○紀元前2××年 中華 某戦場○
「「「「「ワアアアァアアァアアアアアアアァアア!!!!」」」」」
数百年続く春秋戦国時代では戦火は必ずどこかで起きていた。
「…たまらんなぁ、また今日も人の愚行の極みである“戦”が繰り広げられておるわ…」
そして、そうした戦場の一つを見下ろす山道の一角より、それを
「そういう我が言葉もさぞや白々しく聞こえるだろう…のぉ“不韋”よ。何せ今あそこで使われている武器は我々が届けたものだからなぁ。まあ、戦で必ず生まれる孤児の出自であった所を拾われたお前には一部同情はされるだろうが…そういう矛盾が人の世の虚しさよ」
「……………」
そう戦場を評する隊商の自虐的な発言が向けられている先には、表層は虚ろだが根っこには微かに猛った光が宿っている瞳の少年の丁稚がいた。
この時点では後に史に名を刻む豪商になるとは思われていないその少年の傍らに、また新たな人物が現れた。
「人間のやる事だから虚しい事はねえが、遠回りにもほどがある馬鹿な所業ではあるわなぁ。俺に扱わせりゃー今あそこで使われている金はもっと生産性のある商売をしてるのによー」
「「………………」」
その隊商の主にやや唖然とした表情を向けさせ、丁稚の少年に真新しいものに対する眼差しを向けさせている人物は、短めに切り揃えられた銀髪で左目が前髪に隠れ、覗かせている右の赤い瞳を中心に中性的な美貌と男性的な言葉遣いが特徴的な美女だった。
「こんな馬鹿ばっかやられてる時代でもそれを変えられる連中は大勢いる。そいつらを“金”で繋げばも~っと血が少ない方法で大勢が大きく飛躍出来る時代が来るのによー。まー、そのためには今はこうして戦も含めた何が何でも稼がねえとなー…」
「そんな事は為政者たちも気付いてはおるわ。だが如何せん連中は今まで積んできた社稷とやら伝統のしがらみの多さの前に気付いても出来ぬのさ」
「じゃー金を使って人間の進歩の原動力である“欲望”を上手く操って連中への突き上げに使うしかねーなー。こんな“紀元前”でも人間様の世界で一番強い武器は金だからな先生」
「…いかん、いかんぞ…“トラオ”よ…。お前が“前の世界”と呼んでいる夢の話の世界は…一介の商人が…否…人が最も進んではいけない…後戻り出来ぬ領域だ」
何処か達観とこの時代の人間には理解できない単語が混じる話をする美女に、隊商の長は危ういものを見る眼差しを向けていた。
「たかが一介、されど世の中の大半を占めてるのはその一介の連中さ。少なくとも人間社会共通の価値基準である“金”を上手く用いてそいつらが纏まって国よりも大きな塊にするのさ。巻き込まれっぱなしの奪われっぱなしが普通なら、それぐらい目指しても罰は当たらねぇだろ」
「……トラオ…それでも…だ…」
その美女の言葉が目指している地点の危うさを、窘めようとしている師と同じく感じている少年であったが、それ以上に彼の胸中を熱く掻き立てていた。
○秦始皇9年(紀元前238年) 秦国中央部 旧王都雍 天備宮○
「…金についてお話しする前に、一部の史や嘗ての史跡を調べる者達が言うには、嘗ては我が中華も含めて…全ての人は自然の中で自然と共に暮らし、そこから得られる恵みに頼る動物と大差ない生活を続けていました。ですがそれは、ある
数十年後、一介の丁稚に過ぎなかった少年は、相国呂不韋として自身が擁立した秦王嬴政との最大の対談に臨んでいた。
「「「「…………」」」」
周囲の観衆が重く注視している中、呂不韋と嬴政の問答の応酬を固く見守っていた。
「“神農”の時代に始まった農業だな」
「左様です。神農が始めたとされる農業はそれまで自然の恵みの中で暮らしていた人にそれまでとはけた違いの生産物を齎し、それは最初の王朝“夏”の時代における治水の成功で決定的なものとなりました。その結果、人は自らが食する分以上の食を得られるようになった一方で、その恵みを生む手段を得られなかった者達による“工業”の拡大と専門化を齎しました。ですが、これはある大きな問題を引き起こしたのです」
(……問題だと…?)
「
(!!)
「自分は今あれが欲しいのに、それを持っている人物が欲しているものが自分にはないので交換できない…人々は自然に重依存する状態から独立できた一方で、今度は自らの要求の多角化に悩まされるようになったのです」
とりわけ李斯がその問答の内容に思索を深めさせられていた中、呂不韋は嬴政との間に置いた貝を再び指さした。
「…そこで、時が流れて夏より文明の領域が広がった“商”の時代に人が用い始めたのが
「「「「?」」」」
「
「!」
「自他の扱える富にはどれだけの差があるのか…人は金という基準によってそれを容易に判定できるようになったのです。当然、そうなれば生じるのが…自分もまたより多くを得たいとする“我欲”です」
「「「………」」」
「その我欲の追及で衝突と融合を繰り返した人は…我が秦を含めた戦国七雄を中心とする中華という広大で複雑な一つの世界を創造した。嘗て“天”の下で文字通りあまねくその恩恵にあずかるだけであった人は、“天下”と言う存在を中華に置き換えて人自身が全てを左右できると信じるまでの存在へ変貌させた…」
立会人達の意識が、まるで中華という世界を遥か高みから見下ろしているような幻視までしてしまうまでに話に聞き入らされたところで、呂不韋は感慨深げに床に置いた貝を摘まみ取って眺め直す。
「ハッハッハ、もしも儒者が言うように“天”なる意思持つ超越的存在があれば驚愕しているでしょう。“金”を手にしただけで人がここまで増長とそれ以上の進化を成すとは…ですが、
「まるで金が全てであるような言い方だ」
「大王様のような瞳の持ち主にそう言われると中々胸に刺す想いがしますな。ですが…敢えて言いましょう。これから中華が目指すべきは…金こそが第一であるべき社会であると」
「…そうなれば人の我欲の止めどない応酬を基軸とした混沌の世になるのではないか?」
「
「………ッ…」
呂不韋が目指す世の一面を嬴政は指摘するが、呂不韋は再び語気を静かにだが強めて彼に非難の意を強めた眼差しを向ける。
「為政者とは国民に強いられる犠牲を小とする道を示すものでなくてはなりませぬ。逆に幸福を最大限にするものとなくてはなりませぬ。不遜ながらこの呂不韋はそれを可能とする道を示され…そして現実のものにする方法を明白にせしものです」
「ッ! 如何なる根拠があって言える!? それが自惚れでは無いと誰が認め―――」
「否、自惚れでは無かろう」
「―――ッ…」
その眼差しを添えた非難を根底とする直言に瑠衣は反発を示すが、蔡沢がそれを窘める。
「貨幣制度が誕生した商の時代で共に誕生し…、同王朝が潰えた後もその名を継いでこの中華で国を問わず貨幣で世を動かしてきた存在が
再び一同が沈黙に戻って観衆に戻ると、呂不韋は言葉を続けた。
「大王は何やら理想を持って人を束ね、その力を持って中々にこの国を進ませているようですが…、この呂不韋なら“金”を用いる事で人自らを次のようへ進むように焚き付けて国を変革させましょう」
「面白いのう呂相国、それではお主が金を操ると国はどう変わり中華はどのような方向へ向かうかのう?」
蔡沢が興味深げな表情で促し始める。
「…
「「「「………………」」」」
すると呂不韋の言葉の続きを聞きし者達の脳裏に、この戦火の時代では信じられない確かな歓喜に満ちた光景が浮かび始める。
「全品が豊富に揃う商店、飢餓とは無縁の飽食、それらを現実のものとして享受できる職に困らぬ人々…秦国民全てが人生を謳歌できる夢の如き国です」
「ほほう、この乱世でそのような夢の国は現実になるかのう?」
「乱世であるからこそです先生。この五百年で十分過ぎるまでに“怒と哀”に浸らされてきた人々が求めるのは“喜と楽”です。それを成すには溢れんばかりの豊かさが必要ですが…幸いにも取らんとする方法は違えど大王様の尽力で既に秦はそれを成せるだけの下地が整っています。それをもって秦が“喜と楽”を示せば他国は警戒と羨望の違いはあれど否応なしに秦を注視せざるを得なくなる。その繋がりを持って秦は己が富を他国に民という下地から染み込ませ、秦と手を斬れなくする状況に追い込む。そうすればこれまで秦国内で大王様がやられてきたことを今度は他国へ浸透させていけばよいだけ。さすれば秦が中心となって各国の資源と産業を建設的に循環させる社会が出来上がる。武力で纏め上げるのではなく経済力で統合して中華全体を包み込み、それを中華の拡大に向けさせてより多くの人に富がいきわたる様にする…」
(ほほう、秦なしにしては中華が成り立たぬようにし、最終的にはその中華無しに回らぬ天下を成すと…)
「それが
「「「「「………………」」」」」
呂不韋が説くその新たな中華像に、それを聞く者達全員が受け止め方は違えど重く胸に触れ合わさっていく。
「今までと同じ武力を持って他者を飲み込むという愚行の繰り返しこそこの乱世では大国が最も終わらせねばならぬやり方。ましてや他国全てを軍事力で制圧して力業で同一の体制下に敷く事こそ論外です」
「…!」
続けて呂不韋がこれまで秦が取ってきた道に批判を向けるが、嬴政は反発を生じさせつつもそれ以上に彼の言葉からの圧迫感をより強く覚えていく。
「大王の理想とするところは近からずも遠からずの地点を始まりとした身の一人として理解できまする。国家間の戦争で悲劇が生まれるならその国家を一つにすれば戦火は無くなると…だが、そのようなものは滅ぼされる側からすれば強者による理想の強制にすぎません」
それに伴って呂不韋の言葉に宿る糾弾の色も強まっていった。
「仮に武力統一がなったとして、その後に残るのは勝ち残ったとは言っても傷つき疲弊した秦と、その足元で打ち倒された旗と共に地に手を付いて悲嘆にくれる旧六国の民…そこに至るだけでも、大地より溢れんばかりの収奪と虐殺…それだけの事をしても得られるのは、敗れた後も生き残った者達の絶望…そして秦への怨念」
「「「「「……………」」」」」
「間違いなく何の光明もない中華の暗黒史と刻まれる世になりましょう。そして、その世で犠牲を強いられ続けて疲弊した秦国民は立ち上がれましょうか?」
「……ッ…」
「それでもなおそれら全てを中華統一のための必要な犠牲とするならば…秦王嬴政! 貴方は誰よりも玉座にあってはならない狂気を秘めているのです!!」
「…!!」
そして、その断罪するかの如き言葉を突き付けられた時、嬴政の視界に再び“人の闇”が形を持って映り始めた。
○秦始皇9年(紀元前238年) 龍城攻防戦日2目昼 秦国外北方
「「「「「『『『『『ワアアアァアアアァアアアァアアアアアアアアァアア!!!!』』』』』」」」」」
王権を巡る攻防が続く秦国王都圏の一角で次代の秦王を決めるだろう舌戦が一つの曲がり角を迎えていた頃、北の大地の覇権を巡る争いも最終局面に入ろうとしていた。
「……ッ…何処にいる…?」
その中で、雪で生き埋めになりかけつつもどうにか意識を取り戻していた羌瘣は羌識を探していた。
「はい、ちょい待てー」
「いっだぁ!?」
だが、 その捜索は結構な速度で走り回っていたその途中で、後ろ髪を白漂の十星戟で絡み取られた事によって一時中断となってしまう。
「今回はこんな状況だから説得は諦めた方が良い。適当な所で今回は諦めさせて追っ払って戦が終わった後で次までに説得する方法を考えよう」
「ッ! 見捨てるなんて出来…ん? 追っ払う?」
髪から猛烈に引っ張られた痛みで顰め面になりながらも食い下がろうとした羌瘣だが、白漂のその言い回しが引っ掛かった。
「羌瘣、刺客一族の修行なんだから怒られる時は当然言葉だけじゃすまない時が有るでしょ」
「それはそうだが?」
「あの羌識って子はしつけられる時、身の方はどんな感じで怒られてたんだ…!?」
その二人の会話の途中で、城門の一つが大きく打ち破られる轟音が響いた。
「おっシャア! 人間衝車ァ!!」
肩当てに大量の盾を鎖で縛り付けた梁魁が、怪力と巨躯を乗せたその状態で王宮深部へ続く城門の一つを真正面から粉砕したのだ。
「シャアア! 大将が更に道を切り開いたぞぉ!!」
「俺達も続くぞぉ…!?」
それに釣られて燕兵や
「ああ? 何だぁ―――?」
「ヴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
「―――あぁ!?」
梁魁がそれに釣られて奇妙な表情で振り返ったその直後、人間のものだが聞く者に人ではないと錯覚させる天災の轟音の如き咆哮が血飛沫の中で立ち上り、赤い雫が地に全て落ち切った所で姿が現された。
「「「「「ほ…龐煖だァアアアアアアアァアアアァアア!!!!」」」」」
その姿を秦と燕双方の兵が目にした次の瞬間、南の地で政敵の言葉によってある王が目指しているが疑問が滲み始めている道とは別の方法で人の救済を目指す求道者の名が驚愕と畏怖を宿した喚声で呼び上げられた。
ダンディ相国氏の回想に出てきた人物、果たしてどの某農業高校世界から流れ着いてきたオレッ娘なのでしょうか?(棒)
次回は、北の大地での覇権争い最終局面の激闘と、王都圏での物理的死闘が中心になる予定です。