〇秦始皇9年(紀元前238年) 什虎攻防戦六日目朝 楚国北西部 什虎地方 什虎城付近 蒙武軍本陣〇
「報告! 白漂軍より白漂様がご到着されました!」
桓騎軍の一晩のうちの戦線離脱及び失踪から数時間後、朝日が昇った時間帯にて、その影響で最も慌ただしくなっていた軍の主将が、此度の秦韓連合軍の仮の本陣とされている蒙武軍本陣に到着した。
「遅いですぞ白漂将軍」
「今さっき騰将軍が入ったのを見たから遅くはないでしょ隆国参謀殿」
そこの大天幕に入ったところでドアップ顔付きの突っ込みをされるが、された当人はジト目で返した。
今朝に目を覚ましたところで既にお隣の友軍に事前連絡なしで消えられた軍の大将からすれば、そうしていきなり生じた空白地からくるかもしれない敵軍への備えなどに対応しなければならなかった状態だったので、それを起きた早々に猛スピードでやらなくてはいかず、ついさっき終えたばかりのうんざり感も抜けていない状態だったのを考えれば無理もない話でもある。
「ココココ、そんな朝からお堅い感じはおよしなさい。蒙武さん、あなたは確か彼を帰順させて起用した白老蒙驁将軍の息子でしょう。桓騎さんが今どこで何をしているか心当たりはありませんか?」
「あんな若造が何をしていようと知ったことか」
「ぶれませんねあんた」
そのまま秦からこの地へ送り込まれた大将軍三名で茶化し合いが深まろうとするが、それを止めさせたのはここ什虎に近い秦領に領地を持つ御仁だった。
「…飽きて帰っていったのなら…こちらにとってはまだ良いでしょうけど…」
「
(ピク)
秦南部防衛線で要所に位置する堅陽の城主で同地の軍を率いている柳宗が憂鬱そうな表情でぼやくと、今回の韓軍総大将冬史は難しそうな表情でそれを否定するが、その言葉を受けてこの場でまだ姿は見せていないある人物が違和感を覚える。
「コココ、ところであなたの後ろに隠れている彼はいつになったら紹介するのです?」
「え? 何を―――!?」
「お、ばれやしたか」
「―――おってのわぁ!?」
騰がそれに触れると蒙毅は戸惑うが、彼の真横で白漂の真後ろに位置する物陰よりヌっと那貴が姿を現すと驚いた。
「桓騎軍の将校か」
「おい、テメエの大将の今回の動きは何だ? 逃げたとかじゃねえよなぁ?」
その姿に干央と録嗚味が絡み始めた。
「い、いや、出自で確かに問題はありますけど王翦将軍と並んで秦の次の大将軍候補に挙げられている桓騎将軍がそのような―――」
「あり得ますね」
「―――おってええ!?」
それに蒙毅が間に立ってこの場で衝突が起きないようにしようとするが、問われた那貴本人があっさりその可能性に触れて彼をまた狼狽させた。
「…で、それも含めて…桓騎将軍は敵の主力をあの城から引き離すことを画策しているのか? 昨晩にたしかアンドリュー戦死の件もあってそのやり取りで一旦彼のいる本陣に戻っていただろ?」
「…え!?」
「何!?」
だが、それを踏まえて白漂がその消えた当人たちの行動に触れると、別な意味で蒙毅と隆国が驚く。
「いや、俺が向こうへ戻った時には既にお頭達は大まかな動きを決めて動き出していた頃で、俺が聞けたのは一旦あの城の近くから姿を消すからその件をここに伝えろってだけです」
「だからなんでそんなふざけた真似をしたんだって聞いてんだ!!」
「録嗚味将軍、机もただではないのですからいちいち当たるのはおよしなさい。んふふふ」
「…さあねえ、ただ、確かなのは、お頭は無駄なことはしないってことだ」
「「「「「…………」」」」」
「明日から、この戦場はこっちにとってすごく楽且つ早く終わるようになるってのも伝えとけって言ってましたよ」
それに対し、那貴の飄々としたままの態度も添えて伝えられた伝言を通して、見えてくる桓騎の傲慢なまでのぶれなさに一堂は鎮まっていく。
「…その分、向こうが
「…?」
一方、冬史の苦虫を噛んだ表情を添えたその什虎城に向けての言葉に、那貴はそれに腐れ縁的な何かを感じ取った。
〇秦始皇9年(紀元前238年) 什虎攻防戦六日目深夜 楚国北西部 什虎地方 什虎城周辺 湖沼村落地帯某所〇
「…いっでえええ! くっそ! 何だったんだよあの白漂って奴! 女に弱いお人好しの漬け込みやすい馬鹿に見えたから近づいてやったのに…! 僕をあんなところで猩のくそ共にぶん投げやがってぇ!」
連合軍側で朝早くに今後の戦略に関わるやり取りがなされた日の夜、その主将の一人を罵りながら人目を避けて茂みの中を進んでいる一人の少年がいた。
昨日の戦いで表向きは白漂に助けを求めるふりをして、実際は猩族側に売り飛ばそうとしていたものの、その彼に猩族側へぶん投げられるという形で彼らの指揮官の一人を殺してしまい、逃亡中の身となって今はアンドリュー戦死の混乱に乗じて秦側からも逃げ出したマタグであった。
(…と、とりあえず…今は僕の集落に戻ろう…! 幸いにもあのアンドリューのくそ野郎が殺された混乱が続いていて…まだどの集落にも猩の糞白豚共の扱きは入ってないようだし…! 城内にいる人質の親戚には悪いけど早く村に帰って僕らだけでも逃げないと…!?)
だが、マダグが罵りながら故郷の集落に近づこうとしていた時、彼は夜の深い闇の中でも平気に動き回る集団がそこで闊歩していることに気付く。
(…え? な、何だあいつら…? 何者なんだ―――?)
「さっさと家の外に出ろ!」
「ちんたらしてたら生爪をはぐぞゴラァ!」
「ひいい! ゆ、許して!」
「No!!」
「―――あ…え!?」
マダグがそれに大きく不安と恐れを抱くと、今朝にて姿を消したとされる秦側のあの一軍なのが鎧や衣装からしてわかる兵士たちが、集団で自分達農奴やそれを監督している猩兵及びその家族達を脅して集めている姿が闇夜の中でも見えた。
「…え? な、何が起きて…!?」
それにマタグが不安を強めて茂みより出ようとしたその時、彼は後頭部に強い衝撃を覚えて意識を失った。
〇秦始皇9年(紀元前238年) 什虎攻防戦七日目早朝 楚国北西部 什虎地方 什虎城付近 白漂軍野営地本陣〇
「…ふあぁぁああ、桓騎軍が昨日に消えて色々大変だったなぁ…。朝っぱらから防御陣地の組み立てでドタバタしたし…ん?」
マタグの身に何者かが襲い掛かった晩が明けて次の日の朝、その時の白漂軍の警備担当だった尾到は櫓の上で眠たそうな顔を浮かべていたが、その顔色はある光景を見た瞬間より急速に再覚醒しだした。
「…あ、あれ…? 何か…ここ什虎で
その事に気付いた尾到は大急ぎで櫓を降りて味方に報せに回った。
「…とまあ、そんな感じで人気の無くなった集落の一つを訪れたわけですが…」
「広場の中央に死体と薪が積まれて燃やされて煙を立ち昇ってるなぁ…」
十数分後、奴隷及び支配者の猩族住民のいなくなった集落の一つを白漂は訪れていた。
今現在、確認されている集落は全て人がいなくなり、代わりにそれぞれの広場の中央で抵抗したのだろうが惨い殺され方をした者達の屍が薪と共に積まれて燃やされて狼煙のように大きな黒煙を上げていた。
「…今現在、確認されている死体の数と内訳を調べていますが、どうやら奴隷たちの方はほとんど手だしされていないようで、支配者の猩族達も見せしめで惨く殺された者達ですが、死体を細かく調べると始め想ったよりも少ない模様です。住民の姿が全く見えないことからして昨晩の内にどちらも大半が捕まったようです。足跡の少なさからして夜のうちに水辺を歩かされて何処か連れていかれたかと…」
「そうだろうね杏橋…、蒙武将軍とか騰将軍がいる以上は、抑えた集落もあまりあれてないことを考えればこれ以上の無茶はしないだろうと思いたいけど…残念ながら悪い方向で考えた方がいいだろうな―――」
「白漂様ー、今さっき抑えた集落に杏譚殿達が猩族に追われた状態で逃げ込むように戻ってきましたー」
「―――あってとりあえず、戻ってきた隊から聞けるだけ聞こうか…」
周囲と共にどんどん微妙そうな表情に変わっていく白漂達の所へ、その原因である桓騎軍に出向していた味方が戻ってきた。
「…じゃー、とりあえず昨晩に何が起きたのか聞こうか?」
数分後、占領した集落跡地に移された本陣にて白漂は戻ってきた杏譚達に質問を始めた。
「…あ、いやー…私はアンドリュー討ち死にの時に向こうの誤射が原因で意識を失ってついさっき起きたばかりで、部下達も我が隊単体で桓騎将軍の命令から什虎城を間近から見張るという任務をしていたようで…、私が目を覚ましたら桓騎将軍から部下達に渡された手紙の内容を、我が隊に引き渡された猩族捕虜共に聞かせて向こうに送り返したらさっさと白漂軍に戻っていいと言われただけなので、詳しいことは我々…」
「その手紙の内容、読み上げてくれるか?」
「…え、あ…よ、よろしいのですか? 我々北涼人から見てもかなり過激というか…」
「大丈夫だ。むしろこれから桓騎将軍や猩族の動きを予想して動くには必要だ」
「は、はい…わかりました…では…」
その中で杏譚達は針の筵の上に座らされたような心地だが、白漂はその状況でも真顔のままでそれがかえって威圧感になり、彼にその例の手紙を取り出させた。
「…桓騎より誇り高き猩の民へこの親書をお送りする。主君を討たれてなお…この地の独立を守るために奮闘を続ける貴殿らへの敬意として、この地の民達を良く治める貴方がたの家族にも協力していただき、此度は各集落に“骸の煙芸”をお送りする。但し、このたびにて身をもって煙になってもらったあなた方の家族はそれに抵抗を見せた一部なので、大半は民たちと共にわが軍で保護下においているので今はご安心を。今現在はその武勇伝などをより詳しくお聞きしたいので、落ち着いて聞けるように秦へ向けて連れて帰っている最中である。但し…共に連れて行っている民たちがこれまでの貴殿らの善政に対するお礼をよほどしたがっているようなので、それをご遠慮したいならお早めに出来るだけ大勢で連れ戻しに来られることをお勧めする。なお、城内で働いている民の家族へ此度の褒美を出されたら、今こちらで釣れている民のあなた方の家族へのお礼参りは更に増す可能性が高い…」
「「「「「………………」」」」」
そして、杏譚がその桓騎が猩族側に伝えたという手紙の内容が読み上げられると、その場にいた白漂軍の幹部達は全員絶句していた。
「…き、昨日一晩のうちにそこまでやるとは…何と言う…手際の良さ…」
「…お礼とか言っているけど、これよぉ“お礼回り”って意味だよな?」
数秒の沈黙を経て、気分が一周回ってある種の感心を口にした白漂に対し、信の引き攣った突っ込みがその他一同の心の声を代弁した。
〇秦始皇9年(紀元前238年) 什虎攻防戦七日目正午 楚国北西部 什虎地方 什虎城 議会〇
桓騎軍による“奴隷集落群解放夜襲”が明らかになって数時間後、猩族における最高意思決定機関の場である“議会”は騒然となっていた。
「It's obviously a trap!」
「But I can't ignore it!」
「…おい、あいつら…上の階でめっちゃ会議とか言って喧嘩しまくってんだが…」
「おい、あのアンドリューってこの辺りの王が死んだけど、まだ代わりの王が決まってないのか…」
その議会がある什虎城城の内城には今現在の戦況悪化もあって、楚軍も内部に入れていたが、それに混じる項翼と白麗はその話し合いの場に苛立ちと困惑を浮かべていた。
「…ここ、什虎を統べる猩族は彼らの法律の間では万民…とはいっても実質純血の猩族成人男子が皆は平等ということになってて、“大統領”と呼ばれる彼らの王は、その万民が札を入れて数が一番多いものが就任するとなる“選挙”という政治制度で選ばれます…。そういうのは普段は何年かに一度行うのが通例で、任期途中で死ぬと序列で高い順で補佐役から繰り上げという形で、今頃アンドリュー補佐役の誰かがなるはずなのですが、あのアンドリュー戦死後の立て直しのために多くが前へ出張ってきたところを秦側の狙撃兵に大勢やられたようで…、早急に選挙を開いて直ちに次の大統領を決めないといけないという状況に、秦側…あの桓騎軍が周辺にあるほとんどの農場を襲撃して奴れ…民とそれを治めていた兵士やその家族を捕えて連行し、その旨と脅迫を書いた宣言をしてきたことで、今では大統領を先に決めるべきか、その中でも誰が立候補すべきか、反対に救援を優先すべきという派閥も、城内にいる民を見せしめに処刑すべきだとする派閥と、連れていかれた民の数が多すぎるから全員処刑したら損害が多すぎたり、城内の民を殺したら連れていかれている人質がどうなるかわからないと反対する派閥など、今はもう混沌としか言いようのない状況で…」
「おいおい、何だよそれ? そんなの今ここに来てる白漂の爺がうちの国のその頃の都を攻め落として水攻めした時の内ゲバよりひでえじゃねえか!?」
「…ここ什虎の地の生産活動は奴隷同然の民がになっており、猩族は武力を強めて恐怖政治を維持するだけの体制だったので、前者が戻らないと後者の生活が成り立たないから、財産を秦に取られてたまるかという有力者たちの意見もありますから…最悪、このまま大将も決めないままの状態で追撃に出てしまうやも…」
「はあ!? そんなバカな話があってたまるか―――!?」
「ほ、報告ー! 五駆千人将が猩族に殴り殺されましたー! 理由は白人じゃないってわけのわからない理由で猩族が使う厠を使用したら怒られて取り囲まれて―!」
「―――あってまたかよぉ!?」
そして、猩族上層部の内紛は楚軍もまた巻き込むようになっていき、城内の混沌はますます強まっていっていた。
「…とまあ、そんな感じでもう将軍の言うグダグダの泥沼にどんどン嵌っていってますぜ」
「白人とか人種隔離政策とかカラーズだのわけわからん単語が多く混じっているが、わかる内容だけでも十分にもうここは駄目なのはわかるな」
「…そうか左慈に石、これだけ聞ければ今回の戦はもう十分だな。本陣に帰ろう」
その混乱ぶりは外部の白漂にも望遠鏡越しながら遠目でもわかってしまうほどで、その証拠に白漂達は白化粧に髪染めや猩族の鎧を着こみ変装しながら、堂々と色々盗み聞きした後に何食わぬ顔で来た道を戻っていく有様だった。
〇秦始皇9年(紀元前238年) 什虎攻防戦七日目夕刻 楚国北西部 什虎地方 什虎城付近 蒙武軍本陣〇
「…白漂将軍がご到着されましたー!」
「失礼しまーす。色々と面白い話が聞けたので纏めるのに時間がかかりましたー」
「遅いし軽い!!」
什虎城内から自軍に戻って数時間後、白漂は連合軍本陣に入った早々に隆国から突っ込まれた。
「声が大きい、だけど相応以上に色々面白い話を聞けました。忍び込んできた什虎城内で」
「それは軽率すぎますぞ!!」
それをやかましそうに耳を塞ぎながら白漂は理由込みで解説するが、その内容で隆国は怒りに加えてショックで目玉が飛び出そうになった。
「ココココ、面白いというのであれば今ここで教えて見せなさい」
「はい、騰将軍、まずはー…」
一番うるさいのが混乱から立ち直れていない間に白漂は説明パートに入った。
「…とまあ、そんな感じで什虎主力を占める猩軍はあと一押しすれば殆どが城を出て
「さすがは
(…この言い方、前での言い方と言い…何か思い出したくないけど割り切れないって感じがするな…?)
その合間に韓側の冬史から皮肉をぶつけられるが、それに白漂が何処か浅からぬ繋がりを感じたその時、何やら今はいない彼と何かの縁を感じさせるもう一人が挙手をした。
「…あー、それだったら最も手っ取り早く且つ簡単な手がございます」
この場においてもずっと諦観と気怠さが混じった表情の柳宗が、その表情のまま静かに口を開いた。
「…ほ、ほう…そこまで早く出るとは…さぞや御自信があるのでしょうなぁ柳宗将軍?」
続けてようやく意識が現実に戻った隆国が米神を引きつらせつつも慇懃な態度で問うが、柳宗は窓から見える什虎城を見据えて静かにこう言い放つ。
「我々があの城の周りから消えていなくなればいいのです」
「「「「「………………」」」」」
その意見に、場に集う主要な将達はいつもの真顔で、周囲のそれぞれの各将の腹心達は隆国含めてポカンとした表情でしばし沈黙に陥った。
果たして、話の最後で柳宗が言った策とは如何に…?
次回は、その策の細かい内容が明かされる予定です(…多分)。