『慣れない戦闘シーンを書く』
――鬼舞辻無惨との闘いは終結し、人命を脅かす鬼はすべて消滅し、戦いのない平和な世が戻ってきていた。
竈門炭治郎も妹の禰豆子と共に、その平和な日々を過ごしていた。のだが――
「……」
戦いが終わり、後始末がすべて終わった日からというもの、彼はぼんやりと縁側で外の景色を眺めることが増えた。心にぽっかりと穴が開いたかのように、ただそこから流れる景色を見続けるだけ。その空虚な彼を、禰豆子や善逸、カナヲ達は不安そうに見つめる日々。それもすべてはある人物の死が関係していた。
――胡蝶しのぶ
鬼殺隊の柱の一人、蟲柱だった女性。密に恋い焦がれていた彼女を喪い、想いを伝えることが永久にその機会を喪失。最初は誰もが深刻に受け止めなかったものの、炭治郎の精神的ダメージは相当なものだったらしく、あの戦いから暫く経つというのに、一向に彼は変わらなかった。
事態を重く見たカナヲや善逸達は、何とか彼を立ち直らせようとするも上手くいかずに事態は好転せず。そしてその日、ある人物を連れてくることにしたのだった。
「炭治郎、冨岡さんが来たよ」
その声に、炭治郎は顔を上げた。そこには自分達を助けてくれて、共に戦ってくれた恩人の姿。カナヲ達で彼の心を変えることはできなかった。でも彼ならばあるいは――カナヲや善逸達は、二人の様子を伺う。
「炭治郎、久しぶりだな」
「義勇さん……」
義勇は炭治郎の変わりように内心少し驚いていた。彼の姿は、共に戦場を駆けた戦友ではなく、死を待つ老人のように見えていた。
「珍しいですね、義勇さんが来るなんて……。……どうしたんですか?」
「……引きずっているのか?」
「……義勇さん、何言ってるんですか? 俺は何も――」
困ったような、儚さを滲ませた笑みが酷く痛々しい。
「『胡蝶しのぶ』の事だ」
「っ……!」
その名が出た途端、炭治郎が固まる――その反応がすべてだ。炭治郎は未だに彼女のコトを引きずっていたのだ。彼女の死を理解してはいる、それでも心が上手く動こうとはしない。
「……やはりそうか」
「……」
炭治郎は答えない。俯く彼の顔からは、表情が読み取れない。
「いつまでそうしている気だ? 何をしても彼女が戻ってくることはないのはわかっているはずだ」
「……わかってます」
炭治郎自身、それはよくわかっていた。死んだ人間は生き返らない――それは自然の摂理、生と死は同一のもの。生がある以上、死は必ず訪れる。彼女はそれがあの時だった、それだけのこと。家族や杏寿郎、仲間の隊士たちを亡くした時は気持ちの整理が出来たのに、今はそれがどうにもうまくいかなかった。
「お前はわかっていない。いい加減――」
「っ! 忘れろっていうんですか、しのぶさんの事を! 」
バッと顔を上げて炭治郎は声を荒げた。その表情にはありありと憤怒の感情が現れ、義勇を睨みつける。
胡蝶しのぶのコトは忘れて前へ進もう――それは以前炭治郎を説得しようとした者から出た言葉。それを言われた時、彼は酷く表情を歪ませた。忘れろ? 前へ進む? それが何だと言うのだ。そんなことをして、そうまでする意味があるというのか。
「そうしないと前に進めないからってっ! それは悪い事だってっ!」
「……」
「だったらっ……、だったら俺は前に進めなくていいっ!」
それは抑えていた感情の吐露。吐き出せずに溜め込んでいた感情を包み隠さず、偽りなく、感情のままにただただ吐き出して、ぶちまけていく。咎めるような言い方の義勇に、強い反発して炭治郎は激昂する。
「第一、誰がそんな事を決めたんです!? 亡くなった人を思い続けることがそんなに悪いんですか! 想い続けちゃいけないんですか!」
「違う。そうは言っていない」
「そ、そうだよ炭治郎……。私だって、アオイや皆だって……」
想い続けることは決して悪いことじゃない。誰にもそれはわからない。カナヲもアオイも、炭治郎にはずっとしのぶの事を覚えていてほしいのだ。しかし、
「想い続けるのは悪いことじゃない。だがお前は彼女に
「っ……! 確かにっ! 俺はしのぶさんの事を未だに引きずっています……! 今でも俺があの人を気にかけてればってっ、どれだけ悔やんだって悔やみきれないっ……!」
炭治郎はいまでも悔やんでいた。もっと彼女を気にかけていれば、防げたかも知れない。一緒に行動していれば、彼女が死ぬことはなかったかも知れない。そうすれば今だって自分の横には彼女がいて、ほほ笑んでくれたかもしれない。――だがすべては"たられば"の話。しかし、だからこそ悔やまずにはいられなかった。
「それがしのぶさんを助けられなかった罪だからってわけじゃないんです! 俺が決めたんです! あの人をずっと想い続けるってっ!」
想い人をむざむざと死なせてしまったから。彼女を助けられなかったから。自分はその罰としてその人を想い続ける――というわけでは決してない。断じてない。あの人を想い続けたい――ただ純粋に、『胡蝶しのぶ』の事が忘れられないだけ。あの人以外には考えられないだけ。それほどまでに炭治郎がしのぶへ向けていた純粋な感情は大きく、重く、深い。
「だから……その決断は、俺の考えは、誰にも曲げられないっ! 俺が決めたことだからっ……!」
誰かに言われて変えられるようなヤワな考えなど持ち合わせていない。そんな安っぽい感情なんかでは絶対にない。そんなことは許されない。そんな感情を彼女に抱いていたわけじゃない。
「初めてだったんですっ……、あんなに人を好きになったのはっ! 別の人を探す人も確かにいます! でも俺はあの人を忘れられない! 忘れたくない!」
炭治郎にとってしのぶは初めて恋心を抱いた相手だった。狂おしいほどに胸を焦がす、切なくも甘酸っぱく、熱い感情。しかし彼女以外の女性を好きになっては、彼女が"胡蝶しのぶは、自分が以前好きだった女性"という『過去』になってしまう。それを、他の女性を好きになって薄れさせたくはない。過去になんてしたくはない。
「しのぶがそう望んだのか? 彼女が遺した手紙を読んだだろう。そこにはそう書かれていたのか?」
「い、いえ私もしのぶ様から前に聞いていました! 炭治郎さんは別の人を見つけてって……」
「炭治郎、確かにしのぶ姉さんの事を思っていてくれるのは嬉しい。けど……」
カナヲもアオイも生前のしのぶが話したときのことをよく覚えている。二人が想い合っていることも知っていた。その彼女の口からはっきりと聞いたのだ。
――炭治郎君には、私のコトなんて忘れて、新しい人を見つけるように言ってあげてください
悲しさと愛おしさ、申し訳なさと数多の感情をごちゃ混ぜにしたような、悲しい笑みを見せて。
「でもしのぶ姉さんはそんなこと望んでな――」
「違うっ!
「「っ!?」」
確かにカナヲたちからその遺言も聞いた、彼女の遺書にもそう書いてあった。カナヲ達の証言に嘘偽りはない――ないが、しのぶの言ったこと、書いてあったことには明らかな嘘偽りがある。
「俺は知ってるんです! あの人はああ見えてすごく嫉妬深くて、すごく独占欲が強くて、俺が他の女の人と一緒にいるとすぐに不貞腐れて、へそを曲げちゃうような人なんです!」
それは炭治郎だけに見せていたしのぶの一面。姉のカナエが好きだった笑みの裏に隠していた『胡蝶しのぶ』としての側面。その仮面の裏にあった本当の姿を、炭治郎だけに見せていた。姉が死ぬ前の、すべての殻を脱ぎ捨てた姿を。
「いつもは笑顔を絶やさない人だったけど、俺の前ではコロコロと表情を変えるんです。しかめっ面になったり、むくれたり……普段のしのぶさんとは違くて、直情的で感情が表に出やすい人なんです。あれが素の、本当のしのぶさんだって、思ったんです」
(しのぶ様……、炭治郎さんにだけにそんな面を見せていたのですね……)
(私達でさえあの日から一度も見たことがなかったのに……。やっぱりしのぶ姉さんはそれだけ炭治郎のことを……)
カナヲやアオイがあの日から一度も見られなかった、胡蝶しのぶの中にある『胡蝶しのぶ』としての一面。家族同然の自分達ではなく、炭治郎にだけ見せていたという事実が、彼女が炭治郎へ向けていた思いの強さを今一度思い知らされた。
「それを……それを知らないでっ……! しのぶさんが浮かばれないとか、知ったような事を言わないでくださいっ! しのぶさんの一体何がわかるていうんだっ!」
「……そうだな、俺は彼女の事をお前ほどは知らない」
「……!」
それを知ってもなお、主張を曲げない義勇。そんな彼に、炭治郎ははらわたが煮えくり返るような怒りを込み上げさせる。
「義勇さん、……ここには誰かに言われて来たんですよね?」
「……そうだ」
「ちょうどよかったじゃないです。俺も行き場のないこの怒りをどこかにぶつけたかった……! ぶつけたくてしょうがない! 義勇さん、俺と剣を交えてくれませんかっ!?」
「……俺は構わない。……こうなることも考えていた」
「炭治郎……」
強烈な敵意を剥き出しにする炭治郎。鬼に対してではなく、背を預けたこともある相手に、仲間にそこまで威圧する彼の姿に、カナヲやアオイたちは肌がピリピリとざわつくのを感じた。
「……ここじゃちょっと狭いですね。裏山に移動しましょう。あそこなら存分に戦っても問題ないはずです」
「好きにしろ」
日輪刀を手に、裏山に向かっていく二人の背を不安そうに見つめるカナヲたち。かといってここで彼らの帰りを待つことなど出来ず、彼女達も彼らの後を追った――
◇
「俺……炭治郎の言ってること、少しわかるんだ」
「……んだよ、紋逸」
「俺も、あの戦いで爺ちゃんと兄貴……亡くしてるから」
善逸は、炭治郎の気持ちがわかるのだ。あの時ああしていれば、こうしていれば――そんな後悔ばかりが込み上げ、どうしようもない現実にただひれ伏すだけ。自分が違う行動を起こしていれば、師範も兄弟子もあのような結末を迎えなかったのではないか、そう思わざるを得なかった。
「……けどよ、どうやったってそれは変えらんねぇだろ」
「わかってるんだよ、でも……炭治郎はそうやって割り切れないんだ」
伊之助の言うことは当然のこと。だが、それを受け入れられない者だっているのだ。
「ここらへんにしましょう」
山間を少し進むと開けた場所に出た。勝負の邪魔となる建造物や人はいない。炭治郎は義勇に向き直る。その手には、彼の愛刀――ではなく、決戦の後、隊士から譲り受けたただの日輪刀が二本。その内一本を義勇に投げ渡す。
「それを使ってください。それなら折れても心配ないですよね?」
「あぁ、構わない」
鞘から刀を抜く。綺麗な刀身には自身の顔が映る。刃こぼれもないようだ。少なくともこの戦いに得物の優劣はない。
「勝敗は……どっちかが気絶するか、でどうですか?」
「お前がいいなら俺はいい」
炭治郎は、羽織を身に纏う。それは以前自身が羽織っていた市松模様のではなく、白布の羽織。しのぶが、姉を亡くす前に身に付けていたものと同じ品。当時しのぶが身に付けていた羽織は、カナヲが身に付けている為に本人が使っていたモノではない。それでもそれを目にした義勇やカナヲ達の脳裏に過去のしのぶの姿が過るほど似通っていた。
「……その羽織は、彼女のと同じ羽織か」
「……似た羽織なだけですよ。はは……しのぶさんっぽいって思いました?」
しのぶの羽織を身に纏う炭治郎。それは姉の羽織を身に纏っていた生前のしのぶと重なる姿だ。
「湿っぽい話はこの辺にして……始めましょうか」
「……あぁ」
空気が張りつめる。炭治郎が放つ強烈な敵意を感じ、義勇は思う。彼の目に映っているのは、"冨岡義勇という鬼"なのだと。
にらみ合う二人の姿に、彼らに追いついたカナヲや善逸達は息を飲む。言葉を出すことすら躊躇われる空気。そしてその中で炭治郎が放つのは、初めて感じる禍々しい敵意だったのだから。
(どうしてこんなことになっちまったんだよ……)
こうなるはずではなかった。落ち込む炭治郎を義勇が上手く説得し、立ち直らさせるつもりだった。以前の炭治郎に戻ってほしい――それはカナヲたち蝶屋敷の者のみならず、善逸達も同じ思いだ。少々人選に誤りがありそうではあるが、彼以外には思い至らず、その結果こうなってしまった。
見誤っていたのだ。炭治郎の中にあるしのぶへの恋慕の強さを。彼の人格に影響してしまうほどのそれに。
(炭治郎……)
不安そうな目で善逸は友の姿を見つめた。今の彼の姿は、彼の妹だって望まない。
「義勇さん、手加減なんていりません。殺す気で来てください。俺もそのつもりでいきますから……!」
「……来い」
「俺とあの人との、しのぶさんとの絆はっ! どうやってもっ、誰にも断ち切れやしないっ!」
◇
凄まじい剣劇が繰り広げられる。互いに一歩も譲らない、双方技を繰り出すも、それらは決定打にならない。その二人の戦いを、カナヲたちはハラハラしながら見守っていた。
(怒っているだけではない。怒りながらも、それでいて冷静だ)
怒りで攻撃に粗が目立つかと思ったが、存外それはなかった。義勇の攻撃にも冷静に対処出来ている。体力を温存する為か、炭治郎が使うのは日の呼吸ではなく、水の呼吸。それでも義勇には遅れを取らない。
「漆ノ型 改 雫波紋突き――
「っ……!」
咄嗟に放たれた炭治郎の責めを紙一重で躱した。今彼が放った技は自分も使う技とは似ているが違う。本来であれば突きの一撃だけだが、今のは六連撃の高速突き。なにより付けられた技名は――
「胡蝶の技か」
「……一度、任務で同行する時があって、その時に見た技を真似ただけですけど」
記憶の中にある彼女の技、それを模倣した技。確かに彼女を彷彿させる技で、洒落などではなく、実践でも通用する技。思い入れのある人物の名を冠する技名をつけるとは、どうやら彼女への想いは
(これは……そう簡単に終わりそうにないな……)
ここしばらくは腑抜けていたとしても、確実に腕を上げている炭治郎に、義勇はそう予感せざるを得なかった――
――まもなく日が落ちる。
炭治郎と義勇の戦いは、未だに決着がついていなかった。互いに互角かと思われていたが、ここで徐々に炭治郎が圧され始める。怒りに支配されながらも冷静さを伴っていたが、それが少しずつ冷静さが失われつつあった。
彼女を助けられなかったあの無力だった自分から何も変わっていない――そう言われているような気がして、炭治郎はより怒りに任せた責めを繰り出していた。冷静さを欠いたことで、攻撃は重みを増すも、義勇の攻撃への対処が遅れてきている。寸前のところで、間一髪防げているような状態だ。
「うぁぁぁぁっっっっ!!!」
「うぉぉぉぉっっっっ!!!」
それでも勝負はつかない。互いの闘志は静まるどころか、更に燃え上がっていく――が、得物は違った。
キィィィィンッッ!!
「「っっ!?」」
とうとう二人の攻撃に耐えきれず、日輪刀が折れた。元より自分の刀ではないこともあってか、刀へのダメージは相当だったようだ。ここでようやく勝負は引き分けで終わる――そう予感した善逸達だったが、
「まだまだぁっ!」
それでも炭治郎は刃の欠けた日輪刀を振るう。威力は大分落ちてはいるものの、相手に傷を負わせるには十分。
(このままでは埒が明かない……、ならば)
このまま勝負が長引かせても、決着はつかない。そう判断した義勇は欠けた日輪刀を炭治郎に投げつけ、突進した。勝負を焦ったか、そう思ったが義勇がそんな行動に出るとは思えない。だがこのまま接近を許すわけにはいかない。
「素手で向かってくる!? くっ! 弐ノ型 改 横水車――!」
向かってくる義勇を迎撃するように刀を水平に振るう。しかし手ごたえがない――躱された? だったらどこへ?
「っ!?」
次の瞬間、ザクっと左足に強い痛みが走った。激痛に表情を歪めつつ、炭治郎がそちらへ視線を落とすと――そこには先ほど折れた日輪刀の剣先が己の脚に突き刺さっていた。義勇は炭治郎の技を躱した上で、落ちていた刃を拾って突き刺したのだ。
(しまったっ! 義勇さんはこれを狙ってっ……! っ!?)
痛みで思考と反応が遅れる。彼の策はこれで終わりではない、折れた剣先はもう一本ある――!
「終わりだ、炭治郎」
「義勇さ――、ぐぅあぁぁっ!」
視線を左脚から離したその時には、右足にもう一本の剣先が投げ刺さっていた。ここで炭治郎は義勇の戦略を悟る。彼は自分の機動力を一気に削る手段に出たのだと。だが、
「まだっ……まだ、剣は振れるっ……!」
素早い動きは出来なくなったが、戦えなくなったわけではない。脚は痛むが動かせないことはない、まだ身体は動く。
「剣を振れるから戦えるというのは間違いだぞ」
「っ!?」
背後から聞こえた声に、炭治郎はハッとする。義勇も炭治郎がまだ立つと予想していた。炭治郎はあの程度で折れる男ではない。だから追い打ちをかける必要がある。義勇は炭治郎の右腕と右肩を掴んだ。その瞬間、炭治郎は義勇がどんな攻撃を出すかを察する。しかし痛覚が邪魔して振り払えない――!
「ふっ……!」
バキッ!
「がぁぁぁっっ!!」
右腕を後方から膝蹴りをし、骨を折った。両脚の痛みとは比較にならない痛みが、炭治郎に押し寄せる。それだけで義勇の責めは終わらない。義勇は炭治郎の身体を無理矢理自分の方へ向かせると、がら空きの胸に思い切り拳を叩き込んだ。
「がはっ……!」
メキメキと骨が折れる音が頭蓋に反響する。あばら骨が折られ、流石の炭治郎もひざを付き、そのまま地に倒れ込んだ。
「「炭治郎っ!」」
「出んじゃねぇっ!」
倒れ伏す炭治郎に駆け寄ろうとしたカナヲと善逸を伊之助が遮る。
「こいつは男の喧嘩だ。当事者以外が出るモンじゃねぇ。あいつを見習え」
今すぐ駆け寄って手当をしたい衝動を抑えながら、二人は伊之助の視線の先へと目を向けた。そこには拳を握りしめ、歯を食いしばって兄の痛々しい姿を見守る妹、禰豆子の姿。噛んだ唇から流れる血が、彼女がどれだけ耐えようとしているのかを知らしめる。
「っ……! ふぅぅぅ……!」
「禰豆子ちゃん……!」
「っ……!」
「クソっ……!
「ぐっ、あぁぁぁっっ……! ま、だっ……!」
倒れ伏した炭治郎は、激痛に呻き声を上げながら、残った手で身体を起こす。両脚を刃で貫かれ、利き腕やあばらが折れているというのに、それでも残った腕でどうにか立ち上がろうとしていた。
「もうやめろ。勝負はついた」
「まだ……だっ! まだ俺はっ……戦えますっ……!」
「もうやめて、炭治郎っ……! もういいっ、もういいよっ……!」
「立つなよっ炭治郎っ! なんで立つんだっ!」
強引に立ち上がる炭治郎。折れた骨が内臓を傷つけているのもあってか、吐血している。両脚からは血が流れ、痛みで震えている。立っているのが精一杯、戦うことなど到底できない。それでもなお戦おうとする彼の痛々しい姿に、カナヲ達は心を締め付けられる。悲痛な声を上げるも、炭治郎はそれを聞き入れない。
「それ以上すれば死ぬことになるぞ」
「そんなの……そんなのっ、構うものか――!」
足を引きずりながらも、立ち向かおうとする炭治郎に、義勇は告げる。例え自身が知らぬ胡蝶しのぶを彼が知っていたとしても。死してなおも炭治郎を独占していたいという嫉妬心の塊だったとしても。
「俺はお前ほど彼女の事を知らない。お前の方が知っているだろう……それでも言う。お前の知る胡蝶は
「っ――!」
炭治郎の脚が止まる。その反応がすべてを物語っていた。例えしのぶと言えど、炭治郎が死ぬことまでは望んでいなかったのだ。もし望んでいれば、彼女が殉死を望んでいれば、炭治郎はもうこの世にいない。ここで死ぬことは彼女の意志に反することだ。
「違うだろう? 彼女の意志に背いてまで我を貫くか? 姉の死の間際の言葉よりも敵討ちを選んだ彼女のように」
「ぐっ……、っ……!」
しのぶの遺した意志を思い出した炭治郎の身体から力が抜ける。ここで死んではいけない。自分は彼女から夢を託されたじゃないか。もう戦いは終わったとはいっても、しのぶの遺言に反することは、炭治郎には出来なった。それを今一度気付かされ、両膝をつくとそのまま前に倒れ伏す。
「死した彼女は何を望んだか、今一度思い返せ。どんな形であれ、生き残った者の幸福を彼女は望んだはずだ」
「……っ……」
それは自分も同じだ。もしあの戦いの中で自分が死ぬことになったとき、願ったことは妹の幸福だった。生きて、幸せになってほしい――些細な、人並の幸せを送ってほしい……そう願ったではないか。しのぶも本心では自身を想いつづけてほしいと思っていても、自分に縛られてほしいと遺したとしても、炭治郎の幸福を願うだろう。
果たして今の炭治郎のような、死人の如き日々を送ることを、幸福と呼べるか? 炭治郎の心中でしのぶの顔が浮かんでくる。普段は見せない、自分だけに見せていた表情。例え自分が彼女の立場だったとしたら、今の自分みたいな姿は望まない。自分の知る『胡蝶しのぶ』も同じだ。
だから――死んではいけない。彼女に縛られつつも、それでも幸福な生き方をしなければならない。
「くっ……うぅぅぅ……、しのぶさんっ……俺、俺はっ……。近くにいたのに……、傍に居たのに、しのぶさんの覚悟をっ、知らなくてっ……」
「……炭治郎……」
「だか、ら……、もっと、俺が気にかけて、れば……あの、人は死なずに、すんだかも知れないって……。そう、思うと、やりきれなく、て……」
「……」
「舞い上がってた、自分が情けなく、て……、馬鹿らしくて……。……ひぐっ、ごめん、しのぶさん……。貴女も守りたいって、思ってたのに……ごめん"、なさい"……」
涙が溢れる。どれだけ悔やんでも、涙を流しても、心の傷がいえることはない。身体の傷とは違って、それは死ぬまで残り続ける。強い悔恨に苛まれながらも、生き続けなくてはならない。炭治郎はただ、彼女への想いを涙として流し、すすり泣いた――
◇
「義勇さん、ありがとうございました。お兄ちゃんも、変わってくれると思います」
「……俺は大したことをしていない」
あの後、重症状態の炭治郎は蝶屋敷に運び込まれ、現在治療中だ。屋敷の正門で妹の禰豆子に頭を下げられるも、礼には及ばない。もとより、自分のあのような姿の炭治郎を見てられなかった。以前柱稽古を渋っていた自分に、大事な約束を思い出させてくれたのは炭治郎だ。だから、今度は自分が彼に思い出させてやる番だと、そう思った。
「起きたら済まなかったと謝っておいてくれ」
「大丈夫です。寧ろお兄ちゃんの方から謝りに行くと思います」
「……そうか。では俺はここで」
踵を返して義勇はその場を後にする。炭治郎の人となりに救われた人間だ。しのぶも、彼に救われた側だろう。あの日から鉄仮面のように笑みを張り付けた彼女の、隠していた一面を出させたのだから。
――今日は鮭大根が美味いな
そう思い、義勇は行きつけのお店へと脚を運ぶのだった――
――その後
「悪いあんちゃん。鮭大根今日は切らしてんだ」
「……」
「ここで大正コソコソ噂話――」
「実は鬼滅隊の女性隊士の体重は自己申告らしいんですって」
「……確かにしのぶさんのあの乳房(公式絵)で37kgは無理――」
「炭治郎くん?」
「えっ? あ、し、しのぶさ――」
「女の子には言ってはいけないことと悪いことがあるんですよ?」
「大丈夫ですっ。しのぶさんが体重を虚偽申請してるって誰にも――ぐふぅ!?」