「あー、けっこう疲れてるなぁ……」
カルデアのマスター――藤丸立香(ふじまるりつか)は、種火周回と素材集めで疲れた足でのろのろとカルデアの廊下を歩いていた。マシュならば立香のわずかな変化も見逃さずにあれやこれやと心配し、静謐のハサンなら心配しながらぴたりと寄り添ってくるだろう。年頃の立香には、見目麗しいサーヴァントたちの行動は刺激が強い。
「ヤンヤンヤヤーン、ヤンユゥファーン♪」
ゆったりと曲がる廊下を歩いていると、陽気な鼻唄が聞こえてきた。疲れで強張った身体がほわりとゆるむ。
「あ、マスター!」
現れたのは楊貴妃――先日カルデアにて召喚された新入りサーヴァントだ。艶やかな黒髪をふたつのお団子にちょこんと結い上げおり、身にまとったチャイニーズドレスは愛くるしい彼女によく似合っている。
「こんにちは、楊貴妃」
にこやかに挨拶しながらも視線をちょっとだけ逸らす。再臨後の彼女は露出がぐっと増していて、切れ目の深いスリットからはむっちりとした太ももが覗いている。視線を逸らして焦点をぼかすことで、なんとか邪な気持ちを抑え込んでいた。
「こんにちは。……もう、私のことはユゥユゥとお呼びくださいと言ったではないですか」
「う、ご、ごめん……」
楊貴妃――ユゥユゥが後ろ手を組み、片頬をぷっくりと膨らませて上目遣いを向けてくる。あざとい。可愛い。これが演技だとすれば自然すぎるし、仮に演技だとしても気にしないくらいに可愛い。顔が発火したかのように熱くなる。
(か、顔が近い……!)
ユゥユゥのあどけない少女のような顔は驚くほど整っていて、成長したら美しくなることが確約されているかのよう。それでいて笑顔は愛嬌たっぷりなのだから、自分が彼女の親だったら間違いなく溺愛するだろう。
「……あれ? ユゥユゥ、お風呂に入ってたの?」
よく見るとユゥユゥの頬はうっすらと紅潮していた。立花の問いかけにユゥユゥがふにっと笑う。
「そーなんです! ロマンさんにわがまま言っちゃいました」
ちろりと舌を覗かせる仕草が強烈なまでに愛らしい。この子におねだりされたら何でもあげてしまいそうだ。
「そっか……ユゥユゥは魔性だなぁ……」
「け、傾国はしてませんから……」
人差し指をつんつんと合わせ、気まずそうに目を泳がせる。召喚したときも思ったが、傾国という言葉はもちろん、連想させる言葉もあまり口にしないほうがいいのかもしれない。拗ねる彼女も可愛らしいのでちょっといじりたくなるが、そこは自重することにする。
「ロマンさんは初め、『お願いを聞いてあげたいのは山々だけど仕事が……』と言っていたんです。それで諦めようとしたら、ダ・ヴィンチさんが『私も興味がある』と言い出しまして」
ふたりで並んでぽてぽてと歩き出す。ユゥユゥが人差し指をくるくると回す仕草に和む。
「そしたら他の女性サーヴァントの方も温泉に興味を示しだしまして。みんながやいやい騒ぐ中、アナさんは興味があるけどあまり露骨にそれを主張するのはちょっと……みたいな感じでそわそわしてましたね」
「なにそれ可愛い」
本音をぽろりとこぼすと、二の腕をてしてしと叩かれた。可愛さで殺す気らしい。
「男性サーヴァントの方も乗り気になって。数名の方はなぜか目が血走っていましたね……」
「この後の展開が読める説明をありがとう……」
「それで、キャスターの方がたくさんいたのもあって、魔術でちょちょーいと大浴場ができちゃいました。けっきょく私は何にもしてないんですけどね」
たははと笑うユゥユゥに、立香が「そんなことないよ」と微笑みかける。
「ユゥユゥが温泉に入りたいって意思を示したからこそみんながそれに乗ったんだから。新しく興味を持った人もいれば、もともと興味はあったけど言えないでいた……という人もいるかもしれないよ? ユゥユゥがきっかけになったんだよ、きっと」
ユゥユゥがぴたりと立ち止まる。目をぱちくりとさせ、ほぇーと口を開いている。写真に収めたい。
「……なるほどー。そう考えたらいいのですね。ふふっ、マスターはお優しいです」
ふにーっと小さな花がほころんだような笑みを浮かべる。たくさんの人を幸せにする笑顔だ。
「それで、温泉を楽しんできたわけだね」
「はい!」
ふたたびのんびりと歩き出す。ユゥユゥと話すうちに元気が出てきた。
「大浴場は男湯と女湯に分かれていまして、その境目に高い壁があるんですね」
「この後の展開が読める説明パート2!」
「その壁の高さは数メートルあるんですけど、『この方が趣があるから』と一部の男性サーヴァントの方々の以降で天井との隙間がありまして」
「フラグのUBWだ……」
「女性サーヴァントの皆さんといっしょに入っていたら、アサシンの皆さんが壁のほうをすごく険しい目で見つめだしたんです。何事かと思ったら、クマのぬいぐるみの……オリオンさんでしたっけ? あの方と黒ひげさんが壁と天井の隙間から顔を覗かせたんです」
「なんなのあのオケアノスコンビ」
「危険を察して、私たちはすでに全員湯舟に浸かっていました。そしてまずドレイクさんが風呂桶を黒ひげさんに投げつけて。それからオリオンさんはいつの間にかアルテミスさんに頭を握られていました……。ドレイクさんは呆れた表情だったんですけど、アルテミスさんはすっごく良い笑顔なのが怖かったです……」
「想像しただけで夢に出そうだ……」
オリオンの頭が握りつぶされなかっただけ良しとしよう。
「そういえば、マスターは和の国の出身なんですよね?」
「え? ああうん、そうだよ」
「それならば温泉とも縁が深いのでしょうか!」
「え、お、おう?」
ユゥユゥがキラキラと目を輝かせる。さっきから吹き荒れている可愛さの暴風雨により、表情筋が仕事をしてくれない。
「温泉にも種類があると聞きました。マスターならご存じなのかなーと!」
「あー、なるほどね。詳しくはないけど、たしかに何種類かあるのは知ってるよ。澄んでるものもあれば濁ってるものもあるし」
「濁っている温泉……! なんだか健康に良さそうです!」
両手をぶんぶんと振るユゥユゥに和んでいると――
「わぷっ?」
「おっと、ごめんね?」
曲がり角から現れた赤髪のサーヴァント――ブーディカの胸に、ユゥユゥの顔がもゅんと埋まった。心配するよりも先に「羨ましい」と思ってしまった。
「あはは、すっぽり、って感じだね」
「むぐー、むぐー」
ブーディカは離れるどころかユゥユゥの頭を抱きしめてくすくすと笑う。ユゥユゥは両腕をばたつかせて可愛らしく唸っている。
「うらや……」
ましいと言いかけて慌てて口をつぐんだが、ブーディカはにんまりと笑っていた。完全にバレている。
「……ぷはーっ! はぁ……あ、ありがとうございます」
「なぜそこでお礼?」
立香のツッコミにブーディカがけらけらと笑った。
ユゥユゥが自分の胸をむにむにと触り、「むぅ……」と唸る。
「ブーディカさんのお胸、すっごく大きいですよね……羨ましいです」
ブーディカが目をぱちくりとさせ、それからくすりと笑う。立香は話題が話題なので迂闊に参加できない。
「あはは、再臨すればチャンスはあるかもよ? 身体つきががらっと変わる人もいるし」
ユゥユゥがかっと目を見開いた。
「な、なるほど……! ……ところでマスターは、お胸が大きい女性のほうが好きなのですか?」
「へ!?」
とつぜんの流れ弾に面食らう。ユゥユゥは唇を尖らせ、自分の胸を揉みながらジト目で見つめてくる。
「だって、いつもブーディカさんやマシュさん、玉藻の前様のお胸をよく見てらっしゃいますし……」
「うぐ」
「あとは刑部姫さん、サロメさん、シャルロットさん、マタ・ハリさん、ダ・ヴィンチさん、アンさん……」
「えっと、ユゥユゥ? なんだかだんだん目のハイライトが消えて……?」
ユゥユゥが指折り数えていくたびにダークサイドに堕ちていく。楊貴妃(オルタ)が実装されたらこんな感じなのだろうか。ちょっと、というかだいぶ怖い。冷や汗が止まらない。
「マスター? 今挙げた方々のお胸を見たことはありますよね……?」
「えっと、あー、うーん……」
確実に全員見ていた。というかガン見してしまっていた。美しいうえに艶めかしい身体つきをした女性が、露出が多かったり身体のラインがはっきりした衣服をまとっているのだ。年頃男子としては意識せざるを得ない。
目からハイライトの消えたユゥユゥがじりじりと近付いてくる。これが巷で言うヤンデレか。「ししょー」とか呼んできそう。宝具の詠唱は「こう、こう、こうこうこう」……といった感じだろうか。
誰か助けて……と思っていると。
「はぁぁぁ、もう、かーわいいなぁ!」
ブーディカがとつぜん、ユゥユゥをむぎゅっと抱きしめた。
「むぐー!?」
不意打ちの抱擁にユゥユゥが悶える。
「マスター、今のちゃんと聞いてた? この子のこと、もっと見てあげなよ!」
「へ!? えぇっと、見るっていうのはどういう意味で……って、ユゥユゥ!?」
むぐーむぐーと唸っていたユゥユゥが、量感たっぷりの超乳に挟まれたままへにゃりと脱力した。立香とブーディカがそろって慌てた。
× × ×
食堂でくつろぐことにしたものの、ユゥユゥは席に座ってからなおも自分の胸を揉んで「むむむ……」と唸っていた。それを見た黒ひげが鼻の下を伸ばし、アンとメアリーにしばかれていた。
(こういうときは……)
厨房のスタッフにお願いして、かごいっぱいに詰めたそれを背中に隠して持っていく。
「ユゥユゥ。はい、これ」
「へ……ひゃー!」
かごいっぱいに詰まった紅色の果実――ライチにユゥユゥが目を輝かせた。
「人の悩みに口を出すのは難だから……とりあえず美味しいものを食べて元気を出そうよ」
「は、はい! マスター、ありがとうございます! いただきます!」
ふたりの真ん中に置いたかごにユゥユゥが手を伸ばす。その拍子にたぽん、と程よくふくよかな胸がテーブルに乗った。立香が高速で顔を逸らす。
「? マスター、どうしました?」
「あー、いや、なんでも……」
ユゥユゥはこてんと首をかしげていたものの、やがて立香の挙動の意味に気付いたのか、楽しそうにくすくすと笑った。
「はい、マスター。あーん」
「へ?」
羞恥の熱がいまだ顔に残る立香に、ユゥユゥがにこにこと笑いながらライチを差し出してきた。紅色の果実をつまむ指は驚くほど細く、美しい。
「えっ……と……?」
「はい、マスター。あーん」
有無を言わさぬ笑顔。視線を巡らせる。幸い周りには誰もいなかった。
「あ、あーん……」
開けた口にライチがひょいと入れられる。
控えめな酸味と強い甘味が口の中に広がったものの。
(指が……!)
唇にかすかに触れた細指の感触に意識が向いてしまい、心臓の早鐘がいっこうに収まらない。
「ふふ、マスター……お顔がまっかっかですよ?」
ユゥユゥが指についた赤い果汁をちろりと舐め、いたずらっぽく目を細める。理性がぐらりと揺れた。
(こんにゃろめ)
やられてばかりでいられるかと、立香がライチをひょいとつまんでユゥユゥの口元に伸ばした。
「はい、ユゥユゥ。あーん」
「へ?」
上機嫌に笑っていたユゥユゥの白皙がぽんと赤らむ。可愛らしい反応に頬がゆるむのを必死でこらえ、あくまで攻撃的な笑みを浮かべる。
「はい、ユゥユゥ。あーん」
「う、うぅ、笑顔の圧がすごいですぅ……」
両頬に手を当ててあぅあぅと唸っていたが、やがて観念して口を開けた。おそるおそる半目になった表情は妙に色っぽく、緊張で指が震えてしまう。
「あ、あーん……」
触れないように、触れないようにと意識しながら紅色の果実を小さな口に入れると――瑞々しい唇に、立香の指がほんの少しだけ触れた。心臓が痛いくらいに跳ねる。
「えっと……どう? 美味しい?」
ユゥユゥがむぐむぐと口を動かし、こくりと嚥下する。
「えへへ……なんだかどきどきして、あんまり味がわからないです……」
「……そっか。……俺もだったよ」
「あ、う、そ、そうなんですね……えへへ……」
ユゥユゥの顔が赤い。立香も顔が熱い。こっぱずかしいにも程があるが、それ以上に無性に幸せだ。
ふたりでふにゃふにゃと笑っていると――ふと視線を感じた。
食堂の入口に目を向ける。
ブーディカがひょっこりと顔を覗かせ、にんまりと笑っていた。立香と目が合うなり、爽やか極まるサムズアップ。
(死にたい……)
青春ど真ん中もど真ん中のようなやりとりをばっちり見られ、立香は遠い目をした。ブーディカに気付いていないユゥユゥは、立香の異変にも気付かずにふにゃふにゃと愛らしく笑うばかりだった。
お終い。