ですが、これまで重なってきた予定外の不祥事やら各個人の思惑やらで、組み立てていたり察知していたりした人々の予想の斜め上を行く模様です。
○秦始皇8年(紀元前239年) 秦国東北部 対趙国境付近 西録 城主邸○
「…う…ぐ…あ…ぁ…あああぁああああぁああぁああああああああああ!!?」
姫昭が白漂の黒い一面に接していた日より次の日の夕刻にて、同地を治める城主の館で西録城主が呻き声を上げ乍ら憎悪と憤怒、それ以上の恐怖が混ざり合った悲鳴を上げつつ暴れていた。
「城主様! 落ち着かれてください! きゃあああ!?」
「だ、駄目だぁ! 体格も力も違いすぎ…ぎゃああ!!」
それを城に仕えているもの達は何とか大人しくさせようとしているものの、当人が身体とその能力だけで言えば彼らよりも上であるため、怪我人や破損物が増える一方であった。
「ま、また暴れ出しておるのか…?」
「先に朔方候に模擬戦ながら一騎討を申し込んで…惨敗してからしょっちゅうあの調子だ…!?」
その様子に周囲から怯えと嘆息を隠せない表情で側近達がぼそぼそと話をしているが、原因となっている人物の名を聞くと西録城主の動きがピタリと止まる。
「…お、大人しくなられたか―――」
「ひ…ひいいぃぃぃぃいいぃぃぃぃ!!」
「―――あ…あぁ…」
そして、今度は丸くなって酷く怯える子供のように周囲に憚らず泣き出し、それが周囲の嘆息をさらに強めていく。
(…聞いていた以上にひどいわね…)
ちなみに、その様子をやや離れた廊下より姫昭が盗み見ていて失望と困惑をさらに深めていた。
彼女がこの場にいるのは、先に白漂との模擬戦で惨敗を喫してから荒れ続けている西録城主の慰めを彼の側近達に頼まれていたためであるが、元々乗り気でなかった彼女は増々忌避の念を強めていた。
「き、姫昭様…もう我々ではあの方を立ち直らせることは出来ません…。どうにかあの方に慕われている貴女様のお力でどうか…」
「た、立ち直らせて欲しいとは言っても…私にもどうすればいいのか…!?」
それでも西録城主の側近達の必死な懇願でこの場に留まっていたが、その困惑しつつも澄んだ鈴を思わせる声に反応してか、彼がビクッと顔を上げて視線を合わせると姫昭に悪寒が走る。
「き、姫昭さん! や、やはり貴方もあのような男とそれに靡く衆愚共なんかに嫌気がさしたという事ですねぇ! どうか…貴方はその美しく清らかな心身のまま僕とどうか二人だけでどっかに逃げ…」
「…っ」
そして、西録城主が猛烈な勢いでにじり寄りながら言い放ったその内容は、姫昭の彼に対して降下中であった期待度をさらに押し下げるには十分すぎた。
「う、うわぁ…そこまで言うとは…むが!?」
「おい、気持ちはわかるがそれは言うな。あれでもここの城主なのだか…!?」
周囲の側近達も同じく嘆息を強めていくが、そこで彼らの一人に切羽詰まった表情で一人の伝令が駆け寄ってくる。
「ご、ご報告がございます! 実は先ほど裏口の方に………!」
「!? そ、それは真か!?」
「? 何かあったのですか?」
「い、いや! 家内の急な用事で…もももも申し訳ありませんが私はこの辺で……!」
それに怪訝さを覚えた姫昭を適当に躱し、西録城主の側近達は屋敷のある一室に向かう。
「……う…うぅ…」
「お、お前は確か滅ぼされた例の…!? 」
側近が案内されたその密室にて対面したのは、容姿自体は整ってはいるが酷く憔悴した状態で、辛うじて致命傷には達していない矢傷を負っている女性であった。
「………じ、実は…!!」
そして、彼女が必死に紡いだその言葉は側近の顔より血の気を退かせるには十分過ぎた。
○秦国東北部 対趙国境付近 某山中○
そこは西録にやや近くも地元の者達にもほとんど知られていない山中の盆地。
姫昭が同地の城主らに請われて顔を合わせていたのと同じ頃、その成立過程から少ない老将達がそこに設けられた陣中の一角で密会を開いていた。
「…とまあ、そういうわけで例の娘っ子は例の城主の館に行きついてる頃合いでしょうな。まあ、どうにか生きておればの話でしょうが…」
「まあ、そうであった方が一番都合が良いからの。まあ、死んでても別に遠回りになるだけの事じゃが…」
「ですがまあ、如何に帰順したばかりで面従腹背の者達とは言え白漂様の承諾も無しにここまで進めてよいものですかな?」
「いや、あの方にはまだこのような真の意味での禁じ手は早い。ちゃんと話せば受け入れて下さりはするかもしれんが…そうなると自分だけで負い目を背負うとされるだろう。さすればあの方に迫る危険を無暗に増やす。それよりもいざという時の為も含めて儂らで勝手に進めておいた方が良い。バレた時には下手に口を割られる前にこの皴首を胴から離した状態で差し出せば有耶無耶に出来やすくなるからのう」
「…そうですな。その時は拙者もお供致しますわい…」
そこには長年にわたり戦場の表裏を生き抜いてきた者にのみ身に付けられる“老獪”と、老い先の短さ故に出来る“覚悟”が滲み出ており、一同は不敵な笑みを浮かべ合っていた。
○秦国東北部 対趙国境付近 西録 迎賓館○
「………それで、この辺りの水路の整備だが…」
「なるほど、それでしたらこの辺は…」
山中での老人たちの謀議より数時間後、夜も深まり多くの者の寝息がたち始めている頃合いにて、今晩も姫昭を相手に旧趙西部の再開発について話し合いを続けていた白漂。
だが、今の彼女は普段以上にストレスが溜まっているのを隠しているのがわかり、今も彼女に各種政経の説明を事細かに求められていた。
「ここ最近はそうだが…今日はいつにもましてイライラを内に貯めている様子だけど…何があったんだ?」
「それが昼間にここの城主殿が模擬戦敗北より荒れているままなので、それを励ましに行ったら向こうにかなり無茶な要求をされたようで…」
「…あー、あの真面目そうに見えてその実は姫昭みたいな人種が一番軽蔑しそうな男の…(何だか怪しい所と妙に連絡をしているみたいだけど…先の模擬戦で自身の限度を悟って姫昭の説得で最低限大人しくしてもらえるだけでもありがたいんだが…何だこの気配…?)」
姫昭が思考に没頭している隙を見計らって、杏橋より小声で白漂は彼女の苛つきの理由を耳打ちで聞くも、そこで館の外部より気配を殺してはいるが確かな敵意を宿した気配を複数憶えて表情が静かなれど剣呑としたものへ変わる。
「…? どうなされたのですか………?」
思考から現実に戻った姫昭がその白漂の変化に困惑した表情を浮かべると、急ぎ足だが静かに扉が開かれた。
「お久しぶりです。白漂将軍…といきなりですが急なご報告がございます」
現れたのは燈騎で、その表情は動揺こそ無いが困惑が滲んだ警戒心が強く出ていて、何より迎賓館を守る親衛隊員たちと同じく完全武装と言うのが白漂達の目元を更に険しくさせた。
「何が起きた?」
「…理由はまだ定かではありませんが…どうやらこの迎賓館が何かしらの軍勢に囲まれて…」
「………」
その報告の内容で、殺気が静かにだが濃密に上り始めた白漂の手が自然と剣の柄に伸びる。
「攻撃されそうになっています」
「は!?」
そして、その結論に姫昭が思わず立ち上がった。
○秦国東北部 対趙国境付近 西録 某城壁上○
「愚物だとは思っていたが…まさかここまでとは…」
「一応、先に送った連中が勝手に引き込んで送り込んだ刺客が捕まって口を割られたらしいので、先手を打ったつもりのようですが…」
城内に住まう者達の大半には気付かれない闇夜に混じれて動く軍勢を、上より心底呆れた声音で例の墨意匠の者達が見下げていた。
「本当に口を割られたかどうかはともかく…既に関与に気付いているだろう白起の孫相手にもはや先手は打てんであろう。既に秘かに待ち伏せしているに決まっておるわ。内も外もな…。もう既に証拠は消し終えたから失敗されても痛くはないし、万が一にまぐれで成功されてもこっちがこの辺りでやりやすくなるだけの事だ」
もはや眼下の軍勢に対する興味は失せた様子で、墨意匠の者達は闇夜の中へ溶けるように姿を消した。
それと同時に、彼らがいた場所よりやや離れた城壁の上から青白い炎に包まれた火矢が空高く舞った。
○秦国東北部 対趙国境付近 某山中○
「…どうやらあなたの見込み通りに、西録の者共は暴発したようですね………」
青白き奇異な火矢が西録より上がったのを見て、同地を見下ろせる山腹より例の密談を交わしていた老将達が西録を見下ろしていた。
「カカカカ、何処の世界にも純情な若人はおるというものよ。善かれ悪しかれ…な!!」
その老将達の先頭に位置し、此度の騒乱を起こしただろう表向きの首魁に好意はあれどそれ以上の侮蔑の嘲弄を滲ませた笑みを浮かべているのは、到着にはまだあと四日程は掛かるはずの白漂軍第三将の里甲であった。
○秦国東北部 対趙国境付近 西録 将校庁舎○
「ぎゃあああ!?」
「な、何だこいつらはぁ!?」
里甲の悪い笑みが浮かび上がった直後、その問題の地では怒号と血飛沫に悲鳴と火の手が各所より立ち上っていた。
「かーーーーー! 急に扉蹴り叩かれて邪魔されたと思えばどうしてここの連中が今になって反乱起こしてんだ!?」
その一角にある白漂軍士官用庁舎で、矛を振るいながらそう口汚く信が叫んでいる通り、ここ西録を本拠地とする同地城主軍が反乱を起こしたのだ。
そして、彼よりやや離れた場所の庁舎で別の意味で困惑しながらも槍を振るっている者も一人いた。
(…どういう事だ…!? 私が聞いていた反乱予定日よりも二日は早い!?)
何やら内心では訳知りの苦渋とした表情を浮かべているだろう綴であった。
「くそぉ! さっさとこの女を殺せ…ぐはぁ!?」
「ひぃぃ! 一瞬で4人くらいが首を穿たれて…」
「お、女だと思うなぁ! 全力で殺せぇ!!」
その一方で、自身のそのような思考など露ほども知らない西録兵達は襲ってくるたびにほぼ反射で剣戟を触れもせずに次々と仕留めていっていた。
○秦国東北部 対趙国境付近 西録 迎賓館○
「せ、攻めろーーー! 攻め落とせ―! 何としても姫昭さんを救出し白漂めの首を取れーーーー!!」
西録城城内を満たしつつある騒乱の中心となっている迎賓館を見上げる広場にて、西録城主が憎悪とそれ以上の恐怖に満ちた表情で謀反の指揮を取り、迎賓館に火矢の雨を浴びせかけていた。
(…やった! まだ私がここ西録の人達に匿われて暗殺を行ったという事実は伝わっていない!)
そして、その傍には白漂軍に囚われて自白させられつつも脱走した、暗殺未遂事件の実行犯である鵬もいた。
彼女は白漂軍にある西遼陣地に囚われる前、復讐のために白漂へ近づこうとした処で、同じく彼に不満を抱いていた西録のある有力者の使いを名乗るものに拾われ、そこに雇われた侍女と言う形で白漂に近づいて暗殺を実行した。
その後、暗殺失敗した後でどうにか西遼の牢獄から逃走して、西録近辺で使いの者に再び拾われるが、そこで自分の真の雇い主が西録城主であることを始めて知った。
そして、鵬の口から既に他の囚われていた密偵が白状し、自身の名が挙がってはいないが西録の有力者たちが白漂暗殺を後押ししていたという筋書きを彼に気付かれたと判断した西録城主は、いずれその嫌疑調査を名目に自らを粛清しに来ると判断して、その先手を取るべく今晩での謀反実行を決断。
反対や察知されるのも防ぐため、他の反乱予備軍達には決起直前で実行を促す使者を送り、既に城内各所で兵を起こして謀反を既成事実化して多数を味方に付けて白漂を討ち取ろうとしていたのだ。
「よし! 館の門が開いたぞーー!」
「精鋭部隊! 直ちに突入しろーーーーーー…!?」
だが、迎賓館の正門が衝車で破壊されて突入しようとしたその時、彼ら反乱軍を一瞬の静寂が包み込んだ。
「「「「「!!!!!??」」」」」
打ち破られた門をくぐって突入しようとした先方の首が、一瞬で十以上も切り飛ばされて宙を舞ったのだ。
「…事情は知らないが、とりあえずこれって正当防衛だよね?」
「まあ、それ以外に無いですな」
倒れていく反乱兵の向こう側に現れたのは、既に完全武装で馬上にある白漂と、同様の状態である燈騎ら竜騎隊の群れであった。
その中に守られるようにある姫昭の姿もあり、彼女は困惑とそれ以上の憤懣と疑念で満たされた表情で此度の異変の中心であろう人物を見つけ、射抜くような視線を向けた。
「西録城主、これはどういう事ですか?」
「ひっ!?」
そして、その姫昭の静かだが鋭い眼光と殺気を宿した言葉を向けられて 西録城主は怯えた声を出すが、すぐに無理やりに顔を引き締めて叫び返す。
「決まっているでしょう! 貴方を救うためです姫昭さん!!」
「…は…?」
「「「「「??????????」」」」」
だが、その叫ばれた内容に姫昭は怒気も忘れて戸惑い、周囲は敵味方問わずポカンとした表情を浮かべさせられた。
「……た、助けるって…こんな…! 貴方自身の民を追い詰める謀反なんて真似がどうして私を助ける事に―――」
「貴方は城主としての立場に囚われて汚れようとしている! それは愛に対する冒涜だ!!」
「―――い…!?」
自身に向けられながらも答えになってないその答えに、どうにか我に返った姫昭が再び口を開くが、西録城主は更に答えになってない言葉で遮ってくる。
「今の貴方は敵であったその男に民だの領地だのでどんどん近づき合っている!」
「そ、それは…これからの黒羊一帯の人々の将来を考えれば当然の事では…?」
当たり前のことを語気荒く責め立てられて姫昭は困惑を再び覚えた。
元々、黒羊一帯を巡って激しく白漂と抗争した姫昭達は、その最中より彼らに後押しされる形とはいえ因縁が深いが味方であるはずの邯鄲に難癖をつけられて潰されそうになり、それをまだ敵であった白漂達に救われて秦に寝返ったという経歴である。
当然、趙側には裏切り者であるため戻れず、寝返り先の秦とは抗戦までしていた仲であるため、少しでもその関係を改善するために活動するのは普通であった。
「愛とは僕が初めて貴女を見た時に貴女とさえ結ばれれば地位も何もいらないという純粋な物こそが真実だ! だが! 貴女が彼に対して向けているそれは自分以外の民だの領地だの混ざっていって本当の美しい貴女から遠ざかっていっている! 故に…その悪しきしがらみの根本である白漂を討って前の貴女に戻す! そのためなら民も土地も捨てる覚悟が僕にはある! 清らかで美しい貴女にはその僕こそがふさわしい!!」
「「「「「……………………………………………」」」」」
そして、その常識はおろか自らの立場すらも、自身を支えてくれる家臣も民も完全に顧みない西録城主のその宣言は、場に集っていた者達全員を非常に微妙極まる沈黙で支配するには十分過ぎた。
「……な…何なのだ。と言うか普通はこれだけ大勢の味方の前でする発言ではありません燈騎隊ちょ…!?」
一分近い時が経過して杏譚が口を開いたその直後、その場一帯を静かなれど非常に冷たく、それもまるで心臓を直に剣先でなぞられるような殺気が包み込んだ。
「……質問だ。この場に集っている面子の中で…あの屑に一番殺気を覚えたのは誰だ? 我こそはと思うものは手を上げろ」
「「「「「!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」」」」」
そして、殺気の根源である、人形よりも表情が伺えなくなって瞳より光が消えうせた白漂の抑揚が全く感じ取れないその声で、全員が悲鳴すら出ない身震いを発して引きつりだす。
全員の肌をその身震いからくる大気の震えだけが妙に重くのしかかっている中、静かに一人の手が高く掲げられた。
「「「「「………………………………え??????????」」」」」
「……………は!!?」
全員が数秒遅れで気付いて目を丸くした、その挙手した当人は唖然とした表情の姫昭で、周囲からの視線と抜けた声で自身の手が挙がっていることにようやく気付いた彼女の顔が引き攣った。
今回で主役(?)になった西録城主ですが…いくら何でも現実にこんなのいないだろうと思う人もいるでしょうけど、これよりももっと酷い人物がゴロゴロいるのが中国史なのです。
さてと、次回は今回の事件をきっかけにあるお二人の仲が大きく進む予定です(まあ、今回の話の流れからしてバレバレだという人もいるでしょうけど…)