ぐだ男が他のマスター候補生に奪われたマシュを奪い返すまでの話 作:大中小
会議5分前のブリーフィングルームにて、ちょこんと礼儀正しく椅子に座る乙女が1人。
ショートボブに切り揃えられた薄紫の髪を弄り、やや浮かない表情を浮かべていた彼女は、室内に入って来た青年の姿を見て嬉しそうに笑みを浮かべながら彼の下へと駆け寄る。
「お、おはようございます、先輩! 時間、ギリギリでしたね」
「ああ、マシュ。おはよう。ちょっと寝坊しちゃってね……」
「先輩はカルデアの床で寝てしまうような人ですから、寝坊助さんなのも納得です。でも、遅刻はしちゃダメですよ?」
「わかってるよ。これからは気を付けるから、今日は許して、ね?」
顔の前で手を合わせ、神に拝むかのようにしながらマシュへと許しを請う立香。
そんな彼のお茶目な態度に心を弾ませながら、マシュは久々に愉快な談笑を楽しんでいた。
数日前、立香から別の男へとマスター権限を移行させるとオルガマリーから聞いた時、マシュは愕然とした思いを抱いた。
死の間際にあった自分の手を握り、信頼を重ね、窮地を共に乗り切った立香と共にこれからも戦いを続けていくと思っていた彼女にとって、その報せは寝耳に水。本当に予想外のものだったのである。
正直にいえば、その命令は断りたかった。誰とも知れぬマスターの下で戦うより、1つの特異点を共に攻略した立香の方が信頼がおける。
それに、なんというか……彼の隣は、居心地が良かった。陽だまりの中でうたた寝をしているような、そんな温かな気分になれる立香の隣が、マシュは気に入っていた。
「フォウ、フォーウ!」
「ふふっ! フォウさんも元気そうですね。先輩になら、お世話を任せても大丈夫そうです」
白く小さく愛らしい友人とのふれあいを楽しみながらマシュは思う。自分にもし、オルガマリーの命令を断るだけの我儘さがあれば、どうなっていたのだろうかと?
マシュが彼女の命令を断れなかった最大の理由は、疲れ果てたオルガマリーの姿を見たからだ。
第一の任務からトラブルが発生し、その元凶は信じていた人間の裏切り。戦力の一部が欠けた上に世界が崩壊したとあれば、このカルデアを背負う立場にある彼女の抱えた心労は計り知れないものになるであろう。
まだ年若い少女である彼女は、マスター候補生として集めた魔術師たちからも見くびられている。
信頼の置ける上司ではなく、今後の自分の立場を良くするために利用するマスコットとして見られていることは、他ならぬ彼女自身も理解していることだった。
そんな状況に抗う術もなく、助けてくれる人間もおらず……心身ともに疲れ果てたオルガマリーの姿は、彼女を良く知るマシュからすれば痛々しいものだ。
マシュへのマスター権限の移行命令も決して彼女の本心ではない。ただ、カルデアに与えられたグランドオーダーという使命を達するために、その手助けとなるマスターたちの機嫌を取るために、そうしなければならなかった。
このカルデアの中で、どんな権力争いが起きているかなんてことは知りたくもない。ただ、自分はその権力争いのキーとして見られていることは間違いないのだろう。
自分も、オルガマリーも、運命に翻弄されるか弱い存在でしかない。
デミ・サーヴァントとして覚醒したとしても、このカルデアの所長としての立場を得たとしても、背後で動く大きな権力のうねりには逆らえないのだと、マシュは悟っていた。
出来ることならば、敬愛する先輩と共に世界を見て回りたかった……だが、今はそれも叶わぬ夢。オルガマリーへの同情に負け、立香からグドンへとマスター権限を移行させた今とあっては、それは不可能なことだ。
あの時、何もかもに裏切られ、傷つき果てたオルガマリーを見捨ててでも、自分の我を通していたのなら……こうして、温かな気分を保ち続けることが出来たのだろうか?
フォウの柔らかな毛並みを撫で、そんな疑問を胸にしたマシュであったが、視線の先の白い愛獣は何かに気が付くと彼女の手から逃れ、立香の背に隠れてしまった。
「俺のサーヴァントに何か用か、藤丸?」
「あ……!」
ゾワリと、全身の毛が逆立つような気分が湧き上がる。
背後から聞こえた声に振り返れば、今、この場面で絶対に顔を合わせたくない人物の姿がそこにあった。
つかつかとこちらへ歩み寄り、マシュと立香を見下すような視線を向けた男……グドンは、取り巻きに自分の席を取らせながら、マシュへと呆れたように声をかける。
「マシュ、言っただろう? そいつとは関わるんじゃあないと。いつまでも元マスターとベタベタされるとこっちのコンビネーションに不都合が出るからな。とっととその馬鹿のことは忘れろ」
「っっ! お、お言葉ですが、先輩を馬鹿にする理由は何処にもありません。マスター同士の関係性を潤滑にするためにも、必要以上の衝突は――」
開口一番に立香を嘲ったグドンに抗議するマシュであったが、顔の前に彼の右手の甲、そこに刻まれた令呪を見せつけられたことで言葉を途切れさせてしまった。
そうして、強引に彼女の言葉を遮ったグドンは、苛立ちを隠さない口調でマシュへと告げる。
「いいか? お前のマスターは俺なんだ。お前は俺の使い魔で、従僕なんだよ。お前は俺に従って、命令通りに動けばいい。それが、サーヴァントって奴なんだからな」
「………」
「返事はどうした、マシュ? わかったのか? わからないのか?」
嬲るように、傷口を踏み躙るように、グドンがマシュへと問いかける。
立香の前で、こんなことは言いたくない。だが、自分の今の立場がグドンに逆らうという選択を許してはくれなかった。
「わかり、ました……」
「……マスターをつけろ、マシュ。誰が自分の主かを、しっかりと心に叩き込んでおけ」
「わかりました……マスター……」
言ってしまった。従ってしまった。
立香の目の前で、他の男をマスターと呼んでしまった。
マシュの胸の内にあるのは悔しさでも怒りでもなく、心を空虚にする喪失感だけだ。
自分を信じ、命を預けてくれた青年を裏切るような真似をした虚しさに俯く中、静かに立香が声をかけてくる。
「……ごめんね、マシュ。これ以上、俺が一緒にいてもマシュを傷つけるだけみたいだから、もう行くよ」
「あっ……! ……え?」
グドンに向けて唸りを上げるフォウを宥めながら、立香がマシュから離れていく。
グドンやその取り巻きはその姿を嘲り、何も出来ずに強い者から逃げ出す無能と嗤っていた。この場に集まった人間の殆どが、彼らと同じような想いを抱いていた。
しかし、マシュだけは、自分から離れようとした立香が、自分以外の誰にも聞こえないような小声で囁いた言葉を聞き取っていたのである。
「……大丈夫。必ず、何とかするから……!」
その一言は、ともすれば何の意味もない慰めの言葉にも聞こえるかもしれない。
無力な人間が少しでも運命に翻弄される少女を気遣って発した言葉だと、そう思うかもしれない。
だが、その言葉を直接耳にしたマシュには、そうとは思えなかった。
立香は、本気でこの状況を何とかしてようとしていると、そう革新出来るだけの何かがその一言に込められていたのである。
「先、輩……?」
改めて見てみれば、昨日までの立香と今日の立香では何かが違う。その身に宿る覇気のようなものが、滾って見えた。
苦境に立たされ、冷遇され、蔑ろにされている立香は疲弊してしまっているのではないのかと、今日の寝坊もその疲労から来るものだったのではないかと、そう思っていたマシュにとって、その気付きは何かが始まる予感を感じさせるに十分なものだ。
まさか、そんなことが出来るはずがない。カルデアの所長であるオルガマリーが反抗出来ない相手に、立香が敵うはずがない。
期待しても辛いだけだと、頭ではそう思っている。だが、彼を信じたいと願う心が、先の一言に希望を見出していた。
(本当に……どうにかするつもりなんですか? どうやって、この状況を打破するつもりなんですか、先輩……?)
1人孤独に席に座り、ブリーフィングの始まりを待つ立香の背を見つめながらマシュは心の中で彼に問いかける。
英霊の召喚も許されない、概念礼装の所有も認められていない立香が、ここからどう動けば逆転出来るのかが彼女にはわかっていない。
この場にいる人々の殆どが、立香はもう終わったものだと思い込んでいた。
全てを仕組み、他の面々と共に立香のショーを楽しもうとしているベリルだけが、彼の狙いに期待を疼かせている。
それ以外の人間は何も知らない。誰も知らない。水面下で、立香が人知れず動いていることに。彼の狙いが既に、一歩前に進んでいることに。
今、この時より数時間後、彼らはその事実を知ることになる。
既に詰んだと思っていた男が予想外の一手で自分たちに泡を吹かせるだなんてことを全く予想出来ないまま、彼らは立香を嘲笑い続けていた。