きっと…・以前なら逃げ出していたと思う。
キスやセックス。
恋人同士が行うというその行為の意味にさえ、疑念を抱いていたかつての自分なら。
肉体同士の繋がりを持つこと。
比喩でもなんでもなく、己の全てを曝け出して、自身の中に他者を受け入れる。
ああ、そんなことはーーー
恥ずかしすぎる。
恐ろしすぎる。
たとえそこに性的興奮や恋人同士の充実感が伴うと分かっていても……いいやだからこそ、本当に互いを想い、愛し合っているならば、
心を明かすことの難しさ。周りも、自分の想いさえ偽ってきた私だからこそ。この弱さも醜さも晒けだして。それでも全てを受け止め、愛してくれる人がいるのなら……ああ、それだけでどんなに幸福で満ち足りたことだろう。
その尊さを想うからこそ、浅ましくも快楽へと溺れ行こうとする彼等の姿が理解できなかった。本能に突き動かされるまま、想いを蔑ろにしてしまう行為が下賤にも感じられた。
ーーあるいは、“逆”なのだろうか。
お互いの気持ちが分からないからこそ、不安を埋めようと繋がりを求めるのだろうか。
目には見えない心を形として残すため。本当に想い合えているならなら、心や身体を晒けだすなんて羞恥も当然耐えられる筈だと。誰が言ったか「Hの後にこそ
そう思うと、道端で愛を囁く彼らの姿が、酷く頼り無いものに見えた。行為として形に残さなければ、互いの気持ちが信じられないほどに……それほどに愛とは、朧げなものなのかと。
『……ー』
考えたころで意味はない。答えにはきっと届き得ない。胸奥から溢れるのはいつも、砂のように重く乾いた溜息だけ。
誰かを受け止める強さ無ければも、心を明かす勇気も持てない。そんな生き方しかできない自分には……誰かを愛するなんて気持ち、永遠に分からないと思っていた。
ああ。少なくとも、そう
貴方に出会うまでは。
■□■□
まるで羽毛のように軽い少女の体を抱え、寝室へと足を踏み入れる。彼女の望みに応え、部屋の照明は落としたまま。頼りになるのは窓から差し込む僅かな月明かりのみ。
淡く透明な輝きに照らし出された部屋は、毎日訪れている筈なのに、言葉では言い表せないどこか幻想的な雰囲気を纏っていて……それはこれから行うことへの意識もあるのだろう。互いにぼんやりとしか映らない居姿。普段以上に熱く感じる吐息に、胸の鼓動が跳ね上がっていくのが分かった。
そっと、腕に抱えた少女をベッドへと下ろす白銀。重みと共に離れていく体温。触れる夜風は冷たく、肌に残る温もりさえ瞬く間に消し去ってしまう。
そんな僅かな別離を寂しいと言うように、シーツの感触を背にする少女は、首裏に回した手を中々解こうとはせず、再びキスを求める。
二人分の体重にキシリと音を立てて沈みこむマットレス。暗闇で互いに見えない表情、これから行うことへの不安もあったのだろう。繋いだ唇は微かに震えを帯びていた。
「ちゅ……ん、ーー」
けれどそれも。唇を重ねる度、宥めるように優しく絡みつく彼の舌へと吸い付くうちに、自然と露へと溶けていく。
あれほどまでに恥ずかしかった筈のキスなのに……今では、安心を求めるように。拠り所へと甘えるように、自ら臨んで溺れている。
それどころか、より深く繋がるほどに“足りない”、”もっと欲しい“と心は切なさを叫ぶほど。
ああーーどうして?
たとえ稚拙でもいい。手と手が触れ合う、そんな僅かな繋がりでも満足できていたのに。
自分の性格も。心を受け入れてくれることの難しさも知っているからこそーー貴方に愛されていると、ただそう感じるだけで、この上ない幸せに満たされていた筈なのに。
「ん、ーーちゅ、ん…んん……っ」
それなのに今は、呼吸の苦しさも忘れ。彼との間にある僅かな隙間、僅かな隔たりさえ切ないというように繋がりを求める。深く深く舌を絡め、瞳を潤ませて。耳の内から響く水音、溢れて止まない熱に頭の中まで甘く蕩かせていく。
ああ。この重なり合う肌も触れ合う想いも。全てが溶け合い一つになれたらと……。満たされる想いとは裏腹に、どこまでも貪欲になっていく心。
“どうして”なんて、本当は初めから分かり切っていた問い。
ただ、どうしようもない……抑えようもないのだ。
この心の奥底から湧き上がる止めどない恋慕。
温かく、擽ったく、それでいて狂おしいほどに震える想いの丈を。
ーーー貴方が好きなのだと
言葉にしても足りなくて
ーーーこんなにも愛しているのだと
想いを繋げてもなお我慢できなくて
知らなかった。自分の中に、こんなにも熱い激情が眠っていたなんて。
それを貴方に伝えきれないのが、こんなにも切ないだなんて。
もっと知りたい。
もっともっと、貴方に知って欲しい。
想いを告げるのが下手で、こんな方法でしか
「御行、くん」
「愛……」
呼ばれる名前に、それだけで歓喜に満ち震える心。
彼のYシャツのボタンを解き、空いた胸元へと頬を擦り寄せれば、愛おしい彼の鼓動が全身を包みこむ。どうか私の
「っーー!ふっ…んん……っ!」
服の上から軽く触れられただけなのに、口の端から漏れ出る信じられないくらいに甘い吐息。待ち焦がれていたものを迎えるように。まるで砂漠に染み入る水のように、自然と
‘ーー凄くドキドキしてます‘
‘お互い様だ‘
風に揺れるカーテン。差し込む月明かりに顕になった顔は、笑ってしまいそうなくらいお互い真っ赤に染まっていて。言葉にせずとも伝わる想い。重なる鼓動の音に微笑み合いながら、また一つ、キスを重ねた。
「ーー、……」
プツリ、プツリと、ブラウスのボタンが一つ外れる度に跳ね上がっていく心音を聞く。
白い肌が顕になるほど、冷たい夜風が肌を撫でる感触に……ああ、
けれど、同じように胸の中で燻る不安。かつては自ら弾丸と評し、偉ぶるようにその美貌を誇っていながら、いざ彼の前に晒すと思うと、どうしようもなく羞恥と憂慮が溢れ出してしまう。
“世の男性は肉付きの良い女性の方が好みである”、なんて……頭に過ぎるいつか読んだゴシップ誌の文言。ふと視線を落とせば、そこに在るのは、スレンダーといえば聞こえは良いが肉のない痩せ細った体。
かつての天敵であり天然であった例の少女……おそらく彼の記憶にも色濃く焼き付いて離れないであろう彼女に比べれば遥かに貧相な胸に、自信など微塵と消え失せていく。
ああ、それでも落胆されたくない。失望されたくない。
こんな私でも、どうか貴方にとっての一番で在りたいと……溢れ出すそんな欲深な想いに、ぐっと目蓋の奥が熱を帯びてしまう。
「ーーーっ」
外される最後のボタン。開け放たれる胸元に、ギュッと目を瞑る早坂。
月明かりが照らすもと、まるで淡い光を纏うように息づく、白磁のように美しい肌。解いたブラウスの合間から溢れ出る女性としての柔らかな膨らみ。その先端に覗く淡い桜色の突起。一切の無駄も無い麗やかな流線を描く体は、まるで完成された一つの芸術品のようで
ああーー本当に
「本当に、綺麗だ」
「っーー!」
囁かれた短い言葉。
嗚呼、けれど抑えようもない。胸の奥底までから溢れて止まない歓喜に、気がつけば彼へと手を伸ばし、頭を抱きしめていた。心に満ちる欣幸に目に涙を溜めて。叫び出したいほどの悦びに身を窶して
ああ、
深く、深く繋いだ唇。絡めゆく舌に、ジリリと灼かれていくにを頭奥の感触。ああ、それでも構わない。たとえ頭の中の全てが焼けおちてしまっても、この
「ならーーもっといっぱい触れてください」
熱の篭った瞳を浮かべ、彼の掌に頬を擦り寄せ、甘えるようにキスの雨を降らす少女。彼の熱に染められるのを悦ぶように、夜風に晒された肌は、彼に触れられる瞬間を今か今かと待つばかり。
ああ、もう待ちきれない。繋がっていない心が切なくて仕方がない。
だから、
「私の全てをーーー愛してください」
■□■□
月明かりが差し込む寝室で二つの影が交わう。
少年の胸にその小さな体を預けたまま、与えられる刺激の一つ一つに身を震わせる少女。
熱い。彼の手に触れられた
もっと触れて欲しい。もっともっととねだるように身を捩らせては、彼の腕の中深くへと沈み込んでいく。
「ひぁ……っ、ふ、んん……っ!」
胸の双丘が形を変えるたび一際大きく響く嬌声。その男らしくも厚く強付いた手の感触が既に固く突起した先端に触れるたびに、跳ね上がりそうなほどの快感が全身を包み込む。すり合わせた内股には今も多くの滴が伝い、脱ぎ去られたショーツは、既にその役割を果たさぬほど蜜液に濡れ染まっていた。
初めてなのに。こんな、はしたないな子だなんて思われたくないのに……それでも止まってはくれない体。求めずにはいられない心。その羞恥までも愛おしいと重ねられるキスに、全てが甘く蕩けおちていく。
「ーーーっー!」
しかし一瞬、恍惚に染まる表情に苦悶が奔る。
体の内側から響く、自分以外の脈動。未だ純血を失って間もない体。滴る鮮血さえ乾ききっていないのに、身の内から襲う経験したこともない痛みに平然としていられる筈もない。それはいかに四宮家近従として訓練を受けた身であろうとも……いいや、既に苦悶を偽るための仮面も、痛みに堪えるだけの強さも無く、少女は幼子のように目尻に涙を浮かべては、少年へとしがみつくばかり。
本当は耐えたかった痛み。
彼が与えてくれるものに。彼が愛してくれた証に、こんな
「ん、……み、ゆき…くん…」
そんな苦悶に汗ばんだ頬を、そっと大きな手が包み込む。苦痛を労わるように。少女が胸奥に抱える焦燥を宥めるように、優しく髪を梳く温かな手の感触。
……ああ。そんななんでもない。けれど求めてやまかった愛憐が、苦悶の波も和らげていく。
(……本当に)
心配そうに覗き込む瞳は、必死に隠そうとはしているけれど、それでも何かに耐えるように時折影がさす。
未だに彼のものに絡みついて離れようとはしない膣内。痛みに堪えるたび、与えられる優しさに悦び体を跳ね上がる度に、何度となく収縮を繰り返すソレは、意思など無関係に容赦なく少年を責め立てる。
初めてなのも、戸惑うのも互いに同じ。それなのに少年は僅かとも腰を動かそうとはせず、頬を撫で、額にキスを落としては、少女を労るばかり。
(本当に、貴方でよかった)
そんな泣きたくなるような優しさが。溢れ出る愛しさが、心の全てを満ち溶かしていく。
浮かぶのは、いつか本屋で貴方に見せた……けれど今度は
ああ。私はこの人と結ばれるために生まれてきたのだと。
かつては一笑に付したような妄言も、今なら心から望むことができる。
「……動いて、ください」
「……いいのか?」
「はい……もう、我慢できません」
今まで交わしたどのキスよりも深く、情熱的なキスを交わす早坂。出会えた奇跡の全てに感謝するように。幾度にも疼き、切ないほどに彼のものを締め上げるも蜜壺は、その時を今か今かと心待ちしていた。
そして
「っ、あああぁーーっ!!!」
自らの最奥を抉る剛直の感触。あまりにも大きすぎる刺激に、瞳の奥がパチパチと弾け、全身から嬌声がはねあがる。遅れて奔る鋭い痛み。ああ、けれど今はその痛みさえも愛おしい。貴方ものになれたという喜び。貴方の手で、女にして貰えたという悦びに、全身が幸福を噛み締め唄う。叶うことなら、ずっとこの痛みを覚えていたいとーーー
「ひぅっ…!ふっ、ん…♡あ、ーーああっ♡!」
けれど、そんな淡い願いを抱く心とは裏腹に、体の方は待ちきれないとばかりにいち早く彼のものへと順応していく。吐き出す息にも甘い色がばかりが混ざり、まるで離れていた時間を取り戻すかのように、深く深く結びついていく。
今までこんなにも近く感じたことはなかった彼の感触。自身の最も深い場所を伝う熱に、痛みさえ溶け薄れ、代わりに甘く痺れるような快感が全身に染み渡る。
「ふ…っ、うぅん…♡あっ、んっ、ふぁぁ♡♡!」
甘えるように吸い付いていく肌。先までとは比べ物にならぬほど感度を増した胸は、触れられるだけで全身に快感を走らせ、悦びを伝えるように少年の腕の中でビクビクと痙攣を繰り返す。愛おしさを溢れ、熱に蕩け切った膣穴は、彼の形を覚えるように。その形に変えられるのを喜ぶように、自らうねり奥へ奥へと絡みついていく。
触れられる度、その刺激の一つ一つに嬌声をあげ応える姿は、まるで少女という名の楽器を演奏するかのよう。
大すぎる快楽に身を捩りながらも、それでも必死に抱きついては、繋いだ唇から彼の頭の中へと直接嬌声を響かせる。幾度も舌を絡め、息苦しさに唇を離そうとも、またすぐに口づけて。
「んっ……ちゅっ、く…♡んんっ…はぅっ、んむ、んっ、ちゅ…♡んんっ……♡」
(ああ……なんて……)
なんて淫らな顔をしているのだろう、と思う。
彼の瞳に映り込む自身の素顔。与えられる悦楽を拒もうともせず……寧ろ自ら媚びるように蕩けた笑みを浮かべ求めいく様は、理性などかけらも感じられない淫らな雌の貌だ。
今まで演じてきたどの仮面にも当て嵌まらない。母や友人……あの子にだって、とても見せられない……溺れ、酔いしれ、虜になった恍惚の顔。
ああ、でも
「ひあぁぁん♡!みゆ、き…ーーんああっ♡」
「っ……、愛っ……!!」
「んん…っ♡もっと…チュッ、んっ……もっとぉ……♡」
そうーー彼だけなのだ。
こんな淫らな私を知っているのも。
こんな何一つ飾ることもない……甘え蕩けきった顔を見せられるのも。
他の何者でのない、この世界で唯一人、貴方だけなのだと。
嗚呼、もっと見て欲しい。
私の弱さ。浅ましさ
私自身も知らなかった、本当の私を
どうか貴方だけの
独り占めにして欲しいーーー
吐き出す熱い吐息も、滴る汗も、もはやどちらのものとも分からず、身も心も溶かし、己の輪郭すら忘れて一つへと混ざり合う影。このまま二度と離れられなくなるくらいドロドロに溶け合い、一つに混ざり合うことになろうとも。寧ろ
彼の胸元に残した赤い痕に、愛おしげに舌を這わせながら、自らもねだるように首元を晒す少女。あまりにも浅い位置。隠す気など毛頭なく、自ら彼の所有物であることを誇示したいとでもいうように……。
「ひあっ♡ふぅうんんーー♡♡!!」
首元に触れる彼の唇。証を刻まれるその一吸い毎に絶頂するかの如く身を震わせる少女。
ビクビクと痙攣を繰り返す体は、既に感覚すら曖昧で……それでもねだるように吸い付いて離れない子宮。熱く絡みついた脈動が互いに限界が近いことを囁き、力の入らぬ手足で、それでも懸命に足を絡めしがみ付いついては、その瞬間を待ちわびる。
繰り返す刺激に満身創痍となった心身に余裕などないはずなのに、彼の剛直が震えるたび、溢れ出す悦びに自然と綻ぶ口元。
シーツの上で硬く結んだ手。ビクリと浮きあがった腰が、一際深く打ち込まれーー
「っあああああーーー♡♡♡!!!」
弓なりに身を退けぞらせ絶頂を叫ぶ体。瞳の奥で幾重にも火花が弾け、止めどない量の愛汁が蜜壺より溢れ出す。子宮の際奥を打ち付ける熱く濃厚な精液の感触。膣内に宿るその熱が、己の一部としてじわりと溶けゆく心地に、幾度となく絶頂を呼び起こされては、止めどないほどの多幸感が世界の全てを塗りつぶしていく。
「はっ………ひゅ……あ、はーー♡」
息も絶え絶えに。パチパチと明滅する視界で、未だ小さな絶頂を繰り返す少女。それでも熱の灯る自らの下腹部を愛おしげに撫でながら、浮かべる表情は紛れもない“女”の顔で。
キュッと再び絡め合う右手。労わるように優しく撫でてくれる彼の手に頬を擦り寄せながら、涙を湛えた瞳で見上げる。
「ちゅ……ん…♡」
深く、誓いを交わすように熱く絡める舌。結ぶ口づけに言葉はなくとも、確かに繋がる想い。
愛している。
自らの名前を持つ言葉の意味。その幸福に包まれた今に感謝を抱きながら、涙を零す。
心の奥底から溢れる幸福と安堵は、快感に疲れきった体を急激に眠りへと誘っていく。
永遠に続いてほしいと思う時間に、終わりが来たというように。
(ーーああ、でも)
これは終わりではなく始まりなど。
これから幾度でも重ねるであろう夜。幸福の時間。
自らが歩む未来と幸福に歓びを抱きながら、
早坂は白銀の胸の中、甘えるように頬を寄せては、眠りへとおちていくのだった。
■□
「ぅ……ん…」
耳をくすぐる鳥のせせらぎに目を覚ます。
カーテンから漏れ込む柔らかな日差し。
いつもより遅い時間の目覚め、日の登り切った空が窓の外へと広がっている。
瞼を開いた瞬間、目の前へと飛び込んでくる彼の寝顔にドキリと胸が弾む。
蘇る昨夜の記憶に。未だ下腹部に残る微かな痛みと、彼の与えてくれた熱に。ボッと。まるで火が灯るように頬が熱くなるのを感じた。
はだけたシーツの中、いつしか無意識に抱きしめ、甘えるままに顔をうずめていた彼の胸の中。嬉しさや恥ずかしさ、あふれ出す感情の波に悶えるように身じろぎしてしまう。
頬にかかる彼の寝息に視線を上げれば、その首元には昨夜自分が残したであろう無数の赤い痕。今となっては思い出せないけれど、無我夢中のまま、想いのままつけたであろうソレらは、今もくっきりと彼の体でその存在を主張している。
ううん。思い出せないなんて嘘。
この鎖骨に残した痕も。息さえ忘れるほどに重ねたキスの合間、甘えるように吸い付いた耳元も。全部全部、熱に融ける想いと一緒にこの胸の奥深くに刻み込まれている。
指でなぞるだけで当時の記憶がよみがえって。もう一度、唇を重ねるだけで込めた想いが溢れだすようで。
トクントクンと音を早めていく鼓動。抱きしめられた腕の中、肌を伝う熱を感じるだけで思考も、心も、すべてがまた飴のように融けていくようで。
ああ、きっと自分の中にあるスイッチは壊れてしまったのだと。
ただ彼を目にするだけで、その温もりに触れるだけで、幾重にもあった心の仮面も、すべて自分から投げ棄ててしまう。
恥ずかしさは依然胸にある筈なのに、それ以上に溢れる愛しさが、恋しさが、理性さえも甘く溶かしていって。
あなたの熱に浮かされるまま、酔い痴れるまま私はーー
「ちゅっ…♡んんっ…ちゅっ……♡」
「ん……愛…?」
起きて。起きて。と寂しさに何度も捧げる、甘えるようなキス。
くぐもった寝息のあと、ゆっくりと開く瞼に。その瞳が自分を映してくれた、溢れんばかりの喜びに。また深く深く、唇を重ねる。
おはようのキス、というにはあまりに熱い。
まるで、昨日の続きをせがむようなーーああ、それさえ構わないと、懇願するような
熱い吐息のまま彼へと手を伸ばした、その矢先。
PIPIPI!!とまるで割り込む用に鳴り響くアラーム音。
普段よりはるかに遅い起床。その後の惰性も咎めるように甲高い音を鳴らし続ける。時計を見れば、講義一限目の開始までにはもう間もなく、急いで準備しなければ間に合わない時間だった。
「……」
碧色の瞳が哀しみに塗れる。
彼の意識が、自分から離れていくこと。彼の温もりから離れなければいけないことに、たとえそれが必要なことだと頭で分かっていても、堪えようもない淋しさが溢れだしてしまう。
未練がましく彼の背を抱きしめたまま、離すことのできない手。
ただただ、懇願するような潤んだ瞳で、じっと彼をみつめて
「——……」
聞こえるか聞こえないか、微かに息を零したあと。伸びた彼の手が携帯のアラームを止める。そのまま体を引き離すでもなく、その大きな腕が私を抱き寄せ、そっと頭を撫でる。
「みゆき、くん?」
窺うように下から覗き見る潤んだ瞳。浮かぶ微かな期待に震える瞳。
そっと重ねられるキスに、額を重ねて。
“今回だけ、な”
彼の口から零れでた囁きに、咲き誇るように輝く瞳。
喜びを抑えられないまま、彼の体を抱きしめては、誘うようにベッドへと倒れ込んだ。
時刻7時40分。
カリフォルニア北東部。本日の天気も快晴。
されど二人の朝は、まだまだ遅い。