吸血鬼は淫魔の夢を見るか? 作:マスター冬雪(ぬんぬん)※休止中
■片生 子を抱く
■Dead or Obedience-死か恭順か-
■プレイ・ザ・ゲーム!
生後半年に満たない赤子がこの屋敷にいる。血の匂いと、暴力と、女の嬌声と。呑まれるかのような暗き深遠さを帯びるこの館に。
───赤子の泣く声がする。
死神を冠するタロットの暗示、『デス・サーティーン』のスタンドを操る赤子、マニッシュ・ボーイ。母親は一般人だがその子供は早熟していた。言葉を解し、欲があり、スタンドを操る知性を有する。
タロットの暗示という事は何の縁かは知らないが───エンヤお得意の占いの結果か否か───エンヤが見出したスタンド使いなのだろう。生まれながらのスタンド使い。或いはエンヤが“矢”を使った事で発露した、言わば“矢”に
DIOからすれば“欲しい”と思うようなスタンドだった。夢の中に他者を引き摺り込み、嬲り殺すスタンド。
似たようなスタンドだからと館にいる間の世話を投げ渡され、京一郎はいつもの困ったような微笑みでその温もりを腕に抱いた。それまでは子育ての経験のあるエンヤが世話していたものだが。
屋敷の主の命令ならば仕方がない。とはいえ赤子の世話など嘗ての同僚や部下の又聞きでしか知らないので、けれど物を考えられる時間が限られているとはいえ大人顔負けの知性を持った子であるので。マアなるようになるかと京一郎は赤子の頬を撫でる。
「少しの間だけど、よろしくね」
言う程しんどいものでもなかった、というのが京一郎の感想だ。
眠る必要のない淫魔の身体はいつなんどきに泣き声で呼ばれようと構わなかったし、大体は何を欲しているのかを察せたので。確かに体力気力の要る仕事だとは思ったが。賢い子だと思う。
普通の人間なら四六時中目の離せない事だから大変なのだろうが、この赤子はちゃんと自分で物を考えられる。
食事は離乳食で問題ないようだったし、下の世話は見様見真似だが出来なくはない。時折外に出て散歩したり手遊びしてやるくらいで、家事も食事も使用人に任せてしまえる気楽な育児である。
眠りに落ちて覚めるまでに何度か違和感があったので、スタンド攻撃かな、とちょいちょい自分の魂を弄っている内に、マニッシュ・ボーイの造る“悪夢世界”───本人曰くそういうものらしい───での記憶を現実でも引き出す事に成功した時は、『デス・サーティーン』越しに赤子にドン引きされたが。
悪戯でも度が過ぎるものは、メッ、である。
『普通は精神を弄るなんてキケンな事しねーし出来ねーんだよ』
「私はそういう生き物だから大丈夫なんだよ」
遊園地のような場所で、足も胴もない道化師のようなスタンドに京一郎は笑いかける。
「キミと私のスタンドはよく似ている。他者の
キミは私のように対象を強制的に眠りに落とす事は出来ないし、私はキミのように無条件で夢の世界を作り上げる事は出来ない。
テーブルに出された紅茶を飲みながら、京一郎は穏やかにティータイムと洒落込んでいた。ゆらりと揺れる湯気の奥で、男は薄く、瞼を伏せる。
『デス・サーティーン』……否、マニッシュ・ボーイは思う。この男とDIOとかいうあの恐ろしい吸血鬼。両者は外見こそ似ていないが、非常によく似ている、と。どこがと言われれば分からないと答える。DIOからは鉄のような血の匂いが、京一郎からは蕩けるような甘い、夜の匂いがする。自分のようなミルクの匂いではなく、母親のような化粧品や花の匂いでもない。抽象的だが、この2人は酷薄だ。他者に興味が無い訳でも、自己愛が無い訳でもない。けれど、どうしようもなくなれば自分の命すら投げ出せてしまえる。危うさ。危険な、妖しくて悪い、人外たち。
最初。
満足に動けない自分の世話をする人間が───正確に言うなら人外だったが───このような象牙の肌をした若い男で。これなら老婆の方が良かったかと思ったものの、構われ過ぎず放って置かれ過ぎずで存外ストレスの掛からないものだった。特に面白くもない“いないいないばあ”などされないのがいい。
適度にゆりかごを揺らされ、大体10代前半に読むような本をしっとりとした声で読み聞かされ、暇潰しに昼、偶に夜に悪い事と称して散歩に出る事もした。そのくらいの距離感の方が好みだった。マニッシュ・ボーイは大人を馬鹿にしていたが、同じような“夢”を扱うスタンドを持つ京一郎は仲間として認めてやって良いかなと思う。自分の“悪夢世界”に引き込む事が出来れば京一郎の事など簡単に殺せるだろうなとは思っていたが。それ故に自分のテリトリーで尚隙を見せる京一郎が、何処と無く空恐ろしいもののようにも思えて仕方がない。
悪戯は許してもその域を1歩出れば、京一郎は自身の領域にマニッシュ・ボーイを引き込んでしっかりと叱る。チョット苦手だな、と思うがどこか温かい気持ちにもなる。教育ママにも似ているあの老婆の狂気的な一面よりはずっといい。
「今、満足してる?」
『……満足ゥ?はん、まだまだ遊び足りないねッ』
「……ウフフ、いいね。彼が気に入る訳だ」
幼子ほど純粋で残酷なものはないからね、と。知った顔で笑みを深める京一郎には、まだ幼いマニッシュ・ボーイの知らない何かがあった。親から子に対する無償の慈悲ではない、欲と言うには密やかな。
知らない事も悪い事では無いのだ。いずれ分かるから、と京一郎自身が言った。ならばそうなのだろうなとマニッシュ・ボーイは思っている。
お包みに包まれた似ても似つかぬ他人の赤子を腕に抱え、記憶の端に引っかかっていた子守唄を口遊む。
本人が聞けば笑うだろうが、その横顔はまるで我が子を見下ろす聖母にも似ていた。
★
朗朗と。低く深い、腹に、脳に響くような声が。
カリスマ性、というのだろう。この声の主はそれを遺憾無く利用し、雇われの殺し屋たちに身の程というものを知らしめていく。
より強大なものを恐れ、畏怖し、萎縮する者。闇色の輝きに導きを見出す者。齎されるだろう金銭に頬を緩める者。自身に課された仕事に心算を巡らせる者。単に闇に浮かぶその美しさに感嘆する者。誰も彼もが、彼を見上げている。
うつくしい、そして何よりもおそろしい。
冷たく、鋭く、強靭で。背筋が凍ると同時に安らぎすら抱く事だろう。
朗朗と。
淫魔の常人より優れた聴覚が、階下で命令を下す声を聞く。
今いる居室はDIOの物だ。置かれたソファーに行儀悪く横になり、長い脚をはみ出させながら、京一郎は目を瞑ってその声を聞いていた。タロットの暗示のスタンド使いは初対面こそDIOへの忠誠がない。金によって繋がれた縁こそ脆いものは無い。命を対価に掛けなければスタンド使いは意志の力で敗れるのだ。死にそうになったら逃げ腰になるなど新兵もいいところ。必要なのは忠誠だ。死する事となっても主君に勝利を捧げんとする狂信こそが人間を縛り、より強い力を引き出す。
だから京一郎は、エンヤの集めた刺客たちは“弱い”な、と思ってしまう。殺し屋としてのシビアな価値観は状況を見極める力に優れているが、同時に進退の判断が利くという事。敵に媚びを売り助命を乞うなど、場合によっては容易く行うだろう。
それでは駄目なのだ。
確固とした意志を持って競合するなら良し、益によって利用し合うも良し。それこそ、金でも、地位でも、愛でもいい。
けれど途中で契約を反故にする事だけはあってはならない。
声が響いている。
京一郎はエンヤの集めた刺客たちを順繰りに送り出す事は反対だった。口には出さなかったが。そういったプロアマ問わずの雇われを雑多に送り出す事で、相手に経験を与える事となる。経験というのは時に時間よりも希少だ。戦力の逐次投入程愚かな事は無い。戦いの経験を経る事で雑兵は新鋭へと変わるのだ。
スタンド使いは自分の能力を隠したがるが、組み合わせ次第で無類の強さを発揮する事が出来るというのに。とはいえ京一郎も彼らのスタンド能力の概要程度を知るくらいで、二の矢だったり応用だったりは知らないが。そして京一郎もまた、自身のスタンド能力についても殆ど知らせていない。夢に閉じ込めるだとか、魂を感知するだとかとしか。教えたとて何になる?京一郎は刺客として外に出されない。どんな人間が標的かでさえ教えられていない。京一郎は籠の中で囀る金糸雀だ。彼は“使える”スタンド使いは手元に置いておきたがる。
いいのだ、どちらにしろ。京一郎に何かを変える気は無いので。
朗朗と。響いている。
忠誠が必要なのだ。退くとしても、執念がなくてはならない。必ず仕留めるという意志が。或いは生きて彼の元に戻るのだという決意が。意志の力こそが、我々スタンド使いの源なのだから。
死に物狂いで踊らなければならない。彼に仕えるのならば。
彼の為に死ななければならない。
京一郎は思う。俺は彼の為に死ねるだろうか。
「……愚問だったな」
声が止んだ。
無駄死には罪だ。それだけは矜持が許さない。俺が俺を許せない。
無駄でなければ死ねるだろうか。
否、彼の手を取った時点で俺は1度死んだのだ。彼の為に、俺は1度殺された。ぐちゃぐちゃどろどろの肉塊となって。
開いた本を顔の上に乗せ、瞼の裏の闇の中で、夢うつつに。
誰かが嗤っている。俺の顔をした何かが。
本能が疼く。喰らえと言う。欲望のままに喰らい尽くせと化け物が嗤っている。腹が減ったと喚いている。真夏に塵に集る蝿のような耳障りな羽音で。幾つも反響し、高低に、強弱に、喰らいたいと鳴いている。啼いている。
「ナミセ」
半覚醒の状態で、夢の狭間に立っている。
声が遠のく。彼の声が振り払うようにして。
瞼の裏がほんの少し明るくなる。顔を覆っていた古びた紙の匂いが遠ざかる。
「いつまで寝ているつもりだ」
朗朗と。夜闇の匂いを纏って、声は落ちる。
それは束の間の黎明。全てが青に染るブルーモーメント。或いはマジックアワーの深い蒼穹。
夜明けのようだった。
「……おはよう」
顰めっ面の彼にぼんやりと掠れた声で言う。目を閉じる。
「おい」
「聞いてたよ。良い声だった」
「子守唄にでもしていたのか」
聞いていなかったんだろうが、と彼は呆れたように見下ろしている。
「俺はね、少年」
きっと俺は俺の為にしか死ねないだろうな、と。今は奥に引っ込んだ幻聴に思う。彼はぴくりと片眉を上げて訝しげにした。
「けれど、おまえになら殺されたっていいのかもしれない」
だから逃げもせず、まるで海底に沈んだあの白い部屋のおまえのように、俺はこの屋敷にいるのだろう。
それに“強い意志”は介在しているのか。
「……おれが知るか」
「ウフフ。それもそうだ」
目を開く。
焦点の合わない視界で尚、鮮烈な金の髪と赤い瞳が見える。
「……お腹が、空いたね」
★
ピコピコ、ぴちゅーん。そんな、どこか懐かしさを感じるチープな効果音。軽快な8bitのBGM。
京一郎が生きていたのは2000年代。スマートフォンやタブレットが流通し、ブラウン管テレビは絶滅危惧種で薄型液晶テレビが一般的。ゲームもそうだ。PCによるネットゲームに家庭用ゲーム機は全世界の人間と競い合え、オープンワールドすら盛り込まれる程。
画面の中、ドットで構成された平面をキャラクターが走ったり飛び跳ねたりするのを眺めながら、夢中になってコントローラーのボタンを叩く後ろ姿を見遣る。
懐かしい。そう、京一郎もゲームをした事がある。しかも幼少期に、母親による制限があったのにも関わらず。
快活に笑う幼いアイツの姿。何も知らない己の何と幼気なものか。ふすりと薄く溜息と共に感慨を吐き捨てながら、そういえば向こうの世界はどうなったんだろうなぁと京一郎は益体のない事をつらつらと考えている。
「……で、いつまでそこにいるつもりですか」
ひと通りステージをクリアしてコントローラーを置いたテレンスがじっとりと京一郎を見遣って呆れ混じりに問う。
「暇だったから」
「私は何故、ではなくいつまで、と聞いたんですが?」
「キミはもっと私に興味を持ってくれていいんじゃあない?」
返ってくるのは冷たいばかりの視線で、京一郎は肩を竦めてテレンスがあと1面クリアするまでかな、と答える。
「どんなゲームをしているのか気になると言った癖にロクに画面を見ないじゃあないですか……」
テレンスは傍らの人形をつつく京一郎に態とらしく溜息を吐く。
「ごめんごめん。……マア、やはりというか……此処は私が元々居た場所より前の時代だからか、随分懐かしい気持ちにさせられたよ」
「……ふうん?」
京一郎の言葉に興味が湧いたのか、テレンスはステージを選択しながら続きを促す。
「詳しい事は知らないよ、又聞きだしね。……シューティング、アクション、RPG、アドベンチャー、レースにパズルにシュミレーション。……あと何があったかな……。現実と見紛う程にうつくしいグラフィックに、一種の世界とも言える程に広大な
指折り数えながらパッと思いつくだけのゲームを口遊めば、テレンスは目を輝かせながら頷く。
「貴方が生きていたのは……2020年代、でしたか?」
「そうだね」
「……先は長いですね。私は60代ですか……」
「あっという間さ。毎年新しいゲームは出るだろ?」
それか彼に頼んで吸血鬼にしてもらいなよ。若い心持のまま先の文明を拝めるぞ。京一郎は愉悦に笑みテレンスを誑かすように囁く。
「……。……やめておきます。碌な事にならない気がするので」
「その割に大分悩んでいたようだけど」
耐え切れない笑声を零しながら京一郎は人形をスツールに置き、ゆったりとテレンスの元に近寄る。
「……なんです?」
「面白いのかなと思って」
「ええまあ……やってみますか?」
「ウン、少しだけ」
京一郎は“悪夢世界”で為す術なくやられるとは言っていない。淫魔は夢魔ともいう。“眠り”という世界では種族としての特徴が顕著に出る事だろう。彼はまだ、夢の中では、スタンドの力しか使っていないのだ。
夢魔って夢が広がるね