「へぇ……
「最近じゃだいぶ増えたよー、土足厳禁のとこ。衛生面の問題だったり感染症への対策だったりで、もう半分以上の家庭では靴脱いでるんじゃないかな」
「はぇー」
感心気に息を零しながらメモを取る石上。今日だけでもう何度と見たやり取りに、今朝方まで新品同然だった手帳は8割近くが文字に埋まり、それだけ本日の取材が充実したものであったかが窺える。
「こうして取材してるってことは、やっぱり『竹取物語』の新作はアメリカが舞台なんですかね?」
「えっと、それはまだ言えないというか……そもそも発売許可じたい貰えるかどうかも……」
「主人公は前作からの続投ですか?ヒロインたちのその後は?
発売日はいつ頃の予定で?進捗はどのぐらいですか?」
「助けて先輩、この人めっちゃ圧かけてくるんですけど」
グイグイと詰められる石上を背中に、ゆっくりと開け放つ家の扉。
迎える柔らかな暖灯、見慣れた玄関の間取り。ただいまの声を待つように、程なく奥からパタパタと音を立てながら早坂が顔を出した。
「おかえりなさい。人混み凄かったけど、案内大丈夫でした?」
「どこも連休中だからな。とりあえず今日見れる場所は全部周ったから、後は明日の時間次第だな」
はいコレお土産と手渡す紙袋。普段よりも多くの靴が並ぶ玄関口は、二人だけの穏やかな時間とは異なり、どこかお祭り会場にでもいるような活気と騒がしさに満ちている。
その元凶であろう少女は、今もリビングの奥からニュッと極黒リボンを覗かせては「お邪魔してまーす!」と元気に手を振っていた。
「はぇー、これまたデッカいお家で……いいんですか?野郎二人が愛の巣にお邪魔しちゃって」
「断りなく足を踏み入れれば、烈火の如く怒り狂う
「それはアレが毎度アポ無しで突っ込んでくるからだ」
「おまけに要らない仕事まで押し付けてきて……ほんと何とかなりませんか、アレ」
ケタケタと揶揄い混じりの石上に対し、割と本気でビビり気味のエイス。早坂の送る冷たい視線にも、申し訳なさそうに頭を垂れている。
“アポ入れたらアイツら絶対逃げるでしょうが”と、本人は一向に悪びれる様子もないのが救いのないところ。
「愛の方も久しぶりの藤原書記相手で疲れただろう。大丈夫だったか?家の中、荒らされたりしなかったか?」
「久しぶりの再会&本人を目の前にしてその発言はいったいどういう了見なんですかね?」
「実際思いっきり荒らしたじゃないですか」
「ほんと変わってないんですね、先輩」
「あい変わらず殴りやすいボディで」とせせら嗤う石上に、声を大にして憤慨する藤原。
高校時代に戻ったかのようなやり取りに可笑しさや懐かしさを覚えていると、ふと遠く、頬横に刺さる視線を感じた。
(……圭ちゃん?)
談笑する自分たちを遠巻きに眺めるように。廊下から視線だけを送る少女。
別段人見知りというわけでもない。むしろ大半が見知った仲だというのに、酷く遠慮がちな様子で。張り付いた緊張の表情、時折バツが悪そうに視線を逸らす姿にはやはり以前とは違う、距離のある印象を受けた。
「………ほら。いつまでも玄関に
そんな圭の様子を察してか、半ば強引に来客達を連れて行く早坂。すれ違い様、そっと口元を寄せる彼女に耳打ちされる。
(二人だけで、話したいことがあるみたいです)
(……分かった)
「痛たた!ちょっ、そんなに強く押さないでください!早坂先輩、ギャル時代の姿しか知らないからホント違和感が凄い」
「ええ!?ミユキの彼女さんギャルだったの!?」
嘘だぁ!と驚愕の声を残しリビングへと消えて行く石上達。騒がしかった空気が去り、後の廊下には御行と圭、白銀家の二人兄妹だけが残った。
「その……久しぶり」
「……うん」
交わす言葉も短く、気まずさを表すように重たい空気が漂う。兄妹だというのに……いいや、兄妹だからこそというべきか。
4年もの間、ただの一度も日本に帰れなかった負い目が未だ心に引きずっていた。
「マンションの引っ越し、手伝いに行けなくて悪かった。新しい家にはもう慣れたのか?」
「……まあ、少しは、ね」
「学校の方はどうだ?
「先輩達にも助けて貰ってるから……。最近じゃ、生徒会長に立候補しないかってよく推薦される」
「そっか……。頑張ってるんだな、圭ちゃんも」
「……ん」
「親父の方はどうだ?もうあの年だし、体調とか崩してないか」
「私より元気なくらいだよ。今は動画配信なんか始めて、家に居ることも多くなったけど……。やっぱり時々急に居なくって、“あの人”の所にも会いに行ってるみたい」
「……そう、か」
「……」
リビングから溢れる藤原達の騒ぎ声がやけに大きく響き渡る。息苦しい沈黙に、会話を繋げようと何度もボールを投げるも、やはり数度のラリーを返すこともなく落ちてしまう。
以前の自分達なら、たとえ愚痴や一方的な罵倒であろうとも、言いたいことはハッキリと言い合えていた。
遠慮の無い喧嘩腰の口調であろうと、自分の気持ちを隠すことなどしなかったのに……。未だ視線を交わさず、何かを思う様に顔を伏せてばかりの圭。記憶にある姿とは大きく違う、しおらしささえ覚えてしまう妹の態度に戸惑いを抱かずにはいられない。
ーーあるいは怒りの裏返しだろうか。
もし自分が彼女と同じ立場だったなら……。碌に約束を守らず、家族の絆さえも蔑ろに4年もの間 放置されたと考えると、怒りや失望の念を抱くのも当然だと思えてしまう。
それほどに長い間、自分は好き勝手に、家族を顧みることなく生きてきたのだと。今更ながらに気付く事実に、また心がズシリと重みを増した。
苦し紛れに切り出す話題も、なんだかこちらが質問してばかりで……まるで尋問でもしているかのようだと。口を開くことさえ躊躇ってしまうほどだった。
(……それでも)
それでもこうして会いに来てくれたのだ。海を越え、国境をも超えて。
このままでいていい筈がない。なんとかまた家族の絆を取り戻そうと、頭の中で必死に話題を探しているとーー
「ーーーお兄ぃはさ、いま、幸せ?」
「ん?ああ」
まるで不意を打つように、
前触れもない問い掛けに顔をあげれば、それまでの躊躇いがちな表情から一転、腰横に手を握りしめ、強く訴えるような瞳があった。
思い切ったような。何か決意を秘めたような固い眼差し。
それは御行が思考の海に溺れていただけに、碌な考えも無い返答になってしまったことを後悔するほどだった。
その後続くかと思われた言葉も無く。ただ一言「そっか……」と、小さなつぶやきだけを残して再び黙りこくってしまう圭。
ああ、
服の裾を握りしめ、静かに顔を伏せて。
何かに耐えるように唇を震わせるその姿はーー
「……圭?」
遠い昔、幼い頃の記憶と重なったからだろうか。
御行にはその姿が、まるで泣いているようだとーー
知らず、そう思えてしまうのだった。
遅咲きブーゲンビリア 後日談 第7話 『 K to M ② 』
口の端にできた小さな口内炎。
それが、
お兄ぃがスタンフォードへと旅立った後の白銀家。
山のように参考書を積んだ学習机も。呪言のように壁一面を埋め尽くしていた貼り紙も全て取り払われ、人ひとり分のスペースが増えた部屋は面積そのものは変わっていない筈なのに、随分と広く感じられるようになった。
私にとっては、ずっと夢見てきた一人の空間。
誰の目を憚ることなく、どれだけゴロゴロとダラけようとも小言の一つも飛んでこない、生まれて初めての快適さに私はただただ浮かれ、自由な時間に耽溺していた。
ああ、清々した。ようやくウルサい奴がいなくなったと。
誰も居ない部屋の中、意味もなくそんなことを口に出しては、胸の片隅を引っ掻くような違和感……物音一つがやけに大きく響く、ポッカリと穴の空いたような空虚さにも、気づかないふりをしていた。
巡る季節に桜の花が芽吹き、新たに始まった高校生活。
衆知院学院高等学部。かつて兄も通った学び舎で、改めて生徒会の会計職に就いた私。
混院の出でありながら成績上位にあったこと。
卒業した優秀な先輩方の穴埋め。毎日のように無茶振りを押し付けてくる校長への対応に日々忙殺され、心身ともにヘトヘトになって家に帰ることも少なくなかった。
「ああ、失敗した。なんで安請け合いしちゃったかなぁ」と。足取り重い帰宅に弱音を吐くこともしばしば。
そもそも私は兄と違って、特別推薦の
「ただいま」と錆びついた安アパートの玄関扉を開けるも、出迎えてくれる声はもう無い。
動画配信を始めて以来、家に居る時間が多くなった父だけれど、時折唐突に姿を暗ますのもまた相変わらずで。
はぁ、と零した溜息がやけに大きく響く。
歳を重ね、肩に背負う責任も多くなったからなのか、家に帰っても心休まらない時間が増えた気がする。かつてはあれだけ広くなったと喜んでいた場所も、シンと静まり返ったその姿はどこか他人の家のよう。
(……晩御飯、好きに決めていいのは楽だからいいけど)
学生鞄を放り捨て、髪を後ろに束ねながら一人愚痴る。取り出す古びた手製のノート……お兄ぃの残してくれた節約レシピ本を片手に、キッチンへと向かい合う新たな日課。
それは材料や調理方法、各工程における事細かな注意点に至るまで。およそ10歳の頃からお兄ぃが書き連ね、数多くのレシピを記したソレはーーけれど実際に再現できるかは、また別問題で。
初めて挑戦した卵焼きは、焦げ混じりで出来の悪いスクランブルエッグへと変貌してしまったし、やっとの思いでつけた揚げ出し豆腐の衣も、油取り用のキッチンペーパーにくっついて全て持って行かれてしまった。
味をしてもお兄ぃの作ってくれたソレには遠く及ばず……。栄養バランスの調整。食費と家計との相談。食材の管理に一つとっても想像していたよりずっと難しくて。
ああ、こんなにも大変な作業だったのだと。
当たり前のようにキッチンに立っていた兄の背中。在って当然と受け止めていた後姿が、今は酷く懐かしいものに思えてしまう。
ノートに残された兄の筆跡。薄く残る丸みを帯びた文字は、きっと幼い頃から何度も書き重ねていったのだろう。私の好物なんかは特に念入りに書き連ねられていて……。それに応えられないもどかしさ。哀しさ。
絶えず隣から響いていた
ああーー居なくなっちゃったんだなぁ、と。
誰もいないリビングに、認めてしまったが最後。
先送りにしてきた感情が。ずっと見ないふりをしてきた寂しさが、漣のように胸の奥から打ち寄せてくる。
崩れた栄養バランス、慣れない生活リズムがそうさせるのか。いつまでも治らない口内炎の痛みが、ポッカリと空いたままの胸の穴にズキズキと響いて。
ああ、本当はまだ実感などなくて。
兄の不在も……目の前に広がる孤独もほんの一時のものでしかなくて。
或いは父と同じように、兄だってまた何かの拍子にひょっこり家に帰って来てくれるんじゃないかと……。
そんな在りもしない期待を、いつまでも手離せない自分がいた。
『……』
軋む胸の痛みを紛らわすように、徐に開く携帯電話。
今の自分の兄とを結ぶ唯一の繋がり。今朝方も交わした
今も遠い異国の地で独り暮らす兄。交わす会話の内容は、
[大丈夫]
[問題なく暮らせている]と。
時差もあって向こうは遅い時間だろうに、間を置かず返ってくる返事。意固地なまでに弱み晒そうとしない相変わらずの頑固さは、まるでその姿が目に浮かぶようで、安堵や懐かしに知らず頬が綻ぶ。
気がつけば
本当は電話で直接声を聞けばいいだろうに……未だ寂しさを認めたくない幼いプライドが、“国際電話は高いから”などともっともらしい理由をつけて。
本当は、疲れた時や心侘しい時。学校に居る最中でさえ、頻繁に携帯を開いては会話を見返している自分なのに。
(……でも)
画面をなぞる指がピタリと止まる。
兄から送られてくる返事……その文面が、決して言葉通りのままではないこと。無理に気丈さを振る舞おうしていることは、薄々ながらに感じ取っていた。
当然だ。父や友人、住み慣れた環境に囲まれている私とは違う。
常識も、文化も、ましてや日々扱う言葉さえ異なる世界で、ただ一人生きていくことがどれだけの負担になることか。
それでも……そんな状況でも、決して弱音を明かしてくれない。誰の手も頼ろうとせず、1人乗り切ろうとする兄の姿に、また胸の傷がズキリと痛む。
『………』
“どうして”と浮かぶ
同じSMSに残る少し
そこには……よせばいいのに。いったい何をそんなに苛立っていたのか。二言目には[ウザい]だの[死ね]だの、心無い拒絶の言葉を返す
兄の向けてくれる気遣いも、思いやりも、全て蔑ろに。気の向くまま感情を発露する様は、決して頼りに
ただただ我儘な、妹としての姿。
向けられる言葉に手当たり次第に噛みついて。
母親代わりを演じようとする兄が、何より大嫌いで。
(ああ……でも)
でも遠く離れ、失ってしまった今だからこそ分かる。
どうして、心休まるべき場所が今は他人の家のようだと感じてしまうのか。
どうして、貴方の姿を想うたび、こんなにも淋しさと後悔ばかりが胸に浮かぶのか。
それは私が
たとえそれが子供のような幼い癇癪であったとしても……反抗期特有の不安定な心が生みだす理不尽な罵倒であったとしても。それを隠さず、偽らず、ありのままに
たとえどれだけ辛辣に当たろうとも……きっと心の底から嫌われることはないと。
最後には必ず赦し、そして受け止めてくれる……そんな貴方がいてくれたこと。
他人相手では決して叶わない。
心のまま、ありのままの
ああ、それもまた。私にとってはなにより欠けがえのないーーー貴方への『甘え』だったのだと。
けれど、だからこそ。同時に、考えてしまうのだ。
母親代わりに徹して。でも貴方にとっての『母親』は、もうずっと何処にも居なくて。
我儘を受け止め、その
歴代の生徒会会長が背負う金の刺繍。逃げ出せない重責を肩に、部屋でたった1人、壁に貼り付けた
それはきっと今も、遠いアメリカの地で。
誰をアテにすることもできない。時差も構わず送られてくる返事は、眠れぬ夜を重ねている証拠で……。世界の名だたる天才達を相手に身心を擦り減らし、今も泥墨のように消えない隈を瞼の下に刻んでいるのだろうか。
胸に浮かんだそんな不安が形になるように……次第に。けれど確実に、憔悴へと呑みこまれていく兄の姿。やがては取り繕う余裕さえなくなっていって……。久しぶりの国際電話で耳に聞く声も、まるで別人のように
それでも、そんな状況でさえも、やっぱり
何が辛いのか。
いったい何がそんなにも哀しそうなのか。その思いさえ分からない。
離れていくばかりの心では、どんどん本心も見えなくなっていて。
ーーー『帰ってきていいんだよ』、と。
零れ出そうになる言葉を、何度飲み込んだことだろう。
それは貴方の夢を邪魔することだったから。
長い永い苦労の末、ようやく掴んだ夢の逕路。それを私の我儘で……この胸に巣食う
ーーーああ、けれどそんな思いとは裏腹に、増していくばかりの胸の痛み。
空港での別れ際、最後に見た背中。記憶の中、遠くなっていくその姿が……もう二度と戻ってこないような気がして。
兄が今こうして、必死に勉学に励むのも。決して身の丈に合わぬ努力を重ね続けているのも。
あの日。あの離婚の日。
母に手を振り払われた手……どれだけ呼んでも振り返ってはくれない
そう思うと、ただ涙が溢れて止まらなかった。
背中を押すべきなのか。止めるべきなのか。
どうすることが貴方にとっての幸せなのかも分からない。
(家族なのにーー)
たった1人の妹だというのに。
揺れる想いを決めることもできず、傷ついていく貴方の姿を、ただ遠く、見つめていることしかできなかった。
……そう。だからこそ、だ。
愛姉ぇがーーーあの人が兄の元へ訪れたと聞いた時には、本当に心を救われた気がしたのだ。
留学から半年ほど経ったころ、何の前触れもなく寮の玄関先に現れたという彼女。
ただそれに留まらず、兄の生活を支えるため、同じ屋根のした同棲まで始めたというのだ。
お手本のような
およそ一年ほど前。雨降る街の喫茶店で、二人きりで話した時には、兄のことを「ただの友達」と語った彼女だけれど……。
そこに並々ならぬ想いがあること。それが単なる友情の枠に収まらないことは、子供の私にさえわかるほどだった。
彼女自身、きっと慣れないことの連続だった筈。それこそ、本来お嬢様である愛姉ぇが兄の生活に合わせること自体、大変なことであったに違いない。
それでも、ただ一途に。懸命に。
真っすぐ兄のためを想う彼女の
お兄ぃにこの人を手放してほしくない。この人にまで見捨てられたら、兄は本当に終わりだと。当時はきっと藁にも縋る想いだったのだろう。
私自身、何度も愛姉ぇの助けになろうとしたし、そんな彼女の想いにいつまでも鈍感な兄に激高したりもした。
その後。二人の間に交わされた物語……。お兄ぃと愛姉ぇの間に、どんな
それでも事実として、少しずつ、確実に明るさを取り戻していった電話越しの兄の声。
愛姉ぇと結ばれた。そうお兄ぃの口から直接聞く頃には、もう以前の暗い影など微塵も感じさせない。私といた頃にさえ無かった落ち着きも纏うようになって。
重い鎖を脱ぎ去ったように、それは時が経つほどに色濃く。私の想像なんて遥かに越える速さで、大人への階段を駆け登っていく二人。
その背中さえーーー遠く、見えなくなってしまうほどに。
人の想いの変化さえ待つこともなく、巡り行く季節。
花開く何度目かの春。
口内炎は痕を残すこともなく消え去り、気づけば生徒会の仕事や校長の無茶ぶりにもすっかりと慣れ切っていた。
引っ越したばかりのマンションは、それまでの暮らしが霞むほどに、清潔かつ真新しい内装に包まれていて。銀色のシンクが輝くキッチンに立つ頃には、もうレシピを見ることさえなく料理を作れるようになっていた。
その間も、電話から飛び込んでくる数多くの華々しい報せ。
愛姉ぇのスタンフォードへの合格。
お兄ぃが兼ねてより憧れていた、宇宙工科学科への進学。
その才能と学歴を見染められ、
遠い世界で今もなお繰り広げられる物語。
直接目には見えずとも、二人の努力が花開く姿……兄達が歩む輝かしいまでの道のりを、妹の私も喜んでいた。
喜ぶべきーーーはずだった。
『ーーーっ……』
それなのに、どうしてだろう。未だ痛みを忘れてはくれない心。
二人の成功を聞く度。二人の背中が遠くなっていくのを感じる度に。
まるで泣きわめく子供のように癇癪の声を上げて胸底をかき乱す。
初めは素直に喜べていた筈だった。兄の回復を知るたび、愛姉ぇの存在に感謝を抱いていたのに。
今はもっと別の想いが胸に犇めいている。
何もかもが新しくなってしまった家の風景。
そこにはもはや兄と過ごした時間も、二人で重ねた思い出の一つさえもはや
兄が帰ってくるべき家……その愛着さえも。
数カ月に一度という頻度に連絡の少なくなったSMS。時折交わす電話も、私の知らない、向こうの世界の話ばかりで。
アメリカでの成功を収め、向こうでの将来を思い描く二人は……
ああ、それは結局。
痛みを増す胸に手を当て、天井を見上げる。
綺麗なままの壁紙。眩しいばかりの白色灯が、今は酷く滲んで見えた。
(……ーー本当は、)
本当は、初めから気づいていた。
この痛みの正体も。この胸が訴える本心も。
ずっとずっと気づいていながら……見えないフリをしていた。
『……どうして安請け合いしちゃったかなぁ』
兄と同じ生徒会に入ろうとしたワケ。その空気を……兄が見たのと同じ景色を知りたがった、その理由も。
『家族なのにーー』
果たせなかった妹としての役割。
本当は私の手で助けてあげたかった。
ずっと伝えたくて……けれど幼い心が邪魔をして伝えられず終いだった、謝罪と感謝の言葉も。
思い出す、雨の街の喫茶店。私自身が思い描いた、空想の中の
“——ふふ、そりゃあ、2人きりじゃ素直になれないよ。近すぎると逆に見えなくものってあるじゃない?”
あの時は認められなかった。そんなことある筈ないと否定した言葉だったけれど
”たった一人の家族だもの。兄妹同士、本当は、お兄ちゃんを取られちゃったってーーー寂しい気持ちもあるんじゃないかな”
本当は誰よりも早く。
心の根を吐露していたかつての自分に、自嘲と、諦めにも似た息がこぼれた。
「ブラコン……だったんだなぁ……」
壁に背をもたれ、仰いだ天井に囁く、降伏の声。
以前はあれほどにまで拒絶していた。どうあっても受け入れられなかった
それを“大人になった”と喜ぶことはーーーー残念ながらできなかった。