※この作品はR-18です。

吸血鬼は淫魔の夢を見るか?   作:マスター冬雪(ぬんぬん)※休止中

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皆様へお年玉orお年賀と称しまして。良いお年を。


第35話

 

汐華初流乃は憶えている。幼い頃、母に家に置き去りにされた夜の闇。恐ろしくて、けれど泣いても誰も来ないと知って、震えるしか無かった絶望を。

 

夜に目を覚ましたある時、そこに人影があった。母では無い、もっと大きな人影が。身体を強ばらせて、影になったその人影を呆然と見上げて。

 

「……嗚呼、泣きもしないのか」

 

夜の闇のような声だった。確かにはっきりと覚えている。

無感情にも、哀しげにも、愛おしそうにも、熱に浮かされたようにも。夜の闇のように恐ろしいものだったけれど、その声には初流乃の知らなかった何かがあった。

そっと、手が伸ばされて。強ばる体はその大きな掌に解れて。身体が持ち上げられ、胸元に寄せられる。

微かな体温が感じられるだけで、その声の主はとても冷たかったけれど。だけど、とてもあたたかかった。

 

「よしよし、良い子だね……初流乃は良い子だ。怖いのに、よく頑張っているね……」

 

泣きそうになるくらいにその声があたたかくて、微かに鳴る心臓の音に安心して、揺らされる手付きに母を感じて、初流乃はその時初めて、夜の闇に安堵した。

 

「初流乃、初流乃……よくお聞き。おまえが健やかに、不自由なく生きているだけで、私はそれだけで嬉しいンだ。けれど……おまえが幸せに……そう思わない時が来たら。私の名をお呼び。私はいつだっておまえの味方だ……」

 

その時が来たら、おまえの事をいつだって……攫ってしまうよ。

幸せでなければ、初流乃はこの夜の闇に攫われるのだ。それならもうこの場で自分を攫って欲しい。……だけど、この声は本当に、初流乃の幸せを祈るように言うので。

きゅう、とその服を握って、初流乃はその甘い匂いを覚える。その声を、その冷たい温もりを。

 

「良い子……良い子……初流乃は良い子だね……」

 

夜の闇が怖くないように、子守唄を歌ってあげようね。

揺籃のように、影は初流乃を揺らす。

 

「彼から教わったのよ。おまえの知らない、けれどおまえの知っている……彼にね……」

 

初流乃はその子守唄を覚えてはいないけれど、その声の響きが、初流乃が眠るまで続いていた事は覚えている。

翌朝起きた時にはその影はいなかったけれど、握られた手の中には、真っ白いハンカチが。K.Mと刺繍のされたハンカチが、しわくちゃになって残っていた。

 

 

初流乃はもう夜の闇が怖くは無い。夜に目を覚まして、あの人影が無い事を残念に思って、少しだけ、ベッドの上が冷たいような気がするだけ。

初流乃はあれからずっと思っている。母の事は嫌いでは無いけれど、あの時あの夜に攫われてしまいたかったな、と。

 

 

 

★

 

 

 

初流乃は本当に我慢強かった。他の子は孤独を抱えていたり、家族に愛されていなかったり、不出来さに卑屈になったりして、最後には俺の名を呼んだ。

けれど初流乃は母親がイタリア人の男と再婚してイタリアに移る前も、義父から暴力を受けても、町の悪ガキにどれだけ虐められても、俺の名を呼ばなかった。

 

「おれはアンタに命を救われた恩義がある。だが、彼を見守るのはアンタに言われたからじゃあねェ」

 

初流乃が命を救ったのだからと拾った男はそう真っ直ぐな目で言って、ただそっと、静かに、ひとりの人間として。彼を見守り続けてくれた。

その町では名の知れたギャングだった彼は初流乃に受けた恩を返すように、そのように接した。ギャングに貸しのあった義父に言い含め、町の悪ガキにそれとなく話を通し。まるでそれは寡黙な父のように、背中で語るように。

 

「本当に良い男だね、お前」

「やめてくれ。信者共に殺される」

 

あとお前の息子達にもな。じっとりと背後から睨む視線に男は首を竦める。

 

「そんなに心配なら会ってやりゃアいいだろう」

「彼からしたら何の関わりも無い男だよ、私は。今まで救いもせず、手も出さず、お前のように周りを変えようともしなかった私が。今更どうして会えようか」

「おれが彼に見つけられる前まではお前がそうしていただろうが」

 

ちょいちょい、と京一郎が扉の方に手招きをすると、恐る恐る3人の子供達が近寄ってくる。お膝においでと京一郎が微笑めば、嬉しそうな顔で膝の上を取り合う、愛おしい息子達。

 

「……多分、彼はお前に気付いているぞ」

「だとしても、だよ」

「パーパと呼びたいんだとよ。デケェ独り言だったぜ」

「……」

 

成程、だから珍しく会いに来たのか。膝に乗れなくて膨れた子の頬をぷにぷにと弄りながら、京一郎は物憂げに視線を向ける。

 

「……パーパとマーマは既にいるでしょう。私の事はマードレとでも呼びなさいな」

 

ねえ、“パードレ”?

京一郎は今も部屋に入ってこない小さな子に微笑んで、そのように言って聞く。

 

「……」

「……、はあ。そう伝えとく」

「勝手におし。それで、今回の報酬だけれど、」

「要らん。それを受け取ればおれは金の為に彼を見守っている事になる」

「毎回の事だけど。……ふふ、お前のそういう律儀で堅苦しいところ、嫌いじゃあないよ」

「だからやめろっつってんだろ」

「ならこれ、あげるよ。手慰みにと渡されたけど趣味じゃあなくてね」

 

投げ渡した包みには煙草が入っている。奇しくも、男が吸う銘柄の。

 

「……相変わらず迂遠というかなんというか……律儀……?」

「おや、お揃いだ」

「やめろ」

「ンン、ふふふ」

 

どんなに弄っても子の為に声を抑える男がおかしくって、京一郎はころころと笑声をあげる。

 

「ねえ、またおじさまにお土産を貰ったんでしょう?お礼は言ったかな、可愛い子たち」

「言ったよ!」

「ちゃんと言った」

「おれも、言ったもん」

「まあ、良い子達だこと!流石ママの子だ」

 

おいで、良い子にはキスしてあげましょう。恥ずかしそうに額を差し出す彼らに、京一郎はひとつひとつキスを落とす。

 

「……お前の方が余程良い親だ」

「ウフフ。お前も私の子になるかい?」

「マジでやめろ」

 

 

 

★

 

 

 

初めに初流乃に会いに行く頃、俺は日本に居を移していた。……大分、それはそれは反対を受けたけれど。

ジョースター、それも空条承太郎に対してトラウマを持った者が多く、だけど押し切った俺に、本当に渋々の事だった。なるべく日本に滞在させない事を条件に、常駐させる者としてディオの配下ではない他の配下を連れて。場所は日本のM県S市。駅からは遠いひっそりとした場所に屋敷を建てた。

腹の子は大分大きく育って、見るからに妊夫という身であったので。今までいた屋敷周辺は顔が知れてしまったからというのもある。

骨張った肩を隠し、喉仏の浮き出た喉を隠し、化粧で幾らか顔を変えれば、顔立ちは変えられずとも中性的な女性として見られるだろう。それは配下達のお墨付きである。

 

そうして俺は今、日本にいる。

医者の勧めもあって、チョットした散歩は度々している。以前は悪阻も酷い時があり、その時ばかりは動く事すら儘ならなかったものだが。

……吐き気がするのに血が飲みたくて堪らなくなって。中国にいた頃は何度となく信者を喰らってしまったものだ。幸いな事に彼ら彼女らが望んだ事だったので。

そのような悪食は収まっている。長引いていた悪阻も、もうすっかりなくなっていた。それを機に、少し場所を変えたかったのだ。

……初流乃も……この日本にいる事だし、と。

 

穏やかな日差しの差す町を歩いて、公園を見つけてベンチに腰掛ける。

ああ、重たい。数kgなんて大した重さでは無いのに。吸血鬼として造った身体は想像以上に急速に成長していく。加速度的に、今も尚、数mgずつ重さを徐々に増している。これは大変な出産になりそうだ。それも、自然分娩など以ての外。帝王切開すら目では無いくらいに。……女じゃあないので自然分娩なんてそもそも出来やしないのだけど。

掌で腹を撫でていれば、どん、と今までにないくらい強く腹の内が蹴られて目を見張った。

 

「あ゙、っ?!……ンン。どうしたの、少年……?」

 

どん、どん、と。痛みを感じるくらいに。何かを知らせるかのようなそれ。

腹に力を込める訳にもいかず、必死に宥め賺す。

 

「ッ……く、ゥ゙……待って、ねェ。分かったから……」

「あの……大丈夫?お姉さん」

「……!」

 

目の前に立つ少年の姿に、鈍い痛みが止まる。

 

「ぁ……?……ぅ、うん、大丈夫。心配してくれてありがとう」

「アレ?おにい、さん……?」

「……ウフフ……サア、どっちだろうね」

 

何故今痛みが走り、この少年の姿を見たと同時に収まったのか。分からない。分からないけれど───ひとつだけ分かる事がある。……この少年は、スタンド使いだ。

 

「はァ……びっくりした……もう、そんなに蹴っちゃあ駄目よ」

「? ??……おにい、さん?お姉さん?は……妊婦さんってヤツなのか?」

「そう……お腹にね、赤ちゃんがいるよ」

 

切らせた息を整えて、チョッピリ疲れた笑みで彼を見遣る。

 

「へぇ〜〜。おれ妊婦さん初めて見た」

 

無邪気に目を輝かせる少年は膨れた腹を興味津々で見つめている。

 

「……触ってみる?」

「え!いいの?!」

「いいよ……触ってご覧」

 

人懐っこくベンチの隣に座ると、少年は恐る恐る腹に掌を当てる。

どん、と。先程のような蹴りに、やはりと言うべきか。彼に対してそのように反応していると確信した。

 

「わっ」

「……ウフフ。今日のこの子は元気みたいね」

「すっげぇ、こんな力が強いんだ……!」

「この子が特別な気がするけどね……」

 

未成熟のまま生まれたくはないでしょう、ちゃんと上手くしておくから、大人しく胎で微睡んでいなさい。そう言い聞かせるように、腹を軽く撫で叩く。

 

「あとどのくらいで生まれるの?」

「今が5ヶ月目くらいだから……あともう半分。5ヶ月後かな」

「て事は、秋か冬くらいに?」

「そうだねぇ」

 

のんびりとそのように話す。

 

「妊婦を見るのが初めてだって言ったけれど……妹さんや弟さんはいないの?」

「ウン」

「そう……それなら、驚いたんじゃあない?こんなに大っきなお腹見て……」

「まあ……。でも、テレビでは見た事あるぜ。でもさァ、やっぱ直接見るのと全然違うっていうか〜〜っ」

 

快活そうに笑う少年にふと笑みが溢れる。

 

「じゃあキミのハジメテ、私が奪っちゃッたって事かァ……」

「え、ええ?」

「なんでもないよォ」

 

目を細めて少年を見下ろせば、少しドギマギしたように視線を彷徨わせて、不思議そうに首を傾げる。

 

「サテ、そろそろ私は帰らなきゃア。家のヒトに心配掛けちゃう」

「お兄さん黙って外出てきたのか?家を出る時は何処に行くのかッてのと、“行ってきます”ッて言わなきゃあ駄目なんだぜ!」

「あらあら……叱られてしまったね」

 

ベンチから腰を上げて、頭を撫でようとして……止めて。代わりに頬を掠めるように撫で、彼の方を振り向く。

 

「ねェ、キミ……」

「なに?」

「……その髪型。キマっててカッコイイよ。……キミに似合ってる」

「!」

「じゃあね、また会えたら……この子とも仲良くしてね」

 

 

 

ちょっとの間ぽーッとしていた少年はハッとなって家路に急ぐ。門限が近い。

家に帰りついて、やっぱり遅くなった事を叱られて。

 

「……おれ、今日さァ……すっげー綺麗な人と会ったんだ」

「エッ。なァに仗助、初恋?!流石に早くなぁい?!」

「その人さァ、妊婦さんでさァ〜〜……お腹触らせてくれたんだよ。あんな大きなお腹抱えてさぁ、そン中に赤ん坊がいるんだって。あと5ヶ月したら生まれるから、その時には仲良くしてくれって言われたァ〜〜」

「あっ、そういう……そうよね……まだ5歳だし……」

「あの人お兄さんだったンかなぁ、お姉さんだったンかなぁ……」

「……妊婦さんなんだから……女の人じゃあなかったの?」

「声低かったし、胸なかったし……でもお腹にちゃんと赤ん坊いたぜ?」

「???」

「???」

 

 

 

★

 

 

 

「アレは確かにジョースターの血筋だった」

 

それも、本家筋に近いくらいに血の濃い。

夜に夢の中に降り立てば、途端にディオはそう口にした。腹の中から、肉体的な繋がりを感じたが故に、危機を知らせる為……基、近寄らせたくなくて、本能的に腹を蹴って知らせたという事だろう。

 

「ンン?でもジョースター家はジョージ・ジョースターから連なるひと通りしか無いのではなかった?」

「その筈だが……」

「ジョナサン、ジョージニ世、ジョセフ、ホリィ、承太郎。子供はひとりずつ?」

「……ああ」

 

無言による静寂が広がる。

 

「それってさァ……つまり、浮気って事?」

「……ジョナサン・ジョースターは万に一つも有り得ん」

「年齢的にジョセフかホリィでしょう?女性であるホリィが誰にもバレずに浮気して子供を孕むなんて土台無理な話ね。ならジョセフだ」

「幾つの子だ……?」

「あの子は大体4、5歳くらいだったから……あの時のジョセフが70くらいだと考えて……65歳……?」

 

元気なこと。呆れてものも言えないとディオは眉根を寄せているが。

 

「避妊くらい出来ないものかねぇ……」

「知った事では無いわ。だが……ジョースター家でも異端だろうな、あの男……」

 

それを言うならおまえもそうだけどな。

初流乃やリキエル、ウンガロ、ドナテロ。それらが生まれたのは彼が生まれたという年代から約120年後である。そしてその全てが腹違い。いやはや、何とも。

 

「何か……言いたそうな顔だな……?」

「あは。元気なのはお互い様だなァって」

 

避妊無しでセックスいっぱいするもんなァ。と。

 

「……おれは敢えてそうしたんだが?」

「婚外児とか私生児って意味では同じだろうに」

 

うふふ、とっても心外そうである。

 

「過ぎた事だけど……もうあんなに強く蹴らないでね。チョット触れる程度でいい。じゃないといざッて時動けなくなっちゃうからさァ」

 

見本を見せるようにディオの手を取って俺の頬に当てさせて、その上から手の甲をとん、とんと叩く。

 

「肉体と魂の齟齬は大方無くしたけれど、動かそうと思って動かせるものなのか?」

「……まだ肉体に意識が乗っている訳では無い。あくまで腹の中の赤子の範囲でしか調節は効かない」

「10か100かって事?やーん、お腹破けちゃう♡」

 

すりすりと頬を擦り寄せて、ぎゅうと抱き着く。

 

「はぁ……♡おまえを俺という箱庭に収めている事といい、子供たちが愛らしい事といい、俺はとても幸福だよ……ねェおまえ、このまま胎から出なくても良くない?」

「願い下げだな」

「いけず……」

 

つん、と唇を尖らせれば、彼の反対の手が俺の頬を掴む。

 

「ンむ、」

「少しは警戒心を持っておけ」

「過ぎた警戒は無駄な疑念を生むよ。程々でいいのさ」

 

俺の代わりに護衛する皆が警戒するし。無駄な事は手間だ。効率良くいこう。

 

「おまえは他を利用するではなく、任せるではなく、頼る事を覚えなきゃアな」

「覚える意味など無いだろうが」

「そうかな」

 

そうしてただ、淑やかに笑ってみせる。

 

「まアいいや。この町にジョースターの血筋がいるという事はいつかはジョセフか承太郎か……訪れる可能性があるという事。精々楽しみに待っているとしようか、ナア?」

「……只無意味に見付かるなよ」

「はァい♡」

 

 

 

★

 

 

 

「落としましたよ」

 

その言葉に振り返る。

差し出されたハンカチを手に取って、首を振った。

 

「ありがとう。だけどこれは私のハンカチではないよ」

 

綺麗にたたみ直して差し出せば、彼は俺の手を掠めるように触れながらハンカチを受け取る。

 

「そう、でしたか。すみません」

「いいえ。親切にありがとう」

 

にこりと微笑んで先を行く。……親切な割に、視線はあまり合わない人だったな、と。

 

 

「……嗚呼、見付けた。わたしのモナ・リザ……」

 

 

 

★

 

 

 

臨月となった。

陣痛も絶えず襲い、胎は限界まで大きくなっている。

吸血鬼の成長速度はあまりにも早いもので、加速度的に大きくなって行く胎を抱えて、まだ、もう少し待ってと言い聞かせる事が常となっていた。

 

「もう生まなければ、母子ともに危険となる」

 

担当医もテレンスもそう言うが、俺には分かる。まだ、もう少しだけ早いのだと。

 

「通常で言うなら16ヶ月目にも相当します。最早母体は限界です!京一郎様、産んでください。でなければ命を落とします!」

「十月十日だ。それは違えない」

「京一郎様ッ!」

「これは普通とは違うんだよ、俺のお医者様。俺は今、嘗て生きていた吸血鬼を。出産する機能のない男の胎で育てて。産み直そうとしている。この意味が分かるか」

 

医者は奇跡だなんだと言ったな。何故この懐妊に制約がないと思ったのだ。こんなにも雁字搦めに縛られているというのに。

 

「十月十日だ。……もうこの話題は口にするな。頭が痛い……」

 

ずきずきと、あちこちが痛む。腹の子は静かに時を待っているというのに、外ばかりが煩くて堪らない。

医者を退室させてヘッドボードに凭れ掛かる。

 

「もう少し……もう少しだ、ディオ。もう直ぐに、生んでやれるからな」

 

皮膚の下で微かに身動きして、彼は静かに眠っている。

 

 

 

 

 

気絶するように眠りに落ちたらしい。触れる冷たい温もりに目を開く。

 

「……ディオ?」

「……」

 

何も言わず、髪に触れたり目元を撫でたりとしているディオの膝の上で、俺は横向きに寝ていた。

 

「もう少しだけ、待っていてくれよ。ちゃんと産めるから……不自由無いように、健康に産んでやれるから……」

「京一郎」

「……ん、」

 

言葉を選ぶように、言うか言わないか惑うように。ディオは少し、戸惑っているように見えた。

 

「……待っている」

「……うん」

 

嗚呼、その言葉だけで、俺はまだ頑張れるよ。

 

 

 

 

 

それからもうひと月して。意識も朧気のまま、明日に出産をすると告げる。しんしんと少し早めの雪が降りしきる冬の事だった。

 

「針と、糸と……縫合に使う物だけ用意して……お前たちは全員外で待っていろ」

「は?!」

「京一郎様、一体何を……」

「俺の腹が内側から裂けるところがみたいのか?淫魔としての肉体を知らないものが手を付けられると思うのか。……お前たちは俺の肉を粗雑に扱えまい。……俺の身体が限界なのは俺が1番よく知っている。お前たちが出来るとすれば……産後、雑に縫ったそれを綺麗に縫い直す程度だ」

 

出来るというのか?非力な人間が。常人の首ならばへし折って捻り潰せる人外相手に。麻酔無しに押さえ付けて縫合する事が?……現実的に考えて無理だろう。出来る事などありはしない。

そう、突き放すように言う。最早俺に余裕は無い。

 

「……それでも、何も出来なくとも。私はあなたの担当医です」

「……万が一にも上手くできない事があれば私もスタンドを使ってでも押さえ込むので。ご心配ならご自分にどうぞ」

「……、……勝手にしなさいな、馬鹿な子たち……」

 

 

 

 

 

凄惨、極まる。それは人類の神秘である出産と同一視しても良いものか惑う程度には。

 

「ガ、ア゙ア゙ァ゙ァア゙アア゙ァ゙ァ……ッッ!!!!」

 

獣のように吼え、ひとりでに蠢き突き破らんとする腹に絶叫する。堪えかねる。喉を潰し、身体をのたうたせ、腹に爪を突き立てる。

ぎち、ぎち、みぢ、みぢ、と。ゆっくり、ゴムを千切るような鈍い音を立てながら裂けていく白い腹は、瞬く間に赤黒く染まっていく。

まるで力任せに、けれど腹の子には傷を付けぬように。呼応するように腹の子も手を伸ばして肉を掻き分け、内臓を潰し、這い出てくる。

血液が湯水のようにシーツを濡らし、床に滴り落ちていく。

急激な失血に朦朧としながらも、京一郎はスタンドすら操って腹の傷を大きく開いて、そっと彼を抱えあげた。

 

「……ァ、」

 

血で真っ赤に染まった金の髪。血の気を失った白い肌。赤く染った瞳が、瞼の下からそっと覗いた。

 

「は、ァ……お、かぇ、り。ディオ……」

「……」

 

力が抜けそうになる身体を支えながら、京一郎は傍らの糸を通した針を無造作に手に取って、片手でまろび出た内臓を正しい位置に戻し入れながらざんばらに縫い付けていく。破れて潰れた内臓は、いつか時が癒す。治るまではスタンドが機能を賄うだろう。

見守る医者と執事がはっと意識を取り戻したのは、京一郎が力尽きて気絶した後の事だ。

ベッドの横に立つ金糸の髪を持った幼児は、ただ、ずっと、その様子を見つめていた。

瞬く間に騒がしくなっていく京一郎の周囲で、恐る恐るテレンスがその後ろ姿に声を掛ける。

 

「……DIO、様……?」

「……」

 

ふとその顔が見えた時、テレンスは漸く思ったのだ。───主人が帰ってきたのだ、と。

 

 

 

 

 

京一郎は眠っている。傷を癒す為に、周囲の人間の生気を喰らいながら。

3歳ほどの体躯で生まれた彼はその様子をじっと見つめている。時折短時間だが京一郎が目を覚ます事があれば一言二言言葉を交わしている。

ぱっちりと開いた吊り気味の赤い目。首筋を擽る程度の短い金の髪。首の周りをぐるりと囲む赤い痣。そして肩にある星型の印。

幼児の姿をしていても、彼はDIO、その人であった。

長い時間は傍にはいられない。京一郎は無差別に生気を喰っているので、一般人ならば30分も傍にいれば力尽きてしまう。

 

「DIO様、そろそろ……」

「……ああ」

 

それはスタンド使いであり吸血鬼であるDIOも同じくであった。

まだ真白い顔をした京一郎をちらと見遣り、DIOは部屋を出て行く。

 

DIOは3歳程の姿で再誕した。京一郎が産むと決めてから数時間程は目に見えて成長が早まったものだが、それでも相応の体躯を京一郎は胎に収め続けていたという事。母親の執念と言ってはアレだが、京一郎はやり遂げた。

その事について、DIOは内心を誰にも告げなかったが。付き従うテレンスはただ漠然と、主人は変わったなと思っている。

人としての食事を栄養にする事ができるが、基本は血液を糧にしている。日の下に出る事は出来るが、長くいれば肌が溶け出していく。

DIOのその身は人間としての要素は強いが確かに吸血鬼であった。

 

「これは京一郎がした、子であるおれを守る為のものだろう」

 

DIOは眠る京一郎を眺めながら呟く。何れ人間としての性質は消えて完全に吸血鬼へと戻ると。

全身に母体の血潮を浴びて生まれたその姿は正しく人外、吸血鬼に然るべしといった有様で、あまりにも恐ろしく見えたものだが。

産湯とも呼べる始めの湯浴みの後、その下には天使と見紛う紅顔の美少年がいたのだから、この世はうまくいかない事ばかりだと思わざるを得ない。

 

「“呼ばれて”はいないのですか?」

「ない。夢に忍び寄る気配もない。此奴はただ深く、眠っているだけだ」

 

ただ、ただ、深く。

DIOは部屋を出て屋敷を歩く。3歳児の歩幅なので至極ゆっくりと。

 

「……配下の者にDIO様の復活を告げてあるので、近々会いに訪れるとは思いますが」

「そうか」

「嗚呼、あとご友人であるエンリコ・プッチ様も明日明後日には邸に到着の予定だそうです」

「!……彼奴はプッチと親交があったのか?」

「え?ええまあ……毛嫌いはしていませんでしたが馴れ合いはしたくないと、拠点選びの際には真っ先にアメリカは候補から外していましたが」

「ふん……相変わらずの仲の悪さ(良さ)だ」

 

似たもの同士である癖(故)に。DIOはそのように吐き捨てながら、口元に笑みを乗せている。

 

「貴方がいなくなって1年でしたが、随分と濃いものでしたよ。京一郎様は矢鱈と精力的に動き回って……」

「……“京一郎様”?テレンス、お前は彼奴をそのように呼んでいたか?」

「あ゙。……っと、いえ、その。ミナセ様がそのように呼ぶようにと……」

「……ふん。構わん、好きにしろ」

「ええ、まあ……はい」

 

テレンスまでも魅了されたのかと思っただけだったので、DIOは続きを話せと促す。

 

「ええと。そう、あの人はスタンドを常に発動させた状態で、世界中の魂を観測し続けたので……3ヶ月で手足が蕩けて、常に血涙を流し続けていました」

 

逃亡したスタンド使いを追い込んで追い詰めて再び忠誠を誓わせるまで。

そのように弱いものいじめで気を紛らわせなければ堪らない程には焦燥し苛立っていたかと。

 

そう、それから、DIOの魂が京一郎の胎で目覚めた。

 

「勢力はアジアを基本に伸びています。配下の割合は京一郎様とDIO様で半々、京一郎様は基本的にスタンド使いではなく政界や財界、法曹界といった世界の中枢を担う者を中心に信者を増やしている……ともとれますね」

「彼奴らしいな」

「中にはジョースターと関わりの深いスピードワゴン財団に勤める者もいます。……まあ、怪しまれるのを避ける為、個人的に連絡を取り合う友人として振舞っているようですが……流石に、中枢には潜り込めてはいないようです」

「スタンド使いを使えば容易いだろう」

「そのようにする価値は未だないと。そのような些事に貴重なスタンド使いを遣るくらいならばまた別の方面に遣わせるという考えのようです」

「……平和な事だな」

「ええ。この国は平穏そのものですよ」

 

潜伏にはちょうどいい。ジョースターの人間がいるからどのような事になるかと思いましたが。

テレンスはDIOの部屋にワゴンを入れて、紅茶の準備をする。

 

「暫くはあちらにも動きはないでしょう。今は水面下で、その手を伸ばしていく……」

 

然るべき時が来るまで。

 

 

 

 

 

「DIO!よく無事で……」

 

悔いるような、それでも喜びを隠せない様子のプッチを迎え、DIOは口元に笑みを乗せる。

 

「もっと早くに来たかったものだけど、」

「構わんさ。彼奴が嫌がったのだろう?」

「ああ、まあ、うん……それで、彼の様子は?」

 

DIOが首を横に振って見せればプッチは心配そうな面持ちでそう……とだけ零す。

 

「キミは彼奴が嫌いでは無いのかい」

「まさか!ああいや、なんというか……似ているんだよ、僕達は。他人とは思えない。けれど……何もかもが真反対で、相容れない。それがどうにももどかしくて。……彼はその方が良いのだと笑うけど」

 

悩む様に嘆息して、プッチはかぶりを振った。

 

「キミがジョースターに斃されたと聞いて……僕は、もう二度とキミに会えないのだと……」

 

DIOはその言葉に苦く笑って。

 

「そういえば……プッチ。キミは私があげた骨を……まだ持っているかい」

「うん?勿論だよ」

「そう。それならいいんだ」

 

DIOはゆっくりと口元に艶笑を浮かべて、プッチに囁く。

 

「キミは天国に行くんだ。プッチ、キミが天国へ行く道を作り、私がついて行く」

「!DIO、それは───」

「キミにはそれが出来る。寧ろキミが、私を押し上げるんだ。キミにしか出来ない事なんだよ」

 

承太郎かジョセフか……日記は燃やされてしまっただろうが。プッチならば、何としてでもそれを見出す事が出来るだろう。その術は既に彼の手にある。きっと、京一郎はそれを妨げるだろう。けれど。

 

「キミなら出来る」

「DIO……」

 

プッチは力強く頷いてみせた。

彼にならば、それを成せるだろう。

 

 

 

 

 

“謁見”に来た配下たちは1年前と変わらずのようであった。逃亡したと思しき人間は酷く怯えてはいたが。

 

「やーんDIO様かわいい〜!」

「ホントホント!こんな時もあったのねぇ〜」

 

マライアとミドラーに捕まって着せ替え人形にされてはいるが。

 

「服は貰っておいて損は無いでしょう、ただでさえ2週間で丈が合わなくなるんですから」

 

テレンスは山と積まれたショッピングバッグを片付けながらDIOにそのような事を言う。

 

「……まアいいが」

「ねェテレンス、京一郎様は?お土産持ってきたのだけど」

「まだお目覚めになられていません」

「そうなの?心配ね……」

「まあ……けれど、大丈夫でしょう、今日も変わらず配下の生気を吸っておられるので」

 

でも、もう1ヶ月になるでしょう?前の時も相当だったけど、まだ動けていたから。

……京一郎が昏睡状態に陥って1ヶ月。腹の傷はまだ色濃くあるが確りと縫い直され、内蔵の修復もその位置も正常になりつつあった。医者の見立てではもう暫くすれば目を覚ますだろうとの経過観察を述べている。

眠りに沈む今も変わらぬ美しい男。

……淫魔(夢魔)が眠りに囚われるなど御笑い種だ。

 

「……早く起きろ」

 

待たせ過ぎだ、マヌケめ。

 

 

 

★

 

 

 

耳元で泡が浮かぶ音がする。

薄目を開ければ、光に揺らぐ波間の模様が見える。

海の底から、俺は見上げている。

既視感があった。これは誰の記憶だろうか。

波間に漂い溶け合う事が、どれだけの幸せになるだろう。この憎悪から、この怒りから解放された時、俺はどうなるのだろうか。

嗚呼、きっと、俺は異物だから。

混ざれずに放り出されるのかも。

……それでもまア、いいか……。

 

愛すべき沈黙の中で、俺の耳は何かを認識する。

ざぱりと波を掻き分ける音。何かが沈み込む音。……誰かの声。

 

「───」

 

嗚呼、嗚呼。残念だ。起きろと言うのね、おまえは。目を覚ませと。おまえはいつも、俺に安寧は許さないの。

 

「……っは、何故沈んでいるんだ」

 

探すのに手間取った、と。

その顔に金の髪を張り付かせて、彼は俺を引き上げた。

 

「……おはよう」

「大寝坊だ、マヌケ」

 

このDIOをこれだけ待たせるなど、と続く彼の口を塞ぐ。

微睡みに今は浸りたい。妨げる彼の声が邪魔で、鬱陶しくて、憎らしくて、俺はまだ怒っているのだ。なのにそれを分かっていながら、荒っぽく俺を起こすから。

どうして起こしたの。もうおまえに俺は必要無いだろうに。このまま沈んで朽ちてしまえば、おまえは何をしたって誰も咎めないだろうに。

 

どうして、もう何者にも自分の物を奪わせないなどと言うの。

 

「俺は面倒臭い男だろう?」

「……馬鹿め」

 

海の底より、おまえの腕の中の方が安らげる。俺も焼きが回ったかな。

誰かからの妨害も、一方的な愛も、憎悪も、怒りも、全て自分のものだなんて、なんて傲慢。

だから愛しているの、おまえの事を。おまえは俺にひとつも諦めさせないの。そういう所に俺は恋しているの。

 

「(だから、あげないよ)」

 

まだ、彼は俺と一緒にいくの。

お前には、お前にだけは、まだあげない。彼を地獄へ連れて一緒に沈む事が出来るお前にだけは、まだ。

彼とお前は2人でひとつなのだから、いいじゃない。彼の生きている間は俺に頂戴。彼が諦めるまでは。彼が俺によって破滅するまでは。

 

 

仕方ないな、という吐き気のするくらい優しく穏やかな笑みに見送られて。……俺の作った都合の良い幻想かもしれないけれど。

 

 

 

 

─────目覚める。

 

 

 

 

 

切

 

 




モナ・リザの手って男性的にも女性的にも見えるって話を聞き齧った覚えがあるので。
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