○秦始皇8年(紀元前239年) 秦国中央部 王都咸陽 西水園○
「……っ…くす…」
「? 陛…ではなくて
白漂が西録城主を公衆の面前で叩きのめしたのと同じ頃、咸陽の一角で嬴政が正と言う仮名にて久方ぶりに市井で休日を過ごしていた。
なお、本日の同行者は彼の次男を産んだ身である扇琵であり、二人は地方から来た富豪の御曹司に令嬢と言う設定で市井を散策していた。
今現在、二人は咸陽市民の憩いの場として建築された、西域から来た工人らによって築かれた中東オアシスや古代地中海文明風の公園である西水園を歩いていた。
そこはヘレニズム形式の水上に建てられた石庭で、秦国内外から来た客人達は中華のいずれとも異なるその様式美に息を飲んでいた。
「……それにしてもこの色が付いた砂や小石を用いた壁画…本当に人が絵の中に入ったように精巧に描かれているな」
「西域でもとりわけ西に位置するヘレネスと言う人たちの様式が強いようです。あ、向こうには色目人の方ですけどその美貌のせいで雷神に拉致されて神々の給仕にされたという水瓶を構える青年の像がありますよ」
公園を飾る絵画や偶像の多くが、白漂前世で言う中近東やギリシア文化圏の色合いが強く出ており、秦の繋がりが西方ではどれだけ長く深く広がっているかを如実に表していた。
「……う、うーむ…何というか…この胡じ…色目人達が作り上げたという絵に彫刻…本当に良く出来ていますなぁ…」
「…う、うわーー…この殿方の像…本当に良い体付きしてるわー」
「こ、この女神像…ほぼ人間だというのに衣服越しながら妙に煽情的と言うか……」
但し、中華とは大きく異なる文化圏から来たそれらの物品は、写実的で具象性を重んじるオリエントやギリシア系の流れが強く出てか、中華の人種には刺激が強いものも多かった。
(……技術や文明の位は凄いけど…何というか表現が生々しいというか煽情的過ぎるというか…ん…あれは何処かでーーー…!?)
周囲の観衆と同じくそうした彫像に口や思念ではけしからん風に呟きつつも、悶々とした視線をチラチラとさせていた扇琵だが、そこである彫像に目が止まると顔が一気にトマトのようになって目が丸くなり硬直した。
「? どうした? 何か気になるものがあったか…ん? あの彫像? 何だか誰かに似てるようなー……!?」
続けて正(嬴政)がそのある彫像に気付くが、そこで扇琵に背後から目を塞がれてそのまま引っ張られ始めた。
「せ、正(嬴政)様! あああああそこに珍しい演劇がそろそろ始めるらしいのでそれを見に行きましょう!!」
「な、何だ!? あ…けっ、結構目に力が入ってるからいた…や、やめ!?」
(な、何で!? 宮女学校入る直前に友人である彫刻家の方に見本頼まれて布一枚の裸同然になった際の姿を元にしたあの石像がここに!?)
戸惑い苦悶の声を上げる正(嬴政)の視界を塞いだまま、顔が真っ青に変化した扇琵は過去の己の黒歴史と言うべきその彫像から猛スピードで彼を引きずっていった。
○秦国東北部 対趙国境付近 西録 迎賓館○
「…くしゅん」
「む? どうしたのだ
扇琵の黒歴史隠蔽工作より数日後、白漂が諸将や有力者らと会議をしている迎賓館の中庭で一人の青年がくしゃみをした。
右目が黒い前髪に隠されており、翡翠色の左目が特徴的な中性的美貌を持つ青年で、容貌はギリシア系白人の血筋が強く出ていて緻密な空気が似合っていた。
だが、その右手には夜空に薄っすら輝く三日月を思わせる柄が長い大鎌が握られており、華美さはないがその身は鋭利で緻密な意匠が施された、何処か白漂の甲冑を簡易化させた具足に包まれていた。
「…いいえ、別に以上は有りません杏譚隊長」
青年の名は炳廷。
嘗ての白漂親衛隊隊長(始めは自称)で彼の義弟でもある杏譚が副長を務める現白漂親衛隊“竜騎”(三千人隊)の部隊長の一人である。
ちなみに、竜騎が白漂親衛隊なのは杏譚の自称なのが始まりだが、自由に動かせられて自身の周囲を固められる兵を欲していた(と半分は他の将軍のように自分の親衛隊を大きな規模で欲しがってた)白漂が知り、周りに秘密でまだ知られてない有望な若手や新人を引き込み続け、練兵と実戦を重ねて現在は既成事実化されていた(なお、そうなってから知った側近たちに白漂は勝手に有望な若手を青田買いするなと怒られた)。
ちなみに、その際に白漂への釘刺しと監視強化も兼ねてこの場にはいない燈騎が竜騎隊長となり、燈史と滝界が同隊の重役となっている。
「…ですが…本日も白漂将軍と熱心に話し込んでいますね姫昭殿…」
「まーあれだけ黒羊で派手にやっておればその分を帳消しにしようと売り込みに必死になるだろう。うーーーーむ…あそこで私がいれば義兄上に近づけさせなどはしなかったのだが…」
ちなみにこの二人を含めた竜騎は、黒羊戦開始前に同隊発覚に伴う混乱処理のために北に留められていて参戦出来なかった身であった。
「……そういうわけで、こちらの地域との街道の接続は……?」
「既に従来の秦領と近い地域から街道接続のための整備は進んでいる。現在は章応が中心となって新規の移民たちを用いて予定通りに交通網の整備が…」
竜騎達の背後では姫昭と白漂を中心に事務作業と会議が進んでいく。
「今日もあの女…白漂様に仕事に託けて話し込んでるわね…」
「何よ…見た感じと表向きの性格はいいからって大女なのを隠して戦場に出ていたような野蛮人のくせに…!!」
それは純粋に民政と発展のためのものであったが、有力者が売り込もうとしている子女による侍女達がその場を通りかかる度に吐いているそれらの愚痴のように、そうとは受け取らないものもいるのが世の常であった。
彼女達の多くは帰順した地域で、離眼や西貴などとは関係が悪い城邑等の有力者が送り込んできた令嬢とかで、優先順位は低く見積もられていてこうして今では白漂と会う機会は中々出来ないままである。
「あ、そこーさっき割り振った仕事は終わったー?」
「い!? いいえ奥方様…!?」
「じゃあ、次はこの書類お願いねー」
「ええええ!? まままままたぁ!?」
ちなみに、その理由はそうした下心が見抜かれているのもあるが、それ以上に紅華を始めとする白漂の妻達が次から次に割り振ってくる仕事に時間をガリガリ削られまくっている事であった。
「……いーなー、俺もああして働き者の女性が自らやってくる立場に早くなりたーい」
「蒙恬様…大将軍目指すのは嬉しいですがそんな不純な動機は口になさらずに…!?」
ちなみに、その近場を蒙恬と胡漸の主従がいつもの調子で通りかかったが、そこで彼らの鼓膜を震わせる奇妙な集まりを目にしていた。
「……そういうわけで、天帝は…」
「わかりやすくて良い話するね~」
そこでは妙なフードで身を包んだ人物が壇上に上がって説法を繰り広げており、周囲を大勢の人だかりが固めていた。
「…え、何? あの異様に熱心な人だかりは…?」
「あー、蒙恬様ーあれは何年か前から中華中で流行っている“天安教”と言う拝み屋のようです」
「拝み屋ぁ?」
「はい、何も衆生救済や天界往生とか何とか…」
「…聞き慣れない言葉ばかりだね…」
蒙恬はその異様に神や天など不確かなものを頻りに口々にし、けれども強固に求め信じている人々の熱気に人間の逞しさを感じると共に、一方でこの方向が誤った時の深刻さに何故か思考が自ずと傾こうとしていた。
○秦国東北部 対趙国境付近 白漂軍本軍駐屯地○
「………う…ぁ…❤ そ、そこ…❣」
「ああ、お客さんお上手ぅ…❤」
謎の新興宗教が説法を繰り返していた数時間後、西録よりやや離れた白漂軍駐屯地では今も妓女の艶ある声が各所より登っていた。
「…はは♪ 昼だけでなく夜も昂っているね皆…んんん❣」
その嬌声の中には、総大将ゲルの寝室で夫の腰の上に跨って身を揺らし、天幕の開きより見える星に混じって輝く汗を撒いている藍蘭も混じっていた。
「黒羊みたいな大戦は当面起きないとはいえ…中小規模の合戦は続いている現場でこんな夜遅くにまで身を動かすなんて合理的とは言えないと思うけど…ん」
「生んだばかりだけど男の子も欲しくなるものさ。それに…戦地とは言っても何時まで続くかわからない大戦が当面は無さそうなら、この機会を逃す訳にはいかないよ。他の子達もそうだし…あぁぁ❤」
藍蘭のその言葉の通り、白漂の寝台とその周辺は先日に妊娠が発覚して王都に向けて出発した譜孝を除いた白漂の妻全員が集って寝息を立てつつ肌色の海を構成していた。
無論、藍蘭と違って白漂の身から離れているが、その秘所は薄っすらと開いた口より溶けたバターを思わせる濃厚な子種汁が大量に零れ出ている。
「…失礼します。お冷をお持ちしました…」
「…ん…ご苦労様、遠慮せずに入っていいわ」
その中で最初に抱かれていた流れで目を覚ましつつあった紅華の鼓膜を、丁度良くゲルの扉をノックする音と聞き慣れぬ女性の声が震わせ、彼女は慣れから遠慮せずに入れさせた。
「……っ…閨をお邪魔するような真似をして申し訳ありません。おそばに近づかせて頂きます…」
扉を開いて現れたのは、目立った点は無いが平均以上に整っている女性で、衣装からして新人の妓女と思わしかった。
女性は平静を強く保とうとしていたが、その顔は羞恥で赤く染まっていて瞳には嫌悪と軽蔑の色が滲み出ている。
「………それでは、お冷はこちらに置いておきます」
「…あーー、ちょうど水が欲しかったところだから助かるよ…?」
寝台近くの卓上に水差しと杯が置かれると、白漂が寝台を囲うカーテンを開いてそれを取ろうと手を伸ばすが、彼の顔を見た途端に女性の目が大きく見開く。
(今だ!!)
女性は憎悪を隠さぬ表情に切り替わり、懐から月光で輝く短刀を取り出して白漂目指して振り下ろす。
「あ…危な―――」
「遅い! しべぇ!?」
それに呆けた表情を浮かべる白漂に女性は勝利を確信したが、その短刀の切っ先が彼の喉元に触れる寸前で彼女の鼻っ面に剛脚が叩き込まれた。
「―――いって…遅かったか…」
そのまま蹴り飛ばされた勢いで背後の本棚に叩きつけられ、盛大な倒壊音を奏でた女性に白漂は思わず同情した。
「漂様、刺客までそのように気を掛けずとも…」
女性を蹴り飛ばしたのは、彼女の殺気に反応して瞬時に目を覚まして剛脚が半ば反射で動いた呆れ顔の王京であった。
ちなみに、藍蘭が繋がる前に白漂と後背位で交わっていたのが王京であり、彼女が大きく振り上げた片足に釣られて開いている秘所からはまだ白濁としている子種汁が滲み出ていた。
「……んんんん❤ 種は噴き出たが…余計な邪魔で動きが鈍って足りなかったな…」
一方、白漂に跨っていた藍蘭は刺客に気付いてはいたが意には介せぬという様子で、刺客のせいで突き込みが足りず上手く極みに達せなかったことで少々恨めしそうな顔になった。
○秦国東北部 対趙国境付近 某山道○
白漂と妻達の情事で小さな波乱が起きていたのと同時刻、西録とは数日で行き来出来つつも同地にもほとんど知られていない山道とそれを囲う茂みが広く揺れていた。
「………」
普通なら軍隊が通るに向いているとは言えない峡谷に面したその山道を、武装した一人の女性が静かなれど眼力を最大限にした双眸を浮かべつつ筆を書類に高速で走らせていた。
「江殊幡様、全仮設橋設置完了しました!!」
「ご苦労、それでは行くぞ」
その女性は黒羊攻略戦勝利直後にて、別の対趙前線地帯にある要衝を陥落させた江殊幡で、傍らに伝令が駆け寄ると彼女は書類を纏めて懐にしまいなおした。
「!!」
「「「「「!!!!!!」」」」」
そして、先陣を切るものが旗を勢い良く振るって馬を駆けらせると、順次に別の旗も同様の動きを見せて茂みに隠れた道より、満月の明かりを頼りに無数の部隊が続々と且つ迅速に出現した。
彼らが目指すのは、たった今にて彼らの手でこの峡谷に掛けられた幾つもの大型つり橋であった。
普通なら、少なくとも万以上はいるこの軍勢が渡るのに吊り橋と言うのは不安が走るが、彼らは皆がそれを架けた自身と、何よりもこれを設計した当人に対して厚い信頼を置く眼差しを向けていた。
「………………」
それらの視線に一切動じることなく、吊り橋を設計した本人である江殊幡は先陣に混じって馬を素早く進めさせて橋を渡っていく。
更に、隊ごとに間隔は空いていて人数制限はあったようだが、全軍が吊り橋を渡り終えるのに半時間程しかかからなかった。
「……ははは、本来なら迂回して四日ほどかかるこの峡谷がわずか半日で掛けられたこの新式大型仮設橋のおかげで一亥の4分の1も掛からずに渡れましたな」
「ですが、今回は試験運用や訓練も兼ねているとはいえ…どうしてこう人目のつかない道をこうも新式仮設橋も多用してまで急いでいるのでしょうか?」
同行する部下達の楽観視発言や疑問を聞きながら、江殊幡は今に至るまでの状況の裏側とこれからの事を黙考する。
(……先の黒羊戦終結直後から分断が進んでいる太行山脈西側趙領の制圧の一端を任されたが…まさかこの形で彼らと顔を直に逢わせられるとはな…白漂…。譜孝を介して秘かに早めて呼び寄せているあのご老人だけでも片づけられるだろうが…。同様に私にも報せてくれた以上は十分に活用させてもらうとしよう)
江殊幡は脳裏では確定しているこれからの戦に対する算段とその後への思考を進ませつつも、それによる変化は一切読み取れない無表情を保っていた。
○秦国東北部 対趙国境付近 西録 迎賓館○
「……んんしょ…よし、これで今朝の分の水くみは終わったなー…」
江殊幡率いる軍勢が吊り橋を渡っていた日の翌日、何者かに焼き払われていた隠里で現時点唯一の生き残りである少年の
現在、当は故郷を失い身寄りが亡くなった事でこの西録に仮の従者として雇われの身であった。
「おい、あそこを馬に引きずられている嬢さんがいるぞ」
「顔に包帯がまかれてんなぁ」
「それが白漂将軍を殺そうとした刺客だってよ」
「………ん…」
その当の耳にやや妙な会話が入ってくる。
「ほら、さっさと歩け」
「…づ…! ぐ…うぅぅぅ……!!」
当が気になって視線を向けると、そこには何人かの騎兵に縄で縛られて強引に連れていかれている一人の女性の姿があった。
だが、その姿に当の脳が刺激されて記憶の一端が蘇る。
(…え!? あの人は…顔が包帯でほとんど見えないけど鵬ねえ!? な、何であんな風に縛られて…!?)
連行されている女性は当にとって、自身の故郷が正体不明の輩に滅ぼされたときに死んだと思っていた肉親であった。
今回、夜の場でも刺客などに対する鉄壁ぶりを見せた主人公(と言うかその奥さん達)。
但し、これも現地で進んでいる陰謀も少なからぬ影響を与える事になりそうです…。