まあ、主力の出自を考えればこうなってるのが自然ですよね。まあ、白漂ならそれが今は堅気には向かないようにうまく誘導しているでしょうが…。
○秦始皇8年(紀元前239年) 黒羊争奪戦一日目昼 趙国西部 黒羊 秦軍(白漂軍)左軍中間部○
「……? 何だ? 右斜め後ろの方から揺れが…っ!? 来るぞ! 向こう側に向けて守りで構えろ!」
白漂軍左軍前線で粛尤とバトゥが姫将と直接対峙に至り、中央丘秦側の一角で慶舎が白漂軍左軍指揮官郭備の前に姿を現してから数分後、左軍の真ん中を疾駆していた綴がその二つの戦地とは異なる揺れに気付いた。
「はああああ!」
「のわああ!?」
その指示に彼女の隊が守備をとっさに固めた直後、中央丘を背後とする茂みより新たな趙の部隊が姿を現した。
「…ふん、噂の霊鳳を討った将がいると聞いてみたが…こんな餓鬼だったとは…」
「む…」
続けて不遜な物言いでその趙軍の中より現れた趙将岳嬰の姿に、綴は眉を少々ひそめながらもそれが伊達ではないことをこの一帯に生まれた新たな揺らぎで鋭敏に感じ取る。
「綴! 一隊で先行しすぎだ! む…新たな敵影が…!!」
それから次に四千人歩兵隊を率いる甘房が到着して綴の真横に並び立つ。
その姿に不敵な笑みのままで岳嬰は槍を向けて言い放つ。
「…戦場で気を付けねばならん注意の一つは…良かれと思った選択肢が味方を追い詰める愚行へ容易に繋がり得るということだ。わかるか? 西の果ての田舎猿に北の草野の野犬共よ」
それに綴は首を鳴らしながら冷淡な表情で切り返す。
「…要するにお前がその見本ということだろう。石の都の下手馬乗り共」
そのセリフの直後に、綴達は馬に地を蹴らせた。
○趙国西部 黒羊 中央丘趙側一角○
「…早くも始まったな。慶舎様の網引きが…」
「…話に聞いていたが…あれが慶舎様の網か……」
秦左軍と趙右軍の死闘を、慶舎の副将で小柄だが恰幅は良い金毛と鋼仲は中央丘の一角より見据えていた。
「紀彗は出鼻をくじかれたが姫昭の方はよく慶舎様と動きを合わせられている。あれだけの動きならもうあの敵は蜘蛛の巣に絡み取られた獲物も同然だ」
金毛が称賛する主君慶舎は蜘蛛と言うべき本能型知将であった。
師であり主である李牧も見えぬ糸で罠を張り、敵に好機と思わせてそこへ誘い込んで絡めとる武将と評価していた。
現在、秦左軍の郭備率いる後続は中央丘の下部を走り抜けて樹海を超えようとした慶舎軍の動きを察知し、丘の秦側の左裾で接触し交戦に入り、その獲物の大きさに目利きが優れる周囲の白漂兵は自然と吸い寄せられた。
だが、慶舎は精鋭部隊を引き連れていた事と守りに有利な崖上を先取りしたことで、早々に討ち取ることは出来ずに泥試合の様相を呈し始める。
そこで薄くなった綴達がいる秦左軍中間を慶舎に続いてきた岳嬰軍が強襲し、そこもそのまま交戦に入る。
結果、秦左軍前衛の粛尤とバトゥ達は他の味方より突出する形となり、そこを周囲に散開していた姫昭軍が他の敵部隊が薄くなったのも手伝い彼らを包囲するように集結しつつあった。
「白漂は兵の目利きが良いのと耳が早いのがあだになったな、他所よりも早く慶舎様に食いついて味方との間が手薄になった」
そして、金毛の言うとおりにバトゥと粛尤のいる辺りは群がり続ける趙兵に囲まれて死闘の只中にあった。
「…後続がいくら何でも遅いな。これくらいの森林ならもう来てて挟撃に移れているところだが…」
「しゅ、粛尤大人! 今さっき後ろ戻ってみたら味方いなくて更に奥に行ったら中間は他の趙軍に足止めされてた!!」
「何? 何処から来やが…っ!」
その状況を不可解に感じた粛尤に後ろから戻ってきた伝令が駆け寄るも、そうした一瞬の隙を突く形で姫昭がその鋭利な槍撃を一撃離脱式に繰り出し続けてきた。
「…なるほどな。癪だが今日一日はこのまま続けてもお前らに軍配が上がるらしい」
「素早い考察ですね。わかられたのなら得物を―――」
「おいバトゥ、トロトロしたらオトリ代わりに置いていくぞ」
「―――?」
周囲の状況を冷徹に分析した粛尤が姫昭の降伏勧告を言い切り捨てると、彼の親衛隊隊員の一人に目配せして独特の形状の鏑矢を天高く向けて構えさせた。
「ちっ! おい! すぐに“散伍”の矢を上げろ!!」
それにすぐ気付いたバトゥも舌打ちしつつも直ちに側近に似た形状の鏑矢を構えさせた。
そして、ほぼ同時に双方の鏑矢が天高く打ち上げられ、耳を劈くような警報が彼らがいる戦場一帯に鳴り響いた。
「「「「「!!!??」」」」」
それを聞いた粛尤とバトゥ双方の隊員らは一瞬立ち止まって自身の伍の者たちと目配せし合う。
「「「「「っ!!」」」」」
そして、一瞬後に五人一組の伍であること以外は完全に四方八方に向けて、剣戟を交える敵も完全に放り出して殿も設けずに逃走しだした。
○趙国西部 黒羊 秦軍(白漂軍)中央軍本陣○
「…あー、敵の笑い声がここまで届いて来てるなー」
「まー中華式の訓練受けてる連中からしたら素人丸出しな逃げ方だからな貂」
「何度聞いても嫌だなーあの“散伍”の音は…」
その光景は中央丘に近い高所に構えた本陣にいる河了貂と白漂にも見えており、程度の差はあれ二人の表情には忌避の色が浮かんでいた。
「…でもまーこれで二隊は明日も戦えるね」
「あれが一番、特にこういう森の中では一番助かりやすいからな。それにあの二人ならしっかりお釣りは出すだろう」
されど二人の顔に憂いの色は浮かんではいなかった。
「それは良いとして周りの隊が心配だ。越―庶徐―」
「おうだべ」
「はーい」
白漂の声に応じて背後の茂みより越と庶徐が降り立つ。
「粛尤の性格からして適当に趙兵を振り切った所で特技に走る。昨日に雨が降ったばかりの様子だからそこまで広がらないだろうけど周りの兵達が巻き添えを食わないようにはぐれそうな所を集め直して退避させるんだ」
「わかったべ」
「了解しました」
二人はすぐに察すると丘陵の急斜面の林に飛び込み、ほぼ同時にそこから茂みの各所が微かにだが連鎖的に揺れだしていった。
○趙国西部 黒羊 趙軍右軍(姫昭軍)○
「ぎゃあ!」
「追えぇ! 何としても逃がすな!」
「な、何だこ奴らは!? 全然追いつけぬぞ!」
「ほ、他の連中は一体どこに!?」
白漂達のその会話がなされていた頃、姫昭軍は追撃戦初めの嘲弄混じりの歓喜は薄れて戸惑いと焦りに占められつつあった。
それは赤狼隊とバトゥ隊の独特の逃げ方にあった。
秦に帰順する以前、彼ら北方遊牧騎馬民族は北の草原や森林地帯を根城として、北中華諸国と戦闘を交えながら彼らが持つ豊富な物資の略奪を生活の柱の一つとして生きてきた民である。
故に、文明基盤の違いから来る少ない人口から無駄な戦闘による死人は減らす必要があるのと、戦利品を生きて持ち帰るために逃走の技術は自然と研ぎ澄まされてきていた。
また遊牧民なので他文明と一定以上互換関係になければ生活が成り立たない故に、他勢力からの有益な知識や技術の獲得には熱心である。
その彼らが一番生還しやすい逃走法として生んだのが、伍を“個”として他は一切気にせぬ拡散するかの如き逃走である。
逃げを最優先にしているので、集団で追跡する敵には大抵一人以上はやられるがその間に他の面子はより遠くへ逃げられるのだ。
「ほ、報告ー! あいつら完全に将すら守らずに伍で完全に散って四方八方に殿も設けずに逃げていますので将二人の姿を見失いましたー!」
「何!? く…もっと捜索の範囲を広げて!!」
結果、バトゥ達は短時間の内に姫昭軍の索敵圏外へ逃げ切り、姫昭は討ち取れるはずだった敵将の首への未練から陣を大きく崩して広範囲に軍を散らし始めた。
それを散伍の音を聞いて一旦進軍を止めて様子見にとどまっていた郭備達は見た。
「よし、趙右軍の形がだいぶ崩れたぞ。ペンテシレイア、各個撃破に移る!!」
「ああ!!」
その様子を中央丘の趙側に近い一角まで逃げていた粛尤達も見ていた。
「…夕焼けも見えだしたな。郭備も動いたしこれで俺たちも今日最後の反撃に移れる」
粛尤達は懐に一本ぶら下がっている小瓶と何やら竹製の初期型水鉄砲に似た木製筒を取り出した。
続けざまに、趙軍より離れた樹海各所より味方大半の生存及び逃走成功を告げる鏑矢が何本も打ち上げられた。
「始めても問題なさそうですね」
「よし、始めろ」
粛尤達がその小瓶の蓋を開き、中の液体を適当な樹木に振りかけて、そこへ同時に取りだされた木製筒が分離されると中から小さな火種がポロリと出て液体に落ち、瞬く間に火炎が生じ周囲に伝染しだした。
「「「「「…ぎゃああああああああああああああああ!?」」」」」
十分後、秦側中央丘より見て左側の広範囲で、岳嬰軍の相当数を取り囲むようにして粛尤達による放火での山火事が発生していた。
「岳嬰様ーーー! 先ほど起きた山火事で我が隊と他の部隊が分断されました! 更に煙が燃え上がって妙な迷彩色の連中が現れた途端に秦軍は我々の索敵圏内から大半が逃げおおせました!!」
「ええい! 人が追っている間に小癪な真似をしおってぇ! 早く火災の隙間を見いだせ! 昨日は雨だったからこれ以上は簡単には広がが…!?」
周囲から燃え上る黒煙と異臭にしかめっ面になりつつも、岳嬰は周囲を素早く統率してこの場を脱出しようとしたその時、煙から目にもとまらぬ早さで赤い何かが伸びでてきた。
○秦始皇8年(紀元前239年) 黒羊争奪戦一日目夕刻 趙国西部 黒羊 中央丘趙側一角○
「ええい! まだ煙は晴れんのか!?」
「先ほどと比べて煙の勢いは弱まりつつある! それよりも煙に隠された他の隊はどうなっておる!?」
「…………」
夕暮れが強まり、夜戦を避けるべく粛尤の煙を逆用しそれに紛れてフラグ隊を振り切り、丘の趙側に戻った慶舎は鋭い双眸で自軍右軍の戦場を見下ろしていた。
そして、煙がようやく晴れていくとその驚愕の光景が周りの兵達に晒されていく。
「カカカカカカ、せっかく運んでいた資材がぜーんぶ炭だぜぇ!」
「のんきに砦作ろうとしてた連中の頭も大勢間抜け面で死んでやがる!」
露わになったのは、広大な樹海に小島のように現れた幾つもの焼け跡と、それに付随する趙側が中央丘砦化のために運ぼうとしたものの灰燼と化した資材に、煙に紛れて殺された多くの趙兵の躯であった。
更に、極めつけが未だに火が燻る高所の焼け跡の頂上に掲げられていた。
「後から来たあの赤紫髪のねーちゃんがとっておきの飾りつけまでしやがったしな!!」
赤狼隊の隊員がそう歓声を上げた通り、焼け跡頂上にて綴が己の得物の穂先に突き刺す形で、理解が追い付いてない表情の岳嬰の首が晒されていた。
「ふん、趙の半端馬乗り共…北の民でほとんどが構成されている白漂兵はな…どんなに転んでも絶対にタダ働きせん主義だ」
綴と同じ高所で周囲の趙軍の惨状を見下ろしていたバトゥが少々不機嫌な表情でそう鼻息を荒らした。
結果、一日目の戦いは秦左軍の挽回及び反攻によって秦側の逆転勝利に終わったのである。
今回は経歴を考察するに途中でドロップアウトして曲がってああなったろうダーティーチームと違い、生まれた時よりそういうのもある生活をしていた差が出る結果となりました。
次回は、原作主役サイドの話に移ります。