人類の大半が女性になった世界でも、Hをするのは大変なんです。 作:冴木凛
「部活のことで来てくれた……と思っていいのかな?」
屋上の塔屋の壁にもたれて、ソフィーアは俺にそう尋ねた。
梅雨の終わりとはいえ、今日はとてもよく晴れた気持ちのいい日である。確かにここは、遠くに生徒たちの声がしているだけで、それよりも吹き抜ける風の音の方が大きいくらいに静かだった。
「まあ、それもそうなんですが」
「他に、何かあるのかい?」
「はい」
ヤヨイとのやり取りのせいなのか、浮かない顔をしていたソフィーアだったが、俺の言葉に少し興味を持った表情に変わる。
「言ってみたまえ」
「どうして先輩たちはQであることを公言しているのか、聞きたいなと思って」
「どうして? ふむ……それを訊かれたのは初めてだな」
「世の中にはQになりたい男子もいると思うんですよ。女子になりたいってね」
男子の世界も、決して楽なものではない。女子として平凡に生きた方が平和だと考える男性もこの世界には確かにいるのだ。
「そういう人が声を掛けてくるのを待っている。実は最初そう思ったのですが、それならもう男子に成っていてもおかしくはないですよね。でも先輩はまだQ、つまり『女性』のままです」
「確かに、そういう話を持ち掛けられたこともあったかな。でも、断ったよ」
「『男性』を奪うチャンスだったのに、ですよね。すると、理由が分からないんですよ」
そんな俺の言葉に、ソフィーアはふふふと笑った。
「お、おかしいですか?」
「いや、すまない。しかし、もう君がその答えを言っているじゃないか。女性になりたい男性がいる。なら、男性になりたくない女性がいてもおかしくないだろう?」
そう言われて初めて、俺はなるほどと思った。確かにその通りだ。しかしまだ引っかかることがある。
「その通りだと思います。でもそれなら、自らQであることをわざわざ周りに言う必要はないと思うんですよ」
食い下がってみる。するとソフィーアは少し戸惑った表情を見せた。
「本当に、そんなこと……我々がQを公言している理由が知りたいのかい?」
「ええ」
「なぜ?」
「先輩たちに興味があるから、です」
そう答えると、ソフィーアは、声を上げて笑い出してしまった。
「真面目ですよ、俺」
「いや、すまない、すまない。別に君を馬鹿にして笑ったのではない。許してくれたまえ」
ソフィーアは、笑いをこらえるために口に当てた手で、今度は耳にかかった栗色の髪を上げるために動かした。
「では、部活への誘いの返事を聞かせてもらえないかな」
「理由を教えてくれるんですか?」
「さあ、それは分からないな」
「部活なら、入りますよ」
ソフィーアが不意を突かれたような顔を見せる。その視線が一気に、鋭い物へと変わった。射貫くような、相手を震え上がらせるような、鋭い目。
「この学校は、兼部が禁止なのは知っているよね」
「ええ、知ってます」
「我々がこの『探Q部』を単なるサークルではなく、部活動にしているのは、兼部をしてもらいたくないのと、もう一つ」
ソフィーアが目を閉じる。
「退部を禁止にすることが目的だ」
そしてもう一度目を開けた。まるで俺の反応を確かめるように。
「部活の規約に明記してある。学校もそれを認めている。一度入ってしまえば、卒業まで籍を抜くことはできない。例え、活動しなくなったとしても、別の部活には……」
「いいですよ」
言葉の途中で、俺は返事をした。ソフィーアは言葉を止め、そして怪訝な表情を見せる。
「どういう……意味かな」
「別に構わない、ということです。部活、入りますよ」
もう一度はっきりと返事をする。するとソフィーアの表情が目に見えて険しいものになった。
「レント君。我々の部活動は成績に入らない。大学や大学院への編入の際には、不利にしかならないのだが?」
「ええ、分かってます」
「だったら」
「入りますよ。探Q部」
その言葉に、ソフィーアの口がしばらく開いたままになってしまった。そして次に発した言葉が、
「君……頭は大丈夫か?」
だった。
「なぜ、そうなるんです?」
「いや、普通、そう思うだろう」
「そもそも、誘ってきたのは先輩じゃないですか」
「い、いや、そうだが……」
「ねえ、先輩」
「何かな」
「わざわざ勧誘を断らせるために、もしくは、入部の申し出を断るために、俺を誘ったんですか?」
その俺の質問に、とうとうソフィーアは黙り込んでしまった。それに対し、俺も沈黙で待ち続ける。
そのまま、何分経っただろうか。
「もう一度だけ、確認させてもらえるかな」
「何ですか」
「Qについて知りたいのなら、それについて研究している学内サークルはいくつもある。それは知っているのかい?」
「具体的には知りませんが、そういうのがあるだろうっていうのは、想像つきます」
「Qについて知りたいのなら、そういうところもある」
「俺が知りたいのは、お二人のことですよ」
「なぜそこまで」
「Qを公言し、誰も入るはずのない部活に勧誘し、それでもなお『踏み込んでくる』男子を待っている。俺には二人がそう見えたから、ですよ」
ソフィーアの動きが止まる。彼女の顔から険しさが消え、その代わり、まるで殺意を帯びたような笑みに変わった。
「はっはっは。面白い。面白い考察だよ。でも違う。それは、違う。違う、違う!」
突然、ソフィーアが正装用制服の上着のボタンを外し始める。
「私は単に、男が憎いだけだ!」
「先輩?」
突然の展開に戸惑う俺をよそに、ソフィーアはそのまま全てのボタンを外してしまった。白いブラウスが日に照らされてまぶしく光っている。
「そこまで言うのなら、君に教えてあげよう。私が絶望し、男を敵視するようになり、そしてQを公言するようになった、その理由を」
ソフィーアがブラウスの裾に手を掛ける。そのままゆっくりと、上へと持ち上げ始めた。
縊れた腰のラインと小さなへそ。ソフィーアの色白の肌が俺の目に焼き付いていく。贅肉の一切ないお腹、そして……妙に浮き出た肋骨。
そこで一旦手が止まるが、更に上へとソフィーアはブラウスをたくし上げる。
本来、その行為を邪魔するはずの胸のふくらみが、ソフィーアにはほとんど無い。難なく、ブラウスは胸の上まで上げられた。ブラウスの下には何も着ていない。
肋骨の上に張り付くように、わずかに盛り上がったピンク色の蕾が付いている。
「これが私の身体だ。見て、どう思った? 男か、そう思っただろう」
ソフィーアが、自分の『無い』胸をそっと手でなでる。その様子を見て俺は、どう言うべきか少し迷ってしまった。ソフィーアが言葉を続ける。
「入学当初から私の周りには、よく女子が集まっていた。それを目当てに男子も傍に来ることが多かったのだが、その中の一人、ある先輩と恋仲になってね。ちょうど今頃だったかな。その人の部屋に行ったのだよ」
ソフィーアは相槌を必要としていないようだった。彼女の言葉を黙って聞き続ける。
「私の服を脱がせた時の彼の目、今でも覚えている。その目に私はね、ひどく嫌悪感を覚えてしまった。何か……何か、汚いものを見るような目だったよ。私はね……彼の『男』を奪おうと思ったんじゃない。彼を……彼を本当に愛していた。一体彼が何度私に『好きだ』と言ってくれたことか。でもあの彼の目は、それを全部嘘にしてしまうような目だった」
ソフィーアは自分の胸……貧乳と表現することすらためらうような胸を俺の方に突き出す。
「固まったまま何も言わなくなった彼をおいて、私は部屋を飛び出した。翌日から、私はQであることを公言し始めたのだよ」
ソフィーアはずっと俺の目を見続けている。
「男など嘘の塊だ。男は、敵だ。その男に自分がなる? 反吐が出る!」
言葉とは裏腹の、助けを呼んでいるような、悲痛な目で……
「じゃあなぜ、俺に会いに来たんですか」
「君の一学期のテストの点数を見て、すぐにわかったよ。君は成績で遊んでいる。しかも部活にも入らず、まるでこの学校の男子が必死にやろうとしていることをあざ笑っているかのようだ。わざわざこの学校に入ってきた、男であるはずの君が、だ」
「それは」
「そんな、生意気な男をあざ笑ってやろうと思ったのだよ、レント君」
切れ長の目がきつい性格を連想させるものの、これまでのソフィーアからは、高みから微笑んでいるような余裕が感じられた。今、俺の目の前で目を見開き、俺を睨みつけるソフィーアからは、しかしそんな余裕は一切感じられない。張り詰めた糸が切れる……そんな危うさを感じた。