○秦始皇9年(紀元前238年)南原防衛戦九日目正午前 中華中央部 韓国東部 環西道○
「「「「「ウオオオオオオオオ!!!!!」」」」」
白漂が今は自分の近くにいない懐刀に思いを馳せて数時間後、その彼も含めて秦韓連合軍は必死に剣戟や采配を振るってはいたが、刻一刻と進むにつれて戦況が自分達の不利に傾いていっていることが兵士達にも感じ取れるようになっていた。
「ご報告ー! 白漂軍ですが本陣が二度目の急襲を受けてまた動かしたとのこと!」
「こちらももう五百人隊規模の敵の隊が背後方面より迫ってきているので退いた方が…!」
「アアアア!? 左翼の干央軍が左より再集結急襲を掛けてきた楚軍の隊に分断されて各隊が急速に小さく…!!」
「(…もはや偶然ではない! 紅剡は…周囲に散らしている敵味方のここへの再集結への時間差まで考慮して軍を動かしている! この地に来るまで行っていた橋や道の破壊もそれを促すために計算していたのだ! 奴はこの戦場を中心としてそれのみならず周囲まで俯瞰して操っている!)騰将軍に伝令を出せ! 内容は―――!」
その状況の悪化を最も感知している隆国は絶えず指示を出し続けていたが、それ故に己への凶刃にはその時を肌で感じ取るまで気づけなかった。
「シャアア! 臨武君の借りである騰の前座はその知恵袋であるお前だぁ隆国ぅ!!」
「―――あっ!?」
「「「「「隆国様あああああ!?」」」」」
そうして周囲から計算された時間差攻撃を仕掛けてくる楚軍の各帰還部隊に紛れる形で接近してきた項翼が振るう莫邪刀に、隆国が気付けたのはその剣先に首筋の皮をスッと斬られて血が滲み出た瞬間で、それをスローモーションのような感覚の中で見てしまった騰軍参謀達は悲鳴を上げてしまう。
「させるくあぁ!!」
「んがぁ!?」
だが、その莫邪刀が致命傷へ達する前に、杏譚の十文字槍が二人の間に割り込んで逆に項翼の刀を握る手より割と勢いのある血が噴き出た。
「いっでえ! 何すんだこの親父ぃ! 臨武君みてえに片腕になるところだったじゃねえか!!」
「私は不死身の杏譚! 状況からして貴様のようにコソコソとこちらの頭脳を自分達が本陣を開けている間に狙いに来るだろうと見抜いた義兄の慧眼の指示を受けて馳せ参じた!!」
「杏譚!? 白漂親衛隊竜騎の将校の一人で義弟のか!?」
「確か初陣してから一度も戦傷を追ったことが無いというあの!?」
その登場と横槍を入れた人物の正体で楚側はざわつく。
「初陣から怪我なしで不死身だぁ!? 嘘つけぇ! その頬から血が出てるじゃねえか―――!」
「こんの南の童顔馬鹿猿がー!! 貴様からの返り血のせいで私が怪我を負わされたと誤解されるだろうがーーーー!!」
「―――あってのわーーーーーー!?」
「あぁ!? あの項翼が押され…ぎゃあああああ!?」
「杏譚隊長が怒ってあの楚の五千人将がすごく押されだしてるー!?」
「その巻き添えで周りの楚兵が次々と討ちとられていってるぞー!」
「よ、よし! 今の内に本陣を動かして立て直すぞ…オフぅ!?」
「それもそうですけど隆国様はお早く手当てを受けてぇ!!」
そうして秦楚それぞれのやかましい若人二人にその場の剣戟の中心が移ると、騰軍本陣はその隙にと立て直しを図り始める。
一方、今の戦況に秦軍とは別の観点で深刻な危機感を覚えている人物がいた。
(…まずい! どう考えてもこのままだと紅剡が勝利して楚が韓を飲み込む! 先に趙への支援を盾にしてきた
その人物とは今回、楚軍に客将的な立ち位置で従軍させられている李牧本人である。
秦側に韓を併呑されるのは困るが、その秦と中華の二大国を構成する楚に韓を取られても大差がないのだ。
むしろ、今までは中華制覇を現実の道として考える秦だけでなく、今度は野心を増すだろう楚の圧力まで中原で魏趙は直に浴びせられるようになり、脅威は却って増してしまう。
(…今回の侵攻を実質的に仕切る紅剡…もう今回の戦で韓を飲み込めるのはもうわかっている…そして、韓だけで満足するような人間ではないのは目で分かる…毛並みは違うが…過去など…まだ知らぬことが多いが…あの秦王と同じ瞳で…。だが、今回で見たこの軍…明らかにおかしい! これほどの強軍ならたとえこれだけ遠くだとしても私の耳には届いているはず…間に何かこちらには届けられないように邪魔があったと考えるのが自然だ。それが出来るのは
「おい、あの人さーずっと難しい顔してるけどあの博王谷の時以外ずっと仕事してねーよなー…」
「本当に何してるんだよマジでー、うちらの姫さんが普段なら無言で蹴りで壁の貼物にしてるぞ…」
その思索に更けるあまり、李牧は周りに色々疑われだしている事には気付けてはいなかった。
○中華中央部 韓国東部 環西道付近 潘芸池○
「「「「「わああああアアアァアアアアアァ!!!!!」」」」」
李牧の立場が色々な意味でまた一段と不安定になっている頃、主戦場から少し離れたその古い溜池の近くでも激闘が繰り広げられていた。
「くっそぉ! また押し返されそうだぁ!」
「アア! 数は向こうが上とは言ってもそこまで差はないのに…向こうの兵の練度が上なのもあるがぁ―――!?」
そこを攻めているのは秦側でその指揮官は信と蒙恬だが、その二人の表情からも見て取れるようにこの場でも秦側が不利で、その最大の要因の凶刃がまた迫ってくるのを二人は感じ取った。
「―――あってぅううぅ!?」
「あら、ギリギリだけどまた上手くいなしたね。うちの所にもほしいなぁ」
今回はこの場の守備を今は担当している孫雪蓮の突き出してきた剣が、その豪速の勢いで文字通り
「…はは、陽気で余裕な割に剣はご容赦のないことで…(こっちより長躯なのはわかるけど…あの女の腕でどうやったらあれだけ奇怪且つ大得物を軽い顔でぶん回し続けられるんだ!?)」
軽口を叩いている蒙恬だがその内心では目前にいる今回の任務最大の障害に苦悩していた。
孫雪蓮が振るう剣は長剣を柄の部分で二本縦状に繋げたものをしていたが、刀身はその内部で繋がっているようで、彼女が振るうたびにシュシュっとその柄の内部を超高速で移動し、さらに刀身も特殊な合金で出来ているのか譜孝が振るう鋼蛇のように変幻自在にうねってくるのである。
「…はい、そこ!」
「ぶべぇ!?」
「あー!? 地下の捨てられた廃坑の坑道を通ってあの大女の背後にある溜池の堤を狙った郭巨丙君がぁあの鋼の盾ごと尾平の腕を砕いた蹴りで地面から出ようとしたところで地面ごと踏み倒されたぁ!」
「英成五千人将! 駄目です! あの右側の茂みから狙った隊も横腹から潰されましたぁ!」
その独特な得物と更に異常な勘の強さを生かし、孫雪蓮は今回の戦いのチョークポイントとなる潘芸池の堤防をずっと守り通しながら、秦側の戦力をがりがり削り続けていた。
「何だよあの姉ちゃん!? 麃公将軍の親戚かよ…!?」
その状況を覚えつつも何とか打開せんと矛を振るい続ける信の脳天ギリギリ真上を、豪速で床弩にて使うような大矢が飛び越した。
「うわっと!? またこんな大矢が…しかもこんな人と人のわずかな隙間を狙ってこんな時に狙ってくるなんてすごいなぁ!!」
「すごいなぁあの子、鞭みたいにしならせて伸ばした剣でそこらの石を勢いよく打ち飛ばしてさっきの大矢のどてっぱらにぶち当てて軌道をずらしまでしたよ…」
「姉上そんな評価してる場合ですか!?」
それは康熙が弭槍で撃ちだした爆薬付きの大矢だが、孫雪蓮は驚きつつもそれも防いでしまう。
「くそぉ! あの堤自体はもう一発くらいで壊れそうなくらいに古いってのに…あの姉ちゃんが強すぎて一向に…!」
「し、信隊長! もうこれ以上この場に留まったらまずいぞ! 俺達が包囲殲滅される!」
「…わかってる! だけどここであっちに戻っても纏めて潰されるだけだ…何とか今の内にあそこを潰せる方法は…!?」
そこで信が必死に打開策を考えるがその最中にも何本もの矢が彼の身に襲い掛かる。
「ちい! 少しは考える時間をくれてもいいだろが…!?」
信はその内の急所を狙ってきた矢は払い落としてそうでない矢は無意識のうちに認識外にしたことで肌を浅く切られてしまうが、その違いが本能型に属する彼の思考に一つのインスピレーションを与えた。
(…待て、あの姉ちゃん…これまでの動きで…戦術や軍略とかは身に付けてはいるが…根っ子が本能型なのは間違いねえ…。本能型は危ういと感じとれたものには早いが…そうでないものには―――)
「飛信隊の信だな! 死ね…ぎゃばぁ!?」
そうして生まれた一瞬の隙を狙って楚兵の一人が信の背を槍で狙うが、彼の樹上の茂みから突き出た長大な手甲の鉤爪が槍を打ち払って楚兵の首を切り裂いた。
「信! ここボーっとするだけ駄目!!」
「―――!? 式部か!? 何でここにー…けど悪い! 地味だけどやばかったから助かった…って、お前…その格好…!?」
その思わぬ助っ人とその怒鳴り声に信は驚くが、それ以上にその助っ人である式部の全身に幾つもの切り傷や矢傷を負わされ、装甲もあちこちがはがれて負傷した肌と血が多く見えている姿であった。
「…これ、一人で森の中を進んできて…何度か敵に出くわしたから…」
「はぁ!? お前みたいな馬鹿が何を考えてそんなことしやがる!?」
「…だ、だって…これも殿様の言い付けで…何より…大事な作戦…伝えるためだって…」
「…え?」
信はその理由を聞くと思わず怒鳴るが、その理由として挙げられた
「…殿様が言うには…ここまで待ってても報せ来ないの…多分、信みたいで…今は信よりももっと強いのがそこの敵にいるから…それで邪魔されてるんだろうから…それを掻い潜る作戦すぐに伝えないと皆が死ぬって…ぶっちゃけ…一度で皆行かせると勘付かれるから…分けていってもらうつもりだったらしいけどー…」
「…………」
「…それを伝えるには…なるべく気づかれないように…敵に邪魔されないように…森の中を…一人で走り抜けていく必要があるから…それが一番向いてるのは式部だって…それで、最悪…捕まって酷い痛い事されてもしゃべらないのは…式部だけだっても…だから来た…」
「…もう無理そうだからやむを得ず撤退しようって言いに来たところだけど…何か不思議と気になる場面に出くわした…どんな話かすぐに聞かせてくれないか?」
その間が抜けているままの信に式部が説明していたその最中に、酷く疲労している様子の蒙恬が一筋の光明を感覚で得た表情で割り込んできた。
「…う、うん…さ、作戦ーーーーー…………あう? 何だっ…ぐぅ!?」
「「おいイイイイイイ!?」」
だが、式部は作戦を説明しようとしたところで何か不安を覚えさせるキョトンとした顔になったところで額に勢いよく投石を浴びせられた目を回し始め、肝心なところで感動や希望を台無しにされそうになった信と蒙恬の悲鳴が同調した。
「…あ、今! 石当たった時! 殿様言ってた場面頭に浮かんだ! えーーっと…細かい人選はそっちが良いって感じたのを選んでって言ってたけど…!」
「「「「「…………」」」」」
だが、その悲鳴で意識が現実に引き戻されたのか、式部は片言口調だが白漂からの伝言を早口で説明していく。
「…なあ信、俺みたいに基本理屈で動く人間にはさ…その…この子が伝えてきたこの作戦…無茶ぶりすぎるし…人材だのみが酷いし…何より…要となるこの子が…もうボロボロで…馬鹿馬鹿しいから自分からやろうって気にはならないんだけどさ…こういう馬鹿な状況にこの場では一番強いだろう…君から見て…どう思う?」
「…ぶっちゃけ、こいつでもうダメだったら今回のこの戦争…もう勝てねえな! さっそく一緒にやれそうなやつを集めるぞ!!」
そして、式部の説明が終わると信達はこの苦境への反骨心が蘇ってさっそく動き出した。
「…何だろう? 何か捻りがないのに…それが妙に気になる」
十数分後、この戦場でもますます戦局が楚側に傾いていっている中で、孫雪蓮は堤を狙う攻撃をさばきつつも違和感を禁じ得ない表情を浮かべる。
孫雪蓮は堤を狙う攻撃をさばき続けてはいるが、その中には少数だが届かなかったり、爆薬の火種が消えていたり、的が外れているのが感じ取れたので無視しているものがあったのだ。
『本能型はまずいと感じとれたものには敏感だ。だが、逆に言えばまずいと感じとれなかったものには無意識に鈍くなる』
(…よし、今さっき打ち返された大矢は…あそこに…全ての場所は…この脳髄が抑えている…!!)
その様子、特に無力化していった大矢を蒙恬は剣を振るいながらも位置を把握し、白漂に式部経由で伝えられた言葉を思い返す。
「…シャアアアア! 今度こそ死ねやぁ!!」
そして、その大矢の元へ蒙恬の指示へ向かった郭巨丙はすかさず爆薬付き大矢に火を付けなおしてを弓につがえ、そう遠くはない位置にある堤に向けて撃ちだす。
「っ! それくらいの捻りじゃあすぐに見抜けるよ!!」
『そうした鈍いと感じとれた攻撃に紛れ込ませて急所を狙おうとしても、ほぼ間違いなく今回の敵将はすぐに気づいて潰しにかかる。だが、それでもし続けてとにかく楚の敵将の意識を当たりそうに変わった攻撃に逸らし続けるんだ。その中にもごく少数のそれだけでは危険ではない攻撃も混ぜて』
それを孫雪蓮はすぐにハッとした表情で剣を伸ばして打ち払うが、他の秦兵達はひるまずに同じような攻撃を仕掛ける。
「…な、なあ!? 良いのか本当にこんな手!?」
「もうお前だって…特に腕が酷いだろ!!」
(…!? あれは―――!?)
「大丈夫! すぐやる!!」
「ええい! くそぉ!!」
その最中に、孫雪蓮は秦側のある不穏な動きに気付くが、気付いた瞬間にはやけっぱちになった秦側工兵が射出した投石機で、腹を決めた表情の式部が自分目掛けて豪速で飛んでくる姿を目の当たりにした。
「―――あってぇええええぇ意表を付けば良いってわけじゃあ…!?」
それでも孫雪蓮は驚愕しながらも自分目掛けて飛んできたその式部を天高く打ち払うが、その衝撃で傷がまた大きく開いて血を撒きながらも式部が飛んで行った先には、火が付けなおされて再び撃ちだされたがつい直前に自分がまた打ち返したばかりの大矢も何本か宙を舞っていた
「ぎぃ!!」
「…あ!! しまった…!?」
式部が血を吐きながらも歯ぎしりから血が出るまで歯を食いしばり、その猿の如き樹上戦闘を繰り広げるのに使う四肢を全て用い、自分の周囲を舞う火を付けなおされたばかりの爆薬付き大矢の全てを投げなおすか蹴り飛ばすかして堤に向かわせたその瞬間、孫雪蓮は表情を始めて大きく強張らせた。
『そして、危険な攻撃に意識がそれている間に、もう無力化できたと認識された直後の面子で、危険ではないと判断された外れを攻撃に転じさせるんだ』
「やったぞぉ! テメエら合図の矢を放って全力で引き上げだぁ!!」
そして、その一瞬後に堤から爆風が生じたのを見た信が白漂からの伝言を思い返しながらその号令を発してから、戦場には水が勢いよく噴き出る音と地響きが生じて、それらは急速に大きくなりだした。
次回、今回の信達の働きで変わりだしていく戦況と絡めながら、再び本作主人公達の所に視点が変わる予定です。