それと、原作より遅れてあの対魏戦で触れられたこの時代の負の側面の入り口に入ります。
そして、UA4万件突破ありがとうございます。
○秦始皇8年(紀元前239年) 黒羊争奪戦七日目昼 趙国西部 黒羊 秦軍(白漂軍)右軍○
「「「「「ウワアアアアアァァアアアアアアアアアアア!!」」」」」
黒羊攻略戦一週間目もまた戦いの喚声と怒号が巻き上がっていたが、その日はこれまでの同地での合戦とはだいぶ違っていた。
「目、目がああぁぐあぁ!?」
「て、敵は何処にぶべ!?」
「き、汚ねえぇぞ!?」
秦右軍を潰すべく出陣した慶舎率いる趙慶舎軍が、その真っただ中にて秦軍に包囲殲滅されようとしていたのだ。
取り囲まれている慶舎兵は、先の猛毒黒煙攻撃で大半が視力をやられてなすすべなく討たれていく。
「や、止むを得ん! 急いできた道を戻れ…!?」
何人か無事な将兵がどうにかこの死地を脱出しようとしているが、煙が晴れた先には既に秦軍が回り込んで包囲網を固めてしまっていた。
「し、信隊が高所から降りて来ておるぞぉ!」
「離眼軍とは嬴闘隊に遮られてしまっておる!」
「ひいいぃぃぃ! 粛尤も来たぞぉぉぉ!」
「……………………」
急速に減らしていく手勢とその押手に呆然とする慶舎の鼓膜を、ある一人の気勢が震わせる。
「おい信! こいつら初日の時の力を完全に失ってるぞ!」
「おお我呂! こうなっちまったらもぉ…何処が先に慶舎の首を上げるかって競争だぁ! テメエらぁ雑魚は正面だけ斬り飛ばして残りは撥ねながら行くぞぉ!」
その気勢の主は、慶舎が主君である李牧に此度の秦軍で白漂に次いで早期に潰すべきとした信であった。
○趙国西部 黒羊 中央丘趙側〇
「ほ、報告ーーー! 先ほど出撃成された慶舎様ですが…詳細不明ですが包囲にあって窮地にあるとの事ですー!?」
「はぁ!? どういうことだ!?」
「慶舎様なら向かわれた先の秦右軍を潰すべく出たばかりだぞ!?」
慶舎の鼓膜が一際振るわされたのと同じ頃、金毛の周囲が激しく動揺を起こしていた。
「いや! 誤報ではない…慶舎様が逆に
「な、そ、そんな馬鹿な!?」
その言葉に半信半疑となる周囲とは裏腹に、金毛は過去の李牧との慶舎に付いての対談を思い出す。
『慶舎は自身が張り巡らせた網の中で敵が嵌るのを待つ蜘蛛と言うべき本能型です。実戦で彼を討つのは私を含めて至難の業と言っていいでしょう。彼を討つにはその網から何とかして出すか…』
『他には?』
『…それ以上に難しい手ですが、彼を彼自身が張った網ごとより広い罠で掬い絡めとる手です。これらが慶舎を討つ有効な手となることは間違いありません』
記憶の中での李牧の言葉に金毛はさらに自身の体温の低下を感じ取る。
「(…数日前の左側のあの火攻めは見誤ったのではない! 全てはこの日に…慶舎様をその網ごと誘い絡めとる罠を敷いているのを隠すための布石だったのだ! 今日に潰されるはずだった秦右軍が先の毒の煙によって逆に慶舎様を屠るための罠の止めに…! おのれぇ…白漂! あの災害の孫とはいえ…元孤児上がりで李牧様と同等の戦術眼を持っていると言うのかぁ!!)ええい! まだ手遅れではない! 直ぐに慶舎様の救援に向かうぞ!!」
だが、凶事は畳みかけてきやすいというのは主君の危機を救わんとする金毛も例外ではなかった。
「き、金毛様ぁ! 伍鬼が大きく押し寄せてまいりましたぁ! このままだと前線は崩壊します!!」
「な、く、おのれぇ!!」
伍鬼五千人隊の重厚な侵攻に金毛もまたその場を動くことが出来なくなってしまった。
「「「「「ウワアアアアアァァアアアア!!」」」」」
それは秦側から見て金毛の右側に位置する紀彗も同様であった。
「き、紀彗様! 前面の羌瘣隊が右わきから大きく食い込んできております! あれ以上進みこまれると丘から叩き出されます!」
「…! この前までも半端ではない攻めの強さを見せていたが…あれでもまだ全力を出していなかったか! 兵を千ほどそちらに回せ! しかし…何よりの問題は…!?」
紀彗は苦悶の表情で自身から見て左下に広がる樹海で繰り広げられている、この黒羊戦の命運を握るもう一つの戦いを見やる。
○趙国西部 黒羊 秦軍(白漂軍)右軍○
今や秦右軍に周囲のほとんどを埋め尽くされたそこにて、一つの血みどろの死闘が繰り広げられていた。
「ぎゃあああああ!?」
「くそ! 数は少ないがしぶてえ!」
「な、何としても慶舎様をあ奴らから逃がすのだ…ぐふ!?」
必死に抵抗を続ける慶舎兵に秦軍右軍の兵士たちは苦戦を強いられるが、健常なものが殆どいない彼らは着々とその数を減らしていき、それは彼らの主君に如実に影響が出ていた。
「……っ! ぐうぅ…!!」
時折、味方の支援が入るがそれが微々たるものに感じられるまでに慶舎が何人もの猛者に囲まれて、傷と流血の量を増やしていたためだ。
「ふん、小せえが中々に持つな。だが、もうそろそろ楽になりそうだな」
「!?」
粛尤の火を吹かしている戦斧を受けるたびに慶舎は我が身の筋線維が千切れ、骨が軋み罅を入れていく嫌な音ばかりが遠くなる意識で如実に響いていた。
「くっそが! 粛尤が先に食いつきやがった―――」
「慶舎様から離れろぉ!」
「―――あってんなバレバレで切られっかボケ!!」
「ぐぎゃああ!?」
それより少し離れたところで信は自然と動ける慶舎兵を掃討する役に自然とついており、口では悪態をつきつつもそこに邪魔が入らぬように矛を振るい続けていた。
「……っ!!?」
そして、遂に慶舎の剣が叩きおられてその右肩に浅からず戦斧の刃がめり込み、勢いのある鮮血がほとばしり始める。
もはや慶舎の死が間近まで迫っていることを周囲の者は確信した。
遂に慶舎の腕から剣が抜け、ふらついた所へ打ち込まれた戦斧が即死こそ免れたが、彼の側頭部に浅からぬ切れ込みを入れて纏まっていた髪がほどけて伸ばされる。
「終わった―――!?」
だが、それに赤狼隊の一人が口角を吊り上げたその時、彼の頭はそこから白銀の閃光を添えた穂先で穿ちぬかれた。
「―――あがっ!?」
「「「「「!!??」」」」」
その勢いで絶命し落馬した味方の音に釣られた彼らが目にしたものは、この黒羊にて嫌な意味で記憶に焼き付けられた存在だった。
「ああ!? やっべぇ!!」
それに勘づいた信もその乱入者の目的に気付いて即座に近場の慶舎目掛けて馬を走らせる。
粛尤も乱入者に気付くと目を忌々し気に細めつつ、慶舎を討ち取るべく大きく戦斧を振りぬいた。
「ッごめん!!!!」
だが、その乱入者の二人に対する先手は彼ら自身ではなく、短剣の投擲で慶舎の乗馬に向けられた。
「ビヒィイイイイ!?」
「んな!?」
「!!」
そして、驚いて上体が跳ね上がった慶舎の馬に反射した二人の矛と戦斧が叩きこまれ、首と胴より三分割された馬からの血の噴水が周囲にまき散らされた。
「!!」
その勢いで乗馬より投げ出されて赤き噴水に隠された慶舎の身柄が、落馬寸前まで馬と共に斜めで駆け込んできたその乱入者によって抱き上げられた。
「あ、あいつはぁ!?」
その駆け込んできて討ち死に寸前だった敵総大将を救った者の正体に、周囲の秦兵らは驚く。
「…どうにか間に合いましたか……」
半死半生の状態で意識を失っている慶舎を自身の馬に乗せ直したその乱入者は、中央丘を挟んで反対側で戦っているはずの姫昭だった。
『ああ!? 調子乗ってんじゃねえぞ!』
「たった一人だけで何をほざく! 貴様諸共慶舎の首を上げれば終わりば!?」
そのあり得ぬはずの乱入者の正体に、赤狼隊と信隊は驚きつつも流石に直ちに動いて二人を取り囲み討とうとするも、両隊の合間を切り裂くようにして現れた西貴兵が姫昭らの周囲を固めて出遅れてしまう。
「はあ!? 何だこの少なさは!?」
だが、信はその事よりも現れた西貴兵の数の少なさに驚いた。
「! そういう事か…お前ら……」
続けて、粛尤が西貴兵の多くが煤だらけになっていて且つ、慶舎兵ほどではないが目を赤く腫らしている姿から彼らがここまで来れた方法に気付いた。
「…まさか彼ら…あの煙の僅かな合間を突き進んできた!!?」
続けて遠方の狙撃台からそれを見ていたステラが同じく気付くも、同時に信じられないという感情も引き起こす。
だが、姫昭の脳裏にここに至るまでの記憶が走馬灯の如く高速だが明瞭に思い返される。
○数十分前 趙国西部 黒羊 趙軍右軍(姫昭軍)○
始まりは数十分前、姫昭はその時も猛攻を掛けてきていた秦左軍相手の防戦で指揮を執っていた。
その最中に、姫昭は丘を挟んで反対側より立ち上ってきた巨大な黒煙と、微かながら自らにまで届くその異臭と悲鳴に気付き、それがこちら側の戦場から姿を消したある男の不在に結び付く。
「…そう言えば、あの犬戎の者達の姿が…ここでは何日も前から見えていない…まさか!?」
そして、そこから最悪の事態に考えが至った姫昭は即座に自身の親衛隊を率いて左側に向けて馬を走らせた。
「のわぁ!? な、何だぁ!?」
「ゲホゲホ!? お、おい! 危ないぞ!」
「ぶぼべえ!?」
最短ルートを選んで突き進んだ姫昭の強行軍は、秦軍中央軍と対峙している趙軍中央軍の真っただ中を駆け抜ける形となった。
そのことで、姫昭の突然の行動にそこまで付いていけるものは多くなかった西貴兵は味方との衝突などで更に数を減らしていく。
「!? 後ろで何が起きている!?」
それに加えて、姫昭が僅かな薄き隙間を瞬時に見抜いて先導したとはいえ、中央丘まで伸びて戦場の詳細が紀彗達には見えないようにまでしていた猛毒の黒煙で更に脱落者が増えた。
「あれは…!? 皆! 声を抑えてあの煙の下の隙間を!!」
「「「「「!!?」」」」」
だが、その煙に数が絞られ切った姫昭達は上手く隙間に身を隠しながら進められ、黒煙の残り火である異臭が強く残った箇所を秦兵が無意識に避けて薄くなり出来た僅かな隙間から、秦側に最後になるまで気付かれないまま慶舎の元に間に合う事が出来たのである。
○現在 趙国西部 黒羊 秦軍(白漂軍)右軍○
「「「「「オオオォォォ!!」」」」」
姫昭の回想が終わった時、もう既に周囲は血みどろの死闘の真っただ中にあった。
「ッ! 思った以上に…付いて来れた兵達が…!!」
『カカカカカ! そのくそムカつく面も纏めて潰せる良い機会だボケェ!』
「囲み自体はもう直し終えてるんだよ! 全員細切れを覚悟しとけ!」
但し、状況的には趙側の兵がやや少し増えただけで、秦側有利の状況であることは彼らの嘲笑が示しているように変わりはなかった。
「ッ! 何とかして突破を―――」
「…姫…昭…右だ…そこに…全力で…向かえ…」
「―――!?」
「…微か…だが…そこに唯一…罅が…ある……っ…」
その状況で戦槍を振るいながらどうにか改善策を必死に探す姫昭に、数秒だけだが意識を取り戻した慶舎が指示を出した。
即座に姫昭は生き残りを纏め上げてその方向へ突破に打って出る。
「おい! あいつら趙左軍の方に向けて馬を走らせたぞ!」
「馬鹿が! そうなることは予測済みでもうあそこは内側も固めてあるわぁ! 背を追い討てぇ!!」
それらに対し秦兵らが声を上げた通り、姫昭達が視認できる所まで近づいたそこは既に秦側が障害物と盾を揃えて待ち構えていた。
「ステラ副長! あいつらやっぱこちらまで来ましたぜぇ!!」
「見えてるわ。皆、私があの姫昭をすぐに仕留めるから同時に一斉射げ―――!?」
突破すべく近づいてくる姫昭らを討ち取るべくステラ達は弓と弩を並べるが、その直後に彼女は背後より悪寒を感じた。
「あぁ!? 誰を仕留めるって!?」
回弩を構えているステラの背後に、多くの秦兵の屍を大斧で巻き上げながら馬呈が現れたのだ。
「―――え…っあ!!?」
その背後に直近してきた馬呈にステラは振り向いた次の瞬間、自身目掛けて振りぬかれた大斧を目にして得物の回弩を盾にして即死こそ免れたが、またしても得物と鎧の前面を斬り飛ばされた勢いで後頭部から大木に勢いよく打ち付けられてしまう。
「ば、馬呈将軍だ!」
「た、助かった…!」
「喜ぶのは後だ! 向こうが開けた小さな風穴は今しか持ちこたえられない!!」
それで周囲の趙兵の声音に安堵と希望を感じた色が滲み出るが、姫昭は即座に失跡して気を引き締め直させる。
姫昭は馬呈とその直下兵達全員が多くの矢傷を負っているのを目にし、ここまでの強行突破で彼らが多くの犠牲を払ったことと、それで開けた脱出口がすぐに閉ざされる小さなものである事を即座に見抜いて速度を更に上げさせた。
○趙国西部 黒羊 中央丘秦側付近某高所 秦軍(白漂軍)中央軍本陣○
「な、何ぃぃぃぃ!?」
「あ、あれだけ策に策を重ねた状態で失敗だとぉ!?」
一方、秦軍本陣にも秦右軍での失敗の報は少々遅れて伝わり、周囲の参謀達から驚愕の悲鳴が巻き起こる。
「…………(まずいな。一度でも逃がすと慶舎はもうこの手にはかからなくな―――)」
「……………」
「―――!!?」」
それを白漂は本陣中心の高所から静かに見ていたが内心では真面目に顔を顰めさせるも、そこで駄目押しの冷たい視線が背後より向けられてきたて引きつった笑みに変わる。
白漂が周囲に悟られないように無表情のまま気を張った背後には、そこには行儀が悪い豚を見る屠殺人の表情をした紅華がいた。
(こ、このままだと前回よりも酷い仕置きが待っている…いや! そんな個人的なのはどうでもいい! そ、それも重要だけど…今回で慶舎を逃がすと―――!?)
白漂が公私混同と区別が激しく入れ替わり続けるその思考に囚われそうになっていたその時、先ほどに届いたばかりでまだ読み進められていなかった報告書が強風で散らばって彼の足元に転がり込む。
「―――? これは…?」
「あ、こ、これは今さっき届いた邯鄲及びに黒羊周辺からの報告書ですよ。ですが今は見る暇はー…!?」
それに本陣の衛兵が反応したその時、白漂は題名に目敏く反応して勢いよくその書類を勢い良くとってその内容を猛スピードで読み進める。
「現趙王と西貴の新たな醜聞…及びに、暗何に派遣されている現趙国宰相派に近しい監視役…しかもその責任者が―――」
「え!? あ、あれは…!?」
「―――?」
新たな報告書の内容に白漂の思考の幅の広さと深さが再び大きくなろうとしたその時、望遠鏡で秦右軍の戦場を見ていた衛兵から悲痛な驚きの声が出る。
「どうした? ちょっと見せてみろ……!?」
白漂がその望遠鏡を空けさせてその中を見たその時、彼の表情に真面目な険しさが浮かび上がった。
○現在 趙国西部 黒羊 趙軍左軍(離眼軍)○
「追えぇ! 逃がすなぁ!」
「慶舎の首までもう少しだぞぉ!」
「怯むなぁ! 何としてもここで食い止めろぉ!」
「もっと味方の奥まで退けぇ!」
白漂が望遠鏡を向けているそこでは、猛烈な追撃を掛けている秦右軍から趙左軍らが後退しつつも防戦を必死にをしていた。
「くそぉ! あいつらあんだけ本陣兵を潰してまだ追ってきやがる!」
「それで慶舎様はどうなんだ!?」
「生きてはおられるが息が止まっていて予断を許さない状況だ! 早く手当てをせねば本当に御命が…!」
被害を抑えるべく後退しつつも必要最低限な防衛線を維持すべく懸命に戦う彼らの中を、半死半生の慶舎が大急ぎで移動させられていた。
そのすぐそばを、少なくない趙兵から忌々し気な表情を集めながら彼らによって乱暴に運ばれてる存在がいた。
「くそ! こいつがあそこで邪魔しなければ慶舎様がこのような目には…!!」
「……………っ…」
その彼らの殺気に反応してか、切り裂かれた鎧の前面より白い柔肌を晒し、気絶して頭から少なくない血を流すその存在たるステラから小さな呻き声が漏れた。
原作よりも大幅に遅れましたが、今とは権利とか価値観が大幅に違うこの時代での負の面に引きずられそうになりつつあるステラさん。
この世界では、河了貂が原作よりも成長と出世をしてよりガードが堅い所にいるので、代わりに前線指揮官である他の子がその負い目を受けることになりました。
次回は、彼女のこれから受ける境遇が、主人公の機転から始まる新たな策の発生への繋がりと黒羊戦に及ぼす大きな影響の切っ掛けとなることを描き出す予定です。