○秦始皇9年(紀元前238年)南原防衛戦一日目朝 中華中央部 韓国南部 南原平原 荒巌山○
「……………」
紅剡の姿を確認した日の数日後の朝、白漂は自軍担当区域の山頂に上って、明るくなり始めた荒野を静かに見ていた。
「…近づいてきたな…」
そして、平原南側を占める荒野を囲うように位置する低い山岳地帯の東南側の合間から縫うように大きな砂塵が幾つも立ち昇ってくると、白漂は目を細めて山頂を駆け下りた。
「…報告です。楚軍の陣容と規模の最新の情報ですがー…」
「…知っている顔だけでも面倒な面子ばかり引き連れてきたなー。え…
「はい、あの火災の現場で最後に見た姿からして…体はともかく目つきとかとても今回の戦いに参加できる状態には見えませんでしたが…」
「人間とは昨日今日明日で変わり得る生き物だよ。もしも、今回みたいな細かいところまでは頭の気は向きづらい大戦で、
「旧
「今の内に注意を出しておきますか?」
「無論、それもする。他にも使わずに済むのが一番良いけどー…」
山頂から騰達と合流するまでの間、白漂達はそうして現在進行形で入ってくる最新情報も含めて今日から本格的に始まる大戦の対策を進めていった。
○秦始皇9年(紀元前238年)南原防衛戦一日目昼 中華中央部 韓国南部 南原平原○
「「「「「……………………」」」」」
白漂がある人物への対策も絡めて新しいそれに駆られて数時間後、この地に到着して陣地を敷き終えた楚軍二十五万人と、韓秦連合軍二十七万が平原の南北に位置する布陣を終えて、その場は密度の極めて高い緊張を交えた沈黙に支配されるようになっていた。
「韓軍総大将にして第一将洛亜完である!!」
「「「「「!!!!!!!!!」」」」」
「「「「「第一将!! 第一将!!」」」」」
「「「「「洛亜完!! 洛亜完!!」」」」」
そんな状況で最初に気勢を上げたのが韓軍であった。
「この戦は皆の家族を!! その者達が暮らすこの韓という大地を守る決戦である!! 皆が今まで培い磨いてきたその意志と刃の前では!! いかなる大国が大軍を送り込もうとも恐れるに足りぬ!! かつての中原の守護者“晋”の後継者たる韓の百七十年たる歴史は終わらぬ!!」
「「「「「!!!!!!!!!」」」」」
「この南原を愚昧なる侵略者共全員の墓場とするぞぉ!!!!」
「「「「「オオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!」」」」」
その此度の連合軍の総大将である洛亜完の激励に、韓側は彼がいる中央軍だけでなく左翼の南原城の博王谷軍まで士気を立ち昇らせていく。
「け、人様から十万も援軍を借りといてよくもまぁあれだけデカい面が出来るわ」
「まあまあ、まだ向こうの第二将の演説がまだですからー…あ、そろそろ来るな」
それに今回の大戦の右翼に位置する録嗚未は毒づくが、今度は彼らと正反対に位置する韓軍左翼からの気勢が上がり始める。
「韓軍第二将にして今大戦副将博王谷である!!」
「「「「「!!!!!!!!!」」」」」
「「「「「博王谷!! 博王谷!!」」」」」
「「「「「第二将!! 第二将!!」」」」」
「我らは全国民から選抜されて全将兵一人残らず鍛えられた祖国を守る勇士であり!! その身を固める装備は技術立国韓の証明である最新のもので!! まさしく心技体全てを備えた最強の正規軍である!!」
「「「「「オオオオオオオオ!!!!」」」」」
「それに対し楚軍は大国とは名ばかりの古代から続く蛮族の集合体!! 数こそは多いが言葉も違う何十もの諸民族から強制徴兵された寄せ集め!! 更に此度のその主力は楚中枢に冷遇されてきた江東の水軍!! 面従腹背の輩にしてその力量を発揮できる水上を捨てて身の程知らずに陸へ上がってきた無知蒙昧!! この差は歴然である!!」
「「「「「オオオオオオオオ!!!!」」」」」
「更に此度はかつて剣戟を交えてその刃を研ぎ合ってきた西方の強者秦も此度の重要さを見抜きこちら側で参戦して軍容も我らの方が二万多い!! 有利な地点も事前に抑えてある!! もはや確定した勝利をもって南蛮の鬼畜共を粉砕せよぉ!!」
「「「「「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!」」」」」
その韓側両大将の激励で韓側の士気は最高潮に上っていく。
「順調」
「士気の上げ方は九十五点」
左軍の高揚は離れている中央軍と右軍にも伝わっており、中央軍副将ヨコヨコは喉を鳴らして白漂は偉そうに高評価を出す。
「…や、野郎…好き勝手言いやがってぇ…!!」
「落ち着け、だが、こっちは本来なら士気を上げ返すべき時なのに…なんだこれは…」
その状況に今回の楚軍の右軍に入っている項翼は歯ぎしりするが、同じ白麗はそれを宥めようとしつつも別の心配を感じていた。
「「「「「………………」」」」」
此度の楚軍の主力である、自分達とは民族などで大いに異なる江東兵達は敵側の士気高揚に対し、怖気づくでも反発で逆に上げるでもなく、まるで日常業務に臨む平民のような慣れた感じのする静かな空気を纏っており、疎外感もあって白麗は味方の方に不気味さに近い恐れを抱き始めていたのだ。
(この出だしの悪さをあの今回の実質的な大将はどうするつもりだ? このままの状態で始めても攻めあぐねるぞ…!?)
だが、そのことに白麗が尻込みがちになりそうになったその時、自軍の左側のかすれて見える箇所より、その若く鋭敏な将兵としての感覚が何かの高まりを覚える。
「…な、何だ!? この声こそないが静かに…だが高密度で高まっていく波のような感覚はぁ…!?」
それに二人が思わず左を注視したその時、まだ小さな豆粒ほどにしか見えないにもかかわらず、ざわめきの波と共にその静かだが濃密な上昇気流のような士気の高揚を引き上げていく、この何十万という大軍が対峙する戦場の遠目でも目立つあの
「…お、おい…あれはぁ…!?」
「ま、間違いない…今の…俺たちの大将の…あの…!!」
そうして左側のかすれる友軍の端からカタカタと地震の前触れのような武者震いの感染の波が、自分達にも徐々にうつっていく感覚を項翼と白麗が感じたその時、その理由がカツカツと静かに馬を走らせて近づいてきた。
「………ふ!」
「「…!!!!????」」
そして、その理由である赤く妖艶な色気と濃密な武威を感じさせる赤髪と赤いマントを靡かせながら、今回の楚軍を実質的に取り仕切る紅剡が自分達の眼前で微笑む光景に、項翼と白麗は出身由来の疎外感を打ち消す、歓声を必要としない士気の高揚を確かに覚えさせられた。
「…我が同胞たちよ。中原の上っ面ばかり綺麗な愚昧共が何かを長ったらしく無駄にほざいているぞ」
「「「「「!!!???」」」」」
その紅剡が初めてこの戦場に姿を現してから口を開くと、楚の右軍の意識は一斉に彼女へ集まっていく。
「…奴らが言っている通り、今回の奴らの背後には奴らが守るべきものにして、今の我らが更に飛躍するのに必要なものがたんまりとある。この戦はそのどちらが生き残るかという大事なやり取りだ。我らと同じように奴らにも守るべきものがある。だから、誠心誠意と全力をもって―――」
「「「「「…………………」」」」」
「―――先人たちがそうしたように全て粉砕して呑み込んでやれ」
周囲から何十万と集まる期待と信頼に尊敬というプレッシャーを前にして、紅剡はまるで戦に出向くというよりかは商談などに初めて付き添う丁稚などへ優しくも語り掛けるような内容と声で、自然体にそう言い放った。
「「「「「…ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!」」」」」
「「「「「!!!!!??????」」」」」
だが、それだけで楚軍右翼は爆発を通り越して噴火を思わせる士気の爆発が声に現れ、それは中央軍と反対側の左翼にも伝わっていき、それらと対峙している秦韓両軍を逆に戸惑わせて動揺の目を撒き始めた。
「…それでは、我が軍の右翼の先鋒を務める若き二つの才能よ。今回もその先陣を任せるぞ」
「「!!??」」
その急上昇していく士気の中心に指名されて項翼と白麗は動揺とそれ以上の高揚に身を支配されていく。
「…お、おい…大将…それは…その…!?」
「ああ、もう切り込んでいいぞ」
「「「「「!!??」」」」」
指名された若き五千人称の片割れである項翼は震える声で問いかけるが、紅剡の軽いが安堵させるその言葉を受けて、自分の背後に広がる何十万という友軍の波を見渡す。
(…俺が、この大戦の…大軍の…先鋒!!)
「こ、項翼…」
「っ! 野郎共ぉ! よく聞けぇ!」
「「「「「!!!!!!!!」」」」」
その高まっていく熱を今度は項翼が己の声に乗せて友軍の溜まっていく士気に火をつけていく。
「今回の戦はこれまで向こうの内ゲバに付けこむ他所のための戦とは違う! 楚の長年の悲願である北への拡大という先祖から続く戦だ! 更に! 今回の敵には臨武君の仇であることを始めとして俺たちに散々煮え湯を飲ませてきた騰と白漂がそのあほ面をそろえて出してきやがってる!!」
「「「「「!!!!!!!!」」」」」
「俺たちの手で奴らの首を含めた楚の勝利でこの地を秦韓の血で染め上げるぞぉ!!」
「「「「「ウオオオオオオオオ!!!!!」」」」」
「っ!」
「来るぞぉ!!」
そして、楚の若き将のその気勢によって、今回の大戦である南原攻防戦の開幕がついに切って落とされた。
○中華中央部 韓国南部 南原平原 荒巌山○
「…この感じ、左側から始まったな…」
「っ! こっちも来るぞぉ!」
その楚側の熱意と戦意の高揚と感染は震源地の反対側にいる白漂も感じ取れ、その彼がいる右軍の方にも歓声こそ上げないが濃密な戦意を静かにだが大きく立ち昇らせ始めた楚の左軍が、秦軍に向けて前進を始めた。
「(…こっちが対峙している楚の左軍もわかっている面子だけでもただものばかりではないのはわかる。だが、この感じ…この初日の決め手と向こうが見込んでいるのは、やはり…反対側の)ちょっと紅華」
「は、こちらに…」
「今朝に聞いた
白漂はその自分達の持ち場の戦況を注視しつつ、戦場全体の動きに混じる違和感を確かに感じ取って動き始めた。
○中華中央部 韓国 王都新鄭 王宮○
「…もう、南原で両軍が衝突…開戦した頃かと…」
「「「「「………………」」」」」
三か国の軍勢が本格的な会戦を迎えた頃、その舞台となっている韓の中枢と重い緊張の中にあったが、何処か希望的観測が強そうな感じがしていた。
「…今回韓の
「この状態で迎えられたのは大きいな…!」
「本来なら安全になった西部軍も加えてより万全な状態に仕上げたかったが…」
「今回の敵の主力である江東軍の進軍速度が予想よりも早く…」
「だが、西部軍は王都圏の守護に回すことが出来る」
「その通り、今回の楚軍が安全にここ新鄭まで進むためには、南原で連合軍を撃破せねばならんが、それは困難を伴うのでそうしている間に我々はここ王都圏の防衛網を十全に固めるのは十分に間に合う。仮に南原で連合軍を撃破出来てもその消耗した状態ではここ王都には近づくこともままならん。もしも南原を迂回してここを直接攻略しようとしても、その時は王都軍と連合軍で挟撃して殲滅できる」
「おお!」
「さすがは張宰相!」
その場で上がる声は現状における正攻法を踏まえた堅実且つ安全な基本戦略を安心の土台としており、韓側は士気と安心を高めていっていた。
(…三人とも、どうかご武運を…!!)
寧姫はその状況に安堵を強めつつ、今この場にはいない韓の英雄二名と自分の友の姿を思い浮かべていた。
○中華中央部 韓国南部 南原平原○
「「「「「ウオオオオオオオオオオオオオ!!!!!」」」」」
韓側中枢が自軍の勝利へ期待を強めてから十数分後、その南原では三軍合わせて五十万を超す大軍の死闘が繰り広げられていた。
ここで両軍の交戦経験を言うと、要約すれば“相手との交戦経験は今回が初めて”である。
今回の楚軍の主力を占めているのは長江下流域や以東を出身として、長江中流域系を母体とする楚の中枢から見れば外様であり、主な戦場は東海やその沿岸部で、相手は燕斉倭といった東海諸国が中心で多くは沿岸戦か水上戦である。
一方、韓軍や秦軍にとってもこれまで戦ってきた楚軍はその北部軍や西部軍が大半である。
故に両者とも今回で初めて戦う相手には驚いていた。
「敵後衛右側に床弩を撃ち込めぇ!」
「ぐあぁ!? ここまで」
「敵騎馬の突撃はこちらの装甲歩兵で十分に押し止められる!」
「っ!? 何だこいつらは!? 盾が異様に硬くてそのくせ動きも速い!」
「連中の左側はこちら騎馬隊の誘導で密集して動きを鳥津卓なっている! 軽装剣士隊で削りつぶせるぞ!」
「ぎゃああああ!?」
数も揃えた高性能兵器*1で装備し、加えて常に組織化された戦術を末端まで使用してくる韓軍の強さに、楚軍は驚かされていた。
「っ! おい項翼! 俺たちいつの間にかもう包囲されてるぞ! 更に床弩で撃ち込まれてくる矢からあふれる薬で後続が次々と目をやられていってる!」
「わぁってるっつの白麗! くそぉ! ついさっきまでもうあの城の麓にいるくそ堅そうなあっちの副将まで行けそうな所だってのにいつの間にもうこんなところまで押し戻されてるしよぉ…!?」
それで最もピンチに陥っている楚側の若き両五千人将が顔をひきつらせたその時、彼らを囲みつつあった韓側の包囲網の一角が、まるで大きく爆ぜたかのように重装甲兵も大勢交えて宙を舞った。
「あぁ!? あの馬鹿みてえな破壊力はぁ―――!?」
「…はいはーい、二人とも若いからってそんな急がないのー♪」
「―――あ、あんたはー…!?」
自分達を救ったはずのその衝撃におもわず仰け反った項翼の背を抱きとめたのは、赤紫色を基調とする鎧で彼以上の長躯も美点に変える凹凸ある身を固めた、褐色の肌に桃色の長髪を靡かせている、気さくな雰囲気を醸している美女であった。
「そ、孫雪蓮将軍!」
白麗が驚きの顔を向けたその美女は、紅剡の副将の一人で此度の楚の右軍の指揮を執る孫雪蓮であった。
「!? 孫雪蓮だと!?」
「確か今回侵攻してきている楚の実質的な大将である紅剡の腹心中の腹心だ!」
「今ここで討ち取ればここ左翼の優位は決定的になるぞぉ!」
当然、その顔と名は情報戦で生き抜いてきた韓側にも知られており、彼女を目にした博王谷兵は続々と彼女を狙いだした。
「ああ!? 馬鹿! そんな前に出たら―――!?」
それに項翼が血相を変えた表情を浮かべた次の瞬間、彼の視界を鮮血と臓物が埋め尽くした。
「…前に出たらなんだって? 少年」
「―――あ…な、何でもないっす…」
血と臓物が地にあらかた落ちた数秒後、その光景を現出させた両先端より長剣を伸ばしている長杖より血を振り払って落とし、先ほど一閃で胴より切り飛ばした韓兵に囲まれても穏やかにほほ笑む孫雪蓮に、項翼は引きつった様子でそう答えるほかなかった。
「っ! ひ、怯むなぁ! もっと数で取り囲めベぎゃ!?」
その壮絶な強さと美しさに韓兵は怖気づきつつも魅入られて止まりそうになるが、何とか意識を現実に戻して孫雪蓮を取り囲み討とうとしたところで、無数且つ豪速の槍衾の数々でボロボロにされた。
「将軍、毎回いつも前に出過ぎです!」
「いや、毎回そっちが遅すぎなんだって」
「いやいや、陸でもあなた達が速すぎるんですよ」
「! 孫将軍の精鋭である江堅…」
それを成したのは孫雪蓮の直下兵団である江堅で、自分達を取り囲んでいつの間にか周囲の韓兵を排除してみせた彼らに白麗は目を見開く。
「もう少し待ってなさい博王谷、もう少ししてこの地に慣れたらそっちも招待してあげるわー」
「最初の勢いを取り戻せ!」
「梧柱隊は右側の装甲兵から崩せ!」
「弩砲で連中の毒兵器部隊を潰せ!」
「ぎゃあ!?」
「ぐぎぃ!?」
そして、今度は楚の江南軍の現場仕込みの強さに崩され返し始め、韓軍は驚き圧倒された。
「…うわぁ!?」
「さ、さっきまで相手してた連中とは桁が違う…」
「そんなに驚きなさんな。そうそう経験豊富な猛者の力が若造に感染など都合のいいことは起きやせんわい」
「床弩及び弓隊は入れ替わった敵前面の後ろ側の推進力を狙えい!」
「!? 茶羽将軍に程虎将軍!」
「熟練兵が多い江東兵は守備を第一とせよ!」
「そのほかの若年兵から食い込んで傷口を広げろ!」
「おおお!!」
だが、韓軍も熟練した指揮官の元で速やかに対応策をとり、平原東側の南原城側は楚軍がやや優勢という感じで状況は拮抗し始めた。
「「「「「………………」」」」」
一方同じ頃、反対側に位置する荒巌山でも楚軍が粛々と近づいていく形で両軍は距離を詰めつつあったが、両者は困惑交じりの不気味な緊張と静けさにあった。
「…あー、こういう時の待ってる時間は欠伸したくなるなー…」
「駄目ですよ」
楚の左軍が目指す荒巌山の大岩の群れが広がる麓の最前列に、白漂が僅かな手勢だけで注意を受けながら突っ立っていたのである。
今回、登場した孫雪蓮さんはその名からわかる通り、恋姫のあの人のこの世界での同位体です。
次回、原作でも史実からだいぶあれだったのに、この世界ではますますそうなっていたあの人が久々に活躍します。