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○秦始皇6年(紀元前241年) 合従軍大戦函谷関攻防戦二十二日目昼(蕞防衛戦六日目) 秦国中央部 王都咸陽○
「………………」
咸陽の外壁望楼の一角より呂不韋が難しげな表情を浮かべていた。
「咸陽には大王陛下はもう居りません!」
「どうやら既に渭水を挟んで南に位置する蕞に向かって趙側と既に交戦中のようです」
副将紅武達も合流した白漂軍本隊騎兵二万騎以上が咸陽の外壁南側の正門前に現れたのだ。
李牧軍襲来に恐れおののいていた咸陽市民達はその姿に途惑いつつも歓喜の声を上げる。
「…まさかここまで早く来るとは…手を打つ早さも凄いが内容もな…」
違う望楼よりその軍勢を見下ろしていた右丞相にして軍総司令の昌平君もまた感心の表情を浮かべている。
そこには、匈奴との大戦勝利時にて紅武の妻で軍師である叙瑛から大量の鳥による報告書で要請されていた内容が深く関わっていた。
その数日の間に得ていた彼らの行軍の秘密を昌平君は思い返し始める。
○数日前 秦国中部 某都市○
「「「「「………」」」」」
秦国中部の主要道路の一角に位置するその都市は物々しい緊張に包まれていた。
街道に面する形でお握りなど簡単に済ませられる料理が無数に並んだ大量の机が整列しており、その背後には大勢の人々がその補充分の準備をしていた。
少しして、北の方から大きな砂塵と無数の鈴の音が生じて近づいてきた。
「き、来たぞー!」
「み、皆ー国家存亡の一大事ぞー!」
「遅れるでないぞー!」
それに城の兵士や動員された民衆が気付いて数十秒後、甲冑や武具など重量のあるものは分離し平服状態で身を軽くした白漂軍将兵らが辿り着いた。
「よし! 貰うぞ!」
「ありがてぇ! 水を貰うぜ!」
「かふかふ!」
次々と馬を数秒だけ下りるか、もしくは走らせたままの状態で料理や竹筒水筒で水を飲み干しながら進軍していく白漂兵達。
「な、何万という数でなんて速さだ…」
「ぐ、軍総司令はこれを見越して道中の我々にこんな風に食事を用意しろと鳥と早馬で報せてきたのか…」
それを城門上の望楼より見下ろしている道中のある城の城主達は、数日前に咸陽から送り届けられてきた指令書を見直す。
指令書には軍総司令昌平君による、函谷関攻防戦へ向かう白漂軍への支援命令とその段取りが詳細に記されていた。
だが、これを発案したのは実は昌平君ではなかった。
「…道中でもう何度もこうした準備のおかげで過去最速で進めていられるな。北でもこのようなことは無かった。お前の要領の良さには助かる叙瑛」
「私は匈奴に勝つ前に先走りがちに考えてただけよ。本当に実行したのは総司令だから式典か挨拶回りのときに礼を言ってね紅武」
軍勢の指揮を取っている紅武と共に先陣を進んでいるその妻で軍師である叙瑛である。
叙瑛は匈奴との合戦勝利前後に正確に中央への白漂軍進軍ルートを作成し、そこでの進軍を迅速にするための白漂前世のトライアスロン等の給水給食所方式、更に武装を解いて別働隊に乗せて並行して進ませる事による進軍スピードの最加速化、遊牧民から来る乗馬の大量確保とそれを小まめに交換する事による馬の疲労最小化などのための段取りの要請を細かい注意点込みで伝令鳥で伝えた事で、受け取った昌平君も彼らの進軍を最大限に支援できてこれほどの速い進軍へ至らせられたのだ。
○現在 秦始皇6年(紀元前241年) 合従軍大戦函谷関攻防戦二十二日目昼(蕞防衛戦六日目) 秦国中央部 王都咸陽近辺 渭水○
「「「「「えっさ! えっさ! えっさ!!」」」」」
咸陽の南側付近を流れる大河渭水を無数の軍船が遡っていた。
彼らに積み込まれているのは、武器や防具の類が大半である。
「青忠将軍、咸陽から白漂軍到着を報せる笛の音を確認しました!」
「うむ! 上々!」
彼らは昌平君が出動させた黄河流域を管轄とする秦国の北部水軍である。
白漂軍が少しでも進軍スピードを速めるために降ろした鎧や武器をこの地で再び届けるために、船に乗せて黄河の下りを利用して彼らよりも早く進み、渭水に入ってからは最新の推進装置を活用して水流を遡ってここまで来たのだ。
介億の時と同様に、下部の漕ぎ手が必死に身を動かしているのは分かるが櫓は船の横側には見当たらず、けれども後方からは激しい水飛沫を上げて船を押し進ませているのが見えた。
「将軍! 北岸から砂塵と馬蹄の音が!」
「うむ! 各軍船は乗せている武具の所属を示す旗を掲げながら北岸に広く張り付け! 即座に乗せて南岸まで運ぶぞ!!」
咸陽の姿を遠目ながら目にしたその時、そこから猛烈な勢いで接近してくる白漂軍を見て河岸に船を付ける青忠水軍。
「第三隊からまず装備を付けつつ船に乗れ! それ以上乗ると船が沈む!」
「馬は必要最小限だけ乗せろ! 今はまず人を乗せて後からだ!」
そのまま河岸に広く接岸して装備ごとに各隊を乗せて南岸へ向けて再発しだす軍船達。
「よし! まだ大王様方が南で持ちこたえておられる! 我らが到着すれば最早勝利は―――」
「せ、青忠将軍! 南岸側より別の砂塵を確認! 遠目ですが趙旗です!」
「―――あってなっ何ぃ!?」
だが、その船団の戦闘が南岸側の浅瀬の縁に入った所で趙軍が現れた。
昨晩に白漂による偽装撤退で送った追撃隊から彼らを知った李牧が送り込んだ孫青率いる南岸防衛別働隊五千である。
「うおおおぉ! ここで我らが抜けられれば此度の合従軍が失敗ぞぉ!」
「逆にここで奴らを沈めれば秦を滅ぼせる!」
「何としても奴ら全てをここで魚の餌にするのだぁ!」
勝利を目前として最高潮に闘志が上がった趙軍が、秦国水軍が上陸しようとしている南岸に展開していく。
「い、いかん! 直ちに弓隊を乗せた船を前に出して射掛けさせよ! 事は一時も争う事態ぞ―――!」
「青忠、前面からここまでの船の間隔をもっと詰ませて進ませろ」
「―――おってぉお!?」
それに慌てだした青忠の背後より、愛馬を手綱で引いている紅武と彼の直下兵達が姿を現す。
「うおおおぉ! 跳ね返し続けろぉ!」
「怯むなぁ! 何としても押し倒せぇ…ぐあああ!?」
一方、秦国水軍最先頭は既に南岸の浅瀬に船底が着いて上陸しだすが、水際の高所を盾で固めた趙側の防衛線に足場の不安定さも手伝ってそれ以上思うように進めなくなっていた。
「よし! これなら李牧様が勝つまで持たせられる! 者共ぉ更に気を引き締めて…!?」
それに口調とは裏腹に口元が緩みかける孫青は信じられないものを目にする。
「うわあああぁ!?」
「ぬぉ!? 馬ぁ!?」
「わわわ!? 衝撃で船が揺れぇ!?」
「ぶはぁ!?」
水軍中心より手勢の騎兵と共に、紅武が不安定な戦場にも拘らず間隔が狭いとは言え狭い船から船へ人を避け馬を飛び立たせながらこちら目掛けて突進してきたのだ。
その迅速さと衝撃に味方も驚き、何名かが蹈鞴を踏んで仕舞いには水面へ落ちる者まで出るほどである。
「い、いかん! かなりの手練がこちらに向かってきておるぞ!な、何としても防げぇ!!」
「遅い!」
「「「ぶばああああぁ!?」」」
それに気付くも驚きのあまりに対処が数秒遅れた趙側の隙を付く形で、紅武達は盾兵とその槍衾を飛び越えて内部に降り立ち、背後から彼らを斬り飛ばして防衛線に穴を開けた。
「あ、あそこだぁ!」
「我らの船もあそこに回せぇ!」
「船を付けろぉ!」
そこへ続々と秦国水軍も船を付けていって綻びを広げるように上陸し始めていく。
「はいはいはい、皆ー上陸する前にこれを投げ込んでねー」
それからして譜孝達が織り込んだ内側に棘が生えている網を投げ込みだし、密集している状態でそれを被せられた趙兵達は痛みにもがいて振りほどこうとするもそれで余計に絡まっていってしまい、動きが取れなくなったところで秦兵に強襲されて押し倒されていく。
しかもそこは寡兵なために防衛線を長くした影響で薄くなっている趙軍の端であるため、正面と横腹から挟撃を受けだした趙軍は次第に崩れだしていった。
それから夕刻も過ぎて夜の帳が見え始めた頃、寡兵ゆえに正面からの敵に全戦力を投じなければいけなくなった趙軍の隙を突いて、見通せない丘陵の向こう側から紅武軍に今回編入されている王京達の別働隊が上陸し、大きく迂回して背後から奇襲してきて孫青将軍を討ち取った。
しかし、南岸に布陣していた趙軍を撃退しながらも、まだ上陸してない兵の水揚げや北岸に残している馬等の移動、負傷者の搬送などで紅武軍はここである程度時を費やさざるを得なくなった。
○秦始皇6年(紀元前241年) 合従軍大戦函谷関攻防戦二十三日目昼(蕞防衛戦七日目) 秦国中央部 蕞○
「「「「「うわあああぁあああああああぁ!?」」」」」
渭水南岸で死闘が繰り広げられた翌日、蕞を陥落させる直前まで進んでいた趙軍は異様な軍勢に次々と陣を食い破られて悲鳴を上げていた。
「かーーーーーー! 王様の命令とはいえこっちの戦果を潰された鬱憤を晴らさせてもらうぜー!」
先陣の一角を切るシュンメンの姿が示すとおり、彼らは嬴政が蕞へ向かうべく咸陽を出陣したと際に出した援軍要請に応じて駆けつけてきた楊端和率いる山民族軍であった。
それに、疲労しきっていた民兵達と違い気力がまだまだであった白漂兵も身体に半ば鞭打ちながらも乱戦場に雪崩れ込んでいく。
「そこの城壁の弓隊は急の旗を掲げてる辺りに矢を浴びせて! 去亥隊は右の捌の旗の敵の真横を潜り抜けてそこで―――」
ステラもその内の一人で回弩を連射し前線の敵指揮官を討ちながら素早く指示を出して戦況を押していくが、そこで彼女は人でありながら人外としか思えぬ武に出くわしてしまう。
「ほ、龐煖だぁあああああああああ!!」
趙国三大天の一角たる龐煖が山民族達を草でも薙ぎ払うかのように蹴散らしながら彼女の眼前に現れたのだ。
「―――っ!? まず…!?」
その自身にも迫り来る凶刃にステラは反射で回弩を構えるが、複雑なカラクリを内蔵しているために脆くなっているそれはやや切断を遅くするだけで、彼女は更に乗馬も捨てて背後に思わず飛び退こうとする。
「…がっ!?」
だが、龐煖の膂力は逸らしきれずにステラは高々と身を打ち飛ばされ、背後から城壁の上の縁付近に叩きつけられてしまう。
「ステラァ!」
そこを対龐煖戦に加わるべく通りかかっていた信に気付かれ、ステラは減り込んだ城壁から剥がれ落ちようとした所を間一髪で手を掴まれて落下を免れた。
「大丈夫か!?」
「あ…うーーーーん…どうにかねぇ…受身は取れたけどそれでも頭が朦朧としてて…あー…胸の装甲が浅からず…切り裂かれてて…」
「まだ医療兵が残ってるから後ろに回って手当て受けろ! 俺は悪いがまだ一仕事残ってるから見舞いは後だ…!?」
城壁の上に引き上げて傷口を見ようとした信であるが、裂傷こそないもののステラの切り裂かれた甲冑より露になったその胸元を見てようやく男には無いその膨らみに気付く。
「…え、えーーーーーっと…お前…その胸…何で―――」
「おい信、もたもたしてると置いてくべー」
「―――えってわ、分かった! 皆ぁこいつは頼む!!」
それに止まりかけた信の思考は越の突っ込みで現実へ戻り、ステラは胸を隠された後に民兵に連れられて医者の元へ運ばれていく。
その後、ステラが疲労と脳震盪から来た眠りに付いた後、龐煖も白漂達相手に痛み分けに持ち込まれて退き、更に紅武率いる白漂軍本隊も参戦してきたために、蕞での死闘は趙軍主体合従軍別働隊の敗走を持って終わった。
○秦始皇6年(紀元前241年) 合従軍大戦函谷関攻防戦二十三日目夕刻(蕞防衛戦七日目) 秦国中央部 函谷関○
「ほ、報告ー!」
「つ、遂に来たか! 結果はどうじゃ!?」
蕞での決着から数時間後、空が赤くなり始めた時間帯にて函谷関へ蒙驁達が待ちに待っていた伝令鳥が来た。
「い、一週間前より始まった大王様の蕞での御親征ですがつい数時間前に合従軍別働隊に城門を開けられ陥落寸前に!!」
「「「「「な、何じゃとぉおおおぉおおぉ!?」」」」」
まず始めの報告に一堂に走った悲鳴は蒙驁のそれによって絶叫へ塗りかえられる。
「で、ですがその直後に西方山岳民族軍による援軍が到着して別働隊を押し返した模様!」
「「「「「!!!!???」」」」」
だが、それは伝令の続きで困惑へと変わる。
「…更に北から帰還してきた白漂軍も加わって別働隊は撤退に追い込まれて大王様方のご勝利となりましたー!!」
「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉ!!!!!!」」」」」
そして、最後に彼らが集う望楼全体を揺るがして関所全体に震えが伝わる大歓声へと変わった。
「ククククク、すげえはしゃぎっぷりだな白老は」
それは同じ望楼の下の階に居た桓騎に珍しく苦笑させた。
その大朗報は直ぐに函谷関と両隣の野営地に布陣している秦軍全体へ瞬く間に広がっていく。
「ココココココ、鱗坊と録嗚未の犠牲が無駄に終わらずにすみましたねぇ」
「おい?」
「………」
函谷関と山岳を挟んで南隣りで飄々としていてポーカーフェイスを崩さないのが特徴的な騰が亡き主君王騎を真似てお茶目な冗談を吐き、それを録嗚未が睨みつけて鱗坊が無表情無反応を貫く。
「ふん、遅すぎだ」
騰軍と隣接して共に楚軍と対峙している蒙武は苦言を呈しつつも瞳には認めている光を浮かべていた。
「…ほう、民兵主体の城を援軍到着まで持たせた白漂もだが…それとは別だろうこの迅速な超高速進軍を練り上げた者も興味深いな…」
函谷関北側山中の野営地で僅かな情報から王翦はこの逆転劇の大立役者の一人の存在を嗅ぎ取り、仮面から静寂な眼光を西の方角へ傾けた。
「…マジかよ?」
一方、秦軍にとってのこの大朗報は合従軍には大凶報となり、自身の毛皮長椅子付き戦車で寝そべっている楚軍総大将代理媧燐がその敗報に意外そうな顔を浮かべていた。
「ムググググググググ…!? グブバア!? ぜーぜー…し、信じられません! 媧燐様も賞賛した策が失敗するなど! めめめめ珍しく媧燐様の予想が外れ…は!? まさか白起の孫めはそれすらも想定して蕞に…冷たぁぁぁ!?」
その媧燐に頭を肘掛代わりに使われている雀斑に抜歯が特徴的な副官バミュウが、四肢を拘束されて猿轡を噛ませられつつも唾液によるずれで口を自由にして驚きながら分析もするが、そこで媧燐が何処からか調達してきた氷水を彼の頭に注いだ。
「馬鹿言うんじゃねぇ! この数日で言った通り民兵主体の城なんざ死体投げ込んでびびらすなり疫病流行らすなり火矢射掛けるなり! 手を色々打てば一週間も経つ前に陥落させられるんだ! だがこっちの参謀は毒食う覚悟はあっても皿までもの悪さが無くてこうなった!」
「は、はいいいいいい! そうでしたぁ! 媧燐様は間違ってないですぅ! 間違いやがったのは趙の甘ちゃん参謀ですぅ! 李牧の糞甘野郎がぁ!!」
「おい、氷水ってどうやって調達してきたんだ…?」
「この待ちぼうけしてる一週間に媧燐がバミュウらに近くの高山の山頂から早馬で採らせてきたと…」
眼前の主従漫才に楚軍で千人将を務める項翼に同階級で中華十弓を務めている白麗が引き攣った顔を浮かべあっていた。
「…だーがしっかしよー、まさかーあの李牧相手に国を守りきるたぁ…今度の秦王は中々調教し甲斐がありそうなのが着いたなー…」
「…さ、最終局面で助勢に来たという山民族軍も厄介です! あの北中華の大脅威である遊牧民だけでなく西方まで秦と組んだとなると…ムグゥ!?」
「…は、だーがこれでもー西の山猿共を今回潰すのは無理になったなー。だとするとうちから来た口に品がねえ総司令が腹いせに行くだろうのは東の死に掛け魚類共か…」
だが、直ぐに面白そうな顔を浮かべた媧燐は東の暗くなった空を見やりながらバミュウに再び猿轡を噛ませた。
次回は戦勝確定後の宴会中心です。
修羅場も書く予定です(笑)。