簡単な朝食をすませると男は画商の元へと向かった、描き上げた絵を見せると画商は何かあったのかと驚いた
様に自分を見たが、それには答えず男は部屋を出た、ここ数日、朝起きたら絵を描き昼になると街へ出るという
日が続いていた。
パサージュの入り口まで来ると中に入るのを一瞬、躊躇ってしまうのは、出口のない迷路へ入っていく様な気
分になるからだ。
色々な店の前を通りながら、男が足を止めたのは本屋の前だ、窓から中を覗きこむが、薄暗いので良く見えな
い、ドアを開けて中に入ると同時に店の中を見回した、偶然を期待していたわけではないが、それでもと思って
しまう。
初めて姿を見かけたのが、この店だった、だからといって、ここにいるとは限らない、しばらく棚の本を眺め
ていたが、長居をしても仕方がないと外へ出ようとしたとき、ドアが開いた。
すれ違うように入って来たのは女だ、姿を見て男の心臓が一瞬ドキリとした、本を探すように棚に視線を向け
るが、意識はどうしても女へと向かってしまう、男は慌てて外へ出た、だが店に戻る気にはなれない、だから外
で待っていればと思ったのだ。
しばらくして、女が出てくると男は意を決して声をかけた。
初めて見たときは驚きのほうが大きくて、だが、近くで見ると似ているという言葉では片付けられないと思っ
た。
「自分は画家なんだが、頼みたいことがあって」
女が驚いた顔になった、画家が一体、何の用だろうと言いたげに見ている、じっと、自分の顔を、男ははっと
した、顔の痣を見られたくないと思ったが、女が話しかけてきた。
「突然で驚くかもしれないが」
女の顔からわずかに視線をそらして、男は言葉を続けた。
「絵のモデルになってほしいんだ」
正直、驚いた、絵のモデルってパリの画家なら美女とかを題材にして描くだろうっていうイメージがあったか
らだ、いや、外国人だから珍しいのだろう。
現実なら、こんなことはないだろうと思って引き受ける事にした、といってもまずはジュスティーナら相談し
た方がいいだろうと思ったのだ。
「絵のモデル、それはどういう」
目の前の美女はにっこりと笑いながら、そうなのよ、おもしろそうでしょうと言葉を続けた、おもしろいと
は、それはどういう意味なのかとエリック・ルイーズが尋ねたのも無理はない。
「その画家は、どういう」
「有名でないと思うわ、自分でもあまり売れていないって言ってたし、有名画家なら外国人をモデルにして描
こうなんて思うかしら、どう思う、あなた」
「どう思うだと、そんな画家」
「その男ね、おもしろい顔をしているの」
彼女の性格からして、おもしろいなど決して、いい意味ではないだろうと思いながらエリックは唇を噛んだ。
「もしよかったら迎えに行ってくれる、それとお願いが」
椅子に腰掛けて、こちらを見ている筈が、いつの間にか眠っている、起こすつもりはなく男は絵筆を止め、足
音を立てない様に近づいた。
もう、会えない、そう思っていたのに、そっくりな人間が目の前にいることが、信じられなかった、彼女とは
言葉を交わしたことさえなかったというのに、顔を近づけて覗きこむが目を覚ます気配もない。
目を開けていれば、自分の顔から逃げるだろうか。
(いや、大丈夫だ)
この数日、自分のモデルをしている間も自分の顔を嫌悪する事はなかった。
「赤あざでしょう」
彼女は最初は少し驚いていた、だが、そこに嫌悪や怖いものを見るような畏怖の表情はなかった。
目を開けないで顔を近づけようとしたとき、ドアをノックする音が聞こえ、男は慌てて体を離した。