○秦始皇7年(紀元前240年) 秦国西部 渭水上流河岸一角 某都市○
嘗てそこは農業国としての特色が強かった秦では、ありふれた河岸に位置する同国では平均的な都市で、中華のそれから見れば小都市といっても過言ではなかった都市である。
「おい! 本日始めのが来たぞー!」
「野郎共集まれー!」
だが、そこは今では秦北部から始まった東西交易の各地への広がりと共に発展しだした都市の一つになっており、今も上流にある山界から小規模な船団が荷を満載してやって来た。
「サーサー南西カラ届イタ胡椒ダゾー」
「約束通りに生糸持って来たー!」
「麦と新しい調味料も有るぞー!」
河岸に着岸した船団から直ちに荷は降ろされ、待ち構えていた商人達と通訳越しに盛んな商取引が始まる。
その中で近年にて毎回共に最も取引量が多い商品があった。
「なー! 今回の木綿にエライアの油は降ろしたかー!?」
「ちょっと待てー! 後続の船団に載せてるー!」
秦との同盟と交流で史実以上に伸びた交易路を介して、白漂前世の歴史よりも数百年以上早く到来して山界に辿り着いた後に同地を中心に広まっている木綿とオリーブ油であった。
○秦始皇7年(紀元前240年) 秦国北部 朔方郡 黄河河岸某都市○
「いやー、本当にねーあの人に付いて来てから商売広まるしもっと面白い品が手に入りやすくなったし売りやすくなったしでー良い事尽くめだわー」
「東方からの闇商も増えてきているしな。復興特需で各所は物が何処も足りて無いから当然だ」
秦の北部にある朔方郡の水流を生かした都市で、白漂の側室で二千人将の藍蘭と今では千人将に加えて北部での織物業職人衆の組合の幹部をしている譜孝が機嫌良さげに品を見比べていた。
二人が今現在取り扱っているのは北部遊牧民の牧畜を生かした毛織物製品と、西方山界から流入してきた木綿である。
「…また歴史の変化を感じる光景だね。木綿の着心地をこの時代で感じ取れるとは…」
その都市にある望楼にて、数百年早い木綿で織られて譜孝がデザインした白基調に鮮やかな白銀色の昇竜の意匠が施された何処か和風を感じさせる平服を、白漂が懐かしげに着こなしていた。
「いや、お前が関わってるのに何をそんな他人風に訳わかんねーこと言ってるんだ漂?」
「え…どういう意味だ…は…誰? この長袖のお洒落そうな青基調に
白漂の前に現れたのは、華美さは無いが繊細な刺繍が施された青基調の衣服を纏う、彼の前世にあるラノベのアリソンシリーズに出てくる某隠し子系王子を大人びさせたような青年だった。
「ちゃんとすれば普通にいけるじゃんか。本当に勿体無い…」
「あー、あなたもここに来たのねー。私も書類仕事昨日で終えて休暇取れたのー」
白漂が始めて見るその青年の声音と雰囲気に何処か懐かしさを覚えて違和感も生じさせた直後、白漂軍軍師の一角河了貂と信隊の副長の1人である玲花が親しげな様子で望楼に現れてその青年に話しかけた。
「昨日は漂が言うデートー…をステラとしたし…お前は何処に行きたいー?」
「……え、その様子…まさか…玲花達って信と別れた!?」
その始めて見る青年と指を絡めて背を向けようとした玲花に、白漂は驚きを示すが彼女から失礼なというジト目を返されてきた。
「失礼しますね漂将軍、もう昔みたいなのは傍らにいると決めた彼以外にはしないって決めてますの。ねー信君」
「「「「「!!!!!!???」」」」」
それから続けて玲花の口から出た青年の名称に、周囲から声すら出ぬ驚愕が発せられた。
「…ま、まさか…そ…そこの彼…信か!?」
「…あ、やっぱりその顔…気付いてなかったんだ」
そのまま周囲の大半から我が目を疑う視線の雨に信が固まり始める。
「…え、えーーーっと…その風貌どうやって…?」
「私が施しました♪」
どうにか疑問を口にした白漂の間近に譜孝が挙手して現れた。
「…五千人将になっても自身の風貌を気にしない彼氏さんに業を煮やした女の子三人に依頼されて色々有料で彼に似合う衣服を選択し組み合わせて着せました。なお化粧の方は彼の女の子達のほうでやってもらいましたが…」
譜孝の言動に玲花が気恥ずかしげにしつつも周囲の反応に何処か勝ち誇ったように拳を密かに握り固めていた。
「…うーーー、女の視線が集まるのは嬉しいけどそれ以上にやっぱ落ち着かねーーー…いでえ!?」
「お前なんざ女が出来るだけでも勿体無いだろ」
但し、見た目がほぼ別人級に着飾ってても中身は信のままなので、乾いた笑みの河了貂にいつも通りに尻を抓られた。
「…い、いやー驚いたー。子供の頃の先生が約束果たしに行く直前で南方へ嫁いでいった報せを聞いたのと同じくらい驚いたー」
「ってお前もいるんかい」
更に対趙国境へ任務に向かう途中で立ち寄ってきた蒙恬も引き攣った笑みを向けていた。
「何しにきたんだお前?」
「あー俺もねー情勢の変化でジリジリと趙側に向けて広がっている前線の強化のためにここに向かわされる事になってねー。まー今はそれはおまけであの頃の先生に似たあの麗しい青髪のお嬢さんに―――」
「さー、各地から皆ーここで職場割り振りのための職歴調査に入るから並んでねー」
「―――…」
信の問いに蒙恬は多くの女性を虜にし続けている貴族スマイルを浮かべるも、今回そのターゲットの譜孝は目もくれず各地から集まっていた女性達を役人達と共に捌いていた。
ちなみに周囲には黄河の支流やそれより引いたりした水路が多く伸ばされており、そこには大量の水車が据えつけられていて、隣接している長屋風の工場群から機械音が常に鳴り響いていた。
「…え、何この機織や糸車の音が盛んに鳴り続けている場所は…?」
「うわー! 白漂将軍に蒙家の御曹司様よー!」
「めかし込んだ甲斐があったわー!」
蒙恬がその工場群に興味が惹かれると、そこで女性達の中から色っぽい野妓と思わしき女性達が群がってきた。
「い、いかん! これ以上ここに留まっているとまた蒙恬様の色ボケ趣味が―――」
「あー、この中でまだ独身や彼女無しの将兵諸君。ここに出会いを求める女性達がいるのでー僕の身を彼女らから守れー」
「―――あってぬぉぉお!?」
それに蒙恬の家臣で副長の胡漸が狼狽しだすと白漂と護衛が彼らを女性達の元から引き剥がし、変わりに都市の若い衛兵達が群がる女性達を遮り始めた。
「あ、ありがたいです白漂将軍! で、ですが出来ればあのような女人の群れを生じさせるような事は軍の風紀的にも宜しくないので出来ればー…」
「胡漸老人、まだ先の合従軍から1年前後しか経っていない」
「……あ…」
別の望楼に脱出できた胡漸が謝意を示しつつも苦言を呈すも、白漂が騒ぐ女性達を見下ろしながら静かにも重く言い放った言葉に思い出した表情になる。
「…生きられない…されでも死ぬわけにはいけない身が増えた事も国としては無視できないよ…」
「ああ、どおりで男もいないのに子連れの身が多いのも…」
蒙恬の先程の気楽さが消えた瞳に映る女性達の多くは戦火で故郷を荒らされて夫を失った難民などで、その子供達とともに開発が進んでいる北部地域に失業対策などで送り込まれてきた身だった。
そして、川辺やその水を引いた水路に面している工場群は、近年の秦では急成長中の紡績や織物の工場であった。
「各々の家で好きにやらせるよりもああして一箇所に多く集めてしたほうが、品質も高度に安定させられやすいし互助などで作業の遅延も防げるからね」
地元で古くから盛んな牧畜と手先が器用な女性の労働力のあまりを見て、白漂が先の合従軍戦で生まれた流民と結びつけて大幅に
更に杏橋が深く関わっている水力利用技術と結びついて生産力は格段に上がっている。
「ある方が歯車やらクランクといった便利な部品を色々思いつくので、織機や糸車で飛び杼みたいに便利な道具を幾つか開発できました…。必要な原料はある方が山界で見た西域渡来の品の栽培を進めたりしたので…」
「…………あ…」
続けて杏橋の補足に白漂が過去の情景の一部を思い出す。
それは数年前の楊端和達との野外での酒宴の事だった。
『え? 楊端和…その豚の餌に混ざってる実は何だ…?』
『ああ、これは西域を通してそれよりももっと向こうからと流れてきたエライアとか言う樹木の実だ。西域の商人が果物というから一籠分買ってみたが油っ気が多くて美味いと言えないから家畜の餌に…』
『(え…エライアって確か古代ギリシアを金持ちにしたオリーヴの現地語名の事じゃ…)楊端和ちょっと待て、その実はたぶん食い物じゃなくて絞って油にする類のものだ。豚に食わせるのは止めて植えて栽培してみてくれ。痩せた土地でも育つ植物じゃないか?』
『…言われてみれば確かにそうなりそうな気が…知ってるのか?』
『あー、昔に方士が隠し持ってた書物に似たような植物と資料を見たことがあって…え、それからその背もたれの一部のほつれから出てる羊毛とは別の白い綿状のものは…?』
『これかぁ? あー確か山界の南方にある高山地帯の更に南から伝わった綿花という植物で取れる綿でな。手触りも良くて絹よりかは多く取れるからこういうものの詰め物にしてる』
『(確かインダス文明辺りで綿花栽培されてたらしいけど幾らなんでも早く伝わりすぎだろ! それと李牧にどれだけ弱らされたんだ匈奴! それでどんだけ早くシルクロードとつながってんの中華!? もしも前世の史実でも同じ現象が歴史の裏で起きてたらすっごい勿体無かったろうなー…)それも確か書物に載ってた。確か熱くて半分乾燥しつつもオアシスで水を引ける土地で試しに一部栽培してみるんだ。確かーそれで糸や織物してみればー…』
徐々に思い出していっていた前世知識から来る懐かしさを刺激する品々への酒宴の場でのぞんざいな待遇に、勿体無い精神を刺激された時の記憶であった。
「そーそー、近頃はー韓から来た鄭国という方のところで育った工人達が秦のこれまで見向きされなかった辺境や山界まで出向いてー色々水利事業を広めてるんで開発力が右肩上がりなんですよー。おかげで米麦だけじゃなくって職人が喜ぶものも増えてきてましてー、特に私みたいな織物業の人間にはこの木綿と言う手触り良し染めやすし軽くて良し温かしで技と商売の幅も広がってますよー」
杏橋に相槌を打つ形で譜孝が織物の品定めをしながら現状を口にした。
「へー、本当に見聞が広い子だねー。どうだい? 俺とあちこちの話しをしながら少し茶を…?」
蒙恬が譜孝の美貌に加えて軽めな空気に似合わぬ知見の深さも感じて声をかけようとするも、そこで彼女が微笑んだままながら瞳に静かな剣呑とした光を浮かばせたのを見逃さなかった。
そして、彼女の手が腰帯になにやら突っ込まれて妙な動きをしたのと同時に、白漂達がいる望楼に1人の給仕らしい女性が近づいてきた。
「失礼します白漂様、本日の昼食をお持ちいたしまし…!?」
その給仕が白漂のそばにある机に料理を並べようとしたその時、鋼の刃が彼女の首を軽やかに切り裂いた。
「あ」
「なっ!?」
「誰…っ!?」
その事態に白漂が目を丸くし、蒙恬と胡漸が警戒を露にして刃の根元を見やると、そこには細身に似合わぬ長剣を延ばして血を滴らせている譜孝の姿があった。
「てい」
「…いっぐ…」
譜孝が軽やかに手を引くと、剣はまるで縄でもあるかのように大きく撓って彼女の手元で巻き糸上に巻かれてグローブに掴まれ、刃を首から抜かれた女性は首から赤い噴水を噴きだしながら倒れ絶命する。
「譜孝! これはいったい…!?」
「落ち着いてくださいお坊ちゃま、この料理を返してみて」
「な、これは…!?」
険しい顔を浮かべる蒙恬を宥めながら譜孝が給仕に持ち込まれてきた料理の子豚の丸焼きをひっくり返すと、その下には短剣が納まっていた。
更にその短剣を近くの水桶に入れると、中に飼われていたオタマジャクシが次々ともがき苦しみながら死に絶えてしまう。
「ど、毒か!」
「だが、それだけの技量があるなら生け捕りに済ませて殺しまでしなくてもいいだろうに…」
「こういう生存を考慮していない捨て駒前提の刺客はたいした情報は持っていませんわ。それよりも皆ーこの女性と接触していた人全員を拘束してー」
「はは!」
納得しつつも苦言も呈する蒙恬の言葉を切る譜孝の指令を受けて周囲の衛兵達が直ちに動き始める。
「なるほどね…じゃあ、ところでその鞭のように撓った布状の剣は何?」
「あーこれですかー。製鉄技術も大いに進歩したので生まれた細く且つ撓れるようにもなった合金を用いた新しい長剣ですよー。前の戈よりも性分に合っていたのでこれに変えて今も精進中ですねー。名前はとりあえず鋼蛇にしてます」
蒙恬の重なる問いで注目された譜孝の新たな得物は、白漂が取り戻した記憶に従えばインド辺りで生まれたウルミンという独特の武器に似ていた。
「…目利きの鋭さが発揮されるのは商売だけでなく戦場でも美味く活用しているな。ありがとう譜孝…」
「いいえ、貴方様の熱い便宜に比べれば私の気遣いは瑣末なものですわ。それともっとこれから深い関係になる殿方に先立たれたら困りますもの」
「……え、何その言い方…?」
自身の将兵の質の高さを再確認した白漂であったが、その対象である譜孝がやや妖しげな微笑みを添えて放ったその言葉に言い知れぬ不安を感じた。
民生と成人向け分野の両立は意外と難しいです…。
次回は久しぶりに皆さん好きなムフフ話の予定です。