それと各所についての政情系の話に酌を取られたので、今回は大人向け要素が全くないです。
○紀元前2××年 秦国外北方
「「「「「ガァアアアァアアアァアアアァアアアァ!!!!」」」」」
それは中華と違い独自の文字を持たないがゆえに記録に残されてはいない、されども同地のそれらを凌ぐ、北の大地で幾度となく行われてきた死闘の一つで、凍り付いた巨大な河川の一角が血に染められている時の事だった。
「ひいいぃ! だ、誰かぁ助けてくれぇ!!」
当然、それだけの大戦になれば戦闘員だけの戦いにはとどまらず、巻き込まれる非戦闘員もあり、その中に混じっている見た目は整っているが傲慢な雰囲気が目立つ当時のドレゲネの姿があった。
『おい! こっちに上玉がいるぜ!』
『たかびーそうだが結構な上玉じゃねえか…!?』
燃え盛っている宿営地の一角より逃げ出そうとしているドレゲネを、この辺りの中華外北方草原地帯では本来なら見かける事のない衣装、それも古代地中海世界や中東風ので固めていて人種的にもそれに近い敵兵が捕らえようとするが、その彼らの中を疾風の如き何かが走り抜けた。
「「「「「………え…!?」」」」」
そして、風が止んだ直後に彼らが呆けた戸惑いを口にした直後、それを表情に保ったまま彼ら全員の首が天高く舞った。
「…こんな所まで補助要員とは言え従軍してくるなんて…女は戦場に立たず内側を仕切れと言っていたのは誰だ?」
地に倒れ伏した敵兵の躯の中心にて、そう鈴のように澄んで凛とした言葉で呆れを表しているのは、男物の衣装に身を包んでいてこの時代の東アジア男性の平均的な身長よりも高く、アジア系と欧州系どちらの血筋も感じさせる夜のように深い漆黒の短髪に紅玉を加工したような瞳をした妖精の少年を思わせる剣士であった。
「見ろ! “刀匠姫”だ!」
「大単于の姫君が来られたぞ!」
だが、周囲から上がってくる味方の歓声が示す通り、その剣士はこの過酷な北の大地でも珍しい女戦士であった。
そして、その彼女に助けられたドレゲネの心中に渦巻いていたのは謝意ではなかった。
(…何故じゃ!? 何故…!? こんな何処の馬の骨とも知れん腹から生まれた奴に男共は…!? 女の掟と芸妓に精粋しているのは私ではないか!? アシェリート…何故!? 私より美しいだけじゃなく掟を破っているというのに貴様ばかりが…!?)
その女傑アシェリートに向けられていたドレゲネの感情、その名は嫉妬と怨恨であった。
○現在 秦始皇9年(紀元前238年) 秦国外北方
『…うおーい、ドレゲネ殿―儂らを遠路はるばるこんな所まで来させといて…一人だけ黙り始めるとは…それとも何か妙案でも考えておいでですかなー?』
『む…グ、そんな大したことではない。話に関係のある事柄も含めて少々考え込んでいただけよ…』
それから数十年後の今現在にて、過去の記憶に沈みそうになっていたドレゲネを現実に戻したのは、龍城火災より数日が経った
『…その辺りの話は置いといて、とりあえず事前の協議でほぼ纏まっているこの案でよろしいでしょうか? これだと
『………ッ…』
その辺の答え辛そうにしているドレゲネに助け舟を出したのは、その彼女が心中密かに殺意を向けているアシェリートを亡き母として持つ白漂本人で彼女の表情にわずかながら不快な色を浮かばせるが、続けて秦側が出したその言葉は最大の懸念を示していた。
現在纏まりかけている秦燕匈三ヵ国講和条約の案では、秦側が相応の金と絹を出すという条件ではあったが
幾ら遊牧民が土地に対する愛着が薄いのが大半とは言え、その一帯には
『…そうそう、それと関係がある話なんですけどねー次の“クリルタイ”を早く開けって連中はどうなっているのですかねー?』
『…ッ…その事はそちらが触れる必要のない案件であろうが…』
それにニヤリとした梁魁が繰り出してきた単語にドレゲネは顔に出した不快な念を更に隠し切れなくなり、羌瘣はその単語に只ならぬ気配を覚えた。
「クリルタイとは何だ?」
「
「確か頭曼には嫡男がいたはずだが…?」
「それが成人していないまだ10かそこらの子供らしいです。その子の母で実質的に摂政もしているドレゲネは何とか国の安定とかを名目にその坊やを直ぐに即位させようとしているのですけど、味方している左賢王派もまだ早すぎると反対していまして、それを狙って秘かに対立している右賢王に近い派閥が今こそクリルタイを開いて相応しい実力者に単于の位を継がせるべきと声を強めだしているようで…」
「右賢王か…確か向こうの三番手辺りだったが…ん? 確か向こうから見た右って…あ…」
同席している文官との小話で話しの裏側に触れていく羌瘣だが、その中に出てきたある単語を受けて此度の条約案の骨組みである領土売却に隠された
『そういやーよー秦側に渡すっていう西側は確か右賢王であるレベロントのおっさんが仕切ってる領域じゃないですか。向こうとの話は付いてるんですかー?』
『(そう、それが問題…というかその土地を選んでるって話からして向こうの本音は不穏分子の始末を僕らに体よく押し付けようって魂胆だろ)そうですねぇ、今現在同地を管轄している…クリルタイ再開主張派であるレベロント氏は先の雁門戦から病気を理由にそちらからの招集命令を断り続けていると聞きます。それを放ったままにしてというのは今後の
白漂達も事前にその線の事は調べが付いており、如何にその負担の方は
右賢王の支配する領域は秦にとってドル箱の一つである交易路“草原の道”に隣接していたり、途中で重なっている範囲もあるので、敵味方不明な勢力に残られているのは不穏だが、だからと言って碌に情報を得られていない領域での戦は危険性が強すぎるのだ。
だが、正直に危険性が高い方向で話すと秦側には割譲予定の新領域を統治する力が無いと宣伝される材料にされるので、白漂は
『ふっふっふ、やーっぱりこの辺りは一番頼りになる人物に頂点へ立ってもらうしかないではありませんかな~?』
『……え?』
(ん…こっち見てる…何だか嫌な予感…?)
だが、秦側がその懸念を表明した直後にふふんと笑みを浮かべている梁魁が立ち上がり、それに嫌な予感を覚えた白漂にズカズカと近づいていく。
そして、何を思い立ってか梁魁は白漂を引き上げて自身の肩に載せて議場の中心に進み、一度周囲をぐるっと見回してとんでもない事をしてしまう。
『控えええーーーーーいい!! この方をどなたと心得る!? 父は先の秦六将筆頭白起殿のご嫡男であらせられて“中華十弓”にも数えられた
今この場に集っている訳知りの面子にとって、特に秦側にとって公表されたくないその事実を盛大に暴露してしまったのだ。
『『『『『!!!!!!!!!!????』』』』』
当然、場に集っていたほぼ全員に言葉を忘れさせてしまうまでの衝撃が襲い掛かった。
『…えー? マジ?』
『あー、確かに仮面は付けてるから顔はわかんないけど…』
『戦場で初めて見た時から初対面って感じがしなかったよなー。敵だったけど…』
『いや、別にそんな珍しい話じゃないだろ』
「……………………」
数秒の沈黙を経て、要人ではない半ば観客的な侍従や衛兵などから興味半分といった感じで言葉が上がっていくが、それが増えていくにつれて白漂はその仏頂面とは裏腹に内心では非常に面倒くさそうな臭いをプンプンと嗅ぎ取るようになっていた。
それを嗅ぎつけつつも梁魁は更にニヤニヤした表情で彼を床に戻し、ファウストに囁くメフィストフェレスのように誘惑の言葉を吐き始める。
『白漂君さーもう二十歳はとっくに越してるじゃん。それに腕っぷしは山陽であの廉頗とサシで渡り合ってー、更に知略の方もあの王騎を策で討った李牧を自国の中央でとは言え敗走させちまう位でー、更に統率や内政の方も今の飛竜軍こと白漂軍のデカさや朔方一帯の繁栄ぶりからして折り紙付き! え…こ、これってもしかして…白漂君…君ってもしかして…北の王…“撐犁孤塗単于”に一番近い男なんじゃないかしら…!?』
だが、色々手遅れになりそうな感じであったが、その途中で梁魁の後ろ首に吹き矢が殆どの者の目には見えないまでに微小な針が打ち込まれ、彼の意識は混濁に落ちた。
『申し訳ありません。この馬鹿は後できっちりしめておきますのでどうぞここは穏便に…』
その直後にある女性が黒子に似た衣装の燕兵を引き連れて梁魁に駆け寄り、そのまま彼はぞんざいに引きずり始めて燕側の席に戻した。
「え? 誰なのあの彼女?」
「あー、まだ情報は少ないけどウチの白漂将軍と同世代で且つあの軍神楽毅の孫娘で知将と呼ばれている楽…?」
急な登場を果たしたその女性にまた好色センサーが作動した蒙恬の呟きに答えが返されていたその最中、スッと静かにだが細まった双眸で
『…そうですね。僕も知ったのは最近の事ですが母は確かに貴方達と同族の生まれで、その戦歴なども大まかなものは調べています。故に貴方達と王位争いで脅威になることはないと断言できます』
だが、数秒の沈黙を経た後に口を開いた白漂はサラリと軽い調子でそう宣った。
『『『『『………え…??』』』』』
『僕の母は確かに女だてらの身で戦場に出ていました。けれどもそちら側に所属していた頃の最後の戦場で湖中に沈んでそのまま戦死したと思われた際の混乱に乗じて…』
それに周囲が呆けた反応を示す中、白漂は軽い調子だが妙に相手の疑問へすっぽりと収まっていく感じに解説を続けていく。
『…』
『ジリアン様、今後の予定は…』
『…ああ、そうだな…』
その中の僅かな例外に属している、
○秦国東北部 毐国 首都太原 王宮○
「…何度ご説明されればお分かりになるのですか!?」
「もう既に咸陽は国境の問題が片付けばこちらに討伐軍を向ける準備に入っておりますぞ!?」
「何日を無駄になされるおつもりですか!?」
「このままだと隠し子お二方の命もありませんぞ!!」
「兵を上げるのは今しかないのです!?」
「先のご説明通り勝機は今この状況しかないのですぞ!!」
(…まさかこんなにも早く側近の大半まで引き抜かれちまってるとは…。楚め元から虎歴を介して秦に傀儡政権を打ち立てるか、悪くても内乱を起こさせて秦を弱めさせようって魂胆だろう…。だが、資金面での問題は楚がどうにでもするとしていくら何でも広範囲で且つ早すぎる。軍の主力を成している元趙系の連中まで開戦に回ってやがる。ここまで手が広く速いとなると…)
「……………」
その中にて冷徹な眼差しで周囲を観察していた太后であったが、眼差しは虎歴と彼の近くに混ざっている墨字意匠の者達に向けられ、彼らも太后の視線に気付いてはいるが意にも介さない雰囲気を纏っている。
(…チ、楚はその体制から
それを踏まえて太后の考察はかなり正確に裏側を図っていたが、故に身内の存在の露見が腑に落ちなかった所で、その墨字意匠の者達は懐から箱を取り出した。
「皆様、一旦静かに」
「…議論の途中で失礼、ここにいる皆様にお見せしたいものがございます。どうぞこちらを…」
そして、玉座に近からずとも遠からずの位置で墨字意匠の者達は蓋を開いて箱を見せるが、その中に入っていたのは二人分の上質な素材と意匠で形作られた子供服だった。
「な、なんだそれは?」
「この大事な会議中に何を…!?」
廷臣らの大半はそれが何を意味するかは理解出来ず戸惑うが、その彼らの鼓膜を背後から降ってきた玉座の大きく揺れる音が震わせてきた。
「き、貴様ら! まさか…それは!?」
廷臣達が再び玉座へ振り替えると、そこには何かに気付いて青ざめた表情で立ち上がっている嫪毐の姿があった。
「…虎歴、我が子らは如何している?」
「ご安心ください。今は我らのお屋敷にて丁重にお迎えしております。
続いて同じく気付いている太后が問いの形で答えを口にするが、そこで虎歴と墨字意匠の者達を中心に大勢が懐から剣を抜き出して刃を向け始めた。
「お、お止めください! 副殿とはいえここは…あぁ!?」
通常なら極刑となってもおかしくない事態を趙高が沈めさせようとするも、その彼もまた虎歴派の者達に抑え込まれてしまう。
「き、貴様らぁ! な、何という事をぉ!!」
「お、落ち着かれよ!」
「止まられよ!」
「さあ! 我が身を持って許しを請うか挙兵するか! お答えなさいませ!!」
「ああ!? た、太后様ぁ!?」
遂に憤った嫪毐が虎歴に詰め寄ろうとするも廷臣達に押しとどめられ、逆に玉座の方にまで凶刃が上がって悲痛な叫びが上がる。
それらを太后は剣先を直に向けられつつも、周囲を冷徹に、それでいて我が身を冷めた眼差しで見つめていた。
(…挙兵し咸陽を落としてその後は如何するんだい? 虎歴と連中を仲介に列国と盟を成して秦を統べるってか? そういうのが冗談じゃねえからここまで来たってのに………いや、もうあれこれ巻き添えにして壊れたこの人生…。今更安寧なんぞ望めると思うなってか……)
「さあ、お早く…ホデュァアアアアアア!!?」
その間にも玉座に凶刃を持って乗り込んだ廷臣が催促してくるが、彼の喚きは太后の悪撃で股間を情け容赦攻撃された事でなくある人物の記憶にある海賊の一人が発した叫びに変えられてしまう。
(…上等じゃないか。天よ…舞い切れっていうなら最後まで舞い切ってやろうじゃないか…)
泡と涙を噴出しながら倒れる男を玉座より蹴り落すと、腹を括った太后は廷臣らの大半を委縮させる眼光を浮かばせて大きく口を開く。
「ならば貴様らに問うぞ! ここまでしたからには唆されたなど強制されたなど言い訳は通じぬぞ! 戦うからには咸陽を攻め落とし強奪した玉座に我が子らを君臨させて新王朝を樹立させるまで付き合ってもらう!! 成功すれば汝らは九族に至るまで新王朝の重鎮となり栄耀栄華を極めるであろう!!」
「「「「「!!!!!!!!」」」」」
眼光炯々とした太后の宣言に廷臣達は息を飲む。
「…や、やりましょう!」
「勝利を掴み取りましょう!」
「太后様ぁ!」
数秒の沈黙の後、野心の火を完全に焚き付けられた廷臣達から賛同の咆哮が立ち上る。
「…それでは太后様、狙いどころは?」
「…決まっておろう。今月に前王都雍にて開かれる国内外の要人が悉く集って咸陽を留守とする絶好の好機…秦王嬴政の“加冠の儀”だ!!」
「「「「「!!!!!!!!!!」」」」」
そして、その虎歴の問いと、対する太后の答え、それを聞き受けた廷臣達によって彼らの方針は波乱を起こす事で完全に一致した。
乱世の大火は再びの内乱という形で秦の中枢でも燃え上ろうとし始めていた。
原作の叛乱決起決定と拙いながらもどうにかこの世界独自の流れも並行して進ませることが出来ました。
次回は、北での政情変化と絡めつつ久しぶりにこの作品が決めている対象年齢の意味が出る予定です。