TeachingFeeling~奴隷との生活~に、紛れ込んだ似非紳士 作:朧月夜(二次)/漆間鰯太郎(一次)
「…………?」
わたしは今、非常に困惑している。
心の中は恐慌をきたしていると言ってもよい。
なぜなら、目の前には将来は美しくなるだろう容姿を持つ幼い少女がいて、そんな彼女はお世辞にもまともとは言えない粗末な貫頭衣ひとつを纏った姿で、わたしを探るように見上げているのだ。
彼女は大きな目の中心に真っ青な瞳を持つ美少女であるが、その瞳がゆっくりと逡巡するように動き回り、ようやく覚悟を決めたのか、それはわたしに向かって固定された。
彼女をここへ連れてきた商人は、行き所の無い奴隷で、三十路間近のわたしがヤモメ暮らしをしている事を思い出し、「先生にお願いしたい」と強引に置いていったのだ。
いや、正確に言うのなら、一応の可否の確認らしきものはあったのだ。
けれどもその時点でのシルヴィは、どこか世に絶望した様な雰囲気を持ちながら、しかしてわたしの目を射抜くように見つめており、気が付くとわたしはそれに魅入られたかの様に受け入れると答えていたのだ。
まるで物語に出てくる悪魔と契約を交わしたバカな人間の様に。
だいたい、このシルヴィの生い立ちとは、聞いているうちに耳を塞ぎたくなる様な内容だった。
彼女は全身のいたるところに明らかに虐待を受けただろう酷い傷跡がある。
それは主に火傷が多く、それ以外は刃物で引っ掻いた物や、拳での折檻の名残りだったりと痛ましい。
シルヴィはもともとは没落した貴族の持ち物で、彼女の主人だった男は、性的な凌辱をせず、ただ彼女を痛めつけては悦に入り、金をはたいて治癒をさせ、また虐待をするという、医学を生業とするわたしに対し、真っ向から喧嘩を売るような外道だったらしい。
商人は、その貴族家没落に際し、財産の処分に噛んだと言うが、結局シルヴィだけはどうにもできず、結局わたしを思い出して連れてきたそうだ。
しかしだ、なんとも気安げに話しかけてくる商人にしても、わたしには彼と関わった覚えはないのだ。
彼にはあると言うが会話の中で判断するに、彼はかつて、わたしに命を救われているそうな。
その恩というか、コネが今回の来訪につながっている。
いずれにしても、彼は用事は済んだとばかりに帰ってしまった。
よほどの事が無い限り、ここへは来ないだろうし。
「さてシルヴィ、だったかい?」
「は、はい……ご主人様」
ああ、そう来たか。
わたしも今では医者の端くれだ。
重度の虐待を受けた者は、その脳裏にトラウマを刻み、ことあるごとにフラッシュバックを起こして正気を失うのだ。
奴隷、だからご主人様。
理解はしている。
この世界では、まだ奴隷が存在しており、金のある者は必要に応じて、気軽に購入するのだ。
奴隷に人権は無い。
人権がはく奪されたからこそ奴隷とも言うか。
なんにせよ、わたしはとんでもない厄介事を押し付けられようだ。
「ここで立っていても仕方がない。君の部屋に案内しよう。ついてき給え」
「っ…………かしこまりました、ご主人様」
甚だ憂鬱だ。
わたしが掛かる精神科を誰か用意してほしい物だ。
◇◆◇◆
シルヴィを寝かしつけた。
と言っても、使っていない病室のひとつを開けて、彼女に与えただけだ。
それも当然だろう。なにせ彼の来訪は突然だったし、人を受け入れる準備など当然している訳はないのだから。
後ろをついてくる彼女はまるで巣離れしたばかりの小動物の様に、わたしの一挙手一投足にいちいちびくりと体を震わせる。
彼女にとって今のわたしは、医師なのだから安心しなさいと言おうとも、それを受け入れる以前に、大人とは彼女にとって虐待を行う非道な存在としか認識していないのだろう。
これは彼女の性格が云々の話ではない。
こうなるまで追い詰められたのなら、それは正しく病なのだ。
病は気から、などと言う言葉があるが、医師としては非常に無責任な言い草にしか思えない。
気休めとしての効果は認めているがね。
病には必ず原因があり、その原因に効果的な治療を施す以外に治癒する方法はない。
そして彼女の様に心に重大なバグが生じた患者は、風邪薬を飲むように、数日で完治などあり得ない。
つまり今は静観するしか手段はないのだ。
さて、ここで少しわたしの身の上について語ろう。
シンプルに言えば、わたしは前世を持つ身だ。
21世紀の日本国で、北関東にあるケミカル系の研究所に勤務していた。
大手ながら忙しい職場で、わたしは慢性的な疲労を抱えていたな。
それが祟ったのだろう。
ラボの中でめまいを感じ、それ以降、わたしは元の自分に戻ることは無かった。
今となって判断するに、過労で倒れたのだろう。
そんなわたしが次に目覚めたのは、どことも知れぬ白い空間だ。
そこには燕尾服を着た胡散臭い紳士がいて、わたしに地球とは違う世界に行ってもらうと一方的に告げてきた。
まったく理解できないが、よくよく話を聞くうちに、休みの無いわたしが仕事の合間にできた休憩時間に、息抜きとして読んでいたネット上の小説投稿サイトで、この手の異世界転生モノの作品があふれているのを思い出した。
その手の作品を読んでいたのは、単純にまったく現実との関連がない世界の話なので、ざっくりと言えば現実逃避ができて、それが心地よかったからだ。
なるほど、これが夢じゃないならわたしもどこかに送られるらしい。
その結果、わたしは半笑いの紳士に「中世ヨーロッパ風異世界にご案内」と殴りたくなる様な軽さでこの世界へと送られた。
その際に何か一つだけ能力をくれるというので、衛生事情が怪しい異世界は嫌なので、ゲームなどでは定番の回復魔法をくれと頼んだ。
どうせこれが夢ならば、何を言ったところで損はないと開き直った結果だ。
するとわたしはダビッドという名の25歳の医師として気が付いた。
その世界の子供として生誕した訳じゃない。
いきなり見知らぬ大人として覚醒したのだ。
冗談じゃない、そう思ったが、暫くするとダビッド医師としての記憶がここ数年分くらい戻って来た。
それで医者としての知識や、実感のある経験がよみがえったのだ。
少なくとも医院である自宅という拠点と、ダビッド医師という、街では少ない職業に就いている立場がある事には感謝した。
慌ててどこかに行かなくとも、翌日からどうにか医者としての仕事ができたからだ。
と言ってもやれることはそう多くない。
医師としての知識から、ここは地球で言うと、おそらく産業革命より前の近世ヨーロッパだ。
聴診器らしきものはあるが、血圧計は見当たらない。
わたしの前世での本業である、細菌や薬学関連も乏しい。
医者としての仕事は、外傷ならば骨折の有無を確認し、なければ蒸留酒で殺菌して縫合ないし包帯を巻く。
骨折ならば添え木をする。
内科関係ならば、ダビッドの学んできた知識の中から、おそらくこういう病名だろうというアタリをつけて、薬を処方する。
その薬とて、抗生物質などの効果的な物は存在しない。
この町は、少し距離があるが歩けばそれなりに人はいる。
わたしの医院があるのは、かなり外れの方なのだ。
おそらく車もバイクも存在せず、乗り合い馬車があるような世界。
そこでわたしはどうにか生きていく覚悟を最近決めたというのが顛末だ。
回復魔法は頭の中で念じる事で発動するタイプなので、病名の判明しない疾患は、それなりに対処している風を装い、治療魔法で治している。
とは言っても、患者など日に何度か来る程度なので、仕事自体は然して忙しくもない。
前世の多忙さを思えば、これはこれでいいのだと馴染んだわけだ。
しかし奴隷か、悩みの種は尽きないな……。
これもあの胡散臭い紳士の思し召しなのだろうか?
いずれにしても、結婚も育児の経験もないわたしには、かなりハードルが高いなと、ため息をつき、わたしは逃げるようにベッドで眠ったのである。
◇◆◇◆
「……あの。何を?」
シルヴィが来た翌日、わたしは彼女の頭を撫でていた。
彼女は困惑したように目を左右に泳がせている。
それでもかまわず撫でる
「…………? ですから、あの……」
さらに困惑を深める彼女だが、実のところ、わたしにこれといった理由もないのだ。
わたしが持つ回復魔法とやらは、死んでさえいなければ、大概の疾患、外傷は癒せる。
例えば千切れた腕を戻すなんてことも出来るだろう。
しかし心の病や、シルヴィの全身を覆う傷跡を復元しろと言うのは出来かねる。
前者は、病とは言えど、明確な患部が存在しないから、イコール治癒すべき部位がないので治しようがない。
後者は火傷によるケロイドや、暴行の果てに沈着した色素は、その状態で馴染んでしまっているので、例えばその部分をメスで切り取って、どこかから持ってきた皮膚をのせ、その状態で治癒魔法を使えばできなくはない。
ただしその場合、自然な状態で馴染ませることが出来るかまでは確約できない。
奇跡の様な魔法だが、だからと言って万能じゃないという事だ。
これはダビッド医師として、日々やってくる患者を治療する中で理解した。
複雑骨折をした患者を癒したが、多少湾曲したままくっついたしな。
もちろん出来る限りの処置をしたうえでの事だ。
何より、心の病に関しては、現代においても劇的な治療法は実はない。
それは概ね対症療法を行い、心の折り合いをつける手助けをする場合が多いからだ。
その際に用いるのは、安定剤や、鬱の結果睡眠不足になり、それが体内時計を狂わせる事で病状が悪化しないよう、導眠剤や睡眠薬を用いる事で整えたりする。
しかしだ。
医院にストックしてある薬にはその手の物はない。
麻酔目的の麻薬などはあるが、人格を破壊しては本末転倒であるから論外。
結果、わたしはまず、彼女のわたしに対する怖れを取り除くためにスキンシップをする事に決めたのだ。
これだって馬鹿にしたものではない。
よく幼少時に愛されず育った子供が、思春期に身持ちを崩すという事は多々ある。
これは近世でも現代でも同じだろう。
貧困と家庭内不和がドロップアウトを助長する。
ならば逆に、愛を過不足なく与えらる子供とは、その親は具体的にどういう愛を与えたのかと考えてみる。
それはおおむね、何気ないスキンシップだと思う。
何か褒めるべきタイミングで、頭を撫でたりハグをしたり。
ハグの文化が無くとも、背中を軽く叩いたり。
形は様々だろうが、基本的には褒める言葉を裏付けるための肉体的接触。
要はどちらも揃っていて、初めて子供は親の言葉を真実であると受け入れるのだ。
ゆえに撫でる。
だからさっきから撫でている。
「シルヴィ君」
「はい、ご主人様」
「わたしはさっきから君を撫でている訳だが、どう感じるだろうか? 咎めはしないので、忌憚なき意見が欲しい」
「その……暖かい、と、思います……」
「そうか」
「……はい」
彼女は恐る恐るわたしを見ると、静かに頭の上にあるわたしの手の甲をちょんとつつき、慌てて手をおろした。
おそらく自分でも衝動的に動いたのだろう。
気の毒になるほどに狼狽している。
だからそうではないのだと、先ほどよりも優しく撫でた。
しかしなんだな。
灰色に近い彼女の銀髪は、存外感触がいい。
この塩梅はどうにも癖になりそうだな。
まるで上等な毛並みのペルシャ猫でも撫でているような。
「………………」
「ご主人様、それだけでしょうか?」
「うむ、今はそれでよい。ではシルヴィ。買い物に行く。供をし給え」
「はい、ご主人さ――」
「シルヴィ、今後はわたしの事を主人、またはマスターと呼ぶことを禁ずる。先生、またはドクターと呼ぶがいい。いいね?」
「はい、せ、先生……? って、ひゃっ!?」
「強く撫ですぎたかな? 焦りすぎた様だ、許してくれ。では行くぞ」
そうしてわたしは、困惑をしつつも後ろをついてくるシルヴィに歩幅を合わせ町に向かった。
医院の傍は建物も少ないが、町に近づく度に人通りも多くなる。
「…………っ」
ふと見れば、シルヴィが顔を顰めるように俯いていた。
ふむ、なるほど。
「…………あのっ」
「見てわからないのかね? わたしの手を握り給え」
「ですがっ」
「シルヴィ君、君の想いはどうであれ、わたしは彼から君を保護すると約束してしまった。しかしわたしはこう見えて家事も得意でね。然して奴隷に頼る必要もないのだ」
そういうと、捨てられた子猫の様に身をすくめるシルヴィ。
そう簡単に言葉の裏を読めはしないか。
「難しく考えなくていい。見知らぬ他人が一つ屋根の下に暮らすのだ。君はわたしを尊重し、わたしは君を尊重する。ただそれだけだよ。そうだな、見るがいい。往来の人が君を見ている」
「っ!!」
「わかるね? 君は虐待を受けたことで他人の視線に敏感だ。そうしないと身を守れなかったのだろう。あるいは、そうすることで壊れずにいたのだ」
一方的に話しかけるわたしをじっと見上げるシルヴィ。
聞く耳はあるようだ。
「だが残念なことに、わたしには年若い娘をいたぶって悦楽を感じる性癖はない。君は確かに痛ましい姿をしているが、わたしにしてみれば取るに足らない事だ。そうだな、少しばかり臆病な三毛猫でも拾った、その程度のものさ。そして、動物を保護したなら、最後まで面倒をみるのは飼い主の義務だよ。さあシルヴィ、どうでもいい有象無象の視線など無視したまえ。なあに、そのブチ以外は君は美しいのだ。ならばこれから、それに見合うベベを着せてやろうと思う。さあ手を取り給え。抵抗があるならそうだな、君はわたしの飼い猫だ。にゃんとでも鳴き給え」
「あの……その、し、失礼します……にゃん?」
そうしてわたしたちはどうにか町に到着することが出来たのだ。
なるほど、ペット、そういうのもあるのか。
これはこれで興味深いものだ。
こうしてわたしとシルヴィの、奇妙な日常が始まったのであった。
この主人公はどうでもいいです。
なぜか紳士口調で紳士風立ち居振る舞いをしますが。
中身はクソロリコンの似非紳士です。
シルヴィちゃんに癒されたい。
それでいいじゃない。