○秦始皇9年(紀元前238年)
「…え、あ、あの子…羌瘣に似て…!?」
「それが何でこんな場所にいるんだ?」
「ていうかあの首はレベロントのじゃないか!?」
「たしか羌瘣さんが探しているけど一族ごと姿を晦ましてたってあの…!?」
「…なーんか見た感じじゃーこのおっさん結構強かったんだろうけどさー、それ以上に強いけどアホなぼっちが襲撃掛けてきてめっちゃ激しくやり合ったみたいだけど結局こんな感じにやられたみたいなんだよねー。おかげで今頃はー向こうは大混乱って感じー。でもさ―おかげでそっちはいざって時の後ろ盾をなくして今はどんな感じ―――」
「
「はーい、めんどくさいけどほーい」
「―――い…!?」
その白漂達を何処か嘲る様子でレベロントの首を手で遊ばせながら無邪気に理由を説く羌識であったが、そこで双眸を細めた白漂に呼ばれたその壄瑮という黒子と呪術師が合わさったような顔や肌が一切見えない長身痩躯の男が一歩前に出てきて、彼女らの足元にお手玉を投げ込むと、次の瞬間にそれは強烈に周囲の鼻孔や両眼に焼けるような苦痛を生じさせる噴煙を発して羌識達を包み込んだ。
「ぐあああ!? 眼がいてぇ!?」
「チ、面倒くさい真似をして―――」
「アアァ!?」
「―――え…!?」
十数秒ほど包み込んで来る毒の煙に羌識達が鼻や目を抑えて耐えながら周囲を警戒して剣を構えるが、その最中に何かが苦悶の声を上げながらも勢いよく宙へ引き上げられ、続けて周囲を馬蹄が駆け鳴らす音が聞こえるも瞬く間に遠のきだしていく。
煙が晴れた頃には羌識達の近くには白漂達の姿はなく、彼らは何らかの手段でエルサリアを彼女達の元から引っぺがし、主を失った追跡部隊の馬達を奪って逃げだしていた。
「…アアァ!? アイツら逃げやがったぁ!」
「うわ、あんな短い間にすっげー逃げの速さ」
「いや! 感心してる場合じゃないだろ」
あっという間に小さくなっていく白漂達の姿に感心した羌識に対し周囲は慌てだす。
「けれどもこのおっさん役に立たなかったなー。ほれ」
「ああ!? 識それを捨てるなよ! そのレベロントの首を持って帰れば報酬が上がるんだよ!」
「仕方ないなー。このまま追っても間に合いそうにないし連中が帰る前に雇い主の所に帰ろうか」
そんな周囲の同様など意にも介さない様子で羌識は討ち捨てたレベロントの首を拾い直すと、龍城の方角を見やった。
○秦国外北方
「…む? 伝書鳩…しかもあ奴のか…」
羌瘣が行方不明であった身内と久方ぶりの再会を果たすもすぐに逃げ出した直後、龍城にある燕側の陣営に一通の密書が届けられて、梁魁と大源が留守の間の纏め役をしていた老将がそれを受け取った。
「…? 副将どのような内容ですか?」
「…おい、今すぐに龍城の外壁の外に陣を動かすぞ。向こうにはようわからん流行り病が出たから広がらんように外に出ると伝えよ。秦側にも同様にせよと伝えておけ」
「…え!? どういうことですか!?」
「あまり大きな声を出すな。耳を貸せ…」
「………!?」
その老将が書簡の内容を受けて出した命令に周囲は騒めくが、理由を告げられると静かにこそなったものの表情に更なる驚愕の色が浮き出た。
○秦国外北方
「…んふふふ…❤️ 傷痕はあって筋肉は付いてるけど…本当に女の子みたいに細くて綺麗な体…❤️」
燕側でも不穏な動きが加速しようとしていた頃、龍城の中心部にある王宮のある一室で一人の美女が膝立ちでほんのり朱色に染まった身を揺らしていた。
色素の薄い髪を前は左右に分けてモミアゲ部分は長くし、後ろは腰に達するまで伸ばして穏やかな大人の美貌を静かにだが浅からぬ快楽で浸らせている美女だ。
「…んーーー♪ ティートレアお姐さんにここまで案内してもらってる身としてはこれくらいしないとねー♪」
そして、その美女ティートレアに跨られて彼女と腰を重なり合わせている男は蒙恬であった。
蒙恬はこの数日ほど白漂が行方不明になり、諸事情で交渉が実質無期延期になって生じた暇を持て余し、王宮で働く侍女の何人かを口説いてその手引きで王宮内外を行ったり来たりしている最中であった。
「…んん❤️ けれども綺麗な身のわりにここは凄くご立派…ぁ❣」
「ははは、爺ちゃんや父にはここ以外は似てないって言われるけど嬉しいね」
場の状況が示している通り、今現在の蒙恬は王宮勤めの美女ティートレアと騎乗位で交わっており、その細見に似合わぬ陽根は彼女の下腹部に大きな膨らみを生じさせてその瞳を潤ませていた。
祖父蒙驁や父蒙武と容姿も背丈もあんまり似てないので血縁を疑われる蒙恬だが、甘い言葉で落としてきた女性達に確かな肉の楔となって撃ち込まれてきたその逸物が確かな証拠になっていた。
「…じゃあ、俺ももう朝の寝ぼけが引いたからそろそろ…?」
だが、朝勃ちの時も過ぎて戻ってきた陰茎の性感に釣られて腰を本格的に動かそうとした蒙恬であったが、その矢先に小難しそうな表情を浮かべて身の動きを止めてしまう。
「…え…❓ ちょっと…良い所で…焦らしも過ぎると嫌われちゃうわ…❣❓」
強まってきた肉襞を抉られる感覚が急遽止まったティートレアは不満そうな顔で見下ろそうとするが、そこで壁越しながら近くより静かだが落ち着きが僅かながら薄れているその足音を耳にすると言葉を止めた。
『…アルクサルト左賢王、やはり何度探しても姫様の方は城内にはもういないようです…!』
『最後に見て追っていった人物が言うには…テングリ湖の方に右賢王派のより衣裳に着替えて渡っていったのを見たと…』
『そうか…だとするとあの子はやはり…似てほしくない所ばかり若かりし頃に私に似てきている…』
「…………」
その内容を北の言葉が通じるティートレアは気配を押し殺した状態で静かに聞き入っていた。
『それでジリアン、例の脱走していまだ発見されていないというご子息についてだが…』
『あー、それについて何ですけど…』
盗み聞きされている一藁の中には
○
「それでその子の調子はどうナイチンゲール?」
「怪我は浅くは無いですが元々血筋からして丈夫な所を鍛えていたおかげで今は安定しています。最も目覚めた後で大人しくしたままかどうかは別問題ですが…」
龍城でも不穏な動きの影が強まろうとしていた頃、そこを目指している一行の一つである白漂達は馬を走らせつつもその一つに抱えられた状態で意識を失っているエルサリアを気に掛けていた。
「しかし左賢王の令嬢が何故対立関係にある右賢王の鎧を着てあのような場に…?」
「そこまで詳しいことは知らないが、聞いてる限りの話からして腕は立つし頭は切れるらしいがそれ以上に気が強すぎて独断専行も多いと聞くから…今回は敵陣に潜入して内情探るか良ければ敵将の何名かの首を取ろうとしてた魂胆じゃないか? 良くも悪くもそういう人種で一番面倒な人が此処にいるし…」
「え? 皆して何その目線?? 僕この子くらいの齢の頃は一目はばからず気に入らない相手はその出自問わず罵声浴びせるような慇懃無礼じゃなかったけど??」
そのエルサリアについての話ではしばしは比較対象として白漂が上げられて彼に心外だと抗議の声を上げさせていた。
「………………」
そうした白漂軍で一種の名物と化している主将弄りで今回は珍しくも加わらずに無言を保っていたのが羌瘣であった。
(…この一年近くの間…咸陽も巻き込んでの諜報でも蚩尤各部族の動向はほとんど掴めなかった。だが、ここにきて急に姿を現したとなると…その理由は恐らく…私と―――)
「いや将軍もこの子くらいの齢には敵に対してですけど割と慇懃無礼なことぬかして怒らせまくってたじゃないですか!? どれも作戦でしたけど殆ど巻き込まれるこっちとしては危ない線のも結構―!」
「いやだからちゃんとこんなマヌケなオチしたことは無いようにして来てるってー…!」
「―――……」
その思索に交えて羌瘣は今も周囲と主従漫才をしている白漂に憂いを帯びた眼差しを度々送った。
○
「……思ったんだけどさー、今回の件ってよー何かおかしいっていうかなー、似たような件が過去に何度かある気がしねーかー?」
羌瘣がある懸念を強めだしていた頃、復仇に燃える
ちなみに彼が見やっている背後の帆立にはその手で捕まえられてボコボコにされた状態の趙側間者達が旗印代わりに生きたまま吊るしあげられていた。
「…そもそもよー、ここ北の地がほぼ年がら年中荒れだすようになったのは…お前らのジジババ共によー当時の趙王とそいつと仲が良かった単于が詐欺同然のやり口で殺られちまってからだ。それでよー…それで続いてたグダグダも今度は
「………………」
趙側間者の纏め役でトマトの出来損ない同然に腫れあがった顔のまま銀髪の青年は黙りこくったままだが、梁魁は構わずに言葉を続ける。
「こういう話はここ北の大地だけじゃねー。あの“倭”にウチも含めた東海三国一帯の海上の覇権をめぐってドンパチが続いてる東海でも妙に多い。どれもこれも上手く手打ちが済もうとしたところで妙な所で横槍が入って来て今にいたるまでグダグダになって今に至るって感じのがよー…」
そこまで話した所で梁魁は視線を変え、船団や浅瀬に島伝いに騎馬で渡っていってる友軍を見渡して辺り一帯の大気を震わせる怒鳴り声を上げ出す。
「おい! ごらー! どうせここにも何人か何食わぬ顔で混じってんだろうが―! 今は楚に逃げてるこいつらの主人が趙の前に元々居た場所の都合で送られてきてコソコソ動いてる鼠なんざよー! 何処の誰のどういう名の組織かまでは言わないようにしてやるけどハッキリ言ってやる! 人を振り回すのは勝手だがそういう連中もまた振り回すのが出てくるのがこの春秋戦国って時代なんだよ! 儂らがお前らを振り回した時にそれへ文句を付けるのは自由だがそれもまた春秋戦国ってもんだ!!」
そこまで咆哮で言い切った梁魁の表情からは不機嫌な色は消え、代わりに獰猛さが強く滲み出た笑みが浮かんで龍城がある方角を見やった。
○秦国北部 新規植民区 拓和○
「紅華殿、例の伝令はもう明日頃には付く頃合いでしょうか…」
「拓和城主殿、今は洗い直した間者の大元の調査を…」
梁魁が何者かに色々裏がありそうな内容の咆哮をしていた日の夜、
「…紅華様…大丈夫でしょうか?」
「内心では怒りと焦りが母として当然出ているだろうが…それは表にしたら動揺が走るから内に込めて執念に繋げているようにしてるさ。情がなさそうに見えて仕事はどれもがあの子の調査と救出に繋がるように手配している。まあ、周りの被害を抑えるために情報秘匿の手法として鳥ではなく早馬を用いている点からして…母としてよりも戦国の女としての立場を第一としている。だが、問題なのは…」
その中でいつもと比べても冷静かつ長時間にわたって情報活動に関与している紅華に姫昭は懸念を示し、それを藍蘭は嗜めているが内心では紅華の内心を大きく揺さぶっているだろうある報せをこれから受け取る自分達の夫に憂いを抱いていた。
(…あの報せを受けて…父として…怒りを覚えるのだったらまだいい…。問題なのは…間者の炙り出しの時に見せた…あの、人形のように情が薄れていく…というより、元々の情が無いというべき状態に戻っていっているような…酷薄とは違うあの眼光を強め…最悪そのままになったりしたら…)
藍蘭の大人のお姉さん的なゆとりを感じさせる素振りとは裏腹に、彼女の内心は恋人のゾッとする裏側を思い返した少女の如き不安に苛まれ始めていた。
○秦国外北方
『んん? 何だあれは…?』
湖上における梁魁のそんな咆哮が発せられた日の翌日の昼、龍城を守る軍の湖岸の警備隊が同市の近くにある湖岸にて、その彼を乗せた右賢王軍の船団が追い風にも手伝われて大幅に早く姿を見せて来たのに気付いた。
『…あれー、先頭の船に乗ってるの梁魁さんじゃないか…?』
『…というか…あの船団や近くの小島の浅瀬伝いに渡ってきてるあの軍勢…右賢王軍じゃないか!?』
『ハァァ!? 何がどうなって―――!?』
その旗印からして近づきつつある船団の正体に気付いた警備隊は驚きと困惑を露わにするが、その中で一番声を荒げた一人の胸倉に湖上から豪速で飛んできた何かが飛来して彼を十メートル近く離れた石壁まで叩き飛ばした。
『―――え…ぐ…???』
壁に叩きつけられた警備兵に飛来したものの正体は投槍で、心臓を貫通してそのまま昆虫標本のようになった現状に理解出来ぬまま彼は絶命した。
『し、死んじまった!?』
『はあ!? この距離の投槍でか!?』
『この距離で鎧ごと穿ち抜ける投槍が出来る人物なんて…一人しか…』
『お、おい投槍に何か文が括り付けられてるぞ!』
同僚の突然の死に警備兵達は驚きつつも、槍に手紙が括り付けられていると気付いた兵士達は急いでそれを取ってその内容を確認した。
『燕・秦・
その文の内容は要約すればそのように書かれており、警備兵達は驚愕と混乱を更に高めつつも大急ぎでその文を王宮に届けた。
○秦国外北方
『な、何じゃとぉ!?梁魁めがレベロントの軍勢と手を組んで更にもう龍城の近くの湖岸に上陸しておるじゃとぉ!?』
『は、はい! 更に疫病を理由に一旦市内から出た燕や秦の使節団も既に現地で合流しているとの事で…!』
『既に現地にいた警備隊はここまで伝えに来た数名を残して全滅した模様です!』
『更に姿は見えませんが白漂は既に向こうの大将になったようで…燕側は梁魁が主導してこれを全面的に支援すると宣っており…』
『更に連中は趙の間者共を捕えて、その口から我々と李牧めが内応していると声高に吹聴しており…』
十数分後、早馬で梁魁と右賢王軍の襲来を知らされたドレゲネ達は世界滅亡級の災害の予兆を目にしたような表情を浮かべていた。
『えええい! アルクサルトすぐに都の防衛を固めよ! それから首都圏外の直ぐ傍に伏せてあるお主の軍勢も呼び寄せるのじゃ!!』
『…落ち着きください太后様、確かに湖岸の警備隊は殲滅されましたが都の主力軍との戦闘はまだ始まっていません。今は使者を出してギリギリまで交渉を―――』
『ほ、報告です! 例のあの華夏人の刺客共が大きな手土産を持って戻ってきました!!』
『―――お…!?』
その状況でアルクサルトは娘の行方不明に苦悩させられながらも、本格的な会戦に備えつつもそれを避けるための手を討とうとするが、そこで彼にとっては余計に望んでない戦を後押しする存在がやってきた。
『…お―おー、ギリギリ間に合ったようだねーここにはー…あ、久しぶりードレゲネおばさんにアルクサルトのおっさん』
数分後、王宮の中庭にドレゲネ達が進んだところで、その手土産を持ってきたと言ってきた羌識一行が現れた。
『おい! 何じゃこの騒ぎは!? お前達には人知れずうちにバアトルの未来を邪魔するあ奴らを始末せよと言ったであろうが!? それをグズグズしたせいでこんな騒ぎに…!!』
『ギャーギャー言わないでよー、ちゃんとその分の仕事はして来てるよ。ほら、今現在ここ目指して攻めてきてる連中の大将の弱点を連れて来たし』
ドレゲネはその姿を見てヒステリックな追及を始めるが、それを羌識は軽くいなしつつも配下の者達にある少年を連れてこさせた。
来ている服装は派手ではないが緻密な意匠が施されていて質の良い素地を感じさせ、育ちの早さは感じさせるが肌艶からして2歳から3歳くらいと思わしい、将来は女性の目を良い意味で引きそうな風貌になりそうな少年で、肌や衣服にやや汚れは付いていて少し疲れた感じはしていて意識を失っている少年であった。
『…当代の蚩尤よ、その童は何処の子か…?』
『そりゃーもちろんここへ近づいて来てる敵の大将のご嫡男君でしょ♪』
それに嫌な予感を大きく感じたアルクサルトの問いに、羌識はその連れてきた少年で紅華達の元より拉致してきた白漂の長子たる白陵を指さしながら胸を張り、彼に両肩から伸し掛かった山の如き憂いを覚えさせた。
次回、色々な面子の胃を、特に羌瘣のそれに穴を開けそうな展開が加速します。