青藍島のメリークリスマス!~性の六時間作戦~ 作:みころ(鹿)
こいついっつも前書きでちんこの話してんな。
・・・
明くる日、夕方の玄関先にて。
制服に着替えた淳之介はアサちゃんに見送られていた。
「じゃあ行ってくる。知らない人が来ても絶対出ちゃダメだぞアサちゃん」
「わーてるって。みんなと一緒に待ってるから、兄も気をつけてね」
淳之介が考えた性の六時間作戦の回避方法。
それは淳之介自身が作戦に参加し、サンタとして自宅に戻ることで他のSSが家に来ないようにアリバイを作るというもの。
そのため今晩は橘家にNLNSのメンバーはお泊りする予定だった。アリバイ作りにしてもそれぞれの家を回るのは骨が折れるし、不測の事態にも対処しやすい。
なおサンタ訪問で自宅を指定することは既に礼先輩に話はつけており、どうしても妹をサンタ姿で驚かせたいと言ったらすんなりとOKを出してくれた。
「…よし」
ガチャリと鍵を閉め、淳之介は身を刺すような寒さに気合を入れ直す。
本来ならこの時間帯の青藍島では海岸に沈む美しい夕焼けが見えるのだが、今太陽は灰色に濁った空にかげってその姿は見えなくなっている。試しに両手へと吐き出した息は白く、僅かな暖かさもすぐに冷たさの中で消えてしまった。この分だとまたひと雪来るかもしれない、そんなことを淳之介に思わせた。
少し身体を温めておこうと小走りに駆け始めた淳之介は集合場所である学校へ向かう。変わらず人のいない町を抜け、砂浜を走り、身体が少し温まってきたところで学校の校門が見えてくる。ところどころ人の見える校門を通り、校庭へと足を進めるとそこにはSSの仮設テントが設営されていた。
「おぉ来たか橘。こっちだ!」
その一角から礼に呼ばれ淳之介はざわざわと騒がしいテントの下へと入る。並べられた机の上にはクリスマスプレゼントとして配る予定だというローションなどのアダルトグッズがところせましと並べられ、その合間をSS生徒たちがせわしなく動き回り何やら準備を進めていた。
同じく準備に追われているらしい礼の前に着いた淳之介は、彼女の後ろにある机の上に並べられた赤い服の存在に気がつく。
「これは…サンタ服じゃないですか!しかも長袖!」
「ふっふっふその通りだ!喜べ橘、男子のサンタ服は全て長袖長ズボンになっているぞ!……まぁ女子のは全部ミニスカなんだけどな…」
長袖、ある意味それは淳之介が今一番求めていたものかもしれない。
礼いわくこれらは全て倉庫の奥から引っ張り出してきたコスプレ用のサンタ服だという。勿論この作戦に必要不可欠な服装ではあるのだが、クリスマス自体無い常夏の島に良くこれだけのサンタ服があったものだと思う。
早速制服の上から羽織ってみると比較的肌寒さが和らいだ。まぁコスプレだけあってかなり薄手に作られているが無いより断然マシだ。そして礼から受け取ったズボンを二重に履き、頭の上にサンタ帽子を乗せれば淳之介のサンタコスが完成した。
「よし、見た目はまずまずってところだな。それじゃあSS全員が集まるまで少し待っておいてくれ」
「うーん…それだと暇だしなにか手伝えることないですか?」
「お、じゃあプレゼントの袋詰め作業を手伝ってもらえると…」
それから暫く、他のSS生徒と共に淳之介は白い袋の中にアダルトグッズを何個かごとに入れる作業に没頭した。内容を考えさえしなければ誰かと共同作業をするというのは青春っぽくて良い。ただ思うに世界広しと言えどクリスマスにアダルトグッズをプレゼントするのは青藍島ぐらいなものじゃなかろうか。やっぱり考えたら負けな気がした。
その後ほぼ全てのSSが集まり、整列したところで前に立った桐香と礼が数言話して性の六時間作戦開始の号令が出された。
「はい、どーぞッス!」
ピンク髪の女の子から袋を受け取り淳之介は他のSSが作るぞろぞろとした流れに乗って校舎の外へ出る。そして蜘蛛の子を散らすようにそれぞれの担当する家への道を分かれ、自然と全員が駆け始めた。
島中の家を一晩で回(ってセックスす)るのに時間はおおよそ足りていない。ほうと息をつき、袋を担ぎ直した淳之介もまた勢いよく駆けだしたのだった。
・・・
数時間後、もう何軒目か解らないがピンポーンと夜中に淳之介はチャイムを鳴らす。するとすぐにはーいと返事があり、ショートヘアの女性がニコニコ顔で玄関から出てきた。
「こんばんは!SSからのクリスマスプレゼントです、どうぞ!」
「ありがとう!…わっ、これ高級ローションじゃない!ちょうど切らしてたし助かる~!」
淳之介にとってはローションに高級も普通もあるのかという感じだったが、ここ数軒はあげたらだいたい喜ばれているので高級トイレットペーパーみたいな感覚なんだろう。
さて問題はここからである。高級ローションを手にした女性ははぁはぁと息荒く、じっとり♡とした視線でこちらのことを見つめていた。
「じゃあさっそくこのローションを使って君とヌルパコエッチを…!!」
「ううううううっっ!!?」
「な、なに!?どうしたの大丈夫!?」
突如としてうずくまった淳之介に慌てて女性が駆け寄る。
それを手で制した淳之介はできるだけ苦し気な表情でお腹を抑えた。
「すいません、前の訪問先でセックスしたときに鈴口から精液が輸精管の中で凍っちゃったみたいでして…!」
「そんな真冬に蛇口が凍るみたいな!?」
「あああああああ今おちんちん出したら金玉まで使い物にならなくなっちゃうううううっっ!!」
こういう時大事なのはとにかく勢いだったりする、しろ。
淳之介精一杯の苦痛の演技に最初は乗り気だった女性もドン引きというかもはや慌てた感じでブンブンと首を振った。
「いやいやいや無理しないでいいから!というかなんなら病院まで送ろうか!?」
「いえそこまでしていただかなくて大丈夫です!お騒がせしました!」
「そ、そう?じゃあえっとその、お大事にー…」
淳之介は頭を下げ女性の家を後にする。
これまで回ってきた数軒も今のような演技でセックスを回避してきた。この作戦においてセックス回避は一つの懸念事項であったが今のところ上手くいっている。
ちなみにかなりぶっとんだ嘘であることは自覚しているが、とはいえ性乱島の住民に生半可な嘘では通用しないのでああいうことになるしかない。というかちんこが凍結したと言って疑問に思わないどころかちょっとは信じちゃう性乱島住民側に問題があると思われる。
「ふぅ…」
ともあれ今の家で淳之介担当分は最後だった。後は橘家にまで帰れば淳之介の性の六時間作戦は終了となる。そもそもセックスする前提の作戦なので今晩中に学校に戻る必要は無かった。
だいぶ軽くなった袋を担ぎ淳之介は夜の街を家路についた。おおあくびをして携帯端末を点けると既に9時半。吐く息は白く凍りつき、外気に晒した肌は風が吹きつけるたび痛んだ。
温かいものを食べたいとぼんやりと考えながら歩く淳之介の耳に僅かな違和感が走る。
それは風を叩くような小さな音で、最初は何か聞き間違いかと思った。寒さに若干耳が麻痺してきていた淳之介が訝し気に耳を触った時、今度ははっきりとその音が聞こえてきた
「――――銃声!?」
淳之介にとっても聞きなじみのない破裂音、パンパンと断続的に闇夜に響く乾いた銃撃戦。
その音の出所に耳をすませば銃声に混じり誰かの怒声と戦闘音が確かに聞こえてきていた。
誰が何のために戦っている。真っ先に思い浮かぶのはSSと島に巣食うヤクザたち反社会的勢力の小競り合い。だがSSは今性の六時間作戦を行っている最中であり軍事行動を起こすという話は聞いていない。
淳之介は迷った末音のする方向へと足を進める。近づくにつれ徐々に大きくなっていく騒乱の音は街の郊外へと続いていた。どうやら戦闘は森の奥で行われているらしい。雪の積もった森の中は視界が悪く、入るにはかなりの勇気がいる。
街と森の境界に立った淳之介は森の中に目を凝らす。すると木々の合間を駆けていく大勢の集団を見つけた。
(あれはヤクザか…?)
見た目だけでヤクザとは解らないがこんな夜中に森を走っている集団という時点でかなり怪しい。ともあれ片方がヤクザとしてその戦っている相手は何なのだろう。
考えを巡らせる淳之介の元に着信が届く。振動する携帯画面を開けば礼からの電話だった。
「もしもし、礼先輩ですか?」
『橘、無事か!?今どこにいる!?』
聞こえてきた礼の声は切羽詰まり、聞かずとも緊急事態であることを伺わせた。
思わず背筋をこわばらせた淳之介は戸惑いながら聞き直す。
「今は…町にいますけど。無事ってどういうことですか?いったい何が…」
『いや無事ならそれで良い!とにかく作戦は中止だ、今日はもう家に帰れ!それと森には絶対に近づくんじゃないぞ!じゃあな!』
「ちょっ…!?」
そう一方的にまくしたてると礼はブツンと電話を切ってしまった。
息を吐いた淳之介は混乱しそうになる頭を冷静になだめる。情報は少ないが礼の言葉からSSが動いていることはわかった。
ということはヤクザと戦っている相手はやはりSSなのだろうか。だが作戦を中止してまで、このタイミングでSSが戦う理由までは解らなかった。
深く息をつき、再び森の中に視線を向けた淳之介。暗闇に慣れてきたその眼に映ったものは雪より白い後姿だった。
「あれは…文乃!?」
木々の合間を駆けるスナイパーライフルを持った和装の少女。以前町で遠目に見た時とは違う琴寄文乃の姿が今度ははっきりとそこにあった。
何かに追われているのか全身ボロボロになった文乃はこちらに気がつくことも無く森の奥へと走っていってしまう。
そこは今まさに礼から警告されたばかりの森。だが戦闘の行われている森に女の子を一人で行かせるわけにはいかなかった。
迷う間もなく森の中では目立ちすぎる赤いサンタ服を脱ぎ捨てた淳之介はポケットから引き抜いたゴーグルを着用する。そして文乃の後を追い森の中へ駆けだしながら麻沙音にコールをかけた。
『…もしもしぃ~。どしたん兄、なんかあった…』
「緊急事態だアサちゃん!現在座標のナビゲート頼む!」
『おん?…はぁ!?なんだこの反応数!!?』
アリアドネプロトコルを起動させ淳之介は雪積もる白銀の森を走る。
絶え間なき銃声は止まず、肌を刺す冷たさだけが戦場に満ちていた。
・・・
同時刻、淳之介が走りだした森の西端から北に1kmほど進んだ地点。
“最前線”であるここは最も戦闘が激しく、そして青藍島には似つかわしくない連中が勢ぞろいしている場所でもあった。
「
山下から駆けあがる無数のヤクザ達。
怒気を纏った彼らの手には拳銃やあるいは日本刀が握られ、進みづらい雪の中を闇雲に猛進していくその姿はまるで理性なき獣のようだった。
そして森を駆けていく彼らの行く先には『防衛線』が築かれており、その木々の合間の闇が瞬くように光るたびにヤクザが一人、また一人と倒れされていた。
「…これじゃあ鴨撃ちと変わらないじゃないか」
その陣地内。引き金を押し込みながら男はそう小さく呟いた。
白い迷彩服に包まれた熊のような男の構えているのはAKM。ロシア製フルオートライフルが短く火を吐き出すたびに覗きこんだサイト内の敵が吹き飛び雪中に倒れていく。
「リロード」
「カバー」
撃ち方を止めると素早く味方が射線を維持する。横に伸びた我らの防衛線の一角は先程から絶えずヤクザ達が侵攻してきており、今ようやくその波が一度引いたらしかった。
木に背中を預けて腕を休める男に前線を警戒している味方が声をかけてきた。
「フン、ジャップ共は大戦の時から何一つ成長していないらしい。所詮は特攻趣味の黄色いサルか」
「…そのようだな」
同意を返して男は口元を覆うマスク越しに白い息を細く長く吐いた。
これはあまりに一方的な蹂躙だ。だが相手が立ち向かってくる以上これは対等な闘争なのだろう。それに他の戦場に比べればここはまだマシな部類であることは明らかだった。
そんなことをぼんやりと思いながら休んでいると味方の胸につけた無線が鳴る。銃を構えたまま味方が片手で無線をONにすると雑音混じりに声が聞こえてきた。
『――こちらW3地点、情報にあったSSと思わしき部隊と交戦。予想よりも数が多い、増援求む』
「了解した、フロストコアを送る。そうすれば奴らも抵抗する意思を失うだろう」
フロストコア。その名前を聞いた瞬間男の喉は締め付けられるように息苦さを感じた。
銃を構えた男はちらりとだけこちらを一瞥すると短く命令を下した。
「聞いていたな、博士に連絡して奴を動かせ」
「…それは」
迷い。
そんな感情が思わず視線に現れてしまったらしい。感情の機微に鋭い感覚を持っている相手は鋭く目を細め、僅かな緊張感の磁場を滲ませると尋ねてきた。
「何か不満でも?」
「不満…と言うほどのことではない。ただ我々のしていることは…本当に正しいのだろうか?時々解らなくなる、自分が何のために戦っているのか…」
「何を迷う必要がある。祖国と家族のために銃を取ったあの日から我々にあるものは燦然たる正義だけだ」
「しかしあの子は違う!あの子にはもっと普通の幸せを得る権利が…!」
そこまで言ったところで突然胸倉を捕まれた。
ぐいと近づけられた相手の顔からは一切の感情が抜け落ち、見開かれたターコイズブルーの瞳が獣のように静かな殺意だけを纏いこちらをじっと見下ろしていた。
「ノースマイル」
「っ…」
「忘れたかセルゲイ、俺達に笑顔は似合わない」
「ああ…忘れちゃいないさ、キーマン」
キーマンと呼ばれた男がセルゲイの胸元を開放する。
息苦しさが消えたセルゲイがげほげほと咳を吐いたところでガサッ!と音をたてた茂みから生き残ったらしいヤクザがひとり日本刀を構え飛びだしてきた。
「死ねやぁああああああっ!」
向かってくるヤクザを前に素早くキーマンが動く。
巨大な肉食獣のような身体に見合わぬ俊敏さでキーマンはヤクザの斬撃を躱すと日本刀を持つ腕を鋭く痛打。弾き手放された刀が遥か遠の雪原に突き刺さり、丸腰になって怯んだヤクザに足払いがかけられる。
ドサリと尻餅をついたヤクザの男は雪のせいで立ち上がることもできず、キーマンが胸元のホルスターから漆黒のハンドガンを抜き取るところを見ていることしかできなかった。
「来世に祈れ」
額に銃口を押し付けられた人間は最後に何を思うのだろうか。
雪積もる森に一発の銃声が木霊した。
・・・
「くそっ…また雪か!」
文乃を探して森を駆ける淳之介の頭にはらりと雪が舞い落ちる。
夕方からずっと降りそうな気配はあったがよりによって今このタイミングというのも運が悪い。
ただでさえ半袖の淳之介の身体は先程から走り続けているにも関わらず感覚が薄れつつある。僅かにサンタ服を脱ぎ捨ててきたことへの後悔が頭をよぎるが、やはりこの森中をサンタ服でいては今頃誰かに見つかっていただろう。
「アサちゃん、文乃の現在位置は解るか?」
『うーん…それがヤクザ達のシグナルがどんどん非アクティブ化してきてる。ここからじゃ判別までは不可能だよ』
見失ってしまった文乃を探して麻沙音にはマップの解析を行ってもらっているがその結果は芳しくない。どうにもヤクザ達の動きが文乃を追いかけているわけじゃなさそうだということもそうだが、この悪天候の影響かアリアドネプロトコルは原因不明のバグを吐き出し続けておりそのせいで正確な敵位置を把握することが難しくなってしまっていた。
戦闘音の絶えないこの雪林の中を闇雲に動きまわることは命に関わる。
「うおっ!?」
雪に足を取られた淳之介の体勢が崩れた。
とっさに掴んだ木の枝がベキベキと大きな音をたててへし折れ、腕をついた掌が雪で汚れる。その冷たさに慌てて立ち上がった淳之介は掌を擦り合わせるように雪を払うと、はぁーと乱れた呼吸を一度整える。
さてここからどうしたものか。やはり行く当てのない行軍は危険だ、文乃の位置も解らない。このまま無暗に進めば本当に命を落としてしまうかもしれない。一度帰った方が良いかと考え始めた淳之介はふと周囲の変化に気がついた。
「戦闘が止んだ…?」
先程まで全方位から聞こえていた銃声がはたと消え去り、森には静寂が帰ってきていた。
いやそれも正確ではないか、僅かに遠方から小規模な戦闘音だけが僅かに聞こえている。
少なくともそれは『片方』が敗北したということを意味していた。ならば今行われているのは掃討戦か、追撃戦か。何にせよ戦闘の終わりが近いことを告げていた。
――――パァン!
その時、どこか近い距離から一際大きな銃声が響いた。
銃声でそれが何の銃種かまで解る淳之介ではないが、それはいつか聞いた文乃のスナイパーライフルの音に似ているような気がした。
少し迷った後淳之介は銃声のした方へと足を進める。警戒しつつ森の中を雪を踏み越えていくと、やがてとある森の一角の大きくひらけた窪地のような場所に行き当たった。聞こえてくる機械の駆動音と明らかな人の気配にしゃがみこんだ淳之介は木の影から空地の中を見渡す。
そこは半径100mほどはある円形拠点。充分な広さが確保されたスペースには迷彩柄のテントがいくつか設営され、素人目にも本格的な陣地が作成されているように見える。たき火の跡や弾薬箱らしきものと視線を動かしていった淳之介は、やがて陣地の中央付近にある奇妙なオブジェクトの存在に気がついた。
それは高さ5mはあろうかという黒鉄の柱だ。閉じた花の蕾のように先がすぼんだ形の物体は寒空の下で異質な存在感を放ち、その先端部分からは青白い線のような光が空に向けて放たれている。そして根元部分はキャンプの中央に鋼の支柱を張っており、接続された太いケーブルが束になって黒色の川のようにどこかへ流れていっていた。
(…機械か、でも何の?)
先程から続く機械の駆動音はあの縦長のオブジェクトから聞こえてきている。
しかし遠目ということもあるが森の中にあるには異質過ぎるその機械が何の目的のためにここにあるのかなど皆目見当もつかなかった。ただ時折黒い外殻の隙間から零れでる青白い燐光がじっとこちらを見つめているような気がして、どこか淳之介に不気味さを誘った。
視線で辿ると太いケーブルの先は柱のすぐ近くに設営されたテントの中に続いている。どうやらあの機械を制御するためのコンピューターがあそこにはあるようだ。
そしてテントの前には金髪の女性が一人立っていた。長い白衣を着たその女性は缶コーヒー片手に柱の方の空を仰ぎ佇んでいる。その研究者然とした姿からあの機械と関係があることは間違いないだろう。
キャンプ内には今あの女性以外の姿は見えない。明らかに敵地といった陣地内だがそれ以上に何故か淳之介はあの謎の機械のことが気にかかった。
木の影から一歩踏み出した淳之介、だがその歩みは背後から伸びた手にガシリと腕を捕まれ止められた。
「なりません、行っては」
「…文乃!?」
淳之介の腕を掴んだ者、それは先程まで追っていたはずの文乃その人だった。
混乱する淳之介にスナイパーライフルを持ち満身創痍といった文乃はその細く白い指をスゥとあげると、淳之介の隣から前方の陣地内を指さす。
「ここから“見える”だけでも三人。隠れていますが、確かにあそこに」
「…!」
淳之介が文乃の指さす方向を注意深く観察すると、そこには確かに白い景色に偽装した人影が潜伏していた。驚くべきは文乃の視力だろう。かなり遠いこの距離、言われなければ気がつかないほど小さな敵影を良く見つけられるものだ。もし文乃が止めてくれなければと考えるとぞっとした。
ふぅと息を吐きだした淳之介は今一度敵の姿を確認する。
(何というか、まさしく特殊部隊って感じだな…)
陣地を守るように散開する兵士たち。彼らの全身を覆う迷彩服と防寒仕様の装備は明らかにこの状況を想定したものであり、南の島に持ち込むようなものでは断じてない。思えばあの博士も長袖長ズボンという出で立ちだった。つまり、あの機械とこの状況は何か繋がりがあるという事に他ならない。
それに、ただならぬ雰囲気を纏う彼らからはヤクザやSS達とは決定的に違う何かを感じた。直接相対しているわけではないのに背を冷や汗が伝う。あれは本物だ、そう嫌な予感が淳之介に告げていた。
「絶対に…彼らに手を出してはいけません。例え私達二人がかりでも彼らのうち一人に手も足も出ないでしょう。あそこに行く事は無謀でございます」
「君は、あいつらについて何か知っているのか?」
「いえ…詳しいことは何も。ただ、あの機械が“空に何かしている”ことは間違いないようです」
謎の機械に、謎の敵部隊。
少なくともこの事件の元凶が誰なのかは解った。だが解ったところでどうにかなるのか。
歯がゆさに逡巡する淳之介の前、おもむろに背を向けた文乃は森の中へと歩み出してしまう。
「どこへ行くつもりだ?」
「まだ敵は残っておりますゆえ…ここは危険ですからあなた様は早くおかえりになってください」
「そんなわけに…っておい!」
数歩進んだ文乃の足がふらりと乱れた。
慌てて駆け寄った淳之介はその肩を支える。
「文乃、お前足が…」
文乃が着る純白の着物はあちこちがすれ、足の辺りにはじんわりと朱色が滲んでいる。
とりあえず近場の岩に座らせ裾をまくるとふくらはぎに長い切り傷ができていた。それほど深い傷というほどではないがこの足で走れば傷口が開く。それにこの寒さの中で出血し続けることは命に関わるだろう。
屈んだ淳之介は重ね着していたTシャツの袖を千切り文乃に応急手当をしながら語りかける。
「この傷じゃ戦うのは無理だ、背負ってやるから一緒に帰るぞ」
「しかし…私にはまだやるべきことが…」
「それで死んだら元も子もないだろうが!もっと自分の身体を大切にしなきゃダメだろ!」
声を張り上げてしまった淳之介に文乃はポカンとした驚きの表情を浮かべていた。
一瞬やってしまったかと淳之介は思ったが、文乃は少し目を伏せただけで逃げる様子はない。すぐに顔をあげた文乃はどこか複雑な思いの入り混じる微笑みで頷いた。
「…そこまで言っていただいて我を通すほど愚かなつもりはございません。是非、共に連れて行っていただけると幸いです」
「そうか!よしそれじゃあ…ってああ少し待ってくれるか?妹に連絡したい」
「はい、構いません」
ひとまずの応急処置を終えた淳之介は麻沙音に文乃発見の報告をするために立ち上がる。
ゴーグル型の端末で繋がっているはずの通信に声をかけた。
「もしもしアサちゃん、こっちで文乃を発見した。今から帰るから帰還ルートを…」
『――――』
「アサちゃん?」
何度か呼びかけてみるが反応は無い。どうやら先程から続いていた不具合が通信障害に化けてしまったようだった。早々に通信を諦めた淳之介は文乃の元に戻る。
幸い戻る道は何となく解るので森から出られないなんてことはないが、今この状況でアサちゃんのサポートを受けられない事は大きな痛手だ。とにかくあいつらと接敵しないように森を抜けていくしかない。
足を怪我している文乃を背に乗せた淳之介は歩き出す。スナイパーライフルを持った文乃を更に背負うと身体のバランスが少々乱れたが歩けない程じゃなかった。
ザクザクと踏みしめた地面が音を鳴らした。木々の合間からぱらぱらと降ってくる細い雪が時折まぶたにかかる。背中に乗せた柔らかな暖かさだけが雪に埋もれた景色の中で信じることができた。
暫く森の中を進んでいると肩口から文乃が喋りかけてくる。
「淳之介様は…何故ここに?」
「森で君を見かけて、助けようと」
「……それだけですか?」
「そう、それだけ」
表情は見えないが文乃があっけにとられた表情をしていることだけは解った。
ふふっと微かな吐息が淳之介の耳をくすぐる。そして文乃の身体からわずかに残っていたこわばりが消えた。
「あなた様は優しいのですね」
「そうかな」
「はい。誰かを想い、誰かのために動けることこそが、あなた様の美徳なのだと私は思います」
「誰かのために…か」
誰かのために動いても想いが伝わるとは限らない。逆に想いだけあっても正しくあれるとは限らない。善意とはそれだけを持っていても上手くいかないものなのだろう、ふとそんなことを考えた。
文乃と話しながら森を進む。足場の悪さもあいまってかなりの時間がかかってしまったが、淳之介の記憶が確かならばそろそろ道路が見えてくるはずだ。雪が積もっているとはいえコンクリートの上の方が歩きやすいことは間違いなかった。
盛り上がった木の根を超えると視界が開ける。そこは先程の野営地ほどではないが充分な広さがある雪原。
「…!?」
そしてその雪原の上には幾人ものSS達が折り重なるように倒れていた。
踏み荒らされた雪跡からしてここは戦闘が行われた後らしい。雪に埋もれたSS達はみないつもと変わらぬ制服姿であり、その肌はひどく青ざめてくすんでいた。
まるで爆撃でもあったかのような凄惨な光景に呼吸が乱れる。せめて生存者がいないのかと歩き出そうとした淳之介の肩から文乃が腕を伸ばした。
「あそこに、まだ人が」
文乃が指さした先。転がるSS達の向こう側では二人の人間が戦っていた。
片方はSS一番隊隊長である女部田郁子。鬼気を纏った彼女は血を流しながら傷つき、大きく呼吸を乱しながら雪を踏む。
そしてその日本刀を振るう相手は。
「子供…?」
白い迷彩柄のコートを羽織った後姿。
女部田と戦いながら揺れる紫色のマフラー、頭には同じ色のイヤーガード。
雪と同じ白い髪。郁子と同じかそれよりも低い身長、その手には漆黒の拳銃と逆手に持った短刀が携えられている。そしてよく見れば手にはめたグローブには青い光を放つ機械パーツが組み込まれているように見えた。
どことなくその姿は文乃と似ていた。だがその瞳はアメジストのような深い紫色を持っていた。横から見る中性的な顔立ちはハッとするほど美しく、一瞬淳之介には男女の区別がつかなかったがどことなくその体格と動き方から『少年』であるように思われた。
振るわれる日本刀をそいつはひらりと俊敏な動きで躱し間合い外まで逃れる。勇猛果敢にその後を追った女部田の追撃をナイフで簡単に弾くと、すかさずハンドガンによる反撃を行った。
(強い…!)
SS随一の強さをもつ女部田と互角かそれ以上の戦いを維持するその戦闘能力。
もし女部田が近づけばナイフだけで日本刀の猛攻を捌ききり、堅固な守りに攻めきれない女部田が息切れして距離を取ればこれを撃つ。
その攻防一体の動きには一切の無駄なく、そして全体的に巧さを感じさせる。対する女部田は持ち前の素早さで銃弾を躱すという神業を繰り返しているが、怪我のためかあるいは消耗しているためかその動きはどんどん鈍くなってきているように感じた。
「…」
今ならまだ加勢できる。
しかし淳之介が優先すべきは足を怪我した文乃であり、得体の知れない相手と戦うリスクを犯す事ではない。自分の行いに彼女を巻き込んで良い理由は無かった。
二人が戦う向こう側に町へと続く道路が見えた。ここから回り道をしていけば、まず彼らと鉢合わせることも無いだろう。
それでも一歩踏み出せない淳之介が見ている先で二人は苛烈な戦闘を繰り返している。あれだけ強く素早かったはずの女部田は今や壊れたブリキ人形のような緩慢な動きしかできず、そんな彼女の隙をそいつは決して見逃さなかった。
繰り返される射撃で放たれた一発の弾丸がついに女部田の脚を撃ち抜く。直後足を痙攣させた女部田は大きく体勢を崩し、それでもなお狂犬の如く敵に食らいつこうと刀を振り下ろす。
その瞬間、勝敗は決した。
俊敏に、冷静に。刀を躱したそいつは一歩前へ。反応の遅れた女部田に強く踏み込んだ強烈な回し蹴りが放たれ、弱々しいガードを突き破った黒い軍靴が女部田の顎に突き刺さるようにクリーンヒットした。
一撃だった。ドサリ、と女部田が血を吐きながら雪に倒れる。回し蹴りを放った少年は油断なく女部田を警戒していたが、ピクリとも動かない女部田の様子にやがて背を向けて歩き出した。
「――――ッッ!!?」
だが警戒が解かれた瞬間。気絶していたはずの女部田が獣のような動きで跳ねあがった。日本刀をひっつかみ少年の背後へ瞬く間に駆けると自らの得物を振り上げる。
完全な奇襲と背面攻撃。それを為すのは女部田の執念と化け物じみたバネの早さ。貪欲に勝利を追求した女部田だからこその勝利だ。
そう確信したはずだった。
「嘘…だろ」
背中に目でもついているのか、異様な察知能力で女部田の接近に気がついたそいつはしゃがみこむと同時、背後の女部田に鋭い足払いをかけた。まさか反撃をくらうとは思っていなかったのだろう油断しきった女部田はそのまま雪に顔から倒れてしまった。
雪の中でもがき取り落とした日本刀を掴もうとする女部田に、カチリと銃口が向けられた。
「…あ」
バン、バンバン。
三発、少年は避けようのない至近距離から見下ろした彼女に銃弾を放った。
雪に埋もれた女部田の姿はもう見えない。後に残されたのは軍服を纏った少年のみ。
戦いは終わった。勝者は何かを得て、敗者は全てを失う。たったそれだけのルールが現実に鋭く牙を剥いた。
「…淳之介様」
「あぁ…わかってる」
目の前の光景を受け止めきれずにいた淳之介を文乃の言葉が呼び戻す。
命が惜しければこれ以上あれに関わってはならない。文乃を抱え直した淳之介は今度こそ迂回路へ足を向けた。
「――――おまえっ…おまえが!」
その時だった、少年のいる方角から声が聞こえた。
足を止めた淳之介が見たそこにはボロボロになり、今にも倒れそうになりながら銃を構える糺川礼の姿があった。
「…そんな、無茶だ」
敵討ちのつもりか。
今まで倒れていたのだろう礼はとてもじゃないが戦える状態には見えない。精々立っているのがやっとといったところだろう。
あんな状態で戦えば負けることは目に見えている、何より相手は女部田を圧倒するような化け物だ。それでも真面目で仲間想いの礼はけっして逃げるということはしないだろう。
(…)
礼を見殺しにする。
例え淳之介が加勢したところで礼を助けることはできないかもしれない。勝算は低い。文乃を巻き込むことにもなる。
(それでも俺は…!)
それでも俺は、面倒見が良くて特撮ネタがウザくてちょっとどんくさい礼先輩とどうしようもなく友達だった。友達が何の抵抗もできず一方的に敗北することを淳之介は看過することができなかった。
息を飲み込み覚悟を決めた淳之介は文乃を呼ぶ。
「…文乃!」
「……私は構いません。あなた様が助けてくださったから私はここまで来ることができました。今度はあなた様のお好きなようになさってください――援護は、お任せを」
「すまん、頼んだ!」
背中から文乃を降ろした淳之介は一直線に駆け始める。
懐から穿き丸を抜き取ると勢いよく二人の間に飛び込んだ。
・・・
雪に深く足跡を残して淳之介は二人の間に立つ。
対峙して改めて目の前の子供が少年であることを認識する。だが近くで見れば見る程その造形の美しさと中性的な顔立ちもあいまって非現実さが増した。
まさしく美少年といった少年はそのアメジストのような瞳からどこか陰のある視線で淳之介を見つめる。突如として現れた敵を即座に警戒するその様子には一切の隙が無いように見えた。
「おい、大丈夫か!?」
すぐには動かなそうな少年を前に淳之介は背後の礼に声をかける。もし淳之介だと気がつかれれば面倒なことになりかねないが背を向けてゴーグルもつけているのでこちらの正体には気がつかれていない。
立っているのもやっとな礼は突然の闖入者に息も絶え絶えの返答を返す。
「お前は…うちの生徒か?誰かは知らんが…逃げろ…こいつには誰も勝てない…」
「ならなおさらアンタは逃げろ、ここは俺が足止めする!」
「だが…」
「良いから、早く行け!」
そう淳之介が強く言い放つとようやく礼は足を引きずり移動を始めた。
改めて淳之介は少年と相対する。穿き丸を構え呼吸を正し、少年の姿を良く観た。
目に見える武装はハンドガンとナイフのみだがコートの下に何か持っていたとしても解らない。
それと近づいてみて初めて気がついたが少年の右手には見慣れない円形の機械が取り付けられていた。青い光を発するその機械の表面は先ほど見た『柱』とどこか似ているように感じた。
「…そうか、お前が橘淳之介か」
突然名前を呼ばれて淳之介は唖然とする
「どうしてお前が俺の名前を…!?」
「クライアントからの情報だ。NLNS、現体制に反抗するレジスタンス。どこにでもいるものだな、お前らのような存在は」
クライアントと聞いて真っ先に思い浮かんだのはNLNSの支援を行ってくれている後見人。どうして少年が淳之介の事を知っているのかを考えれば辻褄も合う。しかしそれは同時に彼の御仁がこの少年と、ひいては『彼ら』を招いた…あるいは雇ったということに他ならなかった。
それは、何故?
「お前は…お前は一体誰なんだ?」
「俺の名前はグレイ。あえて言おう、俺は“お前の敵じゃない”」
「敵じゃ…ない?」
グレイと名乗る少年は敵ではないとそう言った。
武器を構え、相対したグレイはその紫色の瞳を細める。
「だからそこをどけ、怪我したくなければな」
「…もし俺がここを退いたらどうする?」
「あの女を狩る。増援を呼ばれては困る」
グレイの目的は礼、ひいてはSSの駆逐。
SSと敵対するという点においてはNLNSと共通する部分もあるのかもしれない。だがそのために礼をやらせるわけにはいかなかった。
淳之介は強く穿き丸を構え直す。それを反抗の証と受け取ったらしいグレイは陰のある殺意を放ち、素早く照準を絞った。
――――ズドン!
「ッ…スナイパーか」
直後、文乃からの狙撃が空気を裂いた。
ハンドガンの狙いを定めていたグレイは身を翻し狙撃をかわすと、文乃のいる方角に目を凝らした。2対1。卑怯ではあるが文乃のサポートのおかげでグレイにも隙ができる。強く踏み込んだ淳之介は穿き丸を振り下ろす。
グレイのナイフと淳之介の穿き丸がかち合った。
一撃、二撃と互いの得物をぶつけあって改めて実感する格闘能力の差。郁子と戦っていた時から解っていたことだがやはりこの少年は近接戦闘のスペシャリストなのだろう。正直言って淳之介の腕前でこの防御を突破できるかは難しいところだ。
「…チッ」
とはいえハンドガンの射撃の方は文乃の正確な狙撃である程度抑えられている。密着状態での狙撃支援は難しいが、ひとたび距離が離れればすかさずスナイパーライフルが火を噴く。完全とは言えないが相手の攻撃手段の一つを封じられていることは大きなアドバンテージだった。
ともあれ淳之介の勝機は前に出ることにしかない。文乃の狙撃が当たればそれに越したことは無いが、文乃と言えどこの雪の中で遠距離射撃を成功させることは難しいだろう。
それにいくら巧いと言えど相手は子供。基礎的な身体能力はこちらが上回っているはずだった。
「はぁ…はぁ…」
切り結ぶこと数撃。
荒い呼吸をしながら淳之介は更に前へと踏み出す。穿き丸をナイフで受けるグレイにはまだ余裕があるように見える。
心なしか先ほどから防御が間に合わないことが増えてきていた。グレイが本気を出したのか、淳之介は思ったように動けない。
「ぐっ!?」
腹に蹴りをくらった淳之介は数歩後ずさる。すかさず文乃の狙撃が飛びグレイの動きを制限する。
短く呼吸を整えた淳之介は何かがおかしいと感じ始めていた。
疲労が蓄積しているとはいえこの短時間で淳之介の動きがここまで遅くなるとは考えにくい。ならグレイの方が動きを速めたのかと言えばこれも違う。目に見えるグレイの動きは最初から変わっていなかった。
まるで淳之介の身体が遅くされたかのような、そんな突拍子も無いことを考える淳之介の手の甲に雪がひとつぶ落ちてくる。感覚が麻痺してこわばった指の上をもはや一切の冷たさを感じない水滴が垂れた時ようやく気がついた。
「…そうか、冷気か!」
全身に感じた違和感の正体、それは言わば『凍結』。
外気以外の要因によって淳之介の身体は急速に冷やされていた。熱を奪われた身体はこわばり、動きは凍るように遅くされていた。それにもし冷気が原因ならば女部田の動きが異様なほど遅くなっていた理由にも説明がつく。ただでさえ薄いSS制服は特に寒さと相性が悪い。
そして恐らくグレイが手に付けたあの機械が冷気を放出している。
そのせいでナイフと触れるたび身体が凍り、動きを遅くされていた。それほどの冷気を発する装置など着けている本人もただではすまないだろうが今のところグレイがそれで消耗している様子はなかった。
ただ種が解ってしまえばどうってことはない。触れると冷気を喰らうならば、近づかなければ良い。
「クソッ…!」
だが、淳之介の勝機は前に出る事にしかない。
近接武装しか持たない淳之介はとにかく白兵戦を仕掛けていく必要がある。距離を取ればハンドガンで一方的に撃たれてしまうだけだ。
前後どちらの選択も不利、せめて僅かな勝機があるのは前。とにかく淳之介はこれ以上動きが鈍って手の打ちようがなくなる前にグレイを倒すしかなかった。
「…甘い」
「ぐあああああああッッ!?」
ぎこちない動きで振り下ろした穿き丸を躱したグレイが淳之介の首に手を伸ばす。
ガシリと掴まれた首筋を強烈な冷気が覆い、燃えるような痛みが走った。
パァンと放たれたスナイパーライフルの銃声にグレイが身体を離す。ゴホゴホと咳をついた淳之介は膝をついて涙を拭う。低温で焼けたその喉は白く焼けてしまっていた。
闘志を奮い立たせ淳之介はまた走り始める。だがその動きはもはや通常時の二分の一ほどの速度しか出せていない。そしてそんな隙をハンターのように待ち構えたグレイは見逃さなかった。
「フッ!」
「くっ…!?」
短い呼吸と共に手首に打撃を加えられ淳之介は穿き丸を取り落とす。
反応の追いつかない淳之介にグレイは足払いをかけ、尻餅をついてしまった淳之介は慌てて立ち上がろうとするが雪に足を取られた身体はそう易々と起き上がれない。
「――――」
銃口が額に押し付けられる。
ドクンと心臓が跳ね上がった。すぐ目の前に死が見えた。無表情にこちらを見下ろすグレイの紫色の瞳が静かに輝いていた。
橘淳之介が死ぬ。グレイの指先に力が込められ、引き金がカチリと音をたてた。
「マジックミラー号だぁあああああああああああああああああああっ!!」
急速に鳴り響くエンジン音。
雪を跳ね飛ばしながら突っ込んできたのはSSのマジックミラー号。煌々と輝いたヘッドランプは照らし出した二人へと一直線に突っ込んでくる。
グレイが飛びのくと同時にどうやら道の方から森を無理やり突っ込んできたらしいマジックミラー号は淳之介の前でブレーキをかけ、数メートルほど滑ってから完全停車した。
ガションと音をたてマジックミラー号の後ろが開く。
「淳!」
「淳之介くん!」
中から飛び出してきたのは奈々瀬とパイプ椅子を装備したヒナミの二人。
未だ立ち上がれずに放心したままの淳之介に奈々瀬は駆け寄るとその肩を揺さぶった。
「淳!ちょっと淳!しっかりなさい!」
「あ、あぁ…って奈々瀬!?どうしてここにいるんだ!?」
「どうしたもこうしたも淳の反応がいきなり消えたからこうして助けに来たんでしょうが!あぁもうほんとに無事で良かった!」
「そうだったのか…ありがとう」
はぁと胸をなでおろす奈々瀬の向こう側、荷台の中から何故か身体に布団を巻いた麻沙音が顔を出した。
「あ、兄ぃ!」
「アサちゃん!」
ちょっと泣き腫らしたような麻沙音とひしぃっと抱き合う。
曰く通信が途絶してすぐに動き出した彼女達は途中SSのマジックミラー号を奪い、途中畔の家の近くに住むというおじいさんから雪上車に換装してもらったという。
その後は畔の運転でここまで来たというが、それにしてもとんでもない行動力である。こういう時女性って凄い。
ようやく死の恐怖から落ち着きを取り戻しつつある淳之介にグレイをパイプ椅子で威嚇していたヒナミが声をかける。
「ところで淳之介くん!あの子は何者なのかな、見るからにただものじゃないんですけど!」
「詳しいことは俺にも、けど恐ろしく強いから気をつけて!」
警戒しているのかすぐにグレイが動く様子はない。
抱き合っていたアサちゃんと離れるとマジックミラー号の運転席から降りてきた岬が駆け寄ってくる。
「大丈夫でしたか橘さん!私のお肉で温めましょうか!?」
「あぁ畔か、あっちの方に文乃がいるんだ。足に怪我してるから連れてきてもらえるか?」
「えっあっ私のボケはガンスルーですかそうですか…」
そう言うと悲しき贅肉はとぼとぼと文乃の回収に向かった。
別にボケは言ってくれても良いが時間と場所を選んで欲しい。そういうとこだぞ畔岬。
再び穿き丸を手にした淳之介の背に、ノートパソコンを持った麻沙音が声をかける。
「ここからならダイレクトサポートできる。アリアドネプロトコルも使えるよ」
「そうか…ありがとう、アサちゃん!」
寒さに弱い麻沙音がわざわざここまで来た理由はアリアドネプロトコルを使えるようにするためだった。妹の心遣いに淳之介は胸の熱さを感じながらグレイの前に相対する。
「形勢逆転、だな」
「…フン」
奈々瀬、ヒナミの増援が加わりこれで4対1.
確かにグレイは強い。だが数の力に勝てるほど絶対的に強いわけではない。
それにグレイを倒す必要もなくなった。岬が文乃を連れてきてくれればあとはマジックミラー号で逃げてしまえばその時点で目的達成だ。それに礼が逃げる時間は充分に稼げただろう。
「アリアドネプロトコル、再起動!」
ゴーグルに映し出される情報群を置き去り淳之介は再びグレイと相まみえた。
早さを取り戻した近接戦闘は先ほどよりも余裕を持てる。何より二人の支援が大きかった。
奈々瀬の投げたEgg型スタングレネードが破裂しグレイの視界を一時的に奪う。
舌打ちをしたグレイが後方支援に徹する奈々瀬にハンドガンを構えた。するとすぐさまその横合いに駆けたヒナミがパイプ椅子を振るう。
「どりゃあっ!」
「っ…素人の分際で!」
すんでのところでパイプ椅子をナイフで受け止めたグレイだったが腕にダメージが蓄積しているのかその動きは確かに鈍ってきていた。
再度振り下ろしたパイプ椅子を躱したグレイが距離を取る。
「ちべたぁっ!?」
「気をつけてください!あいつは冷気を使います、無駄な接触は抑えて!」
冷やされたパイプ椅子を取りおとした涙目のヒナミにそう叫んで淳之介はグレイに距離を詰めた。
穿き丸がナイフを打つ。呼吸の暇を与えない連続攻撃に流石のグレイも消耗してきていた。
「くっ…流石に不利か」
連携のとれた攻撃がグレイを襲う。
このまま押し切れば勝てる。確信する淳之介の前で辛そうに息を吐いたグレイは初めて戦闘スタイルを切り替える。
パンッ!と乾いた銃声が響き近接から初めて放たれた銃弾が淳之介の肩を掠める。
「っぶな!」
「ちょっと大丈夫、淳!?」
「あぁ、だけど…」
牽制弾に淳之介が怯んだ隙にグレイには再び距離をとられてしまっていた。
荒い息をしたグレイは抜き身のナイフを構えながら追い詰められた獣のように静かに、それでいて荒々しい視線でこちらを見つめている。
勝敗は明確だ。だからなのか一度肩の力を抜いたグレイは大きく深呼吸した。
「良い連携だ。数の差があるとはいえここまで追い詰められるとは思わなかった」
「そりゃどうも。ならもう退いたら――――」
「だが勝つのは俺だ、数の差程度で俺に勝てると思ったか?」
「なっ…!?」
グレイが突撃してくる。
あわや特攻かと身構えた三人の視線の先、グレイの手に取りつけられた機械が一際蒼く力強く光り輝いた。
「『Ash of absolute』――――!」
瞬間、世界が止まった。
それはまるで時間が止まったかのように。淳之介の身体から始まり、近くにいた奈々瀬、ヒナミの身体も不自然な姿のまま固まっている。切り取られた異空間の中では瞬きすら叶わない。
視界に映る半径10mほどの中で動くものは雪も、風も何一つ存在しなかった。その中心にいるグレイただ一人を除いて。
「形勢逆転、だな」
反論することすらできず、グレイが弾倉を入れ替えるところを指先一つ動かせずに見ていた。
ざくり、ざくりとグレイが一歩ずつ近づいてくる。そしてすぐ目と鼻の先に立つと白い息を大きく吐き出し、カチャリとハンドガンの銃口をこちらに向けた。
ただ遠のく意識の中で美しい少年の辛そうな表情が見えていた。
「……っ!?」
何かの殺気に気がついたのか飛びのいたグレイが飛来物をナイフで弾く。
ゆっくりと動かした視線の先に彼女はいた。
「冷泉院桐香か…相性が悪い」
マントをひるがえした桐香が走る。
その頭からはとめどなく血が流れており、傷だらけの全身には余裕があるようには見えない。
ほどなくグレイ対桐香の戦いが始まった。冷泉院のコイン投げにグレイはハンドガンで応酬し、走りながらの遠距離戦に発展する。
同時にグレイが離れたからか淳之介の身体も動き始めた。膝をついた淳之介は身体を抱え、激痛に身をよじる。まるで骨の奥から身体の温度を一瞬で奪われたかのような感覚は、七瀬とヒナミも同じだったようで二人も雪の上でうめいていた。
「兄!大丈夫!?」
マジックミラー号から走ってきた麻沙音が淳之介に駆け寄る。
淳之介はガタガタと歯を打ち鳴らし戦い続ける二人を視界の片隅に収めながら麻沙音に問いかける。
「アサちゃん…岬…は!?」
「うん、無事に文乃は回収できた!だからあとは逃げれば…」
「残念だが、そう上手くはいかない」
ジャキリと麻沙音の側頭部にアサルトライフルが突きつけられる。
気がつけば二人の背後には白い戦闘服を身につけた目出し帽の大男が立っていた。
突然の死の恐怖に麻沙音の顔が歪む。まだ身体を上手く動かせない淳之介は怒りの湧きあがりを感じながら膝をたてた。
「や…めろっ…!」
「動くな。動かなければ撃つことはない…頼むから抵抗しないでくれ、俺だってできれば子供を撃ちたくはない」
そう言うと大男は泣きだした麻沙音に膝立ちで頭の後ろで手を組むことを命じた。
改めて周囲を見渡せばこの男だけではなく周囲の森から軍人たちが現れてきていた。
「歩け!」
「ほわああああ畔岬今生のピンチ…!」
「…」
声に振り返ればマジックミラー号から他の軍人に背中を脅され岬と文乃が歩かされていた。
隙をつこうにも身体が動かない。例え動いたとしても即座に撃ち殺されるだろう。
再び視線を前に向ける。
グレイと戦っていた冷泉院の状況もやはり希望があるようには見えない。グレイと、周囲を包囲する兵士たちに絶え間なく警戒を続けているがその姿は罠にかかって身動きのとれない獣と同じだった。
グレイの背後から一人の兵士が近づく。その熊のような巨漢はゆっくりとこの状況を見渡すように歩く。他の兵士と姿は変わらないがその立ち振る舞いからリーダー格であることは間違いなかった。
最後にジッと感情の無い瞳で淳之介たちを見つめたその男はグレイの肩に手を置き、そしてその頬を殴りつけた。
「…ッ!?」
グレイの小さな身体が雪の上に倒れる。
痛みに呻くグレイの胸倉を掴んで立ち上がらせた男は冷酷に告げた。
「たかが女子供相手にどれだけの時間をかけている。お前はいつからそんな遊びを持てるようになった」
「ぐっ…がぁっ……!」
「忘れるなグレイ、お前は道具だ。道具に失敗は許されない。お前は理不尽な存在にならなくてはならない。感情など、笑顔などお前には必要ないのだから」
男の手から開放されたグレイが激しく咳を繰り返した。
そして男はゆっくりと淳之介を指さす。
「さぁ、あのガキを殺して任務を完全に遂行しろ。それだけがお前の存在意義なのだから」
「何を言っているキーマン!?それでは作戦が!」
身を強張らせた淳之介の背後に銃を突き付けていた兵士がキーマンに叫ぶ。
「身寄りのないガキが一人死んだところで構わん。少々作戦に狂いは出るかもしれんが誤差の範囲内だ」
「しかし…この子はまだ子供だ!」
「その通り。だが戦士であるならば死ぬ覚悟はできているだろう?」
「くっ…」
立ち上がったグレイが淳之介を見た。
即座に戦闘態勢をとった彼の紫色の瞳に感情は無く、獣のように純粋な殺意だけが込められていた。
今度こそ殺される。そう確信した瞬間、淳之介の背筋に濃くはっきりとした恐怖が走る。
「先輩はやらせない…!」
「フン、威勢の良い雌が。俺が相手してやろう」
「邪魔を…!」
助けに来ようとする冷泉院の前にキーマンが立ちはだかった。
同時にグレイが駆けだす。よろめきながら立ち上がった淳之介は辛うじて穿き丸を構えた。
二人の得物が重なり合う。だがもはやそれは戦いとすら呼べない一方的な蹂躙。一撃、弐撃、先ほどとは比べ物にならない程の猛攻が淳之介を削る。全身に痛みが走り、ついに終わりが訪れた。足元のおぼつかない淳之介に向けられたグレイの引き金に力が込められる。
直前――――
『GLIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIッ!』
――――暗く、雪に沈んだ森の奥からそれは現れた。
戦場に躍り出た黒い化鳥は機械音を叫ぶ。
青い燐光を身にまとう怪物はその全身から猛烈な吹雪を巻き起こした。
そしてその口先に白いエネルギー体を集約させると、淳之介たちに向けて極大の光線を放ったのだった。
・・・
読者の中にはロシア部隊っぽい設定なのに英語使ってるのはなんでだよ?と思う読者もいるでしょう。
しかしもし僕が本当にロシア語で書いたら君たちは単語を読むことができず泣き叫び、罪なき作者に暴動を起こすに違いありません。
つまり悪いのは暴動を未然に防いだ僕ではなくロシア語が解らない君たちというわけです。悔い改めてください。ちんぽちんぽ。
それと次回最終回だから心して待て。