〇秦始皇9年(紀元前238年) 秦国中北部 対趙国境線付近 寒抗〇
「「「「「…ウオオオオオオオオオオ!!!!」」」」」
朔方郡にある黄河の支流での白漂と康熙の水中での逢瀬より数週間後、秦は仇敵と言える趙との国境線付近にて、どれも規模は中小規模だが大量の練兵を執り行うようになっていた。
「…どうだー? 角氾の山中からいた角鹿って部族は?」
「まあまあ順調だな。今日の夕方には邪毛族という新人たちが来るから歓迎の時の挨拶の食事会をしっかりねー」
その理由は、今の秦国再編作業の一環である戸籍調査でこれまで未開の地であった住民も兵役を課されるようになり、徴兵可能人数が増え続けているためである。
そして、今現在の趙は王の対外的に極めて消極的な姿勢もあり、秦は防衛上の理由で前線に近い順に戸籍調査を終わらせた地より、新兵をスムーズに集めやすくするための布石として、前線に近い練兵場へ交代制で送り込んでいたのである。
「だけどなぁ、最近は増え続けてないか? どの部族や集落のも何十日かしたら帰す入れ替わりが多いからここ含めてどの練兵場も今の最高人数は増えてないけど…」
「あー、何か最近は今まで調査に入ってなかった土地まで役人が行ってるって話だからその分は増えてるって話ー」
「隊長ー、隣の練兵場で西の無国籍地帯から来た“凡冥”という一団がー他の隊ともめ事を起こしてー…」
「あー、またかーじゃー俺が行くぞ」
一方でトラブルも増えており、信など各隊の隊長や将校が各地の練兵場を行き来することも多くなっていた。
「…あ、ここも工事中か…」
そして、そうした道中で工事現場とそこで労役に従事する人々に出くわすことも増えていた。
戸籍の増加に伴い、これまで見向きされなかった地域とも人や物資の流通が素早く進むようにするため、判明した流民など人口の余りを用いてこうしたインフラの整備にも取り組みだしていたのである。
「…あー、この甘藷や馬鈴薯って美味しいなー」
「水が少なくてやせた土地でも丈夫に育つってよ」
「この仕事終わって故郷に帰ったら種とか貰えるらしいぜ」
「戻ったらさっそく植えてみようぜ。植える時期や育て方はあそこに絵で載ってるし」
また、そうした現場でも地味に今後の民生含めた発展のための工夫が色々と施されていた。
「…ったくよー、当分はデカい外征に行けないってから久々に纏まった休みと思ったら、その間に練兵やら未開地への文官の護衛やら練兵場とか要所の警備であちこち回りまくりじゃねーか。城行きになった連中が羨ましいぜー」
「…いやー、前に見に行ったけどさー…あんまり変わんないよ…」
その道中で何度目になるかわからない同じ愚痴をぼやく信だが、同行している玲花は城にいる友人達の現状を知る故に苦笑を浮かべていた。
〇秦国中北部 朔方郡 朔方城 内城〇
「…報告ー! 満丹の流民が前線付近の紺諾に到着したら旱魃で土地を捨てたはずの先住民と出くわしたってー!」
「はあ!? どこの誰よ満丹にはもう荒れ地とまだ未整備の川しかないって言ってた奴はー!?」
「報告ですー! 北涼への朔方街道沿線75番地区ですがー! 宅万商会より旅館の建設中に前から冬場の越冬先として住んでたと主張する一団が抗議してきたってー!」
一方その頃、信が羨ましがって数時間後、その後方の机仕事の場は、夜に入っても大量の人員や書類が激しく出入りしており、殺気や怒気も度々混じる喧噪があちこちで発生していた。
その中には、白漂の閨に所属していて今は居城担当組に回されたり、彼の子を妊娠してそこへ回らなくてはいけなくなった女性達で満たされた一室もあった。
「…あー、ここに来るまでは女は家庭の仕事をしろってばっかいう野郎がむかついたけど…ここに来てからは女にも遠慮なく仕事ぶん投げまくるあの人が憎い…」
「いやまあ、これもお互いお腹の中にいるこの子達も含めたあの人のお子様達のためにもつながるしそんなこと言わずにさぁ…」
その中には、大量の竹簡や木簡と紙に囲まれ、その一部に頭から突っ伏してうなだれているマルタと、書類の一部を抱えて運ぶレベッカの姿があった。
「はいはい、皆ー頭はまだ大丈夫ですかー? それと私が子供達の授業をしていた間に到着していた分の書類はー?」
そんな中、城にいる白漂の閨の女性達及び朔方城の現実質的トップである魏亶が少し髪を乱れさせつつもだが一応まだ元気な様子で入室してきた。
「…あー、あっちになるべくもっとも重要そうなものだけを厳選して置いてます…それでもめっちゃ多いですけど…」
「なるほど…あ、こちらの方は主に西匩涼*1やそれと友好的だった民族からの挨拶や手紙ですね。この分らは薙鍛さんと捷璘さんに代筆をお願いしてもいいですか?」
「はい」
「やらせてくれ」
「あ、こっちは荒間で始まった水路工事の件で融資や人員の件で協力したいとの申し込みですね。主にこちらはマルタさんやレベッカさん達の実家からのものが半分を占めていますからー…」
「うげ…」
「りょ、了解しましたー…」
魏亶の登場に女性達は各々反応を見せるが、概ね引き攣り気味な反応が多かった。
「…何か最近はうちにも投資に加わらせてくれって親戚の方が多くなったわねー…」
「あー、どうせうちらの旦那様の差し金でしょー…一部にだけ適当の情報を小出しし始めて連鎖的に大勢巻き込んで自分にとって面倒な仕事は上手く押し付けようって魂胆よー…」
「え? マルタねえさん?」
「南のあれが成功したけどさー、荒間の話を私らの実家にするときにそれをにおわすように絡めてくるのよ。南で大勢成金が産まれたのを見て実家連中含めて大勢がそれに続こうって気になってるわけねーレベッカ」
「え? でもあれって農業用水路としか役所は言ってないけど…?」
「…馬鹿ねー、そういう一番大事なのを言うわけないでしょ。まー、あの旦那はわざと早めに気付く人間が増えるようにして却って自分にはやりやすいようにしようとしてるみたいだけどー…」
その中で藤色のストレートロングヘア―をしたマルタから特に黒いオーラが立ち上って周囲の何人かを慄かせる。
「はいはい、ちゃんとあの人にやってもらった方が良い分はなるべく捻出して送るからそんなネチネチ言わないでくださいね」
「…魏亶さん、今この中で一番お腹が膨らんでて一番書類捌いているのによくきびきびしてますね。それで白陵様含めて他のお子様方の教育係もきちんとこなす…」
「私なんか奥様やお姉様方のお子様達だとわかっててもまだ複雑でそれがよく表情に出るってー」
「そんな戦場と比べたら矢が飛んでくる心配もそうそうないのだから我儘は言えませんよ。あの人がここまでその凶刃が届かないようになさっているのですから。それにー…」
「それに…?」
「どうせ同じあの人の子を宿した応援の子もまた来ますから」
「…あ、はい…」
(…やっぱり内心ではいくらか腹立ってるよねー…)
それを魏亶の穏やかな叱咤と笑顔が和らげつつも、すぐにその彼女から虚ろな瞳を添えた笑みが続けられると肌寒いものを感じた。
〇秦国中北部 対趙国境線付近 寒抗 野営地〇
「へっくち」
「? 風邪か?」
「いやー、熱はないんだけどおかしいなー…」
「さっき偵察で深入りしてきた趙あたりの百人隊の半分を一人で切り捨てた時にそれだけ血を浴びてればー…まずは着替えと風呂でも入れば…?」
「あー、そうかも…じゃー抑えた敵の首の見分とめぼしい新入りへの褒賞を手早く済ませてそうしようか」
一方その頃、時々前線が近づいて交戦したりすることもある前線付近の練兵場の一つにて、白漂は寒気を感じつつも本日の軍務の終りに差し掛かっていた。
「…はー、まさか前線に近い所でも風呂に入れるようになるなんて…まあ、こっちが色々入れ知恵してきた成果でもう何年も経つけど…」
それから数十分後、本日の軍務を終わらせた白漂は野営地の本陣にある自身のゲルに据え付けられた移動式浴場で、身に付いた汗と血を洗い落す最中にあった。
「将軍、お邪魔しますね」
「…ん? 今日の予定の彼女とは違う…?」
そこで、今夜の湯浴みの手伝い及び夜伽役が現れるが、予定とは違う見慣れぬ美女が現れて白漂は目を丸くする。
「あ、あの子なら昼間に若旦那のお家に当分勤めなくてはいけなくなったので、たまたまその場にいた私が代打を引き受けたんですよ」
「当分、朔方城に…ということはー…」
「はい、将軍の種が根付きました。凄いですね貴方様のお種、あの子は妓女であった頃に何度か身籠るも中絶していたから子がもう出来にくくなっていたのに…橙季達も今は腹を膨らませてお城に侍女として勤めているんだから…ですから、今宵は私がお情けを…」
始めて見る美女だが、本体来るはずの女性の不在の理由を説明しながら頬に朱色浮かべて近づいてくる。
「あーいいよ、但し…今夜の新兵器の試射に協力して無傷で済むんだったらね」
「…え? 新兵器―――!?」
だが、それに対する白漂が出した条件に美女が怪訝な顔を浮かべたその時、外からバンっと金槌同士が大きく叩きつけられあったような音が鳴り響いた。
「―――いってギャアアアアアアアアアアァ!?」
「…失礼しまーす。こっちの新型銃の試射が経った今にて終わりましたー」
その直後に湯浴み相手及び夜伽役として入室した美女は右膝より焦げた臭いのする血を勢いよく撒き散らしながら悲鳴を上げてのた打ち回り、その髪から怪しい色をした短剣が転がり出て、十数秒後にそれを他所に蹴とばしつつライフル風長銃を携えた美女が入ってきた。
「あ、リーライナお疲れ様ー。皆で進めている火器兵器の研究、特にその銃の改良の方は上手くいっているみたいだね」
白漂がねぎらいの言葉を掛けたそのリーライナは、竜騎の鎧を付けているが身には戦場とは異なる労働での汗が多くつき、鎧の上からでも白人系の凹凸がはっきりした長躯がわかり、暗みがあるブロンドロングヘア―と黄緑色の瞳をした美女の風貌をしていた。
リーライナは旧
今現在、リーライナは康熙が加入して加速した秦軍での火器兵器研究開発にも加わっており、今はちょうどライフル型銃の試射をしようとしていた所で、白漂の閨へ刺客が忍び込んできたのでそれを無力化したところであった。
「ええ、康熙さんが教えてくれた、この筒の内部に螺旋状の溝を彫り、弾にも同様の溝を彫ることで命中率が高く向上したこの“螺旋銃”は。それで生じる筒の内部の汚れですが、それが生じやすい今までの鉛玉の上に銅を被せることで減らしましてー…」
「リーライナの地元に大きな銅山があるおかげだねー。そのおかげで君も銅には詳しいし…こっちに来てくれてありがとう」
ちなみに、リーライナの出身民族の居住地は、今現在は秦北部に位置する突蕨にあり、今や秦北部最大の金山がある蕨城*2からやや離れた有力な銅鉱山地帯なので、地味に実家の経済力と影響力は正室や側室の実家ほどではないが強い。
「…いや、女の癖にって言われて埋もれるはずだった身をあなたに引き上げて貰えた恩に比べればー…!?」
その事も含めて自分の才能関係についてはかつて褒められたことがあまりないリーライナは照れるが、その彼女の前で女刺客が縛り上げられて連行されていく傍ら、白漂は湯船から腰に布を巻いただけの状態で上がると、リーライナが持ってきた螺旋銃をその辺の泥水へバシャンと叩きつけるように投げ込んだ。
「んなぁ!?」
「…ん、おー、さっき思いっきり叩きつけたから底にも当たってるはずなのに見た目は汚れてる以外は歪んでたりしている感じはないな。だけど機能はーーーー…」
そして、驚くリーライナの前で白漂はその汚れた螺旋銃に弾を詰め終えると、自軍の野営地より少し離れた岩山の中腹に弾を撃ち込んだ。
「…な、何をしてるんですか―――!?」
「「「「「ギャアアアアアアアアアア!?」」」」」
「うわぁ!? 何か急に崖崩れが起きてあそこに隠れていたのを監視していた趙兵とかも落ちてきたぞぉ!?」
「―――あ…」
それから数秒遅れでリーライナは動揺と憤りを見せるが、そこで白漂が撃ち放った弾丸で弾き飛ばされた小石から落石が生じ、そこからドミノ方式で崖崩れが生じてそこに隠れていたらしい他国の偵察部隊も巻き込まれる形で落ち、敵兵の存在に気付いてはいたらしいが崖崩れに巻き込まれなかった秦兵は驚いた。
「すごいなー。これだけ汚れて水気も帯びた状態でも起動するなんて、火薬に使う材料やそれ包む紙袋、撃鉄の方にも新しく工夫を凝らしたのか?」
「…あ、は、はい(実は試作の方でさっきみたいな無茶な扱いをされたら、糸で引き金を引いたから怪我人は出なかったけど暴発しちゃって、その問題点を改良したものだけどその辺の試射はまだだったけど…良かったああああ)!」
「さっきの崖崩れで出た敵の隊と周囲で騒めいた気配からして、まだ周囲に五か所以上はまだ他所の偵察部隊がまだ隠れ住んでいる。この際、新兵達の夜襲への対処のための実戦訓練に利用しよう。皆、この野営地の各部隊指揮官に伝えて静かに集めて」
「「「「「ハッ」」」」」
それを齎した新兵器である螺旋銃の性能と耐久性も絡めて白漂は作り手へ問いも交えた賞賛を口にしてリーライナに安堵と喜色を抱かせ、続けて彼女も含めた周囲の竜騎に指示を出しながら動いた。
「…よし、大体終わり!」
数時間後、侵入してきた敵国の偵察部隊の死体の処理や捕虜の連行が行われている森の中で、白漂は得物である十星戟に付いた血を拭きながら腰を休めていた。
(…うーん、普段の漫才としか思えない行動や面倒くさいことから逃げまくる姿を見てるときは想像できないけど…やっぱり戦とそのための仕事となるとすごく切れ者且つかっこいいな―――)
「それで後始末」
「「「「「ギャアァアアァアアアア!!?」」」」」
「―――あ…それを通り越して人間じゃないって思う時がありますよねー」
その周りで後始末に従事していた秦兵にリーライナが混じっていて彼女は白漂に畏敬の眼差しを向けていたが、その彼が十星戟で足元に落ちていた諸々の武器を打ち飛ばすと、それが飛び込んだ茂みより武器に突き刺さられて仕留められた敵の生き残りがバタバタと倒れるように出てきて、畏怖する顔に変わった。
「…いやねえ、僕も人間だから皆の見てないところ含めて修行や研究はしているから人間だよ(今の身体は)」
「…あ、い、いいえ…申し訳ありませ…!?」
だが、その時に小声ながら割と失礼なぼやきをしてしまい、それを地獄耳で聞き取った白漂はジト目を向けると彼女の背後へ瞬時に回り込んでその手を掴み上げて適当な木陰に連れ込んだ。
「…そういえば、今宵の夜伽の担当は君だったけど…こんな急な雑魚掃除で疲れたからそんな気分じゃないし、けれども君のその失言への仕置きはしないといけないし…そういえば戸籍含めたいろいろな調査で革商や君の実家面子がいる突蕨郡*3にまた行かないといけないしーー……、そこへ行くまでの間にそこでの君への仕置きの内容を考えようか」
「…あ❤️ う…そ、それって私はー…❓」
「それまでお預けですな」
「……う…」
それから優しくも妖しい声音で自身の溜まっていた愛欲が刺激されるのを覚えつつ、当分生殺しみたいにされることも主君から残酷にも告げられてリーライナはシュンッとなった。
次回、呂不韋も言っていたこの世界で最強の兵器である“あれ”にも深くかかわる現場で、今回登場した新キャラの地元も出てきますが、新たな大事業が出てきたりもします。