それにしてもあの樹海であの人たちの白装束鎧って目立つのに、あのスパイダー氏チームのそれは全然隠れて待ち構えるスパイダーっぽくないですね…。
○秦始皇8年(紀元前239年) 趙国西部 対秦国境付近 某密林地帯○
「「「…………………………」」」
拡珉を出発した日の明後日の午前中にて、信達は少々難し気な顔で草だけ丘の中腹から眼下に広がる広大な樹海を見下ろしていた。
「…北の方でも結構な森に入るなここはー。出来るなら迂回した方が…」
「…だけど今回それは出来ないわ」
「……ああ、何せ…ここが今回の戦地である“
信達の希望を同じ顔色の玲花達が言い切り捨てた。
「信! 白漂将軍がお呼びだ! 他の隊の指揮官達も集まってるから行くぞ!」
「ああ!」
難しい顔を向け合っていた信達の元へ本陣からの伝令が訪れた。
「よーし、皆ー集まったな。それでは始めるぞ」
白漂軍本陣に千人将以上で主だった者達が全員集まり終え、彼らが囲む机上にはここ黒羊の地図が広げられていた。
それには中心に大きな丘のミニチュアが置かれ、それを正四角形で囲むように一段小さい丘のミニチュアが四隅に一つずつ並んでいる。
全員が集まり終えてそれに視線を向け揃えるとまず紅武が口を再び開いた
「知ってる連中もいるだろうがここ黒羊は城も町も存在しない。代わりに抑えるべき箇所はこの黒羊五丘と呼ばれる五つの丘だ」
「要するにそれら全てを抑えて要塞化するのが目標だろう」
「その通りだ粛尤。この中華では規模が大きい部類に入るこの樹海ではこの五丘が砦の代わりになる。そこで左右二軍が中央丘よりも奥に前線を作れば、労せずして三つの丘が手に入って安全にそこから砦化に着手できる。だが、中央丘を挟んで向こう側に到着した慶舎軍も同様の事を考えているというわけだ」
「李牧の副官か」
趙側の指揮官の名を聞いて信が反応すると、今度は郭備が説明を引き継ぐ。
「その通り、向こうも向こうで主人の立場があれだから故にもう動いてる頃だ。だからこの場には集まってない将には哨戒も兼ねて先に出して色々と動いてもらっている」
「確かに役どころからしていないのが不思議な顔がいくつかあるな」
「そうだな羌瘣、これから左右両軍は彼らが仕込みを進めてる各所へ先に出てもらう。左軍は俺で右は紅武が受け持つ。それで互いの先方は俺の方がバトゥで紅武の方は信が受け持つ」
「おう、任せとけ」
「じゃあ、隊の皆を先に行かせているからもう私も向かっていいか」
「ああ、そろそろ各隊共に地図上で割り振っている位置に向かってそこから丘の占拠に取り掛かろう。それではいつものあれを行くぞ」
「は~~~い」
各隊長達が各々の位置を再確認し終えると、白漂の言葉を受けて一人の間延びした声の少女が高い樹上よりムササビを思わせる衣装でその生物の如く軽やかに降り立ち、彼ら一人ずつの前に机上で杯を並べて馬乳酒等を注いでいく。
馬乳酒は酒には分類されるがアルコール度数が非常に低く、栄養分が豊富なので遊牧民では不足しがちな野菜の代わりに赤子から老人に至るまで飲まれるものだ。
「一応酒に弱い方には~代わりに果汁を入れてます~。それではどうぞ~~」
盃に馬乳酒などが配り終えると、白漂達はそれに口を付けるも半分だけ飲んで後は残して再び机上に戻した。
「…さてと、残りは再び全員で戦勝した後の為に残しておこう。それでは……配置に行くぞ」
「「「「「ハ」」」」」
そして、白漂が中央丘を見据えて歩を進ませると同時に、全員が各々の担当に向けて地を蹴った。
地図上での白漂軍の開戦時点での配置はこうなっていた。
『中央軍=大将白漂 騎馬1万1000 歩兵9000
軍師=河了貂
騎=羌瘣(5000 泰 約 櫂 滝界) 郭巨丙(3000) 紅華(2000) 王京(1000)
歩=伍鬼(5000) 子界(4000)
左軍=副将郭備 騎馬2万 歩兵1万
軍師=甲
騎=バトゥ(5000) 粛尤(5000) フラグ(4000) 左慈(2000) 綴(1000) ペンテシレイア(3000)
歩=
右軍=副将紅武 騎馬2万4000 歩兵8000
軍師=翟
騎=信(5000) 英成(5000) 楚水(3000) 里了(3000) 蒼源(3000) 岳雷(1000) カンナ(1000) 祭(1000) 潤(1000) 譜孝(1000)
歩=嬴闘(5000) 那珂(1000) 仁庇(1000) 猛氾(1000)
各種工作部隊=指揮官尊舞(3000) 歩兵4000
歩=庶徐(1000) 越』
但し、騎馬隊と歩兵隊の区別はどちらかが主体かという目安で得物や乗馬状態は状況によって変わり、各隊何れも騎兵と歩兵が綯交ぜの状態である。
更に、今回は馬にとって障害物が多い地形のため、場所によって馬を降りて徒歩で戦わねばならない局面が増えるので書類よりも歩兵の比率は多い。
「……さーてと、とりあえず紅武率いる右軍の先方を任されたのは良いとして。やはりここは環境の変化が著しいわねー」
各隊が出発して1時間後、信達は右軍の先陣として樹海の中を突き進んでいた。
その足取りは事前に秦側の調査で地形などを十分に調べていたので、兵たちの性質と合わせて非常に軽やかであった。
「うほほー快調快調ーーーー…ってのわー!? 泥濘がー!?」
「おいぃぃぃ! 何を足滑らせて沼地にのめり込んでんだ尾平ー!?」
但し、いかに詳細でも個人レベルで嵌ってしまう微細な自然の罠に引っかかるものは各隊に程度の差はあれど少々ずつはいた。
「はー、彼がいると要らない時の過剰な緊張感が薄れていいわねーーー…っ……」
それに騎乗して先方の一角に加わっているステラが微笑んだその時、彼女の双眸に一瞬剣呑とした色が浮かぶもすぐにいつもの艶やかな表情に戻り、隣を進んでいる信に近づく。
「…あー信、悪いけど…ちょっと離れて用を足していいかしら…?」
「…む、いいけど一人で行くのは危ないから何人か連れてけよー」
ステラの少々困った風な顔を見て信はやや怪訝な顔で返して送り出す。
「……うぅ、ステラさんの肌…見てみてーなー汗斗…」
「真面目にやれ魯平! まだ敵が先だってよ―――」
「お前ら! すぐ地面にしゃがめ!」
「―――お…え…!?」
その背が林の茂みに消えて少々して兵達から猥談が上ろうとした時、彼らの鼓膜が信の怒声に振るわされて戸惑いながらも地面に身が着いた数秒後、彼らの頭上を木々を潜り抜けた矢が無数飛び越した。
「「「「「ぎゃあああああああああああああああ!?」」」」」
その矢の雨が行き着いた茂みから血飛沫と悲鳴が噴き出て、枝葉を押しぬけて趙兵が苦悶の顔で現れた。
「な、敵か!?」
「待ち伏せだぁ!」
「左斜め前の方角だぁ! 盾を組み壁圧の陣を組んで前進だ!」
姿を炙り出された趙の待ち伏せ部隊に信隊は直ちに盾と槍衾を組んで圧殺すべく動き出す。
「! そんな数でうちを待伏せしようたぁいい度胸だぁ―――!?」
信もすかさずその後に続こうとするも、背後に寒気を感じて振り返ると、巨漢の騎兵が巨大な戦斧を振りかぶった姿で茂みより飛び出てきた。
「ふん!!」
「―――あぁ!?」
信は瞬時に背後に矛を振りぬいてその戦斧を受け止めるも、膂力差から馬ごと数メートル後ずさりしてしまう。
「ほう、待ち伏せに気付いた挙句に俺の一撃まで防ぐか」
姿を現せたその巨漢の正体は趙左軍の大将紀彗の副将である馬呈だった。
「な、まだ敵が!?」
「落ち着けテメエら! もう後続が来るからそっちは待ち伏せしてた連中に専念しろ! それにこっちにはあいつがいる!!」
二つ姿を現した趙の部隊に戸惑う兵達を信が叱咤した直後、再び矢の雨が彼らの隙間を潜り抜けて趙兵に襲い掛かった。
「ぬぅ!?」
数分前に分離していたステラの弓隊が別の茂みの高台に移動して、趙側に遠距離狙撃を浴びせていたのだ。
更に信らの兵も木々を素早く抜けたり飛び越えたりして、木々を利用して横腹や背後より次々と趙兵を討っていく。
「舐めるなこらぁ! こちとら北方の森で暮らしてる奴は大勢いるんだ! こういうところでの戦は腐るほどやってきてんだよ!」
信の言うとおり、白漂軍は森林地帯中心に遊牧生活を営んでいた林胡が多く所属しているのでこうした森林戦を秦軍では最も得意としていたのだ。
「ち! 地元だからって少々舐めたか! テメエら! これ以上集まられる前に引き上げるぞ!!」
その発言と周囲の状況からこれ以上不利になる前に馬呈は素早く撤退の判断を下す。
「ああ!? 逃がすわけねえだろ―――」
「た、隊長あれー!?」
「―――!? あれは…!?」
背を見せた馬呈をすかさず信が追おうとするも、そこで兵が他所の方角を向いて叫び声をあげ、彼も釣られ眼を移すと地図上右斜め下の丘から煙が上がっている光景が見えた。
「ちょ、趙の旗だ!」
「お、俺らの方の丘が一つ奪われたのか!?」
その光景に下の兵達から動揺が巻き起こった。
○秦始皇8年(紀元前239年) 黒羊争奪戦一日目昼 趙国西部 黒羊 秦軍(白漂軍)中央軍本陣○
「…え、あの煙…うちの方の丘から……!?」
白漂軍でも首位を争う視力の持ち主である此度の中央軍軍師の河了貂はその煙に真っ先に気付き、彼女と同じく高所に移動していた白漂も気付くが目を少々開かせただけである。
「落ち着け貂、あの位置なら…まずこっちの十弓が動く」
白漂がそう述べた直後、右下の丘の麓の一角より一本の鏑矢が発せられ、そこに向かおうとしていた白漂軍右軍の各隊が止まる。
数十秒後、その付近から複雑な管楽器の伝音が鳴り響き、それはリレー方式で白漂軍各所に伝播していった。
「報告―、蒼源隊より”各隊反転に値せず”の鏑矢が発せられましたー。それと譜孝式音術で右下の丘に現れた趙軍は最大でも千程度しかいない事が伝わりましたー」
「まー、こっちに気付かれずにあそこまで来れたってことは隠れやすい少数だろうからな…」
「…そうか、なら右下丘の趙軍への対処は里了隊に任せて他は中央丘線越えを優先するように指示。それと左の方は…」
再び、伝音が今度は白漂軍本陣から左の方へ鳴り響いた。
○趙国西部 黒羊 趙軍(慶舎軍)中央軍本陣○
「報告! 馬呈隊が敵の信隊と接触するも先手を取られて兵力差で撤退! 更に秦側の丘を奪取した劉冬隊も少数であることを見抜かれて付近を通行していた里了隊に横撃されて撤退した模様!」
「……っ…この樹海地帯で…慣れるのが早い…」
「おいおい、このままだとあんた両腕がもがれるぞ」
中央丘を趙側より見上げる位置に設けられた趙側の本陣で紀彗が複雑な表情を浮かべ、慶舎の副将で槍を得物とする岳嬰が苦言を呈する。
「…いや、無駄ではない。おかげで連中の目利きの鋭さと耳の速さを推し量れた。これなら我々は右の方でうまく動ける…?」
それとは対照的に慶舎は秦右軍の方角を見据えて怜悧な表情を崩さずにいるが、彼が言う右である丘を挟んだ反対側の秦左軍より敵方から喚声が響いてきた。
「……あれは……」
慶舎が視線を移したそこより、幾筋もの黒煙と趙側の悲鳴が何本も立ち上ってきた。
○趙国西部 黒羊 秦軍(白漂軍)左軍前衛○
「!!!!」
「「「「「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああ!!?」」」」」
秦軍左軍の最前線で、粛尤を始めとして彼の率いる隊が火炎に刃を包まれた得物を振るって趙軍の左翼である姫昭軍の前線を大きく崩しつつあった。
得物の特異さもあることながら、中華で戦闘民族と評される遊牧騎馬民族の間でも特別視される犬戎の末裔である彼らの個人的武力と隊としての暴威は一際抜けていた。
「はああああああああああああ!!」
「ぎゃああ!?」
「え、得物をあの戟の間合いの外から投げつけ…がば!?」
「ひいい、こっちまで来たびゅああ!?」
その粛尤らと並走して趙兵らに悲鳴混じりの大きな喚声を上げさせているのが、十字状の長柄の先端四か所に曲刀に似た戟がそれぞれ付いた十字戟を振るうバトゥであった。
年若い女性の身からは想像できない膂力で振るわれるその戟は趙兵を鎧や盾ごと両断し続け、更に腕と結ばれている黒縄で振り子のように伸ばされて自由自在に振り回される事でより広範囲に趙兵をなぎ倒していっていた。
「報告ー! どうやら粛尤隊とバトゥ隊の先陣が既に敵右翼の中央の前線を突破!」
「おお! どちらも凄いな!」
「よし! 丘近辺に近づいている趙右軍左翼へフラグと左慈を向かわせろ! バトゥたちと共に合わせて横陣挟撃をーーーーーーーー…!?」
その有利な戦況は音術で白漂軍左翼本陣まですぐに届き、軍師甲を始めとする参謀達が慌ただしくなりだすも、その対象の一人である左慈は何故か神妙な顔で地面に横たわり耳を当てていた。
「おい甲、只でさえ戦地でやかましいから近場のお前までわめくな。丘からの音が拾いづらい」
「は? 音―――」
「ここから見て中央丘の右側が妙だ。フラグは俺と共に来い。それと他は任せたぞ甲」
「―――ってええ!?」
それに戸惑う甲であったが、今度は左軍指揮官である郭備が何かを感じ取った表情で本陣を離れると顎が大きく開いた。
「…しゃああああああああああああ! この調子ならさらに奥まで行けるぜーーー!」
「がんがん行けーーーーーーー…!?」
一方、趙右軍の前衛を穿ちぬいた粛尤兵達は更に気勢を上げてより奥へ進もうとするも、そこで彼らの先方は姿は見えなくても確かにただならぬ気配を覚えて表情が引き締め直る。
「…っ…こいつは―――」
「!!」
それを一際強く感じ取った粛尤が上体を起こしたその時、彼の真横の茂みより美しくも鋭利な白銀の穂先が突き出て狙ってきた。
「―――っ!!?」
突き出た瞬間に気付いた粛尤は直ちに巨躯が似合わぬ反射を見せて手甲でその穂先を峰から弾き逸らし、更に戦斧を振るうも穂先に続けて現れたその主は身を馬上で大きくひねって回避しそのまま彼の前へ進み出て距離を取った。
「む…盾を構えぇ!!」
「ぬおおおお!?」
「ぐあああ!?」
続けざまに新たな気配に気づいたバトゥが指示を出して盾兵が前面に出たその直後、趙兵が大勢現れて矢の雨を浴びせてきた。
「…やはり都合よく一撃で直ぐにとはいきませんね…」
その現れた趙軍の前に先ほど粛尤を狙った趙将が構え直すが、正体は此度の趙軍右翼を率いる姫昭であった。
「……無駄とは思いますが、ここはもうすでにあなた達の死地です。これ以上友を見送る前に北へ速やかに退きなさい」
そして、静かなれど濃密な闘気を放つ戦槍を向け直して警告を発する姫昭。
「…は、態々首を差し出しに来たガキの戯言なんざ誰が聞く?」
「ああ、あいにくと死地に来たのは貴様らの方だっ!!」
「「「「「しゃああああああああああああああああ!!」」」」」
その濃密な武威を読み取りながらも、慣れた風に小ばかにした表情を共に浮かべた粛尤とバトゥが馬を走らせ、その背を部下達が獰猛な気勢を上げながら続いた。
「……この感じ、粛尤達は敵右軍の中核と接触し交戦に入ったころだな…!」
一方、白漂軍左軍本陣からフラグ達を連れて飛び出た郭備達もその咆哮を聞き取りつつ、中央丘の秦側の麓に到着したころだった。
「…先ほど見えた茂みの震えはこの上だが…っ! 盾を構えろ!!」
左軍の最先端に気をやりつつも郭備は丘からの這い寄ってくるかの如き気配を感じて見上げるが、その直後にさっきを感じ取って直ちに守りを固めさせた。
「「「「「はああああああああああああ!!」」」」」
その直後、丘の崖上の林より市松模様の甲冑で身を固めた趙の部隊が矢の雨を頭上に走らせながら飛び出て、崖を降りてきた。
「「「「「なっ!?」」」」」
崖を少なくない数の中華の兵が現れて降りていく光景に、フラグ兵は驚きつつも直ちに身構えて交戦に入った。
「……やはりこちらに気付いたか、白漂の片腕よ…」
そして、崖上に残っている趙兵の中から此度の趙軍総大将である慶舎が姿を現した。
「! 者共ぉ此度の趙軍大将がのこのことここまで姿を現したぞぉ! 討ち取って名と家を上げろぉ!!」
「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおお!!」」」」」
その姿を目利きと視力が良い遊牧民多数の白漂兵は見抜き、フラグの命令を受けて気勢を上げてこの地に周囲の隊がより多く集まりだした。
「慶舎様! そんな自ら先行など! 後続の兵も展開してからでないと危険です!」
敵方の咆哮を聞きとってやや冷や汗をかいた表情の紀彗が続けて到着するが、慶舎は眼下の崖下で始まった死闘にも動じる様子を見せなかった。
「落ち着け起彗、とりあえずここを守備して周囲の白漂兵をより多く集めよ」
「!?」
「ここで秦左軍の首と胴を引き離して分断する」
逆に、その感情を読みづらい蜘蛛の如き両眼の深みがさらに増していることに紀彗の方が動揺を静めさせられた。
次回は、慶舎の油断のならなさと共に気質は違えど環境からくる白漂達のあのダーティーチームとの類似点に触れる予定です。