現在のオペラ座の経営者、エリックともう一人の仮面の男は友人です。
ジュスティーナとも。
オペラ座の支配人がこぼした愚痴はプリマ交代に関するものだ、イタリアか
ら呼んだプリマが契約前だというのに自国に迎えると言い出したのだ。
「体調が良くないなら仕方ないだろう」
「こっちは金を払っているんだ、そもそも最初から」
心から賛成したわけではなかったと言いかけて男は黙りこんだ。
「気持ちは分からないでもないが、代わりはいないのか、クリスティーヌは
どうだ」
若いが将来性のある女性だと目の前の本人も褒めていた事を思い出す、
それに随分と気に入っていた筈だ。
「恋人、ではなかったのか」
その言葉に男は肩を竦めた。
「エリク、何かあったのか」
「何もなかったとは言えないだろうが、ただ、私の素顔を見てからだ、少し
距離を置いている」
その言葉に男は納得した、自分もだが、目の前の男も顔に大きな傷跡がある
のだが、見ていて決して気持ちのいいものではない、その為、仮面で隠してい
る
のだ。
そのとき、ドアをノックする音がした。
「お客様ですわ」
入って来たのは黒衣の婦人だ。
「ジリイ、今日は気分が優れない、悪いが追い返してくれないか」
「マダム・ジュスティーナですが、よろしいので」
念を押すような口調だ、だが、言葉が終わらないうちに追い返すなんて酷い
わと女性が入って来た、尋ねてくる予定など聞いていなかったがと男が言って
も女は気にする様子もみせない。
女性はジリイに向かって、にっこりと笑いかけると、紅茶をお願いと声をか
けた。
「いつものでよろしいので」
「構わないといいたいところだけど、あれはまずかったわ、客人もいるとこ
ろだし、これを、お願い、中国茶のお茶よ」
ハンドバッグから取り出した小さな包みを受け取ると、ジリイは茶葉と女の
顔を交互に見た。
「それから連れが迷っているだろうから案内してくれるかしら」
「お連れ、今日はお一人では」
「友人と一緒に来たのよ、女性トイレにいるわ」
この言葉にジリイは一瞬、驚いた顔になった、この美女が女性の連れと一緒
に来るなど初めての事ではないだろうか、だが、この台詞に驚いたのはジリイ
だけではなかった。
「珍しいこともあるものだ、君が女性の連れと来るなど」
「あら、酷い事を言うわね」
わずかにむっとした表情を見せるが、それは楽しそうな笑い変わって、二人
の男は内心、驚いた。
「お連れしましたわ、さあ、こちらへ」
部屋に入って来た相手を見て男は驚いた、数日前に家まで送った女性だ。
「知ってるの、どういうこと」
「この間、買い物で迷って家まで送って貰ったのよ」
聞いてないとジュスティーナの言葉に、話したら笑われるから、内緒にして
おいたというと、突然彼女は笑い出した。
「紹介するわ二人とも、ジュリアよ、最初に言っておくけど詮索はよして
ね、彼女は外国人だから」
「まさか、違法の移民、密入国してきたというんじゃないだろうな」
「相変わらずね、遠慮ない言い方ね、だから嫌われるのよ」
「構うものか」
「大丈夫、もし、聞かれたとしても保証人がいるわ」
あまりにも自信たっぷりな女の口調に、買収でもしたのかと男が尋ねた、そ
の言葉に部屋の中がしんとなった。
「お茶を、いかがです」
「いいタイミングだ、ジリイ」
部屋の中に入ってくると、またですかとジリイは支配人に向かって声をかけ
た、部屋の中の空気に気づいたのだろう。
「ところで、これ変わったお茶ですわね、高級茶葉でしょう」
「支配人殿の口には合わないかもしれないわね」
美女の笑いを嫌みと思ったのだろう、男はジュリアへと視線を向けた。
「驚かれたでしょう、彼女はいつもこんな感じで」
ジリイが部屋を出て行くと部屋の中はしんとなった。
「あたし、先に帰ろうかと」
紅茶を飲み干したとき、そう言ったのはジュリアだ。
「あら、美味しいケーキが出てくるかもしれないわよ」
「でもパサージュに行こうかと思っているの」
部屋を出て行くのを見送るとジュスティーナは、チラリと男を見た。
「ムッシュ、良かったら彼女の案内をお願いしても、多分、迷いそうな気が
するのよ」
返事の代わりに男は立ち上がった。
「プリマドンナの代わりは見つかった」
二人きりになるとジュスティーナは支配人である仮面の男に大変ねえと声を
かけた。
「君には関係ないだろう」
「群舞でいいから、使って貰おうと思ったんだけど、やっぱり」
「心当たりがあるのか」
群舞だと、いや、この女が言い出すなら実力はあるのかもしれない。
「やっぱり、無理かもしれないわね」
曖昧な言い方に詰め寄る様に男は椅子から立ち上がった。
「ジュスティーナ、私たちは友人だろう」
ほんの少し前まで不機嫌そうな態度を隠そうともしなかった男の言葉に、友
人ねと意味ありげな声で女は笑った。
「お願いを聞いてくれるかしら、ムッシュ、エリック」
「レディ、ミス・ジューリア」
オペラ座を出て、しばらく歩いたところで男はようやく追いついた。
「よければ案内します、パリにはあまり詳しくないでしょう」
「だ、大丈夫です」
断わる言葉を言わせる間もなく、貴方のご友人からも頼まれましたからねと
男は歩き出した。