○秦始皇9年(紀元前238年)南原防衛戦一日目昼 中華中央部 韓国南部 南原平原 南原城○
南原平原で楚軍と韓秦連合軍の大戦がはじまって数十分後、楚の右軍と連合軍左軍の戦場は佳境を迎えつつあった。
「うおおおお! このまま“鋼橋”で楚の右軍を左右に分断せよぉ!」
「それで敵の孤立した東側半分を沼地に落とせぇ!」
地の利を熟知している韓軍左翼を占める博王谷軍が敵側の中心部を走る高所を抑えてその大軍を分断し、各個撃破に取り掛かり始めていたのだ。
「…ですがしかし、陸の上でも楚の江南軍の強さは情報で想定した以上ですな。もう既に分断用のため用意していた装甲兵の使用率が八割を切っています」
「報告ー! 敵の西側半分を東側半分より引き離すために向かった範綿隊が主将をあの楚の項翼に討ち取られて隊が半壊しました!」
「近くの右側に位置する艦雁隊を補佐に回せ!」
「は!」
「…ですがしかし、鋼橋ですでに敵中央線に拠点を設けたというのに…ここから敵も粘りますな…」
「ええ、開戦前の想定よりも
だが、戦況は韓側が有利ながらも想定していたよりもその進行速度は遅れており、そのことで秦側から通知されていたある情報が韓側本陣の脳裏に蘇る。
「博王谷様、今回の楚軍には趙から春申君の所へ亡命しているというあの人物が参加しているようですが…」
「…知っている。あの男が北の方で北狄を相手に取っていた
「でしたら、この状況はー…」
「だからこそ予備隊を出しつつも周囲の監視網は維持しておけ。万が一近づかれても距離をとって前面の味方の海にも逃げ込めるようにもしておけ…?」
そのことを踏まえつつも博王谷達は目前の敵に勝利するための思考を深めようとしたその時、彼らから見て西側より大きな喚声が割り込んできた。
「…この声は…南奏城方面で動きが…?」
「…いや、この感じは…その更に向こう側だな…」
戦局は連合軍の左翼だけでなく右翼の方でも大きく声に出るまで動こうとしているその証を、博王谷は思考を進めながらも鋭く感じ取っていた。
○中華中央部 韓国南部 南原平原 荒巌山○
「…殺せええええええええ!」
「さっさと殺らんかー!」
「追いつけさえすればこの戦場の勝利はすぐだぞぉ!」
南原城の反対側、秦軍の担当となっている荒巌山一帯も喚声と戦意が盛り上がっていたが、その主たる要因は楚の左軍の憤懣と焦燥が大きかった。
「おーーほっほっほ! 自分達の真上を何度も行ったり来たりされてるのに触れることすらままならないってどんな気持ちー!?」
攻めている楚の左軍は荒巌山の麓に広がるカッパドキア岩窟群を思わせる大小さまざまな奇岩地帯に入っているのだが、その岩の上から上へ耳障りな内容且つ声で白漂が挑発しながら飛靴効果もあって超高速で飛び回っていたのである。
「さっさとやれぇ! あの白起の孫めはあの身軽さを維持するために軽装だぁ! 矢を浴びせればぁすぐにやれるぞアアアアアア!?」
「ね、撚眼千人将ぅ!?」
当然、この状況を逆手に取った挑発もあって楚軍は顔を真っ赤にしつつも討ち取ろうとしているものの、白漂に意識が向いている隙に秦側陣地の奥側より飛んでくる投石や矢に石弾などが遠慮なく横腹をぶち抜いてきていた。
「…な、何なの…あの人??」
その様子は韓側より(監視や諜報も兼ねて)派遣されてきていた王元姫率いる隊も白漂軍本陣の指揮所から確認しており、彼女達は唖然とした表情を浮かべていた。
「…あ、あの馬…漂が敵の正面右側の潘と書かれている旗の隊に向かっていったから、二番隊と五番隊は投石機と弩砲を集中させて。弾は火と油にして煙を立たせてと分は風下にいる楚軍へ嫌がらせになる煙の壁を作ってー」
「いや今さ馬鹿って言いそうになったわよね!? てか自軍の大将にあんな戦い方をさせていいの!?」
彼女が位置する指揮所では慣れた様子の河了貂達が各所に指示をテキパキと出しており、そのあまりの差に王元姫は普段の敬語など忘れて素の口調で声を荒げる。
「ああ、大丈夫大丈夫。ああ見えてもこういうやるべき時はあほみたいにやるんだよ。あいつだってまだ死にたくないし、失敗しても上手く次につなげる対応力は無駄に高いしー…あ、今もー…」
河了貂はその怒声を浴びせられても涼しそうな表情でその白漂を指さすが、そこでちょうど悪く彼の履いている飛靴の片割れが壊れた。
「うわっとぉ!?」
白漂は奇岩の岸壁の窪みから落ちるも、十星戟で岸壁を引っかけることで落ちつつもスピードを緩めてその下の地面へ無事に降りるが、そこは周囲を楚兵に囲まれている状態だった。
「…や、やれぇええ―――!!」
「させるかぁ!!
「―――えぶばぁ!?」
それを見た周囲の楚兵は初め数秒ポカンとするも少しして現実を再認識しきれたら、目をパチクリとさせている白漂を取り囲んで討ち取ろうとするが、その横っ腹から遠慮も容赦もなく伍鬼が粉砕した。
「…ちょっと白漂将軍、今ので飛靴を三回壊してるんだからもうこんな挑発はやめてください!」
「大丈夫だよ。足当たりの異変はすぐに感じてその時は君たちとすぐ合流できる所の敵を搔き乱せる位置だけを回ってるから。それに壊れても君たちが守ってくれるしね」
「将軍の身は守れても我々の心臓は無事では済みそうにないのだからもういい加減おやめください!」
「え、ええーー…」
その上下関係を感じさせない内輪もめの現場が示しているように味方側の神経は無事では済まないこの白漂の囮戦術だが、楚軍にとっては自分達の攻め手を搔き乱して意識から離れた方向より即座に粉砕してくるので、馬鹿なようでいて馬鹿にならない損害を積み重ねさせられて行っていた。
「…な、何という…敵を搔き乱すことのみを優先して大将の安全の必要性を切り捨てた戦術だ…」
「だがふざけているようであの死闘を躊躇せん戦い方は亡き武安君*1と違って好感を抱けるぞ隆国」
「いや、あの勘と目利きの鋭さはともかく、根っ子は若さ特有の命知らずと馬鹿さのまま突っ走ってるのが第一だろ」
それに対する不可解さと胃痛の増大は騰軍側首脳陣も襲いつつも、彼らは今の戦況が招きつつある楚の左軍本隊の動きを感じ取りつつあった。
「…ええい! あれだけ目立ってるのに前衛は何故いまだに触れることもままならずに次々と討たれていってるのだ!?」
「正面から行けば
実際、その前衛の苦戦ぶりを丘の上に布陣した楚の左軍の本陣も確認しており、参謀たちは焦りを隠せない表情になっていた。
「…乱雑且つ場当たりそうに見えて地の利を遠慮なく生かした嫌すぎる上手い戦い方をしているな…あの白漂という将は。こちらよりも高い場所をほぼ独占しているから、その高所から見える、岩塊の中を進まねばならんこちらの綻びが強くなる場所を見極め、その場所ばかり嫌な順で狙いに行っている…」
「し、しかし! その利もあのようなやり方で飛び込めば周囲を広く見渡せなくなって消えます!」
「敵味方何万と入り混じって一数えるごとに前線が変わるこの岩石の森の中でその場所を見抜いて向かうなど不可能だ!」
「それを今この場でやっている天才があの男ということだろう」
「…し、しかし周瑜様ぁ…」
楚の左軍本陣にいる参謀や軍師たちが頭を抱えている中、その中心である左軍主将で秀麗な容姿を持つその青年の将たる周瑜はむしろ面白そうな表情を浮かべていた。
「周泰と凌統を呼んでくれ」
「え、あのお二方をもうですか!?」
「ああ、向こうももうそろそろ伝説の生き残りも出たがっている気が立ち昇っているしな。それに…もうそろそろ彼女…紅剡も右の方で動く頃合いだ…」
その周瑜は東側の戦場を一瞥したのち、自らも本陣の丘を降りて前面に向けて馬を走らせ始めた。
○中華中央部 韓国南部 南原平原 南原城付近山岳地○
「…よし! どうにか着いたぞ…ってかもう佳境に入ってる頃合いだ!」
「どっちが優勢だ!?」
「いや楚側があちこちで上手く守りに入ってる感じだから天秤の上という感じだけど…もう何時…韓側に傾いておかしくない感じだぞ!」
そうして楚の左軍本陣が大きく動き出した頃、信と蒙恬に紅華を中心としたその一団は、南原城がある山地の東側戦場を広く見渡せる場所にたどり着き、安堵すると同時に困惑の色を浮かばせ始めていた。
「…こ、この状況で…本当に
その困惑を代表して楽華隊隊員の一人が口を開くが、それを制するように信が韓左軍本陣の後輩の一角にある山林を指さす。
「おいステラ! あそこの茂み…風じゃねえ揺れが生じてるが…どうだ!?」
「………一瞬だけだけど…姿を見せたわ…
「よし! 近道の案内を頼むぞ紅華!」
「皆! 着いてきて!」
「ええ!? またそっちぃ!?」
それで北部草原や山林地帯出身者が多い白漂兵は深い茂みに覆われた急斜面を駆け下りだし、楽華隊はその後を悲鳴交じりで必死に追っていった。
「…よおし! 版土隊も我が軍の左翼の前面をさらに押し上げた!」
「このまま行けば楚兵どもを逆に水へ落として溺死させられるぞぉ!」
一方その数分後、韓左軍本陣は順調に進む戦況から意識をほぼ完全に楚軍の方に向けており、それは主将である博王谷も同様であった。
「包囲戦術は洛亜完の方が得意だが、分断各個撃破戦術は俺の方が上だ。加えて、俺の地元でもあるここ南原の地の利も生かせばこの結果は見えていた。誤差も十分対応可能の範囲内だ」
それに対して楚の右軍本陣は焦燥と不安を少しずつ強めていっていた。
「おい! どうすんだよ孫雪蓮将軍! このままだとこっちの半分はなくなっちまうぞ!」
「落ち着け項翼!」
その証拠に楚側における信と同世代の将二名が楚軍右軍本陣で声を荒げていた。
「あーもう目立つのは良いけど落ち着きなさい少年、その方が自然でこっちが向こうの首根っこの近くまで潜ませ進ませている
「あんたら江東の連中が腹に一物持ってるのは知ってるけどよぉ! このまま超大国楚の軍が弱小韓の軍に負けたなんて事態になったらあんたらの首がここぞとばかりに斬り飛ばされるぜー…え!? 殺し屋!?」
だが、その項翼の詰め寄りは返事に混じるその単語で困惑を生じさせた。
「…よし、それではこの左軍の本陣を中心の鋼橋の根元に加えて、連中を更に押し出すぞ―――」
同じ頃、博王谷が馬に乗って更に自軍の前線を押し上げようとしたその時、異変が起きた。
「どわぁ!? な、何だ貴様らぁ!?」
「み、味方だぞぉ!」
「―――ぉ…??」
自分達の左側の脇を守るが戦況の都合で薄くなっている東側の守備隊から困惑の混じる悲鳴と怒号が聞こえ、それで博王谷の視線と意識がそこへ向けられたその直後、陣幕がその向こう側より切り裂かれ、韓の旗を掲げてはいるが鎧からして韓兵ではない一団が姿を現したのだ。
「…っ!? 貴様は…李ぼ―――!?」
「!!」
「―――っ…!?」
その一団の先頭を行く男に見覚えがあった博王谷が驚愕と困惑を同時に生じさせた瞬間、先頭の男の剣先が自身の首筋にスッと食い込み、周囲の動きがまるでソローモーションのようになったが意識が急速に薄くなってゆく感覚が身を満たし始めていく。
「李牧ぅ!!」
「っ!!」
そうして闇に落ちそうになった博王谷を引き留めたのは、信が叫んだその剣先を差し込もうとしている男の名であった。
今回、自分なりに話の切れの良い所で話を分けたので、今回は普段に比べて短めになりました。
次回、連合軍優勢の状況が一変していく状況が中心になります。