』の初期型グラストラッカーと同じく、セルとキックの両方が付いていた。UAZ-452のクランクと同じだ。
更にはガソリン。乗ってきたUAZ-3909がどうしてディーゼルでないのかと訝しんだ私は、エルに尋ねて自分の無知ぶりを再確認する羽目になったのだ。
それは軽油が凍るからだった。冷却水は不凍液のクーラントがあっても、燃料の軽油は零下20度や30度になるとシャーベットになってしまうのだ。
そこで凍りにくい種類の軽油も存在するのだが、そんなものが通用するのは北海道くらいなもので、イルクーツクやサハ共和国の冬では話にならないそうだ。
燃料タンクを炙ったり、エンジンを炙ったり。あの手この手を民間も軍も、長い歴史の中で行っていた。そしてガソリンが凍る温度は-80度以下だった。UAZが愛される理由はこれだったのだ。
注)北海道では季節に応じて、スタンド側が5種類の軽油を使い分けている。夏場は特1号、初夏や初秋は1号、春秋は2号、初春や初冬は3号、真冬は特3号だ。同じ北海道でも道南だと3号の季節が長く、沖縄だと年がら年中特1号だ。
夜明けとともに私とモードレッドは偵察に出た。
「マナが濃いな?」
「はい、進むほどに濃くなります。それだけ霊地が大きいのだと」
不整地の草むらをかき分けて走るので、私もモードレッドもずっと立ちながら操縦している。
「地上に漏れてるのか?」
「そういう事ですね」
「なら、マナ酔いからくる幻聴や幻覚じゃねぇか?」
「普通の人間ならいざしらず、あの人に限って?」
「それはそうだな。地元の住人も少なすぎて何にも情報がないんだろ?」
「そうです」
このアサシンは感じず、ランサーだけが感じた違和感。錯覚とも言い辛いのはルーマニアであんな結界を体験したり、お兄ちゃんが凍ったというエルの話を聞いていたからだ。
モードレッドとランスロットさんはあまり気にならないらしいが、ランサーは気になるという。だからエルヴァちゃんも私も気にしている。
「変な話だが、エルはあの『エル』から知らされてんじゃないか?」
「それが必要なイニシエーションだから黙っている……私もそんな気がしています。ですけど、ここは『エル』から見れば並行世界です。絶対に同じとは限りません」
「そこだよな」
けれど心理的な不安がただただ募るのとは裏腹に、目視でも魔術探査でも怪しいものは何も感じなかった。少し開けた場所があったのでバイクを止めた。
「コーヒーでも飲んで帰りますか」
「そうだな」
背負っているリュックには、小型のガスバーナーとそれを入れてきたコッヒェル、それと飲料水の入ったペットボトルが用意してあった。
「なぁ、これできるか?」
モードレッドが自分のリュックから出したそれは、◯か食品のペ◯ング超大盛りだった。
「これ、今月新発売でしたよね? どうやって?」
「エルに貰ったんだ。ルーマニアに行く前に買ったらしいぞ?」
何だ、あいつ……? ああ……大量にあったインスタント・ラーメンの中に混じっていたのか。それはともかく。
「これ、この装備だとお湯の量が足りないですよ。それに湯切りする場所もないし。戻ってからにしましょう」
「そっか……」
ルーマニアでインスタントにハマった?
「ハマるっつうか、感動モノだろう? お湯を入れて数分で食えるんだぜ? オレの時代には、こんなの無かったんだから許してくれよ」
そりゃそうか。下手したら魔法だものね。
「お姉様は食べ物で根源を目指しているのですか?」
エルヴァとモードレッドが調べに出てくれたので、私はランスロットさんやランサーと朝食を作っていた。
「まさか。エルヴァちゃんのママやメイド達はそうなのですか?」
「いいえ。ただ、お作りになっている姿がそういう風に見えるというか……」
どういう見え方だ? まぁ、調理とは人の生命を繋ぐアミノ酸やタンパク質に炭水化物を美味しく得る技術なので、ある意味では根源に近いのかも知れない。
宇宙マイクロ波背景放射のデータから得られたビッグバンのゆらぎ。そこから生まれた原始巨大恒星。それが一生を終える間際に重力崩壊を起こし、鉄以上の原子が生まれた。
そして超新星爆発を起こし宇宙に散って、ガスとくっつき太陽や原始地球となった。その原始地球に何かの天体がぶつかり月が生まれ、絶妙な位置に地球の公転軌道を固定した。
その何千何万という奇跡と長い長い月日を積み重ね、私達人類は遠い宇宙に思いを馳せ、神秘と根源という概念を得るに至った。
神秘とはアインシュタインが発見できなかった、もう一つの時空の歪みだ。そしてその未知なるパワーは微に入り細に入る手続きを踏まないと取り出せず、信仰というまた別の要素も絡んでくる厄介なものだった。
そして根源とは、概念的にビッグバン以前のゆらぎが起きる前を指す。そしてそこに至る方法は誰にもわからない。かつて到達した者が居ると言っても、私個人は怪しいものだと思っている。
そんな高温高密度のところへは、霊的にも到達不可能だろうと。きっと別の何かに触れてそれを根源と言っているだけだろうと。
なら美味しい料理を作ってしっかり食べる事も、根源への道として間違っているとは誰にも言えない。何故なら生きているからこそ、思考ができて向かおうと思えるのだから。
「そんなの気にしないで、まずはしっかり食べて大きくなりましょう。今の私くらいになったエルヴァちゃんがどう考えるのか、それを楽しみにしています」
「はい!」
エルヴァ達が戻ったので食事を始めようとしたら、彼女はおもむろにカップ焼きそばを作り始めた。
「私の作ったご飯は嫌ですか?」
「そうじゃなくて。モードレッドのリクエストですよ。ルーマニアでハマったらしく」
「ああ……」
なるほど。彼女は私の料理もカップ焼きそばも見事に平らげた。それも実に美味しそうに。それを見たランサーとランスロットさんも、カップ麺にお湯を注ぎ始めた。
今日(こんにち)なら様々な商品が選べるだろうに、この二人は何故か、あの昭和から残る名作のカ◯プヌードル派だった。ランサー曰く、『この肉が堪んねぇ。もっと入ってりゃ良いのに』。彼は謎肉ファンだった。
ランスロットさんはカレーヌードルばかりだ。『これとご飯があれば十分ですよ』。以前は缶詰ばかりだったらしいが、この人はチャレンジャーでアレンジャーでもあるんだよね。
カレーヌードルを砕いて水でふやかし、ご飯と炒めてカレーチャーハンを作ったり、飯盒でお米と一緒に炊いたり。それがまた結構イケる味だから困る。
「おい!」
ランサーの声がなくとも皆んなガタガタッと席を立った。辺りのマナが一気に濃密になったのだ。やがてその濃密なマナは渦巻く奔流となり、神秘に携わる私達の五感を奪いに来た。
通常の人ならあまりのマナに前後不覚に陥るか、意識を失うだろう。この段階でモードレッドは武装してエルヴァちゃんの前に立ち、ランスロットさんはエルヴァちゃんの背後に回っていた。
エルヴァちゃんも誰に言われずともエメラルドで転身済みだ。私もエルヴァちゃんの横に並んだ。エルヴァも武装して反対側に立っている。
「来るぞ!」
肉眼では見えないが、地面から湧き出るマナがとうとう間欠泉のように盛大に吹き出した。そして白いような灰色のような、見えないのにそう表現するしかない何層にもなった厚いヴェールの渦が、ほんの7メートル先に竜巻のように起こった。
そして数秒後にカタチを成した「それ」は、ランサーに向かって飛び込んで来た。
「チッ!」
何かを槍の石突きで弾いたランサーは、その朱槍を翻すと相手の胸を一瞬で突いた。
「弱ぇ、何だコイツ?」
濃密なマナの奔流が徐々に収まり、視覚を奪われていた私達魔術師の感覚も通常に戻りつつあった。そして視界が完全に戻った時、目の前には左胸から血を流す、双剣を握った青年が倒れていた。どう見ても干将莫耶だ。
マナの間欠泉から別の人物が現れた。その黒髪の女性は、青年に抱きついて泣きはじめた。
「ランサーが殺した!」
「あなたという人は…………」
「ち、違……いやいやいやいや、まずは待てよ! 可怪しいだろうが! 何で坊主がここに居るんだ?」
そもそもその「坊主」は肌がまだらではない。美遊ちゃんのお兄さんは、マシになったとは言え、まだまだ皮膚がまだらだ。何より少年でなく青年……20数歳の姿だ。
しがみついて泣いている黒髪の女性も、私達の知る彼女より出るところは出ているし、化粧もしているようだ。これって……?
「魔力が想像を絶するほど膨大に溜まると、底が抜けて並行世界と繋がる……?」
一般相対性理論の延長だ。引力は質量だけでなく魔力にもある、と。だから魔と魔は引き合い、優れた(魔力の豊富な)魔術師ほど怪異を喚ぶ。
これを提唱しているのが『エル様』で、エルヴァも前々から自分でそう考えていたようだし、私もこの理論が正しいのではないかと考えていた。その顕著な例が、とある並行世界の大聖杯で起きた黒化英霊の出現だった。
「時計塔かどこか大霊脈のある場所で実験していて、流されたのだと思われます。エル、あなたは彼の蘇生を」
「私も手伝います」
それでエルヴァに促された私はエルヴァちゃんとともに、どこかの『衛宮士郎』さんの蘇生を開始した。どこかの『遠坂凛』さんを、ランスロットさんが宥め、モードレッドが冷めた目を向けている。
これは不幸な事故だ。私達の側からは彼が人である事すら認識困難な状況だったし、接近してきて武器らしきものをもって攻撃してきたとなれば、それ相応の対処をする他はない。
ランサーは仲間の中で一番槍を自負しているし、私達もそう考えている。仲間を守るための刹那の決断は決して否定できないのだ。
さて、心臓の再生は終わった。エルヴァちゃんの魔力と彼女が持っていた呪体をかなり消費したけれど。だけどとある家の家宝、あの宝石並みの魔力と触媒効果を望もうと思えば致し方ない。
何とか5分ちょいで蘇生が終わった。次は失われた彼自身の魔力と生命力を補う必要がある。幸い私はそれを持っていた。だから凛さんに断りを入れ、それを口に含み、口移しで飲ませた。
息を吹き返し、咳き込む士郎さんへ再びしがみつく凛さん。ホゥ~と溜め息を吐くランサー。
「イ、イリヤ! い、生きていたのか!?」
「ホントだわ! この子、イリヤ?!」
生き返ったのは良かったけれど、エルヴァちゃんを見てそういうありきたりな反応はムカつく。周りには私やエルヴァにモードレッド達も居るのだ。
それに『そういう実験』に付き合ってこうなったと理解している筈だ。
「誰しもがあなたみたいに冷静沈着ではいられませんよ」
そう言って私の肩をポンポンと軽く叩いたエルヴァが、凛さん達に状況を詳しく説明した。
「つまりここは並行世界で、私は魔法に到達した!?」
「結果としてはそうですが、偶然の要素が大きいです。お話にあった時計塔のかなり深い部分にある工房は、アルビオンとかなり近いです。そのアルビオンに蓄積された膨大な魔力が、この地の霊脈と繋がった……ただそれだけとも言えますが、そんなところを抜けて五体満足でいられる事、アルビオンにあるだろうベクトル違いの魔力を収束させた力量はさすがですね」
「ああ、それで宝石剣がおかしな反応をしたのか……」
本物と比べてしまうとまだまだ遠いけれど、この凛さんは士郎さんの投影に頼らず(参考にはしたらしいが)、独自の宝石剣を造り出していた。
「悪い。まだ状況がうまく飲み込めない」
「ここはまず間違いなくあなた達の世界とは異なる並行世界です。これはOK?」
「ああ、それは」
「何らかの実験を行って世界移動をしてしまったのだと推測していますが、ですけれど先程凛さんに話した事も私の想像です。ですから本当の原因はわかりません。これもOK?」
「ああ」
「となると、きちんとアンカー(錨)となる何かを元の世界に残していないと、座標が割り出せないので帰す手立てがあっても帰せません」
「と、遠坂? アンカーって……」
「そんなの何もしてないわよ。いきなり落とし穴に落ちたようなものだから。元々は並行世界に繋げるだけの実験だったのよ? それが繋がったと思ったら宝石剣が暴走状態になって……そして床に大穴が空いて」
「そこに落ちたと?」
「ええ、それで気を失っていたと思うの。だけど意識を取り戻したら、士郎が突っ込んで行って……」
「悪かった……。目の前にあの第五次のランサーだろ? 遠坂を守らなきゃって、つい……」
「英霊は座に本体があって、この世に召喚できるのは分霊、即ちコピーです。ですので同じランサーであってもそれは別人です。まずは声を掛けてくれれば良かったのに。それにこちらがこちらの世界のあなた方と面識があったので良かったですが、見知らぬ誰かなら蘇生もしませんよ。だって先に手をあげたのは、あなたなのですから」
「本当に申し訳ない……それでここで何を?」
「その前にここがどこだかわかりますか?」
「いや。けど……倫敦の郊外のどこかなのか?」
「いいえ。ここはロシアのイルクーツク州の北部です」
「ええっ!?」
そこから更に情報を与えた。霊脈の件は単なる調査という事にして実態は話さなかった。
「じゃぁ、こっちの子ってイリヤじゃなくて……。え~~っ!! ここのイリヤの三つ子の妹!?」
「そうだって言ってるじゃねぇか。だからここのイリヤはお前らとは関係ないし、その聖杯戦争とやらにも出ていない」
「いきなりぶっ刺して悪かったけどよ、オレは違う世界で第五次には出ていたが、そこのお前を刺したりしてねぇよ」
「私は第四次に出ていた記憶がありますが、その時のアーサーとあなたが知るアーサーが同じとは限りません」
英霊の3人は凛さんと士郎さんに、余計ややこしくなりそうな事を話していた。
「手立てがあるって言ったわよね? あなたって第二魔法に?」
「いいえ。知り合いというか、この世界には……そうだ! 宝石翁が居た!」
「え? この世界には大師父が居るの? だったら!」
「あ~……。ここの凛さん……時計塔を退学になったんだった」
「ちょっ!? ここの私は何をしたのよ?!」
「名門エーデルフェルトの令嬢と、貴重な呪体や触媒の揃った準備室ごと教室を破壊して。そのお顔は……。そちらも何度かしていそうですね?」
「……それかぁ……。よほど場所が悪かったのね……。運がなかったのかしら……?」
反省の弁が全然出て来ないのには呆れる。だけど今更引き返せないし、仕方なく二人には同行して貰う事となった。
「それは良いけど、俺達邪魔じゃないか?」
正直邪魔だ。けれどトラックで待機してくれているアサシン達の存在は秘密にしたいし、ここで仲間の誰かが抜けるのも、クルマが減るのも痛い。
「お礼と言ってはなんだけど、手伝える事は手伝うから」
それで私達が行っているのは先住民の遺跡探索と伝承調査だと嘘を吐いた。エルヴァはあの弓を投影した。いつもの過程より存在感を薄くした、ありきたりなグラディエーション・エアだ。
「こういうのを探しています」
やがて弓は霞となって消えていった。
「見本を見せてくれるにしても投影魔術はないでしょう? 魔力が勿体ないわよ?」
「それは大丈夫です。それよりお腹が空いていませんか?」
「そうねぇ、少し空いているかな」
「なら、何か作りましょう」
「あ! もしかして皆んな食事中だったのね? 士郎?」
「ああ、材料を貸してもらえれば美味しいのを作るぞ」
「いえ、私達はほとんど済んでいましたから。今はお客様をおもてなしさせて下さい」
エルヴァは随分と社交的だ。元の『エル様』より柔和で付き合いやすい。その47番だった頃のデータを元にして人格形成された私が言うのもヘンだけれど。
エルヴァは凛さんと士郎さんのために調理を開始した。野菜炒めとスープ? ご飯は私が炊いた余りがあるが、お昼は浸け直せば良いとして量が少な過ぎない?
すると彼女はパンも出していた。パンと野菜炒めって……ああ、ホットサンドにするのか。
屋外なのでキッチンテーブルは組み立て式。その上に置かれたカセットコンロ。その五徳を中華鍋用に付け替え、オイルポッドからなみなみと油を注ぎ、温まったところで切った野菜を潜らせる(油通し)。
次に野菜を掬い上げて油をポッドに戻し(油返しを兼ねている)、少量の油を引いて豚バラ肉を炒め7分ほど火が通ったら皿に上げる。鍋に中華スープを少量と調味料を適宜入れ、先程の肉と野菜を混ぜ合わせる。
これらが全部弱火だ。大火力の出ないカセットコントや家庭用コンロでは、弱火で炒める方がシャキッと作れるのだった。
次に彼女はその野菜炒めの半分にカレーパウダーをまぶし、それぞれを日本から私が持ち込んだ食パンに挟んだ。それをごく少量の油を引いたホットサンドメーカーで挟み、コンロで焼き始めた。
焼き上がったホットサンドを半分に切り、2枚の皿に片方ずつ載せて調理完了だ。
「これ、美味しい!」
「へぇ~。ごちゃまぜな調理だったから、どうなんだと思ったけれど、結構イケるなぁ」
それはそうだろう。私とエルヴァは基本同等のスペックがあるはずだけど、料理に対する工夫はどうしてもエルヴァに負ける。それは経験値だ。僅か数週間の経験しかないから、知識はあってもアレンジ力に劣るのだ。
その点、エルヴァは『エルヴァ』として日本で暮らした知識と経験を継承している。この差が大きい。同じ中華を作るにしても、幾ら記憶に様々なレシピがあろうと、自分で工夫しないと上手くはならない。
おそらく私でも鶏油、猪油、葱油、花椒油、辣油、青葱油、XO醤など香味油の仕込みはできる。そしてそれなりの料理も作れるだろう。
だけどこんな野外のカセットコンロで中華を作ろうとは思わない。そこがエルヴァと私との差なのだろう。
「カセットコンロだからわざとこういうレシピにした?」
「その通りです。圧倒的に火力が足りませんから。ですけど中国の田舎に行けば、こうやって屋外で調理をする人は多いです。それでも美味しいのは、油の使い方が上手だからですね。どこまで温度を上げるのか、どういう香味油や調味料を使うのか。中華料理は全部その仕込みにあります。油然り、油通し然り、片栗粉に卵液然りです。ある意味、それを鉄鍋で混ぜているだけですよ」
これも『エル様』の経験であり知識だった。
「お礼に料理をと思ったけれど、ほとんどキャンプ用具だものな。こいつは難しいぞ、遠坂?」
「よね。まぁ、でも何か考えましょうよ。士郎?」
「そうだな」
「じゃ、リクエストして良いか?」
モードレッドだった。
「ええ、どうぞ」
「なら、オレのマスターがトンカツ好きなんだ。材料はあるはずだから、作ってやってくれよ」
吹き出したのはエルヴァちゃんだ。ちなみにモードレッドは並行世界でトンカツにハマっていた。ヤキソバといい、この食い気は父親譲りだなぁ。
「わかったわ。けど、あの子がマスターなのね。大聖杯を使わず英霊召喚って、さすがはアインツベルンか」
最初はパニックになって流していた彼女だけれど、落ち着いて来たのか鋭いところを見ていた。
「召喚もそうだけど、魔力はどうなってるんだ?」
「ま、そこはアインツベルンと言っとこう」
モードレッドが質問を躱した。この辺にエルヴァちゃんとの密な関係が垣間見える。
「お肉も油もあるけれど、パン粉はどうするの?」
「パンを削るしかありませんね」
片栗粉や小麦粉は用意があるけれど、パン粉が無かったのだ。あれって日本発のエビフライやトンカツくらいにしか使わないので、私も持って来なかった。まさかモードレッドがここでリクエストするとは。
「ところでさ。お手洗いって、どこ?」
「あそこにあるテントが私と彼女のテントですが、その裏にバケツがありますので」
「マ、マジ?」
「あ、大きい方なら紙パックの簡易トイレがありますので、そちらに便をお願いします。環境破壊は避けたいので」
「ウ、嘘!?」
連れションに誘って驚かせようとは考えないんだね。けれどエルヴァの言う通りで、こういう場所での不便は我慢して欲しい。こればかりは私達もどう仕様もないのだから。
「このクルマはロシアのか? 変わってるなぁ」
「今のロシアでも乗っている人は少ないですよ。ですが、こういうロシアの奥地では最高です」
「そうなんだ?」
士郎さんにせがまれ、私とエルヴァちゃんがクルマの紹介をした。3台はそれぞれ後ろが異なるので、まるでデモカーのようだ。
「それはこの辺りの真冬の最低気温が-50度にもなる場合があるからです。それでも動き、なんとか走る。そういうクルマって今は無いでしょう?」
「あぁ……そういうクルマなのか」
右側の後席ドアを開けて中を覗く士郎さん。
「あの奥のロシア語はなんて?」
後席左側に、とあるステッカーが貼られてある。そこの文章の事だ。
「あれは『ЗАПАСНЫЙ ВЫХОД(ザパースヌィ・ヴィーハト)』と書かれてあって、意味は非常用出口です」
「なるほど。緊急脱出用か。中もそこそこ広いし、屋根の上に荷物というかタイヤと、多分予備のガソリンタンクが乗っていて……4WDなんだろ?」
「そうです。二駆と四駆、それとハイとローの切り替えレバーが遠いのが難点ですけれど」
それで運転席を見た士郎さんは頷いていた。
「エンジンが真ん中ならしょうがないだろうな。何よりロシア人の体格に合わせてあるんだろう?」
「そういう事ですね。これだとサイドブレーキを使った坂道発進が……」
まず腕が短い人には無理だ。サイドブレーキのレバーは運転席とコンソールの間にあるのだが、厚い手袋をしていようが、熊みたいな人が操縦していようが問題ないようにレバーがやたら長い。
しかも引き代がおかしい。ほとんど進行方向に向いたレバーは、引くと直立する。つまり90度は引かなければならないのだった。
よって坂道発進で下ろす場合、エルヴァだとハンドルに顔がくっつくくらい前かがみにならないと下ろせない。それでもきちんと走らせているのだから、彼女も大概器用だ。
このサイドレバーの前、コンソールの下にもレバーがあって、それは前面の外気取り入れ口の蓋を操作する。冬はラジエーターで温められた空気が入るという簡易ヒーターなのだが、本当に寒い時は全然役に立たない。
またクラッチ・ぺダル横の床下にあるフット・スイッチがヘッドライトのハイ・ロー切り替えで、運転席脇のガスコックのようなスイッチがバッテリーのオフスイッチとなっている。
これもかじかむ手を使わないように、オフロードでクルマが揺れていても操作できるように、或いは寒冷地でのバッテリー上がりを少しでも失くすための、よくわからない親切設計なのだった。
「本当にわけがわからないクルマだな?」
「競争原理が働かない国だったからというのもありますが、寒さに強くタフなオンリーワンでもあるんですよ」
「そういう事だよな」
そしてこの解説の間にエルヴァは凛さんを案内し、トイレをレクチャーしていたようだ。彼女の事だからポロンは無いだろうけど、後始末が大変だ。なにせ明日朝の当番が彼女だからだ。
実はその簡易トイレには、私のもエルヴァのもエルヴァちゃんのもモードレッドのも溜まっている。生きている私達は当然として、受肉したモードレッドもトイレは行く。戦闘や宝具の使用にこそエルヴァちゃんの魔力が必要だが、それ以外は私達とほとんど変わらないのだった。
その後、士郎さんはランサーに詫びていた。そう何度も頭を下げる必要もないのに、日本人だなぁ。だけどそれが功を奏したのか、ランサーから進んで戦闘訓練の相手を買って出ていた。
「正義の味方=戦闘者なんですね?」
「言わないであげて」
凛さんが悲しそうな顔をした。
「他にも方法はあるんじゃないかって本人も悩んでいるのよ。けれど、大抵の現場がね……」
「チェチェンに行ってロシア軍と闘ったり、チベットに行って解放軍と? ブータンは何を思うのかなぁ」
「そんなところじゃないわ。たいてい中東よ」
「ほぅ、宗教の異なる世界で……アメリカの二の舞を踏もうと?」
「そこまで考えてないから」
「身近な日本が災害大国なのに。言葉も価値観も通じる母国を見捨てて?」
「ケンカ、売ってる?」
「いいえ。働き者のバカは怖いなって」
「あんたねぇ!」
胸ぐらを掴まれた私の前にエルヴァちゃんが割って入った。
「私達の父親は衛宮切嗣です」
「え? それって士郎の……」
そこで並行世界の、おそらくは凛さんの世界で起こったであろう第四次からの話と、この世界での第四次から、これまでの話をした。
ここの士郎クンは家族とともに幸せに暮らしていること、三つ子の内の二人は彼の妹として兄妹仲も良いこと。エルヴァちゃんは本家の跡取りなので別で暮らしているけれど、やはり姉妹仲は良いこと、などなどだ。
勿論、私とエルヴァの存在には言及していない。
「じゃ、ここでの士郎は普通の高校生で、お父さんは生きていて……桜の記憶が……?」
士郎クンが普通だと知って凛さんはホッとていた。だけど桜の事には心配そうだった。
「はい。その記憶を取り戻して、凛さんと真の姉妹に戻って欲しい。それが私やエルヴァの願いです。今はアインツベルン本家であるこの子(エルヴァ)のお手伝いでここに居ますが」
「そうだったんだ……。そっか、士郎とイリヤが兄妹の世界か……」
ここで凛さんに尋ねてみた。
「やっぱり普通で居て欲しかったですか?」
「心の病ってわかってるからね。だから、普通に暮らしている士郎が居るって聞いて嬉しかった。でもね、あいつには私しか居ないでしょう? それにああいうヤツが一人くらいこの世に居ても良いじゃないって、そう思ったから」
「誰かに頼まれました?」
「え? ええ……そうね、頼まれちゃったのよ」
この後、美遊ちゃんのお兄さんは残ったスタッフの送迎でイルクーツクに戻り、ここの凛さんやルヴィアさんと会って、新しい仕事に向かう。だから遭う事は無いだろう。
だけど、一両日中にはアーチャーさんとケイローン先生がこちらに合流する。その時、この人はどういう態度を見せるのか。アーチャーさんもどう出るのか……。
何よりこの並行世界の人物がスリップする現状が危うい。きっとこれが、私達で考えろという『エル様』からの課題だ。ここを解決しないと霊脈事業は成り立たない。
凛さんと私は、その後何を話すでもなく、自分自身の思考に埋没していた。
「イテテ……。やっぱ強いな、あんた?」
「ま、もう知ってるだろうが、それなりに名を轟かせた自負があるからよ。おら、手を出せ」
シロウ殿とランサー殿との鍛錬を見ていた私とモードレッドですが、モードレッドの顔が……。
「自分の型を作んのは良いとしてよ。どうしてここまで父上の型と違って来るんだ?」
「申すまでも無いでしょう? 彼の型は彼の世界で召喚されたアーチャー殿の型なのでしょうね」
「それって無限ループじゃねぇか?」
「それを避けたいと魔導師殿やエル殿が動いている訳ですが、これは確かに……」
「だろ? 才能も無ぇのに……物哀しいんだよ。オレはエルヴァ達のところに戻るぜ」
「はい」
ニワトリが先かタマゴが先か。それはわかりませんが、モードレッドの言う通りですね。これはあまりにも哀しい。ですが彼の目は死んでいない。ずっとずっと、遠い先を見ている。
本当に遠い遠い先を。その目には、あなたの後ろで守られている者達の、あなたの傍で支えてくれる人達の姿が写っていますか?
それは違う。自己欺瞞であり自己満足だ。いや、そもそも満足という言葉も感情もそこには無い。
「一度プログラミングされれば、壊れるまで動き続ける。そこに善悪も何もない。いえ、彼の中での善悪はあるでしょうが、それも世間を見ずして無為に時を過ごし、小さな子供染みたレベルの勧善懲悪で固定されてしまっている。このままでは破滅でしょうね」
気付けば横には、悲しそうな顔のエルヴァ殿が立っていました。
「モードレッドがえらく機嫌を損ねて戻ったもので。何があったのかなと」
「アーチャー殿の合流で一波乱ありそうですね?」
「はい。最悪はベースの倉庫に送らなければ」
「そうですね。ですが今は」
「ええ。目的地は近く、更にはこの謎の並行世界からのスリップ現象です。これを何とかしませんと」
「はい」
そして私とエルヴァ殿は、もう何度も見ている焼き直しを眺めるのでした。
それから二日後、いよいよ霊脈中心部の真上というところで私達の行く手は川に阻まれた。ここで何時もの通り野営して、後発隊の架橋装備が届くのを待つしかない。
クルマの架台から地蟲を数十匹放っておいた。この分だと逆算して霊脈探査は明後日以降だと読めたからだ。先に使い魔を下ろし、地中を進んで貰わないと。
この子達は魔力を吸って形態を変え、速度を上げて地中千メートルまで掘り進む。そこに何があるのか。何が出るのか。スリップは膨大なマナが引き起こしたものだと推測はできる。
それにあちらでの触媒となったのが宝石剣だとも判明した。だけどこちらでの、切っ掛けとなった触媒が不明なのだ。おそらくそれを取り除けば、このスリップは回避できるだろうというのが私とエルとの考えだった。
アサシンは宗教上の理由から私達と食事をともにできないが、優秀なスタッフだと紹介してあった。ドクロの仮面はとっくの昔にエルマが禁止していたし、あの黒い肌も布で覆えば問題ない。
何より言葉がわからない振りをしてくれれば、誰も疑問に感じないものだ。ただ、偽名は必要だろうと幾つかの名は与えてあった。
「私の予測を話しますね?」
「どうぞ」
「地中に偶然結界の起点となる配置で、呪体かそれに類する……それこそ、十分な触媒となる年月を重ねた宝石が眠っている」
「同じ考えです。もはや、それしか考えられないでしょう。何よりここには確実にダイヤモンドが眠っていますからね」
「それに霊脈とも重なっています」
「ええ。何千年なのか何万年なのか……ともかく膨大なマナに曝され、変性した幾つかのダイヤが、たまたま地中で結界を結ぶように並んでいた。それでしょうね。ここに魔導師の先生か凜が居たなら、直ぐさま検証可能ですのに」
「ですね。凛さんに頼む訳にもいきませんし……」
「ええ。あの人の実力なら、私達の思う通りの結果を導き出すでしょう。ですが……」
「この霊脈の事は話せません」
それで結局、私達は秘密を抱えたまま、無為に時間が過ぎるのを待つばかりだった。そんな私達の焦燥にも似た気持ちとは裏腹に、士郎さんはランサーとの試合で良い動きをするようになっていた。
手応えを感じているのか、とても良い顔だ。ランサーは巧い。教え方ではない。レベルの下げ方が、だ。決して手抜きに見えないように微妙な匙加減で相対している。それは士郎さんに対して、『本気』になれない格下だと最初から見切っているからだ。お客をもてなす意味も多少はあるのかも知れないけれど。
それがわかるだけにランスロットさんも苦い顔だし、モードレッドなんてあの最初の日以降、全然見に来ない。もしかしたらエルヴァちゃんとともに、凛さんに話し掛けて足止めしている可能性もある。
だって今の士郎さんより、美遊ちゃんのお兄さんの方が何倍も強いとわかってしまうのだから。そしてそれは目に見える闘い方のようなものだけではない。
今のお兄さんは、お兄ちゃんの教えとランスロットさんの教えを守り、日々鍛錬を怠らず『正しい方法』で魔術も武術も学んでいた。それをケイローン先生にみて頂き、どの辺まで伸びているかを確認するためにここに来たのだ。
もう、お兄さんはカードを使わずとも自分の魔力で十分カバー出来ていたし、カードとは別の方向に能力を高めてもいた。
そんなお兄さんを弟子に持つランスロットさんから見れば、それはとても哀しい事だろう。カードを使ってもいないのに、あのカードに飲み込まれたかのように突き進んでいる。
お兄ちゃんが避けたかったこと。それを聞き及んで十分注意しながら士郎クンを育てていたのだ。そしてその事をランサーもモードレッドも理解している。だから余計に哀しいのだ。
翌朝、1台のUAZ-3909が草原の彼方から現れた。アーチャーさんとケイローン先生だった。私は転移して遙か先をこちらに走って来るUAZに乗り込んだ。
「むっ!? エルヴァか……驚かすな」
「済みません」
「お出迎えですか?」
「それもありますが、お話があります。よく聞いて下さい」
それで私は霊脈の件と、マナ溜まりから現れた二人について話した。
「そういう『衛宮士郎』がここにな……」
「アーチャーさん?」
「わかっている。争う気は毛頭ない。しかしな」
「気に食わなければそれなりに手は出すぞと?」
「私だけでは無かろう? 君も相当堪えていたのではないか?」
「はい……ただただ哀れで」
「どこかの私の焼き直しか?」
「はい。このままだと何かあれば即座に世界に祈りかねません」
「わかった。私が話すしかないだろうな。士郎を連れて来るべきだったか」
「お兄さんを?」
「ああ。あいつのスケジュール的に良くはないが、『衛宮士郎』の役には立ったろう。概ね、ランスロット卿が君のように諦観を懐き、モードレッドかランサーが爆発寸前なのだろう?」
「いいえ。反応こそ違っても、態度には出しませんよ。少なからず彼に当たるような真似はしていません」
「そこはさすがと言ったところか」
クルマはどんどんとテントに近づく。
「川か?」
「はい」
「後発隊も明日には到着するだろう」
「クルマは馬に代わる便利なものだと思いましたが、川が渡れぬとは。深いのですか?」
「そうですね。屋根が浸かるくらいの水深はあると思います、先生」
「そうでしたか」
クルマがテントの側で止まり、皆んながわらわらと集まった。
「アーチャー!?」
「て、テメぇ……」
凛さんは驚きの中に再会の喜びがある。だけど士郎さんは親の敵でも見るかのようだ。随分と好戦的な態度がありありだし。
するとここぞとばかりに、士郎さんの頭へランサーのゲンコツが落ちた。
「痛ってぇ~」
「学習能力なしのバカか、お前ぇは? そのアーチャーがお前らの知っている奴と同じとは限らねぇだろうが?」
「そ、そっか……そうだよな。すまない」
「そんな考えなしが夢見る正「『ごめん』や『すまない』で済むなら警察は要りません。さすが、自分が正義の味方と言うだけはありますね?」……は?」
これって諍いを敢えて自分で被ったの? それともキレた? どっちなの、エル?
「ハァ……。『衛宮士郎』?」
「な、何だ?」
「落ち着け、取って食いはせんよ。『凛』も怒りを鎮めてくれ。どうも私は口が悪くてな。それで無駄な争いを生んでしまう場合がある。今のはそうなりそうだったのを、彼女が敢えて悪者になる事で矛先を変えようとしたのだよ」
「そうだったのか……」
「ああ。それにその態度……。ずばり聞くが、どこかの私と揉めたのか?」
「え?」
アーチャーさんは4番目のアーチャーさんと会っているし、あの人が過去に『衛宮士郎殺し』を目論んでいた事も知っている。
「私も第五次に出ていてな。並行世界の遠坂凛に召喚されたよ。だが、その時の私はサーヴァントだ。第一義は主を守り通す事だ。だろう? 自分の事、ましてや私怨など三の次、四の次だ。それに考えてもみろ」
「何をだ?」
「私の過去も私であって、お前ではない。つまり、お前を殺しても矛盾(パラドックス)は起きない。一度堕ちた守護者からは抜け出せんのだ。なら、こういう方法もある」
「な、何だ?」
「絶対に畳の上で天寿をまっとうしろ。生きて生きて生き抜け。生きてさえいれば、明日も誰かの役に立つ。10年後も50年後もそうだろう。いや、足腰が老いてはそれも無理か。ともかくそれは故郷で待ってくれている人達の喜びであり、凛の幸せであり、貴様の幸せでもある。だからお前は死んではならん。泥を啜っても汚物を食らっても生きろ。決して世界に祈るな……と、まぁこうやって私に至る芽を潰せば、そのうち私もお役御免になるだろう」
凛さんが目を丸くし、士郎さんの目と口が大きく開いた。
「凛、君に訊こう」
「な、何? アーチャー?」
「君のアーチャーではないのだがな。まぁ、そこはいい。察するに君とそいつはそれなりの仲なのだろう?」
「ま、まぁね……」
「照れるな。穂群原の頃とは異なるのだろう?」
「もう~……、何よ?」
「つまりだな。その男は君にとって何ものにも代え難い存在なのだろう? しかし、そいつの命はたった一つだ。『衛宮士郎』、貴様に500人分の価値があるとでも?」
「え……どういう……?」
「わからんか? あの災害で亡くなった人々の命を背負えるほど、貴様も私も偉くはないという意味だ。お前は救いを求める誰かを探してはいかん。それは傍から見れば誰かの不幸を待ち望んでいるのと同じだ」
「う……」
「お前は、まず凛のためにもお前自身を許し、救わねばならん。でなければ死んだ後も後悔するぞ?」
士郎さんは考え込んでしまった。当然今は表層的なものだろう。だけど、今後カウンセリングなどに通うようになった時に、この話を思い出せば良い切っ掛けとなる可能性があると思う。それくらい今の話し方は上手かった。
「さぁ、ここまでだ。先に打ち合わせをさせてくれ」
「ああ……ごめんなさい……」
今ので、凛さんの質問も封じ込めた。この人もランスロットさんやランサーとの交流で随分と変わったなぁ。モードレッドも鼻で笑っているし、エルヴァちゃんもニッコリしている。ランサーなんて、酒でも飲もうやと言いださんばかりだ。
「見直しましたよ」
「君の姉のイリヤにな」
「姉さんに?」
「ああ、セリフをシミュレートしておけと言われていたのだよ。上手く行ったかどうか、自信は無いがな」
「や、お見事でしたよ? 言葉も選んでいましたし」
「そうか? なら良いのだが。で、どうだ?」
テントの中で防音結界を張った私達は、ここで感じたことや起きたことを詳しく話したのだった。