吸血鬼は淫魔の夢を見るか? 作:マスター冬雪(ぬんぬん)※休止中
■悪の救世主と闇に生きる者達の寄る辺
■茫洋たる淫夫と今は褪せた法皇
■神に到らしめよ、賛歌。
■お前の首に口付けるわ
まるでそれは闇に浮かぶ灯火。導きの光。眩むようなそれではなく、安らぎにあたたかな寄る辺の炎。
盲目であるンドゥールには、常人には見えないものが見える。……見える、というのは語弊があるか。けれど確かに感じる事が出来る。
悪の救世主と喩える彼はあまりにも眩く、美しく、荘厳でいて魅惑的な輝きであった。彼について行けば、きっと自分は救われるだろう。危うく、大きく、深く。だからこそ抗えない程の心酔。
─────
「キミがンドゥール?私は京一郎・ミナセ。よろしくね」
彼に忠誠を誓う皆が、目の前に立つ男を奥方と揶揄している。彼の手によって直々に異世界から降ろされたスタンド使い。
───“揶揄”。けれどかの方に会い、話した者は皆が親しみを持ってそう呼んでいた。決してそれは侮蔑ではなく、不思議とミナセは彼の部下に同輩として迎えられているようだった。それもまた、彼とは違うカリスマと呼べるものなのだろう。
そして彼はそのように云われる程の執着を、ミナセに向けていた。……後日、雇われのスタンド使いがミナセを欲して処分された事から暗黙の了解だった。ああ、馬鹿なヤツ。まアそうだろうなァ、だなんて。
薄らと、ンドゥールは盲た目をミナセに向ける。
におい、気配、音。朝露のように濡れ、夜のように薫る。鼻先を擽るように煙草の紫煙がくゆりと掠める。
うつくしく、煙るように“くすんだ”ヒトだ。
エンヤ・ガイルはミナセを毛嫌いして魔女と言って憚らないが、確かに、この人は正しく魔女なのだろう。魔性。この方に堕落すれば、骨の髄まで蕩かされて腹に収められてしまう───生粋の捕食者。今は彼に侍ってはいるが、ミナセはきっと、その飢えを彼に向ける事をも躊躇わないだろう。
隣に立つ彼がきろりとした目で此方を見下ろしている。
「はじめまして。宜しく御願い致します、奥方様」
「ふ、ふふ!奥方?私が?」
「ええ。皆がそう話していますよ」
「私は唯の情人だよ。ねえ?」
可笑しそうに
「今は気に入られていてもいつかは飽きられて切り捨てられる程度の男で、彼はそれをするヒトだ」
……それはひどく、ンドゥールを怯ませる言葉だった。
彼はンドゥールにとっての存在意義だ。その彼から切り捨てられるという事は、死すらも忌避しなかったンドゥールの唯一の恐怖。
その怯えすらも掌に乗せて、ミナセは甘く微笑む。
「ン、ふふ……怖がらせちゃった?安心して、彼はキミの事、とても大切にしているよ」
ンドゥールは思わず安堵を零して、はっと息を呑む。
今、自分は安堵したのだ。他でもない、この京一郎・ミナセの言葉によって。その安堵は、彼によって与えられなければならない事だというのに。自分は確かにこの男を“上に立つ者”だと“認識”したのだ。
あってはならない。あってはならない事なのに。自分は今安心している。まるで母の腕の中に微睡む赤子のように。
「あまり揶揄ってやるな。ンドゥールは真面目な男なんだ」
「うふふ。つい、ね。気に入っちゃった。くれない?」
「やらんぞ」
「だよなァ」
無邪気に言葉尻を弾ませるミナセが、想像以上の怪物であると。ンドゥールは項にひとすじ汗を滲ませる。
力が強い訳では無い。スタンド能力が無類のものであるというだけではない。確かに強いと言えるが、不意打ちや真っ正面からの攻撃には脆い。
ミナセのおそろしさとは、相手の思想と感情の察知が異様に早い事。それをどう転がせばどのように反応を返すのか、それを知り尽くしている事。ミナセの思う通りに、感情から思考を操作されてしまうという事。そして、それを可能にしてしまう化け物じみた技術を持っているという事。
彼とは違う、空恐ろしい───
「貴方は───とてもおそろしい人だ」
本心から、この2人は似合いだとンドゥールは思う。
「じゃあ、私とは仲良くしてくれないのかな」
「いいえ……いいえ。私で良いのであれば、ご随意に」
触れた冷たい体温が、自分は今顔を火照らせているのだと知らせた。
その手に触れられる事の、どれ程安心する事か!
この手に、どれだけの人間が抗えるだろうか。愛でられる事を甘受して、そのまま堕落してしまう人間がどれ程の数に及ぼうか。
けれど数多の屍を踏み付けたその上で、ミナセという男は変わらず微笑むのだろう。魔性のように、天使のように。
「……触れても?」
「どうぞ」
杖を落とし、掌で柔く頬を覆う。つるりとした髪が、滑らかな肌が、顔の凹凸が、ンドゥールの盲た目に映る。
「瞳の色は」
「グレーに似た黒だと言われるね。光の加減では青が混じるらしい」
「髪の色は」
「黒。くせっ毛なんだ」
瞼に触れ、ふるりと睫毛が震えた音がする。
弧を描いた唇は湿り気を帯びて潤んでいた。
ぼう、とンドゥールの眼球の裏、暗闇に浮かんだのは、天に愛され、けれどそのまま地の底にまで堕ちた、そのような貌をしている。
「ありがとうございます」
「ふふ……どういたしまして」
「貴方はハトホル神のようだ。或いはメルセゲル神か……」
闇に堕とされ夜に愛された美しき女神。
此処で音もなくDIOは失笑したが。
「じゃあ……改めて。ンドゥール、私とよろしくしておくれ」
「はい。……ミナセ様」
「詐欺だな」
「やっぱり酷ェ言い草。俺の
おまえだってやるだろ、と、京一郎はソファーの背を仰け反ってDIOを見遣る。だらけきったみっともない姿だ。そうして、にんまりと悪辣に嗤う。
「おまえに従う人間たちは少し手が早いけれど、そういうのも悪くないね」
あちらにいた時は確かに
そういえばあの時篭絡したセンパイの上司の若頭くん、どうなったんだろうか。無事に親殺しして順調に海外乗っ取ってる?
従業員達は万が一の為にオーナーが居なくなっても各所に引き続きしてやって行けるような環境を作っておいてあるから、路頭に迷う事はないだろうが。
報酬が自分の身体以外の手配は済んでいるとはいえ、問題はそこだ。あの時あのままこの世界に引っ張ってこられたので、魂の抜けた後の死体がどうなっているのかも定かでない。見つけたのがホテルの従業員なら普通に葬儀でも挙げてくれるかな。ヤクザ関係だったら最悪死蝋化かな、剥製かな、死姦は確実だなァと思っている。
「おい」
「、ン〜?なァに」
「こっちを見ておけ」
「……前から思ってたンだけどさァ。何で俺が向こうの事考えてたって分かるんだ?」
京一郎の視界に映る逆様のDIOはむっつりと不機嫌そうな顔で京一郎を見下ろしている。
何も答えないDIOに笑みを深め、体勢を戻して席を立つ。
「まアいいや。今日は無理言って紹介してくれてありがとう。会ってみたかったんだ……盲目の賢人」
おまえに会う前は随分とやんちゃしていたようだけれど。
強盗、殺人、恫喝。警察に追われても返り討ちにする、死すらも恐れぬ箍の外れた男が、こうまでも綺麗に衝動を内に隠して、DIOに忠誠を尽くすようになるとは。
「お礼は何がいい?今迄シた事のないプレイ?出し渋る金蔓の取り立て?勧誘したいスタンド使いの篭絡でも良いよ」
「殺し、と言ったら?」
ひたり。京一郎が扉の前で脚を止める。
「ふふ、」
ああ、彼は俺に、どう足掻いても引き返せない一線を越えさせたいのだなァ。
うっとりと目を細め、京一郎はDIOを振り返って、言った。
「……誰を殺して欲しいんだ?」
★
肉の芽を植えて強制的に下した2人目のスタンド使い。
日本出身の学生である花京院典明は、家族旅行でエジプトに出掛けた所、DIOに気に入られた。
平穏な日本に住まう、けれど心に孤独を飼う少年の心の隙間に、DIOの魔手が入り込んだ。善の心を喰らい、恐怖を忠誠に固め、抵抗を悪に染めて。
おそろしいひとでしょう、と京一郎は花京院の隣で嘯く。
「仕えるに相応しい主かと」
「マア、そうね。そこらの
恐怖で統率を図る事以外は。
窓の外は穏やかだ。人が行き交い、喧騒は遠く。
新緑の長ランを着崩さず礼儀正しく座る花京院の額には肉の芽が蠢いている。
「3日後に日本へ経つんだって?」
「耳が早いですね」
「みんな何処か慌ただしいから」
「……私が日本で彼らを討てば、そのような準備も無駄になるというのに」
「ウフフ!自信家だ」
「至極真っ当でしょう」
負ける要素が見当たらないと花京院は昏く凪いだ目で、けれど不満そうに眉根を寄せる。
「彼は慎重派なんだ。それ程ジョースターを警戒している」
「つい最近スタンドに目覚めたばかりの者に、私が負けると?」
「キミ、意外と熱い男だな。負けず嫌いで誇り高い」
ぷかりと紫煙を吐いた京一郎をちらと見て、花京院は眉間に深く皺を寄せてそっぽを向く。
「拗ねるなよ」
「拗ねてません」
「キミの『
「ヘタな慰めは要りません」
「手強いねェ」
「知ってるんですよ。そのような事を他のスタンド使いにも言っているでしょう」
食えない人だと花京院は視線を逸らしたまま吐き捨てる。
「私は嘘は言っていないよ」
「なら、貴方は誰が1番“強い”と思いますか?」
「おっとォ。そいつァ難しい」
困ったように笑った京一郎に花京院はニヒルな笑みを忍ばせた。
「キミの言う“強さ”は何だろうね」
「敗者は悪だ。生き残った者こそが勝者であり正義。それ故に最後に立っていられる力を持つ者」
「成程。道理だ」
ううん、と考え込む京一郎にそのような顔をさせただけで花京院的には一矢報いて満足感を得られてはいるが。それはそれとして、様々なスタンド使いと出会っているだろう京一郎の思う強さに興味があった。
「生き残る事に長けた者は多い。それらは闇に生きる者としてあって然るべき嗅覚であり本能だ。そして……負けない事と勝ち続ける事はまた異なる……」
状況によって、場所によって、相手によって。スタンド使いは如何様にも強く在れる。
「マ、単純な地力では彼だろうね」
「DIO様ですか。……貴方はかの御方のスタンドをご存知で?」
「一応ね」
戯れに遊ばれただけだけれど。
スタンドパワーが起きたと同時に何時の間にか目の前にいた筈のDIOが背後に立っていて、何をされたのか理解が及ばなかったものだ。
「単純にねェ、吸血鬼ッてのは反則なものだよ。肉体の全てが常人には致死になり得るのだから」
太陽の下に出られないのもハンデとして成立しない程度には。
「単純な損傷は瞬く間に治癒する。欠損も部位が残っていればくっつく。頑健で不死身な超生物」
「貴方は吸血鬼という存在に憧れているんですか?」
「うふふ、この私が?とっくに人の身ではないというのに?」
吸血鬼より力は無いとはいえ人っ子一人の首を捻じ切る事くらいは出来るんだぞ。
くつくつと態と行儀悪く笑って、京一郎は煙草の火を押し消す。
「憧れちゃあいないさ。強さに興味は無いしね」
「持つ者が言える言葉に違いないな」
「キミは私のスタンドが強いと思う?」
「ええ、まあ。少なくとも不意打ちをされれば一溜りもない」
「そう?じゃあ私も刺客として奴らと戦ってみる?」
「……付いてくる気ですか?」
「……許しが貰えたらなァ」
「なら無理ですね。あの方が貴方を容易く送り込むとは思えない」
でしょう?“奥方”様?と。花京院は目元だけで笑う。
「故郷が日本だからな。チョット帰省してみたかったものだけど」
「諦めが肝心ですよ」
「それもそうだね」
花京院が腰をあげる。京一郎はそれを見上げて、もう行くのかと問うた。
「ええ。飛行機の時刻がもうすぐなので」
「……なァ花京院」
「なんですか、京一郎さん」
「帰ってきたら、キミの故郷付近を観光案内しておくれよ」
「……ふふ。なんです、エジプトから日本にまたトンボ帰りしろって言ってるんですか?」
「良いだろ、奥方命令な」
「開き直る事にしたんですか」
「言われ慣れちゃったの」
日差しが雲に遮られ、京一郎の顔に淡く影が乗る。伏せられた瞳が朧気に青みを増した。
「いっておいで」
「ええ」
花京院は赤い髪をエジプトの乾いた風に靡かせ、屋敷を後にしていく。
それを京一郎は膝に頬杖を着きながら、その背中が見えなくなるまで見送った。
花京院は飛行機の中で窓の外を眺めながら目を伏せる。
甘く、苦く、香る。記憶に残る顔のない男。声も知らず、けれど話した内容は残っていた。
「花京院?どうかしたのか」
「いえ……少し、思い出していただけです」
隣に座るアヴドゥルは考え至る。この少年は数ヶ月ではあったがDIOに忠誠を誓い、従っていた。その頃の傷が膿んで、彼に深く残っているのだ。
なんと言えば良いのか、惑うようなアヴドゥルの視線に気付いた花京院はふと笑みを零す。
「大丈夫ですよ。……確かに僕はあの時の恐怖を、恍惚とした崇拝を、それまでの屈辱を覚えている。けれど、……」
あの時の穏やかな言葉の応酬が心地好くなかったとは、これから先も僕は言えないだろう。
“あの人”はDIOとは違ったカリスマを持っていた。どんな風にも偽れる、けれどその全てが本性なのだという、美しく在り続ける毒華を象ったかのような人外。
それは、DIOのものとは異なり、けれど酷似した。
心に刻み付けられた傷に相違ない。
★
「だからッ、〜〜〜ッッ!何故わからない?何故わかろうとしないのだ……!」
「それはこちらの台詞だぜ、神父サマ?」
この時のDIOの心境は、まぁたやってるよ、である。通算10回目を超えた所でDIOは数えるのをやめた。
地団駄を踏みそうなくらいに声を荒らげるのはDIOの“友人”であるエンリコ・プッチである。普段は穏やかで冷静な気質のプッチが感情的になるのは、相手が京一郎であるからだろう。
気紛れに会わせてみたら“こう”だ。性質が似通っているから合うかと思いきや、プッチと京一郎は何もかもが反対だった。好き嫌いの好みであったり、善と悪であったり、思想であったり。まるで鏡合わせかのように。
“嫌いでは無いのだ”。片やバツが悪そうに、片やにまにまと愉しげに。思考回路は似通っているし、議論を交わせば自分の考えに及ばなかった事がぽんぽんと出てくる。話していれば楽しい相手。
ならば何故そのように衝突しているのかというと、自分の思想を相手にも共感してもらい、同じ方向を見て進む事ができたら、それはとても幸福な事だと分かりきっていたからだ。
だが、折れない。
京一郎はプッチに諭されないし、プッチは京一郎に惑わされない。善に殉じる彼に、悪に興じる彼。
───DIOを神のように信仰する彼と、DIOが
彼らは似ている。譲れないと思ったら梃子でも動かない。ひとつの為に挺身する事も厭わない。根本にある、敬虔と従順。グツグツと煮立つような感情の坩堝。
「俺から彼と仲良くする気はないのか、だって?」
京一郎はその言葉を鼻で笑う。
「今がいちばん楽しいんじゃあないか」
表面上同意を示す事は簡単だ。互いは互いの思考の方向を読めるので、片方が片方に沿うと、合流した川のように広く、長く、勢い良く流れていく事だろう。
けれど京一郎はそうしない。プッチは割と頑固なので。
衝突し、言い合い、時にスタンドすら背後に浮かび上がる程の激情。刺々しい殺意に似た重たい感情の発露。ひとつの言葉を馬鹿正直に受け止めて、反動のようにそれを返される事のなんと楽しい事か!
その全てが京一郎にとって心地好い。
聖者を揶揄い、冒涜し、誑かすのは悪魔の本能なので。
「だって俺は淫魔なので」
他者が京一郎を貶したのを耳にした時、プッチは不愉快そうに眉根を寄せる。
どうしたのかと問えば、自分でも気付かなかったと言いたげにプッチは視線を逸らす。
「不快に思った……のかも、しれない。彼の事を碌に知らない癖に、何故彼をそのように罵るのか」
彼はとても口が悪く頑固だが、存外思慮深く賢しい。淫魔だからとその内面を見ずに容姿から邪推をするのは如何なものか。
普段の口喧嘩の方が余程だと思うが、少しの動揺の後自分はいいのだと開き直るオチが見えた気がして閉口した。言わぬが花、沈黙は金である。
この前フライド・エッグに何をかけるかで何故か今後50年の経済の話にまで飛躍していたプッチと京一郎。
「おーい、神父サマ。珈琲淹れ直してくるから、一旦休戦しよう」
「……、ふー……。僕も頼めるかな」
「良いよ」
湯気の立つカップを口にして、ふとひと呼吸を置く。
「美味しいよ」
「ンふ、マア慣れたからね。神父サマとお話しすると茶が進むナァ?」
「ッ……それは、君が中々折れてくれないから……」
「お互い様だろ」
茶菓子の好みだったり、珈琲の砂糖の数であったり。アレルギーの有無なんて当たり前のように。
「……君は、どうしてDIOを、」
「彼の進む道を阻むのか?」
視線を珈琲の水面に向けたままのプッチに、京一郎は柔く笑う。
「彼がそのように俺に望むから……というのもある。……プッチ。キミは神という存在をどのように考える?宗教観は抜きにして、人が神に到ったとなると。その人間はその人間の人格を保ったまま、思考を保ったまま、神に到れると思う?」
「……人が、神になる……」
「無理だね。人間の根底にあるのは欲望だ。神とはそれ即ち天。故に不変。止められた時の中で欲を失って、人間の人格は健康に保たれると思うか?答えは否だ」
吸血鬼とは人間の進む道を1歩はみ出した存在である。それは人間から派生したが、地続きではない。人間の悪を抽出し濃度を高めた、人間の欲望の塊だ。
それ故に彼は悪人こそ強き力を発揮できると悪人のスタンド使いばかりを集めている。
「神となった彼が欲望を抱えたまま枯れず、焦がれ、求め続けられる道理がない。決して揺るがぬ安寧と平穏の先で、彼の精神は何れ死ぬ」
敵がいる内はいいだろう。けれどその先は?
「彼は闘争と血の中でしか、その人間性を保っていられない。何故ならば彼は極悪人だからだ」
「……、……彼には覚悟がある。その安寧の形にもよるだろう」
プッチは真っ直ぐと京一郎の弓形になった目を見つめ返す。
「彼は成し遂げるだろう。彼が上へ、上へと目指していけば、最後に到るのはきっと“其処”だ」
「───“天国”」
「そう。そして彼は全人類に齎すだろう。今現在彼に従う者に与えられている“安寧”を。彼が神に成る事で。彼の強い意志があれば」
「神父サマよ。教えてくれ。……その後は?彼はその先で、幸せになれると思うか?」
「“天国”とはそのような場所だ」
「アダムとイブは自ら知恵の実を喰らい“天国”に程近い楽園から追放されたというのに?」
「
「
同時、珈琲を口にする。
「俺は人が成り果てた後の精神の磨耗を識っている」
そこにあるのは機械的な機構だ。そこに至るのには欲も、意志も、魂すらも手放さなくてはならない。
「俺は彼を子供の時から知っている」
プッチは内に湧き上がる嫉妬のようなものを感じて胸を握る。手の内でロザリオが音を立てた。
「その衝動を手放した時、彼は真に満たされるか?彼は自らを手放せるか?自己の為に生きていた人生を全て投げ出せるか?その先にある“天国”とは本当に彼にとっての楽園となり得るのか」
教えてくれ、エンリコ・プッチ。それでも彼は神となるべきか。
プッチは沈黙を返す。
「……などと。ここで話していようがいまいが、彼はそれを目指すだろう。俺が阻むのは俺の都合でしかない。俺はキリストの傍で囁きかける悪魔でしかないのだからね」
「彼は君の囁きを跳ね除けるだろう」
「知っているさ。それでいいんだ」
「僕は君が分からないよ。阻むと言った口で、君は彼を神に押し上げようと言うのだ」
「俺にだって、彼の事は分からないのさ」
それでいい。今は、それで。
「全ては神の御心のままに」
俺はもう帰るよ。今日はコッソリ来たんだ。京一郎は席を立つ。
「今日も、の間違いだろう?」
「ンッふふふ!それはそう」
「……また来て欲しい」
「また来るよ、神父サマに
艶のある黒い外套は、魔女とも呼ばれる京一郎に良く似合っていた。
「今度は向こうでも会おう。いつだってキミを歓迎する」
「ああ……また、向こうで」
靡く外套の内側に招かれたプッチは額に唇を受ける。
「敬虔なる神の信徒に夜の魔女から祝福を」
「……呪われそうだ」
「呪ったのさ。我が写し身。生涯唯一の
★
眠る彼に口付けをした。それはさながら、銀盆に乗るヨカナーンの頸に口付けしたサロメのように。
テレビに映る白黒の映画。画質も音質もチープだが暇潰しにはなる。
画面の中で女が踊っている。1枚、2枚と服を脱ぎ落として。
くありと欠伸を零して俯せに目を閉じる。
「サロメか」
「ン〜、そう。適当にビデオテープ入れたらそれだった」
「その割に碌に観ていないが」
「だって、このサロメより俺の方が綺麗だもの」
囚人に恋した娘が女へと変わり、狂おしい程の愛に咲う。
兄を蹴落としてその座を奪ったユダヤの王エロド。妃の娘であるサロメはエロドから向けられる劣情を孕んだ目に嫌気がさしてパーティを抜け出した。その先で預言者ヨカナーンと会い、一方的に恋をする。終いには物言わぬその首を求めて自らも処刑される。
呪われた娘サロメ。
京一郎の言葉を鼻で笑い、おまえの方が余程巧く演じられそうだとDIOはソファーに腰を下ろして足を組んで言った。
「……うふふ。でしょう?踊ってみせましょうか、王様?」
むくりと身体を起こした京一郎が素足を床につける。
「布は7枚もないけれど」
何枚もの布を重ねたような服。ふわりとその場で回ると、しゃらりと装飾が音を立てた。
「報酬に何を貰おうかな」
初めは可憐に、無垢に。ドレスの裾を掴むように、1枚。
「ダンスはミドラーに教わったんだ」
くるりと手首を返し、布を落とす。
腰元の1枚を抜き去って顔を隠すように片腕を上へ伸ばし、ステップを踏んで片足を前へ。
「……うふふ」
恋を知り、女の顔へと変わるサロメ。
キスがしたいの。熟れた果実に噛み付くように、その唇に歯を立ててやるわ。
1枚、もう1枚。
激しく躍る肉体が婀娜めかしく蝋燭の灯りに濡れる。
首と、手足と。最低限の布を纏って、
「おまえは美しいよ、今でも」
その金色の髪も。今は紅く輝く瞳も。蝋のように白いその肌も。
「“おまえの唇にくちづけするわ”」
差し出された手を掴んで引き寄せられた。
膝立ちで上から見下ろして、京一郎は首を傾げる。
「おまえはおれをエロドとして見ているのか、ヨカナーンとして見ているのか。統一しろよ」
「そこはホラ、口実だよ。察しろ」
誘惑したいしくちづけしたいんだよ。暇だから。
「俺にとっておまえはヨカナーンだよ」
「抜かせ」
※6部未読につき変更する可能性大
プッチ神父どんなキャラなんだ?