吸血鬼は淫魔の夢を見るか? 作:マスター冬雪(ぬんぬん)※休止中
過ぎ去った今でも思い出せる。───その出会いは物語の一幕のようだった。
丹念に手入れされた艶やかな桜貝のような爪先。キメ細やかな白い肌。柔く円やかな線を描く細い指。節のある関節すらも愛らしい。
ひと目見て恋に落ちた。
そのヒトに微かに触れられた事があまりある幸運に思えた。
指の表面を滑る肌の感覚。
優美で、きっと粗相なんてしないだろう、淑やかで教養のある仕草。
モナ・リザという絵がある。微笑を湛えた女性の絵画だ。作者はレオナルド・ダ・ヴィンチ。……こと、手に感情を乗せる事に長けた作家だ。
幼い頃画集で見たモナ・リザの微笑に、正確に言うならば組まれた手に、少年だった私は性欲を抱いた。写真の手の部分だけ切り取って、それを部屋に飾ってしまうくらいに、どうしようもなく惹かれてしまったのだ。大人となった今も、そのサガは変わらなかった。
美しい手の女性に声を掛けて。……けれど“恋人”となった女性は何もかもが煩わしいものだった。どいつもこいつも自分勝手で、デートの時なんて早く帰ってしまいたいとすら。手を握っていなければ耐えられない。
だから、切り取る事にした。
物言わぬ従順な手は本当に愛らしい。何故だの、どうしてだの、鬱陶しい事は何ひとつ言わない。縋ってきたりこちらを嫌悪したりもしない。心の底の何もかもを打ち明けられ、そしてそれを受け入れられる心地良さ。
自分には手があればいい。それ以外は邪魔な付属品だった。
モナ・リザ。私のモナ・リザ。幼き日に夢見た理想。
それが目の前にあった。
───「ありがとう。だけどこれは私のハンカチではないよ」
声は男の物だったのが、あまりに惜しい。
けれど、それで諦めるには
……いや、いや。最早それは関係ない。
私は彼の手に惹かれた。それ以外は蛇足だ。
あの場は人目に付く場所だった。……もし彼が人目のない場所にいたら。もし彼の家を知る事が出来たら。
私は彼の手を切り取るだろう。
その日を夢に見て、少し早い時間に家を出る。……
───東方仗助らが杉本鈴美によって、矢安宮重清が殺人鬼に爆破された事を知った後。
吉良吉影は新しい彼女を求め、オープンテラスで話をしていた女を付け狙っていた。
何せ、諦めていたのだ。理想のモナ・リザなどこの世に存在しないと───。
だから、その女は一時の“彼女”として、その手を切り落とそうと。
「ねえ、少しそこのカフェにでも入ろうか」
聞き覚えのある声にふと視線を逸らす。
日傘を持ったレースの手袋。1枚の布を隔てて尚わかる、美しい手のきみ。
ふらりと吉良の足取りが女の背後から離れる。
「おまえの好きそうな味の珈琲を出すんだ、此処。ドナテロはまだ練習中だから」
柔く、声が隣に掛けられる。
「暑い?汗掻いてる……フフ。苦手だもんな、太陽……」
その白いレースがハンカチを握る。
「我儘、聞いてくれてありがとう。一緒にいられるだけで十分しあわせだよ、俺は」
金の髪に触れ、そっと離れていく。
「フフッ……本心なのに。……おまえも外に出る気分だった?……そう、」
嬉しい、と。指が組まれる。
「何にする?俺は軽食でも食べたい気分……珈琲だけでいい?じゃあちょっと分けてあげるね」
指がとん、とん、とメニュー表を這う。
「これからどうする?このまま散歩だけにして家に帰る?……フフ、それもいいね。それじゃあ少し本屋に寄ってから帰ろっか。おまえの読んでた本の続きが発売されていたから……」
行儀良く、慎ましく、指を伸ばした手が揃えられてテーブルに置かれる。
「ン〜、水出し珈琲も美味しい。……ホットサンド、食べるでしょう?はい、口開けて、あーん……ンふふ!」
流れるような動きでグラスからフォークに触れ、1口大に切り分けたホットサンドが持ち上げられる。
「デートも久しぶりだな。……、おまえだから、俺はこれで満足なのだけど?それを安い男なんて言葉で纏めて欲しくないなァ?」
拗ねた素振りでツンと澄ましたように、指が擦り合わされる。
「……なんてね。そうだよ、俺は案外安い男さ」
ああ、安いだなんて。とんでもない。
清純で、計算高い。蠱惑、けれど純粋無垢にも見える。正しく小悪魔。自分の美しさに傲慢で、それでも嫌味はなく。ありのまま野原に咲き誇る花のように。
淑やかで従順な面だけではなく、隠せない夜の吐息が、あまりに魅惑的だった。誘われている、と。吉良はそのように囚われる。
近付きたい。触れたい。出来るなら“恋人”として。
触れたい。触れたい。───触れたい!
けれど、けれど。吉良はこの衝動を押さえつける。
見られる、訳には、いかない。
自分の平穏な日常の為に。
ふらりと、吉良は立ち上がる。辛うじて保った理性から、手の付けられていない珈琲の代金をテーブルに置いて。
正しく、毒。徒花のようなヒト。
掻き毟りたくなる胸を、犯されてしまった心臓を抱えたまま。
───嗚呼、うつくしい
「……行ったか」
「随分熱烈な視線だったなァ」
顔には見向きされなかったの、割とショックだったりして。
含み笑い、まったくそのように思っていない顔で京一郎は言う。
「そんなに俺の手ってキレイ?」
「は。骨張って肉の少ない。女の手と比べるべくもない」
「これ以上肉が付いたら不格好じゃあない」
「でも
「……、……、ふざけるなら先に帰るぞ」
「ンッフフ……ッ!ごめんごめん、」
今何を言われたのかわかりません、というような惚けた顔がみるみるうちに不機嫌に歪められる。
愉悦に笑んだ京一郎はおざなりに謝って、伝票を持って立ち上がる。
いつの間にか、京一郎のグラスと皿は空になっていた。
★
「───つまり、鈴美さんの言う殺人鬼はキミ達の学友である中等部の子を殺した……スタンド使いだと」
ヴィンテージの木製の固定電話の受話器を耳に当て、京一郎は目を細めている。
「うん……。……そう、杜王町にいるスタンド使いの素養のある人間を全て調べる気でいるのね。それは良いけれど……無自覚な者ならまだしも、後暗い事をしているスタンド使いなら先ず隠すし、バレたとあれば……この15年、証拠を残さず犯行を繰り返した用心深く大胆な人間だ。一撃でも当たれば拙い事になるのは、分かってる?」
頬と肩で受話器を挟んで、京一郎は傍らのメモ帳に万年筆を滑らせる。
「……決意は固いようね。わかったわ、一晩だけ時間を頂戴。夜は“普通なら”家に帰るものよね?なら深夜から明け方に動きを止めた魂はそこが拠点、自宅という事になる。……でも無理はしないで、この町だけでも“スタンド使いになれる素養持ち”は何十、或いは何百にも及ぶ。スタンドを発現させる程の精神性のあるなしは関係無く、ね。流石の私も視覚外の魂が実際にスタンドを使う人間か調べるには難しい。……ウン。それじゃあね」
かちゃん。受話器を置いた京一郎はふと息を吐く。
「仗助か」
「正解。マッタク無茶振りしてくれるよなァ?俺に58000もの人口からスタンド使いの魂を見つけて伝えろってサ」
嘲笑に歪んだ口元を掌で隠す。人口、プラス、犬猫烏などの動物も踏まえてどれだけになろうか。動物にもスタンド使いはいるのだから。
「発熱必至だなァこりゃ」
「適当に済ませればいいだろうが」
「星の一族にンな事出来ねぇだろ……バレたら殴られるだけじゃあ済まねェよ」
折角築いた信用がパァである。
そも、彼らの周囲に人死が出た時点で、協力する此方も全力で行わねば不信感を買いかねない。
ベッドに横たわるDIOに腕を回し、きゅうと暫く抱きついた後、京一郎は傍らの真鍮製の呼び鈴を鳴らす。
「……失礼致します。御用でしょうか」
「夜までに杜王町の地図と付箋と筆記具を応接室に持ってきておいて。夜から明け方までそこに籠るから、緊急時以外は人を寄せないでね」
「……テレンス、夜はコイツの見張りをしておけ。万一にもないと思うが脳を融かしてくたばりかねん」
「は……?脳、ってまさか貴方、またですかッ!」
「言うなよ」
「前科持ちを自由にさせると思うか?」
「ン〜〜〜ぐうの音も出ねェ」
ぐう。なんちゃって。
魂の見え方というのは、魂に関するスタンド使いによってまちまちである。能力の副産物として魂を扱うスタンド使いや、魂を目視、或いは魂自体を何かに変化させるスタンド使い。それぞれが異なる見え方をする。
要するに、スタンドとはスタンド使い本体の思想に多大に影響する。という事だ。
テレンスは魂の色をサーモグラフィー画像のように熱分析した色として。兄のダニエルは半透明に靄を引く幽霊のような姿で。
───魂を胎に仕舞うスタンドと、肉体と魂それぞれから余剰に生み出される生気を喰らう種族である俺はというと。
魂は暗闇の中に浮かぶ火の玉だ。余剰の生命力はぼんやりと浮かぶ炎の表面。目視する姿は生命力を垂れ流した人の姿そのもの。
悪を悪と認識し、それを犯した者の魂の色は濁って見える。淫魔という種族故か、普段からそれを目にしている。……のを、普通の人間の視界のみが見えるように脳の一部を弄っている。これが仗助達に話した“チャンネルを切り替える”行為だ。
因みにプッチの奴はとても澄んでいる。ディオですら濁ってるのに。
……俺はスタンド使いを判別出来ないとは言ったが、悪を悪だと認識して尚殺人を繰り返す極悪人を判別出来ないとは言っていないからな。知らぬはなんとやら、だ。
「……さて」
そろそろ俺の仕事を始めるとしようか。
───その後。
俺は案の定脳の酷使による知恵熱でベッドに押し込まれ、やってきた仗助と承太郎に付箋の貼った地図がテレンスでは無い執事の手で手渡された。
承太郎までやってきたのはおそらく俺を警戒しての事だろう。被った帽子の鍔を下げ、小さく礼を言っていたらしい。陰から見ていたディオが殊勝な事だと鼻で笑って話していた。
「あの時程じゃあないだろうに。スタンドを使い続けた訳でもなし。大袈裟だね、」
「あの時程であって堪るものですか。解熱剤です。飲んでください」
「……粉、苦手なんだよなァ。嫌がらせ?」
「まさか。それとも坐薬がよろしいですか?」
「それは流石にやだ……」
「それは大変良うございました」
本当に微熱なんだから解熱剤要らないと思うの、俺。
この後生気を貰う為にテレンスにハグを要求した。
「それで、そのスタンド使いは見つかったのか」
「ばっちり♡」
執事達によって頭に乗せられた氷嚢をサイドテーブルに置いて身体を起こす。
「ンフフ……罪悪感の薄いサイコパスの割に濁りは濃くてね。随分倫理的で良いご家庭で育ったものだよ……彼の“父親”の方が余程罪悪感で濁っていたけど」
悪い事を悪い事だと理解して、だけれどその生来のサガには逆らえず、逆らう気も本当は起きず、父親がそれすら肯定したのだ。
それを引っ括めて。その男は殺人を繰り返す。
「京一郎様ぁ〜……あ゙、でぃ、でぃ、DIO様……、い、いらしたんですね……!」
「オインゴ。よく来たね。こちらへいらっしゃい」
にこりと慈悲深く微笑んで、有無を言わさずに手を招く。
恐る恐るといった様子で部屋に入ってきたオインゴは跪いて頭を垂れる。
「どう?調べられたかしら」
「は、はひっ!ご、ご両人に、報告、申し上げます……!」
そうして述べられる男のパーソナルデータ。
名を吉良吉影。父親に吉良吉廣、母親に吉良──。1966年1月30日生まれ。小学校は───
「そこ。省いていいよ。後で書面で確認するし」
「ッッ、はいッ!」
吉良吉廣は吉良吉影が21の頃にガンで“死亡”。母親も相次いで亡くなっている。死亡原因に不審な点なし。
「経歴や学生時代の受賞経験からして、秀でる事も劣る事もない、それこそ平凡なそこそこ優秀な成績を維持する事に徹底していたようです」
「……待て、父親は既に死亡しているだと?」
きろりとディオの目が俺に向けられる。
「先程おまえは父親の魂を観測したと言ったな?」
「フフ。詳細は報告を聞いてからね……続きを」
「は、」
就職先であるS市内のカメユーデパートでも目立った成績はなく、上司の使いパシリをしていたような男。
何とも気味が悪い、神経質なまでに徹底した生活だ。
「生活環境もかなり徹底した自己管理をしていますね。毎日23時には就寝してきっかり8時間睡眠。職場での評判は毒にも薬にもならない男。でもまあ任された仕事はそつなくこなしてたようですよ」
「培った平凡をお手本通りになぞっているかのような歪さ。知能レベルは相当に高い。……医学書通りの反社会性パーソナリティ障害だね」
その徹底した自己管理には殺人による好調も加味されている事だろう。
「それで?“あった”のかな」
「は。ありました……スタンドの弓と矢が」
「!」
「誰かが家屋にいた?」
「はい。……ですので持ってくる事は出来ませんでした……も、申し訳ございません……!」
「いいよ。私は隠密性を優先しろと言った。不問にしよう」
「ありがとうございます……!」
上手に“取ってこい”が出来た可愛い猟犬には褒美をやらなくては。よしよし、と頭を撫でてやる。
「3日間ご苦労様。報酬はテレンスから受け取って」
「はい!失礼致します!」
こう見てるとコミカルで案外可愛いヤツである。彼が死んだ後戸惑いながらも逃げたから追っかけて追い詰めて生殺しにしてやったけど。ボインゴの予言のお蔭か早々に白旗上げてたわ。
バタバタと音を立てて出ていったオインゴに忙しない奴だなと気を逸らしたディオは、さあ続きを話せと視線を向ける。
「吉良吉廣はスタンド使いだよ。……魂の感知に引っ掛かったのは吉良吉廣の方が先だ」
スタンド使いである吉良吉廣は幽霊、けれど地縛されているのは写真という狭い空間にのみ。スタンドに寄生する形でその薄弱となった魂の外殻を作った。その薄弱さが気にかかったのである。この杜王町の霊は自然と黄泉路へ行く。薄弱となったものから。
「じゃあ何故彼はスタンド使いとなったのか?スタンド使いとなるには2つ方法ある。生まれながらのスタンド使いか、矢を使ってスタンド使いとなるか」
エンヤ婆が手放した複数の矢の行方を、俺はずっと調べさせていた。そも、スタンド使いを作る矢の大元は何処だったのか。
エジプトからは7本のスタンドの矢が出土された。1つは俺どころかディオもいない頃のものの為行方知れず。残る6本。
ディオを目覚めさせたもの。虹村形兆のもの。これらはSPW財団の元に回収された。
ディオの手でプッチに渡されたもの。変わらずプッチの元にあると証言もある。
ポルナレフが回収したもの。これには虫の矢尻が付いているらしい。
俺が屋敷から逃げる際に持ち出したもの。今も厳重に屋敷に保管している。
そして───エンヤ婆の手から日本人男性に渡されたもの。
行方の先が、この日本の杜王町。吉良吉廣という男の元が最後。
ここまで来るのにどれ程時間がかかっただろう、杜王町という町はキナ臭くて堪らなかった。まさか町に2本もの弓矢が集まるなど。……ああ、俺の含めて3本だな。
吉良吉廣という男の存在から、オインゴに命じた。
今は死んだ吉良吉廣、その息子である吉良吉影。平々凡々な町の片隅に生きる一人暮らしの家にいない筈の2人目のスタンド使い。
……まァ、他にも目を放ってはいるが。
理由から逆算した為に確証はなかったが、こうして結果が現れた。
「結果には過程が付き物だ。スタンドの矢が関わるなら……、……ウン?」
「……、……おい、どうした」
「───……レディ、キミ、どうしてキミはそんなにもスタンドの矢を気に掛ける?」
すっと現れた『ホワイト・ポニー』はいつも浮かべている微笑みを引っ込めて、スンッとした顔をしている。
「レディ?」
スタンドと本体は密接に関係している。俺の中に“この世界の物語”の知識を意図的に流し込むなどという行為が出来る程には、『ホワイト・ポニー』には自我がある。
なれば、『ホワイト・ポニー』の強い思念が意図せず俺に流れ込むのも止むを得ない事。
彼女はついっと顔を逸らし、……そのまま流れるように土下座した。
「京一郎。説明しろ」
「……レディは自分の知識にない事象に困惑し、ある種の
びくっと人間臭く身体を震わせたレディは更に床に額を擦り付ける。
「聞かないでくださいお願いします……だって」
「フゥン……?」
「けれど、まァ。何となく察しが着いたよ。彼女が気にしたのはスタンドの矢の行方。あるべき所に流れ着いているかどうかの不安。……つまり“あるべき場所では無い”所にスタンドの矢がある事が
『……!……!!』
「彼女は“物語の異常”に甚く気を割いていたからな……それも、自分が影響を及ぼすだろう範囲に。……つまり俺の行動だ」
影響を受け始めたのは俺がスタンドの矢を手にしてエジプトを後にした時。
───彼女の“物語”ではスタンドの矢は“6つ”だった。……そういう事だろう?
その言葉を最後に、レディは額を床に擦り付けたまま顔を覆った。
───ほう?それは……
「「良い事を聞いた」」
まるで悪魔の笑みだったと後に『ホワイト・ポニー』は語る。
「……、あの。アレ、なんです?」
「うん?……反省中」
『私は本体に忠実なスタンドでありながら確固な意思もなく本体を無意識に操った挙句数年気付かなかったダメなスタンドです』の札を首から下げた『ホワイト・ポニー』の姿があった。尚、正座は俺の足が痺れるので止めさせた。
どうやら自分に解釈違いを起こしたらしい。札は自主的な物である。正直俺自身の事でもあるので恥ずかしいから早めに
切
★
オリチャー発動……してしまった
暴走すな京一郎オマエ