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○秦始皇8年(紀元前239年) 黒羊争奪戦二十日目昼 趙国西部 離眼○
「…とまあ、そういうわけでこの城は助かったというわけでして……」
黒羊より戻った後、安否が知れなくなっていた故郷の地で、同地を襲った危機とそれが軽微で済まされた経緯の詳細を、離眼城主紀彗はその現場にいた長老達より全て聞き取った。
「……え、えーーーっと城主…こ、こいつは何が起きてんすか…!?」
あまりに急すぎてきて且つ濃い内容に帰還してきた兵達の多くの頭が追い付かず、それを代表して馬呈が至極もっともな疑問を発するが、主君の顔を見てギョッとして言葉が止まってしまう。
「…………………………」
何故なら、無言の状態で白目を剥いて大幅に血の気が引いた無表情と言う初めて見る紀彗の変顔を目にしてしまったからだ。
ちなみに、その背後にて同じく白目を剥いた状態で顎が外れんばかりに大きく開いた劉冬が盛大に落馬した。
「りゅ、劉冬様ぁ! だだだ大丈夫ですか!?」
「………や、やられた……何もかも………!!」
「……………え!?」
それに驚く部下達が介抱するも、劉冬は視線があられもない方向を向いたままの状態で唇が半ば無意識に動き始める。
「……わ、我らは…秦軍に…白漂めに……完全に嵌められ…それで救われてしまい…………」
「……は?」
「て、敵に救われて……??」
「…結果! 趙国での未来を閉ざされたのだ!!!!」
「「「「「!!!???」」」」」
劉冬の測れぬ絶望を滲ませたその叫びは、馬呈とそれ以上に追い付けていない周囲の思考を更に混乱させつつも再び驚愕させた。
「…り、劉冬…今現在…城内にいる主だった家臣らを私の屋敷に集めてくれ…現状の説明と…それを踏まえての今後の取るべき道について説明する…」
ざわざわと騒ぐ群衆を放置し、紀彗達は城主の館の閉ざされた部屋に籠る。
「…まず結論の一つから言うぞ。我々は…離眼は趙国に留まれなくなった!!」
「「「「「!!!!??」」」」」
「「「「「………………」」」」」
そして、数十秒の沈黙を置いた後に紀彗が言い放ったその言葉に、部屋に集う者の大半は驚愕の様相を見せ、劉冬を含む一部の者達は現実を再認識させられた暗い表情で俯いた。
「き、紀彗様! どういう事ですか!?」
「……ここで皆に正直に言うが…黒羊開戦以前に…私の元を白漂が秘かに訪れ…秦側に帰順するように交渉を持ち掛けてきたというのは本当の話だ…」
「な!?」
「い、いつの間に!?」
「何故そのような重要な話を今までなされなかったのですか!?」
それから、紀彗はこの事態に入る経緯を順に追って説明し始めるが、その内容は参加者の思考を更に混乱させていく。
「…彼が語る内容が現実味があるものだったからだ。昨今…軍務にあたるものが見ればわかる通り…今の秦王が即位して以降の秦国の領土拡大と国力の増大化は尋常ではなく、もはや趙一国では対抗しきれんほどだ。それをするには他国と連携するしかないが…知っての通り我が国は先の合従軍で裏の主導役を務めながらも見事に失敗させられた経緯からしてその選択には大きく制限が付いている…」
「そ、それではどうすれば……!?」
「私も気付いたのは彼との密談でだが…近年、趙国西部は秦との国境に近い順から小規模な物中心に城郭の築城や改築を進めている…」
「そ、それなら別に良いことでは…?」
「だが、このやり方では秦と比べて兵力に差がある我が国では各城砦に分散していかねばならなくなる。そうなると西部の各城はもう互いに援軍を出し合う余裕は無くなる。ましてや今の黒羊を抑えた秦側に大軍を動員されつつも詳細をこちらに把握されずに動かれることが可能になられている以上、どの城もおいそれと一応味方と言っても他所の城に援軍を出せる状況ではますます無くなったのだ!!」
そこで説明に劉冬が加わるが、紀彗が述べていた暗い未来をさらに後押しする内容になる。
如何せん、都市国家の集合体として大国から分離独立したために各城邑の独立色や発言権が強い三晋諸国では現実味のある話であった。
「…そして、今の秦国と我が国の国力差を考えて取れる選択肢は…焦土戦と消耗戦の複合による秦の疲弊を待つ策だ。だが……この戦略だと前線にある城邑群はほぼ捨て駒にされるのだ!!」
「「「「「な!!!??」」」」」
「それを防ぐには…半分問題の先送りにしかならないとも言えなかったが…趙国による黒羊要塞化及び拠点化が必須だった。あそこを抑えれば逆に秦側が趙軍の動きを正確に把握できないがために同地に大軍を張り付けねばならず、その分は我々にも余裕が生まれるはずだった。だが……!!」
説明の途中で劉冬の表情に言い辛そうな色が浮かぶが、彼は自らの責任も感じてその先を続けた。
「…現実は私が不覚にも捕虜となった後の明らかに不相応な捕虜交換に始まり、さらにその後の秦軍による中央丘撤退と、その後の築城中で暗何残党が混ざっていた監査団によって奴らとの内応の疑いの証拠にされた…! しかも、我々が捕縛されて連行されていた間に秦軍が監査役達に掴ませた偽書の通り…部下達は暗何残党に我々が濡れ衣で粛清されようとしていることを聞かされて混乱し、そこを秦軍に促される形で黒羊敗北に繋がる中央丘大脱走を起こして疑惑を真実に変えられてしまったのだ!!」
「「「「「!!!!!!」」」」」
劉冬のその言葉にそれが聞かされるまでは頭が追い付いていなかった者達も、事態の深刻さに気付いて顔から急速に血の気が引いていく。
「…そ、それでは我々は趙国を裏切った戦犯と言う事になってしまったではないか!?」
「ど、どうするのだ!? 先に粛清しようとしてきた暗何残党を秦軍に離眼から追い出されもしたことで弁明しようのない疑いが出来たぞ!」
「今の王や宰相の性格を考えれば直ぐに我々に討伐軍を送り込んでくるぞ!」
「ど、どうすれば助かるんだ………!?」
その不安に押されるがままに有力者たちは今後の道について議論し合うが、ある一人がその解決策に気付くと強張った表情で恐る恐る紀彗を再び見やる。
「ま、まさか…紀彗様……!?」
「…ああ、その……まさかだ。皆の者、特にこちらの勢力圏内の外に身内がいるものは…私がこれからする話を受け入れられないなら…話が終わった後で身内を引き連れて早急に城を離れてくれ…まずは……」
そして、強い不安を滲ませながらも腹を決めた紀彗の強い眼差しが他の面子を見渡した後、彼の口から離眼がこれからとる道の説明がなされた。
○趙国西部 黒羊付近 某原野○
「………よーし、まだ周囲の趙軍に動きは見受けられないな…」
離眼で同都市の運命を決める密談が進められていたその時、白漂は黒羊周辺の原野にて趙軍を警戒するという名目で三万程の兵を率いて駐屯していた。
(…断じてそろそろ来るだろう…と言うかやってきた呂不韋陣営の監査官の応対が面倒くさかったので早急に連中が来なさそうな黒羊樹海防衛線の外へ逃げたとかそんな意味ではない…)
「漂将軍、またどうすれば上手くさぼれるかばっかり考えていませんか?」
「…部下達も大勢いるんだからそういう突っ込みは止めてくれ…!?」
白漂が内心にて極めて俗な個人的理由を思い浮かべていることを紅華は勘で気付くが、それに夫である彼がジト目を向けようとしたところで大きな旗を掲げた趙兵が何名か地平線から近づいてくるのが見えてきた。
「…ん? 何だぁ? 趙兵が数騎くらい近づいてくるぞ…?」
「…あいつらのあの旗…白旗じゃないか!?」
「それに妙にボロボロなのが多いぞ」
その趙兵の様相に秦兵の多くが不審がるが、それは彼らの代表を名乗る者の最初の言葉で加速する。
「こ、こちらは西貴軍千人将の一人
「「「「「!!!!??」」」」」
急に少数で現れた趙軍代表を名乗る男の言葉に、その場にいた秦兵達は当然のごとく不安がる。
「降伏だと!?」
「確かに黒羊は我々が落としたし、その内容が内容で離眼と西貴は趙国内での立場は非常に苦しくなっておるだろうが…」
「いくら何でもこんな数日で降伏など決められるか?」
「これは何かしらの罠ではないか…え!? ちょっと将軍!?」
だが、不安がる周囲の秦兵達に構わず白漂は少しだがその輪を出て趙兵達と向き合う。
「…その恰好に表情…降伏するのは違いなさそうだが、どうやら最低でももう一戦は必要だという感じだ。だが…それは話をしてからという感じだな…」
「だが白漂将軍、彼ら自身にこちらへの継戦意欲は無いようだが…」
「そうだな紅武、そこで彼らとこちらの直ぐに一戦出来る面子で信を最も置けるものをえり抜いてくれ。その間に彼らと他には無暗に聞かれない所で交渉に入りたい」
「わかった」
そして、紅武を中心に白漂達と訪れてきた西貴将兵達の会談場所が設けられ、その周りを彼が選抜したもう一戦できる精鋭隊が監視と警護を行う中で両者の交渉が始まった。
「…さてと、まず本題に入った方が良い感じだが、降伏するのなら西貴の実質的代表である姫昭の意思はどうなんだ?」
「…っ、それは……」
「…その表情、どうやらお前達も今や会えない状況で且つ…かなり危うい状況にあるらしいな姫昭本人は……」
「……………………どうやら、隠し事は出来そうにありませんな。その時間もないでしょう…実は………」
そこで、白漂が天性のものを幼少期より戦場をかいくぐって鍛え、紫夏と共に中華中を回って研鑽してきた洞察力で彼らの急所も探りながら内情を伺い始めると、よほど余裕がなかったらしい西貴将兵達は重い口をゆっくりと開き始めた。
○二日前 秦始皇8年(紀元前239年) 黒羊争奪戦十八日目夕刻 趙国西部 某山道○
「「「「「……………………」」」」」
降伏した趙軍の将兵達によれば話は二日前に遡る。
その事件が起きたのは黒羊樹海地帯攻防戦の決着より三日後の事で、敗者である趙軍に属する姫昭ら西貴軍は重く沈んだ空気で故郷西貴への帰り道に着いていた。
「………他の方が不自然な理由で拘束されたとはいえ…私が総大将を任された戦で負けるなんて…しかも、本来の大将殿は残された中央軍の方々と共に捕まって………」
「………姫昭様、あのような状況になるとは誰も予想は出来ません。今は故郷の安否を確認することを優先しましょう…」
故郷の命運をかけた死地にて敗北した後の彼らの足取りは遅かった。
それも只の敗戦ではなかった。
死闘を交わしていた敵との内応を疑われ、挙句にその謀略に乗せられる形で要所を明け渡し、更にその直前には内応の疑いで中央軍に襲われた故郷を敵に救われたという言い逃れのしようがない事態の連続の後であった。
もはや、ここまでなった状態で故郷に帰っても邯鄲には反逆者以外の存在には見られないだろう。
(……そうなると、もう西貴が生き残る道は……恐らく嵌めて来ただろう秦に帰順するしか…そうなれば、まず顔を合わせるのは………!?)
それらの経緯を踏まえて、これからの算段に思考が入った姫昭の脳裏に浮かんでしまったのは、黒羊戦の最中で組み合ってしまったあの男の姿。
(…な、何故私はあの男の顔ばかり強く思い浮かぶ!? そ、そもそもあの男に嵌められただけではなく…戦地で痴態を見せつけられただけでなく…慰み者にされそうであったのに…!?)
何故か鎧が熱くなって鼓動が高まるその不可解な感触を姫昭が頭を勢いよく振って振り払おうとしていたその時、彼らが進んでいる道の先から血相が変わった表情の西貴兵が駆け込んできた。
「ハアハア! き、姫昭様ー! 大変ですー!!」
「…あなたは城に残していた衛兵の…? どうしたのですかその表情は…!?」
「せ、西貴城が再び現れた中央軍に攻め落とされました!!」
「「「「「!!!??」」」」」
その突然現れた伝令に近況から良からぬ想像しか出来なくなっていた姫昭だが、彼が告げたその内容に部下たち共々その中で最悪のものにあたってしまった。
「いったい何が起きたのじゃ!?」
「鋼仲様…それが先に送った伝令が申した通りに、一度目の暗何残党が中心となっていた監査役による占拠が、秦軍の別動隊による干渉で失敗に終わり西貴は一度解放されたのですが…、同時期に離眼を追い出された監査役の本隊と合流して勢力を増した後に、姫昭様達が戻っていなくて且つより小さな我々の城に再び襲い掛かってきて…! 奴らは付近の住民を狩りだして人質に取ったり、更に姫昭様達も既に捕らえたと嘯いて城を開城させたのです! 奴らは今や姫昭様達に降伏せねば期日から一日経つごとに民の十分の一を無作為に選んで反逆者として処刑すると言っており……!!」
「「「「「………………」」」」」
立て続けに襲い掛かってくる性質が悪い報せの連続に、姫昭達はしばし口が閉まらず、言葉が出ることは無かった。
今回の最後で大ピンチに陥った西貴の訳アリ城主(代理)。果たして主人公はどのようにして今回の事態を解決するのでしょうか?
まあ、実際は主人公のマッチポンプの後始末ですが…現実の政治とヤクザも近からずとも遠からずじゃない?と思うのは筆者だけでしょうか?