○秦始皇8年(紀元前239年) 秦魏著雍争奪戦二日目朝 魏国西部 著雍 魏軍要塞型防衛線西側○
「っ!!」
「!!!!」
一夜明け、高く昇り始めた日に照らされながら王賁と紫伯の激しい槍の応酬が本日も繰り広げられていた。
「どうだ王偉殿!?」
「速さとあの読みづらい軌道には流石に若さに手伝われて大分慣れてきているがやはり…あ、また重い一撃受けてよろけた」
関常の問いに対する王偉の返答の通り、昨日に比べて重い攻撃を回避する比率が増えていたが、やはり王賁の方が圧倒的に槍傷の比率とよろける回数が高かった。
更に、自身のトラウマにも触れられていた紫伯は表情こそ平静に戻ったが、明らかに槍に込められている殺気と殺傷力は跳ね上がっている。
「如何せん若い頃から激戦地を廻らされ続けて実戦形式に何十年も鍛えさせられ続けた紫伯の方が…もう体力差も次第に見えてきたな…む」
観察眼の高い王偉でなくとも見える余裕に満ちている紫伯と違い、王賁は既に血だけでなく大量の汗に吸い上げらているように体力も削られ続けていた。
幸いにも魏軍側が一騎討ちなどでは無いと公言したおかげで、邪魔立て阻止を名目に王偉が時折り牽制の矢を放ったりしている事で本当に危ない所では中断が入り、王賁はどうにか槍の応酬を続けられている状態だった。
「だから言わんことでは無い。おい、そろそろこちらも本格的に参戦したほうが良いのではないのか?」
「……………」
関常の問いに王偉は群がる敵を殆ども見向きもせずに打ち倒しながら、秦魏双方の槍の応酬を観察し続けていた。
「…隊長、重い槍を放つ相手の事ばかりに気を取られてはいけません」
「!!」
そして、少々の沈黙をおいて王偉が発した言葉に王賁の口元が歪む。
「貴方がまず相手にすべきなのは使い手ではなく…」
「槍そのものだというのだろうが! 言われずともずっと嵌め所は探っておるわ!!」
続けられた王偉の言葉に対する反発を乗せた王賁のその槍が、何と相手の槍をやや斜め下に逸らさせて紫伯の左手の甲に浅いものの切り傷を付けた。
「「「「「なっ!!!!??」」」」」
「!?」
その事に激戦真っ只中の秦魏双方の将兵達から驚きの声が昇り、紫伯も無言だがその双眸が一瞬大きく見開かせられた。
「ま、まぐれだ! 若造が挑発に乗せられて生じた火事場の馬鹿力に…いい!?」
始め魏兵達は何かの間違いだと主張しだすが、続けて紫伯が左手で下から反り上がる様な曲線軌道で王賁の右脇腹を抉ろうとするも、それも王賁が槍の穂先を紫伯のそれに真横から叩きつけて逸らした事で右頬を軽く裂くに留まり、逆に今度は右の上腕の長い切り傷を付けられてしまった。
「み、見切ったというのか…!? あの、紫伯の槍を…!?」
「し、信じられんが…王賁様は紫伯の槍を…“
関常の我が目を疑う言葉に番陽が納得に触れたそれで答えた。
若い頃から激戦地にて我流で槍を振るい続けて磨いてきた紫伯に対し、王賁のそれは父親である王翦の正真正銘の気まぐれながら正式な師を得て修練を重ねてきたもの。
その槍術にはあらゆる敵に対し攻撃及び防御と回避を効果的に行うように研究された“型”が存在している。
それには紫伯のように威力を重視した槍も含まれていたのだ。
「…紫伯、貴様の敗因は俺に槍を見せすぎたこと、次に馬鹿な知り合いが多いせいで見聞きが鋭くなり耳も早くなった者が俺の隊に居た事だ」
「あ、王偉殿って何だかんだで認められてるっすね…ん?」
だが、喜びに立つ周囲とは裏腹に素直じゃない賞賛の対象である王偉の紫伯に対する視線は険しさを増していた。
「…やはり尋常では無いな紫伯の槍は……」
「? 王偉殿……?」
「…………」
それに途惑う周囲とは裏腹に王賁の表情も強張りを強めて意識は昨晩の王偉との調整に遡る。
『…昼に見た紫伯の槍…明白に貴方よりも威力を構成する速度と重さのどちらも上です』
『そんなのはわかりきっている。それで話しをしておきたいという内容を速やかに口に出せ』
『攻略したいのなら突くべきなのはそこだろうという話しです』
『どういう意味だ?』
『重さに変わるまでに速い物体というのは…説明するより実際に見せたほうが早いでしょう。少々見ていて下さい』
王偉は近くにある樹木の中心にある僅かな隙間を指差し、己が盾の内部弓の弦を引いて狙いを定める。
そして、正確に狙いを付けつつも風が吹いて周囲の枝葉が揺らめいた所で矢を放った。
その結果、樹木の中心の隙間を射抜くはずだった矢は、横からしなやかに揺れてきた枝葉に当てられ、たった数センチ差ながら隙間の斜め下に着弾した。
『『!?』』
『ほ、賁様!?』
それがどれだけ予想外の事態か一瞬で知覚した王賁と関常に対し番陽は理解が追いつかない顔をしたが、王偉は構わず説明を再開した。
『正面方向に向けて猛烈な速度で進むものほど、横方向からの衝撃には弱いのです。極端な話しには鋼盾すら穿つ床弩の大矢が偶々真横から飛んできた小石で軌道がずれたというのもあります。ましてや人間を一撃で屠る紫伯の力の槍と正確さが売りの隊長の槍ならば同様の状況に持ち込めば討てる可能性は高まるという話しです』
『な、何と!?』
『ついでに言うとその具体例で小石が無ければ大矢に脇腹撃ち抜かれて絶命するはずだったのが、昼間に魏の猛牛とかち合って生き延びた彼…隊長殿で言うところの体力馬鹿です』
『!?』
その説明に王偉の矢の不発現象に対する理解が追いつき、そこから見出された突破口に希望が見出せた番陽であったが、そこで生じた緊張感の空白を脳内で有能だが馬鹿な所がある五千人将に奇襲されて思いっきりこけた。
「!!!!」
そこで回想が終わったところで、王賁は威力を保ちながらも先ほどまでとは回数が段違いの紫伯の猛攻に晒されていた。
「王偉殿ー、あれでは先に若の余力が尽きるんじゃないですかネー?」
「…ああ、だがそれに負けず劣らずで確率でもう紫伯の腕が―――」
「!!?」
それに関常の配下で小柄な体躯と短刀二刀流が特徴の
「―――あ、やはり限界来た」
「え、どういう事っすか?」
「14年も幽閉されていた状態からいきなりの復帰戦で一撃で人を屠る剛槍を振るい続けてたんだ。それでは幾ら牢の中で槍を振るっていたとしても筋肉の何割かが固くなって来る。そのような状態で槍を振るい続けている腕は僅かな切れ込みでも当たり所次第で攻撃の推力にて自ら千切れ目を広げるだけの負担が掛かっている」
「あ、あー成る程ー…自分で自分を潰すまでの槍とは確かに尋常じゃないっすねーーー…あ」
その人体では滅多に聞けない音の正体を王偉に説明されて、松琢が納得の声を上げた次の瞬間、槍の動きが僅かながら止まった紫伯の心臓が王賁の槍に穿ち抜けれた。
「「「「「王賁様ぁぁぁあああぁああ!!」」」」」
「「「「「紫伯様ぁあああああああぁ!?」」」」」
結果、秦側からの歓声と魏側の悲鳴が周囲一帯の戦場を覆い尽くした。
「コココココココココ、どうやら王賁が仇を取ってくれたみたいですねぇ。鱗坊と録嗚味の」
「後者の方はご存命です!」
それは隆国・録嗚味軍対紫伯軍の戦場と隣接している騰軍にも届き、騰の喉を楽しげに鳴らした。
「………死人同然になってもここまで傷を負わされるとは…流石は嘗ての中華一の剛槍よ……」
一方、別の時間軸と比較して浅くは無い傷を負いつつも余裕は大分ある王賁は安らかな死に顔で地に横たわった紫伯を一瞥した後、魏軍本陣のある方角を見据える。
「賁様お見事です! ですが昨日の傷がまた開いてきています。直ぐに簡易ですが手当てを…!」
「それは進みながらでいい。この場は隆国に任せて我らも本陣に向かうぞ!」
周囲に紫伯戦死の影響が瞬く間に広がっていく中、王賁は魏軍本陣に向けて馬を走らせた。
○秦始皇8年(紀元前239年) 秦魏著雍争奪戦二日目正午過ぎ 魏国西部 著雍 魏軍要塞型防衛線西側○
「乱美伯を騰軍左翼の斜め右に斬り込ませろ。紫伯軍は鋼守陣で録嗚味軍の攻勢に防御を徹底せよ」
王賁により紫伯が討ち取られて数時間後、敗色が濃くなってきた魏軍であったが霊凰は自分の持ち場で五分五分の戦況を保っていた。
自身と同格の大将軍を討ち取られ、更にそれをなした王賁と羌瘣によって本陣を愛弟子が留守とはいえ陥落させられた状態でその状態を維持しているのは、流石に戦国でも有数の激戦期で秦六将や趙三大天ら相手に張り合った魏火龍の一角といえるだろう。
だが、見ただけでゾッとするだろう冷たい双眸の内側では既に、効率よく最小の犠牲でここ著雍から味方を撤退させる算段と、その後の著雍奪還戦に付いて思考が高速回転していた。
「(鳳明と凱孟の方は心配は有るまい。白漂軍も昨晩の夜戦の影響で追撃戦を深く出来る状態に無いのは白起の孫も知っているだろう。問題なのは余力を大幅に残している騰軍だ)…周鉱、想定通りに背後の森林に配置している油に順次火を放て。それを目晦ましに各部隊を著雍より撤退させる」
「…っ! わかり…ました……!」
「きゅ、急報ーーーー!」
そこで出た結論に周囲の側近達が苦渋の色を滲ませつつも従ったその時、他所のから伝令が慌しい様子で駆け込んできた。
「ど、如何した!?」
「は、白亀西将軍より緊急伝令です! 何やら対峙している白漂軍が昨日での死傷者や負傷者の数を考慮してもそれ以上に減っており、周囲を索敵しましたが自軍の近辺では別働隊らしきものは確認できなかったと…まあ、本人はともかくこちらには関係は無いかと―――」
「撤退の第一段階を斬り捨てて第二段階に直ぐに移行するぞ。騰軍側面に一時錯乱突撃をさせた乱美伯も直ちに撤退に入らせよ」
「―――おってぇえ!?」
その伝令の報告を受けて発せられた霊凰の命令に側近達から悲鳴混じりの驚きが昇る。
「お、お待ちください! それでは今現在騰軍と対峙している前衛と紫伯軍が半数近く追い討ちされます!」
「それでも駄目だ。第一段階から進めるとこちらの全隊が壊滅するぞ」
「え、ど、どうしてですか!?」
「あの律儀な白亀西の索敵に掛からなかったという事は、既に白漂から発せられた別働隊はもうその警戒網を潜り抜けて警戒対象の範囲外にまで出ているという事だ。だとすれば遠くて且つ余裕もなくなって周囲には気を払いづらくなっている我々に向けられているだろ―――」
「て、敵襲ーーーー!!」
「「「「「なっ!?」」」」」
「―――っ…むぅ、もう来たか…」
予備隊も全て前線に投じていて内側に対して非常に兵が薄くなっていた霊凰本陣に、彼が最も危惧する事態が起きた。
昨晩に郭備が送り込んできた里了隊が彼の背後に現れた。
「直ちに前の味方の中に潜るぞ! 特に乱美伯は呼び戻し撤退に全力を挙げるように指示を出せ!」
「は、はは! うぐ!?」
そのまま背を討たれだしつつも霊凰本陣は味方の中に潜るべく撤退を開始するが、彼らの背を里了は絶好の好機を逃すまいと全力で追撃を行う。
「っ! 悪いが少し待っててくれ愛馬」
「! 皆よ綴が馬を下りて全力で追い出したぞ! 矢を全て投じてでも彼女を援護しろ!!」
そして、昨晩に凱孟と張り合った武力と機動力に敏捷性を買われて、里了隊に臨時編入されていた綴が武装した兵士を乗せた馬よりも速い俊足で霊凰に猛追しだした。
「なっ!?」
「ば、馬鹿な!?」
その事に驚いた霊凰達が気付いた頃には、綴は棒高跳びの要領で自身の長槍で彼らの頭上を飛び越え、霊凰の真上に躍り出る。
そして一瞬後、一陣の血飛沫と悲鳴じみた絶叫が彼らの間を駆け巡り、理由は譜孝が構築した白漂軍による吹奏通信システムで瞬く間に全戦場に広がっていった。
○秦始皇8年(紀元前239年) 秦魏著雍争奪戦二日目夜 魏国西部 著雍 秦軍本陣○
夕暮れも過ぎて日が完全に沈んだ頃には、著雍にはもはや魏兵の姿は屍と捕虜以外には無く、代わりに傷や疲労が目に付きつつも喜色が目立ち、交代制で見張りが付きながら秦軍による戦傷の宴が各地で開かれていた。
昼間にて白漂軍に大将呉鳳明が引きずり出された魏の本陣を、防衛線東側から突破に成功した羌瘣隊と紫伯を討った玉鳳隊に落とされ、更に大軍師霊凰の戦死を受けて戦況逆転は不可と判断した魏軍が本国奥深くに撤退したのだ。
「はあああああああ!? あの霊凰の首をこんな小娘が上げただぁ!?」
その嘗て呉鳳明本陣が置かれていた秦軍の現著雍駐屯地本陣で、録嗚味の驚愕の絶叫が昇っていた。
「ああ、こちらの哨戒兵も見ていたから間違いない。背後から奇襲を掛けてきた白漂軍の里了隊、それもそこに臨時編入されていたこの娘が成し遂げた」
そこで騰が紹介していたのは、昼間の激戦中に霊凰をその俊足で追いついて槍の一撃で討ち取った綴である。
「…凱孟を討てなかった身としては、別場所で猛威を振るっていた乱美伯がこちらにかかれない隙に討てた事も考えればスッキリしない」
「っ~~~~~! 殿や摎と同格の王齕将軍と互角に殺り合った凱孟と
「落ち着け録嗚味、あの状況下では誰に首を上げられても可笑しくなかったのが霊凰だ」
場には別時間軸と違い傷もそこまで深くなかった王賁もいたが、言葉遣いとは裏腹に綴に向ける眼差しは一目置いているものが合った。
「…まー雑談は後で続きをするとして…殿これから如何します? ここを駐屯地として更に魏国深部へ進出しますか?」
「それでは腰が軽い隆国。著雍攻略前より右丞相には攻略後の事まで話を聞いている…我々は呉鳳明も選んだこの天然の要害の地に人工の防壁と堀を張り巡らせて一大要塞を築く」
「「「「「!!!!??」」」」」
その傷の痛みにも揺るがなかった平静な王賁の顔も、騰が言い放ったその言葉で周囲諸とも驚きに染められた。
「…はぁぁあああぁ!? そんなの魏が黙って作らせたりするわけねぇだろうが! 更に白漂の方は次は趙に向かうとかでもう帰国の準備を進めてるぞ!!」
「今回の大敗で大損害を被った魏軍には我々で当たれという事だ。作業用人夫は幾らでも送るから1年以内に意地でも防衛しながら造れとな。玉鳳もその一翼を担ってもらう」
「!!」
再び驚く録嗚味とは対照的に王賁は表情を引き締めて冷静に戻すが、その身はこわばりから来る震えを押さえるように両腕でがっしりと掴まれていた。
「…その流れだと、白漂軍が趙に向かわされるのは……」
「ああ隆国、先の宰相がまだ戻れていない間に魏と同様に進めよという事だ」
「け、あいつらだけで上手く行くのか!?」
「遣り通さねば出来ぬ。これから百以上の国が統廃合を繰り返して数を減らし…生まれた戦国七雄の時代を終わらせるのはな…」
「ま、白漂がしくじっても俺たちがいる以上は秦が終わらす側だ」
「……(国を…滅ぼす段階が来たか……)」
だが、周囲の話しが進むにつれてその強張りは高揚から来る震えに変わった。
今回は本編では描かれなかった魏火龍二人の最後を自分なりに描かせてもらいました。
次回は少年誌の方の読みきりで描かれたあそこに寄る予定です。