○秦始皇9年(紀元前238年) 秦国中央部 王都咸陽 王宮○
「肉料理はこれくらいでいいの!?」
「魚料理は北涼のテングリ湖から生きたまま送られてきたものの中で最上級を捌いて寄生虫殺虫も兼ねた特上タレに付けてから!」
「水菓子とか菓子類も最上級のものをー!」
北涼ルートから突然の斉王訪秦という異常事態に秦の王宮は再建工事の時以上の喧噪を混乱で示しており、そこには上下の差もなかった。
「斉王は何処にいる!?」
「方紀殿に置いて今は大急ぎで準備をしているのですが―――!?」
その中には嬴政と昌文君の姿もあってその足で彼方此方を走り回っていた。
「おい、次にあそこに見える白い石造りの望楼みたいなのは何だ?」
「はい、あちらに言えますのは西方から移住してきたヘレネス人の雷神を祭る神殿でー…」
「ヒョッヒョ」
「!?」
「―――ぁぐは!?」
だが、その足は外の廊下で普通に観光している斉王とそれの観光案内人をいつもの調子でやっている白漂、その付き添いをしている蔡沢の姿に急ブレーキを掛けられ、昌平君に至っては勢いを抑えきれずにぶっ倒れて悲鳴を上げてしまう。
「…ぐ…グオオオオオオオオ!?」
「ご到着しました。牛の舌の塩焼きです」
それで昌平君は悶絶して震えている間も、斉王の傍に料理と机や椅子の準備が緊張しながらも進められていっていた。
「蔡沢と白漂からここで秦の美食や珍品を用意させるように言っておる。あまり驚かずともよい。そういうわけじゃからここで食べながら話をするぞ秦王よ。秦の国と王を直に見て感じ取るならここくらいがちょうどよい」
「! わかった」
「だ、大王様!?」
そして、同じテーブルの席に座る東西二大国の王の行動に昌文君は痛みを忘れて立ち直った。
「ならば始めるぞ。席は三席しかない故に儂らと蔡沢を除いて他は観客席に移るか席を外せ。給仕もそこに紛れておる
「卑小なるこの身にそのような寛容さ、ありがとうございます」
「!? 我々には席をはずせと!?」
「いやいや、儂はただの橋渡し役故にこちらの端の席で見守るとしましょう。昌文君がこっちの三番目の席に座るがよい。悪いが昌平君は一時下がるように」
「それでは僕は周りに不埒者が近づかないように警備に戻りましょ―――」
「おい、逃げずにお前さんもそこのお嬢さんや姫さんと一緒にこっちじゃこっち」
「―――おって…あ、はい…失礼しました…」
(!? 何故…儂の方が!?)
「…その、私は…」
「ここまで変装してまで来ておいて真っ当ぶるな。ここまで来たからにはそこにその者らと同席して最後まで見ておれ」
「は、はい…」
そして、斉王からの見届け人任命に、この場には本来参加出来る身の上でないはずなのに誘われてそれを疑問に何故か感じさせない康熙、食事は辞退して同じく外れの席に座る蔡沢、さり気なくこの場を後にしようとするが敢え無く捕まった白漂、戸惑う昌文君、正体を隠していたが呆気なく見破られた田共召が各々の指定された席に座ると、遂に東西二大国の王二人による会談が始まった。
「…さてと、では改めて名乗ろう。第八代斉国王田建である」
「!?」
(うわ、初めて目にした海で海坊主が海面をいきなり突き破って現れたようなそこのしれない大きなプレッシャー!! これが楽毅合従軍で荒廃した斉を立て直したという斉王のオーラか…)
そして、その口火を切った斉王の大いなる威厳に昌文君は思わず仰け反り、白漂は目を丸くした。
「こちらは第31代秦王嬴政である」
(ぬおおお!? 今度は大王様から熱風の如き熱くも猛烈な覇気が…!!)
内心の動揺に比例して椅子ごと傾きそうな昌文君を気に掛けず、二人の王は会談を続けていく。
「…蔡沢が言っておった以上に綺麗な面貌をしていて猛々しいな…。あの時、合従が秦を滅ぼしてその死肉を分け合った後の汚濁を想像して寒気が生じた故に抜けたが…、あれを抜けて今日ここまで来た甲斐があった」
「その点については内心は別として秦王としてありがたく思う。貴国が合従を抜けてその背後を脅かさねば秦はあの時に終わっていた」
「…ああ、だが今回の問題は、それで救われたお前たちが今度はその六国を滅ぼして全てを手に入れようという汚濁を露わにしている事だ」
「! 父上…それは…」
そして、父の口から出た敬愛する夫の理想とそれへの非難に、田共召が思わず口を動かすがそこから先の言葉を上手く紡ぐ事が出来なかった。
嬴政の理想とそれに至るまでの経緯、それで生じた覚悟を心身で知らされた身としてそれが否定されることへの反発があるが、如何せんその理想の果てにあるのが母国の滅亡も含まれていること、そして、そこの今の王が今この場で非難の声を上げた父であるという矛盾が彼女を苛んでいる事は想像に難くはない。
その娘の沈黙に気付かない筈がないが、田建は彼女が見る前で冷徹な糾弾を続けていく。
「そもそも中華統一などが空論だ」
「…斉王よ、中華統一を汚濁や空論と断じるならば…それは嘗て百あった国々の大半を組み込んで広がった今の戦国七雄を否定する事だぞ」
「そう言うならば、今この場でそうではない事を証明してみせろ。嘗て蔡沢もいた呂不韋との討議の場で口にした…“人が人を殺さぬことを真に当然とする次の世”を中華統一の先に見えているならば」
「……………」
「正直なところ、お前の理想を蔡沢から聞いた時…確かに胸に来るものがあり、それは今この場でお前を目にしたことで重みは増している」
「……………」
「…故に秦王よ、その理想によって母国を滅ぼされて突然秦人にならされた六国の人間達の苦しみにはどう向き合うのだ?」
「「「「「!!」」」」」
そして、他に集っているその者達に、田建が口にしたその現実に置いていきあたるその道程が大きく立ちはだかる。
「…お前とて王ならば国とは一朝一夕で出来上がるものではない事は実感していよう。国とは…最初に打ち立てた者達が現実における最良と信ずる契約の元で始め、そこへ利害、風土、人の感情…それらを織りなしていきながら続いていった先人たちの積み重ねで生じていき、今を生きる我らの為に残され、今の我らが入り継いでいき、子や孫の代へと残すための大地だ。それが別の大地によって飲み込まれれば、必ずその大地に根を張れず取り残されて歪んで腐り、それを広げていってしまう者達が生じる。それを解決せずに中華統一をやろうとすれば…必ず全体を腐らせて朽ち果てさせる大きな澱みになる」
「で、ですからその時は秦がその者達をも受け止められる大地に!」
その懸念を田建が更に事細かに突きつけようとしていく途中で昌文君が抗うが、田建は冷酷さも宿した瞳で言葉を続ける。
「秦人になるのを受け入れられぬものはどうする? 国を潰すのに用いた力で従わせるか? それすら受け入れられぬものは武で根こそぎ刈り取り滅すしかあるまい。だが、それを中華中でやれば器ばかり大きくなってその中には満たすべき人の少ない…汚濁にも勝る“虚無”が目立つ空っぽな国しか残るまい」
「………」
「秦王よ、中華統一が汚濁や虚無に繋がらぬ、空論ではない道だと言うならば、その滅ぼされる六国に含まれるこの斉王にそれを証明できる答があろうな? もしも…それが用意できないままでの六国征服などと言うならば…李牧辺りを再び担ぎ上げて再度の合従軍で今度こそ秦を滅ぼさねばならなくなるぞ」
「んな!?」
(冗談じゃない…この王様…それを実行できる力がある…だけど…)
その田建が突きつけた最後通告に昌文君は顔を引きつらせるが、白漂は緊張こそ感じても恐れは抱いてはいなかった。
何故ならば、彼はその斉王と対峙している友より既にその問いへの答えを明かされている身であったからだ。
「それは杞憂だ斉王、既に解決策はある!」
「! ほう…亡国の民を救う答えか…虚勢ではなさそうだが…聞かせて貰おうか」
それに裏打ちされた若い覇気と怜悧さに裏打ちされた嬴政の言葉に、田建は興味を強め手続きを催促する。
「…まず斉王の言うとおり、国とはそこで生きる人々がよりよく生きるために見出した契約が繋がって広がり、積み重なって出来る人々のための器だ。それを“従来の征服戦争”で破壊すれば破壊された側に残るのは、“喪失感”と“屈辱感”と“恐怖心”…何よりそれらに後押しされて生じる社会の急変による“混乱”だ」
「「「「「………」」」」」
「故にそれらを取り除くためには、これが
「「!!」」
「「「!?」」」
だが、それに対する嬴政の答えは初めからこれまでの中華の政治、さらに言えばその根底にある文化そのものに踏み込むものであることを気配で白漂と康熙は感じ取り、同じ気配を感じつつもそこまで理解が及んでいない昌文君と蔡沢に田共召は未知なるものへの恐れに近いがその先を知りたいという高揚にも襲われる。
「…ほう、その言い方だと中華統一後の支配者の位置には元からの秦人が据わるわけではないように聞こえる…だが、興味深いがそれ以上にそのようなもの空論だ。同じ国でも異なる言語や文化に信仰が同居する地であるこの中華で、統一的かつ強力な支配力を持った支配者なくして統一を維持するなど空論だ」
「その通りだ。だが、それを今までの王とその側近というように閉鎖的かつ固定的な一部の集団だけで決めて民はただそれを受け入れるだけというようにすれば、これまで起きてきた暗君や差別による弊害をより広範囲かつ複雑に広げるだけになろう。だから、国の政体と人々の意識を変えねばならない。そして、それを成すのは“王”であってはならない!!」
「「「!?」」」
故に、その嬴政の自らの否定にも繋がりかねない言葉に、田建や昌文君と蔡沢に田共召は目を見開いた。
「王ではないなら何だ?」
それに対して田建が厳しさと興味の同居した眼光を強めるが、嬴政は臆さずに答えを述べる。
「“全国民の合意に基づく法”だ」
「「「!!」」」
「「「!!??」」」
嬴政が出したその答えは白漂とそれにどこか近しい雰囲気を持つ康熙に懐かしさに似た共鳴を、現実における利と理の双方に鋭い田建からより強い興味を、その他からは想像の範疇の上を行かれた驚愕を引き出させた。
「今まで一部の為政者とその利害だけに基づくのではなく、従来の秦人と嘗ての六国人全てに共通且つ最大限の力を持たせた“法”をまず施行し、その上で今まで政体の施行と変革に必要な情報をそれまでの旧支配者だけに留めて濁らせていくのではく、“全国民”という開かれた世界へ解き放つ!!」
「「「「「「………………」」」」」」
そして、それらは沈黙に代わって嬴政の説く新時代への道程へより意識を傾聴させていった。
「そうして広まった“知”で目覚めた全国民より現れる者達とともに王のためだけでなく全国民のための法を基準に、秦人もかつての六国も王侯も平民も関係なく等しく得た権利を行使して平和と享受して責任をもって維持し次世代へつなげてゆく新社会を構築する!!」
「「「「「「………………」」」」」」
「斉王よ! 五百年の争乱の後に続く時代は…全国民が“平等”と“権利”を得てそれを共に分かち合い守ることで到来する…“法の支配に基づく国民国家”だ!!」
「「「「「「!!!!!!!!!!」」」」」
それは、別時間軸における嬴政がそれまでの延長に基づいて定めただろう中華世界の政体と根本的に異なる、改革ではなく“革命”とすら呼べるもので、既にその例の中で生きている記憶のあるものもそうでないものも関係なく引き寄せられた。
「…東西南北にわたって出自に関係なく、法に基づく国民国家…まだ大雑把だが…今までのこの中華にはない…新たで悪くはないだろう器だ…。たとえ…その社会で王がもはや無用と断じられる可能性があるとしても…」
「それもまた小事だ」
「! だ、大王様…!」
しまいには昌文君が気づかぬうちに涙を流したところで、田建が今の自分たちの立場にも拘わる可能性にも追及するが、嬴政は毅然とした在り方を崩さなかった。
「…蔡沢の口車に乗ってみてはるばるこの西端の地まで来たが…
「…!?」
田建は本来の時間軸と同じような感嘆へ浸っているように見えるが、田共召は肉親ゆえの共感からそれにはなかった違和感を覚えて戸惑う。
(…この感じ、あの王様…このままこっちに良いだけの感じで終わらせるってわけじゃなさそうだ…!?)
「……………」
それには白漂も気づいていたが、同時に隣の席に座る康熙の瞳が冷酷さすら感じさせる深い澄みを出した瞳で二人の王を見比べていることにも気付く。
「…故に秦王よ、お前のその目指す理想には、
「「「「!?」」」」
そして、田建が再び合従軍結成の可能性を口にした時と同じ、嵐を伴った海のような大きな威圧感を露わにして一同を強張らせる。
「「…………」」
それとは異なる反応を見せているのは、周りのほとんどには気づかれずに冷酷な光を宿した眼光を添えた微笑で不遜にも二人の王を品定めしているように見える康熙と、それとその理由に気付いて能面ながら深海の底まで見通しているような瞳を浮かべた白漂だけであった。
原作とは違って、ただ秦側に都合がいいだけの方向には終わらなかった斉王様が口にした、欠けているものとは果たしてなんでしょうか…?
次回にて明かされるので、その話もお読みして確かめていただけると幸いです。