なお後書きは分岐狂愛ルートの話になります。
(もうすぐ、もうすぐよ、姉さん……)
――カナヲと仇の鬼を殺す際の戦いを打ち合わせた後
しのぶは一人、屋敷の外で石に腰かけながら空を見上げていた。もうじきこうすることもできなくなる。アオイや屋敷の皆とも会えなくなる。悲しさが込み上げるが、それでも己の復讐を止める足掛かりにはならない。それで揺らぐほど、ヤワな決意ではない。
(姉さん……必ず仇を討つわ。この身体を餌にして、絶対にっ……)
手をぎゅっと握り締める。姉を殺した鬼を殺す――それを目的にこれまでやってきたのだ。なんとしてもやり遂げて見せる。そう決意を新たにしていたその時だった――
「はぁっ、はぁっ……しのぶ、さんっ!」
「炭治郎くん……?」
息を荒げ、汗を滲ませた炭治郎がしのぶの前に現れた。どこからか走ってきたのだろうか。
「こんな夜遅くに何か御用ですか?」
「しのぶさん、鬼に自分を食べさせて弱らせ殺すって……本当なんですか!?」
その言葉を聞いた瞬間、心臓が大きく跳ねた。なぜ彼がそのことを知っているのだ。あの場には自分とカナヲ以外の気配はなかったはず。
「……カナヲから聞いたんですね」
あの策を知っているのは自分と、それを話したカナヲだけ。あの場で他に聞き耳を立てていた者がいない上に、自分が話していない以上、カナヲ以外に考えられない。いつもの笑みに影が差した。
「……私を止めに来たんですか?」
「そうですっ! 俺はしのぶさんに死んでほしくないんです! 仇の鬼を倒すの、俺も手伝います! 必ず倒します! だから――」
「この世に必ずなんてない!」
「っ!」
「この世に必ず……なんて言葉はないんですよ。そう思っても、願っても、それは容易く踏みにじられる……。そんな壊れやすい言葉、聞き入れませんよ」
必ず帰ってくる――そう言って帰って来なかった継子たちを何人も見てきた。この世に絶対はない。自身の策で鬼を殺せるという保証さえないが、弱らせはできる。これほどの毒が回った身体だ、解毒出来たとしても時間がかかるはず。
「やってみなくちゃわかりませんよ! 俺も一緒に戦って少しでも勝率を上げます! その考えはどうにもならなくなった最終手段でもいいじゃないですか!」
悲痛な彼の叫び。泣きそうな彼の表情に、胸が締め付けられる。彼にこんなことを言わせていることに、そんな顔をさせていることに強い罪悪感が湧く。
「どうして……、どうしてそうまでして私を否定するんですか!? 私はあの鬼を討つ為に今まで頑張ってきた! 技も磨いた! 全身を毒の塊にした! そうしてまで姉を殺した鬼を殺すと決めたんです! それを、それをっ……否定しないでくださいっ……!」
激昂したしのぶは彼に己が胸の内を叫ぶ。彼には、炭治郎にはわかってほしかった。彼も自身と同じく、家族を鬼に殺された身。自分の気持ちをわかってくれる。なにより、彼に否定されたくない……。しかし、
「しのぶさんの怒りは痛いくらいわかります! ずっとしのぶさんからは怒ってる匂いがしてました! でも、俺はそれを
「それ以上言わないでくださいっ!」
「――っ!?」
青筋を立てたしのぶの怒号と覇気に、炭治郎は思わず閉口する。先ほどから感じていた怒りの匂いが一層濃くなった。しかし、その中には確かに悲しみの匂いがする。
「そんなことを言って私を惑わせる気なんでしょう? 炭治郎くん……これ以上、私の中に入ってこないでください。これ以上……入って来られたら私はっ……!」
訴えるように、懇願するように絞り出した震声。彼女は揺れている――このまま彼女を説得して、思いとどまらせなくては――
「俺は言います! 俺、竈門炭治郎は胡蝶しのぶさんが好きです! 一人の女性としてっ、好きなんですっ!」
(――!)
彼の告白に一瞬目を丸くする、がしのぶは表情が見えないように顔を伏せた。どうして、どうしてこの時にそんな言葉を聞くことになるのだ。死ぬのが怖くなるから、誰も好きにならないと決めていたのに。なんで彼を好きなってしまったんだ。なんで、なんで彼は自分なんかを好きになってしまったのだ。そうならなければ、
「……その言葉、姉さんが亡くなった時に聞きたかった……」
怒気を消し、顔を俯かせる。あの時すでに彼と出会って、彼と想いを通じ合わせていれば、今とは違う自分になれていたかもしれない。そうすれば、
「炭治郎くん……どうしても……私を止める気、なんですか? 今までの私の苦労も、時間も、すべてを否定してまで……」
「しのぶさんっ! 俺は貴女に生きていてほしいんです! 俺だけじゃない! カナヲもアオイさんも、誰も自分から死にに行くことを望んでいない! だから――」
「――
「っ……!」
彼の言葉に、"死にたくない"という気持ちが湧き上がってきてしまう。押し殺していたのに、そう思わないとしていたのに。
「そうですか。では――」
「
「っ!? しのぶさん……?」
いつも自身に見せている笑みで、彼女の口がそう告げた。
「嬉しいですよ、炭治郎くんの気持ち。私も、実は炭治郎くんのコト、好きだったんですから――」
「――! だったら――」
「だからこそ、私自身の手で殺します。そうすれば――」
両思いとわかり、生を望む気持ちが湧き上がってくる。けど、それを
「――
それは生を望む思いを殺すこと。『自分から命を絶ちたくなるほどの』強烈な感情さえあれば、まだ自分の身を犠牲にするあの策を行う覚悟を失わない。自分から死にたくなる気持ちを強めることで、この世への未練を断ち切る。生じる強い自殺願望を自身に植え付ければ、もう感情がブレることはない。
「しのぶ、さんっ……!」
「思えば、これも愛のカタチなのかもしれませんね……。炭治郎くん、君がいずれ鬼の手にかかって死ぬのなら……いっそ私の手で殺してあげます」
その手に残る『殺した感触』も死に逝く彼の顔も、すべて自分に焼き付く――それを
「俺は死にません! 無惨を倒すまでは絶対にっ! そしてしのぶさんには生きていてほしいんですっ!」
「……ではその思い、私が踏みにじりましょう。私は君を踏みにじってまで、復讐を果たします――!」
次の瞬間、二人は互いに剣を抜き、相手に向かっていく。想いを踏みにじってまで生かそうとする者と、殺そうとする者の、譲れない戦いの火蓋が切って落とされた――
◇
「勝手に人の心に土足で入り込んでっ! 好き放題に私の心を乱してっ! 目障りでしょうがないんですよっ!」
「……でも、それもここで終わりです。炭治郎くんは、私の毒で優しく殺してあげましょう」
「ふふ……炭治郎くんが死に逝くその瞬間に見ているのが私なんて……気分が高揚するじゃないですかっ……!」
目に狂気を帯び、しのぶは炭治郎に猛攻を仕掛けてくる。一撃一撃が急所や僅かな隙を狙った強烈な一撃。柱の名を冠するだけあって、鋭く洗練された技の猛襲。それに炭治郎はなんとかついていっている状態だ。第一、炭治郎は攻撃の動作は一切取らずに防御に徹している。
「くっ……!」
「どうしました? 防戦一方では私を止められませんよっ!」
しのぶを深手を負わせるわけにはいかない。かといってこのままでは状況は変わらない。技を出しても出し所を見誤れば、そこに出来た隙を即座に確実に突いてくる。そしてなにより彼女の一番厄介なのは刺突撃よりも毒。柱の中でも特殊な戦法を用いる彼女、鬼のみならず人間を死に至らしめる毒を仕込むのは雑作もないはず。ならば『一撃でも掠ってしまえば』それは自身の敗北、果ては死に直結する。
故に彼女には『無傷』で勝たなくてはならない。それは至難の技だ。しかしただ防御に徹しているわけではない。彼女は女性だ、体力的には自分が優位だろう。つぶさに相手を観察し、隙を見せた時に技を叩き込む。
(けど、それくらいしのぶさんも見抜かれてる……!)
頭の回転の速い彼女の事だ。実際すでに炭治郎が考えている戦法は見抜いていた。故に激しい攻撃をしたかと思ったら、攻撃の手を止め、こちらの様子を伺うを繰り返している。そうして体力が尽きないように調整をしているのだ。でも……、
(必ず勝機はある……! 負けられない……!)
身勝手だと思う、彼女の覚悟を踏みにじってまで生きろということは。自分は彼女の姉の死に様を見ていない、どんなものだったかは話しか聞けない。しのぶとの過ごした時間なんて、彼女の憎悪を燃やした年月に比べれば微々たるものでしかない。彼女の怒りも、憎しみもすべては想像することしかできない。しのぶからは確かに怒りと悲しみの匂いがする。
彼女に生きていてほしいというのも、所詮は自分の我儘なのかもしれない。自分には彼女を止める資格も、本当はないかもしれない。
――それでも、例えそうだったとしても
彼女を止めなくちゃならない。理屈ではなく、心が身体を動かす。炭治郎は心の火を燃え上がらせ、彼女に向かっていく――
――激しい剣劇の音が響く
どれくらい時間が経っただろうか、それすらもわからない。精々わかることといえば、月が出ている夜ということだけ。
「っ……はぁっ、はぁっ……!」
「くっ……ふぅ、ふぅっ……!」
両者共に息を乱している。滝のような汗が流れ、顎から地へと零れ落ちていく。
「くっ……!」
それでもしのぶの猛攻は続いていた。が、その攻撃にも変化が訪れていた。以前は体力が尽きないように立ち回っていたのが、その間隔が短くなり、攻撃の時間が長くなっている。それもそのはず、しのぶは焦っていたのだ。
彼を傷一つロクに付けられない自分に苛立ちを募らせ、徐々に冷静さを上回ってきていた。その感情は攻撃に現れ、息もつかせぬ連撃と化す。だが、その分怒りのあまり攻撃が単調になってきていることを、しのぶは自覚していない。自覚出来ない。自覚する余裕がない。
怒りの匂いが濃くなってくのを、炭治郎ははっきりと嗅ぎ取れた。それでも彼女の気迫に圧されることなく、冷静さを保って刀を構える。ここで彼女が冷静さを取り戻しては、勝負は振りだし。勝負に出るなら今――!
「水の呼吸 壱ノ型 水面斬り――!」
「っ!」
「捌ノ型 滝壷――!
炭治郎はここで防御を解き、攻勢に出た。彼の突然の行動に驚くも、瞬時に思考を切り替え、しのぶは回避行動を取る。
(勝ちを焦った? この状況で? いや、しかしこれは好機。仕掛けるなら今――!)
連撃による大きな隙を、しのぶが見逃すはずもない。炭治郎の技を蝶が舞う様に避け切ると、即座に攻撃動作を取った。
「蟲の呼吸 蜂牙ノ舞い 真靡き――」
一気に間合いを詰め、突きの一撃を見舞う。素早いこの技であれば、刀を構えるのは間に合わない。この一撃を受ければ、彼は毒を受けてやがて死ぬ。刹那――竈門炭治郎は胡蝶しのぶの手によって、命を落とすという事実が脳裏を過る。殺したくないという感情を押し殺し、しのぶは炭治郎に突進した。
確かに刀で攻撃を防ぐことは間に合わない。しかし、
(――見えた!)
炭治郎の目には、しのぶに打ち込む隙が視覚化され、糸のように見えていた。それを頼りに、炭治郎は次の一手を打つ。
「――! 身体を捻ってっ……?」
突きが当たる瞬間、炭治郎は身体を捻り、攻撃を躱す。彼は読んでいたのだ。この状況で隙を見せれば、必ず彼女はそこを突いてくるはずだと。そしてしのぶは炭治郎の予想通り、その隙を逃すことなく突いてきた。
しのぶの突きが炭治郎の腋下を通過する。その直後、炭治郎は腋を締めてしのぶの腕を挟み込んだ。突く力が強くても、鍛えられた腕によって挟めされれば彼女は逃げられない。
(腕がっ!? これじゃ刀を振れないっ……! ならっ……!)
「このっ……!」
しのぶは左腕を振りかぶり、殴りにかかる。しかしそれも、炭治郎の予想通りの動きだった。炭治郎は右半身を捻って内側に傾けると、左腕も同様に腋下に挟み込む。
「っ……!」
「これで逃げられませんよっ、しのぶさんっ!」
完全に密着した状態。炭治郎の腕の力は強く、腕を引こうが抜ける気配はない。
(まだ、ここから蹴りを――!)
ならば脚がある。威力はないにしても引きはがす程度のことは可能だ。仕込み刃は踵側な為に使えないが、股間を蹴り上げてでも――!
「すみませんっ! しのぶさんっ!」
そういうと、炭治郎は上体を反らす。しのぶが蹴りを放つよりも早く、背を僅かに反らしたそこから勢いよく、
ガァンっ!
「がっ……!」
しのぶの額目がけ、頭を叩き落とした。自他も認める石頭である炭治郎自慢の頭突き。それをモロに喰らったしのぶは、額を割られて血を流す。さらに頭を強い力で揺さぶられ、意識が遠のいていく。
「ぅ……ぁ……」
ふらふらと身体を揺れると、しのぶの身体はがくんと崩れ落ちた。炭治郎の頭突きで失神してしまったのだ。それにより手から力が抜け、日輪刀が地へ落下する。
炭治郎はしのぶの動きを封じた上で攻撃を与える方法として、この策を思いついたのだ。もっとも額が割れてしまうのは想定外ではあったが。
(危なかったっ……! ほんの少し、こっちの反応が遅れていたら通用しなかった……! でもこれで――)
「俺の、勝ちです……しのぶさん……」
◇
「……ん……ぅ……」
「あ、しのぶさん、気が付きました?」
僅かな呻きの後、しのぶは目を覚ました。開いた瞳に映るは心配そうな顔の炭治郎と星空。この位置関係と体勢から、膝枕されてる? 身体を起こそうとするも、まだ眩暈し、炭治郎の手によってやんわりと寝かされた。
「まだ寝てた方がいいですよ。一応手当はしましたけど……」
手当という言葉に、しのぶは額の違和感に気が付いた。そうだ、自分は彼の頭突きを喰らって――
「私は……負けたんですね……」
「……はい」
この期に及んで彼に攻撃を与える気にはなれなかった。なによりそうしたところで、手負いの自分の攻撃などすぐに抑えられてしまう。
「どうして……」
「?」
「どうして、そこまでして私を止めようとしたんですか……? 一歩間違えれば死んでいたんですよ……?」
しのぶは炭治郎を本気で殺そうとしていた。最後の一撃だって、判断が僅かに遅れれば致命傷になっていたはず。殺意には一瞬の揺らぎもなかったのに、炭治郎は一切逃げることなく立ち向かって来たのだ。
「どうして……って、俺がしのぶさんのことを好きだからですよ。好きだから、生きていてほしいから、だから止めたんです」
「……」
「それだけじゃ不足ですか?」
不足なんかではない。それは十分過ぎる理由。一方的だと思っていた、自分の片思いだと思っていた相手から突然の告白。嬉しいのに、それでいて悔しさと虚しさが飛来する。
「まだ、間に合いますっ……。炭治郎くん……嘘だって、言ってください……! 誰も好きにならないって決めていたのに、それでも好きになってしまったから……」
「……」
「私の片思いだったら、踏ん切りがついたのに、死ぬのは怖くないって思ってたのに……そんなことを言われたら、死ぬのが嫌になるじゃないですかっ……!」
死ぬことへの恐怖もある、覚悟もした。しかし炭治郎からの好意を受け取ってしまった今は、両思いであるとわかってしまった今の自分は、死ぬことへの未練がはっきりと出来てしまったのだ。
悔しいのに、辛いのに、痛いのに、苦しいのに、悲しいのに――なのに、なんて嬉しいのだろうか。
「嘘なんかじゃありません。しのぶさん、もし貴女がよかったら……俺と
「っ……!」
彼の言葉に涙腺が緩む。ここで断ってしまえばいい、彼の想いを拒めばいい、そう自分に言い聞かせようにも、上手くいかない。そればかりか、双瞳からポロポロと涙が零れていく。星空が、炭治郎の顔がぼやけてしまう。必死に抑え込んでいた恋慕が身体から噴き出て止まらない。しのぶは思わず手で目を覆った。
「ぅ……くっ……ひくっ……は、ぃ……」
夢なら覚めないでほしい。泡沫の夢だったとしても、復讐で散らす命だとしても、幸せな夢くらい見せてほしい。しかし自身の唇に触れ、吐息を感じさせたその感触が、これは夢ではないのだと実感させた。
「……ごめんなさい、炭治郎くん。少し……泣かせてください」
◇
「みっともないところを見せてしまいましたね……。ごめんなさい」
「全然かまいませんよ、これくらい」
ひとしきり泣いた後、しのぶは仏壇の前で炭治郎と共に手を合わせていた。あれほどまでに自分のすべてを注いでいた復讐計画を半場諦めるような形になってしまったのだから。
といっても復讐そのものを諦めたわけではない。一人だったのが、二人になったのだ。命を投げ出すような仇討ちではなく、生きて帰ってくる仇討ちをすることに決めた。彼がいるから出来るなどとは、甘い考えかも知れない。それでも彼がいれば、生きてこの屋敷に戻って来れるような気がした。
「しのぶさん」
「はい? なんでしょう?」
「死んでまで復讐を、なんてもう思わないでくださいね?」
嗚呼、もう死んでまで復讐を――なんてもう思えない。だって、君がいるのだから。
「……思いませんよ。誰かさんに踏みにじられちゃいましたから」
「すみません、本当はあんなことを言うつもりはなかったんですけど……」
あの時の言葉は自身を止める為に言ったのだということは、すぐにわかった。そうまでして止めようとした彼に愛おしさが募る。
「構いませんよ。でも……そうですねぇ、それだったら――」
しのぶは炭治郎のすぐ真横に移動し、こてんと頭を彼の肩に乗せた。
「――少しの間だけ、こうさせてください」
彼の温もりを感じながら、瞳を閉じる。彼と一緒ならどこまでもいけるような、そんな気がした――
↓以下狂愛ルート。もししのぶが勝利してしまった場合
「ぐっ……!?」
剣先に確かな感覚があった。直撃はしていないものの、彼の喉脇に掠り傷を付けたことを視認し、しのぶは勝利を確信する。なぜなら――
「がっ……ぐぅぅ……!」
「私の勝ちですね、炭治郎くん」
自身の毒は掠り傷でも体内に入り込み、身体を蝕む。今回使った毒は即効性のある毒だ。流石の炭治郎といえど、傷を負わずに戦うなどというのは無理だった。
身体に流れ込んだ毒に苦しみ、呻き声を上げながら、炭治郎は膝をつく。呼吸で毒の巡りを遅くしようにも、予想以上に巡りが早い。瞬く間に炭治郎は全身に力が入れられなくなり、その場に倒れ込んだ。
「ごふっ! こはっ……!」
「私を止めに来てくれて、嬉しかったです。そして、ありがとう炭治郎くん」
彼を膝枕をしながら、しのぶは彼の顔を見下ろす。嗚呼、これでより覚悟が固まった。もう、この決意が揺らぐことはない。もう賽は投げられたのだ。
「苦しまない毒を使いました。後は眠るように逝けます」
彼を苦しませないように死なせてあげたい。それはしのぶのせめてもの想いだった。
どの道これで退路は塞がれた。恐らく間もなく決戦の火蓋が切って落とされるだろう。そこには姉の仇である鬼がいるはず。あとはこの身を犠牲にしてでも、討ち取るのみだ。
「先に逝って待っていてください、近いうちに私もそこへ逝きます」
「はぁ……、ぁぁ……しの、ぶ、さん……」
彼の目はもう虚ろだ。もう間もなく彼の命の火は消える。
ひとまず彼を隠し、事が済むまで周囲にバレないようにしなければ。バレてしまえば、彼を慕う者が自身を殺しにくるだろう。それか、重大な違反行為によって粛清されるかも知れない。それまでは事を露見させるわけにはいかないのだ。
「……」
「炭治郎くん? あぁ、もう喋れませんか」
もう言葉を発する力さえも残っていないのだろう。炭治郎が死の間際、その瞳に映すのが自分――胸に迫るものがある。ゾクゾクと背筋が震える感覚だ。
やがて炭治郎の瞳がゆっくりと閉じていく。呼吸する胸の上下も緩やかになっていく。彼の髪を撫でながら、しのぶはその姿を目に焼き付ける。そうまでして自身を止めようとした最愛の人を。
「……さようなら、炭治郎くん。私も……君のことが好きでした」
ポタポタと双瞳から零れた涙が炭治郎の頬を濡らす。彼を殺したことが悲しいのか、復讐の覚悟がより強固となったことが嬉しいのか、わからない。
しのぶは身体を屈めて、炭治郎の唇に己の唇を落とす――初めてした口づけはほんのりと冷たく、鉄の味がした。彼の吐血を指で掬うと、自身の唇をなぞる。炭治郎の血で自身の唇に紅を施した。鮮やかな赤が、色白の彼女を栄えさせる。
もう生きようとは思わない。恋慕していた、想い合っていた相手を自らの手で殺めたのだ。それに伴う強烈な自殺願望が、生を諦めさせる。まるで無理心中のよう、と心のどこかで思った。
「ふふ……あは、はははは……」
小さく、しのぶの口から笑い声が漏れる。なぜ自分は笑っているのだろう。わからない。まるで壊れてしまったみたいだ。いつから自分は壊れていたのだろうか。
(――そうか、姉さんが死んだときから、私はもう壊れていたんだ)
冷たくなった彼の頬を撫でながら、彼女は狂ったように忍び笑い続けた――