※この作品はR-18です。

鮮烈に眩む   作:あめも

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第4話

「————、——」

 

膝に、冷たい感触。同時に痛みが和らいでいく。脳のほとんどを埋めつくしていた危険信号がゆっくり小さくなって、思考が走り始める。

初めに認識したのは、このアバターは案外丈夫であることだった。

 

(まだ、生きてんのかよ)

 

遠くから鼻歌が聞こえる。薄目を開けると、今度こそ視界に青空が広がった。首を回したところ、奴は少し離れた場所で武器を広げ、なにかしているようだ。どうやら完全に警戒を解いたらしい。……反撃どころか抵抗さえできなくしたんだから当たり前だろうが。

石を椅子代わりにしている少女の横に、薄ら赤い瓶が置かれている。見覚えがある、と記憶を辿って気付いた。

 

(あー……、さっきの奴が持ってたあれ。……麻痺毒だったのか)

 

拾おうとした時より、明らかに量が減っている。膝にかけられたのはあの中身らしい。自分でやっておいて憐れむ訳はない、大方呻きか何かが邪魔だったんだろう。

景気良く使われた毒は広範囲に回ったようで、首を動かすことさえ一苦労だ。だが、おかげでましになった思考が数分前のことを思い出し始めた。

 

あの後。二度目は上手く切れなかったらしく、何度か余計にやられた結果、めでたく足の長さは同じになった。死ね。

ただ、それでシャベルの耐久は切れたらしい。インベントリに仕舞いながら、残る腕を見て残念そうな顔をしていた意味は考えたくないが。

 

今だって、可能なら奴を殺してやりたい。でも、半分になった足と付いているだけの腕では意味がないことも分かってしまった。

——文字通り手も足も出ないのに、どう足掻けって?

 

ヤケを起こしそうな感情を抑え、幼女を遠目に見ながら記憶を辿っていると、不意にあちらが顔を上げた。赤い瞳がこちらに向く。その色に、シャベルを振り下ろされた時の風景がつい重なった。

ずくりと切断面が疼き眉をしかめていると、興味を失ったのか相手は作業に戻る。長い横髪に顔が隠れる。目の辺りも見えなくなってしまった。

 

(……いや、しまったってなんだよ)

 

あいつ一人に強烈な思い出が重なりすぎて脳味噌がバグったらしい。勘弁してくれ。目線を引き剥がし、また空へと向けた。

奴が次の行動を起こすまでは、ある意味暇だ。妙な感情から気をそらそうと、とりあえず現状の確認。

 

指が動かなくてもステータスを確認できるのは、運営の温情なんだろうか。

思考操作でなんとかウィンドウを開き体力を見ると、まだ三割程度残っていて眉が上がる。ああ、欠損って最大体力が削られんのか。痛みの割にまだ体力があるのは、奴の武器が影響してるのかもしれない。採集に特化してる分ダメージは低いとか。

 

こうまでして生かしておく理由が未だに思い浮かばないのが、どうしようもなく不気味だ。

 

……考えているうちに、準備が整ったのだろうか。

道具はもう片付けたらしい。近づいてきた彼女は、頭の横で立ち止まるとそのまま座り込んだ。何を、と言う暇も無く、細い両手が頭を掴んで持ち上げる。

一瞬の浮遊感の後、膝が隙間に割り込んできた。

 

(……膝枕?)

 

——予想しようとする方が無駄だったかもしれない。頭痛が酷くなった気がした。

見上げると目が合いそうで顔を下に向けると、細い指が何か召喚したところだった。現れたのは、小ぶりなナイフ。……大抵は、モンスターを解体するときに、使うもの。

何をされるのか、嫌でも分かった。

 

目を逸らして、静かに息を吐き出す。

多分ここからが、奴にとっての本番だ。

 

小さく唇を噛んだ時。頭上で、ス、と息を吸い込む音がした。

 

 

「——。はーしゃばい、べーいび、おーんざつりー、とっぷ」

 

突然始まった歌声に、反射的に目が向いた。

多分英語の、子守歌。どこかで聞いたことのある旋律は、さっきからたまに鼻歌として聞こえてきていたものだ。

ゆったりした旋律に合わせて、とん、とんと髪を撫でられる。幼く掠れた声が、優しく歌を歌っている。

それでも、子供にしては低い体温をしたもう片方の手は、当たりを付けるように腹を撫でた。

 

「……勘弁してくれ」

 

状況がちぐはぐすぎて、頭がどうにかなりそうで。思わず零れた震える声に、答えは返されなかった。

 

 

痛みには慣れている。慣れている筈だった。でかい梟に足を千切られたことも、肉食獣に腹を喰われた事だって今まで何度もある。でもあの時奴らに感じた恐怖は、ここまでどうしようもない何かだっただろうか。

 

「っ……! 、っぐ、ぅ」

 

少しの圧迫感の後、銀色のナイフが腹の中に沈み込んだ。浅く入った切っ先が下向きに弧を描いて滑り、引き抜かれる。

もう一度、今度は上向きに切り開き始めた刃を奥歯を噛み締めて堪えた。焼けるような感覚が広がっていく。

あああ、痛い。痛い。四肢には力が入らず、文字通り指一本動かない。腹の中を動き回る冷たい刃を止める術はない。

 

勝手に涙が出て、視界がぼやけて歪む。その中で、ドス黒い赤の範囲が段々大きくなっていく。ナイフが引き抜かれる衝撃に耐え切れず目をつぶって、もう一度開く気力は湧かなかった。

 

生きるために必要な何かが千切られていく、聞くに耐えない音がする。その中で唯一穏やかに響く歌声に、耳を澄まそうとする自分が居ることが忌々しい。

 

対抗手段があるなら、終了条件があるなら。それが戦いでさえあれば、痛かろうが千切れていようが目の前の相手に食らいつける自負はある。新参古参関係なく、ギリシャ文字鯖の奴は皆そんな連中だ。

 

でもこれは戦いじゃない。地べたに転がってただ待つような、こんな無力感も痛みも知らない、知らない!

 

情けない悲鳴なんて死んでも上げるものかと奥歯を噛みしめ、代わりに喉のあたりから痛いような、乾いたような感覚がジリジリ広がる。自分の呼吸音に混じって、彼女の歌声が耳に滑り込んでくる。背中の地面は相変わらず体温を奪っていき、頭だけがそれから守られていた。

 

閉じたまぶたの裏に、あの目が浮かぶ。いやに澄んだ、針のように刺さる、自分だけを見つめていた、あの。

 

焼けた鉄をぶちまけられたような腹の感覚に、身を捩ることすら許されない。それに、必死に考えないようにしていたが、膝の断面がまた熱をもってきているのに気付いてしまった。

麻痺が効いていてこれなら、全て解けたら、どうなる。限界を迎えそうな脳内に、不意に一つの道が頭を過ぎった。

 

——逃げることだって、出来る。

 

 

このゲームは狂った現実再現を行なっている、でも、それでもゲームだ。ログアウトしてしまえば、ペナルティーはともかくここからは抜け出せる。惨猿に襲われたプレイヤーが稀に使う手だ。

 

足をもがれて腹を開かれ、次俺は何をされる? そんな事、考えたくないに決まってる。いつのまにか、まぶたの裏にウィンドウを開いていた。小さく光るログアウトの表示に意識が向いて、でも。

 

辛うじて動かしたカーソルで、表示ごとウィンドウを閉じた。

 

途端に湧き上がってくる後悔。それでも、もう一度ウィンドウを開く気にはなれない。

だって、この孤島の特徴は、俺たちがここにいる理由はそれなのに。

——矜持なんて上等なものではなくても。よりによってこの場所で、「痛み」を否定することは出来ないだろ。

 

これで退路はなくなった。ここから逃れる術は、もうない。向き合わざるを得ない目の前の現実に、何とか保とうとしていた正気が少しずつひび割れていく。

 

止まっていた作業も動き出し、細い指が腹の中に入り込んできた。何か重要なものを掴まれ、引き抜かれていく感覚。差し込まれた冷たい何かが、無遠慮に骨へぶつかる度に息が詰まる。

熱いものがせり上がってきて苦しい。気持ち悪い。痛い。怖くて怖くて、でも喚くのは嫌だ。がんじがらめの暗い視界の中、気が変になりそうで、勢いで目を開いた。

 

広がったのは、嘘のように綺麗な景色だった。

 

晴天の空。金色の髪が横に流れて、首元に当たって揺れている。小さな口は、穏やかに異国の子守唄を降らせていた。その世界の中心にあるのは、赤い瞳。

 

少し掠れた柔らかな歌が、激痛と嫌な音を消し去っていくような気がして、喪失感と恐怖に塗り潰されそうだった意識が吸い込まれるようにそちらに向く。と、腹の方へ行っていた向こうの視線がこちらを捉えた。

目が合った。そんな事実になぜか、思考が止まった。

頭のどこかで鳴り続けていた警鐘も、広がり続ける痛みも、束の間全てが遠のいた、その時。

 

幼い少女は、綻ぶように微笑んだ。

長いまつ毛が彩る瞳に、俺だけを映して、笑った。

 

 

笑った。

 

 

 

 

 

久々のログイン、と言っても5日ぶり。卒業旅行を終えた一人のプレイヤーが孤島に足を踏み入れた。途端に聞こえてくる、どこかの怪鳥の鳴き声と誰かの悲鳴。

 

(ログイン早々はやにえは勘弁だな)

 

今日の探索はもう少し向こうからにしよう。とりあえずの方針を決めて、声から遠ざかるように歩き出した。

それから少し。池に出る辺りでふと、池のそばで屈んで作業をする馴染みの背中を見つけた。近付くと、鼻歌が聞こえてくる。落ち着いたあいつにしては珍しく上機嫌なようだ。

 

「おー、何してんだ?」

 

「……お前かよ。久々だな」

 

顔を上げたのは、よく一緒にプレイする友人だ。ちょっと採集、と答えた声は普段通りのものだった。

 

「遠征の日からログインしてなかったんだよ。つーか俺、あの時いつのまにかデスポーンしてて意味分からなかったんだけど、何に殺されたんだ。知ってるか?」

 

「ああ。見てたし」

 

「え、まじ、……。あの、ところでさ」

 

「?」

 

首を傾げる友人の、靴の下を指差す。会話の途中で目に入ったそれ。

 

「その、お前の足元」

 

「……ん、これか」

 

何でもないように拾い上げられたのは、小さな蛇の死体だった。

 

「……お前それ、苦手じゃなかったか?」

 

「あー、そうだったっけ。初めは何度も噛まれたけど。でも慣れれば一番効率いいんだよ。毒作るのに」

 

「毒?」

 

聞くと、頷いた彼が摘んでいたそれを平たい岩に置いた。小さなナイフを持つと、こうやって、と説明しながら器用に頭だけ切り取り、摘み上げる。

そのまま、足元にあった瓶を膝に乗せ、小さなそれを放り込んだ。近寄って覗き込むと、中には既にいくつかの頭が詰め込まれている。

切り取ったばかりのそれを含め、どの蛇も赤色をしていた。

 

「これ、しばらく待ってアイテム化すると毒になるんだ。色々試してて分かった」

 

ちょっと、必要でさ。素早いし、当たんねえけど、沢山あればどうにかなるだろ?

 

未だ鮮やかな鱗を見つめながら、どこか遠い場所を見ているように彼は語る。

 

「……じゃあ俺は、とりあえず木でも切るわ」

 

驚いたように振り返った友人に、笑いながら言った。

 

「μ鯖に、好みの強モンスターでも居たんだろ? もしかして固有種か」

 

リベンジ付き合うぜ、俺もすぐ帰る羽目になって悔しかったし。そう言うと、突然友人が笑い出した。

 

「っなんだよ外れかよ! そんなに笑わなくても良くねえ!?」

 

格好つけた10秒前の自分を殴りたい。ところが、涙を拭った友人は違う違うと手を振った。

 

「ははは、いや、合ってる! ……ああ。そうなんだ」

 

「——μ鯖にいたんだよ。素早くて、小さくて、強くて、理不尽な」

 

「また会って、戦いたい。次はもっともっと長く。何回だって。

死ぬのもいい、ああ、できたら歌を、いや、それもいいんだけど。

それよりいつか、捕まえて、あいつを、あの、笑顔を。あの目を俺の」

 

俯いていった彼の声は、途中から小声で聞き取れない。手持ち無沙汰で伸びをして、見ると静かになっていた。ぼんやりと瓶を見つめている。

 

(……俺が死んでから、何があったんだか)

 

どう見ても様子がおかしい。あれだけ嫌がっていた蛇をなんでもないように扱い、どこかの何かへ執着を燃やす。余程のことが無ければこうはならないだろうな、とも思う。

 

ーーまあ、それでも。

そ(・)れ(・)について語る彼の瞳は、血で濡れたように、熱を持ったように輝いていた。なら特に、問題はない。

要因はなんであれ、ゲーム友達のモチベが上がったようで何よりだ。

 

(とりあえず斧でも作るか)

 

立ち上がろうとした時、あ、と声がして振り返る。瓶の中で仄かに光り始めた中身は、アイテムへの変換の開始を表していた。

 

形は解け、それでも色はそのままに。四つの目が見つめる手の中で、ゆっくりと変化は進んでいく。

やがて、始まった時と同じようにそれは静かに完了した。

 

毒とは思えないような、毒だからこそのような鮮やかな色彩。

澄んだ薄赤い液体が、木陰を映してとろりと揺れた。

 

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