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○秦始皇8年(紀元前239年) 秦国東北部 西貴郡 西貴城○
「……………」
新都市での白漂と庶徐の情事より数日後、それを盗み見ていた影である姫昭は頬が朱色に染まった憂えた表情で食事を取っていた。
「…城主さ…失礼、姫様…まだその晩の事が気になりますか…」
「…ええ、
その様子を姫昭の側近で侍女長を務める
(…まさか…よりにもよって…何と厄介な……)
彼女は姫昭を悩ませているその感情の正体を悟っており、それ故に頭を内心で抱えてしまっていた。
姫昭は、先の黒羊五丘樹海戦以来より白漂に一目ぼれしてしまったのだ。
これまでは邯鄲による御家取り潰しを避けるために、姫昭は男子と公表されて本人もそのように振舞うことに慣れてしまっていたので、自身の恋愛感情を理解できず悶々とした日々を送り続けていた。
それらの経緯を踏まえて、参宜正は不安を覚えつつもこのままの状態にいさせるのはもっと危険として姫昭に遂にその事を指摘することを決意する。
「……姫様…言い辛いですが…その……」
「何でしょうか…?」
「貴女は…その……女性として…惚れてしまったのですよ…」
「………え…?」
「…朔方侯に……」
「………………!!!!??」
そして、参宜正にその事を指摘された姫昭は数秒程理解が追い付かなかったが、その後に見る見るうちに顔が真っ赤になって無言の悲鳴を上げた。
「……あなたは何を言って…? 今でこそ西貴は秦に帰順しましたが……まだ数十日前までは敵で実際に剣戟を交えた関係でしょう……?」
「…残念ですが姫様、貴女の…黒羊で朔方侯と直に刃を交えてから…取ってきた行動がそれを証明してしまっています…」
「……え…!?」
「…白漂の名を聞くと自然に顔が俯いて頬が朱に染まったり、机に指で彼の名を延々となぞり続けたり、寝ている最中も白漂の名を半分魘されている赤ら顔で呟いていたりと……」
「………………………」
はたから見れば完全に異性として好意を向けているそれらの行動を羅列されて、姫昭は始めてそうした行為が好意の表れだと言うことにようやく気付けた。
○秦始皇8年(紀元前239年) 秦国中央部 王都咸陽 王宮○
西貴城にて姫昭が自分を悩ませる感情の正体を知ってから一週間後、秦の中枢にて嬴政が歩きながら現場からのある要請の書類に目を通していた。
「…現地の有力者より、婚姻及び見合いの許可を求める声有り…か。確かに…漂のおかげで趙から大きく地を削り取れたが…そのおかげでこうした現地の有力者の血縁についての書類が多くなったな…」
この時代、婚姻と言うのは有力者には家と家の外交の要のようなもので、特にこうした併合したばかりの土地で下手な手を打つと反抗勢力同士で結託されることがありえた。
「人間関係でもめる原因の最多は性と金銭ですからねー。国もその集まりである以上は下手な手は打てませんからもっと吟味しないと駄目ですよー…?」
その嬴政の斜め後ろより護衛武官達を率いる叙加が同行していたが、その途中で表情こそへらへらしたものだが瞳に真剣な光を宿した。
「ならば叙加、今すぐにでも現地黒羊一帯の婚姻関係の報告書を現時点のものでいいから持ってきてくれ」
「はいはい~」
直後に発せられた嬴政の言葉を受けて、叙加は一人だけ離れて、嬴政達は後宮に続く方向へ道を変えていく。
「…ここか、気配は感じ取れているぞ。大人しく姿を見せるがいい」
「…!!」
そして、中間の中庭に辿り着いた嬴政達が足を止めて剣の柄に手を掛けると、同時に茂みから何者かが飛び出してきた。
「はい、終わり!」
「ッぐぅ!?」
だが、その一瞬後に続けて背後から現れた叙加がその者を背中から踏み倒して地面に押さえつけた。
「…何々!? 何かしら!! 何だか人が取り押さえられたような音が響いていたような…!?」
続けて、後宮と繋がる小門の一つを開いて美女が護衛の宦官付きで現れると、叙加に取り押さえられた不審者が顔を大きく上げて声を張り上げる。
「なりません嬴美人! この相国めの手先は下種な手を使いますが腕が立ちます! 私が暴れている間に後宮にお戻りくださいませ!!」
「「「「「………はい??」」」」」
その自分達に対して放たれた的外れな批判に、嬴政達は緊張も忘れて首を傾げた。
「…いや~~~~! 失礼しましたー! まさか大王様ご本人だったんて~~~~! あんまりにもすんなりここまで来られたものだから相国の手先だと~~~♪」
「おい、それが謝罪する者の態度か」
「私が言うのもあれだけどあんたもかなり神経図太いわね……」
「「「「「……………………」」」」」
数時間後、嬴政は取り押さえた人物と後宮に近い王宮の高楼で対面していたが、その人物の両隣りを何故か苦い表情を浮かべている昌文君と引きつった笑みの先ほどの美女が固めていた。
「…えーーーっと、嬴認さーそこの殿方ってー新しく入った護衛の宦官かねー?」
「叙加、いくらなんでも失礼よそのような言い方。この子は熊槙。左丞相閣下の姪にあたる方で私の友達よ」
「昌文君!?」
「…あー、申し訳ございません大王様。本日にて正式に後宮へ警備官兼務で入れたばかりの身で…男装している点など妙に女らしくない姪でして…」
嬴政が驚きながらもその身元を知った女性熊槙は、自分よりもやや低い程度で性別にしては背が高く、更に短めのややくすんだ金髪と合わさった明瞭な美貌で朗らかな美少年と言うべき風体をしていた。
「紛らわしい格好で申し訳ありません。私―どうしても子供の頃から女子らしい習い事よりも男子の学問や武芸の方が好きで…この格好も動きやすいから着ていますの。けれども武芸も達者なのに女子力も意外と高めな嬴夫人に出会いましてー今では女性分野も学んでおりますの」
「おい、女子力も意外に高いとはどういう意味だこら?」
その熊槙に手を握りしめられている先ほど現れた美女である嬴認は若干顔をイラつかせた。
この場に現れている嬴認は、濃い茶色の真っすぐとした長髪に水色の瞳で美貌だがそれ以上に気が強そうで、それ以上に不機嫌そうな雰囲気を醸し出している。
彼女は秦国王族出身で嬴政の后の一人で幼馴染みの間柄である。
「あ、そう言えば実家と繋がりの有る燕の梁家の方々からトドと言う珍しくも珍味な獣が届けられましたの。近い内に美味しい料理をお教えしてくださりますか?」
だが、その熊槙の口から出たある単語が嬴政の琴線に触れた。
「梁? 確か山陽攻略辺りから燕で台頭し始めてきた有望な若手がその一族の生まれだと言うが……」
時折り、熊槙の口から出る幾つか気になる単語を契機に会話が真面目なものに移行したりするが、概ね彼女と嬴認を中心に一同は朗らかな雑談に終始した。
○秦国東北部 対趙国境付近 白漂軍本隊駐屯地○
「…む、何だあの人だかりは……?」
咸陽での嬴政の新たな出会いより一週間後、前線の一角にある新興都市の官庁にて白漂はある人だかりに怪訝な顔を浮かべていた。
「ああ、あれは先の黒羊戦で帰順した前後に女性であることが分かった姫昌様とその求婚者の方々ですよ。お美しく性格もよいので今ではああしてほぼ毎日人だかりが出来ておりまして…」
「ほー、何時でも人の耳は早いねー…」
鋭敏な感覚と洞察力で、困った顔を浮かべている姫昭とそれに情欲と物欲をにこやかなスマイルで隠している者が大半の求婚者達を観察して白漂は慣れた風に茶を啜る。
実際、降将と言えど城主でしかも一族が殆どいない独身で妙齢の美女とくれば、お見合いの申し込みがひっきりなしに来るのが自然であったろう。
「…いやー、あんだけの優良物件なら男達が血みどろになって争うのも無理ないよね~
「そんな言い方は不謹慎だぞ
その人だかりに対し、茶化すような声とそれを窘める言葉が白漂の背後より生じた。
「…その声は…章応に幡杵か!」
それに白漂が少々驚きつつも懐かしそうな表情で振り返ると、背後に文官の青年二人の姿があった。
一人は小太りとしていてにこやかな(営業)スマイルを浮かべていて目の周りに隈のような痣が出来ている幡杵で、もう一人は整った童顔で少年に見える章応。
二人とも信とは同年齢の泥竜初期時代からの仲間であり、幼いころに昌文君に才覚を見出されて中級文官として大王派に努めている有望若手である。
「お久しぶりです白漂大先輩!」
「どうもお久しぶりです白漂将軍。先の大将軍就任おめでとうございます」
「ああ、こちらこそお久しぶり。二人とも働きぶりは壁から聞いているぞ」
そのまま顔を向かい合わせた三人は近況に話を移す。
「二人揃ってこちらに派遣されたという事はよほど仕事が濃密なんだな」
「ええ、秦法統治を受け入れて残留した元趙人だけでも面積相応に多かったところへ、退去していった住民の居住地へ国内外の移民の定住化に行政再編、現地勢力と入植地の仲介とやることが山積みで…」
だが、白漂と章応が難しい会話に段々深まっているその最中、幡杵の視線は度々姫昭へと向けられていた。
(…成程ぉ、あのお姫様が例の晋王家末裔のお暇様かぁ。上手くすれば趙を更に苦しめられ…)
「…それと、例の刺客を始めとする不審な遺体に付いてですが…」
「…ああ、この地は連中の今の領域からは離れている。それなのに見つかったと言うことは……数は少ないが妙に気に掛かる…」
白漂達の会話もしっかり聞き入りつつも、幡杵は自身の思惑と国策を巧妙に脳内で絡めていった。
○秦国東北部 対趙国境付近○
「どうありゃあああ!」
「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおお!!」」」」」
白漂と咸陽の後輩達の久々の再会より数日後、信は自隊を率いて更に趙側へと前線を押し上げていっていた。
「……………可笑しい。この気配…嫌な意味込みで…懐かしいわね……」
現在、趙軍との戦闘は順調に経過していたがステラは怪訝な表情を浮かべていた。
その感覚は、童の頃より好きに慣れぬが社交辞令的に礼を取らされてきた相手に接している時の内心が強く出ていた。
「「「「「ウオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」」」」」
「……あれは…」
ステラがそうした不穏な表情で弓を引き指揮を執る中でも、秦側全体の景気は好調で、それは信隊の近辺で戦っている隊で彼女が着目しているものも同様であった。
「右翼サドゥ三十歩遅い! 左翼各桓は右斜め前の茂みに伏兵がいるから防御を固めながら進め!!」
著雍攻略戦では古いとは言え魏国大将軍の一角である霊凰の首級を上げ、次の黒羊攻略戦で趙将岳嬰を討ち取るなど、近年で武功を上げ続けて今では二千人将に昇進した綴がステラの意識を引いたその隊である。
(……それにしても、彼女…嫌な感じ以外にも…処かで見た事があるような……!?)
その武威を感じさせる綴の美しさに、ステラが懐かしさを覚えてそれに嫌悪とは異なる胸騒ぎを覚えた直後、彼女は自身を狙う姿を見せぬ殺気に気付いて反射で回弩を振り向けた。
『『『『『ぎゃああああああああ!!?』』』』』
「!? これは…!?」
樹上の茂みに隠れていたその殺気の根源は全員が回弩より斉射された矢に急所を正確に射抜かれて転落し絶命したが、その衣装や人種は彼女を驚かせるものだった。
「っ!? どうしてこいつらが!?」
その亡骸は、先の雁門の敗北と、それに伴う旧服属民族の独立や秦燕の北上で北方へ追いやられたはずの匈奴であった。
「…そうか、戦場でも匈奴の姿が発見されたと…」
数分後、近辺に設けられた本陣でその報告を受けた白漂の双眸が細くなった。
○燕国南西部 王都薊○
燕国の都は中華でも東北の辺境に位置するため、規模は他のそれに比べれば大きくはないが、秦よりも早くより異民族との活発な交流を行ってきた国情を反映して、中華のみならず異国の情緒も漂わせる独特の賑わいを見せていた。
その普段は大勢で賑わっている大通りは、今や凱旋のために人混みが真っ二つに仕切られていた。
「…遂に、兄が戻ってくるか……」
仕切られた人混みの片割れで、先日に斉より帰国してきたやや生真面目な雰囲気が強い青年梁適が複雑な表情を浮かべていた。
「よー、魁さんが東夷をまたボコボコにしたって言うのは本当かい?」
「うげ、今度こそくたばると思ったのによー」
「バーカ、あの人がそれくらいで死ぬわけねーだろ。ゴキブリ並みの生命力だぞ」
「あいつの名声が上がるなんて…ただでさえ燕の恥みたいな人間なのに」
「魁さん面白い話聞かせてくれるかなー」
それは彼を囲う人込みも同様で、老若男女より賛否両論様々な意見が立ち上っていた。
「ところで梁適様-、兄君はどのようなお方なのですか? 私、見るのは今回が初めてでー」
「…そうだな…一言で言うなら…幼少より…“型破りすぎる男”だな…。一応…俺も尊敬はしているが―――」
「来たぞーー! 梁魁将軍のご帰還だーーーーーー!!」
「―――! 遂に…戻ってきたか…!!」
梁適がその叫びを聞いて表情のこわばりを増した直後、薊の正門が荘厳に開いて例の将とその軍勢が姿を見せた。
「来たぞー! “東の奸熊”の帰還だー!!」
「魁さーーん! 競馬の予想付き合ってくれーーー!!」
「帰ってくんな北狄ーーーー!!」
「旦那ー! 金返してくれーーーーー!!」
正門より大きな砂塵を登らせつつも、それよりゆっくりと姿を現したその男は好悪様々な喚声を浴びながら城内に入った。
「…か~~~~~~~!! 口うるさい街だぜ~~~~~~!!」
そして、その男たる梁魁が久々の王都城内を見て放ったその声音は、燕の正反対の辺境国で名を馳せるある人物が聞けば、ある眉毛が繋がるまで濃くて長い公務員を思わせるだろうものであった。
自由に書いていいと原作者から許可をもらったとはいえ…今でも、本当にこのキャラをこんな設定で出してよかったのかと思うと…自分でも不安に覚えます。
けれども、それ以上に書いて出したかったので、皆さんも気長に見守って下さると嬉しいです…。