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○秦始皇9年(紀元前238年) 龍城攻防戦1日目夜 秦国外北方
「「「「「ワアアアアァアアアアアアアァア!!!!」」」」」
「「「「「ウワアアアアアァァアアアアアアアアアアア!!??」」」」」
夜もまた深くなっていた時間帯においても、龍城で最も広い面積を占めている庶民が済んでいるその区画は兵士達の怒号と逃げ惑う人々の悲鳴で大気が震え続けていた。
「梁魁さん! 内壁に近い方の望楼は全て抑えましたー!」
「シャーーー! 工兵共は儂に続けーーー!!」
その中で、梁魁は味方が抑えた望楼や高層階の建物に駆け寄ると、その根元を漫画のようなスピードで次々と打ち壊し、内壁に向けて倒れるように傾けさせていった。
『ぎゃーーー!? 下町の望楼が倒れて来たー!?』
「工兵共ー! 向こうに向けて倒れた望楼とかを一時補強して少しの間だけでいいから大勢登れるようにしろー!」
「「「「「ハハァ!!」」」」」
それにも悲鳴が上がる中、梁魁は号令を下して倒れた望楼などを内壁まで駆け上る一時的な非常階段に仕立てさせていき、終了すると今も逃げ惑う龍城の市民に宣言する。
『こらー! 民衆共さっさとあそこに設けた坂道から王宮に行けー! さもないと着てるもんも分捕って都の圏外に叩きだすぞー!!』
『ひい! りょ、梁魁!』
『あ、あいつならやりかねん! 早く王宮へ逃げろー!』
梁魁の幼少より続く悪名伝説を深く知る北の民で構成された龍城の市民は、その宣言に従って彼らが仕立て上げた非常階段を通って王宮区画に向けて逃げ込んでいく。
『さ、左賢王ー! 下町区画の民衆達がこちらに向けて逃げこんできましたー! おかげでその一帯には弓矢を用いられません!』
『…! まさかあの二人が組むとここまで押し込んで来るとは…! ドレゲネ様とバアトル様ら要人の警護に兵を回しつつも落ち着かせるようにせよ! そして民衆は速やかに後方へ逃してすぐに開けられた穴を塞ぐように!』
それを遅れて到着して見たアルクサルトは険しい顔を浮かべつつも、城内の民衆の被害を少しでも減らしながら戦況を立て直すべく迅速に指示を出す。
そのことが彼自身の身とその属する陣営を急速に追い込んでいく事になるとは、この時点ではまだ彼らに知る者はいなかった。
○秦国中央部 旧王都雍○
北の王権を巡る争いが激しさを増していた頃、南の秦国で嘗て王都を務めていて、歴代秦王の宗廟がある旧都雍は真夜中になっても作業が続いていた。
「…この意匠はこの区画に用いて、それと布地の方は…」
その雍にある瑠衣公主ら王族や宗族が集う区画には要人の子弟も集められて守られていたが、その中に今も加わっている白漂第五夫人の譜孝の姿があった。
「…譜孝さん、今さっきも仮眠してたとは言えまたこんな夜遅くまで…明日の儀式に差し支えが…」
「あー大丈夫よ魏亶さん…それよりもまだ十七区画の方が…」
その傍らには元相国の孫娘という出自もあって、高官貴族の親戚枠で出席が決まっていた魏亶の姿もあった。
ちなみに、白漂が頭曼の重病を知ってその対処のために大急ぎで北へ戻っていく途中で軍編成のため朔方城に拠った時に、彼と逢瀬を重ねていたのだがそれが命中してまだ腹は目立ってはいないものの譜孝同様に彼の子を身籠っている状態であり、他の女性達と違ってまだ行動に支障は出ていないレベルだったので出席が認められていたのだ。
「…あそこが…瑠衣や白漂の女共が集められているという要人親族の城館か…」
その彼女達がいる屋敷を、怨念が籠った双眸を覆面の隙間より覗かせている集団がいた。
○秦始皇9年(紀元前238年) 龍城攻防戦2日目正午 秦国外北方
「…さー、最低限必要な距離まで押し込めて住民の大半も向こうに押し付けられたのは良いが…ドレゲネ辺りからこんな直球に息子が捕まってしまってることを公表されてしまうとはなー…」
北の都での激闘と秦の旧都に置いての陰謀の動きがあった日の翌日にて、白漂は制圧した龍城の外壁内部にある庶民居住区の一番高い望楼から、次に落とすべき王宮の正門に旗印で掲げられた白陵監禁を示す看板に面倒くさそうな表情を浮かべていた。
「漂将軍どうする? 下種な手だし単純だがあそこまで敵味方問わず広く公開されると、下手に対処すれば今後にも色々響くぞ」
その白陵捕縛には彼の母方の伯父である紅武もまた静かに憤りつつも難しそうな表情を浮かべていた。
現在、北の民は秦への信頼もあるがその根幹には仲介とその後の保証もしてくれた白漂への個人的な恩義が大きく占めている層が多い。
その彼がもしも嫡男を見殺しにして戦を進めたりなどしたら、ドレゲネに限らず他勢力はこう宣伝するだろう。
『自らの嫡男よりも戦を優先するような男が他人の命や財産を守るわけがない』
そのような流説が流れれば流動性の強い北の民の相当数が秦への恭順を拒むようになり、既に恭順して留学生(と表向きはそうだが実質は人質)を出している各民族にも動揺は走るだろう。
「…そんなわけだから昨晩の内に非常階段を一時的に作って、城内の民衆の大半を向こうに押しつけたわけだけど…」
「漂将軍、どうやらこっちの見立てよりも向こうの内情と対立の悪化は加速しているらしいぞ」
「そう、それをどうにかしてこの後に来る秦側の面倒事を減らしつつ、燕側の得をなるべく抑え込むのに繋げていくか…それが問題…」
そういった問題に対する思考を深めつつ白漂達はまだ敵が残っている王宮を見やり続けた。
○龍城攻防戦2日目正午 秦国外北方
『だから早くあの白漂の小僧をこちらに連れて来んか左賢王!』
『太后様それはなりません! そのような事をしてはたとえ勝てた後でもバアトル様の治政で大きな不安要因になります! 何より戦況が向こう有利な状況でそれをやると却って士気を逆上させます!』
『だったらその小僧をネタに白漂の身をここへ和平と称しておびき寄せればよいではないか! 他に人がいない中で奴が武力に挑んだからそれを抑えたという形にして暗殺すればよい!』
『そのような手に掛かるような男がここまで至れるものですか! 万に一つそれで白漂を消したとしても向こうが納得するわけがー…』
白漂が見やっていたその頃の龍城王宮では、ドレゲネとアルクサルトが激しく言い争っていた。
現在、羌識が攫って連れてきた白陵の処遇を巡って両者は言い争っており、ドレゲネは白陵を盾にして白漂を討ち取る様にと主張しているが、
更に、両者の対立を煽っているのは白陵の扱いだけではなかった。
『あ、あのーお二方ー…王宮内に逃げ込んだ群衆達が…食料の配給を求めて騒ぎ出しておりますがー…』
『馬鹿を言うな! 下が抑えられて物資ごと向こうに奪われた状態で無駄飯食い共に渡せられるか! 煩い奴は見せしめに梟首にするか下の秦燕や反徒共に身ぐるみ剥いで突き返せ!』
『それはなりません太后様! そのような事をすれば…』
昨晩の城攻めで下の庶民区画を追われ、上の王宮区画に逃げ込んできた住民達の存在である。
白漂の発案から梁魁達に倒された櫓を用いた緊急避難通路で、城内の大半を占めていた庶民居住区に住んでいた市民の大半が、戦の影響によって着の身着のままで王宮区画に逃げ込んだことで、急速な食糧危機とそれに伴う不満が高まりだしたのだ。
そもそも、遊牧民というのは季節ごとに家畜の餌場を求めて移動を繰り返す習性があるので、移動をし易くする必要があるために荷物の類は少なくする必要がある。
その影響で、城内の王宮の蓄えは中華のそれに比べると大幅に少なく、そこへ着の身着のままの市民が大勢逃げ込んできたのだからあっという間に食糧不足に陥ったのだ。
しかも、この状況でドレゲネがそうした難民たちの処遇で無茶なことを公言し始めたので、元から独立心や自立心が強い北の民の住民の不満に油を注ぐ結果となっていた。
『…くそ! アルクサルトめ軍権を握っているからって調子に乗りおって…! バアトルが成人しておれば早々に取り上げて反逆罪で一族共々晒し首にしておるのに…!?』
数十分後、結局アルクサルトが意見を押し通して白陵は丁寧に扱って和平交渉の糸口を探ること、王宮内部に逃げ込んできた群衆は追い払わずに出来るだけ保護することとなり、彼を追い払ったドレゲネは当たり散らしながら自室に繋がる廊下を歩いていたが、そこで彼女は敵方に制圧された庶民区画にて目を疑う存在を目にする。
『さー、捕虜はこっちだ。昨晩に逃げようとしていたお嬢さんはこっちだ』
『…………』
秦・燕・
(…あ奴はたしかアルクサルトの娘!? どうして敵方である向こうにとらわれていて…!? ま、待てよ…娘がああして捕らわれているのは偽装で…まさかアルクサルトの奴…本音では向こうへ寝返ろうとして…、捕虜にされたと装って娘を差し出して白漂と繋がりを得ようとしておるのではないか…?二や…そう考えた方が白漂の息子を人質にすることに反対しておるアルクサルトのあの態度も自然では…?)
普段から意見衝突が多い事と、潜在的に息子の政敵に成り得ると考えていたアルクサルトに対するドレゲネの猜疑心は、エルサリアの姿で常人ではありえないスピードにて加速していった。
○秦国中央部 旧王都 雍○
「…9年前の王位継承の時よりも人が集まっているな。む……?」
龍城の王宮で暗雲が更に強まろうとしていた頃、雍にて昨日に到着していた嬴政は更に人気が増している街並みを感慨深い表情で眺めていたが、そこでこの場では普通あり得ないはずの車を見て目を細めた。
「!? な、なんと!?」
それに一瞬遅れで気付いた昌文君の目の前で車の扉を開き、その中から毐国に逃亡して籠っているはずの秦国太后が姿を現した。
「何を驚くんだい? 息子の晴れ舞台を見るのは当然じゃないか」
「太源での独立宣言などまだ未解決の話が…」
「わかってるっての、祭典が終わった後でじっくり話をしようじじゃないか…?」
問い詰めてくる昌文君に太后は自然な理由に聞こえるが故に彼女の場合だと非常な違和感を伴う言葉で返すが、そこで上階から降りてきていた嬴政の姿を目にして少し目が見開いた。
(こいつ…見ない間に…こんなにも大きく―――)
「それでは行きましょうか、各所より集まってきています」
「―――っ…ああ、そうだねぇ政…」
その情ではなく別の何かを他人にも覚えさせる親子を不敵な笑みを浮かべながら見ている人物が一人いた。
(…遂に、23年掛けて育ちに育った“奇貨”を回収する時が来たな…)
現在の秦国で嬴政と国政を二分して争う大実力者たる相国の呂不韋である。
「…青を基調としていて…どれも繊細で煌々とした美しさに彩られています。町全体が一つの絵画になっているようですね」
「おほほほ、お褒めに預かり光栄ですわ。というか秦の歴史を元に入り口から会場に至るまでの町を飾っている作品は構成されていますの。たとえて言うなら入り口は五帝の一人である顓頊から穆公、昭王と歴代の王の方々やその治世の主な業績が時系列順になるようにして…!?」
一方、秦側出席者の親族が集められている邸宅街にて瑠衣が街並みを見て素直に感動していたが、それに大きく関わっていて同席していた譜孝は急に表情に険しい色が浮かんで片膝を付いた。
「ふ、譜孝殿?」
「…んん? 何か…? お腹に急に違和感のある痛みが…?」
瑠衣が困惑と心配の表情を向けている譜孝の腹部は、医者に言われた予定日はまだ先だが臨月に入っていること示す膨らみをしていた。
(…あの女が…姫昭様をたぶらかした白漂の子を宿している阿婆擦れの一人…)
(…成蟜…白漂…見ておれよ…貴様らが得てきたものは今度こそ根こそぎ奪い凌辱してくれるわ…!)
そして、その邸宅を含めた雍を守る守備隊が駐留する兵舎の一つより、酷く澱んだ怨念を宿らせた双眸で凝視する一団の姿が有った。
○秦国中央部 旧王都 雍 蘄年宮○
「……しかし、何度見ても多いな…」
「表情を落ち着かせよ。まあ…秦国自体が大きくなっていて…それに加えて列国からの要人も集っているからな」
親子の対面から数十分後、加冠の儀の武官出席者枠の一人に選ばれている壁が余りにも多くて祭典会場の蘄年宮から溢れている参列者に息を飲んで、それを昌文君が窘めていた。
「…まず国内だけでも見れば…林涼や東涼を中心に恭順した北部各諸民族系の新諸侯、山界との仲介で朝貢関係にある西域諸都市や各民族の代表、蜀南より参じてきた南方諸民族の首長達、国外を見れば燕斉楚からは王族、趙からは上卿の皮相国、韓からは張宰相…」
「国内外の要人達がここまで…」
「4代前の昭王様の葬儀以上だ。だからこそ…
秦側にてそのような言葉が交わされているのと並行して、各国はこの場も含めて秦で見聞してきた情報や知識を言葉に載せて交わらせ合っていた。
「…ほお、武霊王の時代を除けば中原に靡く姿を見せなかった東胡までも…」
「楚に長らく頑強に抵抗している 南蛮三十六洞府の長も何人か姿を見せているぞ」
「実用一辺倒のものばかり追い求める詰まらぬ国と思っていたが、この宮の垂れ幕…西域と中華どちらの意匠の特徴がありながら違和感なく調和しておる…。西域にまで広く手を伸ばしているというのは虚言ではなさそうだ…む?」
そんな中、遂に秦側の最重要の要人達が正式に会場へ姿を見せ始めた。
「ハッハッハ、これだけの人数が待ち遠しくなっているのに中はひんやりとしておるな…」
(これが商人から一代で相国まででのし上がった呂不韋か…聞いていた以上に大きいな…)
「ふ」
(今度は今の秦王の実母の太后…本当に齢を知らぬ美貌だが…)
「「………」」
(今度は秦の両丞相が…)
(今の楚王のあの…)
彼らの入室に各国の使者達は口を噤んで目を更に冴えさせていき、それから少しして遂に今この場で最も着目すべき人物が玉座に姿を現した。
(…あれがか…)
(先の合従軍で滅亡寸前まで陥った秦を自ら出陣して守り抜いたという…)
その人物の登場に会場に集う全員が静かだが確かに空気が一変したことに気付き、強張りが解けていくが侮りとは相反する何かが身に沁み込んでいく感覚を覚えていく。
(((((あの男が現秦王嬴政か…)))))
(楚王のような威圧感ではない…)
(包み込んで満たしてくるような気を放っておる…)
(自ら出陣して蕞を守り、国を救った英雄王…秦の宣伝によるところが大きいだろうと思っていたが…)
(ここの取り込み光が…異国のものと混ざりながら違和感無く調和している美麗な青の垂れ幕を透かして入り込んでいるほのかに青き光と合わさって…)
(それを浴びているためか…秦王が春の雪解け水を思わせる澄んで温かい水のように染みわたってくる感じを放ちながら…)
(それらを飲み込んで包み込んで来る大海のような大きな雰囲気を違和感なく纏っておる…)
(…確かに…これは今まで見てきた王の誰とも違うぞ…)
嬴政の登場に式典に集う要人らは
○秦国中央部 函谷関○
「…見ろ、あれが歴代の合従軍のいずれもが抜くことが出来なかった国門だ」
「おおー、これは凄い…改修される前から難攻不落と中華中に謳われていたが…これは今となっては再びの合従軍を含めてもどんな大軍も正面からでは越えられそうにありませんねぇ」
雍での加冠の儀の会場に嬴政が公式に姿を見せた頃、秦国王都圏で最大防衛拠点である函谷関にある一軍が到着していた。
今回の式典で秦王やその高官らが留守にする咸陽警備の名目の為、太源から出陣してきた樊於期率いる毐国軍である。
「…門だけでも複数の開閉装置を同時に作動させなければ開かないカラクリ仕掛け、それでいて門を開けるべく侵入しても上下左右から隠し小穴より撃ち放たれるというカラクリ…裏側や側面の守りも固める各種防衛施設…隠し水堀…わかっている情報だけでも…さすがはかの偉大な武安君の嫡孫が大改修に関わったというだけはありますな…」
樊於期の息子で冷淡で酷薄な印象を与える面貌をした樊流期が進みながら、今現在の生まれ変わった現函谷関をそう評価する。
「…まあ、そういった防衛兵器も使い手が実際に用いねば意味がないのだがな」
「もっともです」
「ふー! ふー!」
だが、その函谷関を毐国軍は別に妨害されることなく、関長に通行許可を下されて速やかに通り抜け、樊父子に続いて名目上の大将である嫪毐が落ち着きのない息遣いながら確かに覚悟を決めた表情で御車に載せられながら門を正面から通過した。
各所の疑念や陰謀が描かれている最中にて、譜孝に何やら予定外且つ通常なら慶事なのに、この状況ではバッドタイミングと言える
次回は、北の地と主人公サイドの中央を行き来しながら、再びきな臭い裏側が色々と表含めて動いたりする場面が写し出される予定です。