○秦始皇9年(紀元前238年) 秦国北部 新領地 某不安定地域○
「ほい」
「ぐふぅ!?」
裏の根回しも兼ねているのが珍しくなくなった夜伽の一つから1週間後、白漂は広まってまだ拡張中である秦北部へと再び出向き、戦に身を投じていた。
但し、ほとんどの戦は龍城攻防戦で白漂がやらかしたおかげで大勢力がほぼなくなったため、実質消化試合化していた。
現在、白漂軍の主な任務は新領土の治安回復と諸制度やインフラなどの整備となっていた。
「将軍、紅華隊も戻ってきました。橋の建設に必要な資材の流通路も安全が確保されています」
「ご苦労、僕達も今夜の野営地に戻ろうか。最初の作戦対象地で到着早々に交戦となったからね」
実際、今現在の白漂が身を投じていたその小さな戦も、そうしたインフラ整備に抵抗する小勢力の掃討が中心であった。
「…こうして見直すと、北の地は思ったよりも河川と水量が多いな。遊牧するのには不便そうだな…」
「移動する時期は主に渇水期で川底が浅くなったていたり、冬季の水面が凍って上を歩ける時期を選んでいたのですよ。そうした土地を早めに抑えた民族が大型化して長らく幅を利かせて来ましたけどね…。まー、貴方が龍城でそうしたのも含めてぶち壊しにしましたから…」
数分後、野営地に戻った白漂は紅華と共に乗馬を進め乍ら報告を聞いていた。
「でもさー、おかげで中原の大都市に住んでいる既得権益層のようなのが解体となって交通網の整備は進んでいるでしょ」
「まあ、そうですね、それで再編と復興を進めているやり口が狡いというか上手いというか…」
そこで紅華が苦言を呈しつつも見直した地図には、細かい違いはあるが再編と復興は秦領に近い南側から順に進んで行っていた。
まず、南の元から秦領であった地域からの延長と言う形で交通網の延長を行って人を雇い、それらで各地域を囲んで行って、次にそうして囲まれた地域へ人員や物資を投じて順次に秦本土化していくというものだった。
これは争乱が起きている地域から行くと各地を飛ばし飛ばしで転戦となり、そこが収まっても次の場所へ行っている間に周囲の不安定な地域から逃げ込んだ反抗勢力で再度不安低下していくのを防ぐためであった。
それに対し、南から従来の秦領から面している地域から順に解決していけば、生き残って逃げ出した反抗派は付け入る隙の無い南側の秦領に逃げるのは出来ないため、より環境がきつい北の方へ逃げていくしかないのだ。
無論、遠方から早めに恭順を表明した勢力にはこちら側が着くまでの間に潰れない程度に人や物を融通したりはしていた。
「…そうした政策で要になるのは道の整備や橋といった建設なんだから、私達へのお勤めをこなしつつも、その子達へのご褒美も頑張って捻り出してね♪ そのご実家とかからの更なる協力が必要ですので♬」
「…モチロンデスヨー…」
その政策で活躍している同朋達に謝意を抱きつつ、その扱いにも触れて紅華は綺麗な笑顔(但し、見える者には見える複雑そうな黒いオーラ付きで)を夫に向けさせ、その同意を(棒読みで)取り付けた。
○中華南部 楚国北部 王都郢(旧名寿春)○
「…そうか、相変わらず北は秦が…チ…」
その秦の景気の良さはそこから反対に位置する南方にも伝わっており、そこで政治の大権を握る春伸君は詰まらなさそうな顔で舌打ちしていた。
「…それで北で失敗して側仕えの
「はい、机仕事はしていますけどそれも必要量以上はしないままで…」
「…チ…無駄飯食いになってもなまじ過去がデカすぎるから下手に叩きだすことも出来ん…」
私室で酒を飲んでいた春伸君の側には例の墨字意匠の者達が控えていた。
「…そろそろ、形はどうあれあの方には再度立ち直ってもらわないといけませんなぁ…」
「自分の女一人捕まった程度で倭人の言う”ニート”同然になった奴を立ち直らせるには相当なてこ入れがいるぞ」
「…なあに、側近一人失ってあそこまで落ち込むなら…“身内”との再会となれば立ち直るきっかけになるかと…。特にー…
「…そう言えば趙へ正式に流れるまではあいつもお前達に属していたな」
その墨字意匠の者達は春伸君と何かを打ち合わせると、再び影に溶けて同化したように姿を消した。
○秦国北部 新領地 某不安定地域○
「…へっきし! ん…なーんか最近はー風邪でもないのにクシャミが多いなー…」
白漂が妻に裏の根回しで発破を掛けられてから数時間後にして、春伸君が墨字意匠の者達と共に原作と呼ばれる時間軸では難敵扱いだったある人物のてこ入れのために動こうとしていた頃、康熙はその内の前者が駐屯中の北の某所で鼻水を拭いていた。
「…上手く抜けられたから前々や向こうにいた頃みたいに毒見役の人がいないと自由に食べれない頃と違って、好きなのを買い食い出来るから本当に自由っていいわーって思ったけど…あんまあれこれ食べ過ぎて不摂生なって体弱ってきたのかなー…ハグ♪」
その理由について康熙は考えたりもするが、口にした仮説に触れる行為を止める様子には無かった。
(…でもー、あそこで宴会が無期延期という名の実質中止になったのは本当に痛かったなー。あー…前々世で
口元に付いた食べ残しを拭きつつ康熙は今後の予定について考えていたが、そこで自身がいる山中で別の気配を感じると、その普段は明瞭だが間が抜けた感じのする瞳から光が消えて、代わりに闇を帯びて双眸が細まった。
「…本格的に売り込みだすきっかけには良さそうかも…」
そう言い残して康熙が背負っていた背嚢から中身を取り出すと、それは別時間軸の19世紀における前装式ライフル銃に酷似した銃器だった。
「…きひひひひ、国境での検問こそ糞みたいに難しいもんだが…それさえ越えりゃあこっちのもんだぜ…」
康熙が静かだが剣吞とした雰囲気で動き出した頃、彼女がいる山地にいながらも別の個所である男が弓の弦を調整していた。
(…今まで何十人と挑んできたがそのいずれも失敗して死んだか行方不明になったという例の秦将か…。その首を上げりゃあ裏での俺の名が挙がって且つ仕事の依頼が更に増えるが…さあ、とりあえず…似顔絵と比べてどんな感じか見てみるか…)
男は常人なら豆粒ほどにも見えない距離の先にあるその
「…だーから! ここにある石材の性質を考慮すると橋の支柱はその形じゃ長持ちしないんだっつーの!!」
「だからってこんな一寸の十分の一なんて精密さを求められる部品の製作も含めた橋なんてここの人達が直ぐ身に着けられるわけないでしょ!!」
そして、男が視線を向けている先にある秦軍の駐屯地では、白漂がセレーナたち技術者らと工事を巡って意見衝突を繰り返していた。
「…えーーっと、これ…いつまで続くんでしょう…?」
「少なくとも目の前の喧嘩…ではなくて話し合いが終わるまでは待機ですね」
ちなみに、その様子は橋の建設現場に仕事を求めてきた流民達の前で遠慮なく繰り広げられ、杏橋はそれを
「…おい、それじゃー俺らぁいつまで待ちゃあいいんだよ?」
労働者の多くがどう反応すればいいのかわからず戸惑っている中で、一人だけ少しずつだがイライラしだしている表情を見せているのがレキシントンだった。
喧嘩っ早いレキシントンは戦が無い間は、その暴力が喧嘩などを悲惨な場面に変えるのを防ぐためにこうした土建の場に送られるのが多かった(本人も体を動かすのが好きなので文句は言わなかった。むしろ岩とかを石材にするための作業は好きだった)。
だが、その作業は目前の口論でいつ始まるかわからない状態になっており、レキシントンはいつまでも振るわれる機会に預かれそうにない鉄槌を握る腕が、地震前のようにカタカタと震えだしていた。
「…だーから! その製法じゃー橋は衝撃に脆くなるんだよ! 例えばこんな風にさーーー!!」
その最中に、彼女の存在に気づいていない白漂の手が鉄製のヤカンを建設中の橋の支柱の一本目掛けて高速で投げつけた。
「!?」
そして、その進路上の中間に立っていたレキシントンは、その高速で飛んできたヤカンを思わず反射で鉄槌によって打ち返した。
「ぬお!?」
白漂は寸前のところで気付くと瞬時に鞘を取り出し、打ち返すのは無理と判断して斜めに受けてヤカンの軌道を逸らして他所の方向へ豪速を逃がした。
「ッぬぁ!?」
喧嘩を生温かく見守っていた紅華は、鼻の先をかすめる程度ですんだがそれでも豪速ヤカンに至近を通り抜けられた衝撃と恐怖で思わず竦み上がった。
そして、ヤカンは向かう先から飛んできたどっかからの矢を正面から粉砕すると、周囲の山地の一角へ飛び去って行った。
「……え、な、何が起きたんだ…いっばぁ!?」
一方その頃、秦軍駐屯地を見下ろせる山地の一角で弓矢を放った後の姿をした例の男が戸惑いの表情を見せたが、それはレキシントンが打ち返して白漂が軌道を曲げたヤカンによって脳髄諸と悲鳴に変えられた。
「…え、な、何あれ…? 何か…向こうで投げられたヤカンが打ち返されて…それで…投げた本人に物凄い勢いで向かって来たけど鞘で軌道を逸らされて…そんで、今さっき彼を射殺そうとして放たれた矢を撃ち落としたかと思ったら…、あっちの山でその矢を撃ち放った刺客みたいなのをやっちゃった…??」
その様子を近くの小山より盗み見ていた康熙は、何が起きたのかをその視力及び聡明さで瞬く間に理解しつつも、現実におけるそのあり得なさで目を丸くしていた。
○秦国北部 新領地 某不安定地域 白漂軍駐屯地 秘密区域○
康熙が目を丸くしてから数時間後、夜に入ったばかりの時間帯にて、周囲が闇に包まれている箇所の一角で灯が僅かに漏れ出ている場所があった。
白漂軍は秦国の技術開発にも深くかかわっているので、その陣地には部外者の立ち入りが厳しく制限されている箇所が存在する。
「……アーーー、疲れたーーーー。昼間に平時の一か月分くらい喉を動かしたから疲れたーー」
今現在、そうした箇所の一つに向けて白漂が人目を避けつつも全然そうは見えない、けれども周囲には何故か全く気付かれていない様子で歩を進めていた。
昼間にこの地におけるインフラ向上のための橋の建設にて、セレーナたち技術者たちと取っ組み合いも何度か生じた口論を生じさせ、それから数時間後の夕方にはどうにか案を調整させられたものの、機嫌を損ねた彼女達に土建で手を抜かれないように夜の根回しをした後だった。
大きく肩を落とした白漂は、
「いやねえ、そっちからしたら人目避けて休めるかもしれないけどさ、こっちとしては君に釣られて面倒事が来る可能性が高まりそうだから来ないでくんない?」
「そんな態度しないでもいいじゃん。前の人生からの仲なんだしさぁ」
その区域に辿り着いた白漂が適当な木箱に腰を下そうとしたその時、嫌そうな声音でそれを咎める存在が現れた。
「…ァアアアアアア…」
今にも絶命しそうなか細い悲鳴が漏れ出ている小屋を背景に現れたその存在は、こうした区域に宿営することが多い西遼の長である壄瑮であった。
「前の人生からの付き合いつっても時間上は後代のくせして人権なんぞこの時代以上にガン無視な研究所だったでしょうが。ほれ、いつも通り君の体を色々調べるからまずはこれを飲んで」
壄瑮はぶっきらぼうに小袋を白漂に渡すが、その中身は黒く艶のある表面をした丸薬であった。
「…今でもアホみたいな言動や行動のわりに荒事にもアホみたいに頭が切れて強いってのに…前の時の研究所での仕事の時に少しでも戻れるのか、そもそも今の自分の体がどうなってるのか調べろだなんてさー…」
「…気にかかるんだよ。返り討ちにし続けて入るけど他と比べてアホみたいに多い刺客や間者の数を考えるとさ…試しに一つガリッ……」
その丸薬の一つを白漂は躊躇いなく飲み込むが、かみ砕いて飲み込んでから少々立つと、目に見える形で変化が起きる。
「…では、少し…どれくらい前の身体に近づけられているか…調べてみる…」
そう言い終えた時の白漂は、何故か髪が退色して黒に近い灰色に変わって、瞳が業火で生じた煙に燻ぶられた夜のように得体の知れない色のように見えたが、それが真か錯覚か判断される前に瞼が閉じてパタリと倒れた。
(…前の彼は当時としては最新魔術に基づくホムンクルス技術と遺伝子操作技術で生まれた私達の中で…特に隔絶した性能を持つ“数字持ち”でも五位以内を争う実験体だった…。その時は人間味の薄さを冷徹さと能力差で補って周りの普通の実験体を恐れで努力させて引き揚げさせるというやり方だった。だが、今の白漂は非凡ではあるが所々で抜けが目立って、本人には魅せられつつもそうした点に不安を覚えた周りがその穴を埋めようと努力することによって全体として引き立て合って組織向上に繋がってきた。だが、長くその相互互換的競合体制でやってきた所で、もしも前の生のような畏怖式管理体制に戻りでもしたらどうなるか…)
その白漂を背負った時、壄瑮は風に揺れる覆面からかすかに見える黄金の瞳を細めて憂いの色を見せた。
(…まー、私に如何にかできる問題じゃまだないしー…というか魔術抜きで再現できる所まで再現してくれだなんて無茶ぶりの結果がどうなるかだなんて私にもまだわからんし)
だが、数秒でその憂いを壄瑮はあっさりと斬り捨てて、悲鳴が聞こえていたのとは別の小屋に白漂を連れ込んだ。
次回は、今回描かれなかった濡れ場の分も込めて、某海賊漫画原作アニメでよりモブとは思えないキャラを見せていた某ビーストパイレーツの子達を描く予定です。