それらに尺が取られて大人向けシーンは今回もありません。
〇秦始皇9年(紀元前238年) 什虎攻防戦八日目早朝 楚国北西部 什虎地方 什虎城〇
「…ふアアァ、什虎軍の方針は城主の後任含めて全然決まらねえし、何より猩族の連中のむかつきっぷりは相変わらずだし…」
秦韓連合軍本陣で柳宗がある策を提示した日の翌日の早朝、項翼は深い眠りから覚めつつも疲労が完全には抜け切れていない表情で、什虎城の外壁区画を出歩いていた。
「…今この状況で秦韓の連中が攻めてきたらどうすんだ…え!?」
その項翼が城壁に身を乗り出して本日最初に目にした秦韓連合軍の動きは、一夜の内での消失であった。
「おい! 今度は何が起きてるんだ!?」
「秦と韓どちらの軍の姿も全く見当たらんぞ!」
「あの野盗どもと言い今度はどういうつもりだ!?」
数分後、状況を知った什虎城内は騒然となっていた。
「報告! 今さきほど連中が立ち退いた陣地の一角にて猩族民間人及びに農奴数名を発見した模様!」
「どうやら連中はそれぞれの本国で主力が出払ったのを知った魏趙が軍を動かし出したのを知って撤退を始めた模様です!」
「それで単に撤退するのは出来ないとのことで、奴隷解放という名目で奴隷共を連れ帰ろうとしている模様です!」
「それで猩族の多数派が城外への出撃及び秦韓連合軍への追撃を主張しだしており…!」
「馬鹿な! まだ城主も総大将も決まっていないではないか!」
その中で楚軍は混乱しながらも慎重な意見が目立つのに対し、自分達の財産や生活手段がかかっている猩族は今にも暴発しそうな空気が満ちていた。
「馬鹿を言ってんじゃねえよ! 碌に大将の後任含めて碌な戦略がねえのに兵が強いっても出撃して良いわけがねえだろうが―――!」
「報告! 今さきほど秦軍の千人隊一つが姿を見せて外壁区画に目がけて攻撃と挑発を仕掛けてきています! 既に猩族の部隊が幾つか独断で出撃して追撃に出ている模様です!」
「―――ああってくそぉ!」
その中で項翼は普段と違って慎重な意見を声高に主張するが、もはや流れの大勢は既に最悪な方向で決まりつつあった。
〇楚国北西部 什虎地方 什虎城付近 某森林〇
「…うっひょー! 連中のあの白い肌で赤鬼みたいに顔を真っ赤にして追ってきてますなー!」
「ほっほっほ、退却戦がこんなに楽しいものとは久しぶりじゃのお」
「ですがまー、連中がはぐれずにこっちを上手く追って来れるように逃げてこいなど…たしかにまーあの若衆にはまだ無理ですがー、だからと言って儂らにやらせるなどー白漂様は白起様以上に老人使いが荒いですなー」
「まーそう言うな。漂様も漂様で儂らの体力がギリギリ持つ距離の所を合流場所に選ばれておられる」
項翼が更に慌ててから数分後、その什虎城を挑発して釣りだした部隊に追われているその秦軍にて、率いている白漂軍第三将里甲と含めて中高年が多い彼の側近達は苦笑いを浮かべつつも楽しそうな様子で逃げ続けていた。
「…ほ、報告ー! どうやら昨晩に姿を消した秦軍本隊はこの道の先にある簡明原野にいる模様! その先の細道を通っている途中のようです! 上手く脱走した猩族神族の捕虜が話した模様です!」
一方、その里甲を追う猩軍と楚軍の中に、その動きを更に後押しする一方が入ってきた。
「簡明原野…!? たしかあそこを通って秦に帰るには深い森に挟まれた下りの細道を通らねばならんはず…!」
「ってことは今の連中は自然と長蛇の列になっておりていってる最中ってことか!」
その一報に、あまりにも動揺が激しくなる急な事態の連発で思考力の冷静な部分が薄れていた楚軍にも反動からか楽観的な空気が生じ始める。
「おお! さっき逃がした白豚連中を受けて什虎城内からも更に増援が出てきましたぁ!」
一方、その様子を別の深山の中腹にある坑道の出入り口の一つからその男達はニヤリとした表情で見つめていた。
「くくく、どこもかしこも雑魚ばっかと♪」
「ふふふ、猩族の皆さんがこの地のあちこちで無茶な採掘を行ってきたおかげで、廃鉱があちこちにあったのが助かりましたねぇお頭」
その者達は、この地に集っていた秦韓連合軍で真っ先に姿を消してしまっていた桓騎達であった。
「…こ、項翼-! あの丘の向こうで降りている最中の秦兵共を見たってよー!」
「おお! でかしたぞ化突ー! これでようやくあの山猿どもを細切れにしてやら…!?」
桓騎達のやり取りから更に数分後、ついに楚軍や猩軍は目的地である簡明原野にたどり着くが、そこで項翼たちが目にしたのは期待を裏切る光景であった。
「「「「「………………」」」」」
そこには、確かに森の間の細道を通る一部の部隊がいる白漂軍が、楚軍や猩軍が丘の上に姿を現したのと合わせるように、広大な簡明原野の多くを占める茂みからヌッと多くその姿を覗かせ始めた光景であった。
更に、白漂軍が背を向けている細道を挟む下りの森林の中より、続々と完全戦闘状態の騰軍と蒙武軍が姿を現してきていた。
「…本当にこんな手で大勢城から出てきやがった…」
一方、その秦軍で前衛に位置する白漂軍のそのまた前衛部隊に加わっている信が、丘の上より徐々に姿を現すも喜色が抜けて呆然とした色合いを強める楚軍や猩軍に微妙な表情を浮かべていた。
「…本当に出てきて、ここまで来ましたな…」
その白漂軍の右斜め後ろの森から続々と出てきている騰軍の参謀隆国も引き攣った顔を浮かべていた。
「ココココ、私の予想通りでしたねぇ」
「け、あの坊主や大女小娘に便乗しただけだろうが」
それとは対照的にいつものポーカーフェイスを崩さない騰に悪態を付きつつ、録嗚味は昨日でのやり取りを思い出していた。
「我々があの城の周りから消えていなくなればいいのです」
「「「「「………………」」」」」
昨日の夕方、秦韓連合軍本陣にて柳宗が言い放ったその策は、天幕に集う面々を少々の間だが沈黙に陥らせた。
「…………ぷ…ぷ…、い、息苦しく感じられただろう空気を和ませたいというのは察しますが…少しずれ気味ですぞ柳宗ど―――」
「んふふふ、同感ですねぇ」
「じゃあ、僕らが道案内をしますよ」
「それで俺は何処で待ち構えればいい?」
「―――おって…は!?」
数十秒の静寂の後、怒りを通り越して出そうになった失笑をこらえつつ隆国が嗜めようとするも、あろうことか秦側のこの場に集う主将三人組は察したと言わんばかりにぞろぞろと立ち上がって彼を狼狽させた。
その隆国の狼狽が収まらない内に、普段と違って軽さではなく凪の湖面のような不気味なまでの静寂とした様子で白漂は言葉を紡ぎ始める。
「…今現在、猩側は深い霧の中にある。主将及び幹部の討ち死にと生活を支える奴隷の大量失踪…」
「…?」
「そこへ大きな希望が舞い降りれば食いつく。秦側を追い討てるかもしれないという希望だ。この機を逃せば奴隷を失うのではないか? 特に強硬な者達は焦る。今ここで打って出ねば他の連中に侮られるのではないか? 今ここで出なければさらわれた家族を救えないのではないか? ほんの小さな光だが…この深い霧の中では極めて眩しく映る…」
「「「「「………………」」」」」
そうして紡がれる白漂の言葉は、凪を崩す冷風のように沈黙を保つ各軍幕僚達の胸中を震わせていった。
「…ですが思った以上に猩の白豚さん達の食いつきが良すぎましたねぇ。これではお城の方は大丈夫でしょうかねぇ?」
回想はそこで終わり、騰はやや遠めだが丘の上に姿を見せる猩軍と楚軍に対してずれた心配を感じる。
「…ここまでいくとは、若い者の発想は時として凄いですな」
「ふん、死にぞこなった残りの猩族共が馬鹿すぎるだけだろうが」
「まあ、そういうことを言うのはよしなさい。そもそも我らが夜の闇があったとはいえ一晩のうちに気付かれずにここまで来られたのも、森に聡い彼らの案内で適当に兵を伏せられるこの地へ導いてくれたからだ。お、一番槍を引き受けくれた彼が動いてくれるようですよ」
感心する隆国に対して録嗚味は鼻息をやや粗くするが、面白そうなものをじっと観察しているような騰が指し示すと、先陣を受けた白漂軍がさっそく動き出した。
一方、簡明原野に駆けつけてきた猩軍や楚軍は、戦場から去っている途中で背を丸出しにしていたと思っていた秦軍が既に布陣を終えていることに狼狽しつつも、どうにか陣形を整えようとしていた。
「ギャア!?」
「Ouch!」
だが、白漂軍はその彼らに対して結構な距離があるにも関わらず、投石という意外な手段で攻撃を仕掛けてきた。
但し、歩兵でも石撃*1で糞尿が付けられた石を、砲兵達は空になった壺や袋に糞尿を付けた大石を用いていたので、割と殺傷力は強く、それでいて相手の気を逆なでするには十分すぎた。
「Hey! You can't hold back, you white pigs!」
「Your body is so stiff and unnecessarily big, so hurry up and come, I'll play with you!」
「…おい、何か集められた声のデケェ連中がわけわからねえことを言ってんぞ」
「何か大将達が言うには猩族流の罵声だって…」
「…何を意味は分からないけどものすごく酷いことを言ってるのはわかる…あ」
その口撃混じりの遠距離攻撃に、信達はやや離れした微妙そうな顔を浮かべ合うが、そこで彼らの意識を戦場に戻す動きが起きた。
「Kill those monkeys!!」
「Aaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!」
「あぁ!? 待てぇ! まだ整ってないのに動くなぁ!」
下等と見下す秦人の挑発混じりの攻勢に、激怒した猩族達はまだ布陣が整っていない状況で、楚軍の制止を聞かずに突撃を開始しだしたのだ。
〇 楚国北西部 什虎地方 什虎城〇
「…項翼達、大丈夫かなぁ…?」
「ここにいる猩族とかは大分出払っちまったからなぁ…」
秦軍と猩軍及び楚軍の本日の戦が始まった頃、猩族の主力の大半が出払ったその城で、心配した白麗の命令で城内に留まらされた分の楚兵達も不安を隠せずにいた。
「正直なあ、ここの連中の他人種や多民族への蔑視の方が大変だぞ。こっちも相当にもめ事を起こされているし…!?」
一方で立場上は味方である者達への不満も高まっているその状況で、彼らは自分達のいる城に向けて周囲を広く埋めている深い葦や茂みが揺れ出したのに気づく。
「…!? この動きは…敵か!?」
「いや! あの姿は…ここの連中だ!」
城内の楚兵達が得物を構えると、茂みや葦から出てきたのは、周辺の奴隷作業場や農園で監督をしていた猩兵の家族達、その彼らの支配下にあった奴隷達であった。
「あいつらは確か一昨日に桓騎軍辺りに襲撃されて連行されたってあの!?」
「奴隷共も大勢いるぞ!」
「今になってどうしてあそこまでの数で…!?」
「お、おい! あいつらの背を追う形で今度は別の軍が姿を…!?」
それに困惑と疑念を生じさせた城内の楚軍の前で、昨晩に姿を消した敵の内にいくつかが姿を現した。
「報告ー! 将軍の予想通り什虎城の近辺より猩族捕虜や奴隷の集団が出現しました! それに合わせて什虎の猩族は城門を開けて大急ぎで同族の入城を始めています!」
「…そうか、だったら死ぬほど不本意だがあの城を韓で抑えるためだ。
「やっぱり、あの中に紛れてるかあれを囮にして影から地味にやばい数でこっそりもう入城って頃ですかねえ?」
「さーねー」
その敵の正体は、苦い表情の冬史率いる韓の水軍と、気怠そうな表情の柳宗率いる秦国堅陽の水軍であった。
「お頭ー! 本当にお頭の言ってた通りに韓軍と堅陽軍が動き出したようですぜー!」
「くっくっく、いつも最後のダメ出しをするのは雑魚バッカ」
什虎城においても戦局が最終局面に入りつつあった頃、その様子を城に近い廃鉱の茂みより桓騎達は嘲りの表情で盗み見ていた。
今回は短めですが切りが良いのでこの辺りで終わりです。
次回は、色々と過激な描写が出てくる予定ですのでご注意をお願いします。