〇秦始皇9年(紀元前238年) 秦国外北方 龍城攻防戦三日目朝
『…それでは最後の命令だ。
『『『『『「「「「「……………………………………………………………」」」」」』』』』』
それは北の草原を統べるこの時代では最強級と言っても差し支えない武力を持つ大国で、最後の王となった男の言葉で、北の民が呆然としていた時の事だった。
(…勝手に担ぎ上げようとしたのはこっちだし、あんたに…
その中で数少ない力を奪われ切れなかった者達は静かにその最後の北の王と呼ばれる、白漂に何処か憑き物が落ちたような解放感を抱いた瞳を向けながら、静かにこぶしを握り締めていた。
〇数ヵ月後 秦始皇9年(紀元前238年) 龍城攻防戦三日目朝 秦国北部 北涼地方 林涼領内 黒竜江支流地帯〇
「…ギュレングルフ大隊長ー、なんか今度はやけに大きな船団が近づいてきてますよー」
その北の大国
「もう大隊長じゃない。今じゃ率いている人数も百を超す程度だからな」
「だったらもう自由なんだから何と呼ぶのもこっちの自由でしょ。俺らにとってはあんたが大隊長です。現世で最後の死の場所を迎えるまでね」
「うんにゃ、死んでもヴァルハラに行ったらラグナロクまであんたについていきますよ」
「大隊長ー! 黒竜江の向こうからやけに派手でデカい船が混じるデカい船団が来てますぜー!」
「どうやら秦のお偉いさんを乗せた船団みたいですぜー!」
そんなギュレングルフ達の今の活動範囲に
「そうか、今の数じゃー俺達の今世最後の戦いとしては悪くはないな」
その船団の規模や護衛に付いている軍の規模からして、勝ち目がないのは明らかな戦力差だが既に
「…よし、投石機及び孥砲に煙幕弾をまず撃ち込んでー」
「「「「「はいはーい」」」」」
それを遠目ながら視認した、彼らの今の状況の原因を作った当人である白漂は部下達と共に慣れてはいるが何処か気の抜けた感じで対処を始めた。
「「「「「……………………」」」」」
数十分後、怪我人こそ出たが誰一人も命を落とさなかったがギュレグルフ達はお縄に掛けられた状態で嬴政達の前に引きずり出された。
「…よう、久しぶりだな最後の単于様、そして初めましてだな秦の王様。
「ああ、現秦王嬴政である」
「「「「「………………」」」」」
流暢な中華の主流語で自己紹介するギュレングルフ達の前に姿を現した嬴政に、捕まった者達は無言で注視を送り続ける。
(…白漂に似ている風貌で雰囲気も似ているが、芯では大火の如き信念を感じさせる眼光を浮かべている。白漂が草原で吹く風のように全てに降り注ぎながら好きなままに動く風なら、この男は若い頃に見た黄河のように激流のような激しさと全てを飲み込んで受け入れる器を感じさせる…。ああ、俺達の王もこんな男であったなら…あんな傑物を潰すしか能がないドレゲネやその息子なんじゃなく…)
特にギュレングルフはその嬴政の王としての底知れない気を感じとり、それ故に自分達とその今は無き祖国の不運さから深く諦観を覚える。
「…白漂などを通して北涼の諸民族の情勢は概ね知っている。他の者達は概ね恭順して協力してくれているのになぜこんな無謀なことをした? その顔からして勝ち目がないことは元から知っていただろう」
それは嬴政も容易に感じ取られ、それ故に彼から奇妙なものを見る顔で問いかけられた。
「王様だからって無茶を言わないでくれ。いくら草原で寒いからって中華より広い以上は何百万って数の人間がいるんだ。だったら理屈だけで納得させられる人ばかりじゃないのはむしろ王様だからこそわかるだろう。ましてや剣戟で実際に交えての勝敗ではなく口八丁で嵌められたようなやり方じゃあなぁ」
「…ですよねー…」
「いや、漂、お前のせいだぞ」
「…だがまー、その大国
その間でも嬴政は彼らのこの現状の理由を作った白漂と主従漫才を挟んだりするが、ギュレングルフが中華では酷い死に方をシレっとした様子で所望してきたことと、その口にした“ヴァルハラ”という単語で秦側の戸惑いと感心を引かせる。
「…袋詰めの石打ちは北涼の習慣でわかるが…ヴァルハラというのは確かー…」
「あー、主に西方から民の神話にある、戦死した戦士などがその死後に行きつけるという場所です。そこではラグナロクという世界を滅ぼすだろう最終戦争に備えて訓練をしながら、毎日宴会とかを楽しめる理想郷だとか…」
「あー、確かそんな感じだったな。死んだら祖霊となって現世の者達の守護者になると考えるこっちとはだいぶ違うな…まー今はそういう違いはどうでもいいが…」
その事で北の話にいろいろ詳しい白漂と幾つか言葉をやり取りするが、それで嬴政は悩みが晴れた状態でギュレングルフ達に向き直る。
「…ヴァルハラとかラグナロクとかを聞いて思うんだが…何でラグナロクなんて来るのか? 戦死さえすればヴァルハラに行けるだなんてお前達はそう思うんだ?」
『『『『『…はい??????』』』』』
そして、通訳を介して北の言葉で向けられた嬴政のその問いにギュレングルフ達は困惑した。
「…な、何を言ってんだ? そんなの何百年前もオトガンやオンゴット・ボウとかで伝承されてきた運命を司る女神たちの神話でそう言われて来てんだから来るに決まってるだろ?」
「…だがなあ、その神話だって地域や民族で色々違いがあってどれが正しいのかわからん状態だぞ? というかお前たちの神話も軽く見た時があるが、それだけでもこれ本当に神様かというくらいに姑息な事したり、嘘を付いたり、やっぱりやめたーって感じで約束を無しにしたりとかって話も多いぞ。それなのにどうしてラグナロクやヴァルハラは正しいなんて言えるんだ?」
『…あー…』
『言われてみりゃー…』
嬴政の重なるその問いに、ギュレングルフ達の間にその発想はなかったという表情が広まっていく。
「…だ、だとしたらそんな話を俺達にして何の特になんだ? 王様の船団を襲ったなんて連中はどの道は死刑にしかならないだろ?」
「いや、襲うも何もそっちがする前にこっちのこの馬鹿が事前に鎮圧したからなぁ。更にお前たちの間には文章もないから証拠がないぞ。せいぜい武器の不法所持と盗賊行為の処罰しかない」
「それにしたってあんたらの掟じゃあどうせ手足をスパンと跳ねられてその後の人生は実質終りみたいなものだろ」
「いや、肉刑ならもう今の秦ではほぼ廃止の状態だぞ。前から人手不足なのが更に悪化したせいで。あちこちからスパンとやる手足があるくらいならこっちに回して使わせてくれという感じでな。後ろの馬鹿のせいで」
「忠義守って領土増やした功臣に馬鹿言うな」
「まー今はそれさておき、とりあえずこの中にはあの時に国が急になくなってこれからどうすればというものも大勢いるだろう。そんな状態で連座というのもあれだ。とりあえず一人一人細かく調べていこうか…」
『『『『『………………』』』』』
そんなことなどお構いなしに主従漫才混じりで進められていく話に、ギュレングルフ達はしばしポカンとした様子になり、ほとんど抵抗できなくなっていた。
「…ぷ…くくくく…!」
「ヒョッヒョ♪」
ちなみにこの様子を影から見守っていた田建は笑いを堪えるのに必死で、蔡沢は楽しそうに喉を鳴らした。
この後も北の巡行中には似たようなことが何度かあったが、その度に嬴政と白漂は一休さんのようなとんち混じりで同じように説き伏せることを繰り返した。
〇秦国北部 龍城(旧
「…ここが嘗ての北の都か…確かに中華のものと色合いは違うがそう見劣りはしないな…」
ギュレングルフの捕縛より十数日後、冬場と違って水路も使えた秦王巡行団はかつての北の王都へ到着し、嬴政は中華の王として初めてその龍城の土を踏んだ。
今現在、龍城は北涼平定及び安定化のための秦軍の拠点となっており、咸陽から派遣されてきた官僚が主となっており、白漂軍以外の秦軍各部隊や北涼諸民族も多数出入りしていた。
「大王様お待たせしました。現在、ここ龍城は復興及び再編のため騒がしい所があるのは申し訳ありません。全ては大王様の威徳を広めて民を安らげて国を富ませるため故、その分にご説明とご案内の方はつくしますので…」
黒竜江の支流から港に降りた嬴政を出迎えたのは、今現在は中北部となっている前の北部の長官で今の北部となっているここ北涼の長官に就任した扇楲であった。
(…よかった。更に北であるここへ赴任したとのことだったから気候の違いで心配したけど大丈夫そうね…)
嬴政達に遅れて上陸した一人である扇楲のその安堵の気持ちが示す通り、彼は彼女の父親で王権統一以前から嬴政の重鎮の一人でもあった。
「…
「ああ、紅武。それと兵士達には不祥事を起こさないように徹底して。五万人もいる状況で完全にとは無理だが少なくとも公平に致すという姿勢をこの地で崩すと後々に響く。新兵など規律がまだ行き届いていないのはなるべく住民には近づけないように」
部下達に規律の高維持を求める白漂は、王の巡行を見ようと集まってきた群衆を観察する。
(…元からの秦人で移民してきた人々や以前から恭順してきた諸民族達は好意的だが、先の争乱でそれまでの寄る辺を失った匩涼人はやはり悪感情が強い。まあ、それまでの秩序や余裕をぶち壊した当人が来るとなれば当然だけど…!?)
怯えと警戒、嫌悪や憎悪に疑心が立ち上る先住民系住民の視線を見逃さず遍く感じ取る白漂だが、その示しが現れた現象を目の当たりにする。
「!? 何だあの旗は!?」
続けて気付いた昌文君が指さした旧王宮のその望楼に、青地に白抜きの狼が飛び立って赤い太陽に向かうという意匠の旗が立てられていたのだ。
「ちょ…待て! あっちに
「こらぁ! 滅亡して併合された国の旗を降ろすのは常識だろうが!」
『あ! あの旗を支えているガキ二人はジュール氏族のエザリアとイザークの姉弟だ!』
『二人は親父が数月前の龍城戦で秦軍に殺されてお袋はその後の内戦で死んじゃったから!』
「どうすんだ!?」
『あの二人はきっと斬首になるぞ!』
それに周囲から悲鳴や怒号に心配する声が立ち上りだし、場は人種や民族を問わず騒然となり始める。
「ッ! 申し訳ありません陛下! まだ年少の二人ですゆえ厳重注意処分を念入りに行います! 他の分野で責任は私が取ります故…!」
「…いや、他にも前の匩涼…
扇楲がそれに冷や汗を掻いて場の鎮静化を図るが、嬴政はそれを見て何かを閃いた表情を浮かべる。
「…え? あれって…?」
『な、何で…?』
数十分後、龍城の人々は騒然が落ち着いて代わりに困惑と安堵が流れるようになっていた。
それまで掲げるのを禁じられていた
「…難しいな…」
その城内の様子を、龍城旧王宮の望楼より嬴政は見下ろして悩み深い顔となった。
「…自分としては出入りとして悪くない考えだと思ったが、侵略に恐怖を覚えた者達には“安堵”の寄る辺となった一方で…、反発を腹に宿した者達は裏の奸計を隠すためのものだと“疑心”を後押しするものになっている…」
「「「「「………………」」」」」
「…ある意味で六国制覇の一つ分が準備も予想もなしに滑り込んできたような状況だからな。はっきり言ってこの地を本当の意味で秦の地の一角と出来ねば、六国はいかなる方法でも制することは出来ん」
「「「「「………………」」」」」
城内の様子から嬴政がそれの示す未来を最善の形で掴むことの困難さを口にし、周囲は重い沈黙に支配される。
「昌文君」
「ッ! はは!」
「斉王とも話をして向こうも興味を抱いているから少しこの地に留まる」
「「「「「!?」」」」」
「完全とは言わずともこの地での未来への方向性が良い方向で入れる兆しを掴めるまでいるぞ」
「「「「「!!!???」」」」」
故に、この地への滞在が長くなるかもしれないとの嬴政の表明と、その理由に周囲は声こそ出さなかったが驚きを示した。
「…お、お待ちください! 今この巡行で同じ地にあまり長く留まれば他国に突け入れられる隙を増やします! 何より敵意が残る住民が多数いるこの地に長く居られれば大王様の安全にも問題が生じます! 更に今は斉王もご同行なさっている状態! もしもあの御身に何かあれば秦斉の友好関係に悪影響を及ぼします!」
「その通りだ昌文君、故に漂、お前がこの地では秦涼双方にとってどの道に進むべきかの最短での指針になる」
当然、上がるその懸念による反対を受けて嬴政は今この場で、秦と北涼どちらにも近い立ち位置にいる盟友を見出す。
「…あの時にぶん投げてしっちゃかめっちゃかにした
それを受けて白漂は自虐といつもの二人での間の軽い調子の装いを交えつつ、友と主両方の立場から出たその命令を受け入れた。
「「「「「………………」」」」」
その二人の間から流れ出る静かだが重い気の強張りに、周囲は下手に言葉を挟むことが出来なかった。
次回、中原のあの国の時の原作主人公ほどではありませんけど(…もしくは違う感じかもっとわけわからなくなるかもしれないけど)、政と漂の二人が龍城城内で色々とします。