○秦始皇9年(紀元前238年) 秦国北部 匩涼*1系領域内○
ジークリンデ改め捷璘を第十夫人として迎えてから数十日後、白漂は朔方城から北に離れた秦の新領たる外臣邦*2の一つへ安定化のための遠征に出ていた。
「「「「「ワアアアアアァ!!」」」」」
そして、今現在その地は
「白漂、今現在の状況はバトゥが率いる匩涼湶梓種*3の土地を、先の旧
「そうか河了貂、ならば横と背後に広がる山林をどう使うかが鍵になるな…」
その戦場の一角で白漂は仮説望楼の上から戦場を見渡しており、敵方が潜んでいる高所に位置する森を暫く見やった後、地図を取り出して線を弾き始める。
「信」
「おう、やっと仕事か」
地図上での線引きが終わると白漂はそれを懐刀に見せて軽い感じで説明し始める。
「紅華と庶徐を先導にして記載している幾つかの隊を付けるから、この地図の戦場に橋を架けていって、まず背後から斬り込んでいく隊らの斬りこみ役をしてあの岩場の低い端からこちらも雪崩れ込めるようにしてくるんだ」
「任せとけー」
説明が終わると信もまた軽い調子でその場を後にして早速動き出した。
「よし、バラントにバトゥ達の方もいつでもこの端から攻め上れるように準備をしておいて」
次に白漂は新しく入った形になる匩涼諸族の纏め役に付いた面子達にも呼びかけた。
「この戦中に低いとはいえあの森やそれに面する岩場の端に掛けられる所も、ましてや馬が通れるだけの橋を気付かれずに掛けられるとは普通は思えんが…既にその解決策を見出しているという表情ですな」
「まーねー、昔から色々悪知恵を交換し合ってる女友達の技術も大分混じってるので…まー、こっちも向こうが信達の動きにもっと気付けないように色々動きましょうか」
その白漂の言葉が吐かれていたのと同じ頃、秦の別の前線で戦の後処理を片手間でこなしながら、天文について研究をしている金髪の美しきある才女がクシャミをしたのは別の話である。
『!? お! あれを見ろ!』
『先の龍城事件でここ北の大地をぶっ壊しくさったアシェリートの倅だ!!』
白漂の指示が下されてから数分後、反秦勢力の一つが陣取っている岩場からの矢が届くか届かないかと言う地点へ、周囲を竜騎に守られながらも白漂が特に緊張していない様子で現れ、驚く敵に対してメガホン型拡声器を手にして口を開いた。
『あー初めましてー喧しいドレゲネがボンっとなった事で解放されて調子に乗ってる諸君、悪いこと言わずに今のうちに降伏してください。今のうちに降伏すれば今の組織は基本維持できながら農業など各種技術支援を通常より三割低い額で受けられて且つこれ以上死人や怪我人を出さずに済みます。断れば支援の代償は相場通りとなって死人や怪我人を出して且つ嫌なたくらみしずらいようにばらばらに解体されてそれぞれ遠く離れた地で人生再起動となります』
それは降伏勧告で、わかりやすく且つそれ以上に軽い調子のもので、それ故に反秦勢力である敵兵たちは困惑しながらも侮る気持ちも出て来た。
『ハア!? 舐めんじゃねえ!』
『先にこっちが出した条件以外に講和は有り得ねえ!』
『やっちまえぇ!』
そうして最初に罵り声が返され、続けて矢や投石が始まった。
「誰かー適当に飛んでくる石の一つを打ち返して、あそこにいる赤い羽根飾りを付けた見えている者達の中で一番偉いだろう男の頬に、切り傷を付ける事は出来るかい?」
「少々的は小さいがやってみましょう」
そうした矢や投石を白漂が味方と共に適当に躱したり捌いたりしていると、伍鬼が静かにほほ笑んだ表情で現れた。
「きゃー! あなたーがんばってー! それで今夜こそ私のお腹にも三人目の赤ちゃんを命中させてー!」
「ちょっと姉さん、今は仕事中」
「隊長やったれー!」
「隊長が勝つのに俺らは賭けてるんですよー!」
そんな伍鬼の背目掛けて鼎寧がアメリカン美女風で陽気な声援を送り、それをインテリアフリカ系な異母妹の理査が咎め、他にも田有達が私情塗れの応援をしだしたりしたが、伍鬼はさして動じる様子を見せずに適当な錘を構えて飛んでくる石を見やる。
「しっかり狙うのですぞー!」
「!?」
だが、伍鬼が振るう錘が飛んでくる石の一つを打ち返そうとしたその時、間近にいた杏譚が彼の利き腕付近の背を軽く叩いた。
「びぎゃあ!?」
その結果、石の一つは伍鬼の手で打ち返すことには成功したが、軌道がずれたのか赤い羽根飾りを付けた敵の指揮官の一人を頬に傷を付けるどころか、顔面にぶち当たって鼻を潰して歯の何本かを飛び散らせてしまう。
「あれま」
「………」
それを見た白漂は意外そうに目を丸くし、伍鬼は彼の背に何食わぬ顔で隠れた杏譚を静かにじっと睨む。
「あれ、これ賭けはどうなるんだ!?」
「命中したから伍鬼隊長の勝ちだろ!」
「いや、将軍の注文は頬にかすり傷を付けろってことだろ! あれはかすり傷どころじゃねえ!」
伍鬼隊の面々を中心に賭けていた者達は勝敗の解釈に口喧嘩をし始めた。
『た、隊長! 大丈夫ですかぁ!?』
『ぶ、ぶがぁ! 大丈夫なわけがあるかぁぁ! こちらからの石と矢をもっと増やして奴らを殺せぇぇええ!!』
『ハ、ハハァ!』
一方、頭の一人に痛恨な赤っ恥を決められた反秦派勢力の面々は激昂して攻撃を強めて来た。
「あっちゃー、思ってたのとは別の方向で躍起になり出したか…まーこれはこれで使い道あるけど…パクラー、ちょっと来てー」
「何でしょうか?」
「別方面に向かってる粛尤に派遣してもらった赤狼の一隊といっしょにこれこれで…」
それでさらに強まった矢や石の攻撃を適当にさばきつつ、白漂は新たな指示を各所に出していく。
「…あーまた、悪知恵を考え付いてそれを周りに感染させてる動きねあの避け方…」
数十分後、秦側から見て反秦勢力が立てこもる岩場砦を右側から見下ろせる山林地帯の中腹で、今も敵からの矢や雨を躱したり捌いたりしている白漂の姿に、紅華が如何わしいものを見る眼差しを望遠鏡無しで向けていた。
「…ちょっと待て紅華、お前の次に山や森の中だと馬鹿みたいに強い庶徐も薄く汗をかいて二番手に落ち込んでる。周りはお前の隊員含めて遅れてるぞ。四千人将になってて一人だけ先頭進むなんて危ない真似すんな」
ちなみに紅華が率いている面子には信達も含まれていて、彼らの隊の者達は追い付けてはいるものの息は上がっており、この中で息を切らしていないのは紅華隊の隊員位であった。
「わかってますよ信五千人将、ちゃんと庶徐と一緒に向こうから見て気付かれにくかったり、敵が少ない場所を選んで進んでますから。まー大まかな道筋は事前にあの人が山読みと森読みでが線引きしてくれたおかげで速く進めてるけど…あ、この辺りの枝や藪はいらないわね。えいえいえい」
この一団の中で紅華隊は林涼出身なのを生かしての、部隊行軍ルートの応急的な整備を行っており、今も隊長の紅華は細長い鉈に似た刀で邪魔な枝や茂みを小さな音の身を出しながら次々と伐採していっており、出た落ち葉や枝は大きなものは避けながらも小さいのは足もとのぬかるみなどに敷き詰めて後続が進みやすくしていた。
「…林涼は山や森の中を進んだり道をこしらえるのは上手いけど…その中でもあの姉ちゃんはそっちの技は今も育ち続けてるなぁ。これもあいつの影響か…」
少年期から趙軍の蹂躙を山林に隠れてやり過ごし、冬場は寒冷に加えてうっそうとした原生林や草原が多いこの時代の北の大地での戦いや生活が多くなっていた信から見ても、その速度は異常だったがもはや見慣れた光景だった。
「はい、そこ邪魔」
「!?」
ついでに、山林に潜んでいた見張りか待ち伏せで潜んでいた敵が、紅華が適当に投げた鉈状刀を投げつけられ、悲鳴を上げる間もなく脳天をかち割られて絶命するのも見慣れた光景である。
○秦始皇9年(紀元前238年) 秦国北部 匩涼系領域内 白漂軍野営地本陣 総大将ゲル○
紅華が深山の中を悠々と進んで信達を導いていた頃、白漂は夜の机仕事を終えて各所からの報告書に目を通していた。
(…前回の靖涼の変での影響で趙が北涼方面へ伸ばしていた諜報網は瓦解し、その後の各諸民族の紛争やそれに乗じて進出してきた
(自身もまた原因の一つである)北涼方面の目まぐるしい情勢変化を多方面から吸い上げられた情報で、現在の諸政策の進め方と今後の打つべき対策を思索していく。
「…庶徐ちゃんからの伝手で南方からも情報は入っているようですが、そこからも楚に亡命中の李牧派に目立った動きは、向こうにとって悪いもの以外には見受けられないようです」
施策に耽っている白漂の傍らには、今宵の傍での警備も兼ねた夜伽の相手も混じっており、今晩は出産を経て前線に復帰した王京の姿もあった。
白漂の妻達はコネも含めてスペックが高い美女ばかりで、それで耳も広くて速いので今では白家の閨は裏における情報部兼参謀集団みたいになっており、閨においてもこのような政情や軍略も絡んだ密談は普通になっている。
「…いや、今になって考えてみれば…失脚する前の李牧が余りに耳が良過ぎて動きもわかり辛すぎたのが大きい。普通に考えていきなり出て来た身で昭王期六将王騎将軍と燕の救国将軍劇辛の二人相手に圧勝したからって、合従軍なんて結成するだけでも困難な代物を運用までするなんて都合が良過ぎるー…。表舞台に出る前からよほど広範囲かつ深く情報網を持っていて且つ歴史が長い組織に属していたか、そこと伝手があったとみるのが一番可能性が………」
王京の言葉に白漂は今までは気付かなかった李牧の異常さも洗い始めるが、その視線は今宵の寝床を共にする別の女性に自然と止まった。
「…いや、確かに私は嘗て
嘗て人倫に背く扱いをされていたとはいえ、昔の母国の繋がりから何かしらの話を求められたその女性たる姫昭は困った表情を浮かべるが、そこで何か思いだした表情を浮かべる。
「…そう言えば秦へ来る前、彼らの軍議に参加していた時期…度々李牧氏は雁門から共にしてきた人達の大半からも隠して…、一部にしか会わせていない…例の墨字意匠の者達と密会をしていたと聞きます。ただー…その時の李牧氏は表情こそ普段通りですが…瞳にはあまり会いたくない身内に対する色が浮かんでいたと聞きますが…」
「それって誰の話?」
「私が西貴で将軍をしていた頃の副官をしてくれていた鋼仲が夜中に弓の手入れをしていた時、遠目にて人目を避けてその例の者達と会っていた李牧氏を見た時のことです」
「ああ、あの(こちらの世界での)中華十弓の一角を務めているあの爺さんか…そう言えばー、趙繋がりで思い出したんだけどー、あの靖涼の変で捕まったあの趙人達…涼魁さんに引き渡されてから今はどうしてるっけ?」
姫昭の話を聞いた白漂の意識は脇道にそれるが、それには別の女性が加わる。
「…あーー、燕にいる友人から聞いた話ですけど…今のあの人達はー…」
今宵の警備兼夜伽要因で白漂の側室の一人である譜孝が、微妙そうな苦笑いを浮かべながら解説していく。
○中華北東部 燕国外東方 暴倭海某海上○
「「「「「オオオオおオオオおおおおおおおおおロロロロロロ!!!!」」」」」」
譜孝の解説が始まった頃、その話の題材とされている燕の捕虜にされた趙人達が盛大に胃の中身をリバースして汚いコーラスを奏でていた。
今現在の彼らがいるのはある時間軸の後世ではある島国の名を冠した海で、遠洋漁業中の大型ジャンク船による船団であった。
「こらー! いつまで胃の中身を吐き出すのにどんだけ掛かっとんだ貴様ら-! 早くそのゲロで集まってきた連中を捕まえんかー!!」
そして、その船団を指揮する立場の一人が、彼らを白漂より受け取って実質只でこき使える社畜として酷使しまくっている梁魁である。
吐きまくっている趙人捕虜組と違い、彼は魚を捕えるための網や籠を次々と海に沈めたり、引き上げたりしていっていた。
「…そ、そのような事は言っても梁魁様ああぁぁ…この海…普段からその名の通り悪天候が多いのに…もうほとんど嵐みたいなもんじゃないっスかアアアァ…」
それとは対照的に碌な作業が出来ていない趙人捕虜組の一人傅抵は、捕まる前の軽くてチャラそうな雰囲気など微塵も感じられない、痩せて白くなった半死人の如き姿となっていたが、その彼の懇願に梁魁は止めを刺し始めていく
「馬鹿野郎が! こっちの提示した身代金にお前らの趙の身内がこんなの払えるかって抜かしやがったから早く払えるように一番の稼ぎ時に連れて来てやったんだろうが! ほれ! 周りを見てみろ!」
「…え? ま、周りって…何がーーーーーーー………!?」
梁魁の言葉に嫌な予感を覚えた趙人捕虜組の一人カイネが海上を見渡すと、嵐が強まる前は自分達の乗る船団以外にも多数見受けられた他の船が何時しか姿を消しており、それで彼女の身を走っている悪寒がますます強まっていく。
「大将に梁魁の旦那-! 残っていた他所の船も接近しつつある嵐の本体にビビってもう離れていってやす-!」
「お前の目論見通りだな梁魁!」
マストから降り注いでくる船員の叫びを受け、ある時間軸の後代では双子美女二組で計四人の父でもある、密漁を普通に行う某野球狂いな漁師とそっくりな船長が梁魁に振り向く。
「……りょ、梁魁様…ま、まさかとは思いますが…!?」
そのやり取りを見て、捕虜になった趙人達の頭で、頭髪が所々で薄れだして実年齢よりも更に老け込んできたあの銀髪の青年が、もはや死病に掛かった病人の如き表情で卑屈さを隠せない様子で問い掛けた。
「おう! もはや他の船が取れなくなった状態ならここの海を泳ぐ魚や貝に蟹や海老は儂らだけで全部分捕れるぞー! そうすりゃ荒稼ぎしてお前らの身代金も完済となって解放だーーーー!!」
(((((…ああ、なるほど…この世から解放ってことか…)))))
それに対する梁魁の悲壮感など全く感じさせない無茶苦茶すぎるその激励に、捕虜の趙人達の大半は最後に残っていた僅かな望みすら断ち切られた表情となった。
「そそそそそんな都合よくいくわねねーでしょ梁魁様ぁ!? ほらぁ! 二徹の旦那もなんか言って下せぇ!!」
一人だけ若い故に気力が他よりかは(雀の涙の差だが)残っていた傅抵が三下臭全開の声で必死の助命嘆願を二人にするが、今回は梁魁を凌ぐ権限を持つ、このジャンク船団の頭たる二徹には振り返られもせず、静かだが重い口調でこう言い返される。
「海の男が漁に出て船に空振りをさせるわけにはいかんだろうが!!」
「よう! さすがは大将!」
「……あ…」
その(創作物的な)海の男としての覚悟を宿らせた(ものだが趙人捕虜組には無情且つ無謀極まる)宣告の前に、傅抵は白目を見て甲板にビチャリと倒れるほかなかった。
○秦国北部 匩涼系領域内 白漂軍野営地本陣 総大将ゲル○
「…とまあ、しょっちゅうそのような感じでほぼ毎日に渡って海に駆り出されているようです…」
「…あーそう、まー…なぶり殺しか一生奴婢よりかはマシそうだね…自由になれる確率がある限りは…それ以上にこの世から解放される可能性が高そうだけど…」
燕国の東側に浮かぶその船団でそのようなやり取りが交わされて十数分後、譜孝から捕虜化趙人組のそのような現状について聞かされた白漂は、非常に微妙そうな表情で視線をそらしていた。
「…ちょ、直属の配下達が…そのような並みの戦場よりも酷な環境に置かれてるのを…李牧氏は知らないのですか? 知っているのなら解放への工作をしていないのですか…?」
譜孝のその報告に姫昭は引き攣った表情を浮かべていた。
「…そうだよなあ、軍略では切れすぎるけどそれ以上に身内を大事にしすぎる李牧が、連中の解放に向けた工作に関与している痕跡が見受けられないとなると…、したくてももう昔みたいに手を伸ばすことが出来なくなっているとみるべきか…?」
姫昭を始めとして何人かがシュール系ギャグを耳にして生じる微妙な空気に陥ろうとしている中、白漂はいち早くギャグパートから真面目な思索に戻ろうとしていた。
「…考えられる可能性としては、合従軍結成の時のような迅速かつ隠密な策動に活用していたその組織の協力がこれまでの失敗のせいで得られなくなって動けなくなったこと、合従軍失敗とそれに伴う
「もしくはその全部かそれ以外にも巻き込まれているかだろうか」
「…うーん、亡命以前からの失敗の連続で李牧がこれまでのような高度な情報戦が出来なくなったことで、その庇護者になっていた春申君の立場も弱くなった所で更に楚弱しと見た倭の侵攻激化で悪化した楚国政界の政争に巻き込まれて外部どころではなくなったか…」
薙鍛がその推測で敵にとって最も不都合な事態について触れると、白漂は深刻な表情で頭上を見上げる。
「…だがまー、そこまで都合のいい事態ってのはそんなにないだろうけど、何はともあれ向こうが動けないならその内に成果は太らせられるだけ太らせて固めていくだけだよねー。まーた東涼が恭順してくれたばかりでしっかりしなかった時みたいに引っ掻き回されたら困るしー。他の動きに対する警戒も緩めずにいながらー、咸陽込みで向こうのそうした内ゲバはこれからも支援してあげないとねー♬」
「…凄く下種そうな表情ですね…」
だが、白漂は直ぐに視線を降ろしてある時間軸の征服された某島国で絶対順守の力を手に入れた直後の某王子のような笑みを浮かばせ、それに姫昭は嫌な意味で慣れ親しんだものに対する乾いた笑みを浮かべた。
今回は久々の戦場の話と、最近見られていない人たちに視点を当てた話になりました。
次回は大人向けシーンを入れる予定です。