ナウシカの兄 R18 作:虫大臣マーク2
メギドの
『古き盟約に従いxxの月、xxの日までにペジテに参集せよ。同盟の怨敵土鬼を共に駆逐する栄誉に参加し武功をあげるべし。また、老年の族長ジルは軍役を免除する。代わりに後継者メギドに初陣の名誉を授ける』
細部を省くとこのようなものだった。
トルメキアよりヴ王の紋章の刻印が刻まれた書簡が来た時点で谷の主だった者が族長の大部屋に集められていた。
族長のジル、その妻、王子メギド、姫のナウシカ、大ババ様に城オジ五人衆…リーダーのミト爺、風見番のゴル、のんびり屋ニガ、剽軽な腰痛爺ギックリ、頑固者ムズ。そして剣士ユパ。皆が重苦しい顔で顔を突き合わせている。
族長ジルは「やはり」と力無く呟き皆に大まかに書状の内容を説明してやると、皆ざわめいて、母は言葉もなく嘆き、ナウシカは激昂した。
「戦争にお兄様を差し出せというの!?」
悲壮な顔で怒る娘に、城オジ達も同調する。
「そうじゃそうじゃ!若様はこの谷の宝!ジル様のお跡継ぎ!なぜ戦争なんかに差し出さにゃならん!」
ミト爺が真っ先にナウシカと同じような怒りを示すと他のオジ達が口々に怒号を上げてヴ王の名を罵るのだった。
だが騒ぐオジらへ、齢100歳を越える老婆が
場が収まったのを感じ、ゆっくりと大ババが口を開く。
「……お主らの気持ちはよぉ分かる……しかし、これは300年も昔から続くエフタルよりの盟約。また、ここでヴ王の召集命令を蹴ってはトルメキアが土鬼よりも先にこの風の谷を飲み込むじゃろう。短気を起こしてはならん」
大ババの助言はこの谷に住む者、皆が当てにする。一理有り過ぎる大ババの言葉に城オジは黙った。ナウシカもだ。
ジルとて本心はメギドを派遣したくない。
行くならば頼りになる後継者にも恵まれ、いつ死んでも惜しくはない自分…ジルが危険な戦場に赴くべきで、その為の覚悟も準備も常々していた。
幸い、腐海の瘴気で動きづらくなっていた体も、息子の薬や改良されたチコの実のお陰で溌剌としているのだ。
そこらの若い者には負けないつもりだった。
だがヴ王はわざわざ戦場経験の無い若きメギドを指名した。
「これも定めだ。年々激化する小競り合いをお前も知っているだろう。ヴ王は老いた私の戦働きでは満足出来ぬのだろう…どこからか、メギドの噂を聞いたのかもしれんな…」
「お兄様が…戦争に………!戦争に、とられる!あぁ…!」
ナウシカは両手で顔を覆って泣き崩れた。
肩のテトが心配そうにナウシカの頬を舐めて慰めるが、今のナウシカはそれに気付け無い程の悲しみようだった。
見かねた母が「…耐えるのよ、ナウシカ」と優しく抱きとめて母娘は二人して嘆く。
そうやってジルもナウシカも、皆が騒ぐ中でメギドとユパは静かだ。
ユパが言う。
「メギド、今の世…戦は男の定めだ。覚悟はできておるのだな」
「はい、先生。寧ろ、男として生まれたからには一度は戦場に立ちたいと望んでおりました」
「よく言うた。それでこそジルの子だ」
静かながら力強い肯定にユパは満足そうに頷く。
ジルも、必死に何かを堪えるような素振りで息子に歩み寄ると、腰にいつも差していた王蟲の皮より削り出した小刀をメギドの手に握らせる。
「長年、戦場でわしの命を救ってくれた相棒だ。この日より……ガンシップの武装と共にお主に譲ろう」
すっかり己より背が高くなった偉丈夫たる息子を感慨深く見つめる。
ジルもまた若き頃は勇者となってヴ王の傍らでガンシップを駆り戦場を飛び回った武辺者。
戦に赴く息子へは様々な感情が入り混じった感慨深さを抱いているのだ。
戦争に息子を盗られたくない一方で、戦場で華を咲かせて来いとも思ってしまうのは風の谷の戦士の性かもしれない。
小刀を受け取り、強い瞳で父の目を見返すメギドの肩を抱いてから、ジルは部屋の皆を見渡して宣言した。
「メギドの出立は、3日後とする。それまでに皆、メギドと別れを惜しむがよい」
ナウシカはただただ涙に濡れた悲壮な顔で兄を見ていた。
――
―
その日はもう夜も更けていた事もあって、谷の者への通達はしなかった。明朝は大騒ぎとなるだろう。
今、大部屋にいる者だけで控えめの宴をし、これより3日の間は風の王子との別れを惜しむのだ。
ユパの帰還の大宴会がつい数日前…そして続けざまにメギドの出征。
平穏な風の谷に嵐が吹き荒れるているようだ。
夜も大分過ぎてもうすぐ夜明けという時分……もうメギドとナウシカ以外は酒席で静かに寝息をたてている。
皆が寝ているのを良いことにナウシカは兄の隣まで行くと、そこでメギドの逞しい肩にしなだれかかった。
しかし兄メギドは耳をすませて外の風の音をずっと聞いているらしいのがナウシカには分かった。
「…お兄様、どうなさったの?」
メギドはまた遠くを見ていた。
隣りにいるナウシカを見てはいない。
その様子は、まるで兄が戦にとられてどこか遠くに永久に去ってしまうことを表しているのではないかとナウシカを不安にさせる。
「明日かと思っていたが……風は今ざわめいている。ならばエイガなのか……しかし土鬼はいる。ヴ王からの召集命令もゲンサクのはずだ……これは、混ざっているのか」
「え?」
兄が時折、小さく漏らす不思議な独り言。
メギドがこういう事を言う時は、今は分からずとも後々考えると未来の先読みをしているような事がある。
それをナウシカは小さい頃から知っていた。
(お兄様は運命を視たんだわ!
次に兄が何を呟くか…ナウシカはどんな小さな声だろうと聞き取ろうと耳をすました。
「ナウシカ、行くぞ!蟲の声が聞こえる!」
「蟲…!?起きて、皆!」
立ち上がるとあっという間に走り去る兄を慌てて追おうとし、ナウシカは一旦止まって部屋の皆を大声で起こす。
ユパが胡座をかいたまま静かに瞑っていた目を開いた。
「どうした、ナウシカ!」
「お兄様が外に蟲が来ていると!ユパ様、皆をお願いします!」
「蟲が谷まで…!?お前達はどうする!」
「私はお兄様と共に!」
城の天辺まで駆け上がるとすでにメギドがメーヴェを起動させている。
「ナウシカ!メーヴェに乗れ。私がカタパルトを引いて飛び乗る!」
「はい!」
ナウシカが一飛びに白い機械凧に飛び乗ると同時にメギドが木製のカタパルトの枷を蹴って外す。
水素エンジンが青白いスラスター光を漏らして唸りを上げる。メギドが早業でナウシカに被さるように飛び乗ると、解き放たれたメーヴェが夜明けの強い風に乗って急上昇していった。
「右の空だ!光が見えるな!?ナウシカ!」
「見えた!」
ナウシカが舵をきるとメーヴェは荒れる風に逆らうこと無く見事に気流にのって風を手繰る。
雲間の遥か向こう、月明かりとも星星の瞬きとも異なる微かな光。
兄が指摘してくれなければ気付くのにまだまだ時間を要しただろう。
「操縦は任せるぞ」
「お兄様はどうなさるの?」
メギドが手信号で光源への接近を要求すると、メーヴェはぐんっと翼を傾けた。
ナウシカの目が驚愕に見開く。
「あれは…ペジテのフリッグ!?あぁ!?蟲が…!」
隣国の工房都市ペジテの飛行船がおびただしい数の蟲に襲われている。
銃声と、マズルフラッシュが見えるあたりもう船内にも多数の蟲が侵入しているらしい。
「地蟲があんなに取り付いて…腐海に降りて蟲を殺したんだわ…!でも…お兄様、見て!船の中は女子供でいっぱい!」
「ペジテから逃げてきたんだ。ナウシカ、よし…ここでいい。お前は外から船の誘導を試してくれ。地蟲が舵を覆っている…あれをまずはどけてやらないとフリッグは回頭できない。任せたぞ」
「お兄様は…!?」
「私は…―――こうする!」
「っ!?お兄様!!」
フリッグに近づいた瞬間、メギドはメーヴェの桿を手放すと、身一つで空に堕ちていった。
「お兄様!!」
思わず追おうとしたナウシカだが、堕ちながらもじっとナウシカの目を見てくるメギドと視線が交差すると意を決する。
メーヴェを回頭させて舵面方向に流れて行くのを見たメギドは安心したように笑った。
笑うと、高速の気流の中でぐるりと身を捻ってぐんぐん迫るフリッグの艦首に、上手いこと地蟲を避けドウッと四つん這いで
超人的身のこなし…という言葉で片付くわけもないこの動きは、勿論、超常の力を存分に活用しての事だ。
『蟲達よ!人間のこの船は…このメギドが貰い受ける!』
極めて強力な精神感応で蟲達の脳髄に直接意志を叩き込むと、蟲の大群はギクンッと痺れたように動きを止めた。
『腐海に帰るんだ!!ここにはもう…お前達の仲間を殺した奴はいない!死んだ!』
小波が大波に打ち消されるように、メギドは思念の膨大な波で蟲達の〝仲間を殺された〟という無念と復讐を、既に果たしたのだと思い込ませ満足させていく。
蟲の動きが鈍っていくのが、取り付かれていたフリッグの船員達にも分かる。
「蟲の動きが鈍った…!?今のうちに殺せ!」
船内で銃を持った男が叫んだが、その瞬間に彼は全身が感電したかのような衝撃を受けて昏倒する。
メギドは船内の人間達にも念話を送り込みだした。
蟲と人、同時に数百の生命への精神感応を実行できる…恐るべき事だった。
『蟲は今引き上げさせる…手を出してはいけない。蟲をこれ以上殺したら私でももう抑えられない』
頭に響いてくる声に船内の数少ない武装兵は混乱するが、それでも目の前にいる地蟲へ恐怖から銃の引き金をひこうと指をかけた。
その時だ。
「やめなさい!皆、銃をおろして!この声の御方に従いましょう!」
ペジテ王家の紋を刻んだ民族帽を被り、シンプルながら質の良さが見て取れる赤いドレスを来た品のある黒髪の少女が声高に男らを止めた。
どこかナウシカに似た雰囲気を持つ美しい少女だ。
「しかしラステル様!この怪しげな声はきっと、あのキャノピーに取り付いた奴からだ!あんな事出来るのは人間じゃない!蟲が我らを惑わしているに違いありません!」
「蟲が私達を殺すならこんな真似をせずとも、もう殺せます!早く銃を下ろして!」
眼前に鈍った地蟲が歯を鳴らしている。
地蟲の複眼が男の瞳をジッと見ている。
ラステルは、この船内で誰よりも落ち着き払い男達を見て微笑んで見せる。
「大丈夫…あの方の声が信じられないというなら私を信じなさい」
「ラ、ラステル様」
男達が冷や汗と脂汗を顔面中に滲ませながら、しかし銃をゆっくりと下ろしていく。
それを見届けたかのように地蟲達がゆっくりと後退りをし…ゆっくりゆっくりと、一匹また一匹と船の壁面に空いた穴から這い出ていく。
フリッグ船の周りを、獲物を駆るタカのようにぐるぐる周っていた羽蟲達は船内から飛び出てくる地蟲を宙で受け取り、ある蟲は背に乗せ、ある蟲は口に咥えて段々とフリッグ船から離れていった。
「ひ、退いていく…!蟲が退いていくぞ!」
「すごい…こんな事が…」
「蟲を一度殺せば…どちらかが死に絶えるまで攻撃を止めない蟲達が…嘘みたいだ」
「や、やった!舵面が回復した!舵がきくぞ!右に回頭させろ!」
「よし!フリッグを立て直す…面舵いっぱい!」
風の谷の里の名の由来ともなっている長大な谷の崖に向かっていたフリッグは重たい船体をどうにか傾けると、ようやく安定した軌道を取り戻す。
かに見えたが機首が下を向いている。上方修正しきれていないのを見てとったメギドは、蟲が開けた穴目掛けて再度跳躍すると、凄まじい風圧等物ともせずスルリと穴に身を捩じ込んだ。
「うわっ!?キャノピーに張り付いてた男がっ!!」
「入ってくる!」
男達が慌てて銃を構える。しかし…。
「やめて!その御方に私達は救われたのよ!」
またラステルが男達を叱りつける。
「私は風の谷のメギド!敵ではない!」
庇ってもらって嬉しいし、何より元気に動き回っているラステルと出会えて感無量であるが今はそれどころではない。
折角助けられそうなのにこのままでは墜落は免れない。
メギドはパイロットに発破をかける。
「操舵手!どうした、もっと機首を上げろ!前に来てくれたメーヴェ…白い凧を追うんだ!」
舵面に残っていた地蟲も光弾と蟲笛で剥がしたナウシカが、メーヴェを操り前方に回ってきていた。
腐海を通ったと思しきこの船をそのまま風の谷に着陸させるわけにはいかないのだ。
この船が助かりそうなのは何よりだが兄妹はどうにかフリッグを谷の外へ誘導したい。でなければ谷が菌で汚染されてしまう。
「や、やっているよ!でも蟲に食い荒らされて…フラップが死んでいるみたいなんだ…!こ、これじゃあ無理だ!」
「そんな…」
見守るラステルが顔を蒼白にする。
回頭は出来ても機首が持ち上がらないのなら自分達の運命は決まったようなものだ。
ラステルはペジテの王族の姫…いつでも命を張って矢面に立つ覚悟だけはしていたが、この船にはペジテ市から逃亡してきた女子供が満載なのだ。
幼子達がこのまま墜落して燃えて死ぬ運命を想像すると心が張り裂けそうだったが、苦痛なく一瞬で皆で死ねると思えばそれが唯一の救いかもしれない。
ペジテの姫がそれ以上に気の毒に思うのが目の前にいる闖入者だった。
突然、やってきて…自分達の頭に語りかけてきた不思議な声の持ち主…どうやら蟲もこの男メギドが追い払ってくれたのだとラステルには分かった。
自分達の救世主が、このまま自分達に巻き込まれて死んでしまうのは実にしのびない。
「あの!メギド様…あなたは早くこの船から逃げて!ここまで来れたのなら…出ることも出来るのではありませんか!?お早く!…それと、この石を持って…どうか私の兄アスベルに!」
ラステルは侵入者の裾を掴んで引っ張りながら男へ、窓際まで連れて行こうとしたがそれは彼自身に遮られる。
「大丈夫だよ、ラステル…少し私は無防備になる。おかしな事をするが、さっきみたいに彼らが私を撃とうとしたら抑えておいてくれ…。途中で撃たれたら浮かせられないからな」
「えっ」
ラステルはどきりとした。
彼が自分の名を知っているのにも驚いたし姫である自分を呼び捨てにしてくるのも新鮮な驚きがあった。
自分を呼び捨てる異性など父か、兄のアスベルだけだ。
しかも、なにやらこの侵入者である命の恩人は、会ったばかりの自分を妙に信頼してくれていると感じる。
「くそ、高度がドンドン下がる!」
「あがれっ!あがってくれ!!!」
二名の操舵手が必死にスイッチを入れたり切ったり操縦桿を引いたり…あの手この手を試すが地面がどんどん近づいてくる。
機首前をちらちらと跳んでいた白い凧を操る者も、なにやら必死にこちらを見て叫んでいた。
(この人…いったい、何をするの?)
船内の誰もが墜落と死を予感していた。
しかし、不思議とラステルの心からはその恐怖が消えていた。
目の前の男の、掴んだ腕から不思議な感覚が流れ込んでくる。
「………っ!!!」
男が声も無く歯を食いしばり両腕を交差させる。
腕を掴んでいたラステルも、離せばいいのに「あっ」と声をあげて彼に引っ張られる。
その拍子に船体が揺れる。
「きゃっ」
ラステルは思わず手近にあったモノ…つまりメギドの腰にしがみついてしまった。
(あ…わ、私ったら、なんてはしたない)
見知らぬ、逞しい…よく見れば美丈夫の異性に抱きつくなどペジテの姫に在るまじき行為だ。
墜落するかどうかの瀬戸際でこんな事で頬を赤らめるラステルの心胆は肝が据わっている。
しかしそれも、何故かこの男の側にいるとひどく安心するからだった。
今も男は歯を食いしばって両腕を交差さえ強く、ひたすら強く全身に力を入れている。
強く瞑った目の周りにも余りに力んだが故か、血管のスジが浮かび上がっている程だ。
「ぐっ!ぬうぅぅぅぅぅッッ!!」
――ピキッ、ビキッ、ビキキッ
男が力を更に漲らせると、彼の全身の血のスジが浮き上がり…激しい血流がスジを紅く光らせているようで、まるで戦の血化粧を全身に刻んだかのようだ。
しかも彼の体が淡い白光を放っているようにラステルには見えて、彼がこの世の者であるか自信が無くなる程の神秘をラステルの目に焼き付ける。
しかしその状態が余りに異常なのは彼女の目にも明らかだった。
「や、やめて!それ以上…その力は、使ってはいけません!」
これは噂に聞く超常の力という奴ではなかろうかとラステルも察する。
土鬼の皇帝も持っているという不可思議な力だが、こうして直に見るのはペジテの姫も初めての事だ。
だがラステルには彼が危険な状態にあるのではと見えて仕方ない。
その時、操縦席で男が叫んだ。
「浮いた!!」
「機首が持ち上がったぞ!!降下速度も急減速……!?イケる!イケるぞ!!これなら胴体着陸できる!ハハッ!助かるぞぉ!!」
浮かれて叫ぶ男達の顔には笑顔があった。
後部の格納庫や客席にすし詰め状態の女子供達も歓声をあげている。
(…!こ、この方が、浮かせているんだ!!)
ラステルは察し、そして彼にしがみついて止める。
「だめっ!もうっ…いいですから!!船は浮きました!あとは、このまま不時着できます!!もういいの!」
「っっっっっ!!!」
メギドの食いしばった口から漏れた血飛沫がラステルにかかり、それでもラステルはメギドに抱きついて必死に彼を制止した。
同時に、
―――ドンッ!!
とけたたましい音がして船体が砕けそうな程激しく揺れて、女子供達の悲鳴があちこちからあがった。
だが墜落ではない。
激しい揺れだが、船体内部がシェイカーになる程でなく胴体着陸は無事成功したと言えるだろう。
(…っ!か、神様!)
轟音をたてて船がどこまでも砂を滑る。
メギドを守るようにラステルは抱きつき続け…やがて激しい振動は収まった。
一瞬、全てが静寂に包まれる。
皆が、自分が生きているのが不思議だとでも言うように互いを見て、やがて皆破顔した。
「………は、はは…生きてる…俺達、生きてるぞー!!」
「あぁ…!ありがとう、ありがとう…風の谷が近いお陰だ……風の神が俺達の船を救ってくれた!」
「わぁぁぁー!お母さーーん!!」
「わ、私達…助かったんだわ!おぉ、神様…私達をお守りくださった…!あ、ありがとうございます!」
「よしよし…泣かないで…、う、うぅ…助かった…この子も私も…本当に助かった…」
皆、怪我をしている。
腕を抑え苦しんでいる子もいる。
しかし死者はいない。
これは奇跡だった。
ラステルは少し唖然として、ホッと安堵し、自分の国の民の子らが無事と知って涙が溢れてくる。
しかしすぐにハッとなって膝上に抱える男を豊かな胸に掻き抱く。
「しっかり…!しっかりして下さい!お願い…目を開けて…!こ、これであなたに死なれたら…!」
男は目を瞑ってピクリともしない。
呼吸もしていないようにラステルには感じられる。
『そういう時は人工呼吸だ…』
誰かに言われ、ラステルは涙を浮かべながら聞き返した。
「人工呼吸とは…唇を合わせて息を吹き込む、アレですか!?」
『そう、アレ』
「わかりました!こ、こうですね!」
ラステルに迷いはない。
彼は不思議な力で自分達を救ってくれたのだと彼女は確信している。
王家の姫が初めての口吻を捧げる事ぐらい安いものだとラステルは思う。
「ん…ちゅ、じゅる……」
『そうそう、たっぷりベロを奥まで突っ込んで』
「んちゅ…ふぁい……こ、こう、でふね」
『そしてベロで唾液を送り込み』
「は、はい!ちゅぶ…じゅっ、じゅぶっ…」
一旦口を離し、垂れる髪を掻き上げて耳にかけるラステル。
元気に返事をし指示通りに人工呼吸を再開した。
『おお…そのままそのまま。いいね、もっと舌を絡ませて。舌を吸う』
「んっ、んっ…ちゅっ、ちゅぅぅぅっ、じゅるっ、じゅぶっ、じゅぼっ、ぢゅるっぢゅるるるう」
言われた通りやり続けるラステルだが、やがて舌先からビリビリとした不思議な痺れが襲ってくる事に気付く。
(…ん…な、なに?この痺れ…。あっ……なんか、熱い…?)
整った鼻から必死に酸素を吸い集め、男を救おうと必死にマウストゥーマウスを続けるが…。
「あ、あの…ラステル様?」
「っ!?ひゃ、ひゃい!!」
後ろから老婆に声をかけられビクンッと肩を跳ねさせた。
急いで離した口からはツゥーーっと銀の糸が倒れた男の口に繋がる。
「…?お顔が赤いですぞ?どこかお加減が?…ま、まさか今の着陸でお怪我などを!?」
老婆は心配そうに顔を覗き込むと、ラステルは慌てて口元を袖で拭った。
老婆がおやっ?という顔をしてラステルの膝に眠る男を見る。
「おお、その方も無事だったのですね!良かった…その御人が船に飛び込んできてから…事態は好転しましたからなぁ。きっと、その御人は噂に聞く超常の力を持っているのではないでしょうか」
「そ、そのようですね。土鬼の皇帝も持つというその力で私達を救ってくれたのを私は見ました…!だから、だから何としてもお助けしないと…!」
「…しかし今はそっと寝かせておいた方がよいのでは」
「え…?寝て、いますか?」
「はい、ほら…ゆっくり上下してますじゃ」
落ち着いて良く見ると男の胸はゆっくりと上下している。
鼻元に耳を近づけると確かにスーッと呼吸していた。
「あ、あはは!良かったです!呼吸はなさっていたんですね!よかった!」
誰が寝ているだけの彼に人工呼吸しろと言ったのだ、と一瞬ラステルは思ったが…きっと自分が頑張って人工呼吸をしたから彼は呼吸を無事取り戻したのだと思うことにした。
はぁーと、ようやく安堵の溜息をつき、ラステルは膝上で寝息をたてる男の頭を、手持ち無沙汰なのかサラサラと撫でだしていた。
そしてもう片方の手で、服の内側で乳房の谷間に埋もれていた〝石〟を確認する。
(…良かった。失くしていない。どうにかして…アスベルに渡さないと)
その時、
「おーーーい!!」
遠くから声が聞こえた。
ラステル達が見れば、そこには必死に掛けてくる青い腐海装束の人。
ラステルはゆっくりと、大きく手を振って返事を返すのだった。