○始皇3年(紀元前244年) 秦国北部 山岳地帯○
「さあ、今度は杏族の村に到着しますよ」
「…………あ…はい……」
「………それはどうも…」
遊牧民族出身の騎兵の先頭に立って案内していく藍蘭の言葉に、漂は後ろめたそうな声で答え、紅華は彼の普段より小さくなった背に暗く棘のある視線を向けていた。
「おい奥方殿、そんな今にも背後から刺してきそうな顔を夫に向けるな。女の勝負には女の技で立ち向かわない女は男だけでなく女からも疎まれやすいぞ」
「……………その憂鬱を作った女が何を言ってるのよ…」
「でも、私が来てからは真夜中にこっそり来ては色々房事の話を強請りに来るじゃないか」
「「「ぶっ!?」」」
だが、その暗い顔色は余裕綽々とした藍蘭の言葉の爆弾に真っ赤に変わり周囲の大半と同調して盛代に吹いた。
「………………え? 何か紅華ってここ数日の夜はあんまり来てなかったけど…そういう事をしてたの?」
「ち!? ちちちちちち違うのよ貴方! ここここの泥棒猫が如何わしい手で横からかっさらわないように技を盗ん…じゃなくて釘を毎晩刺してるだけよ! てか言わせないで!」
「痛い! ちょ…これ…この時代なら普通に離縁もありか最悪打ち首ものなんだけど…」
その中で一人だけ落ち込んでいた漂がふと思ったことを口にするが、答える紅華は激しく動揺しており彼の脛を勢いよく蹴り飛ばした。
夫婦漫才に周囲が空気を柔らかくされて苦笑が漏れ出すと、里甲が話を切り出してきた。
「今我々が向かっている杏族は主にこの辺りの森林山岳地帯を居住範囲とする部族ですが、見ての通り牧草地には恵まれないのでこの山脈から取れる豊富な鉱石と獣毛、それから木材を用いた加工品業で生計の大半を立てている部族です」
「確か、先の雁門被害は直接受けてはいないけど、その後の覇権争いで主力が大きく損耗して新たな族長が就任した部族だったよね」
「ええ、前々から穀物及び絹と向こうが量産する鉄材の交換などで繋がりは深くありました。今回は貴方の就任における政策の変化の説明と関係強化も目的ですね」
「ああ、あの鉄は城でも見せてもらいましたけどまるで楚鉄並に良質でしたよ」
「あれだけの品を用意できる技術を所有しているとなると、他所と組まれる前に組んでおきたいね…!?」
そのまま仕事絡みで周囲の活気が満ちていくが、途中から漂の顔に訝しんだ色が見える。
「…………ねえ里甲、この先から……何か焦げ付いている臭いがしてこないかい…?」
「漂将軍? まだ彼らの本拠地は少し離れております…!?」
続けて里甲が道の先に見える奥深い山林の向こう側より、細いが幾つもの黒煙が吹き出すのを目にする。
「ここでも覇権争いが!?」
「急ごう! 何か大事が起きているかもしれない!」
立ち上る黒煙を確認すると漂達は馬を駆け出させた。
だが、黒煙が大きくなっていき目的の杏族居住地に近づくに連れて見慣れつつも別段の光景を目の当たりにする。
「な、何だこりゃ……罠で殺られまくってる死体ばっかだけど………見たことないものばっかだぞ…?」
尾到が目にしたものは、見たことがない格好の兵士が中華のものとは異質だけれども殺傷力が高い罠で屍の街道を作っている光景だった。
ある者は木の幹を突き破って現れた竹槍に体を突き刺されて早贄のようになっている。
ある者は細かく鋭利に割れた石塊が全身に突き刺さった状態で絶命している。
またある者は、地面から鋏のような形状で出てきた無数の木の杭付きの床に挟まれて何十人も道連れにしている。
「何だこの罠の山は!? 奥で何が起きてるんだ!?」
「信殿あまりこの森で先を行かれるな! ここはー!?」
ひとり信が驚きのあまり先走り里甲の制止を受けるが、その途中で地面が破れた紙のようにずり下がり飲み込まれた。
「ぶー! 信が落とし穴みたいなのに落ちたぞー!?」
「おい! 生きてるかー!」
「死んでないのなら返事をしろー」
それを見た他の面子は吹き出し周囲の罠の有無の確かめもしないまま穴に近づき覗き込む。
「………………………え…えーーーーーーーーーーーーーーーーっと…俺…生きてる…………? 俺…死んでない……よな…?」
穴の底には、白骨化した死体を無数に突き破り固定化している竹槍が無数に生えた地面を背に、漂の前世で言うイヤミのシェーのようなポーズで竹槍の隙間に身を潜り込ませて生存している信の姿があった。
「…これは杏族の罠です」
(このベトコンがよく用いていたというパンジステークのような罠が!?)
「どうやらかなりえげつない連中のようだな今回会う杏族は……」
「おい! 俺は無視かよ!?」
「あ、ごめん……皆引き上げて……」
一同が罠の出来に感心しかけてそれを信の抗議に中断させられたその時、森の奥地より何人かが必死な表情で姿を現してきた。
「ひ! ひぃぃぃぃ! た…助けてくれぇぇぇぇ!」
「里甲、彼らは?」
「あの者たちは杏族とは民族も異なるもので!?」
異民族の姿を漂達が視認した次の瞬間、その頭部を森の奥より金属が空気を震わせる音共に打ち出されてきた“車輪を思わせる何か”が切り裂いた。
森の奥からの突然の攻撃に漂達が警戒心を高めようとすると、それは穿ち殺した敵兵の片頬を横に裂いて自由になると横方向に他の敵の首を両断してのけた。
「!? これはまるで車輪…ていうか滑車風なヨーヨ―――」
「ん? これは見たこともない客人が多い御一行…………かと思えば里甲様のお姿も」
「―――い……!?」
その警戒心を否応なく高めさせる光景に漂達が驚きを露わにしたその時、森の奥から現れたその武器の使い手は彼らの予想を裏切るものだった。
「…………え…えーーーーっと……誰……?」
漂達の前に現れたその人物は、正室の紅華や先日に側室として迎え入れた藍蘭とも明らかに人種は異なるが“美”の方に分類されるだろう少女だった。
肌の艶からして漂に近い歳をしていて退色した銀髪をしており、細く開いた眠たそうな双眸は無機的な薄青色に染まっている瞳を携えて西洋人形のように整った美貌と合わさっており、見る者の背筋を冷たく伝ってくるような怜悧な美貌を放っていた。
その肢体は漂や紅華より数センチほど短かったがこの女性の平均と比すれば十分以上に高くて手足が長く、紅華達と見送りしない整ったプロポーションを持ちつつも欧州系の血筋を感じさせる白い肌と合わさって、中原の人間が目にすれば倒錯的な美という印象を与える。
だが、最後にそれらの素材を引き立てる彼女の衣服がこの場に集う男達に周囲の惨事を忘れさせる要因になってきた。
(……今度は最近思い出した聖堂教会にいた死の淑女を近い年風に戻したような少女か。もはやなんでも有りだね…衣装も赤から緑への色違いで十字架の代わりにこの時代の漢字や見たことのない文字に変わってて杏色のスカーフを首に巻いてる以外は色気を出すものだし…。膝丈のスカートは左右両方に深いスリットが入っていてこの時代の素材でどう作ったんだと思わせるストッキングに包まれた美脚を晒してきているし)
「おお! お久しいですな杏橋殿」
「こちらこそお久しぶりです里甲様」
「え、杏橋って……」
「はい、こちらの方が杏族先代族長の長女にして現族長である杏橋殿です」
だが、里甲の解説にそうした好色の視線は驚きに変わった。
「え!? このどっかで見た気がする何かすっごい色落ちした人形のような美少女が族ち…いでぇ!?」
「だから初見の相手に地でそんな礼を欠いた発言するなよ」
「相変わらずお熱いねー信貂。つかマジで色々な意味ですごいねあの体」
「冗談はその辺にしておけ松左。それにしてもあの得物はいったい……?」
「確かこの前の漂と紅華の婚礼で姿を見せてたな」
周囲の男衆の大半が中華とは異なる容貌に各々の感想を口にし出していた最中、崇原は漂と同じく杏橋の持つ得物と雰囲気に意識が向いていた。
(……女性の身であの右腕に携えた縄に巻かれた車輪のような刀はいったい………?)
気づいている何人かが初めて見る系統の装備に半信半疑の視線を向けている中で、漂はその重心及び杏橋の握り手の位置から、彼女がそれを深く親しんだ得物としている事を見抜く。
(…………外見からしてあの甲冑は見かけ以上に丈夫で何か仕掛けが多く感じ取れる。このようなものを選ぶなんてどのような女性なん―――)
「杏橋様お急ぎください! 砦を匈奴派残党の軍勢が押し寄せてきて来て一段目が落とされそうです!」
「申し訳ありません、自己紹介の途中となりますが続きは後ほどにさせて頂きます」
だが、漂が思考を走らせている途中で杏族と思わしき騎兵が必死な表情で駆け込んできて、その報告を耳にすると杏橋は彼に一礼して踵を返し駆け出していった。
「里甲! 彼女の後を追跡できる!?」
「は、追跡できますが私の後を決して見失わないでください! 彼女の部族…よく言えば彼女が手を加えているこの周辺は先程のような罠が敵をより絡め取る位置で仕掛けられていますゆえ!」
それを見て漂達は里甲の案内で杏橋を追跡するが、深い山中であることも手伝いその後ろ姿を見失い、僅かな足跡や里甲の案内でどうにか追いつつも幾人かが道中で見られる幾つもの仕掛けに舌を巻き始める。
「この森はすごいな。もともと広がっていた森を利用したものだが…明らかに人の手が加わって余所者は容易に奥に進めないように出来ている」
「羌瘣も思うのか?」
「ああ、自然と入りやすいように怪しく確かめたくなる小道がさりげなく幾つも敷かれているが、進むにつれて狭道に変化していって大軍を分断しやすくなり、奥に出てやっと広い道に出たかと思えば入口近くに出たことに気づかぬうちに隠匿性の高い罠に絡め取られ…うわっと」
道中で羌瘣が剣で軽く払い除けた(他の大半には軽くとは言えない)罠に出くわしつつも、何とか里甲の説明や先導もあり負傷者や死傷者を出さずに森を抜けると、そこで彼らは驚くべき光景を目の当たりにする。
「……あれは!? 楊端和の本拠地のような山の中腹に築かれた砦に…五千以上の異民族が攻め寄せている」
信が目にした杏族の本拠地は、広大な湖面に二面を囲まれていて背後は岸壁に守られた階段ミラミッド風の強固且つ規模の大きな山城であった。
残された断崖の一面に続く正門付近では、秦にまだ服属していない騎馬民族五千の軍が攻め寄せている。
「(………まるで前世の神祇院資料室で読んだもののけ姫の挿絵で見たタタラみたいだ…)里甲、あそこが杏族の本拠地でいいかい!?」
「ええ! あの山城が彼らの居城です。ここ数月の間に雁門で損害を受けていた友好部族を吸収して敗戦前の頭数はどうにか戻したと聞いていましたが…やはり今攻めて来ている部族に比べると纏まりと練度に欠けますね」
「あの部族は恐らく部族旗からして恐らく月氏だ! 西方に居住していて先の雁門には加わっていなかったから、他の部族が敗戦で勢力を弱めたこの隙に東進して来たんだ!」
「相変わらず凄い目してるな河了貂……」
戦況を確認しつつ漂達は別途に用意していた武具を装備すると迅速でありつつも慣れた動作で陣形を整えていく。
「よし! 我々はこれから盟約を求めてきた杏族に加勢する! 浅はかにも我らがいる時に好機と勘違いした月氏の輩に大秦国の武威を知らしめ…!?」
そして、漂が突撃の号令を下そうとしたその時、杏族の山城より飛矢が赤煙を吹き出しながら山道を犇めく月氏の頭上を飛んでいき、次に湖面を挟んで大きく離れた漂の足元目掛けて矢文が撃ち込まれてきた。
「え…ちょっと待って! この矢って結構広いこの湖面を超えてこなかった!?」
河了貂が驚くが漂はそれに構わず矢文を開き内容を読み解いた。
「…………山道から攻めるのを止めた方が良さそうだ。湖中の浅瀬を見つけてそこから敵の側面を突いていくぞ」
「え!? 漂それはどういうことだ? 見た感じ砦の城壁に出ている杏族の数は多くて精々八百程でこっちも交渉が主目的だから千人くらいだ。それに対し砦に押し寄せている月氏は五千はいる―――?」
河了貂が驚きを漂に向けるが、彼は静かに月氏が犇めき合っている山道の片側を占める禿山の方を指さした。
そこでは、杏族と思わしき兵士たちが何やら長い杭を打ち込んだり水路の門を開いて水を流し込むといった作業を幾十箇所で行っていた。
「何だあの連中は? 砦の門がいつ破られてもおかしくない状況で敵の横腹を突くわけでもなく、何か水利作業みたいな行動を―――」
「浅瀬はこっちだ。月氏の所まで続いているし向こうの浅瀬には陣形を整えられる余裕もある。行くぞ!」
「―――ああもう! 皆遅れないで行くよ!」
結局、白漂が湖面に飛び込み浅瀬を駆け出すと他の衆もそれに引き続いた。
月氏側が白漂達に気づいたのは、彼らが自分達に注意が向けられていない内に深い葦に紛れて近づき、中心目掛けて騎射を始めてからだった。
「族長! 何か見かけない連中が湖面側から仕掛けてきやがりやしたぜ!」
「無視だ無視! もう少しであの小生意気な城門を破れるところなんだ! そうすりゃーあの絹のように白い肌と髪を思う存分に嬲れるってもん―――」
「族長ー! その連中の別働隊が今度は城門を責めている前衛を後ろから襲い出しやがりましたぜ! すげえ射手がいるようで指揮官が殺られまくって衝車を動かせなくなりやした!」
「―――だって何だとぉ! ち! 仕方ねえ…お前はここに留まって城攻めを続けろ! 俺は腕利きの連中を率いて横槍入れてきたあいつらを皆殺しにしてくらぁ!」
白漂達を月氏は始め無視しようとするが、直ぐに彼らが無視できない攻撃を始めたと知ると、巨漢だが下卑いた口ひげが目立つ族長とその親衛隊と思わしき部隊が、二手に分かれて湖面の葦の群集地帯より射掛けてくる白漂目掛けて襲いかかった。
「漂将軍! 敵は別れた私達両隊それぞれに倍近い兵を送り込みました!」
「わかった! じゃあ皆ここに留まって彼らを食い止める! それと持ち込んできていた罠も惜しみなくここで使うんだ!」
すると白漂達は背後が浅瀬で脱出口として機能しつつも、それ以外の三方が湿地に囲まれた湖面に浮かぶ小高い小島に簡易的な守備陣を敷いて月氏軍を迎え撃ち始めた。
その様子は城壁の望楼より総指揮を執っている杏橋にも見えた。
「何だあの軍勢は…? 殆どが所見の者だろうに慣れない土地を仮の砦替わりにして倍近い月氏を引きつけて持ちこたえているだと…!?」
「罠の森で里甲殿が連れ添っていた秦軍の方々ですよ」
「何ですと! それではあの中心に立つと思わしき若人が杏橋族長の…」
「ですが想定したよりも2回り以上に月氏がこちらに引き寄せられました。せっかくですので早めに切り出すとしましょう」
杏橋が禿山の斜面に目掛けて合図矢を放つと、同地で何らかの活動をしていた杏族の兵士達の動きが更に慌ただしさを増してきた。
小島よりその超視力で河了貂はしかと見抜きつつも怪訝な顔を強めた。
「んん? 何だか妙な動きをさらに強めてる? 城門攻めが幾分か弱まってるのにそこへの再集結に向かってる気配も薄いし……」
そのため河了貂は簡易台に敷かれた地図と駒に、戦闘によるものとは別の震動が生じ、まだ静かだが少しづつ大きく成りだしていることに漂とは違い気づけなかった。
「皆! 此処まで引き付ければもう十分! 退路に近いより高所な場所へ陣をずらすぞ!!」
「ええぇえ漂!? てっもうあそこまで退かせているし!」
「こっちが勝ってんのに何だよそりゃ…あぶねえ! てめえらもっと後ろにずれろぉ!」
突然の行動に河了貂は驚き信も抗議するが、既に後陣が引き始めたので留まる事もできず訳も分からず付いていく。
そのため、瀬戸際の湿地で足止めを食らっていた月氏は上陸を果たし小山を続々と登り出してきて、その後を本隊からも別れて送られてきた予備兵も続いていき、本隊の空白を埋めるようにして月氏本隊の後方も砦攻めのために山道へ押し寄せてきた。
「ぐがははは! 手こずらせおったが所詮は長城から南の惰弱な石の都の連中よ! 小僧共めこの手でキサマらの骨を一本残らずへし折って―――!」
そして、月氏隊長が漂が退くまで鎮座していた小山前方の頂きに到着したその時、背後から巨大な崩落音と地震が襲いかかってきた。
「「「うわあああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!?????」」」」
それは湖面を大きく揺らし小山ごと秦側と月氏双方を慄かせ悲鳴を上げさせた。
震動の凄まじさに河了貂は思わず落馬し泥沼に頭から落ちてしまう。
「ぶわっぺっぺ! な…こ…こんな時に地震……!?」
口内や鼻腔内に入り込んだ泥水で噎せ返りつつも上体を起こした河了貂が最初に目にしたものは、彼女の想像の範疇を越す光景だった。
「な何だありゃぁ! 禿山の斜面が崖崩れして月氏の連中を半分近く飲み込んじまったぞ!」
信が完全に動揺しきった声で叫んだように、杏族の兵たちが何らかの土木作業をしていた禿山の斜面が大きく崩れ、下の湖面と挟まれた山道にひしめき合っていた月氏の軍勢を真横から飲み込んでしまったのだ。
「さ、山道が崩れて月氏の軍勢が半分近く飲み込まれた!」
「あのまま湖岸沿いに連中の横腹に深く食い込んでいたら巻き添えを食っていたな。これを読んでいたのか?」
羌瘣の問いかけに漂は静かに頷くと、震動で乱れた自軍を同様の状態の月氏より素早く立て直し、そのまま土石流で出来た橋を渡って混乱真っ只中の月氏軍に突撃した。
「あの秦軍の部隊……立ち直りが早すぎる!?」
「こちらの工兵部隊が水路と石柱を操作し土石流を起こすのを読んでいたのか!?」
「内容までは読んではいなかったのでしょう。ですが…先に放ったこちらの矢文だけで山道が危険なのを察し、更に初見が多いにも関わらず湖中の浅瀬を見抜いて月氏の湖上側の側面に回り込みその時も稼いでくれるとは……想像よりも少なくとも十歩先は目利きと知略が利くようですね今度の秦の将軍は」
「杏橋様、作戦通り初期微動で離脱した工兵隊に負傷者及び死傷者は出ていないようです」
「左様ですか、では私達も出ましょう……」
漂達の電撃戦を目の当たりにした杏橋達も直ちに城門内側に集結させていた騎馬隊に望楼から飛び降り、着地と同時に騎乗してみせた。
そして、城門が開門し杏族が月氏に切り込んだ頃には漂達も既に沼地に誘い込まれていた敵を駆逐し、逃げ出した族長を追って月氏の本陣に乗り込んでいた。
「やはり本陣だけあって他の箇所よりも兵が強いな!」
少し小難しい顔をしつつも漂は双剣を手足の延長のように振り続けて突き進んでおり、その戦いぶりは初見である杏族の目を大きく見開かせていた。
だが、それ以上に漂軍の顔を驚かせている存在が一人いた。
「何なんだあれは…! まるで鋼の…蜻蛉…か雀蜂!!」
河了貂の理解が追いついていない視線の先で、杏橋の周囲を彼女の手で操られる縄で動き回る車輪状の刃が変幻自在に飛び回り、次々と敵の急所や鎧ごとその身を切り裂いていっていた。
「何て剣だありゃ!? ていうかあんな車輪みたいな刀を振り回してて息切れ一つしてねえ!」
「(信の言うとおりあの直径が彼女が潜れるサイズはある滑車のような大型の
漂もソウルキャリバーやベルセルクの暗殺者を思わせるその杏橋の得物捌きに舌を巻くが、それを振るう杏橋が既に月氏族長まであと二十歩というところまで突き進んでいることに驚いた。
「おお! あの嬢ちゃんやるな―――」
「いや! まだ早い!」
「―――え…?」
「「「掴まれぇぇぇぇぇ!!」」」
そのあまりの進撃速度に信は舌を巻きそうになるが、漂の叫びと同時に乱雑した月氏の布陣から馬を離れて幾人もの月氏兵が杏橋に飛びかかってきた。
「まずい! あの数じゃ捌き切れな―――!?」
河了貂は月氏の行動に目を見開くが、彼女の視力はその次の瞬間より脳に信じられない光景を送りつける。
「まず一人」
「くたばりぇ!?」
杏橋は小さく呟くと車輪を宙に投げ同じようにして馬上から飛び立って、いつの間にか脛を守る装甲から短刀を生やし正面に迫る男の鼻っ面より刃と膝蹴りを叩き込む。
次に、最初に仕留めた男の背に飛び乗るとそれを蹴って理解が追い付いていない表情の敵の頭上へ飛んで、逆立ちする姿勢で手首より突き出た短剣をその無防備な脳天に差し込んだ。
そして、自身と同じ目線まで落ちてきた車輪を再び手に取って残りの戸惑う月氏兵の喉元を一撃で切り裂き、いつしか真下に下りて乗馬に戻った。
「…………え? あの女…何か玲花みたいに…雑技団真っ青な軽やかな動き見せてなかった?」
信が戦場であることも忘れて目を丸くしたその時、彼のすぐ間近より味方の歓声と敵の悲鳴が巻き起こった。
「月氏隊長の首はこの白漂が上げたぁ! この場に留まり抵抗するものを全て討てぇ!」
「「「うおおおおおおおおおおおおお!!」」」
「「「ガ、ガナイ様ぁぁぁぁぁぁ!!」」」
同じように目を奪われていたこの地を攻める月氏の族長を漂がその隙に討ち取ったのだ。
どうやら討たれた月氏隊長ガナイは人望に乏しかったらしく、討ち死にを知った月氏兵は一目散に思い思いの方向へ個別に逃走していく。
「…………先程は途中で場を去り申し訳ありません。そして……此度の援軍は誠にありがとうございます白漂将軍」
そして、近隣より月氏兵の姿が消えて場に味方の喜色と歓声が満ち始めた頃に、杏橋が下馬して漂に礼を言いに来た。
「わ、割とじ、地味顔だけど戦ぶりも肉付きも中々迫力あんじゃねー…かいで!?」
「初めて口利く女性にんな口きくな」
「信、お前いつか貂に刺されるぞ。まあそれは後でいいとして……杏橋殿このような場所で長話をするのはよろしくない。先に送った書簡の遣り取り通り我々も集落に入城して宜しいでしょうか?」
「滅相もありません。私共としても大国秦の将たる貴方とその配下方をお迎えできるのなら光栄です。どうぞ……」
杏橋が手招きすると杏族大集落の城門がゆっくりと開かれ、それはそのまま地に降りて橋となり漂達を城内へと誘った。
「………城壁に出ている兵士は千にも満たなかったけど、城内は秦の中規模都市くらいはある…それにあの巨大な熱気を吹き出す工房は……」
合戦終了直後のため幾分か落ちてはいるものの、それでも僻地に位置するものとは思えない城内の活気と熱気に河了貂は息を呑むが、それ以上に彼女の軍略家としての勘を強く刺激したのが、城内の奥にある山裾を這うようにして作られたピラミッド型の大きな屋根が目に付く工房であった。
「(本当に古典のもののけ姫の挿絵で見た中世日本の工房都市というべき城だな。それと勝利もあるけどこの地の住民が彼女に見せる敬服と信頼に満ちた視線が気になる…)随分と人々の支持を集めていますね杏橋殿」
「若輩ながら長として皆を纏めねばいけない身ですからこれぐらいは自然かと?」
城内の人々の視線を集める秦軍と杏族兵らの先頭を騎乗で行きつつ、白漂は今後も含めて既に杏橋と交渉を始めていた。
話が進む内に砦の湖面に面した高台にある杏橋の屋敷に誘われ、見張りが立てられた状態で漂達は話を深めていく。
「まだ見てそう時間が経ってないのもあるけど、この街にはどう使うのか頭を使わせる道具や兵器ばかりでした。とりわけ貴女が先程の戦で用いていたあの鎖が付いた車輪を思わせる長剣は気にかかります」
「河了貂殿、私は一般の刀剣を用いての近接戦は得意ではありませんから、中距離以上の間合いを取れるものを研鑽していましたらこのような得物になりまして」
「何つーかあんたの親戚みたいな連中を咸陽で見たことあるぞ俺。たしか堅仙つってたか………まあ得物捌きはあんたの方がぶっちぎりで上そうだけど…」
「信殿、初見同然の女性にタメ口は失礼ですよ」
その中で河了貂達は年相応の好奇心も有り多くの質問をぶつけてきて、杏橋はそれに的確且つ多くを語らない範囲で相手を一応納得させる返答を無表情でしていた。
「………まあ、明らかに技術の大発達期である時代だし…あくまでも記録上だけど
「…っ…左様ですか」
(……?)
だが、漂は自身がなんとなく口にしたある単語に杏橋の頬が一瞬振るえたのを見逃さなかった。
「それでは白漂将軍、そして里甲殿、そろそろ話の本題に移ってもよろしいでしょうか」
「(…話をそらそうとしてきた? これは…)どういう事なんだ里甲?」
「はい、白漂将軍…こちらの杏橋殿が貴方の二人目の側室となられるお方です」
「「「ぶーーーーーーー!?」」」
漂はそれと杏橋の対応を気に掛かるが、其の辺の事情はつゆ知らない里甲が切り出した話に思わず周囲の若人の大半と同時に吹き出した。
「この際ですからこの集落の滞在中に私をお娶りにして下されば助かりますし、さらに深い協力も進められるのですが……?」
「…ゲホ! ゴホガホ……いや、紅華や藍蘭も経緯はあれだけど今回は幾らなんでもいきなりすぎない……?」
「いきなりではありません。少なくとも森の中での遭遇より貴方のことは可能な限り詳しく見ていたつもりですし、顔を合わせる前より各方面より貴方の事は書類面ではありますが調べているおつもりです」
「いやそれ戦闘中の話でしょ? 確かに(この時代の美意識からずれてる僕から見れば)貴方は聡明なのはわかるしおうつくしゅ…!?」
口に含んでいた茶に呼吸器系を侵入されて咳き込む喉を落ち着かせつつ漂は問を重ねようとするが、背後より氷の槍で体を射抜いてくるような静かな怒気を感じ取った。
漂が背後を恐る恐る振り返ると、口元には笑みを浮かべつつも目元が全く笑っていない表情で紅華がいた。
「………え、えーーーーっと…怒っていますか……?」
「イイエ、夫ガコノヨウ二慕ワレテイルノデスカラ正室トシテ誇ラシイカギリデスヨ?」
(((見事なまでの棒読みだーー!!)))
紅華の女の嫉妬故の怒りに漂が戦場以外では過去ないほどに脂汗を滲み出し、周囲の若衆大半が巻き添えを恐れて距離を取る中、場を沈静化したのは空気を読まない杏橋の急すぎる切込だった。
「ところで婚姻の儀を結ばれるのでしたら、やや簡易になりますが数日中に準備ができますがよろしいでしょうか?」
「!?」
「…っぷ…! く……くっくっく……」
その発言に女の危機感を刺激する計画性の高さを紅華は勝手に感じ取り、後列より様子を見ていた藍蘭は顔を逸らし今にも吹き出そうな笑いを必死に堪えていた。
○5日後 秦国北部 山岳地帯 杏族本拠地 工房○
「……という訳で機密上の観点からまだ見せられない場所は他にもありますがよろしいでしょうか」
「いいえ、大丈夫です。寧ろお見せしてもらっているものだけでも十分思考が沸き立ちます(……それにしても水力を利用した研磨機に…鉄を川同然に溶かして流し込む炉…これだけの代物を設計するなんて杏橋はいったい何者何だ……?)」
大勢の人と鉄によって熱気と喧騒に満ちた杏族の工房にて、河了貂は案内人の説明に年相応の高揚した表情を浮かべつつも、内心では高度な文明を誇る中華でも見られない高度な技術に舌を巻いていた。
思案しつつ河了貂が歩いていると、山肌を勢いよく流れ落ちる急流を利用した水車の前で漂が杏橋の解説を受けていた。
ちなみに、二人より少し間を取る形で紅華と藍蘭も同行している。
「あー紅華おはよう。一応…………聞くけど杏橋とは上手くいってる?」
「あ、貂。それがねー……………何か怪しいのよー……」
それを見て河了貂は今後も踏まえて触れ難いが紅華にその問を掛けたが、以外にも彼女は嫉妬などを感じさせない訝しんだ表情を返す。
「ん? 何その表情?」
「あーーーちょっとここだと言いづらいからあそこの裏で……」
紅華は河了貂を工房内の資材置き場に裏に連れて行き理由を話すが、聴き終わると河了貂は頬を薄ら朱に染めつつも信じられないという顔を浮かべる。
「ええ!? 婚礼から三日連続で寝所を共にしてるのにまだ杏橋に手を付けていない!?」
「いや、何もしてないわけじゃない。兵器やこの地域での今後の統治に交流とか色々混みあった話をしてたみたいで…」
「いやそれ若い新婚が普通初夜とかでする話じゃないから」
「………私もまだ若い新婚なんだけど…?」
「……あ、ごめん……」
今も口元しか笑みを浮かべず横目で紅華は、杏橋の案内に年相応の好奇心を出しつつも細かい質問攻めや考えを彼女に伝える漂の背中を睨めつけ、その背に時折寒気が走ったような震えを走らせていた。
(…………つかこの様子じゃ夜に入る前やその後に…下手すれば途中でも緊急報告を名目に横槍を入れてる質だな。それが原因なんじゃー……)
河了貂が同じ女性としてある程度共感しつつ、今後のこの地域での交渉に支障をきたしかねない紅華の行動に頭をひねらせている間も、漂と杏橋は言葉を交わし続けていた。
「ところで聞くけど……毎日そんなに重装備で重くないのか?」
「漂将軍も護身に双剣を携えられているので問題ないのでは?」
「いや、確かにそれはそうだけど君のはあの車輪剣以外にも色々工夫が隠されている武器が内部に仕込まれている。それだけの重装備でよくあれだけの動きを出来たな―――?」
だが、会話のさなかに漂は杏橋の視線が自身ではなく他所の方向へ、それも普段の真顔のままでありつつも瞳孔には戦地で見せた冷徹な梟を思わせる監視の光を走らせたことに気づく。
漂が彼女と視線の先を同じにすると、今にも熱せられて赤く焼けた武器を冷やすための冷却水に、指先を今にも触れさせようとする何処か周囲と感じが異なる少年の姿を見つけた。
「何だあの子は? ここの新しい鍛冶見習いの子供か―――!?」
漂がその洞察力と直感で少し胸騒ぎを起こした瞬間、杏橋が彼の側より地面を蹴って猛スピードで少年との距離を詰めてのけた。
「お止めなさい」
「…え…ぶぼべ!?」
そのまま少年に接近した杏橋の現代モデルを思わせる長脚は、刀を冷やすための水桶に張られた水面に手を突っ込もうとした少年を十メートル以上蹴り飛ばし、そのまま湖に叩き落としてしまった。
「―――あ…あの距離をほぼ一瞬で…!」
「……細い所は細いのに凄い脚力……ってじゃなくて! ちょっと杏橋いきなり何をするんだよ! あれここの鍛冶衆の一人じゃないの!?」
「あの子はまだ見習いで本格的な製鉄工修行は認めていません。口だけで諭すよりも痛みを伴ったほうがより教訓は深まります」
(……み、見た感じは西域風の静かな人形みたいなのに中身は紅華や藍蘭並みのお転婆…を通り越して武闘派だ……!)
静かで図書館司書風な雰囲気からは想像できない杏橋の行動的な一面を、河了貂は彼女の蹴りとんだ箇所と今の軸足の足元に生じている罅割れからも正確に見抜くのだった。
「お……お堅いお姉ちゃんかと思えば意外と大胆じゃねえか…」
一方、河了貂の隣にいた信は杏橋に対しその剛脚に少々動じつつも、若干ニヤケた表情で少々前かがみになり始めていた。
「ん? おい信また何だその盛り出したばかりな猿みたいなにやけた顔…!?」
それに河了貂は少々の不愉快を交えた訝しんだ顔を向けるが、その視線の先にいる杏橋の格好を思い出して直ぐ答えに行き着く。
天高く片足を突き出したままの杏橋は、漂達との初対面時と同じく深いスリットが両サイドに付いた膝丈のスカートを下に履いていたのだ。
「こほん……杏橋、そろそろ足を下に…」
「…あ、粗相を働いてしまったようですね。申し訳ありません」
頬を少々朱に染めつつも少し息を吐いた漂の指摘を受けてようやく気づいた杏橋が無表情のまま足を下ろすが、漂は彼女の反応の乏しさと先程の媚態のギャップに内心で動揺していた。
「(…見た目は大人しそうなのに中身はお転婆を通り越してまた武闘派。ていうか露わになってたスカートの下にある灰色のストッキングにハイレグショーツみたいな褌って時代考証どうなっているんだ……)やはりあの行為はそこまで重要なんだ?」
「水の温度は鉄の冷却においては重要ですから」
「まあ、鉄は戦争だけでなく社会そのものに欠かせない重要な要素だからね」
そのまま何事もなかったように話を再開しだした漂と杏橋。
杏橋の説明を受けつつ漂は工房に並ぶ兵器類や道具類を見たり手に取ったりするが、見た目の派手さこそないもののその機能性や信頼性、生産性の高さに大きく脳髄を刺激され続けていく。
(間者から知らされる魏国の呉慶の息子は床弩など大型兵器に発明が集中しているが、彼女のは一人一人でも扱えて且つ量産や修理も比較的容易なものが多い。また、分解と組み立てがしやすいのも機密保持や戦地での使用には向いている。これは一種族に留めておいて良いものではない)
「おい、この槍を見てみろよ。見た感じは長槍だけど柄の真ん中の方で短い筒で繋がっていて長槍と短槍のどちらかにも簡単に変えられるようになってる」
他の飛竜隊のメンバーも各々でこの工房とその産物の価値に興味を惹かれ出していた。
(……この槍の構造は前世の現代で見た旗棒と同じ原理…そして間近に原始時代に使われていた投槍器もある。複雑な構造のものも含めてどれも兵士一人ずつでも扱える代物ばかり……、工人達の話を聞く限り実際の制作は別として設計や発案は杏橋がほぼ全て一人でしている事になるが…これらを生み出したという彼女は一体……?)
どうやら考察を深めるに連れて自然と歩行が遅くなっていた漂は、少し離れた杏橋を物陰から暗い殺気を込めた視線を時折向けている少女の姿に気づく。
そして、杏橋が漂を連れて植樹が点在する禿山の斜面の急流に設けられた水車に案内した時にそれは起きた。
「水の力を利用した下の研磨機などといった複雑な機械も動かしているのか」
「はい、中原から流れてきた母から習ったものに改良を加えているもので…?」
二人の身に、規模こそ大幅に小さいものの先日の戦と同じ人工的な揺れが襲いかかったのだ。
今回はこのSSで初めて成人向け要素がないはじめての話となりました。
次は白漂と杏橋の本格的な辛味の話です。
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