022 危急の場でこそ機転は試される●
○秦始皇6年(紀元前241年) 合従軍大戦函谷関攻防戦十七日目昼 秦国中央部 王都咸陽○
函谷関での決戦が秦軍勝利に終わった以降の17日目にて、今回の合従軍の発起人である趙国宰相李牧が遂に動き出した事が発覚した。
李牧は秦側が合従軍侵攻経路から離れた城に非戦闘員や各地の予備軍を集中させて生じた情報及び警戒網の空白を利用して、本隊から分離して分散させて密かに進ませていた別働隊を、函谷関ともう一つの国門である武関の間にある山岳地帯で集結させ、武関の裏側に躍り出てそのまま南道から咸陽を目指して侵攻を開始したのだ。
更に、それに気付いて追跡に出た秦軍随一の本能型猛将の麃公も李牧と同じ趙国三大天一角の龐煖に討ち取られた。
その報せを受けて咸陽では市民に混乱が走る。
「…まずいな…」
それを西市の高楼の一つより渋い顔で見る紫夏の夫の江彰の姿があった。
「香泰殿からも西域の客人達も続々と隠し道から抜け出ているとの報告が…!?」
彼らが最悪の事態を肌で感じてそれへの対処に動こうとしたその時、彼らの頭領である紫夏が黒尽くめの精兵らと共に高楼へ戻ってきた。
「紫夏! 戻ってきたか! そいつらはいった…あ! お前は…」
「お久しぶりです江彰さん、僕です。
裏口から帰ってきた紫夏を出迎えた江彰が目にした彼女の斜め後ろにいたその兵士の長は見覚えがある人物叙加だった。
兜を脱いで素顔を晒したその兵士叙加は、長い髪を伸ばした中性的に調った面貌の青年らしい人物で、この時代の男性の平均よりも高い170センチ台の身は細いが濃縮された筋骨で武技を実戦込みで深く身に染ませた佇まいをしていた。
「確か軍総司令直轄の近衛隊に属していたお前が何故ここに…!?」
「こちらの無茶振り主が史上最大の無茶振りかまそうとしてるんで少しでもその成功率上げるために色々こっちも自由にやらせてもらってるんです。合流する前に」
「無茶振り主…まさか…!?」
その叙加の言葉遣いに江彰はある人物に行き着いて驚愕した。
○秦始皇6年(紀元前241年) 合従軍大戦函谷関攻防戦十七日目昼 秦国中央部 王都咸陽 後宮○
「「「「………」」」」
紫夏が西市を訪れてから1時間後、後宮の一角で四人の男女が対面していた。
椅子に座る二人の女性の方は、今のこの国でもっとも高貴な血筋の御子を宿している向と扇琵。
その二人が緊張した面もちで見上げているのは、帯剣した状態で立っている嬴政とそれに厳かに付きしたがっている一人の宮女。
アルビノのためか白銀色にまで見える長く艶かかな白髪に紅玉のような瞳をした、幻想的な美貌をした嬴政と同年代らしき美女。
「……陛下、そのお姿…やはり…」
「ああ、俺もまた皆と共に血を流さねばならぬ時が来た。お前達には…また勝ち残って帰る前の準備のつもりだが、いざその時のための役目を頼みに来た」
「…っ! それは……」
深い決意を宿した嬴政の言葉に二人は身が強張る。
それを見て嬴政の傍らにいた宮女が口を開く。
「…ここにも私と関わりある方が何人か潜んでおります。望んでいない事態に進みし時は貴女方は名と顔を変えさせてでも生き延びさせます」
「……徐華さん…」
その宮女徐華の言葉を瞬時に理解できた扇琵はそれ以上言う事はできなかった。
もう己とその一族だけの身ではなくなったことを深く知る彼女は、たとえこれから人生を終えたほうが楽な道が待っているとしてももう進めぬ事を理解出来ていた。
「すまないが時間がない。この続きは勝って生きて帰ってからにする」
その事を表情で理解した嬴政は踵を返し、部屋を去ろうとする。
「だ、大王様! どうか……ご武運を!!」
「…ああ」
嬴政の手が扉の取っ手に触れようとした所で、本日始めて聞いた向の声を聞きながら彼は背を向けたままだが静かに微笑んで徐華を連れて部屋を後にする。
その後、押し殺されていた二人の嗚咽が部屋の大気を振るわせた。
○秦国中央部 蕞○
「…とまーそれから大王様がねー信頼できる者含めて咸陽を出たところで白漂兄様と合流という感じの遣り取りがねー咸陽であったのだよー」
「…何で細かい話をお前から聞かなきゃなんねーんだ?」
数時間後、咸陽から大河の渭水を挟んで南道西側終着点に位置するその都市蕞の城壁の一角で、弄りがいのある玩具を見つけた笑みの叙加とそれに大きく引き攣った顔を向けている信の姿があった。
二人は泥竜の仲間だが他人を弄って困り顔を見るのが好きな叙加は、単純で直情型の信を玩具みたいに気に入っていたが当の本人には煙たがられていた。
その二人の眼差しの先には、この蕞にいる秦国最重要人物とここで今もっとも最高戦力というべき男がいた。
「…思ってみれば戦場でこうして共に戦うのはこれが初めてだな漂…」
「前の王弟の時は表向き存在しない内乱であったからな…」
先ほどに蕞の民衆を激励して奮い立たせ、ここで秦国滅亡の危機を打ち払うために咸陽から出陣してきた嬴政と、彼が咸陽から出たところで精兵を引き連れて自軍の本隊より早く着いた白漂の姿があった。
「これはこうして、この余った槍と包丁類はこのように…」
「ほほう、即興の資材でここまで…勝利した後にちゃんとした材料で実験してみよう」
他にも城内の女や戦闘員向けでは無い職人を集めて、何らかの道具を多数製作している途中の杏橋に介億の姿があった。
その後、準備が一通り済んだところで李牧軍が見えてきた。
「…あああぁぁあああああぁあああぁ!?」
数時間後、蕞で秦軍と趙国主体合従軍別働隊による戦闘が始まったが、そこでは結構な頻度で趙側から理解不能も混じっている悲鳴が上がっていた。
「「「「うおおおおおお! 趙の連中を押し落とせぇぇぇぇ!!」」」」
「う、うわぁ!? また何か来た!」
「と、止めろぉ!?」
その主因は杏橋が城内の余剰の武器と資材にて即興で作らせた守城兵器であった。
彼らが目にしたものは奇妙な車であった。
白漂の前世で言う手押し車であるそれは、前が盾も貼り付けた板張りで城壁の外側から内に向けて斜めに走るように構成されており、城壁外側に近い方から武器が貼り付けられていて自然と城内側へ向けて避ける様に出来ている。
城壁の外側には登ってくる敵兵の動きを阻害するための盾も貼り付けており、車の前の盾の背後には大勢で押して動かすための手摺が付けられていて、その後ろを護衛の盾持ち兵士が進むという形態をしていた。
また、城壁の外側を向ける壁には後ろに向けてスロープがかった太い丸太が取り付けられていて、それで車が進む度に掛けられた梯子を横倒しにして城壁攻めも阻害している。
他にも横に数珠繋ぎで数台連結して動くようになっており、端までついたらそこで解いて狭い城壁の上でも速やかにスタート地点まで戻れるように出来ていた。
戻っている間は兵士が城壁前面に戻って乱れた敵に矢を射掛けていった。
「ひ、怯むなぁ! 何としても打ち壊せぇ!」
「そんな事させるわけねぇだろ! さっさと落ちろぉ!」
「ぎゃあ!」
「だ、駄目だぁ避けろ!」
「ま、待て! 狭い城壁の上で押すなって…うわぁああ!?」
何人かが前面に貼り付けてある武器を避けて板をよじ登ろうとそこにはするも、そこには信みたいな腕利きを戦車のように乗せるスペースが設けられており、結局彼らは凶刃を避けて内側に向けて逃げるという真似しかできなかった。
当然、狭い城壁の上でそうすると城内に転落するのが自然であった。
「ぐべ!」
「い、いでぇ!?」
「き、来たぞぉ!」
「体勢を取り戻される前に仕留めるんじゃあ!」
「ぎゃああ!?」
城壁の上から落とされてきて身を痛める趙兵なら、民兵主体の蕞兵でも仕留めるのは容易で地味だが無視出来ない出血を趙軍に強いていっていた。
「凄い…あれなら民兵達でも十分に城壁に上った敵を掃討出来る…!」
「ふふふふふふ、十分な成果だ。“落撃車”とでも命名しておこうか」
その様子は本陣で全体の指揮を取る一人を務めている蒙毅にも見えており、北壁にいる介億もご満悦な様子であった。
他にも杏橋設計で城内の余りの資材で製作された守城兵器が猛威を振るっており、それを器用な介億と白漂達が適時適切に指示し使用する事で威力が十二分に発揮されていた。
その後、日中は趙軍の攻撃を凌ぎきり、更に夜襲で彼らの陣営に打撃を与える事にも成功するのであった。
○秦始皇6年(紀元前241年) 合従軍大戦函谷関攻防戦二十日目昼(蕞防衛戦四日目) 秦国中央部 蕞○
蕞での攻防戦が始まって四日目、兵力の大半を占める民兵達は、その非職業軍人ゆえの体力の低さから来る疲労の色が目立ちだした。
「やべぇ、このままじゃあ残ってる体力差で―――」
「押し切られちゃうねぇ、普通なら♪」
「―――えって何を圧し掛かってきてんだこの状況でテメェ!?」
その事を表情と勘で気付いた信の気まずい顔が、戦闘中にも関わらず背後からしな垂れかかって来た叙加に声を荒げた。
「ずあああ!」
「オラァァァ!」
「まだまだァ!」
「ウォォォ!」
「この城は、儂らが守るんじゃあ!!」
だが、その直後に嬴政の激を受けて士気を繋ぎ止めた民兵達が各所で覚醒して趙兵達を押し戻しだした。
「これは行ける!」
その咆哮と反撃に白漂や昌文君らも活気付く。
それを同じく戦闘に混じりながらもしてやったりという表情で密かにガッツポーズを取る者達がいた。
「よーし、今回の戦争で金持ち連中がいち早く逃げたせいで買い手が付かなくなった鼈やら蛇やら精が付く食材を紫夏さんの伝で咸陽中から捨て値で買い占めた甲斐があったねぇ」
ケケケという含み笑いでその中にて最も喜んでいるのが叙加である。
「王都からあれだけ届いてきた物資にそんなのが混じってた理由がそれだったのね…」
その叙加に言葉に背後から時折り来る趙兵を振り向かないまま四肢を振り続けてその刃で斬殺しながら玲花が苦い表情を浮かべた。
「だがまーおかげで気分を昂揚させ続けて元から高い士気を保つ助力にはなった。後遺症はそんなに酷くて且つ長いものにはならないようにしてあるし…本隊が着くまでは持たせられるだろう…」
それとは対照的に薬学の深い知見を生かして、そうした精が付く材料を今朝に城内の兵士全員に配ったスープという形で口にさせた藍蘭はいつもの真顔で敵の指揮官を狙撃し続けていた。
だが、そうした秦側将兵の奮戦が李朴にある答えへ行き着かせることになってしまう。
○秦始皇6年(紀元前241年) 合従軍大戦函谷関攻防戦二十一日目深夜(蕞防衛戦五日目) 秦国中央部 蕞○
「…ちょっとまずい事になったね…」
五日目の夜の敵の攻勢も久方ぶりに静まったその時間帯にて、城内の要人が集まる中心の館を囲う壁に背を預けながらステラが自身の回弩(先日に白漂が休息中の暇つぶしで始めた命名募集で決定)の手入れをしながらぼやいていた。
昼間の攻防戦で趙側にカマをかけられて秦王嬴政がこの城にまで出陣してきている事が敵に知られてしまったのだ。
「ステラ、今から夜襲が決行されるのであなたも作業に加わってもらいます」
杏橋が話しかけてきたのはそんな時で、彼女の背後には牛など家畜の群れが白漂兵らによって誘導されて北側に向かっている姿があった。
一方、逆の南側に向けて騎兵達が終結しつつあった。
「これは…また何か私達の将軍が何かやろうとしてるのかしら?」
「そうですね、斉での前例もありますから成功率は高いかと。とりあえず貴方達がするのは少しでも負傷者や疲労した兵達を回復させる事です」
中央には負傷者や疲労が酷い兵が集められている野戦病院も設けられている。
その中で治療が優先されているのは、負傷や疲労などが軽度であったので優先して治療を受けさせて戦線復帰を急がせている者達であった。
信もその一人で玲花が整体に針術などで当たっていた。
「…あ~~山林で生活してた頃には国境の内輪揉めで逃げだした他所の軍の牛馬を捕まえて乳を大事に貰ってた俺達がこんな一戦でここまで牛馬を使い切る身分にまでなるなんてな~」
「その時から信君って食べ方が無茶苦茶だったわね。他にも他国の軍に取り残されて野生化した牛や馬を時折り運搬や農耕用に捕まえて連れて来る度にどう食うかって言ってよく拳骨されたし…」
「うるせーぞ玲花、俺も趙の連中を邪魔するための夜襲隊支援準備もあるからよー早く済ませろー…」
戦中で佳境に入った頃のものとは思えない軽口を叩き合う男女の姿は、その場で一種の清涼剤になっていた。
ちなみにその場には玲花目当ての患者が既に針を打たれたり、整体を施された後で寝転んでいるがその彼らの視線の多くが羨望と殺気を持って信に向けられていた。
「いててててて! ちょちょちょっと股関節捻りすぎだろ!?」
「昼間に城壁の上であんなに無茶な無茶な動きを長時間し続けるからよ。あーもうおまけもつけておくから我儘言わないで」
「…うが!? ちょ…首の後ろに針刺して動き封じるなんてずり…う…お…おお…!?」
この城で主戦力の一角を担ってる信に対する玲花の治療は一際重かったが、その都度に彼の四肢は大きく捻られたり曲げられたりするが、結構な頻度でその柔らかくも弾力もまたある彼女の胸や尻に布越しながら密着するので自然と抵抗力が雄の性で落ちていっていた。
「…はぁ、私も結構に臆病だね。ちょっと他に人目が無い場所で服を一部脱げばいいだけなのに…」
自分以外の女性と軽口を叩きながら悶えている信の背に向け、ステラは本人には聞こえない小声で愚痴を苦笑気味に吐いた。
そして翌日の昼、今の趙側にとって良くない報せが届く。
今の私の気分は皆さんと同じく信、いい加減に爆発しろ(憤)です。
次回はあの大行軍の裏側を自分なりに考察して描き出す予定です。