「……その心配は薄そうよ。紫」
その時、医務室の扉が開かれてある人物が入って来た。非常に長い黒い髪を後方に流した赤い眸を持った女性である。その手には真新しいファイルらしき物を手に持っていた。
「カタナ。どうだった?」
「当たりも当たり。埼玉の連中、変な所で律儀よね〜。はい、面白いモノを見つけて来たわよん」
「その口調、何とかしろ……全く」
「フフ、気にしない気にしない」
2人の様子に面食らう2人。やはりこのコミュニティの男女関係は良好の様である。埼玉コミュニティでは女性は全員がAISだった為にこんな光景、見た事がない。
「む、カタナ。都合が良い時に都合の良い物を見つけて来てくれたな。コレは間違いなく有効なカードになるだろう。まさか今、正に心配していた事が杞憂になるとはな……」
そのファイルに目を通した紫は目を見開いていた。その内容は本人とっては喜ばしい限りの内容だったらしい。カタナと呼ばれた女性は用件が終わったのかさっさと退室して行った。
——うー?何を言っているのか、さっぱり分からない。
「……何が書かれているの?私達、文字が書けないし読めないのよ」
腕が使えない事もあり文字の読み書きは出来ない。大半のAISは識字率が低い傾向がある(会話は可能だが文字の読み書きは出来ない者が多い)。オトゥール達もまた、例外では無かった。
「其処までか……ああ。簡単に言おう……君達は死んだ扱いになっている。コイツはAISの死亡名簿みたいなモノでな。AISは兵器扱いであり資源と言う認識から、資料管理は行われるモノだ。主にAISの人数や生死の有無もな。戦力把握の為にも逐一、管理するべきモノ……日本人はそう言う事に関しては細かいんだよ。識別コードもその一環だ」
「名前を呼ぶのが面倒だと思ってた」
「コード名の方が纏めやすいと言う事情がある。名簿も名前の長さが統一されていた方が見栄えが良いと言う理由もある。最も、一応は固有名詞も記載されている。オトゥールの名前の下の項目にウィキッドって名前とか」
「あ、それ、私の名前……」
「ウィキッドでウィキ姫、か。いや、後にしよう。其方の小さい嬢ちゃんとは話をしていないが後にさせてくれ。兎に角、死亡扱いになっていたのは確かの様だな」
紫はそう言いファイルを閉じた。2人が死亡扱いになっていると言う事は何らかの形で廃棄処分するつもりだったと言う事になる。
「あー、ヴォルヴァ襲来の直前……半ば処刑寸前だったわ。拷問のショーみたいな見世物で殺されそうになったのよ」
「内容は聞かない。2人が死亡扱いになっているという事は先程、告げた返還要請の枠組みには入らない。死体を返せと言う奴は居ないし、そもそも正式な公文書である死亡名簿に記載された時点で契約は解消される。仮に要請が来たとしてもこの死亡名簿が証拠として調停役の者に提出出来る」
埼玉コミュニティがウィキッドとオトゥールの2人を返還要請を出したとしてもその2人は正式に死亡している形となっている。この場合、2人は同じ名前の他人と言う扱いと見做される。経歴が真っ黒であるがAISは殆どが孤児や捨子、同姓同名の他人となる。流石に死者を要求する程の数奇者はそうそう居ない。と言うよりも物は言い様ではあるがそう言う現行の法律となっている。死亡したと言う公文書が存在する場合、有効となり別人扱いとなる。コレは二重契約を防ぐと言う名目との事(両者で所有権争いが勃発するのを防ぐ意味合いもある)。
「えっと……?」
「まぁ、今は分からなくて良い。2人は、正式に『エストレヤ』の所属に移行させても問題は無いと言う事が判明したと言う事だ」
「つまり……?」
「これからは俺が君らのクライアントかつパトロンと言う事になる。宜しく頼むぞ、君達には期待している。ま、その前に療養してから、となるがな。ナノマシンの方の心配はあるが……」
こうして2人は正式に『エストレヤ・コミュニティ』へと迎え入れられた。そして、お互い、腹に一物を抱えている事を、お互い察していた。
「お疲れ様です。ご主人様」
「ま、何とかなったかね。結構、危ない綱渡りだったがな」
——埼玉コミュニティの司令室が壊滅していた。AISのナノマシンの遠隔操作の制御は司令室にて行われているとは初耳だった。だが、残り続けるのはそれはそれで危険と言える。設備の再建ができ次第、摘出手術が必要になる。
エストレヤの執務室。その場所にて椅子に座った紫は一段落したとため息を吐きつつ書類を片付ける。その近くではメサルティムが侍り声を掛ける。
「ですが、本当に宜しかったのですか?オトゥール様の要求もかなりの難題と言えますが」
生死は兎も角、大半が何処かのコミュニティにAISとして所属している可能性が高い。該当コミュニティに対して所有権を要求し、契約を締結させる。しかし、それが成立する事はほぼほぼ無いと言って良い。
仮に成立したとしてもエストレヤの懐事情は厳しく足元を見られ破綻する程の法外な金額を提示される……。また、戦力にならないAISを売り飛ばす際も性奴隷と言う形で高額な金額により売られる為に金銭でのやり取りではどうしても難しい。
「そうだな……AIS自身が所属を変える事も認められていない。隷属的な契約……って奴だ。埼玉コミュニティみたいに娯楽で殺す行為が横行していた場合、既に事切れている可能性もあるし……或いは」
「愛玩動物、性奴隷と言う形で権力者によって家畜化されてしまっている可能性も視野に入ります。捜索保護が要求だったとは言え……」
「ああ、探すのは簡単だが……保護となると中々の難題と言えるだろう。だが、認めると言っちまった以上……反故にするのも酷だ。
オトゥール嬢は自分の身体を差し出してでも条件を呑ませようとして来やがった。流石に其処までの覚悟を見せて来られちゃな……ま、戦力が欲しいって言うのは本音。そしてヴォルヴァと渡り合える可能性を持ったAISは現状を見渡してもあの2人くらいだろう?」
そう言う意味でも多少のリスクを支払っても確保したい思惑があった。そのリスク&リターンと言う物は付き物。
「僭越ながらお言葉ですがご主人様。実はもう2人程、瀕死の淵から生還した方が居られます」
「ん?初耳だな、それは……。確か他にも生存者は居たのは聞いているが……」
「怒涛の交渉劇でしたモノで報告するタイミングを逃してしまい今に至ります」
「それはすまなかった……さてと、オトゥール嬢とウィキ姫は兎も角、他の面子はどうにもならない可能性が高いな」
ウィキッドとオトゥールは処刑前提での拷問ショーが行われた。故に事前に死亡名簿に記載されていた。死亡名簿に記載された時点で契約は解消される。が他の者は契約は有効である。
「ウィキ姫様やオトゥール様は死亡扱い故に対外的には同姓同名の者としてエストレヤに所属する形となりますが……他の生存者の方々は、契約は未だに有効です」
「ああ……そうだな。ま、その件に関してはコミュニティ・オーナー共が生きていたらの話だ。今、考えても仕方ないだろう。
そんな事よりもメサル、オトゥール嬢から行方不明者の名前を聞き名簿として纏めて置いてくれ。その名簿を元に調べてみよう。契約は契約だ守る義務がある」
——家族と言うモノは余程悪い関係で無ければ決して捨てて良いモノじゃない。オトゥール嬢にとってその仲間達が『家族』なのだろう。姉として家族の為に、身を削る事を厭わない。見事な姿勢……此方も相当な無理を強いる事になるんだ。その期待には応えてやる理由がある。
「畏まりました。ご主人様。他には?」
「ああ、それから文字の読み書き、生きる事に関して教えられる事を教えてやってくれ。流石に今迄は家畜や奴隷の様な扱いだったんだ……エストレヤではそんな扱いはしたくは無い。自分の人生は自分で決めれる様にな……。それに好奇心旺盛な年頃だ、教えられる事は教えてやってくれ」
「詰め込み教育になる可能性がありますが、宜しいでしょうか?」
「其処は本人の意思を確認してからな。結構、手を焼くやも知れんからな」
「ご安心を。このメサルティムにお任せ下さいませ」
——無茶を言う事を承知していたから身体を差し出すつもりだったのか……全く、どんな覚悟しているんだ。それに、ウィキ姫……か。名前と言い、容姿と言い……本当、ソックリだな。
「……後、あの時き伝え忘れていたコミュニティ内の一部の機密区画以外に立ち入り行動する許可を出しておいた。後、彼女達の部屋や服の用意も頼む。済まないな、一度に大量に頼む事になって」
「勿体なきお言葉です。ご主人様の判断こそが私にとっての最善で御座います。どうか、意のままに最善を尽くしてくださいますよう」
「……ありがとう。さて、野望への一歩を踏み出すとしようか」
——見ていろよ