○秦始皇9年(紀元前238年) 秦国中央部 王都咸陽 王宮○
「…故に秦王よ、お前のその目指す理想には、
「「「「!?」」」」
斉王田建が口にしたその言葉に、感嘆でシンクロしていた秦側の面子の多くが再び緊張で身を締め付けられた。
「「…………」」
その様子を冷酷な光を宿した眼光を添えた微笑で見守る康熙と、その彼女を警戒しつつも会見の場も注視する白漂が静かなまま見守り、秦王嬴政が強張りを隠せない中で、田建は威圧感を緩めて諭す雰囲気で言葉を再開した。
「…今からおおよそ半世紀前…、当時の斉は“東帝”と畏れ謳われるまでの強盛を誇っておった。だが…知っての通りその恨みで誕生した楽毅の合従軍に敗れ、“即墨”と籠城中の中で儂が生まれた“莒”の二城だけになるまで追い詰められ、合従軍こそ退けられたが本土を除いて領域は失い、復興した今でこそ東の盛国として一目置かれておるが、もはや中華の覇権など望めん位置にある…」
それは自国の繁栄とそれからの没落を中心とした自嘲や自虐の混じるもので、幼少期から戦後の復興のために血反吐を吐く思いを何度もして今の状態まで持ち直させた男の哀愁が漂っていた。
「…秦王よ、本当の意味で国を破壊しつくされたことのないお前達はまだ知らぬ。この乱世でも恨みと憎しみによる悪名を一身に集め背負って生きる事は言外の苦しみよ」
「「…………」」
だが、その乱世の辛苦の最底辺を味わったものの出せる負の圧力に、それを直に浴びせられている嬴政と昌文君は冷や汗を隠せない表情になる。
「おい、そこの白起の孫よ。何か言いたそうな顔であるな。遠慮せずに述べるがよい」
「(ここで僕に振るのかよ!?)…あ、はい…それって…色々難しい話ありますけど…ざっくり言ってー…
「「「「!!!???」」」」
白漂は内心で引きつりつつ、いつもの抜けた感じだけどこの場では不敬感を否めない態度で自身の意見を述べるが、その内容が秦側面子の多くには矛盾しているように聞こえて不敬感どころではなかった。
「…お、おい! お前の立場で何を言ってお―――!?」
「その通りよ」
「―――おってなぁ!?」
今まで秦による中華武力統一事業で大きく貢献しながらそれを全否定しかねない発言をした白漂に、いち早く昌文君が言葉を取り戻して問い詰めようとするも、ニンマリとした表情の田建によってそれは遮られた。
「秦王よ、その法を基準とした国民国家実現のためにお前は破壊者にも侵略者にもなってはならぬ。かつての周武王の様に反対派が抗えない万民の朗らかな支持を受けての先導者にお前がならねば実現せん」
「!?」
そして、その同じ矛盾をはらんだ言葉を向けられた嬴政はこの会見では始めて田建に動揺を隠せなくなる。
「秦王よ、お前達が国を潰して統一するとなるとそれは後に続く者たちのうち必ず野心あるものにとって利用できる口実となる。秦が国を滅ぼして統一するのが是ならば、それを滅ぼして統一を奪うのにも文句はつけられん。ましてや六国を攻め滅ぼして恨み辛みが温まったままの時期ならば、法が固まらんうちにそれを集めて奪いにかかるなどたやすいことよ」
「で、ですからそうならないように秦が滅ぼした旧各国からも人材を収集して普遍的な法の支配を…!」
「それを逆手にとって秦に叛意を持つものが中枢に紛れ込まれて乗っ取られればどうする? 単純に秦が他の六国を征服すれば治めるべき対象が従来の単純に七倍になる。その分を早急に補う必要があろうが必ず混じってくるぞ。そこに恨みつらみもつながれば直ぐに大きな内憂の芽となろう」
「「「………………」」」
続けざまに田建が口にしたその最悪の、されどもほぼ確実に出てくるだろう可能性に秦側の多くが重い沈黙に陥る。
「おい、そこの白起の孫よ。また何か言いたそうなことがありそうな顔をしておるから遠慮せず言うがよい」
(だからなんで僕に振るんだよ!? 誰かに打ち合わせでもされて…まさか―――!?)
「……(ふ♪)」
その秦側に微妙な空気になるたびに意見を振られる状況に白漂は胃痛が強まっていくが、隣に座る康熙の慣れ親しみつつも小馬鹿にもしているような無言な笑みに気付く。
「(…あとで会談になったら徹底的に問い詰めてやる…)それはつまり、秦には侵略者ではなく…
「!?」
「!!」
それを恨みつつも白漂は表に出さずに、先ほどの軽い感じとは違って重い口調でそう言い放つと、昌文君は初めどういう意味か理解が追い付けなかったが、逆に嬴政は霧中の中で迷っていたところで光を見つけた表情になった。
「その通り」
「…斉王、つまり…直接に六国を滅ぼすのはそのうちの一国か…別にやらせろということか?」
「!?」
その契機となった白漂の問いを田建が肯定し、嬴政がより踏み込むとまだ追い付けていない昌文君の視線が二人の王の間で行き来し始める。
「わかったようだな。恨み辛みが理想実現の妨げになるならば…それは他に押し付ければよいというだけの話よ。のう白起の孫よ」
田建はそれに構わずに、中華統一について問いかけた時と同じ笑みを浮かべつつも重い威圧感を添えて再び白漂に向き直る。
「…具体的に言いますとー、一番目に秦は六国を攻めつつも完全には滅ぼさずにけれども立ち直ることもできない生かさず殺さずな攻め方をしてー、二番目にそうして得た領土で秦のこれから目指す統治下の方がよさそうだなーって感じを中華中の人民に広げつつ固めていってー、三番目にその時の恨みは秦ではなくその侵攻を止められなかったよそのお偉いさんに向くようにしてー、最後で一番肝心なのがー…実際に滅ぼす側は秦ではなくその六国のいずれか他所にさせてーそれが滅ぼしつつも恨みも集めて疲弊しきったところで解放軍みたいな形で乗り込んでそれ倒して全部いいとこどりしろとー??」
「大正解よ」
「んがぁ!!??」
それでいつもの調子に戻った白漂がより細かく田建の言いたそうな提言の内容を推測して言うと、同じくいつも通り蛇の姿焼きを口から覗かせる癖が強い様子に戻った本人にあっさり了承され、昌文君はついていけずとうとう椅子ごと倒れた。
「…とまあ、この四つの過程を成した時にこそ…お前が描く中華全土を対象とした国民国家構想は現実の結果となるであろうな」
そうして後頭部を打ち付けて苦しむ昌文君を一瞥した後、田建は再び重い威圧感を伴って、汗を隠せなくなっている嬴政に向き直った。
「何じゃ? 黙するなど臆したか…?」
「…いや…逆だ…」
「だ、大王様…!?」
昌文君が痛みも収まって席へ戻ったころには、嬴政は汗をかきつつも口元にむしろ笑みを浮かべて口が再び動き始める。
「…今まで大きな光が見えてそれを追おうとしてもひどい霧の中でそこへ続く道が見えずに手探りで少しずつでしか進めなかったところで…、霧が晴れて道筋がはっきりと見えてきたようだ…」
「大王様…」
「だが…斉王よそれは外道すぎる! よく出来た戦略だがそれは明らかに貴国も犠牲とされる道なのはわかっているはずだ! しかもそれを実の子の前で言い放つなど! 何より反対派が抗えない万民の朗らかな支持を受ける先導者として成せと言いながら矛盾の極みだ!!」
「…うむ、だからのう、その時の秦王がその矛盾に耐え切れずに瞳から今の光が失われて濁りだしたり、そこにおる馬鹿娘すらも御せずに頓挫されたりでもすれば、そうなったときに選ばれるだろう六国直接制覇とその後の地獄を斉は死力を尽くして阻止に移るとしようかのう」
「「「「………」」」」
再び蛇の頭を口から覗かせるいつもの癖の強い様子が戻った田建に、嬴政は問い詰めるがそれに対する彼の答えに周囲と同じく沈黙に陥る。
「…とはいってもこれは早急な結論が求められるが一朝一夕でも決められん。儂も国がある以上はそこまで長居出来んがこの問題の答えは見るまでは留まる必要はある。おい、馬鹿娘」
「!? は、はい!?」
その様子に品定めする目つきに変わった田建に思わず呼びかけられ、田共召は動揺を隠せない声で返してしまう。
「多分、秦王がこれへの答えを出すまでは短くても一月くらいは係るだろうから、その間ここでの時間つぶしの観光の案内はよろしく頼むぞ」
「…はい??」
そして、今度はその思わぬ父からの命令に田共召は声が間抜けなものとなってしまう。
「それと口約束だが秦王の答え次第では斉秦同盟を結ぶがお前さんの働きに関わってくるから気を引き締めつつも硬すぎになったりしないように気をつけよ」
「はいぃ!?」
最後に、自身の肩に両国の命運をいきなり吹っ掛けてくるその命令で田共召は返事をしつつも悲鳴じみたものとなってしばらく開いた顎が戻らなくなってしまう。
「それからまだ答えは聞けてないからそっちも何とかして終わりを先延ばしにしておけ」
「ヒョ…」
次に話を向けられた蔡沢の胃のあたりを痛そうに撫でながらの微妙な笑みという、原作と呼ばれる時間軸と違って本日の秦斉両王会談は微妙な感じでひとまず終了となった。
○秦国中央部 王都咸陽 右丞相府○
「…とまあ、そういう感じで本日の斉王陛下との会談は終わったわけでしてー…」
嬴政と田建の会談が本日は微妙な感じで終わって数十分後、白漂は同席していた昌文君と共に席を外されていた昌平君にその内容を説明していた。
「…中長期的視野や統一後の国家運営の視点に立てば、確かに斉王が口にしたその戦略は極めて有効的だ。だが…」
「それを現実のものにできるものが、今の秦の
その中で昌平君はいつもの真顔だがその身に纏う雰囲気は極めて重々しかった。
「ああ…、
「やはり
「…? 二人とも何処の誰の話を…!?」
軍師学校時代における師弟二人のその雰囲気での会話に始め昌文君は首をかしげるが、すぐにある人物に行きついて顔が強張る。
「おい! 二人とも
「その通りです昌文君、ですから私から
抵抗感を隠せない様子の昌文君に対し、昌平君はいつもの真顔を白漂に向け続けて言葉を促す。
「…まあ、
「じゃからなんじゃその策というのは!?」
「あーもう、具体的に言うとねぇ…」
その中で追いつけずに言葉を急がせる昌文君に、白漂は具体的にその策を述べていくが、終わると昌文君は絶句してしまっていた。
「…おい、本気で…今の秦国で…あそこで…それをやれと言うつもりか…?」
「でもさあ、これから手段はどうあれ六国を併合してそこの人々も同じ国民として迎えなくちゃいけなくなることを考えると、これは良くも悪くもその予行練習になるし、逆に言えばこれが出来ないと中華統一なんて不可能だよ」
「…………」
白漂が口にしたその策に、昌文君は猛烈に気が遠くなってしまいつつもどうにか踏みとどまっていたのに対し、昌平君は無言だがその眼差しは確かに弟子の策を支持するものをしていた。
○秦国中央部 王都咸陽 王宮 本殿○
「…ええい! 国境地帯も落ち着き始めて北部新領域の安定化の芽が立ったところで斉王が直に訪問してくるなど…!」
「接待や案内の人員に付いてはこれで問題ないか!?」
「そればかりに気を取られるな! 魏の呉鳳明もまだ…!」
斉王田建の来秦の次の日も、秦国の本殿ではそのことも含めて国内外の諸政策をめぐる議論が活発に行われていた。
その本殿に普段ならいるはずのない人物が突如として現れた。
「…懐かしいなぁ、軍師学校で各寮の代表達と共に口喧嘩みたいに話し合った頃を思い出すよ。まー、あの頃とは責任も空気の重さも全然違うけど…」
「!?」
「あ、あなたは朔方侯!?」
「どうしてこの場に白漂将軍が!?」
普段ならこの場の決定を現場で受けてそれを実行に移す立場の一人である白漂が、この場へ現れたことに朝廷の廷臣達はどよめいた。
「お、お待ちください! あなた様は先の斉王急来秦での責任もまだ不明瞭ですのでこの場にはまだ入れ―――」
「儂が許した。構わん」
「―――えってぇぇ殿ぉ!?」
今回の騒動の一翼を担っていた男の登場に重臣達は動揺しつつも押しとどめようとするが、昌文君の後援があると見るやますます驚きつつも道を開けてしまう。
「漂、どうした? このような場へ参内するなどお前らしくもない」
「
「!?」
白漂の面倒くさがり屋の性分を知る嬴政は表情を曇らせるが、普段の砕けた感じなど一切ないその態度に身に緊張が走る。
白漂がそうした態度を自分に見せるときは、緩みや安易な妥協など許されない案件を持ち込む時だということを知っているためだ。
「じょ、上奏ですと!?」
「いったい何を!?」
「「………」」
その白漂の上奏という場面に周囲の重臣達がどよめく中、昌文君は重苦しい表情で彼の背を見守る。
「これはある意味で、手段はまだ言えないとして我が秦による六国制覇を行う際にて避けられないある難題で致命的にしくじらないようにするための予行練習にして、中華統一事業に入るうえでは避けては通れない
「「「「「………………」」」」」
戦場で大軍を率いて立ち、同じ敵と相対し合う時の空気を纏ったその白漂の言葉を、本殿に集うもの全員が固唾をのんで見守りだす。
「…漂…その策とはいったいなんだ!?」
それを代表して嬴政は一筋ながら汗を隠せない表情で問いかけると、白漂は一呼吸置いてその方策を口にする。
「戸籍づくりです」
「「「「「!!!!!!???????」」」」」
それはあまりにも短くて且つ明快な言葉だったが、ゆえに周囲の大半の理解が追い付けずに呆けも混じった驚愕を大きく駆り立てた。
今回、イケメン丞相のあの立て直し策が別の形や目的も含まれて、本作主役の口から出てしまいました。
次回は、今回の終わりで出た策の詳しい説明と、あの苦学生的な一面を見せたあの“番人”の久々の登場が中心になる予定です。